琉球の夏時刻

昭和のサンマータイム

[1] 昭和23年 (1948年) から昭和26年 (1951年) までの4年間、 日本では夏時刻 (サンマータイム) が実施されました。

日本の時刻制度一般については日本の標準時

他の時代は日本標準時改正案

制度の呼称

[10] 昭和のサンマータイムに限らない一般的事項は夏時刻

[22] 日本政府内では当初デイライト・セイヴィング・タイム >>634日光節約時間といった名称も用いられていましたが、 最終的に法律上の呼称は夏時刻となりました。 ただしその後も政府内では夏時間とも表記されることがあり、揺れていました。

[320] 新聞報道を始め世間一般ではサンマタイムサンマータイムと呼ばれていました。

[296] 新聞では日本における夏時刻制度の時刻のことを「日本夏時間」と表記していたようです >>284

[297] JDT と略される (Japan Daylight-saving Time) こともあります (当時から用いられていたのかは不明です)。

[9] なお、従前の中央標準時はそのまま存続されました。 中央標準時夏時刻の2つの時刻が存在し、 日常生活では両者を切り替えて用い、 気象観測など一部業務では専ら中央標準時のみを用いました。

[3] 奄美を含む琉球地域では、 法令日光節約時日光節約時間と呼ばれていました。 琉球米軍軍政下にあり、米国風の呼称である daylight saving time が軍政布告で採用されたと思われます。

[6] ただしサンマタイムと併記された例 >>236 もありました。

[5] 日本人 (琉球の住民) で構成される政府機関の議事録では専らサンマータイムと呼ばれました。

[7] おそらく琉球でも現地住民はサンマータイムサンマタイムと呼んでいたのでしょう。

[284] 賠償条項でアジアに配慮した最終草案明らかに サンフランシスコへ(42) :日本経済新聞 ( 版) http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK23003_U2A520C1000000/

1951年当時の日本は夏時間を採用していた。だから国際的なニュースには発生時刻に現地時間に「日本夏時間」を添えて報道することがあった。このニュースもそうだった。

秋刀魚タイム

[110] サンマータイムという当時の一般的日本人にとって聞き慣れない言葉と制度に、 秋刀魚と掛けた駄洒落のようなものも広まっていたようです。

[111] 遅刻することを秋刀魚タイムではなくイワシタイムと呼んでいたという逸話もありました >>70 地方時間

[70] 近畿民俗 - Google ブックス (近畿民俗, 第 19~30 号 名著出版, 1956 ) https://books.google.co.jp/books?id=E9gEAAAAMAAJ

午後一時になって開会時刻になっても誰も来ない。どうしたのだろうとおもっている と役場の人が来て「このあたりはイワシタイムでして:」という。 ちようどサンマータイム(夏時間)のおこなわれていたころのことで、サンマーをもちって サンマ(秋刀魚)とよび、正規の時間よりおくれるのをイワシと言っていた。

時刻の呼称

[516] 他国の事例は閏時

[628] 日本本土の制度によれば、 開始日は1日が23時間で構成され、終了日は1日が25時間で構成されました。

[670] 夏時刻法は、実施の期間「の間は、 すべて中央標準時より一時間進めた時刻(夏時刻)を用いる」と定めており、 これに従えば開始日は1時 (午前1時) から始まり24時 (午後12時) で終わると解釈できます。

[42] 夏時刻開始
       ----------+------------- - - ----------+---------
            土   |  日                        |  月
標準時  22  23 24|0  1   2   3       22  23 24|0  1   2
       ----------+------------- - - ------+---+---------
            土   |  日                    |      月
夏時刻           |1  2   3   4       23 24|0  1   2   3
       ----------+------------- - - ------+-------------
            土                       日                 
世界時  13  14  15  16  17  18       14  15  16  17  18
       ------------------------ - - --------------------

[19] 同様に終了日は0時 (午前0時) から24時 (午後12時) が存在すると解釈できますが、 その直後の1時間の余分な時間がどう呼ぶべき時刻なのか、 夏時刻法からは判断できません。

[679] 夏時刻法制定時の国会審議では、政府委員は 「四月の第一土曜日に次ぐ日曜日は、午前零時から一時までの一時間が消滅し、九月の第二土曜日の午後十一時から、翌日曜日の午前零時までが、二時間となりますので」 >>495 と言及していました。この日の最後の1時間がどのような時刻なのか、 やはり不明瞭です。

