一茶が残した謎󠄀の年号『美禄』考

弥勒 (元号)

[1073] 弥勒 (旧字体: 彌勒) は、 戦国時代に使われた中世東国私年号の1つです。

元号名

[1072] 新字体弥勒旧字体彌勒です。

[1706] 読みは、 「みろく」 とされます。 >>1690, >>74

[597] 文化財の調査 第5集, 浦和市教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2526392/1/11?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[1071] >>597 は一覧表で勒彌と書いていますが、本文で弥勒と書いています。 単純な誤植の可能性が高いと考えられます。

[551] 家系図をつくる : 菩提寺の過去帳、墓碑銘は、何を語るか。, 町口充, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13183693/1/27?keyword=%E5%BC%A5 (要登録)

[60] >>551 は「弥靱󠄁 (一五〇六〜〇八)」 と書いています。単純な誤植の可能性が高いと考えられます。

𣃥勒

[139] にはいくつか異体字があって、弥勒もそれらで書かれることがあります ( )。 𣃥勒異体字𣃥を使った表記です。

[548] 当時としては一般的な字形揺れの範囲内と思われ、特別な意図はないと考えられます。

[140] OCR では𣃥と誤読されて旅勒となっていることがあり、 要注意です。

[141] 明朝体への翻刻では新字体 (近代日本では旧字体) に統一されることも多いので、原表記は実物を確認しないとわかりません。 また、明朝体𣃥などと異体字表記されていたとしても、 それも近似で原表記は少し違うということもあり得ます。


[145] 信濃史料翻刻文には𣃥が出現するので、 書き分けられていると思われます。

日時事例

[144] 妙法寺記は異本が多数あります ( 勝山記 )。 そのうちの1本は「弥勒二年」 を「𣃥勒二年」と書いているのでしょう。出典がどの本なのかは明記されていません。 他の勝山記/妙法寺記諸本の明朝体翻刻𣃥を使ったものは見たことがありません。


[546] 【土浦市立博物館】2025年度春季展示 みどころ紹介 おうちもミュージアム「釈迦涅槃図と私年号-弥勒2年とはいつか?-」 - YouTube, https://www.youtube.com/watch?v=dnEhiSJuAqI

[547] >>546 弥勒2年丁卯、も少し違う字です。


[1078] その他事例

弥禄

[243] 勝俣鎮夫>>241 および 勝山記 の引用で弥勒弥禄と書いています。 >>258

[244] この表記の根拠があるのかは不明です。 >>241 の出典は >>240 ですが、 >>240 には「彌勒」 (明朝体) とあります。 勝山記翻刻の諸本には弥勒彌勒𣃥勒 (>>143) とあって、 弥禄とする本があるのかは不明です。

[526] 経済往来 29(2), 経済往来社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1411874/1/14?keyword=%E5%BC%A5%E7%A6%84 (要登録)

身禄

身禄

紀年法

[331] ミロク私年号は歴史上何度も繰り返し使われています。

[49] ただし、実在のものと、後に否定された旧説が混じっているので、注意が必要です。

[406] ミロク私年号とその元年:

用例

[1667] 弥勒の用例は東国を中心に多く知られています。

[1668] 現存用例数は、前近代で福徳に次ぐ第2位です。 中世を代表する私年号の1つといえます。


[66] 昭和42年の 日本私年号の研究 は、 資料1から資料25まで掲載していました (>>685)。

[1132] 板碑の総合研究 総論 時点で弥勒板碑は元年1例、2年8例で、干支あるものはすべて卯または丁卯 >>195

[1645] 昭和53年時点で弥勒板碑は8件 (うち埼玉県 6件)、 昭和55年に +1件 (+0 件)。 >>408, >>2410

[374] 時点の一覧表では31個の用例が列挙されています。 (分布地図あり) >>373

[118] 令和2年時点で弥勒銘板碑は33基見つかっているとされます。 福徳 が、平成7年時点で板碑用例は11個に過ぎませんから、 板碑以外も含めての33個かもしれません。

[1597] 令和8年8月6日時点の当記事掲載の用例の数は次の通り。

板碑 他金石文 同時代文献 後世文献
元年丙寅 (第一類)121 4
2年丁卯 (第一類)4871 20
2年乙卯1 1
元年丁卯 (第二類)111 3
元年辛卯2 2
3年丁卯1 1
元年 (不明)1 1
2年 (不明)82 10
(不明)12 3
14 12 15 4 45
[1598] 同地の金石文でも別個のものはそれぞれ数えた。 勝山記, 本土寺過去帳の用例はそれぞれ別個に数えたが、 異本は数えていない。 また、先行用例の存在を前提にした言及 (学術研究など) は除外している。 美禄も除外。
[1599] 私年号 = 板碑のイメージが強いですが、 意外と板碑用例の割合は高くありません。

福島県下

会津新宮辛卯銘

日時事例

[1068] 近世初期に報告された、弥勒で最初、もしかすると私年号で最初に知られた研究史上重要な史料です。

[1070] その後多くの論文等で紹介されているものの、実見した者がどれだけいるのか不明です。 現況も不明です。

[1091] 他の多くの史料と違って丁卯年でなく辛卯年となっています。 誤字・誤認説もあるものの、近世初期以来実物が確認されないまま現在に至っています。

[558] 喜多方市史 第4巻(資料編 1) (考古・古代・中世), 喜多方市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13211479/1/264?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[1069] >>558一四五一四六新宮熊野神社の御正体銘として 「弥勒元年二月二十二日」を引いています。出典は新宮雑葉記とされます。

年代記掛幅

日時事例

[1085] 新編会津風土記 日本岩代国大沼郡高田村伊佐須美神社条には、

年代記掛幅 1軸

廣2尺・長4尺。

細に縦横の系ありて、人皇の初より文亀・永正の頃までの編年にして大事を記せり。その中に喜楽(貴楽なるべし)彌勒などいう年号あり

とあります。 >>1081

[1084] 新編会津風土記によると、 年代記掛幅はの火災で焼失しました。 >>1083 新編会津風土記 の編纂は開始、 完了とされており、 記録が残されていたのか、関係者の記憶に基づいたのか不明で、 情報がどれだけ正確なものかもよくわかりません。

[587] 昭和時代の研究者久保常晴によると、 日本岩代国大沼郡高田村伊佐須美神社年代記に、 永正までの時代が記述されており、 異年号として喜楽弥勒が使われていました。 (>>813, >>672)

[1080] 弥勒の章ではそれ以上の詳細が書かれていませんが、古代年号の章では 新編会津風土記伊佐須美神社所蔵の年代記掛幅の記述が参照されています。 日本私年号の研究 p.一一八 従って弥勒に関しても 新編会津風土記 からの引用と考えるのが自然です。

[1086] 久保常晴異年号がこの2つだけのような理解をしていたようですが、 新編会津風土記 の記述だと不明瞭です。

[1088] 伊佐須美神社関係者の記事によると、 伊佐須美神社社記喜楽のことを「当宮の古年代記」 から引いた記述があるほか、燃え残った「略図」があります。 その「略図」が翻刻掲載されたものによると、 継体天皇16年の善記元年から命長の5年までを経て、 大化につながります。 >>1087

[1089] この「略図」が古年代記の一部を構成していたとすると、 喜楽以外の古代年号も多く含まれていたことになります。

[1090] 「細に縦横の系あり」ということは、本編も略図と同じような二次元表の形態になっていたのでしょうか。


日時事例

[1464] の史料集は、 「弥勒二年 ((永正四年)) 」 と注釈しています。 >>1459

[1463] の論文が私年号研究の文脈での初見と思われます。 >>217

[535] 総合地方史大年表, 岡山泰四, 金井円, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3007571/1/26?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[536] >>535弥の私年号を用う (岩城文書)」 誤植か。永正3年。

上野国

[375] 上野国では報告例がありません。

下野国

[1476] >>247

今市仏像銘

[91] 下野 今市市石造地蔵菩薩坐像背銘に弥勒元年 (永正4年) の用例があります。 >>207

日時事例

[113] 平ヶ崎村獅子舞文書, 宝暦9年6月より、 第1次所在は村内いずれかの路傍と推定されます。 >>289

[114] 様式から南北朝時代には遡らず、江戸時代には下らない、 室町時代中後期の過渡的特徴を備えているといいます。 >>289

[115] この資料は浅沼徳久が始めて報告したとされます。 >>74 浅沼徳久が史学同人誌に紹介した (>>110) ものの、 公式に報告されていなかったとして浅沼徳久が改めて論文誌で紹介しました。 >>289

[116] >>289 に表面、裏面の写真があります。銘文はいくつかの文字のおおよその字形は読み取れますが、すべてを判読するのは困難です。 実物ならはっきり読めそうに見えます。

[117] 書字方向「小」でしょうが、紀年が右左でなく左右に行が進むことには注意が必要です。

[93] 昭和53年の論文によると、 今市市は中世、日光領でしたが、当時日光山では公年号の記録しかありません。 そのため伝播による偶発的知識による使用とされます。 >>207

[1337] 石造 地蔵菩薩坐像/日光市公式ホームページ, https://www.city.nikko.lg.jp/cgi-bin/recruit.php/4/detail/384

平ケ崎獅子舞文書(宝暦9〈1759〉年)に村内4か所で舞う一つに地蔵(ひこ六地蔵)前がある。辻の路傍に安置されていたが、明治に徳性院に移された。安山岩質の小石仏で、像高は28センチメートル、坐巾は22センチメートルである。素朴な技法で彫られ、欠損もなく沈線および背銘も明瞭である。背面には「三月十日道林 ひこ六 彌勒元丁卯」の銘がある。彌勒は私年号で、彌勒元年は永正4(1507)年に比定される。同4年3月10日、ひこ六が道林のために菩提をとむらい造立したものである。金石文の私年号は全国的にも類例が少なく、非常に貴重である。

[52] いまいち市史 史料編・原始 1,中世 1, 今市市史編さん専門委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9640750/1/108 (要登録) /124 /127

[1489] 今市の懐旧 : 故里百話, 渡辺武雄 編著, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13236480/1/80?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

[12] 徳性院 | 栃木県日光市 | 資料請求無料【お墓さがし】, https://ohaka-sagashi.net/property/11883-2/

境内にある石地蔵は、背銘に「三月十日道林 ひこ六 弥勒元丁卯」とあることから「ひこ六地蔵」と呼ばれます。弥勒元年とは私年号(朝廷が正式に定めた年号ではない、私的に使われた年号)で、永正4年(1507)年に当たります。

茨城県下

日時事例

[1092] 江戸時代後期頃の情報によると、 鹿島神宮の社家の枝家禰宜家弥勒神符があったとされますが、 近年の火災で焼失したとのことです (>>933)。

日時事例]

日時事例

法雲寺

日時事例

[1510] >>1501年数計算はおそらく元禄の修理の際に行われたと文脈から思われます。 毎次の修補の記録が残されており、嘉吉と永禄の間ということで、 年表資料を調べても見つからなかったものの、干支年から容易に決定できたのでしょう。

[360] 1746922017_doc_44_0.pdf, , https://www.city.tsuchiura.lg.jp/data/doc/1746922017_doc_44_0.pdf#page=3

さて、この墨書で注目されるのは、涅槃図の修復が行われた年次「弥勒 二年」です。日本史の年表をいくら探してみても、「弥勒」という年号を みつけることはできません。これは「私年号」と呼ばれるもので、朝廷に より制定された公的な年号ではないからです。 、私年号は、新しい世の中の到来を期待 する人々により使われました。私年号の使用は僧侶らによる例が多く、仏 具の新調などにあたりその年を「弥勒」「福徳」などと表記しました。 「弥勒」の年号の使用は、16 世紀前半の関東地方周辺にみられました。 弥勒とは弥勒 () (さつ) を意味し、釈迦の入滅後から 56 億7千万年後に荒廃し た現世に降りてきて、人々を救う仏として信仰されてきました。当時は戦 国時代、世の中は激しく乱れていました。弥勒の年号を用いることで、 「弥勒の世が今ここに到来して人々を救ってくれる」、そのような期待が 込められていたようです。 民俗学者の宮田登氏は、弥勒私年号の流行した時期のひとつに永正3~ 5(1506~08)年をあげています。この期間のうち永正4年の (かん) () (ひのと) (y) 」です。龍華寺の成立が 1499 年、融弁の没年が 1524 年ですので、 墨書にある「弥勒二年丁卯」とは、実際には永正4年を指しており、1507 年に涅槃図の修復が行われたと考えています。

下野国結城文書

[92] 日本国栃木県小山市結城文書 社領安堵状 に弥勒2年 (永正4年) の用例があります。 >>207

日時事例

[1544] の史料集は、 >>247 を紹介して「弥勒二年 ((永正四年)) 」と注釈しています。 >>1535

[1472] の学会発表記録にあるのが、 >>247私年号研究での初見です。

[1473] の史料集は、 >>247 を紹介して弥勒二年を永正4年の私年号と説明しています。 >>1468

[1726] の地域史は、 次のように述べています。 >>74


日時事例

[1539] 干支年からとされます。 >>594 の史料集は、 >>241 を紹介して「弥勒三年 ((永正四年)) 」と注釈しています。 >>1535

[249] 同じ結城政朝文書で弥勒2年と弥勒3年の違いがあります。 >>594


[253] 渡部恵美子は、 私年号公年号と違って短期間しか使われず、 年数よりも元号を使うことに意味があったのだから、 年数が食い違っても気にしなかったと主張しました。 >>594 これは、私年号は呪術的目的で公年号と区別して選択的に使われたとする渡部恵美子の論に基づく考え方です。 (その後の研究者にはあまり支持されていません。) 私年号研究史

[254] しかしこれら2つの文書は寺社宛とはいえ、内容は普通の武家からの文書で、 特に呪術的、宗教的な文書ではありません。 年表示を特定する必要があるから書くもので、 年数が何でも良かったとは暴論が過ぎないでしょうか。

[255] 渡部恵美子は、普段私年号を使わない戦国大名がここで敢えて私年号を使ったのは、 寺社との信頼感を高めようとした、接近のための手段だったとも主張しました。 >>594 政治家の人気取りのポーズで巷の流行りに乗ってみたということでしょうか。

[256] このように史料的根拠がない推測をいくつも持ち込まないといけないのが、 呪術的私年号説が支持されない理由なのでしょう。 私年号は呪術的なもので宗教者は意図的に使ったが他では使わなかった、 という仮定を外せば無理な推測はいらなくなります。

千葉県下

[1479] 平成3年時点で千葉県内には私年号板碑 (弥勒に限らず。) は4例知られていました。 >>77

日時事例

[1478] の地域史は、 >>1469 を紹介し、 私年号であって、 私年号とは乱れた世の中を是正するため権力に反抗したりして地方豪族や寺社などが勝手に用いたものであり、 弥勒が使用されたのはメシアとしての弥勒菩薩の救済に預かりたい願望によると思われるとしています。 >>77

香取文書

日時事例

[449] 香取文書纂 巻之7, 伊藤泰歳, 村岡良弼 校, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/815205/1/58 (要登録)

[404] 日本古文書ユニオンカタログ - 詳細, https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w21/detail/20140401000465?dispid=disp01

【管理番号】 XA000000429835

【和暦年月日】 永正4年正月19日(15070010190)

【文書名】 香取源三郎屋敷売券

【詳細内容】 ○弥勒二年は私年号で、永正四年にあたる。

[1725] の解説は、 >>432 >>578 を紹介し、 大飢饉の年で弥勒菩薩にすがって救済を願う気持ちを込めたかも、 と述べています。 >>1274

野田板碑

日時事例

[1096] 江戸時代の研究者小山田与清松屋叢話 に、 「近き頃」 に >>1093 が出土したとあります。 >>1093

[1097] 墓碑とされますが、現在でいう板碑と思われます。

[1098] 銘文の「弥勒」「妙心」について、久保常晴は「命禄」「妙信」 が正しいとします (>>731) が、出典は不明です。

[1141] 平成時代時点で所在不明です。 >>1102

日時事例

[1115] >>1110小林一茶が出土情報を得て文化9年3月2日に訪問しましたが、 当時既に存在していませんでした。元々あったものがなくなったのか、 何らかの誤解だったのかも不明です。

[1165] >>1110>>1093 と同じものを指すのではとする説があります (>>1142)。 状況証拠は揃っていますが、確証となるものがありません。

本土寺過去帳

[1358] 本土寺過去帳 にまとまった数の用例があります。


[1647] 本土寺過去帳の現存版は、主に天正本と明暦本の系統があります。天正本は天正の頃に本土寺伝来の過去帳を整理したものとされ、千葉県史料は天正本の翻刻です。明暦本は明暦の頃に再編されたもので、続群書類従本は明暦本の系統です。続群書類従本より天正本が良本とされます。

日時事例

[1430] >>1402 は写真によると非常に読みづらい状態となっています。 第2字、第3字は判読がかなり難しい状態です。 >>1427

[1431] 第3字は消去法でしかないかなというような字画で構成されます。 と読むのは配置的に難しそうです。

日時事例

[1447] >>1448>>1398 が別形で伝わったものではないかと思われます。

日時事例

日時事例

[1444] >>1442>>1363 が別形で伝わったものではないかと思われます。


[1359] 本土寺過去帳 の紀年はかなり混乱がありますが、彌勒も一貫していません。 >>585

[1360] の書籍は、 彌勒元年を永正3年とする説に基づき干支年を修正しています。 >>585

[1361] 通常は干支の不一致は干支年が正しい可能性が高いと考えるものですが、 本土寺過去帳 の全体の不整合を踏まえると、少し検討が必要そうです。

[1362] >>1357彌勒と解釈されています。 >>1347, >>585 乙卯丁卯の意と解釈されています。 >>585

[17] 松戸市史 上巻, 松戸市誌編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2990377/1/339 (要登録)

埼玉県下

[70] 時点で埼玉県内に弥勒2年板碑が6基知られていました (1-95-26, 2-24-16, 199-145-5, 38-64-6, 77-15-1, 84-6-1)。 >>627

[69] 浦和市史 第2巻 [1] (古代中世史料編 1), 浦和市総務部市史編さん室, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641210/1/246 (要登録)

[598] 立正史学 (106);2009, 立正大学史学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/11199692/1/7?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

[618] 板碑 : 特別展図録, 埼玉県立博物館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12261498/1/60?keyword=%E5%BD%8C%E5%8B%92 (要登録)

[86] 川口市史 古代・中世資料編, 川口市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/326 (要登録)


[75] 川越市史 第2巻 別巻 (中世編 板碑), 川越市[総務部]庶務課市史編纂室, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643550/1/63 (要登録) /210

[1492] 川越の板碑調査報告書, 川越市教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12261387/1/36?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)


[454] 埼玉史談 5(4), 埼玉郷土会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1477714/1/36?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)


日時事例

日時事例

[1715] ちょうど銘文の途中で上下に割れています。 >>1714

[1719] 割れ目と重なってわかりにくいですが、右行少し右寄りにあるのが十干ではないかと、 割れ目上にあるやその左下にある小さめのとの配置関係から推測できます。

[1717] の第1字はともともはっきりしません。 >>1714

[1718] の第2字はちょうど割れ目にかかり、, , のいずれとも断定できません。 バランス的にはのように感じられます。 >>1714

[1711] 平成3年の史料集は、 >>1434 を紹介し、 私年号で弥勒2年は永正4年と説明しています。 >>1710


日時事例

[176] 板碑の様式と干支から弥勒 / 𣃥勒は永正4年の私年号とされます >>173 /210, >>173 /63弥勒𣃥勒の違いには特に注釈もなく、 記事本文では弥勒で統一されています >>173 /63

[178] 同形式の板碑日本国埼玉県下に6基あっていずれも弥勒2年で、

埼玉県東南部の広範囲に分布します。ほかに

などがあります。 >>173 /63

[187] 1人か2人の導師が遍歴して建てたのではないかとする説 >>173 /63 があります。


日時事例

[1528] >>1527 の写真を見ると、割書十二支らしき部分が読めそうに見えます。 >>1527 の写真だと低解像度すぎてよくわかりません。

[1529] の書籍は、 >>1342 を紹介して永正3年から5年に関東甲州私年号が使われたもので、 混乱する社会でみろくの世を実現しようと行われたのであり、 永正3年は飢饉が続いて年の半ばに弥勒2年に「世替り」し弥勒出世が期待された、 と解説しています。 >>1526

[1530] 出典の記載はありませんが、 妙法寺記偽年号考日本私年号の研究民俗学の系統の説でしょうか。

[1593] nenpou-reiwa5.pdf, , https://www.city.saitama.lg.jp/004/005/006/002/004/p090354_d/fil/nenpou-reiwa5.pdf#page=96


日時事例

[1721] 平成20年3月の東国板碑データベース (記入者: 浅野晴樹) は、 >>1722 を掲載し、私年号としています。 >>1720

東京都下

日時事例

[1454] 昭和42年の 日本私年号の研究 によると、 >>1451山上茂樹に知らされた久保常晴が実見したもので、 当時どの文献にも言及が無かったとのことです。 >>636


日時事例

[1520] 大正13年の「近年」東京帝国大学所蔵となりました。 >>1519

神奈川県下

[376] 神奈川県では報告例がありません。

甲斐国

日時事例


日時事例

[499] >>538甲斐東郡中村氏の系図であって近世に改写されたとみられるものを、 近代に要約したものであり、 簡潔でやや不明瞭であるものの、 日付の位置と思われる部分に彌勒ヽ□ヽヽと書かれています。


[1346] >>111

勝山記

[1365] 勝山記に記述があります。 本書は当時の記録を元に少し後の時代に編纂されたものと考えられていますが、 正確な編集過程は未だ不明であると共に、 紀年が激しく混乱しているので、取り扱いには注意を要します。 勝山記

日時事例

[1532] なお、これらの記述は飢餓等に関する記事と共に記載があり、それらを関連付ける説も存在しますが、 本書の構成自体においては各文で完結した記述が連続しているに過ぎず、 著者がそれらの因果関係を主張する形で記載したとは見られないことに注意が必要です。 改元の理由が飢餓等であることは、ただちに肯定も否定もできず、別途論証を要します。

信濃国

[192] 日本信濃国弥勒の用例は1組だけ知られています。 >>492

松代熊野神社墨書銘

日時事例

[156] 日本国長野県長野市松代町 (昭和時代中期まで日本国長野県埴科郡松代町) の熊野出速雄神社 (皆神神社, 熊野神社熊野出速神社とする >>154 のは誤りか) の3体の仏像のうち2体3個の弥勒𣃥勒表記とされています。

[157] 昭和時代中期の信濃史料でそのように表記されており >>138 (出典不明、この書籍の性格上、実見したものでしょうか。)、 その引用でこれを踏襲するものもありますが >>492、 それに先立つ昭和時代初期の論文も同じ表記です >>153

[158] 3体中、大日如来坐像に「下野守伊与法眼」とあり、 3体ともその作と考えられています。 >>154

[159] 伊与法眼の素性は不明ですが、 完途僧官位があるので中央か鎌倉の仏所に所属したと推測されています。 >>154

[160] 戸隠山顕光寺流記 () によると、 顕光寺に「大仏師伊与別当」 が作った仁王像があったとされます (現存しません)。 伊与別当は「奈 ((良)) 仏師」と記録されています。 >>154 時代が違うので直接の関係はないのでしょうが、似たような立ち位置だったのでしょう。

[161] 仏師が本拠地で仏像を制作したのか現地(納入先)で制作したのかは定かではないものの、 鎌倉時代頃までは本拠地で、中世末頃からは納入先で作ることが多かったと推測されています。 >>154

[162] これら3体の銘文を作ったのが仏師かどうかはわかりませんし、 仏師だとしてもどこで書いたのかは確定が難しいです。 ただ京都奈良だというのは、弥勒の他の用例の分布からみて、 考えにくそうです。 下野守を称するから下野に縁があると安易にはいえませんが、 東国を拠点とした可能性もあるのでしょうか (伊与を称するから伊予に縁がある、ということはさすがにないでしょう)。

[172] >>167弥勒異年号で、元年は永正3年に該当する、としています。

[193] 平成時代初期の歴史研究者渡部恵美子は、 同年の信州で他に弥勒がなく、 この仏像だけが弥勒であることを根拠に、 仏像墨書銘は宗教的性格ゆえに敢えて呪術的に私年号を用いたと考えました。 >>492 中世私年号 しかし具体的に同年や同時期のこの地域でどのような日付が使われたのか、 他の例は示していませんし (もし他にも宗教的史料があるなら、なぜそちらでは呪術的私年号が使われなかったのか説明が必要でしょう)、 墨書銘がいつ誰によって書かれたのかも検討されていません (仏像が他所で作られて持ち込まれた可能性が指摘されている以上、少なくても信州で書かれたものだと確定させないことには、 孤立例ということもあり、 信州における私年号の利用者意識の材料としては弱い)。

[398] 長野県史 通史編 第2巻 (中世 1), 長野県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9540029/1/276 (要登録) 右

[549] 「世界最大最古のピラミッド」説が唱えられた山 不思議な話が多くファンが増える 魔法学校の山ごもりの研修先にも(信濃毎日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース, 井口賢太, 5/15(木) 6:03配信, https://news.yahoo.co.jp/articles/862436c28634aaebf552faec7a02c97ff229a334

宮司の武藤弘樹さん(41)

皆神山は明治初期の神仏分離まで、信州における修験道の一大拠点として信仰を集めた。かつて三つの峰に社があり、それぞれ大日如来、阿弥陀如来、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の三仏を安置。「熊野三社大権現」とした。神仏習合の信仰を持つ修験者が祭った大日如来像がいまでもご神体だ。「弥勒2年」の制作と聞き、聞き慣れない年号だと思案していると「修験者が好んで使った私年号です」と武藤さん。1507年のことだった。

[365] 長野市誌 第二巻 歴史編 原始・古代・中世, https://adeac.jp/nagano-city/texthtml/d100020/ct00000002/ht002990

[6] 詳細検索 | 長野市文化財データベース 頭で感じる文化財 デジタル図鑑(頭感), , http://bunkazai-nagano.jp/modules/dbsearch/page1152.html

注① 弥勒2年・・「弥勒」は私年号であり、弥勒元年は永正3年にあたる。戦乱、災害等に苦しむ民衆の間に弥勒信仰が広まり、弥勒仏に救いを求める気持ちから、弥勒という私年号を使用したのだろうと考えられている。

静岡県下

掛川鰐口

日時事例

[1079] >>1075 を紹介した地方史は、 に比定し、 >>1077 地域の人々が私年号を使ったことは特筆されると述べています。 >>593

[581] 令和時代に至るまで、 私年号研究の文脈で紹介された事例は見当たりません。

近江国

石山寺巡礼札

日時事例

[520] 天明年間の修理で出現しました。 >>395

[1497] 集古 甲戌(1), 集古会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1890773/1/10?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

[1493] 集古 己卯(2), 集古会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1890799/1/10?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

[76] 新修大津市史 第9巻 (南部地域), 大津市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9540265/1/75 (要登録)

[82] 滋賀県史 第一巻, 滋賀県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3438757/1/124 (要登録)

[83] 滋賀県史 第三巻, 滋賀県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3438759/1/84 (要登録)

[1496] 考古学雑誌 57(3);1972・2, 日本考古学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13010772/1/39?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E4%BA%8C%E5%B9%B4 (要登録)

[293] 日本風俗史講座 第二卷, 雄山閣, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1870104/1/222 (要登録)

[290] 日本歴史考古学論叢, 日本歴史考古学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3007094/1/131 (要登録)

[291] >>290 弥勒は5種類あるとする

[9] 曲亭馬琴「兎園小説別集」下巻 異年號辨: Blog鬼火~日々の迷走, https://onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/2022/07/post-e7d150.html

[488] 新修大津市史 第9巻 (南部地域), 大津市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9540265/1/15?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[491] 日本随筆大成 㐧二期 卷二, 日本随筆大成編輯部, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1914087/1/275 (要登録)

[502] https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/18562/files/KU-1100-19900930-03.pdf #page=13

[533] 日本歴史考古学論叢, 日本歴史考古学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3007094/1/132?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

[534] 日本風俗史講座 第二卷, 雄山閣, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1870104/1/222?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

[630] 石山寺,Ishiyama-dera Temple "Kyotofukoh", 京都風光,Kyotofukoh, , https://kyotofukoh.jp/report1061.html

◈「西国三十三所巡礼納め札 」(滋賀県指定有形文化財)は、室町時代作になる。庶民の巡礼者は、塔婆形の巡礼札「納め札」に、巡礼の年月、所願目的、生国、氏名などを記して納めた。納札(巡礼札)の最古のものは、「武蔵国吉見住人道音」によるもので、室町時代後期、「永正四年(1507年)」と記されている。

私年号「弥勒二年」の銘を刻んだものがあり、貴重とされている。私年号は朝廷の定めたものでない年号であり、偽年号、異年号などともいわれた。30以上の私年号が登場している。主に中世後期の政治的混乱期に、東国の社寺・地方豪族などが用いた。私年号と公年号とは併用されていたともいう。仏教思想に基づく私年号「弥勒」は、僧侶らが創作したとみられ、平安時代後期、1171年、室町時代後期、1506年、1531年の3回登場している。

[119] Xユーザーの岡田ロクさん: 「令和二年は奈良のびしゃもんてんてんに続いて京都でかんのんてんだ!というわけで、 京都国立博物館 西国三十三所 草創1300年記念 特別展 『聖地をたずねて─西国三十三所の信仰と至宝─』に来ています。 弥勒二年とか、私年号が熱かった。曼荼羅好きにもたまらん展覧会だった。今日までです🏃🏻🏃🏻‍♀️ https://t.co/L2RXi6BNnu」 / X, , https://x.com/OkadaRoku/status/1304996120297312256

[85] 舎利信仰 : その研究と史料, 景山春樹, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12223918/1/110?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

承安元年弥勒、 永正3年弥勒、 永正3年命禄、 享禄4年弥勒、 天文9年命禄の5種類がある、としている。

[121] KU-1100-19900930-03.pdf, , https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/18562/files/KU-1100-19900930-03.pdf #page=13

原在地不祥

日時事例

諸説

[467] 弥勒とそれに似た表記の元号については、 多くの同時代資料と、非常に多くの中世から令和時代までの言及があります。 それらの語る内容は非常に多岐にわたり、相互に多くの矛盾があります。

[472] 現代スピ系のものや、 弥勒私年号と関連付けられつつも明らかに独立したものは、 別起源で別個の紀年法であり、分離して考える必要があります。 (>>331)

[484] 身禄, 実禄は、現代の文献にだけ出現する幽霊元号であり、 弥勒の別名ないし同類とされるものの、 実利用例が發見されない限り、正体不明とせざるを得ません。 現状では弥勒とは無関係の可能性が高いとだけはいえます。