[672] 夏時刻法の条文「中央標準時より一時間進め」 るに文言そのままに従うなら、翌日午前0時-午前1時ということになります。 しかしこれでは夏時刻最後の1時間の日付が変わってしまい、 最終日は25時間で1日との夏時刻法の規定と矛盾してしまいます (図の㋒)。 日付は無視して時刻部分だけ「中央標準時より一時間進め」るなら、 2回目の午前0時-午前1時が24時間ぶりに訪れたとも解釈できますが、大変不自然です (図の㋓)。

[51] 当時日本政府夏時刻法を担当していた連絡調整事務局の文書には、 夏時刻から標準時に切り替える時刻夏時刻の「午後十三時 (◦◦◦) >>2246 とありました (図の㋑)。 2018年に照会された NICT (現在日本標準時を運用している政府機関) の担当者も、午後12時59分の次が翌日午前0時0分となったと回答しました >>2107。 ただその回答の根拠は示されていませんでした。

[307] なお、東京五輪のため新たに夏時刻が導入された場合 ( 平成30年夏時刻事件 ) の呼称は不明と回答しました >>2155

[343] 現代の文献は、24時間制で 24:00〜25:00 のように呼んでいる >>12, >>350, >>666 ことが多いです (図の㋐)。 しかし当時そのように表記したとする根拠は見当たりません。 この表記の古い用例として、 読売新聞 >>432 がありました。

[41] 国鉄では24時間制を用いていたはずですが、 当時の鉄道ダイヤはどう表記されていたのでしょうか。

[295] 実際には、この時代に普及していたアナログ時計では、 深夜12時ないし就寝時に時計の針を1時間動かす方法で夏時刻への移行や復帰が行われました (>>49)。 「12時」に1時間戻すという時計の動きに忠実に従うなら、 「午後11時59分」のあと、12時になった瞬間に再び 「午後11時」が訪れたということになります (図の㋔)。 ただし、この方式では夏時刻法よりも1時間早く中央標準時に復帰したと解釈する (図の㋕) のが自然になってしまいます。

[169] 戸籍業務においては、 昭和25年の通達により、

... と定められました >>1502 (図の㋗)。 これは図の㋔と同じですが、1回目の午後11時59分の次が再び午後11時0分となるのを、 区別して2回目の方に「(夏時刻)」とつけることになっています。

[170] 夏時刻法の規定により第25時間目の終了までが夏時刻ですから、 第25時間目を夏時刻と呼ぶことは間違っていませんが、 第24時間目までも夏時刻には違いなく、 また第25時間目は標準時とも一致する午後11時で、 夏時刻固有の特異な午後11時なのはむしろ第24時間目なのですから、 この表記には違和感があります。

[45] 夏時刻終了
         ----------+--------- - - --------------+-------------
                   |  土                        |  日         
標準時    22  23 24|0  1   2       21  22  23 24|0  1   2   3 
          後  後 後|前前  前       後  後  後 後|前前  前  前
          10  11 12|0  1   2        9  10  11 12|0  1   2   3
         ------+------------- - - --------------+-------------
          金   |  土                            |
夏時刻㋐  23 24|0  1   2   3       22  23  24 25|
               |                                |
          後 後|前前  前  前       後  後  後 後|
夏時刻㋑  11 12|0  1   2   3       10  11  12 13|
               |                            +---+
               |                            |日 |
          後 後|前前  前  前       後  後 後前前|
夏時刻㋒  11 12|0  1   2   3       10  11 12|0 1|
               |                            +---+
               |                            土  |
          後 後|前前  前  前       後  後 後前前|
夏時刻㋓  11 12|0  1   2   3       10  11 12 0 1|
               |                                |
          後 後|前前  前  前       後  後 後後後|
夏時刻㋔  11 12|0  1   2   3       10  11 121112|
               |                            +---+
          後 後|前前  前  前       後  後 後|
夏時刻㋕  11 12|0  1   2   3       10  11 12|
               |                            +-------+
               |                            |日     |
          後 後|前前  前  前       後  後 後|前前 前|
夏時刻㋖  11 12|0  1   2   3       10  11 12|0  1  2|
               |                            +---+---+
               |                                |
          後 後|前前  前  前       後  後  後   |
夏時刻㋗  11 12|0  1   2   3       10  11  11   |
               |                          (夏)  |
         ------+------------- - - --------------+-------------
          金                       土                               
世界時    13 14                    12  13  14  15  16  17  18
         -------------------- - - ----------------------------

[32] 琉球法令では異なる表現が用いられました。 いずれも同じ時刻が2度繰り返されたことになり、 両者の区別の方法が存在したのか不明です。

[40] 厳密に言えば翌日0時になってから1時間戻すのでは各種法令上の日付期間計算の取扱いに問題を生じる可能性があり、 当日24時に1時間戻すとするべきなのでしょうが、 そのような特別な配慮を行う法令は見当たらず、 実務上も問題無かったのでしょう。

[308] 同時期の大韓民国では、 子正に1時間進める、または戻すと定められました。 この「子正」が標準時なのか夏時刻なのかも明確ではなく、 日本の制度との正確な比較も困難です。 大韓民国の標準時東アジアの標準時

[2107] [tz] Re: Inquiry to NICT about Japanese Summer time in 1948-1952. (aya sekido ayasekido at nict.go.jp Tue Sep 11 07:28:04 UTC 2018 ) https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-September/026801.html

It is said that corresponding summer time was performed by instruction of the GHQ: General Headquarters (office of the Supreme Commander of the Allied Powers).

We do not have detailed data about summer time then.

According to the law of those days, the last day of summer time was made into 25 hours.

What came after 12:59 p.m. of the last day was 00:00 a.m. of the next day.

日本本土の夏時刻制

[317] 日本本土では、 昭和23年から昭和26年まで、 中央標準時 を1時間進めた夏時刻 が実施されていました。

実施期間

[18] 夏時刻法 >>13, >>14 によると、次のように夏時刻が運用されていました。

gyear
元号年
year
西暦年
old
曜日
old day
日時
new
曜日
new day
日時
notes
備考
gyear
昭和23年
year
1948年
old
5月第1土曜日
old day
new
日曜日
new day
notes
夏時刻 開始
gyear
昭和23年
year
1948年
old
9月第2土曜日
old day
new
日曜日
new day
notes
標準時 復帰
gyear
昭和24年
year
1949年
old
4月第1土曜日
old day
new
日曜日
new day
notes
夏時刻 開始
gyear
昭和24年
year
1949年
old
9月第2土曜日
old day
new
日曜日
new day
notes
標準時 復帰
gyear
昭和25年
year
1950年
old
5月第1土曜日
old day
new
日曜日
new day
notes
夏時刻 開始
gyear
昭和25年
year
1950年
old
9月第2土曜日
old day
new
日曜日
new day
notes
標準時 復帰
gyear
昭和26年
year
1951年
old
5月第1土曜日
old day
new
日曜日
new day
notes
夏時刻 開始
gyear
昭和26年
year
1951年
old
9月第2土曜日
old day
new
日曜日
new day
notes
標準時 復帰

[147] Time ChangesJAPAN は、次のように示していました >>139

[980] tzdataAsia/Tokyo は、 次のように定義しています >>159, >>64


[47] 土曜日日曜日の間に切り替えを行うのは全世界的な慣習ですが、 日本本土においてこれを踏襲したのは、鉄道ダイヤへの配慮 (>>171) でした。


[49] 日本政府は、夏時刻への移行について、 厳密には土曜日から日曜日に変わったに1時間進めるのだが、 一般には土曜日に就寝する際時計を1時間進めれば良い >>2246 としていました。

[50] 標準時への復帰については、 土曜日の「午後十三時」に1時間遅らせるのだが、 一般には土曜日に就寝する際時計を1時間戻せば良い >>2246 としていました。

[52] 「こんやの12時」に時計を調整して復帰するよう指示した当時の記録もあります >>513


[199] 本項の他の章に示す通り、 初回実施前の検討や実施中の議論でも、 開始日や終了日についてはいろいろな案がありました。

[200] 切り替えの時刻については問題とされなかったようで、 代替案は見当たりません。

誤情報

[228] 昭和のサンマータイムについては、 根拠不明の怪しい情報がいくつか流布されています。

Shanks と旧版 tzdata の説

[155] Shanks (1991 >>150, 2003 >>270) は日本のうち Asiya Air Force Base、Atsugi Naval Air Station (US)、Tachikawa Air Force Base、Yokosuka Naval Base (US)、Yokota Air Force Base (US) で夏時刻が実施され、それ以外では実施されていないとしています。 Shanks のデータにおける米軍基地とそれ以外の日本との違いはこの夏時刻のみであり、 Shanks米軍基地のみ夏時刻が実施されたとする何らかの情報を得ていたのかもしれませんが、 不明です。 この時代には他にも米軍基地英軍基地が設置されていたはずですが、 それらには言及がありません。