[485] その他に弥勒命禄の異表記や誤記と考えられるバリエーションがいくつかあります。 詳細はそれぞれの項目を参照されるとして、 弥勒または命禄とまとめて考察するべきと考えられます。

[490] 弥勒は、中世に出現する金石文等の弥勒元年や弥勒2年の系統と、 近世に出現する三河万歳等の弥勒10年の系統があります。 両者は近世から現代に至るまで関係性が議論されたり、 混同されたり、別物と断定されたり扱いは様々ですが、 時代媒体元号年の違いは明瞭で、 ひとまず別系統に分離して議論を整理する必要があります。 便宜上前者を弥勒私年号, 後者を弥勒十年と呼んで区別します。

[494] 美禄は、近世に出現し、現代まで議論の対象となっています。 近世の出土報告に見える弥勒私年号系統の可能性のあるものと、 近世の研究に見える弥勒十年系統であること明らかなものがあります。 前者は弥勒との同定に関して議論の余地がある (>>1106) ものの、 一応前者と後者を別系統に分離して議論を整理する必要があります。

[496] 弥勒十年の系統は、 弥勒みろくミロク美禄未禄と様々な表記が見られます。 口承の文化で使われたものゆえでしょう。 弥勒十年

[501] 弥勒命禄は、 近代の研究者に混同されていましたが、 その後の研究で別個であることが再確認されています。 研究史の調査では、著者の認識を推測して意図を分析する必要があります。

[559] 流行正月は、 宝暦10年を弥勒十年とする当時の巷説に基づき宝暦9年に行われたものですが、 その結果近代から昭和時代にかけて民俗学方面で私年号流行正月が混同ないし結合されることになりました。 実際には両者が重なるのが確認されているのはこの一度だけであり、 基本的には別個の現象として検討するのが適切と考えられます。 取越正月

時期諸説

[319] 弥勒私年号の利用時期については非常に多くの説があります。

[367] このうち現在通説となっており、実在可能性が高いと判断できるのは、第一類・第二類の2種だけです。

(第一類)/(第二類)弥勒説

[1209] 弥勒元年を (第一類) および (第二類) とする説は、 江戸時代後期に提唱されたものです。

[1214] 現在に至るまで主要な私年号研究者に支持され通説となっています。

[1210] この説は、

... が根拠となっています。十数件以上の用例の銘文に見える固有名詞等や使われた場面が他の年次よりも永正年間に最もよく適合することが強力な支持材料となっています。

弥勒説

[571] 弥勒元年をとする説は、 近世初期に提唱されたもので、 干支年改元事由となり得るとされた記録を根拠としています。 >>1047, >>558 /298

[603] ところが、

  • [1134] 現在までに知られる史料の中で当該干支年は孤例で、誤記が疑われること
  • [1135] 候補を絞り込んだプロセスに瑕疵があること
  • [1136] 銘文内容と時代に齟齬があること
  • [1137] 他は弱い傍証しか残らないこと

... といった問題があり、提唱当時から疑問が持たれていましたが、 昭和時代中期までに完全に否定されました。

[1138] ただしその後も古い資料からの転記などでこの説が無邪気に紹介されることはあり、 令和時代でも一部の Webサイトなどで見かけます。

弥勒説

[1169] 弥勒元年をとする説は、 近世後期に提唱された (>>938) もので、 干支年を主な理由としています。

[1172] この時期とした理由は不明ですが、初出説は永正3年との2度利用説を採っているので、 近い時期から選んだものと思われます。

[1173] その後は昭和時代中期の辞書に掲載され、それの再版やそれを参照したと思われる解説などで、 近年でもたまに見られるようです。 >>401, >>938

[1174] 根拠史料は >>603 のものと同じであり、干支年の誤記説が通説的です。

[1175] 都合の悪い史料を安易に誤記で片付けるとしたら問題がありますが、 当事例の場合は

  • [1176] 孤立例であること
  • [1177] 誤記とみなしても時代感に矛盾がないこと
  • [1178] 享禄時代とするべき積極的な理由がないこと
  • [1179] 根拠となる史料が行方不明で400年にわたって再検証が出来ていないこと

... から、これを唯一の根拠に2度利用説を主張する方が分が悪そうです。

弥勒説

[1167] 弥勒元年をとする説は、 日本私年号の研究 の先行文献比定年表に登場しますが、 当該文献では「享禄」となっています。 >>1166

[1168] 引用上の誤記によって生じた幽霊学説に過ぎず、論拠といえるものは確認できません。

弥勒説

[1192] 江戸時代後期の異年号考は、

... を弥勒元年の候補として提示しました (>>907)。

[1196] 明治時代逸年号考は、 異年号考をほぼそのまま引きながら、

... としました (>>1025)。と誤写したと考えられます。

[1200] 明治時代日本百科大辞典 は、 承安元年も含めた4説を (説明なく) 併記しています。 国立国会図書館デジタルコレクション本で見ると印刷がかすれていて非常にわかりづらいですが、 よりはのように見え、 逸年号考 型と思われます。

[1201] >>1192>>1196 は考察により候補を提示しているのに対し、 >>1200 はあたかも確定した史実ないし通説であるかのような断定的で注釈もない形で、 4説を併記しています。

[1202] 異年号考 の3説は、 干支年に加えて鎌倉時代と推測したことで導かれた候補案ですが、 それ以上に絞る材料がなく、結論は出されていませんでした。

[1203] 鎌倉時代に絞られた根拠は不明瞭です。 承安元年説が銘文の「地頭」と矛盾することから議論が始まったものであり、 上限を下げたのでしょうが、地頭と称する職は江戸時代まで残っていましたから、 正平で打ち切る理由がありません。

[1204] 正暦は引用上の誤記によって生じた幽霊学説に過ぎず、論拠といえるものは確認できません。

[1205] 寛喜, 正応, 正平の3説は、 >>1175 と同様に、積極的に支持できる材料がありません。

弥勒説

[1180] 弥勒元年をとする説は、 日本私年号の研究 の先行文献比定年表に登場しますが、 当該文献では永正3年となっています。 隣の福徳の比定年を誤引用した可能性があります。 >>1166

[1181] 引用上の誤記によって生じた幽霊学説に過ぎず、論拠といえるものは確認できません。

弥勒説

[1182] 弥勒元年をとする説は、 昭和時代の辞典に登場します。 >>401

[1183] 根拠は特に示されていません。 永正年間を永正の元年と誤解したのか、 何らかの理由で永正3年・4年説からの誤記で生じたのかもしれません。

弥勒説

[1184] 弥勒元年をとする説は、 江戸時代後期に提唱されたものです (>>912)。

[1185] 明治時代の辞典に掲載されていますが >>1166、 その後は見られなくなります。

[1186] 干支年と、銘文の人名後南朝関連と想定したための推測のようです。

[1187] その論理構成は脆弱で、現在の通説である永正3年説を覆す力はありません。 よほどの根拠が新たに提示されない限りは、否定された旧説と扱うべきでしょう。

弥勒説

[1188] 弥勒元年をとする説は、 江戸時代後期に提唱されたものです (>>912)。

[1189] 明治時代の辞典に掲載されていますが >>1166、 その後は見られなくなります。

[1190] 干支年と、銘文の人名応仁の乱後の混乱で甲斐国に疎開した者と想定したための推測のようです。

[1191] その論理構成は脆弱で、現在の通説である永正3年説を覆す力はありません。 よほどの根拠が新たに提示されない限りは、否定された旧説と扱うべきでしょう。

命禄説

[1228] 命禄元年をとする説は、 江戸時代後期に提唱されたものです。

[1229] ただしそれは私年号研究としての初出であり、 年代記類の中にはそれ以前から掲載していたと思われるものがあります。

[1230] 近代には永正3年説が表に出るものの、 江戸時代および昭和時代から現在の通説となっています。

[1232] 当説は、

... を論拠としています。

[1236] 多数の用例が知られており、当説はそれらをいずれも矛盾なく説明できるので、 誤りである可能性はかなり低いと考えられます。

命禄説

[1216] 命禄元年をとする説は、 近代に通説に近い位置にありました。

[1217] 国史便覧 は、彌勒 (命祿) のような形で併記し、 永正3年に比定しています。 >>1166

[1218] 現在知られている中では明治33年が初出で、 命禄弥勒の異表記に過ぎないと考えたものと思われますが、 その根拠は不明です。

[1237] 久保常晴命禄史料を弥勒と取り違えた事例が端緒で混同されたとしていますが、 その事実が確認できず、この説明自体が何らかの誤解から生じたと思われます (>>1098)。

[1219] 現代の一般的な訓み方ではは「めい」または「みょう」であり、 命禄を「みろく」と読むのは無理があります。 明治33年以前に元号名以外で弥勒命禄を結び付けた言説があるのかどうかは不明です。 明治33年以後のそれらを結び付けた言説で、 明治33年以前の根拠を提示したものは未発見です。

[1220] 明治33年以後の辞典類などで 国史便覧 のように併記したり、 2つに分離しつつもどちらも永正3年としたりするものがいくつもあります。 昭和時代にはあまり採用されなくなっていきますが、 弥勒命禄の2つの元号を関連付けた言説はその後も続いていきます。

[1221] 昭和時代初期に久保常晴は当時通説だった当説に疑問を持ったことから、 後に日本私年号の研究に結実する私年号研究を開始しました。 もし近代のこの混乱がなければ久保常晴私年号研究に取り組まなかったかもしれず、 その意味で研究史上極めて重要な学説といえます。

[1222] 命禄を永正3年とする説は、干支年のある用例と矛盾し、 干支年のない用例のいくつかとも銘文の固有名詞等と整合性に問題あります。 よほどの根拠が新たに提示されない限りは、否定された旧説と扱うべきでしょう。

[1224] 命禄弥勒という用語ないし概念の関連性自体にも、 これといった物証は提示されておらず、ゼロベースの再検討が必要といえます。

分布

[1215] 現在知られる用例からの推測になるという限界がありながらも、用例の紀年法を比較すると、

... となり、ほとんどが第一類に属します。

[1606] 2年乙卯1件と第二類1件は、第一類4件とともに本土寺過去帳に属します。 3年丁卯は、第一類1件と同じ結城政朝発給文書です。 元年辛卯は2例1組で会津で記録されあものです。

[1607] こうして見ると、第一類以外の7例はすべて卯年であり、 第一類2年丁卯の単発または局所的な誤記・誤伝に基づくものではないかとの疑いが生じます。

[1608] 7例は会津を除くといずれも関東平野の南東寄りに比較的集中しており、 まったく個別の誤りでそれぞれ生じたというよりは、 特定の地域に混乱した情報環境が存した可能性があります。


[1366] 第一類弥勒元年はにあたります。 この年の用例は多くありません。

[1609] この他に干支年なしの元年板碑が1例。

[1368] 掛川の用例は「弥勒丙寅」の元号名干支年表示形式で元号年のない、 弥勒用例としては珍しいものです。また、月名なしの吉日銘で、 時期は不明です。

[1369] 本土寺過去帳は全般に紀年の混乱が多く不安はあるものの、 弥勒元年丙寅11月と弥勒2年丁卯8月の用例があり、比較的長期間使われたように見えます。 ただし、ほぼ同時代の記述とは思われるものの、月単位で同時期に書かれたとは限りませんから、 注意が必要です。

[1370] 勝山記は少し遅れての成立と考えられる上に紀年の混乱が著しく不安が残るものの、 永正3年条に年内に改元があった旨の記述があり、 事実とすれば甲斐にも寅年のうちに伝わっていたことになります。 ただ、これも遡って元年相当の年に掛けられ得る記事であることには注意を要します。

[1371] これらがいずれも正しい情報だとすれば、関東平野の用例が報告されていないのが不思議ですが、 東国の西側と東側という広い範囲に、おそらく年末頃に短時間で拡散されていたことになります。


[1610] 暦年判明用例のすべてが寅年か卯年であり、辰年用例は皆無です。 従って、 寅年に発生し、卯年に流行し、年内に収束して辰年には持ち越されなかった可能性が高いといえます。

[1611] 武蔵板碑文化圏には寅年用例が皆無です (干支不明の元年板碑1例を除くと)。 寅年には情報が到達していなかったか、製作に間に合わず、卯年になってから使われ始めています。

[1612] 卯年には一気に利用圏と用例数が拡大します。 1月には香取浦和のみですが、 2月をへて3月にはピークを迎え、 武蔵, 下総, 常陸, 松代といった各地で使われます。

[1613] その後は減少しますが、広く薄く用例がみられます。 >>1607 の特殊例がみられるのもこの時期です。巡礼により近江にも6月に用例がもたらされました。

[1614] 卯年11月の用例はありますが、12月の用例は未報告です。

[1628] もし12月に利用されなかったとすると、新年暦書の流布による公年号への復帰のような要因も考えられます。

[1629] なお、 板碑等の建立が3月にピークということでもないと思われるので、 公年号も含めた卯年全体の用例分布の中での弥勒私年号の分布、 という視点での分析が必要ですが、これまでそうした研究は見当たりません。

[1630] 延徳私年号ではそれに近い研究があります。

利用者と媒体

[1620] 用例の利用者を見ると、 在地領主、 寺社・僧侶、 庶民 (在地信仰者) に分布しています。 国持大名クラスは確認されていないものの、武士にも使われています。

[1621] 利用媒体は、 仏像, 鰐口過去帳など寺社関係、 仏寺での書写奥書、 巡礼札板碑、 行政文書などと様々です。

[1622] 利用者と利用媒体のどちらも仏教関係が目につきますが、 元号名から想像されるミロク信仰に直結するのは

... の2例のみです。

[1625] 弥勒菩薩神道や民間信仰も含むどの宗派でも崇敬され得るとはいえ、 他宗派の媒体や実用文書にも幅広く分布し、 ミロク信仰関連媒体に用例が偏在していない事実は重視されるべきです。

[1626] 従来ミロク信仰との関係性を強調する説が唱えられてきていますが、 慎重にならざるを得ません。少なくても、 制作者の意図と利用者の意識を分離するべきという千々和到の見解に従うべきでしょう。

[1627] 平成時代には呪術的な利用だったとする説が提起されましたが、 この分布の状況、 およびどの宗派のどのような作法の呪術なのかが明らかでない点から、 あまり説得力を感じないというほかありません。

発生

[1615] 時空間的分布によれば、卯年の香取浦和に早期の例が見られ、 これを拡散の中心、ひいては発生地と推測することも根拠無しとはいえません。 が香取浦和も距離が開いていますし、 具体的にいつ、誰が、なぜ、といったレベルになるとまったく材料がありません。

[1616] 昭和時代には鹿島神宮鹿島信仰との関係を唱えた説がありましたが、 鹿島に用例が分布するという以上の強い根拠がありません。 香取文書本土寺過去帳も含めれば地域内の現存用例数は多い方ですが、 あまり現存しないタイプの資料群が伝来するという偶然的要因は排除できません。

[1617] 昭和時代には甲斐発祥説がありましたが、 妙法寺記に寅年の改元記事があることや、 武田家の宗派、 他の中世東国私年号との総合的な判断であり、 決定的な根拠はありません。 現存同時代用例分布からみると甲斐の優位性はありません。