[156] tzdata は、Shanks を引用しつつ、 1951年日本政府世論調査夏時刻を廃止したとの情報を根拠に、 米軍基地限定とは考えにくいとし Asia/Tokyo夏時刻を適用しています >>159

実際に米軍基地で実施された (ただし夏季業務時間制度だった) 例は南西諸島の日時

実際に通年の時差があった例は南鳥島の標準時


[622] tzdataAsia/Tokyo は、 の改訂 >>979 まで、 次のように定義していました >>159

[158] Shanks (2003 >>270) と 2018年の改訂 >>979 以前の tzdata は、 切り替えの時刻としていました。 その根拠は不明です。夏時刻法と明らかに矛盾しており、誤りと考えられます >>157。 境界を2時とするのは米国式の制度であり、 GHQ米軍基地日本国内とは異なる制度を用いていた可能性も残りますが、 日本本土のみならず米国占領地琉球米国占領地南朝鮮大韓民国でも0時を境界としていたのですから、 Shanks またはその情報源が誤解または根拠なく情報を補ったと推測する方が自然です。

[54] 日本政府連絡調整事務局 (GHQ との連絡担当の部署) の文書は、 日本政府夏時刻を採用するとした上で、 「占領軍においても夏時刻を採用される由である」としていました。 >>2246 そもそも GHQ からの提案で連絡調整事務局が主導した夏時刻の実施方法が日本政府GHQ とで異なっているとは考えにくく、 連絡調整事務局が何ら特記していない以上、 GHQ 独自制度は存在していないと判断するのが妥当でしょう。

[245] Shanks米軍基地のみ夏時刻とした理由は不明ですが、 戸籍に記載された生年月日情報が夏時刻期間も標準時だったためではないか >>246 と予想されていたようです。 Shanks の目的は占星術で、 誕生の時刻の情報を換算するためのものでした。 (実際には戸籍の記載には夏時刻が用いられたようです。)


[89] また、の改訂までの tzdata は、 終了を

... としていました >>979, >>64。この古い定義では夏時刻最後の24時から25時までが標準時扱いになっていました (図 >>45 の㋕相当) が、 修正後は25時までが夏時刻として扱われるようになりました (図 >>45 の㋐相当)。

[91] これらの tzdata の変更は、より歴史的事実を正しく表現するための修正でしたが、 古い定義に依存していたソフトウェアが誤動作する事例がいくつか報告されました >>67, >>88。 (これ自体は珍しいことではなく、 tzdata の更新のたびに世界中で報告があります。仕組み上不可避の問題です。) また、新たな定義が25時を境界としたため、 Java 用の tzdata 処理プログラムなど24時より大きな時刻を扱えない (tzdata の暗黙の仕様を正確に実装したいなかった) ソフトウェアで問題が起こったことが多数報告されました。

[517] Japan Standard Time - Wikipedia, the free encyclopedia () https://en.wikipedia.org/wiki/Japan_Standard_Time

In 1948–1951 occupied Japan observed daylight saving time (DST) from the first Sunday in May at 02:00 to the second Saturday in September at 02:00, except that the 1949 spring-forward transition was the first Sunday in April. [4]

出典 [4] は tzdata

1951年9月7日打ち切り説

[80] いくつかの Webページは、 4年目の昭和26年の終了について、 で「打ち切られた」としています。

[82] 夏時刻法に基づく本来の終了はの間でした。 それが日本国との平和条約の締結により「打ち切られ」たというのです。

[105] 記載内容の類似性からその多くは Wikipedia >>2033 が大元と推測されます。 そうであるか断定できないものも含め、 すべてが大衆文化事典を出典としています。

[81] に出版された大衆文化事典は、 からまで実施されたものが、 極めて不評でに「打ち切られ」、 1952年から廃止となった >>102、 としていました。毎年開始と終了の日が違っていたことは本文から読み取れません。 Wikipedia と違って日本国との平和条約との関係性も言及がありません。

[106] 大衆文化事典は出典に 昭和の世相を挙げていますが、 昭和の世相には「打ち切られ」たというような記載は見当たりません >>145大衆文化事典は他に巻末の参考文献一覧を参照していますが、 サンマータイム以外の項目も含めて関連する数十冊の事典類や世相を取り上げた書籍を列挙しており、 昭和の世相以外に夏時刻を扱ったものがあるかは不明です。 いずれかに「打ち切られ」た旨の記載が含まれているのか、 あるいは大衆文化事典の独自の見解なのか明らかではありません。