[1632] 近世には京都から甲斐に疎開した公家の利用説もありました。 銘文の人名からの推測ですが、かなり弱いつながりに過ぎません。

[1631] 近世近代には後南朝関係とする説もありましたが、 用例の利用者や内容で南朝との関連をうかがわせるものは一切見られません。

[1618] 弥勒という元号名を根拠にした仏教僧による制定説は近世以来広く支持されているものの、 具体的にどの宗派の誰がどのような目的でいつ、といった仔細は、 >>1616, >>1617 のようなものくらいでほとんど議論すら行われていません。

[1637] 中世東国私年号の発生は飢餓や天災が原因とは説かれるものの、これも状況証拠に過ぎません。 私年号は世情が乱れると作られるというイメージは、 研究史を紐解けば弥勒など主要私年号の解釈として成立したもので、 論証された史実とはいえません。

[1638] ミロク信仰の興隆を背景事情に語るにしても、 ミロク信仰の流行の根拠の1つを弥勒私年号とする循環論法的な「論証」 を乗り越え、なぜこの時代にだけ弥勒元号名となり得たのかを説明しようと試みる必要があります。

[1619] 妙法寺記が同じく改元記事を収録する福徳では京都の改元理由 (とされるもの) が付随していることや、寅年に静岡県下の用例がみられることから考えると、 寅年に西方から到来した可能性も検討しなければならないでしょう。 もっとも、これも間接的な材料に過ぎません。

[1639] 千々和到改元待望論は、 創案者と利用者を分離した上で、 天災や戦乱による災異改元の蓋然性の認識が民衆に広まったとき、 公年号と誤認された私年号が新元号として流布・受容される、 との一種の改元デマ説です。 これによれば、少なくても一般民衆にとって、弥勒は新たな公年号に過ぎず、特別の意図で利用されたものではなく、 特殊な用法が見られない用例の実態 (>>1622) と整合します。

[1640] 他の中世東国私年号と異なり弥勒には現状直接的な根拠は見つかっていませんが、 妙法寺記改元記事がただ改元したとのみ記すことは、それが通常の公年号改元とは異なるものではない (特殊な主体による改元や、特別の目的でのみの併用などの意図を筆者が認知していない) のは有力な傍証といえます。

伝播

[1633] 伝播の媒体や方向性については、あまり材料がありません。

[1634] 用例の時空間的分布から、大局的な拡散の様子は先述の通りとしても、 具体的にどのような伝達手段や人的ネットワークを伝わったのか、 どの街道や水路を通ったのか、といった事柄は判然としません。

[1635] 昭和時代には中世東国私年号巡礼伝播説が提起されたものの、 弥勒私年号近江の孤例の巡礼札を除くと、 巡礼との強いつながりは見出だせません。 信濃の孤例は修験道方面のネットワークによる遠隔的な伝播の可能性も検討されるべきでしょうが、 他の大多数の用例もこうした修行者の移動で説明するのは困難です。

[1636] 下総国が本拠地の結城政朝の文書が受給者の下野国に伝来するのは興味深く、 あるいはこうした形での伝播もあったかもしれませんが、 やはり一般性のある伝播手段とはいえません。

研究史

中世頃

[63] 日本甲斐国戦国時代前後の歴史書 勝山記 は、 成立の過程の詳細は不明ながらも、 同時代の記録に基づき中世後期から近世初期の頃に現在の形となったと考えられています。 勝山記

[64] 本書は、 弥勒への改元と思われる改元記事を掲載すると共に、 その翌年に弥勒2年の記述があります (>>5)。

[65] 本書は弥勒公年号とは別扱いで記載しています。その意図は十分に明らかではなく、 紀年の混乱もありますが 勝山記の日時 、 編纂過程で現状へ整える段階で他の資料との照合などで公年号そうでないものの峻別がなされたと推測できます。

[466] なお、 永正頃成立と思われる岩代国大沼郡高田村伊佐須美神社所蔵年代記掛幅には、 元号の1つとして弥勒が使用されていたと伝わります (>>1085)。 江戸時代に焼失し詳細不明ながら、 当時の年代記類で弥勒を使うこと自体は広く行われていた可能性があります。

近世初期

[523] 日本会津藩地誌 会津旧事雑考 は、 彌勒の用例を紹介し、 その正体を考察しています。 >>453

[524] この当時はまだ私年号という概念はありませんでしたが、 公年号と異なる存在を認識し、その発生理由を検討した最古の部類の文献です。 私年号研究史

[1044] 次のように述べています。 >>453

[1056] すなわち、「元年辛卯」の条件を満たす2つの公年号を求め、 そのうち承安は前年に弥勒信仰に関係する何らかの記録があったことを根拠に、 これに比定しています。ただし、銘文と史実の整合性に問題が残ることも素直に指摘しています。

[1057] ここで公年号と異なる存在を想定しながら、 公年号改元と同タイミングのパロディー的私年号を想定し、 まったく異なる時期に発生した私年号の可能性を想定しなかったのは、 後世からこの論理構成が批判されるところです。 未知の元号名に遭遇したとき、まず既知の元号から一致するものを求めるのは当然の作業ですが、 それで完全一致も類音・類似字のものも見つからなければ、既知の元号とは無関係とし、 すべての可能性から探索しなければならないのに、公年号に限定してしまっています。

[1058] もっとも、私年号という概念が知られていなかった時代にそこまで思い至らなかったのは無理ないことですし、 何なれば近現代の私年号研究でもこの種の過ちはたまに見られます。

[1060] 改元の折に戯れに違う元号名を使ってみた、というのは、近世後期や現代ならままありそうな話に聞こえますが、 あるいは会津旧事雑考の当時にも既にそのようなことはあったのでしょうか。

[1059] 疑念がありつつ承安説を採ったのは、 条件に合致するのが承平承安の2つしかないと思い込んでしまい、 後者にちょうど弥勒にまつわる出来事が見つかった上に、 時代を下ろす候補が他になく、上げるとより厳しくなる、 なので多少な無理には目を瞑らざるを得ない、 といったところでしょうか。

[1064] 庚寅年の事件についての出典は明記されていませんが、 古今著聞集 に、 9月上旬にで桜・梅・桃・李が開花し、 まるでのようだったとの記事があります。 >>1063

[1065] ただし、「聖代」「瑞」といった表現はありますが、 弥勒への言及はありません。 >>1063


[1511] >>1510 (元禄)

近世後期

[298] 江戸時代水戸学小山田与清 (-) 松屋叢話 は、

  • [300] 諸国に三四百年前の墓碑が残り、彌勒何年、福德何年と書かれている
    • [301] 近頃、下総国野田の里で彌勒二年三月二十五日の墓碑が出土

と紹介していました。後南朝説を主張していました。 >>299 (小山田与清の主張なのか太田元貞 (大田錦城) (-) の主張なのか不明。) 南北朝時代の元号

[299] 近古文芸温知叢書 第3編, 内藤耻叟, 小宮山綏介 標註, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1088008/1/30

○武家功名記 () 。上嶋氏下島氏 () 支流の系圖を (のせ) たる條に。天靖元年としるし て。分註に北朝は嘉吉三年と書たり。此天靖といへる南朝の年號は。をさ 〱きこえざるものから。今吉野十津川わたりにて。長祿二年高福院の弑 せられたまひしまでを。後南といひつたへたれば。なほその頃まで年號を 建られしにやありけん。後南とは後の南朝といへる心なるべし。また諸國 (くに〱) に三四百年ばかりのさまなる墓碑殘りて。彌勒某年。福徳某年などしるせし があり。近 () 頃下總 () 國野田の里にて。地中より尼 () 妙心といへるが墓碑をほ り出して。彌勒二年三月二十五日と (ゑり) たりし。など𛀕もふに。南朝の餘黨 諸所 (ところ〱) にかくれすみけるが。なほ御世の年號を書んをねたくおもひなして。か くはものせしわざと見ゆ。陶淵明が甲子のみ書し跡にもな𛁚゙へつべくて。 いとかたほにもまめしき心ばへなりやと。太田元貞がものがたりき

[1053] 頭注

彌勒福德の年 號は關東及甲 州奧州等皆同 時に用ひたり 凶災の頻りに 行はるゝとき に私に此號を 立て年を改め しものにて後 の流行正月に 同しかるへし 遺臣の所爲に はあらぬなり 蜀山人の假名 世説にも彌勒 の年號の考あ

[635] 嘉永元年の 新撰年表, 清宮秀堅

[920] 偽年号考甲種本は、次のように述べています。 >>612

[950] 偽年号考乙種本は、次のように述べています。 >>612

  • [951] 永正3年丙寅に弥勒
    • [952] これより先に何年も続けて飢餓、よってこの號を作った、福徳の先例に倣った
  • [953] 常陸國六段田 六地蔵寺 過去帳 永正元年・永正二年 飢饉にて餓死せる者
  • [954] 甲州妙法寺舊記
    • [955] 永正甲子「世間殊外つまる。富士山に六月七月兩月に雪五度降る。 作毛ひへ皆損大日でり。此年大飢饉、百分千分言説不及、人馬死ること無限。」
    • [956] 永正三丙寅「此年春は賣買、去年よりも尚高直なり。秋作は悉く吉、但春のつまりに秋吉けれども物もつくらぬ者いよ〱明る迄も貧也。 此年半の頃よりも年號替るなり。」
    • [957] 永正四丁卯「彌勒二丁卯」云々
    • [958] 「年號替る」は彌勒のこと、翌年「彌勒二」からわかる
  • [959] 本土寺過去帳「日富彌勒元丙寅十一月」
  • [960] 蜷川所蔵 年代記 永正二乙丑「依大疫萬民死」「大飢饉」
  • [961] 永正四年丁卯
    • [962] 年號は一定せず、ある者は永正を使い、 ある者は弥勒2年とし、ある者は弥勒元年とする
    • [963] 福徳の時と同様
    • [964] この年は作柄良く翌年は豊穣、弥勒は2年までで続かず
  • [965] 本土寺過去帳「妙春弥勒元丁卯十一月」
  • [966] 妙法寺舊記 永正五戊辰「此年世間富貴言説に盡くし難し、一國二國ならず、日本國中賣買安し」
    • [967] 前年豊作だったため
  • [968] 常陸國六段田村 六地藏寺 諸草心車鈔 巻二 篇首
  • (異本のみ)
    • [973] 西國三拾三所順禮堊「甲州巨麻郡布施庄小池図書助峕弥勒二年丁卯六月吉日」
  • [974] 武蔵國山崎組 寶藏院 側 古碑 「彌勒二年逆修秀永阿闍梨」
  • [975] 2年より後のものなく、2年で終わったとわかる
  • [976] 今の時代、萬歳丸が「彌勒十年辰の歳」と謡っている
    • [977] 事実に基づくようにも思われないので証拠とできない
    • [978] 一説、陰陽者流の説に庚辰の年庚辰の月に庚辰の日あるのを彌勒十年と言うことがあるとのこと
  • [982] 鹿島の社家の枝家禰宜家彌勒の神符があったというが、
  • [984] 享禄四年辛卯、再び彌勒元年
    • [985] 會津舊事雜考 耶麻郡新宮 神器 銘
      • [986] 「會津新宮大勧進僧浄尊證一、地頭代左兵衛少尉藤原知盛、小守宮預所代右兵衛少尉平國村、弥勒元辛卯二月二十二日」
      • [987] 「大勧進僧浄尊、横三郎壬生広末、會津新宮弥勤元辛卯二月廿二日」
  • [988] 永正弥勒を再び用いたようだが、今次は広く行われなかったのか、他書に無し
  • [989] 天文九年庚子、命祿
    • [990] この年、悪天候で凶作、飢饉
    • [991] そのためこの號を作った
    • [992] 天文十一年壬申寅に使わなくなった
  • [993] 蜷川氏所蔵 年代記 天文九年庚子 頭書 「庚子命祿元年に成、又壬寅皈二天文十一年一。」
    • [994] 天文九年に使い始め、天文十一年に使い終わったこと明らか
  • [995] 本土寺過去帳 「妙了命祿二正月」
  • [996] 妙法寺舊記
    • [997] 天文九庚子「五月六日大雨降候て、世中さん々々に候處、又八月十一日の暮程に大風吹て、 亥尅迄三時吹申候、大海端は皆浪に引れ、山家は大木に打破られ、堂寺宮悉吹たをし申候、地下の家は、千に一萬に一御座候、 鳥獣皆死申候、世間の大木は一本も無御座候。」
    • [998] 天文十辛丑「此年春致餓死候て、人馬共死ること無限、百年の内にも無御座候、 と人々申來り候、千死一生と申候。」
    • [999] 天文十一壬寅「此年人々餓死候事無限、去れども賣買安し錢飢渇にて御座候、 並て三年致餓死候。」
    • [1000] 天文十二癸卯「此年正月より賣買安し、米百文に今升四升賣買申候、其外物の安こと無限。」
    • [1001] ただし本書に福︀德, 彌勒はあるのに命祿は未掲載

[1003] 偽年号考の写本によっては、文政3年の追記 (追奥書ないし他の書付けからの統合) で、次のように述べています。 >>612

  • [1004] 今年、文政3年歳次庚辰に3月庚辰24日庚辰あり
    • [1005] 応永7年庚辰3月庚辰15日庚辰から今年まで421年

      [1006] 両端参入して421年

  • [1007] 誰かが言い始めた「晴明内伝によると庚辰が3つ揃った年は世にいう「彌勒十年辰の歳」で、辰の刻に星を祀れば、何でも願いが叶い、あらゆる災厄を祓える」
    • [1008] 当時「彌勒」と書かず「美禄」と書いた
    • [1009] 江戸市中から遠方の村々まで噂が広まり、貴賎に関わらず誰でも星を祀った
  • [1010] 後で聞いたところでは、言い始めた者は頭領から星祭の典故を尋ねられたが返答できず、虚言といたく勘当されたとか
  • [1011] (中世の) 彌勒の號と今の童謡と同じ彌勒なので、人に伝えたくてこれを書いた
  • [1012] 文政3年庚辰4月 中山信名

[613] 逸年号考

[521] 山崎美成ら好事家の耽奇会の集めた事柄が掲載された耽奇漫録 (までに成立) に、天明年間 (-) 近江で発見された用例 (>>111) の記述があります。 >>395

[519] 異年号考は、 会津の用例と近江の用例を紹介していました (>>111)。 会津旧事雑考の説も引いていました。 この他に過去帳にあるとの情報があるが詳細不明とし、 また三河万歳も要検討としていました。 >>899

  • [900] 新宮神器銘「彌勒元年辛卯二月二十五日」
    • [901] 会津旧事雑考
      • (承安説)
    • [902] 承安元年説は、
      • [903] 承安2年に民間の訛言で泰平があったのと同じで、
      • [904] 平清盛が専制で朝廷を蔑ろにし、 人々が反感を持って彌勒の出世を願って、 あるいは泰平の時代を願って民間で噂して、 平氏の滅亡の前兆といって然るべきだが、
      • [905] 承安の頃には地頭の号はないから、 この年なのかは決めかねる
    • [907] 鎌倉時代の辛卯は、寛喜3年、正應4年、正平6年(文和元年)があるが、どれかわからない
    • [908] 正平なら、南北朝で2つの年号が並行していたから、 このような異年号が出現したものだろうか
  • [909] 石山寺「彌勒二年丁卯六月吉日」

[1014] 明治時代逸年号考 は、次のように述べています。 >>1013

  • [1015] 彌勒元年
    • [1016] 會津舊事雜考
      • [1017] 陸奥國耶麻郡新宮 神器銘 「會津地頭代左兵衞少尉藤原知盛小宮預所右兵衛少尉平國村新宮 彌勒元年辛卯二月廿五日」「大勸進僧淨尊 橫三郞 壬生廣末 會津新宮 彌勒元年辛卯二月廿二日」
      • [1018] 辛卯年のうち元年となるのは承安元年
      • [1019] 前年庚寅年9月に櫻桃李の開花があって彌勒出世の前兆だと言われていた
      • [1020] しかし地頭文治以後であり、承安の頃にはまだ無い
    • [1021] 穗積保
      • [1022] 彌勒元年辛卯を承安元年辛卯というのは、承安2年に民間の訛言で泰平といったのと同じで、
      • [1023] 平清盛が朝廷を蔑ろにし、人心離れて彌勒の出世を願い、泰平の時代を思って民間で流言で平氏の滅亡の前兆と言うのもありそうだが、
      • [1024] 承安の頃に地頭は無かったからこの年とは決めることはできない
      • [1025] 鎌倉時代の辛卯年は寛喜3年、正曆4年、正平6年
      • [1026] もし正平なら、戦乱で南北2つの年号があったから、このような異年号も出来たのだろうか
    • [1027] しかし地頭河內國小松寺緣起 保延五年奉賀帳寄附名簿にあり、文治の46年前、承安の33年前である
  • [1030] 彌勒二年丁卯

[522] 他に伴信友の研究などがありました。 異年号考

近代

[302] 後南朝 日本南北朝時代の元号

[517] 日本随筆大成 別巻上, 日本随筆大成編輯部, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1914157/1/342?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[606] g18.pdf, , https://www.mgu.ac.jp/miyagaku_cms/wp-content/uploads/2021/12/g18.pdf#page=7

[1512] 史籍集覧 続〔19〕池底叢書要目 下, 近藤瓶城, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/769672/1/31?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92

[2192] 川柳獅子頭 3(3), 獅子頭発行所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1511890/1/13 (要登録)

[2193] >>2192 福徳弥勒不時の正月の一種だったとする説。

[458] 東奥文化 (30), 青森県文化財保護協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4416715/1/26?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

「祝詞」

[401] 刀剣刀装鑑定辞典, 清水孝教, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1222005/1/271 (要登録)

永正元年、享禄4年に弥勒元年

[405] 大日本史料総合データベース - 詳細, https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w61/detail/020100195737?basemgno=020100195737&dispid=disp01&type=1

【綱文和暦】 永正3年是歳(15060660550) 1条

【綱文】 甲斐、陸奥諸國、彌勒の私年號を用う、

[452] 骨董雑誌 2(4), 骨董雑誌社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1506258/1/19?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[459] 日本仏教文化史の研究, 橋川正, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/971106/1/276

[463] 日本古代仏教史の研究, 鶴岡静夫, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2979561/1/177?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[468] 日本の即身仏, 佐野文哉, 内藤正敏 共著, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12221557/1/31 (要登録)

[493] 広文庫 第15冊, 物集高見, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/969109/1/211?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4

[541] 甲斐史学 (9), 甲斐史学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4412780/1/29?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[544] 日本史のなかの仏教と景教 : 富山昌徳遺稿集, 富山昌徳, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12281939/1/19?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[1740] の書籍は、 次のように述べています。 >>599

[1764] 弥勒の解説が主ですが、当時の学説に依拠しつつもあまりに甲斐中心的な解釈で問題があります。 弥勒 史料的根拠の疑わしいマルクス史観的修辞も過剰。

[572] 日本仏教文化史の研究, 橋川正, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/971106/1/275

[616] 板碑入門, 小沢国平, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2980023/1/78?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92+%E5%91%BD%E7%A6%84 (要登録)

[373] 三郷市史 第6巻(通史編 1), 三郷市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13136318/1/223?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

本土寺過去帳中心

[89] 国史の研究, 黒板勝美, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/769392/1/57?keyword=%E5%91%BD%E7%A6%84

彌勒元年(また命祿元年とも書し永正二年に當る)


[448] 考古学雑誌 20(7), 日本考古学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3548384/1/8 (要登録)

[483] 戦国大名の印章 : 印判状の研究, 相田二郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12208670/1/122?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[486] 埼玉県史 第四巻, 埼玉県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3439275/1/312?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[539] 日本宗教史研究 3 (民間信仰史の諸問題), 堀一郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2939643/1/51?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[557] 庄司吉之助著作集 5 (福島の民俗と伝承), 歴史春秋社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12408362/1/143?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[79] 坂戸市史 中世史料編 2, 坂戸市教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9642035/1/271?keyword=%E5%91%BD%E7%A6%84 (要登録)

[80] 栃木史学 = The Tochigi journal of Japanese history (2), 国学院大学栃木短期大学史学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4424952/1/90?keyword=%E5%91%BD%E7%A6%84 (要登録)

[87] 日本の歴史 94(近世から近代へ), 朝日新聞社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13222552/1/3?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[7] 十二支考 鶏に関する伝説(その16):南方熊楠の随筆, , https://www.minakatella.net/letters/12tori16.html

本朝にも弥勒の平等世界を唱えて衆を乱した事歴史に見ゆとは何を指すのかちょっと分らぬが、『甲斐国妙法寺記』に、永正三丙寅 (ひのえとら) 、この年春は売買去年冬よりもなお高直 (こうじき) なり。秋作はことごとく (よし) 、ただし春の詰まりに秋 () けれども、物も作らぬ者いよいよ明けし春までも貧なり。この年半ばの頃よりも年号替わるなり云々とありて、永正四丁卯 (ひのとう) 、弥勒二年丁卯と並べ掲ぐ。山崎美成 (よししげ) の書いた物にこの年号の考あったと覚ゆれど今ちょっと見出さず。

『一話一言』一六に、『会津旧事雑考』より承安元年辛卯 (かのとう) を耶麻郡新宮の神器の銘に、弥勒元辛卯と記した由を引き、三河万歳 (みかわまんざい) の唱歌に、弥勒十年辰の歳、諸神の立ちたる御屋形と唄うも、いずれなき事にはあらじかし、とある。永正三丙寅と承安元辛卯、いずれも弥勒元年とするもその十年は乙亥 (きのとい) 庚子 (かのえね) で辰の歳じゃない。『慶長見聞集』の発端に見えしは、今三浦の山里に年よりへたる知人あり、当年の春江戸見物とて来りぬ。愚老に逢いて語りけるは、さてさて目出たき御代かな、我ごとき土民までも安楽に栄え美々しき事どもを見きく事のありがたさよ、今が弥勒の世なるべしという。 () に実に土民のいい出せる (ことば) なれども、全く私言にあるべからずと記せるなど考え出すと、昔は本邦でも弥勒の平等無差別世界を (こいねが) う事深く、下層民にまで浸潤し、結構な豊年を祝い、もしくは難渋な荒歳を厭うことは、一度ならず (わたくし) に弥勒と年号を建てたらしく、例の足利氏の代に多く起った徳政一揆などの徒が、支那朝鮮同様弥勒仏の名を仮って乱を () せし事もあったのだろう。

久保常晴

[50] 昭和7年11月には、 当時立正大学の学部3年だった久保常晴命禄について論文を発表しました。 >>415 後に 日本私年号の研究私年号研究分野を確立させる久保常晴の、 最初の元号関連の業績で、 命禄にとっても私年号全体にとっても研究史上の画期といえます。 久保常晴

[417] 久保常晴は、卒業論文の執筆過程で「命禄板碑の年代決定を試みました。 久保常晴の専門分野は (その指導教員石田茂作によって確立されつつあった) 仏教考古学で、特に東国板碑にも注目していました。 >>410 p.三五七

[416] 当時の定説は永正3年説でしたが、それは板碑用例と一致しませんでした。 たまたま中山信名偽年号考 の天文9年説を再発見し、これで解決されることを知ったのでした。 >>410 p.三五七

[419] この論文 >>415手書き (ガリ版刷り?) です。 他の著者の論文と同じ筆跡なので、印刷の担当者によるのでしょう。

[855] 昭和7年論文では次のように述べています. >>415

[446] >>434 はもっともな指摘ですが、それはそれとして丁卯が干支年の理由は考えたいですね。 他にも干支年十二支年のみの記載はいくつかあるので、 それも含めて考察する必要はありますが。 元号が混乱していたために干支年しか書き得なかったという可能性はあります。

[418] 昭和9年12月にはこれに板碑私年号の新資料を加えた論文が論文誌に掲載された、 と本人は回想していますが >>410 p.三五七、 実際には、 文章としては別物で、他の私年号についての記載をも加えたまったくの別稿に発展しています。 >>413

[420] 久保常晴のその後の私年号論文のほとんどは加筆修正して昭和42年 日本私年号の研究 に収録されていますが、 これら2つの論文 >>415, >>413 は古く、昭和40年論文でもカバーされているために(形式的には)未収録となっています。 昭和7年論文は加筆して昭和9年論文となり、 それは更に加筆して昭和40年論文となり、 更に昭和42年の日本私年号の研究へと発展しています。 久保常晴

[421] 彌勒については次の通り述べています。 >>143

[890] 命禄については次の通り述べています。 >>143

[632] 昭和40年の論文には、 「命勒、命禄の同音異字」 と書いている箇所が1箇所あります。 命勒は誤植と思われます。 >>631 #page=1

[795] 弥勒について >>631

[833] 命禄について >>631

[794] 昭和42年の 日本私年号の研究 >>636

  • [637] 資料1 甲斐妙法寺記永正四年」と「永正五年」条の間に「弥勒
    • [638] 丁卯と5年の前に置かれている点から、弥勒2年は永正4年、よって弥勒元年は永正3年
  • [639] 資料2 韻鏡字相伝口授目録 写本奥書 「弥勒二年 恵範」
    • 王徳
    • [640] 他書より大永8年67才、資料1より弥勒2年は永正4年とすれば、30才で矛盾しない
  • [641] 資料3 諸草心車鈔 巻二 於田野 (茨城県東茨城郡渡里村) 不動院玉幡 「供巻」 「弥勒二年三月六日、恵範」
    • [642] 30才とみなしてよい
  • [643] 資料4 旧録司代家文書 香取源三郎屋敷売券 「弥勒二年ひのとの正月十九日」
    • [644] 関連する永正3年文書
  • [645] 干支年と内容から永正4年で矛盾なくほぼ誤りあるまい
  • [646] 資料5 旧録司代家文書 録司代慶満毘沙門堂屋敷寄進状案 「弥勒二年ひのとの二月十三日」
    • [647] 人名などから永正3年、よって弥勒元年は永正3年
    • [648] 旧録司代家文書では永正4年のみ「弥勒」が使われ、他は「永正」 (3年、7年)。弥勒元年や3年は無し。
  • [649] 第一類 永正三年に相当するもの
  • [652] 第二類 永正四年に相当するもの
    • [653] 資料18 本土寺過去帳 「弥勒元十一月朔日」
      • [654] 同一過去帳なので他例がなければ元号年干支年の誤りとも思われるが、 他地方他資料にもあるので
    • [655] 資料19 埼玉県鴻巣市馬室妙楽寺 板碑 「弥勒元年卯六月十一日」
    • [656] 資料20 会津旧事雑考 新編会津風土記 岩代国会津耶摩郡熊野神社 円鏡銘 「弥勒元年辛卯二月二十二日」「弥勒元年辛卯二月二十二日」
      • [657] 会津旧事雑考は元年辛卯より承安だろう
        • [658] 旧記に9月頃桜梅桃の開花。世俗が弥勒の先兆などいってこの年号を作ったかも
        • [659] と発生理由を気象異変に求めている
      • [660] 今日弥勒元年の一説として採用されている根拠だろう
      • [739] 私年号の性格を知らず、公年号改元の時に私年号が発生するものとの前提をもって考えている >>634
      • [661] 公年号の元年とは無関係、推定手続きに根本的誤り
      • [662] 新編会津風土記も承安としながら不安・矛盾を承知し、
        • [663] 「地頭あるいは惺むべし」と述べて決しかねている
      • [664] この点からか、偽年号考は私年号の多い年代まで下げて享禄4年
      • [665] 服部清五郎国史大辞典地頭代、預所の記事から承安元年で矛盾ないと説き、藤原時代・室町時代の2度行われたとて差し支えないと
        • [666] 弥勒元年を承安元年とすべき根拠の当・不当という最重要点に触れていない
        • [667] 新たな推定根拠が提出されない限り成立しない
      • [668] 2時代同一名説: (1) 相応の発生理由の存在 (2) 名称の時代的背景、がなければ追随できない
        • [669] (1) は気象だが、この期の私年号発生の事情とは受け取れない、むしろ瑞祥の条件をもって解釈されるもの
        • [670] (2) は弥勒よりむしろ阿弥陀の来迎を欣求
      • [671] おそらく干支に誤字、弥勒元年は永正4年と考えるべき
    • [672] 資料21 岩代国北会津郡(大沼)高田伊佐須美神社 年代記 「永正」まで。「喜楽」「弥勒」あり
    • [676] 資料21・資料22弥勒の承安元年説・享禄4年説の根拠は、永正3年を元年とするものとの干支の相違
      • [677] もし福徳第五類のように資料に誤認があるなら、永正4年の可能性が強い
      • [678] この地は多くの私年号の使用圏の外、も考慮し
      • [679] 永正3年以後の干支で辛卯に近いものは、永正4年丁卯、8年辛未
      • [682] 資料22の諸条件も満たし、資料20銘文の「地頭代」「預所代」など内容にも抵触しない、
        • [683] 現段階では永正4年と考えられる
  • [684] 干支なし
    • [685] 資料22 - 資料25
  • [686] >>309 p.図版一二-図版一五 : 白黒写真 (中解像度)
  • [740] 一話一言 三河万歳「弥勒十年辰のとし」など >>634
  • [743] 甲斐妙法寺記 永正元年、2年、3年条 : 飢饉 >>742
    • [744] 永正3年「此年春は売買去年よりも尚高也 (中略) 此年半の頃よりも年号替るなり」、米穀騰貴を記して年号がかわる理由が記されている >>742
  • [758] 分布 >>757
    • [759] 信濃松代、甲斐、関東各地、岩代
    • [760] ほぼ福徳と同じ
    • [761] 甲斐妙法寺記「此年半の頃より年号替るなり」 弥勒だろう
    • [762] 正亨のごとく、発祥の地に深い関係と思われる
    • [763] 永正4年、甲斐国巨勢郡から西国巡礼、近江石山寺に6月銘順礼札
      • [764] 6月以前に弥勒を知っていたものだろう
    • [765] 1・2月に香取神宮、3月に常陸・信州松代・西多摩郡小河内と迅速伝播 (2年丁卯のみ)
    • [766] (2年) 甲州の奥の1例、1月北足立郡、3月下総野田、7月西多摩
    • [767] 本土寺過去帳に元年丙戌が1例あるが、第二類への過渡的なものと受け取られる
    • [768] 第二類 元年丁卯 6月北足立郡、11月本土寺
    • [769] 福徳の例に諸条件酷似、遅くまで本土寺に使用
  • 私年号研究史

[689] 命禄について >>688

[786] 美禄は、 私年号でなく私年号的諸資料の1つとし、 次のように述べています。 >>787

昭和後期

[26] >>289 が自身の 「「私年号弥勒元丁卯に関する考察」栃木県考古学会大会発表・一九六 」 を引いています。

[103] この学会発表の資料は見つかりません。口頭発表のみかもしれません。

[107] に雑誌中今 第一号が発行されており、 そこに 私年号「弥勒元丁卯」に関する一考察, 浅沼徳久が収録されています。 >>105 いくつかの図書館に所蔵されています。 >>104, >>106 ほか