[83] わずか1日終了を早める必要性は感じられず、 混乱の元にしかみえません。 (からで4日早めると考えても同じです。) 夏時刻の期間は法律で定められていますから、 その変更には法律の制定 (改正) が必要ですが、 条約締結を受けて国会で審議し、1日早めるというのはスケジュール的に無理がありすぎます。 実際そうした法律は制定されていませんし、 前後の官報にもそれらしき記載はまったくありません。

[152] 金曜日でしたから、 そこで「打ち切られ」たなら、金曜日土曜日の間に標準時に切り替えられたことになります。 週休二日制実施の遥かに前であり、土曜日も勤務日でしたから、 それまでの土日間の切り替え以上の混乱に陥りそうです。

[84] 日本国との平和条約調印されたのは、 サンフランシスコ現地時間のでした。 時差を考えれば日本では既に は終わりかけていたか、 になってしまっていたはずです。 には日本国内閣総理大臣で首席全権の吉田茂が条約受諾の演説を行ったようです >>85 から、 それで締結がほぼ確定したといえるかもしれませんが、 日本ではの終わりかだったはずです。 条約締結を受けて夏時刻を「打ち切る」ことは、 物理的に不可能です。 締結だけで発効どころか批准すらしていない条約を根拠にするのもおかしな話です。

[87] 日本国との平和条約夏時刻に直接の関係はありませんが、 日本国との平和条約によって GHQ が廃止され、 夏時刻継続の外圧が消失したのですから、 日本国との平和条約により夏時刻が廃止となった、 という表現は間違いではありません。 また、日界と時刻切り替えが重なるため、 夏時刻の期間は に終了したとも、 に復帰したともいわれます。 よく注意しないとこの1日のずれは容易に発生します。 伝言ゲームでいつの間にか終了が 終了にすり替わってしまった、 というのはありそうな話です。 これに日本国との平和条約の交渉がちょうど行われていたという情報が組み合わさって、 「打ち切られ」たという説に信憑性が付加されたといったところでしょうか。

[86] 二十五年の步み: 市制施行 25周年記念 - Google ブックス () https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=FTJEAAAAIAAJ&dq=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%9E%20%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0&focus=searchwithinvolume&q=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%9E%20%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0

十一曰初の本年度サンマ—タイム打切り(

[161] 11日だから本来の予定通りだが (1948年)、「打切り」という表現が使われていた。
[146] 昭和の世相 154ページ-156ページ

●サマー=タイムの採用

【時計の針を一時間進めて、出勤時刻 を卅分遅らせる。何のことやらわから ない。なぜ簡明に出勤を卅分早めると したのではいけぬのか。この疑問を常 識だとすればサンマー=タイムは非常 識となるだろう。常識なら申合せでも 済むが、非常識となると法律ででも強 制するのでない限り守るものはいな い。法の (わずら) わしきは国亡ぶるの基と昔 の人はいったそうである。(中略)

時間というものは太陽の運行から割 出されたものだ、などというものは古 代の観念でしかあるまい。近代の時間 はただ時計の針の先にだけある。だか ら人間が自由にそれを動かすことがで きる、というのだったら、むしろ、い っそ、一時間遅らせてみたらどんなも のだろうか? 朝いつもの (ごと) くに (とこ) を 離れる。しかし今日からは夏時刻だか ら出勤は一時間遅れてよろしい。ゆつ くりした気持で新聞が読める。日ごろ は及びもつかなかつた社説や外電や学 芸欄やにまで丹念に () が届く。これだ けだつて大したものではないか!

昼の時間をできるだけ余計に利用さ せるための方法だというのだが、どう せ利用させるなら朝の新鮮な時間にし た方が効果は多い。まさかに朝つばら からマージャンやダンスをやる連中は あるまい。一日の勤務を終えての徒労 しつくした時間では、どう与えられて もしんみり読書したりする気持にはな れぬのが普通である。針の先の動かし 方一つで結果は雲泥 (うんでい) に分れる。

役人にはゆつくりした時間を与えて 世界の勉強をさせねばならぬ、とこれ は私の説ではない。荻生徂徠 (おぎゅうそらい) が『政 談』の中で述べていることである。彼 ならきつと一時間遅れの夏時刻の方を 採用したにちがいない】

高田保『ブラリひょうたん』

夏時刻は日本では不評で、結局26年 限りで廃止されてしまった。

[149] 引用元文献 >>148

428 夏時刻法公布(4月第一日曜~9 月第二土曜、時刻を1時間進めるサマ ー・タイム)。昭和27411日廃止。

[102] 大衆文化事典, 石川弘義 (編), https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4335550464/wakaba1-22/