[108] この雑誌には

p27 私年号:弥勒元丁卯:に関する一考察(浅沼徳久) p36 巻末に私年号「弥勒」分布関係略地図1枚

が含まれるそうです。 >>106

[109] この雑誌は「浅沼方「中今」同人発行>>105、 出版者「「中今」同人」 >>104、 出版者「中今同人」 >>106 とされており、 浅沼徳久が主宰する同人誌と思われます。

[110] 論文中「筆者が史学同人誌に発表した」と記載がある >>289 ものもこれを指すと推測されます。

[451] 地震雲で予知できるハレーすい星大地震, 佐々木洋治, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9585928/1/76?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)


[98] 千々和到は、 弥勒元年と弥勒2年があるものの、 実際には永正4年にしか使われておらず、 妙法寺記でも翌年永正5年に公年号に戻っていることに着目しました。 >>97 中世私年号, 福徳, 勝山記

[99] 弥勒の最大の特徴は他の多くの私年号のように公年号1文字違いではないことです。 >>97

[100] 公年号と無関係に弥勒信仰に結びついて出現したと考えられます。 >>97

[101] 宮田登は発生と伝播の背景に鹿島信仰を想定しました。 >>97 (ミロク信仰の研究)

[368] 千々和到は多くの私年号公年号1字違いであることを重視し、これを私年号全体が満たす基礎原理と考えました。しかし弥勒は広く使われた私年号の中では唯一その原則から乖離しており、やや抽象的な公年号私年号のいずれとも異なり極めて直截的な弥勒は、他の私年号と区別される例外と扱わざるを得ませんでした。 私年号研究史

[471] 新しい世界への祈り弥勒 : 日本人の信仰, 宮田登, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12169166/1/61?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[400] 日本歴史論究 : 遺物遺習資料と歴史研究 昭史会三十周年記念論文集, 東京教育大学昭史会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2972384/1/99 (要登録)

[71] 陽光子の統一真光BBS, https://www3.rocketbbs.com/13/bbs.cgi?id=mahikari

その頃、加藤郁乎氏が昭和52年6月号(177号)の崇教真光誌に「天地人語」という題名のエッセイを連載されていました。この号の小見出しは『「弥勒」私年号の謎』というものでした。内容は永正という後柏原天皇時代の年号がありながらその永正3年(1503年)を彌勒元年として全国的に民衆は私年号を唱えたと南方熊楠や柳田国男が言っている。諸説は何故「彌勒」などという私年号が産まれたかはよくわからないが、大衆が彌勒下生を渇望したからではないだろうかというような内容だった。その時は何となく読み過ごしました。その1ヶ月後、組み手の友人から「地球ロマン」という雑誌を頂きました。

その編集長は八幡書店の若き日の武田崇元社長でその中に窪田志一先生の本邦初公開の不世出の大英雄である「岩屋梓梁」に関する論文があったのです。彌勒私年号の事も2月3日の豆まきの事の一切が氷解しました。天文2年2月2日に岩屋梓梁は時の後奈良天皇の皇太子殿下の尊仁(たかひと)親王以下16人を伴って天皇にも無断で突如二年半にわたる北州行(ほくしゅうこう)を敢行、東北方面に出発した。これが後年、翌2月3日が徳川氏によって梓梁抹殺の鬼遣らいの豆まきになった。岩屋梓梁は鬼とも愛称されていたので、東北へ正神を鬼として追放した、人類共通の大罪とはここからきているのかと合点しました。私は何か手の舞い足の踏む所を知らずという興奮に襲われました。

織豊、徳川、明治、昭和、平成の500年に及ぶ梓梁抹殺は我々の歴史迷信を助長し、今でも正神追放の大罪を実行しておるのでしょう。

[73] 日本の弥勒信仰(弥勒菩薩と弥勒神):神秘主義思想史:SSブログ, , https://morfo.blog.ss-blog.jp/2021-03-24

戦国時代から安土桃山時代にかけて、関東を中心に「弥勒」の私年号が使われたり、鹿島を中心に「弥勒踊り」、「弥勒の船」などを特徴とする弥勒信仰が広がりました。

これらは、渡来した中国人を介して中国で広まった明朝時代の「白蓮教」が影響を与えた可能性がありますが、はっきりした証拠はありません。

戦国時代に、関東・中部の各地で、地方の土豪などによる私年号として、「弥勒」、「命禄」が作られました。 それらの年号は、1506-1508年の間と、1540-1542年の間に最も多く作られました。

弥勒の私年号を使うということは、おそらく「弥勒の世」が始まったという信仰の表現でしょう。

[278] 島根国語国文 (5), 島根県立島根女子短期大学国語国文会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7968082/1/11 (要登録)

[464] 浄土 64(5/6), 法然上人鑽仰会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6075997/1/14 (要登録)

[550] 空海を解く : その思想と背景 IBM四国空海シンポジウム, 上山春平, 森浩一, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12272010/1/48?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録) 中央付近

[1737] 富士吉田市史 史料編 第2巻 古代・中世, 富士吉田市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13205403/1/142?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

[1736] の論文は、 鳥取県の考古学的史料の時期の推測で、確証を得る資料がないとしつつ時代背景として、 永正, 享禄, 天文における私年号「弥勒」の使用時は戦国の真っ最中で、 当地 (鳥取県下の神社周辺) も騒然とし、まさに末法的世相といえよう、 と唐突に述べています。 >>1739

[1738] 意図するところは判然としませんが、3時代に度々弥勒が用いられたという前提のもとで、 これが宗教観込みの世相をよく表し年代推定に活用できると考えたものでしょうか。 それにしても当該遺物とまったく関係なく、地理的にも遠く離れた私年号を援用するのは奇妙です。 むしろそれほどにも諸分野の研究者を惹き付ける魅力を持つものとして、受容史的側面から注目されるところです。

一覧表等

みろく

永正4年

命録 (みょうろく)

一覧表では、本文と台詞のほとんどは、台詞の一部で

干支から天文9年

[347] 日本史辞典, 京都大学文学部国史研究室, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3020238/1/405 (要登録) 右

彌勒、別名に命祿、永正3年から3年間

[346] 日本歴史大辞典 第9巻 (さかーしは), 河出書房新社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2998379/1/169 (要登録) 右上

弥勒、命禄とも永正3年から永正5年

[377] 法学紀要 = Journal of the Law Institute (6), 日本大学法学部法学研究所, 日本大学法学部政経研究所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2805065/1/9 (要登録)

弥勒 (美禄) 元年 = 永正3年

[1139] >>611

  • 承安元年(1171)
  • 永正3-5年 (1506-1508)
  • 享禄4年 (1531)

[1140] >>610 みょうろく

  • 永正3-5年 (1506-1508)
  • 天文9-11年 (1540-1542)

[1691] の書籍は、次のように述べています。 >>1690

[1709] 鹿児島は用例報告なく不明。

[629] Xユーザーの大森博子 Hiroko Ohmori🔍📚さん: 「【元号】363 命禄 めいろく 天文9年(1540年)より3年間 『本土寺過去帳』『津金文書』など これも福神信仰に基づくものと考えられている。」 / X, , https://x.com/11111hiromorinn/status/1062950729327927296

[1766] 中文 Webサイトの投稿記事には、次のようにあります。 >>1767

[1787] 昭和時代頃の日本の中世東国私年号観を反映しつつも、 関東豪族が独自の私年号を建てるのが一般的だったかのように誤認したり、 たまたま妙法寺記にある古代年号甲斐 (や信濃) で実用された独自の元号と誤認するなど、独特の解釈が混じっています。 古代年号研究史, 正京

[8] 日本経済大学リポジトリ, https://jue.repo.nii.ac.jp/records/1500 #page=13

[2] 日本年号史大事典 普及版 p.583

[11] 2-3syou.pdf, , https://www.city.omura.nagasaki.jp/bunka/kyoiku/shishi/omurashishi/dai2kan/documents/2-3syou.pdf#page=322

[14] oht_guidebook.pdf, , http://www.roadout.com/furusato/documents/2006/oht_guidebook.pdf#page=100


[18] 能登志徴 : 森田平次遺稿 下編 - 国立国会図書館デジタルコレクション, , https://dl.ndl.go.jp/pid/9536040/1/169

[19] 刀剣史料 (46), 南人社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/8099939/1/8 (要登録)

平安時代1回、室町時代に2回使われた私年号

[20] 刀剣と歴史 (431), 日本刀剣保存会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7901125/1/21 (要登録)

関東の偽年号、私年号

永正3年 関東・甲信の大飢饉 → 弥勒(命禄)、翌年大豊作で2年まで

享禄4年 会津 弥勒

天文9年 関東 弥勒

三河万才の唄 「弥勒十年、諸神の建てたる御屋形」は関東の偽年号、 しかし10年も続いたことはないので庚辰年庚辰月庚辰日のある年という解釈も。

[21] 日本歴史論究 : 遺物遺習資料と歴史研究 昭史会三十周年記念論文集, 東京教育大学昭史会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2972384/1/99 (要登録)

[25] 埼玉県史 第四巻, 埼玉県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3439275/1/309 (要登録)

[27] 浦和の歴史と文化を知る本, 青木義脩, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9642619/1/94 (要登録)

[32] 歴史考古学 (27), 歴史考古学研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7951475/1/35 (要登録)

[35] 補陀落渡海史 - 根井浄 - Google ブックス, , https://books.google.co.jp/books?id=GaYJAQAAMAAJ&q=%E5%BC%A5%E5%8B%92

362 ページ

「中世・地蔵信仰のトポス(上) (下)」(『月刊百科』三五五・三五六号・平成四年)に六地蔵寺が若干ふれられてい宮田登「ミロク信仰の研究――新訂版――」第一章第三節「ミロク私年号の意味」参照。昭和五十年。( 0 )堤禎子「中世常陸における真言宗教団の展開 ...

747 ページ

というのは、恵範は『諸草心車鈔」第二に収められた「田野不動院玉幡供養文」を執筆した際に「弥勒二年三月六日」という年号月日を添えているのである。 弥勒二年は享禄四年から二十五年以前も隔たっているものの、それは一五〇六年または一五〇七年であり、「弥勒」はいうまでもなく私年号であることは歴然としている。図 4 私年号弥勒二年がみえる巡礼札(滋賀県石山寺蔵)私年号は異年号とも呼ばれ、天皇の ...

753 ページ

( 8 )五来重『葬と供養』葬具論「鍬」(東方出版・平成四年)三二四頁。( 9 )小寺融吉「越後南部の山村」(「郷土研究」第 5 巻第 1 号) ( 10 )註( 8 )・三二六頁。( 1 )「六地蔵寺善本叢刊』別巻・四八頁。( 2 )久保常春「日本私年号の研究」(吉川弘文館・ ...

[36] 武蔵国板碑集録 : 板碑発生最密集地域精査 第2 (旧比企郡), 千々和実, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2998370/1/20 (要登録)

[37] 武蔵国板碑集録 : 板碑発生最密集地域精査 第2 (旧比企郡), 千々和実, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2998370/1/46 (要登録)

[38] 武蔵国板碑集録 : 板碑発生最密集地域精査 第2 (旧比企郡), 千々和実, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2998370/1/159 (要登録)

[39] 源光寺(げんこうじ)の帰依(きえ)仏塔(ぶっとう) - 33shinengoudaimokuitabi.pdf, , http://www.town.matsubushi.saitama.jp/www/contents/1296690628507/files/33shinengoudaimokuitabi.pdf

[40] 甲斐武田氏 : その社会経済史的考察 第1分冊, なかざわしんきち, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9537147/1/17 (要登録)

[41] 安土桃山時代の文化, 芳賀幸四郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2974137/1/49 (要登録)

[42] 史迹と美術 63(6)(636), 史迹美術同攷会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6067524/1/12 (要登録)

[43] 仏教考古学講座 第五卷, 雄山閣, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1914064/1/82 (要登録)

[44] 板碑概説, 服部清五郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/387 (要登録)

[45] 読史備要, 東京帝国大学史料編纂所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3430740/1/113 (要登録)

[47] 武蔵野 14(1), 武蔵野文化協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7932481/1/15 (要登録)

[48] 甲斐武田氏 : その社会経済史的考察 第5分冊, なかざわしんきち, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9537151/1/21 (要登録)

[51] 千葉県史料 中世篇 香取文書, 千葉県史編纂審議会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3450860/1/24 (要登録)

[53] 群馬県史 資料編 8 (中世 4 金石文), 群馬県史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644240/1/447 (要登録)

[54] 群馬県史 資料編 8 (中世 4 金石文), 群馬県史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644240/1/476 (要登録) 左

[55] 大津市歴史博物館活動報告|常設展示資料(抄)(H19.3~) - jousetu_list02.pdf, , https://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/museum/nenpou/plan2/jousetu_list02.pdf#page=11

[123] 武蔵野 14(1), 武蔵野文化協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7932481/1/15 (要登録)

[393] 日本の弥勒信仰(弥勒菩薩と弥勒神)|MORFO HUB, https://note.com/morfo/n/nd71a636a2a55

[447] 名分と命禄: 上田秋成と同時代の人々 | 稲田 篤信 |本 | 通販 | Amazon, https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4831511269/wakaba1-22/

[460] くもの国 : 77年 藤原治第二詩集, 藤原治, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12482755/1/114?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[461] >>460 日本共産党の設立日。 藤原治共産主義者 >>462

[1491] 法華経は国運を左右する : 寺内大吉・玉井日礼対談, 玉井日礼 編著, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13204231/1/33?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

「いろんな記録で、弥勒四年」

宗教書

[476] 東北の風土と歴史, 高橋富雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9537118/1/91?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

[525] 岩手の懸仏, 岩手県立博物館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12424053/1/40 (要登録)

[607] 史料綜覧 巻9, 東京大学史料編纂所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3002871/1/96?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7

[622] Xユーザーの浅羽通明 botさん: 「災害が「弥勒」などの私年号を生んだことを想起されたい。災害は「世の終わり」であるとともに、日常の時空が一気に壊滅して新時代が始まる「世直し」であったのだ。」 / X, , https://x.com/bot_asaba/status/648685988693196800

[626] 資料詳細 - さいたま市図書館, https://www.lib.city.saitama.jp/bookdetail;jsessionid=19ABD8EC9422F9E65C260F959D10BD0D?0&ctg=1&num=72448

浦和 No88

出版社

さいたま 「浦和」編集室

出版年月

1976年8月

内容 浦和遺文29「私年号板碑」 p11

[625] 資料詳細 - さいたま市図書館, https://www.lib.city.saitama.jp/bookdetail;jsessionid=89BD042F9D90C2FE2ED96BED69870649?0&ctg=1&num=72464

浦和 No.123

出版社

さいたま 「浦和」編集室

出版年月

1979年7月

内容 やさしい浦和の歴史19「中世の浦和」室町時代5(私年号-弥勒と福徳,沼影広田寺 p48-49

[352] Xユーザーの澤野さん: 「次の年号は何かと話題になりますが、 私年号を作って使うという手もあることを皆様にお知らせしますね。 江戸時代に弥勒という私年号があったとか。 今ならさしづめメシアとか救世とかでしょうかねえ…」 / X, , https://x.com/Lily_victoria/status/1100384825670651905

[351] Xユーザーのyenさん: 「元号とは施政者が時を支配する為のもの、という考え方を私は鴻上さんの戯曲で初めて知ったのだけど、同時に私年号というものの存在を知ったのだったなあと。私年号・弥勒が使われるパラレルワールドの日本というのが出てくる戯曲があるのです。 https://t.co/aV5my2eH0A」 / X, , https://x.com/golden_wheat/status/1112705906129592320

[359] 平成6年 (平成7年刊) のスナフキンの手紙, 鴻上尚史か? 世界設定は合致するが、弥勒が出てくるかは不明。

[1688] Webページ

[1689] 日本の私年号, , https://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/018.htm

改元はその理由により、大別すると4通りに分類される。 ①代替わり ②祥瑞 ③災異 ④革命の年(辛酉や甲子)

私年号も結局は年号なので、その使用目的は、上述したように世界の一新ということであり、戦乱の世の終焉を願ったものなのだろう。例えば弥勒という私年号は、弥勒の世実現を願う弥勒信仰の現れで、世直しを目的とするものであり、また一種の千年王国思想とも言える。

私年号使用の直接的理由は、公的年号と同様に上記①~④のいずれかに求められるが、私年号の場合①の例はほとんどないようである。②の例としては、不適切かもしれないが、上述した命禄が当て嵌まるかもしれない。

平安時代説

[574] 大本七十年史 下巻, 大本七十年史編纂会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3007522/1/25?page=right&keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[394] みろく大祭|第一章 宣教の積極化|大本七十年史 - 霊界物語ネット, https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195402c5111

「みろく」という私年号は、すでに早く、平安時代末期の高倉天皇の時にもつかわれたことがあるが、戦国時代の一六世紀前半にも用いられたことがある。


[601] 日本のユートピア思想 : コミューンへの志向, 安永寿延, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12242662/1/61?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[602] >>601 平清盛の頃京都で使われた私年号と説明するが、根拠は示していない。


[1483] >>1482 は承安元年に京都を中心に民衆は承安でなく弥勒を使ったとし、 それに倣って浄土宗で「選択元年」の私年号を使うべきだと提唱しています。

弥勒板碑

民俗学

弥勒十年

弥勒十年

不時の正月, 私年号 (福徳, 弥勒, 命祿), 彌勒十年を結び付けた説明

鹿島神宮発祥説

[1495] 柳田国男 海上の道, , https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/54331_53583.html#midashi880

[1494] 新編柳田国男集 第12巻, 筑摩書房, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12174037/1/56?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

[94] 柳田国男全集: 明治44年‐大正4年 - 柳田國男 - Google ブックス, 1999, https://books.google.co.jp/books?id=TkM0AQAAIAAJ&q=%22%E8%87%AA%E7%94%B1%E8%87%AA%E6%B2%BB%E2%80%9D

5 ページ

咲き出した 世の中はまんど末代/みろくの船がつづいたぞ」と謡は始そのあと沖縄 の友人から、次のような琉歌があることも聞まるのだが、応仁の乱後、世が乱れ 庶民は生き難かった時代いた。に、「弥勒二年」という私年号が 広く東国の各地に使用されていたことを、柳田が実証しているのには驚いた。 ... なるのであった。あるときは、あらっ、やっぱり調べていそして何だか最近、「 みろく」が出てくる歌を耳にしたよ現が妙に心を捕らえ、やはり詩人だ、と一人 頷いてしまう。いえば、秩父事件のときの「自由自治元年」しか知らなかっ.

[56] >>407 の説については日本の私年号参照

弥勒信仰と弥勒私年号

[126] 昭和時代民俗学研究者宮田登は、 ミロク信仰の分析体系の中に弥勒私年号弥勒十年を組み込んで理解しようとしました。 >>127

  • [129] 「ミロク伝承」と概括される、現在も意味を持って伝承態として存在しているミロク信仰の諸相は、七類に分けられる >>5001
    • [130] 第一類 「ミロクの世」についての伝承
      • [131] 理想的な世、実現しがたいはかないユートピア
      • [132] 現実には、たとえば餅花を部屋いっぱいに飾るはなやかな雰囲気
    • [133] 第二類 「ミロクの世」が実現する「ミロクの年」についての伝承
      • [134] 豊年
      • [135] 飢餓の年
        • [136] 豊年説より一般的
        • [196] 団子の年取り (東北地方): 正月14日に団子を作る
          • [197] ミロク団子 (青森県三戸郡五戸町)
          • [198] 昔、ミロクの世に飢餓があり、山に行くと木に団子があり、飢餓を逃れた、その記念に毎年この日に団子を木に刺して供える (福島県伊達郡霊山村大石)
        • [199] 巳六の年: 6月に巳の日が3回ある年 (めったにない)
          • [200] 巳六の年の飢餓で木に団子がなり救われた
          • [201] 極めて忌むべきとされ、改めて年をかえる取越正月の儀礼が中世末以来、江戸時代を通じて習俗化
            • [202] 潜在的な世直し観を基底
        • [203] 竹の実異変
          • [205] 竹の花はめったに咲かない
          • [208] 竹の花が咲けば凶年と古くから
          • [210] 竹に花 → 黄金色の実 → 稲穂のごとく → ミロク菩薩が米に代わる食物を与えると言う地方あり
        • [211] ミロクの年 = 巳の年 = 飢餓の年
        • [214] 飢餓の年にミロクが出現し救済することを望む意識から、ミロクの年 = 飢餓の年の伝承が作られただろう
        • [215] ミロクの年 → ミロクの世 → 稲作の豊かな稔りの年、ミロクの年 = 豊作の年の伝承が二次的に生まれたのだろう
    • [218] 第三類 ミロクの世憧憬の民謡
      • [219] 青森県 草取歌 「今年世中よい、みろくのよのなか」
      • [220] 岩手県花巻市 田植踊 「今年の世中は巳六の世中で」
      • [221] 宮城県仙北地方 豊年節 「今年豊年弥勒の世の中」
      • [222] 高知県高岡郡窪川村 太鼓田歌 「土佐は弥勒世の中」
      • [223] 千葉県市原市 姉ヶ崎神社 年越祭 「ことしのとしはみろくのとしで」
      • [224] など限りなし、いずれも豊作とかかわる民謡の中
    • [225] 第四類 正月年頭の万才の文句に「ミロクの世」または「ミロクの年」
      • [226] 大分県豊後高田市都甲 万才 「年の初めの年男が、ゆずり葉を口にくわえ、五葉の松を手に持って、さて南天に突っ立って源氏が門を押し開き、三暁弥勒の出世谷の真砂が峯に生じ」
      • [227] 福岡県や広島県あたりの万才唄 「一々億々弥勒のお世」
      • [228] 年頭に幸運をもたらす万才たちがミロク出世を歌う点が注意される
      • [229] 近世江戸 三河万才 「みろく十年辰の年」
        • [230] 「この年は災難多かるべし、此の難をのがれんには正月のことぶきをなすにしくはなしと申し触らしたり」
        • [231] 取越正月の儀礼が伴う第二類との関連
        • [232] 具体的には宝暦10年と意識された
      • [233] 幻想的なミロク年の現実化を求めようとする、あたかも戦国時代に頻出した弥勒私年号と相通ずる
    • [234] 第五類 弥勒踊鹿島踊などの「ミロクの世」
      • [235] 沖縄八重山 二十日正月および豊作祭のミロク踊の際のミルク節 「大黒のミリク、我が島ニイモリ 今年カラ我が島、世界報デリス ミリク世ヌアタラド世果報世ノアタラド 臼数ノ米ヤタント、チカシ 今年世ヤミリク、来年世ヤ世果報 更来世ヌ世ヤ、メヒン勝ラシ給ポリ」
        • [236] ミリクが出現してミロク世を実現することを切望
      • [237] 茨城県鹿島地方から太平洋岸沿いに静岡県あたりの海岸の神社神事 鹿島踊 6月の天王祭や夏祭にかけて 「誠やら、鹿島の浦に、みろくお舟がついたとよ、ともえには伊勢と春日の、中は鹿島の御社」
        • [238] ミロクが舟で訪れミロク世を実現させてくれる
      • [239] 第六類 各地のミロク像の流行神的信仰伝承
        • [245] 弥勒下生待望の信仰が変形したと解すべき
      • [246] 第七類 ミロク出世を願い衆生救済を約しつつ入定した行者伝承
        • [250] 行者を媒介にミロク出世を願う
    • [251] 共通するは、憧れの幻想的ミロク世を現実化しようとする民衆の潜在的思考 >>5002
      • [252] たとえば「ミロクの年」として設定され、近世には信仰的事実としてのミロク年がしばしば現出
  • [260] ミロク私年号 >>5002
    • [261] 憧れの幻想的ミロク世を現実化しようとする民衆の潜在的思考
      • [262] 近世には信仰的事実としてのミロク年がしばしば現出
      • [263] 超歴史的意識が、その年の社会・経済的条件により尖鋭化すると、定まった年次が措定される
      • [264] 最も典型的なのが混乱する戦国時代に明確に発現したミロク私年号
    • [265] 改元には1つの変革思想のはたらき
      • [266] 前年号時代を否定し一新、新たなものにすべてを期そうとする
      • [267] 公式の年号は貴族社会の思惟のあり方で左右
      • [268] 世に私年号といわれたものの多くは、唱える人々の階層性、地域性との絡み合いできわめてユニークな存在に
      • [269] ことに私年号の大部分に弥勒という特定の名辞がとくに用いられた理由は?
    • [270] 戦国時代、
      • [271] 永正3-5年、天文9-11年を中心にミロクの年が設定
      • [272] 関東一円の私年号として著名な弥勒・命禄の私年号がそれ
      • [273] 私年号は中央の公年号を無視し、地方に割拠する中小の土豪やそれ以下の階層の人々が勝手に自分たちの意思で創造
        • [274] 久保常晴の研究でも明らかな通り、弥勒の年号は卓越した存在で、 戦国期を末世澆季の世と見て、弥勒出世を待望した意味が明瞭
        • [275] 弥勒の年号の板碑は関東一円から山梨・長野・福島に今も残存
      • [276] 弥勒私年号の初見は承安元年、京都中心
        • [284] 平安末期、貴族社会凋落、清盛政権上昇機運
        • [305] おそらく貴族社会の有為転変が末法思想で深刻化した挙句の発想になるものだろう
      • [307] その後私年号の著しい流行は見られず、
      • [308] 16世紀前半に集中的に出現
        • [311] 名称は福徳、弥勒、命禄が多いが、
        • [312] 命禄はミロクの転じたものと考えられるから、弥勒に一括できる
      • [313] 偽年号考
        • [314] 僧家が流伝
        • [315] 一般民衆の間に唱えられた
        • [316] 関東に限られていた
      • [317] 永正年間の弥勒
        • [321] 永正3-4年巳年がミロク年に設定されていたことが年数算定から明瞭
        • [322] 将軍家と守護大名の対立、一向一揆の続発、関東では古河公方家内紛、妙法寺記記載の惨状
      • [324] 享禄3-4年
      • [327] 徳政令、一向一揆、関東では北条氏扇谷上杉氏の戦い、妙法寺記諸国で鹿島送り
      • [343] 天文9年が命禄
        • [358] 偽年号考で蜷川氏所蔵年代記天文九年庚子頭書「庚子命禄元年に成」から判断されている
        • [366] 会津土一揆、疫病
      • [397] 関東で混乱続きで民衆は絶えず歳運の改まりを願う
        • [409] 弥勒年号が仏寺の金石文に多く見られる、
          • [489] 弥勒下生の思想が寺院中心に説かれたことを意味
          • [527] 寺院と村落の結びつきから広く一般民衆に弥勒出生が期待されたも当然
    • [528] 久保常晴は甲斐に始まったとする
      • [529] 園城寺の弥勒仏への特別の信仰から
      • [530] これを巡礼が諸国へ伝播か
    • [531] 近世考証家は鹿島信仰との関連を示唆
      • [532] 偽年号考 多くの用例は仏寺、鹿島の神符に弥勒ありというのも、神宮寺以下社僧多いから
      • [540] 大田南畝 鹿島の社家枝家祢宜の家にも弥勒の神符あったというが、近年焼失
      • [542] 鹿島のような大きな独自の信仰圏が甲斐国の巡礼の影響を独自に受けて弥勒の年号を用いるか-- [545] 他地域とは別個に考えてみるべき
      • [543] 岩代国熊野神社「弥勒元年辛卯」
        • [556] 古来より承安元年説と享禄4年説
        • [575] 久保常晴はの誤りで、永正3年丁卯
          • [576] 確かに一理あるが、
        • [592] 鹿島信仰と関連付けると、享禄3年に広域に鹿島送り
          • [615] 悪疫災害の悪神は鹿島へ追放され、鹿島神は悪神を追放、かわりに社僧神人たちの事触れたちにより、幸福で豊かな世 (= ミロク世) を約束してくれる、という信仰が存在したのでは
          • [623] この推測が成り立つなら、享禄4年をミロクの年とするも、それほど間違っていない
    • [624] 関東中心のミロク私年号の中心に鹿島信仰が存在することも根拠無しとはいえない
  • [628] 金華山 >>5003
    • [841] 主要神事は旧5月初巳の日
      • [842] 氏子の鮎川浜の若者集団 (以前は巳待講) により奉仕
      • [843] 牡鹿町鮎川は金華山の膝元
      • [1225] 一晩お篭り (巳待) をした青年団 (18才-25才) の若衆が神輿かつぎ
    • [1226] 気仙沼市
      • [1227] 現在の金華山講は約60年前に組織した観光客の集合体
      • [1238] それ以前には初巳に金剛山詣りする気仙沼講中
        • [1239] 農村部に組織され、巳待ちしていた
    • [1240] 津山町横山水沢
      • [1241] 巳待ケイヤク講
        • [1242] 村寄合のケイヤクと習合
        • [1243] 約200年前に成立といわれる
    • [1244] 弁天講
      • [1245] 宝暦の頃、桃生大川村 (現在の河北町) に弁財天女が祀られ成立
      • [1246] 基底にお篭りの巳待ち
    • [1247] 鳴瀬町野蒜 巳待供養塔
    • [1250] 巳待ちは、
      • [1251] 巳の日の夜のお篭りを本義とする
      • [1252] 金華山弁財天の祭日は巳の日
      • [1253] やがて超地縁的結合としての金華山詣り中心の金華山講へ変化、さらに観光組織としての講結合の成立に至る
  • [1254] 巳待ち >>5003
    • [1255] 長野県上水内郡 戸隠山山麓 巳待講が多く分布
      • [1256] 戸隠山修験が唱導
      • [1257] 旧暦の巳の日に巳待ち
      • [1258] 戸隠山の神体・九頭龍権現を祀る
      • [1259] 金華山修験 - 弁財天の関係に似る
    • [1260] 千葉県君津郡富津町 巳待講
  • [1262]>>5003]
    • [1263] 巳の日は陰陽道でオカンニチとして忌み嫌われる
    • [1264] 壱岐 12月の巳の日を忌む
    • [1265] 愛知県三河の山村でも忌む
    • [1266] 四国 巳正月
      • [1267] 12月の初巳の日を指す
      • [1268] 仏の正月ともいう
      • [1269] 徳島県三好郡祖谷山 新仏の年越させという
      • [1270] 香川県観音寺市高室
      • [1271] 愛媛県越智郡大島 不幸のあった後一周忌までの正月を迎える時、旧11月の巳の日に新仏の正月とする
    • [1272] 明らかに普通の正月とは異なることを示す行事
    • [1273] それにより1年に二度ないし三度の正月を持つ
      • [1274] それも忌み嫌われるためだという
    • [1275] 徹夜してお篭りをするという日に歳運を改める機会を得るということに
    • [1276] 巳という語義には、元来陽気を盛んにし陰気を篭もらせるという意味から、蛇が殻を破って出てくる様を表現
      • [1277] よって巳の日が月に3度あったりすると、異様な感覚で迎えられた
    • [1278] 女川町 万ふしきの事扣覚帳 文化11年条
      • [1279] 5月25日から28日まで三日正月といい門松を立てた
      • [1280] そのいわれ
        • [1281] 「当年は巳六の事なりと咄ある人間共は喜ぶべきと言ふ」
        • [1282] 「成程当年は巳六には候得共病はおろし歳なりわつらひ有れは逃れなき年ないと言ふ」
        • [1283] 「成程病おろし人足はやき年なれ共、人間共は此事をさとり三日正月と言ふを備へ此年を過すと言ふ」
      • [1284] 不幸を終了して歳運を改めようとの意図
      • [1285] 五月末の巳の日だとの記述はないが、
      • [1287] 歳運を改める契機に巳の日が措定されることは他の諸事例からも明らかだろう
      • [1286] 文化11年辰
    • [1288] 岩手県九戸郡中野村 (現在の種市町) 六月中に巳の日が3度あるとミロク、喜ぶ
    • [1289] 後見草 「宝暦九年の夏のころより誰いひ出せるといふことなく来る年は十年辰の年なり、三河万才の歌へるみろく十年辰の年に当れり、此の年は災難多かるべし、此の難をのがれんには正月のことぶきをなすにしくことなしと申し触らしたり」
    • [1292] 辰巳は連続
      • [1293] 巳待ちは辰の日の夜に巳の日を待ってお篭りするのを本来の機能
      • [1294] 歳運を改める場合も、辰の年の災厄を早く終了させ巳の年を期待する意識の発現を予測できよう
      • [1295] 「みろく十年辰の歳」「当年は巳六の事なり」喜び迎える意識は伝承的世界に久しい
        • [1296] 民衆の「ミロクの世」の憧憬に根を持つ
    • [1297] ミロクの世に連なるミロクの年が具体的には巳の年だったのではないか
      • [1298] 文化11年辰、年内正月で意識上巳の年を迎えた
      • [1299] 宝暦10年辰、同様に災厄を除き年内正月で巳の年を迎えた
      • [1300] 他の近世以降の巳の年は不思議と飢餓
        • [1301] 東北六県には古くから巳年は飢餓の口碑
        • [1302] 永禄日記 元文2年巳の飢餓から振り返って、 享保10年巳、正徳3年巳、元禄14年巳
        • [1303] 寛延2年巳
        • [1304] 天明5年巳
        • [1305] 天保4年巳
        • [1306] 明治38年巳
    • [1307] 女川町のミロクの年に災厄が多い
      • [1308] 福島県伊達郡霊山村大石、昔ミロクの世に飢餓の伝承からもうかがえる
      • [1309] ミロクの年は喜ぶべき、の裏に恐れられる年、という背反性
        • [1310] 不幸を除き幸福を求める潜在的心意の表現
    • [1311] 巳の年が飢餓というのは他の飢餓とくらべて必ずしも歴史的事実とはいえない
      • [1312] むしろ巳の年をミロクの年たらしめようとする信仰的事実の伝承的世界における表現だろう
    • [1313] 天明3年卯からの飢饉は極めて悲惨
      • [1314] 青森県八戸市近郊 天明4年天明卯辰簗 「此時の国中の在様神代の往古は知らず、人王に至て如斯の大変亦可有事共不被思、寔に五十六億七千万歳此時成歟」
        • [1315] おそらく東北で大凶作に直面した民衆達の心境
        • [1316] 弥勒仏の出現を描き甚だ期待
        • [1317] しかも翌年は巳の年、ミロクの年
    • [1318] 金華山弁財天は巳年縁年を説いた
      • [1319] 弁財天が水神的要素、蛇をつかわしめることから解釈された通説によるものだろうが、
      • [1320] 基底には民衆の欲求に答える思考形式が成立していた
      • [1321] 気仙沼には飢餓の年に限って多数詣ったという古老の記憶
        • [1322] 飢餓の年はつまり巳の年だろう
      • [1323] 天保4年巳は気仙沼の浜方は大漁、農村は不作
        • [1324] 翌年秋、気仙沼の少林寺で金華山弁財天の出開帳
        • [1325] その年の秋は期待通り万作
      • [1326] ミロクの年 → ミロクの世を説く金華山は幻想的な黄金溢れる金銀島、民衆のいだいたささやかなユートピア