サンマータイム

1948年5月2日の午前零時を期して実施された夏時間の ことである。この日から9月11日までの夏季の間だけ, 時計の針を1時間だけ進めて生活しようというもので, 電力不足に悩まされていた時代であったため太陽光線 を有効に使おうというのがねらいで, 「鬼より怖いGH Q (占領軍総司令部)」の命令だった。当時の人々やマ スコミはこれを「サマータイム」ではなく「サンマータ イム」とよんだ。勤務後のプライベートタイムがたっぷ りとれるというのもうたい文句の一つだったが, 当時の 日本人には夏の夜長を楽しむ余裕はまだなく, 残業が1 時間増えたとか, 8時過ぎまで日が暮れず, 食糧難のお りなのにもう1食欲しくなったとか, 全国的に寝不足に 悩まされる人が増えたなど, きわめて悪評であったの で, 51年9月7日を最後に打ち切られ翌52年からは廃 止となった。

(鷹橋信夫)

主要文献〕 原田勝正編『昭和の世相』昭和の歴史別巻、小学館, 19 83.

巻末文献表 <44 流行語・世相語> 参照〕

[104] 日が暮れないのに夜長とはこれいかに。
[2033] 夏時間 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E6%99%82%E9%96%93#%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E5%8D%A0%E9%A0%98%E6%9C%9F

1951年(昭和26年)度はサンフランシスコ講和条約が締結された第2金曜日の9月7日で打ち切られ[21]

[21] 『大衆文化事典』「サンマータイム」の項(鷹橋信夫)、pp.299-300

[162] この記事を引用またはコピペした Webページも多数。
[2029] 批判続出のサマータイム導入案、標準時を通報している情報通信研究機構に聞いてみた - 弁護士ドットコム () https://www.bengo4.com/internet/n_8461/

4年目:1951年(S26) 5/5(第1土)24時〜9/7(第2金)打ち切り(講和条約締結)

[154] (2ページ目)EUはサマータイム廃止へ それでも安倍政権は導入するのか|日刊ゲンダイDIGITAL (公開日:2018/09/02 06:00 ) https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/236698/2

51年にサンフランシスコ講和条約が締結されると同時に打ち切られた。主権が回復した途端、廃止したのは、よほど嫌われていたということだ。

[2030] 批判続出のサマータイム導入案、標準時を通報している情報通信研究機構に聞いてみた - 弁護士ドットコム () https://www.bengo4.com/internet/n_8461/

1年目:1948年(S23) 4/28夏時間法公布 5/1(第1土)24時〜9/11(第2土)25時

2年目:1949年(S24) 4/2(第1土)24時〜9/10(第2土)25時

3年目:1950年(S25) 3/31一部法改正(4月→5月) 5/6(第1土)24時〜9/9(第2土)25時

4年目:1951年(S26) 5/5(第1土)24時〜9/7(第2金)打ち切り(講和条約締結)

実施せず:1952年(S27) 4/11法廃止 4/27占領終了 4/28講和条約発効

[2032] サマータイムの導入に賛成か? - 素人が新聞記事書いてみた () https://www.newspaper-ama.com/entry/2018/09/02/161936

昭和26年(1951年)9月7日で打ち切られた。

[78] 日刊キーワードと話のネタ サマータイム (2018年09月04日発行) | 日刊キーワードと話のネタ - メルマ! (2018-09-04 発行 第2976号 ) http://melma.com/backnumber_161119_6729256/

・1948/05/02 (日) 昭和23

サマータイム実施。GHQの命令で9月11日まで時計を1時間早めた。不評で1951年9月7日打ち切り。

[79] サマータイムを日本で導入したときのシステム影響を元SEが考えてみる - ゲームがやりたい (2018-08-11 ) http://www.yaritai.games/entry/work/summertime

1948年~1951年の3年間、第二次世界大戦の敗戦後に導入されていました。夏時刻法という法律が制定されていたのですが、サンフランシスコ講和条約が締結された第2金曜日の9月7日で打ち切られています。*1

*1:ISBN:9784335550461 『大衆文化事典』より

[2031] 日本のサマータイム導入期間の日付データをデータローダでインポートする際の注意事項 () https://help.salesforce.com/articleView?id=000247699&language=ja&type=1

1948 年 5 月 2 日から 1948 年 9 月10 日まで 

1949 年 4 月 3 日から 1949 年 9 月 9 日まで 

1950 年 5 月 7 日から 1950 年 9 月 8 日まで 

1951 年 5 月 6 日から 1951 年 9 月 7 日まで 

どの年も開始日と終了日が範囲から外れているが、誤りなのか境界日だけ別の事情があって除外されているのか不明。
[227] ホームページ の広場 第 32 回: システムの時刻, 大阪医科大学 放射線医学 非常勤講師 (関西福祉科学大学 保健医療学部 教授) 上杉康夫, 大阪医科大学医師会会報 第50号() () https://www.osaka-med.ac.jp/deps/omcda/report/pdf/report_50_p22-25.pdf

しかしながら夏時間は1951年(昭 和26年)度についてはサンフランシスコ講和条約 が締結された第2金曜日の9月7日までとなりました。 さらに翌1952年(昭和27年)4月28日のサンフラ ンシスコ講和条約発効による日本の主権回復に先 立ち、夏時刻法は同年4月11日に廃止されまし た 。

(この部分に出典は明記されていないが、参考文献として >>2033 が挙げられています。)

[272] サマータイム採用で日本は60年前の悪夢がよみがえる?―中国メ...|レコードチャイナ, Record china, 配信日時:2018年8月31日(金) 5時40分 ) https://www.recordchina.co.jp/b638747-s0-c30-d0062.html

2018年8月28日、環球時報は、日本ではかつてサマータイムが採用された時期があったが、国民から多くの不満が出ていたと伝えた。

「この年に4年目となるサマータイムが実施されたが、同年、日本は米国とサンフランシスコ平和条約を締結し、これとほぼ同時に日本政府はサマータイム終了を発表。翌年4月11日に政府はサマータイムを正式に廃止した」と伝えた。

記事は、「サマータイムの実施と廃止が日本の国家的地位の変化と関係があったため、多くの人がサマータイム廃止を日本の主権回復の象徴の一つと考えたのかもしれない」と論じている。(翻訳・編集/山中)

実施以前

[8] 大東亜戦争終戦までの経緯は、日本標準時改正案

[742] 大東亜戦争終戦の後の帝国議会で、 貴族院議員向山均が電力不足に関する質問内で夏季時間 (サンマー・タイム) の導入を求めたのに対し、 商工大臣小笠原三九郎は検討中だと回答しました >>741。 もっとも小笠原は夏時刻についてピンときていないようで、 当人が推進していたのではなく商工省内で検討もされていたという程度なのでしょう。

[30] 資源不足対策としての夏時刻実施は戦時下でも度々検討されていたようですから、 このときも政府内で候補に挙がっていたとして何ら不思議はありません。
[26] 小笠原は翌年公職追放により辞職を余儀なくされ、 向山も同年に議員辞職していますが、 これらが夏時刻に影響を与えたかは不明です。

[597] 日本本土の昭和のサンマータイム実施は、 GHQ 経済科学局長マーカット少将の覚書、 “日本におけるデーライト・セービング採用についての計画”に端を発するとされています >>598。これが何年のものかは不明です。

[11] 聯合軍司令部は、 日本政府東京天文台長の関口鯉吉に対し、 夏時法の実施を「希望的意見」として口頭で示し、 意見を求めました。 関口は、 天文台として技術的問題は無いものの、 「我國社会ノ特殊事情」より実施の必要はなく、 移行時の混乱が予想されることから好ましくない、と回答しました。 関口は次のような見解を有していました。 >>2245

  • [17] 夏時刻の利点とされる1つに早起きがあるが、 日本国民には夏の早起きの習慣が既にある。 夏と冬とで勤務時間を変える習慣があるから自然に実行されている。
  • [20] 夏時刻の利点とされる1つに就寝が早くなり照明電力が節約されるとあるが、 日本の気候は冬は寒帯性、夏は熱帯性・海洋性であるから、 欧米の文化国家とは事情が異なる。 夏は蒸熱甚だしく、夜遅くまで寝付けないため、 照明節約効果は薄い。
  • [90] 日本では夏季の始業を1時間早め、 場合によっては終業も遅らせる勤務形態が採られている。 夏時刻を実施して勤務時間を変更しない場合、 労働時間が1時間以上減少して経済損失につながる。 我が国の風土に合った季節性勤務体系の方が夏時刻制より適切だ。
  • [23] 家庭内では標準時換算して行動する者が多いだろう。 改暦から数十年経って未だ旧暦が用いられることから推して知るべし。 国民に二重生活の不便を強いる。
[24] 暑さによる睡眠問題や一般家庭の二重時間問題が実施前から明確に予測されていました。 夏の暑さと就寝時刻の関係については、 約10年前の台湾の標準時改正 (通年夏時刻採用) でも問題となっていました ( 大東亜の標準時 )。 20世紀末から21世紀の日本サマータイムの議論では、 現代の季節変動の少ない労働時間が前提になっており、 賛成派も反対派も当時の労働慣習にまで踏み込んだ分析をできていないように思われます。