[1327] 巳の日, 巳待ち, ミロク信仰, 弥勒十年, 不時の正月, 弥勒私年号, 命禄といったそれまでなんとなく関係性が指摘されていながらも全体像が見えづらかった諸現象を見事に大統一するこの理論モデルは、民俗学の研究者や愛好家を中心に広く受け入れられ、弥勒私年号の知名度の向上に貢献しました。

[1328] しかし、いくつか問題が無いでもありません。

  • [1329] あたかも弥勒私年号の代表、大部分であるかのような書き方になっていますが、事実ではありません。用例数から見れば代表例の1つ(2つ)ではありますが、種類数から見ればむしろ例外的です。
  • [1330] 命禄弥勒であると、一切の根拠なく断定しています。
  • [1331] 日本私年号の研究を評価しながら、その比定年の決定に異議を唱えていますが、日本私年号の研究の物証と論理を否定できるこれといった物証をほとんど提示していません。

[498] 新しい世界への祈り弥勒 : 日本人の信仰, 宮田登, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12169166/1/60?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[564] 白のフォークロア : 原初的思考, 宮田登, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13200565/1/55 (要登録)

[563] 近世の流行神, 宮田登, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12171195/1/91 (要登録)

[570] 史境 = En marge de l'histoire (32), 歴史人類学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7954829/1/2 (要登録)

[590] 日和見 : 日本王権論の試み, 宮田登, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13198345/1/44 (要登録)

[560] 明治国家の展開と民衆生活 : 和歌森太郎先生還暦記念, 和歌森太郎先生還暦記念論文集編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12228250/1/231 (要登録)

[473] 新編大村市史 第5巻 (現代・民俗編), 大村市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/11673627/1/5 02-2minzoku2.pdf #page=48

[555] 新編大村市史 第2巻 (中世編), 大村市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/11673624/1/4 #page=22

[474] 神と仏の間 : 日本人の宗教意識, 和歌森太郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12169039/1/129?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[475] 七十年を顧みて, 斎藤弥太郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1029672/1/60?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[477] 日本人の宗教心 : 宗教的エネルギーと日本の将来 シンポジウム, 門脇佳吉, 鶴見和子, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12265880/1/79?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[478] 講座日本の古代信仰 第1巻, 学生社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12266516/1/97?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[481] 日本風俗史 下, 和歌森太郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9543365/1/11?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[487] 続山寺閑談, 井上龍雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12270806/1/147?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[479] 近代民俗学によって結合された鹿島信仰弥勒信仰弥勒私年号、ミロクの年、 という関係性そのものが近代に「学術」的に生じた新たな「信仰」なんだろうなあ

[480] 香亭遺文, 中根淑, 新保磐次, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/954004/1/23?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%85%83%E5%B9%B4 (要登録)

[495] 元号問題の本質, 永原慶二, 松島栄一, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12209338/1/22?keyword=%E3%83%9F%E3%83%AD%E3%82%AF%E3%81%AE%E5%B9%B4 (要登録)

[497] 西南地域史研究 5, 文献出版, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4420617/1/101?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[504] CHIN-DEN-BUTSU~あるいはパンドラの匣~ - 柳田国男「みろくの船」, https://ncode.syosetu.com/n9347id/20/

[567] 史叢 (60), 日本大学史学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6067819/1/2?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

[568] 日本史のなかの仏教と景教 : 富山昌徳遺稿集, 富山昌徳, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12281939/1/19?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

[569] 慶長見聞集, 三浦浄心, 中丸和伯 校注, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12279163/1/12?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

[591] 親鸞と天台の教学的研究, 正木倭香麿, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12269516/1/208?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[595] 遠州七不思議の旅, 加藤鎮毅, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13221325/1/29?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[596] 講座日本の民俗宗教 2 (仏教民俗学), 五来重 [ほか], , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12267043/1/147?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[600] 江戸文化 3(2), 江戸時代文化研究会, 六合館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1468478/1/20?keyword=%E7%95%B0%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

[604] 老いも法楽, 小林啓, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12409524/1/97?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92%E4%BD%95%E5%B9%B4 (要登録)

[1334] 日本民俗文化大系 第1巻, 小学館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13200531/1/197?keyword=%E5%91%BD%E7%A6%84 (要登録)

[1488] 日本人の地獄と極楽, 五来重, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13307024/1/71?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

[1533] 佐々木月樵全集 4 (経論研究), 国書刊行会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12264783/1/238?keyword=%E5%BC%A5%E5%8B%92 (要登録)

[369] ミロク信仰の説明で私年号弥勒, 命禄を紹介するだけの事例 :

[372] ミロク信仰の説明で私年号弥勒を紹介するだけの事例 :

美禄

[1106] 小林一茶七番日記文化9(1812)年3月2日条に、 次のようにあります。 >>1104

二 晴  夜一雨
目吹村エンマ堂ニ𫟈禄
二年ノ石塔掘出
セルヨシ今日參ニ
𫟈禄矢テ無之
夛ク文明明應
年间ノモノノミ以
之准之𫟈禄モ
享禄ナラン
風邪

[1116] 文字は崩れていて字形が明瞭でない上に、 >>1104 の写真は細部まで確認できない大きさです。

[1117] は、異体字𫟈のように見えます。近世当時一般的に使われていた字形であり、たまたま小林一茶がそう書くのが自然だったという程度で特に意味はないと考えられます。

[1118] 美禄について、明治43年から昭和59年までの8種類の活字本では、 明治43年が「美祿」、昭和2年から昭和59年の7種が「美禄」 と表記しています。平成時代の研究者で原本を直接観察したと思われる北野浩之は、 崩し字から判読しても「美禄」が適切なようである、と述べています。 >>1102

[1107] >>1102翻刻し、 >>386翻刻して(天カ)と注釈し、 >>389翻刻しています。 , は「美禄年で之れ無し」と解釈するものでしょうか。 は「美禄失いて之れ無し」でしょうか。 の方が意味は通りやすく感じます。

[1108] すなわち、小林一茶は、 日本下総国葛飾郡目吹村 (現在の千葉県野田市目吹) で「美禄二年」石塔が出土したとの情報を得て、 文化9年3月2日に現地を訪問しましたが、 文明明応年間のものはあっても、 美禄のものは見当たりませんでした。

[1109] 小林一茶は、美禄は実は享禄だったのだろうとしています。 その根拠は説明されていませんが、字形の雰囲気が似ていなくもないことと、 時代感が文明明応と近いということでしょうか。


[384] 武蔵野 14(1), 武蔵野文化協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7932481/1/15 (要登録)

一寸一言

M S

本誌第十二卷第四号、川島つゆ子さんの『一茶の見た鐘』の中に一茶が美祿二年の石塔を見て享祿ならんと云つたこと が見えますが、ミロク (美祿) は私年号彌勒の當字ではないでせうか、永正、享祿頃に彌勒の私年號を用ひ證據があり ます。詳しくは太田南畝著『一話一言』の四十八卷を御覧下さい。

[385] 一茶の研究, 藤本実也, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1170314/1/109

(註曰 美祿の年號無し嘉祿とすれば北條泰時の頃で當時より五百八十六年を隔る)

[1125] >>1124

嘉禄ではあるまいか、もし嘉禄であるとすれば当時より五百八十年を隔る


[390] 法学紀要 = Journal of the Law Institute (6), 日本大学法学部法学研究所, 日本大学法学部政経研究所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2805065/1/9 (要登録)

弥勒 (美禄) 元年=永正三年。 (一五〇六)

[1119] >>390中世私年号の事例を列挙する内の1つとしてこのように記述しています。根拠は不明です。


[1123] 平成8年に佐藤雀仙人は、 次のように述べています。 >>1122

[1142] 平成14年に地元自治体所属研究者の北野浩之は、 次のように述べています。 >>1102

[1164] 北野浩之は地元でこの話題の講演を行っているようで、内容不明ながらも論文同様と思われます。 >>380 また、野田市Webサイトの解説は、簡潔ながらも似た内容となっています。 >>378

No.実 施 日テ ー マ講 師人 数会 場
15H19.02.0355か ご め か ご め と 野 田 小 林 一 茶 と 「 美 禄 二 年 」北 野 浩 之55名クリアビューホテル
[378] 小林一茶足跡の地|野田市ホームページ, 更新日 平成27年1月30日, http://www.city.noda.chiba.jp/shisei/profile/bunkazai/meisho/1000792.html

一茶の句日記である『七番日記』には、「目吹村エンマ堂ニ美禄二年(私年号の一つか)ノ石塔掘出セルヨシ 今日参ル二 美禄矢デ無之多ク文明明応年間ノモノノミ以之准之美禄モ享禄ナラン」と記されています。

目吹村のエンマ堂で、美禄2年の石塔が掘り出されたと聞いて訊ねてきたが、美禄のものではなくて享禄のものではなかったのか、という内容です。

ただ、「美禄二年」は「弥勒二年」という私年号の当て字との見方もあり、この場合は、永正4年(1507)ころと考えられています。私年号とは、朝廷の定めた年号ではなく、つくった人やその近くの人たちなどの狭い範囲でごく短期間の間使用されていた年号とされています。


[381] 野田巡り:観音院のマリア観音・小林一茶・愛宕神社と「かごめかごめ」 | はろはろはうすの<何を食べようか>, 2020年08月08日(土), https://ameblo.jp/haroharohause/entry-12616507539.html

「小林一茶足跡の地」

つまりここが一茶の訪問した 「十王堂」があった場所である。

(現地写真)

例えばこの「美禄」という年号だが、 これは正式な年号ではなく 私年号で使われていたものである。

これがいつ頃を指す年号なのかは、 実はまだ良く判っていない。

そして最大の「謎」は、

一茶は野田の句をひとつも残していない

ということである。

よほど「美禄」が外れたことに ガッカリしたのだろうか。


[391] 国史大図鑑 第2巻, 国史大図鑑編輯所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1120264/1/80 (要登録)

[392] >>391 これは「嘉禄」の草書なのだがOCRでは「美禄」と誤読される。 なるほど「嘉禄」誤読説が唱えられる理由が納得されるのである。

弥勒千年

[285] 沖縄游記, 高藤武馬, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9770445/1/85 (要登録)

[288] >>285 歌に「弥勒千年」と詠み込んでいる。自身による解説によれば、 弥勒信仰に基づくもので紀年法として具体的な年を指すものではなさそうだが、 私年号弥勒にも言及があってそれを意識しつつ使っている模様。

関連

[4]弥勒」 はスピリチュアル系の新興宗教を始め、 素材として人気があるようです。

[3] 本項の弥勒とは無関係の弥勒私年号がいくつかあります: 弥勒 (平等大慧会)弥勒 (スピ系)


[68] 金石文に残るのは中世東国だけ、でも民俗学的にはもっと西、もっと後の時代まで続いている、 というのは福徳と似た分布です。関係性はどうなのでしょう。


白烏, aH

永正4年未成改元, 天文9年未成改元


[1467] 清風弥勒元年帳 >>470, >>1465 はおそらく「清風弥勒」「元年帳」であり、近世成立で私年号弥勒とは無関係。

メモ