[25] 関口の反対に納得したのか、 あるいは他方面からも反対が多かったのか、 この年夏時刻は実施されませんでした。

[27] 関口は1936年から東京天文台長を務めてきましたが、 この年定年退官しました。

[746] 総司令部連絡部から日本政府に対し、 デイライト・セイヴィング・タイム実施の公算が大きいとし、 準備を進めるよう連絡がありました >>634

[29] 具体的な実施日の言及はありませんが、 この年の夏、すなわち連絡後早々にも開始することを目指していたのでしょうか。 しかし結局この年夏時刻は実施されませんでした。

[741] 貴族院第89回予算委員会第2号 帝国議会会議録検索システム (, ) http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/SENTAKU/kizokuin/089/0080/0890008000211214.html
男爵向山均君

只今の停電に付きましては、尚市販に甚だ怪しげな電熱器が氾濫して居ります、之に關する取締をやつて戴きたいと思ひますが、之に付て伺ひます、「ダム」に付ては失業救濟が大きな目的のやうな御話でございますが、勿論結構でございます、過去に於て我が國の土木技術が非常に遲れたのは、失業救濟に重點を置き過ぎた結果であると考へます、米國から來た色色の土木機械等も十分參考にされて、失業救濟に重點を置き過ぎないやうにして行かれたいと希望を申上げます、それからもう一つ伺ひたいのは此の際夏季時間を利用する準備を始めたらどうか、之に對する用意があるかどうかと云ふことを伺ひたいのであります、若し御答へ戴く方が居らつしやらなければ、其の旨御話願つて、適當な機會に伺ひたいと存じます

國務大臣(小笠原三九郎君)

向山男爵の御懸念になつて居る不良な電熱器が出て居ることは私共も取締らなければならぬと思つて居ります、只今の所商工省で規格を決めて、合格品には「レッテル」を貼つて、優良品を示して其の普及に努めて居る次第であります、尚「ダム」の問題は失業救濟の意味もありますが、寧ろ渇水期に於ける電力の不足其の他を圓滑に補ふやうにと云ふことを主として、同時に下水、治水問題等も併せ考へて居る次第であります、尚もう一つの問題は私ちよつと分り兼ねましたが……

男爵向山均君

「サンマー・タイム」のことです、何とか我々は太陽と共に起き、太陽が出てから怠けて居ることは面白くない、我々は太陽と共に働きたいと思ふのであります

國務大臣(小笠原三九郎君)

其のことでありますれば御趣意に添ふやうに私共も準備を進めて居ります

1年目 昭和23年

[775] 日本政府夏時刻の実施を閣議決定しました >>1675, >>774, >>222。 当時の報道では、 とし、9月一杯実施するとされていました >>1675, >>222。 終了時期が遅いですが、当初予定がそうだったのか、 不正確な報道だったのかは不明です。 実施の詳細は閣議で決めるとされました >>222

[223] また、欧州夏時刻実施国との調整のため船橋送信所から 11時と21時に国際報時を行うことになりました >>222欧州との調整というのがよくわかりませんが、 GHQ によって停止させられるまで海軍船橋送信所は 11時と21時の無線報時信号を送出しており、 これを夏時刻対応して再開する予定だったのでしょうか。 実際にはから JJY報時信号を載せる実験が始まり、 に正式運用開始となりました。 報時JJY

[747] には、 夏時間に⿵门󠄀关する件閣議決定されました >>632。本件文書はからにかけてのいくつかのバージョンが残っており、 変更点が書き入れられたものもあります。

[748] 細かい点は変更が多いですが、大枠においては最終的な夏時刻法と同じ内容が既に含まれていました。 制度の呼称について、初期の版では日光節約時⿵门󠄀日 >>633 となっていましたが、最終版 >>631 では夏時間となっています。 頃に変更されたようです >>2201, >>630。 また本制度のの呼称として夏季時夏時 >>633 も検討されていたものの、 最終的に夏時⿵门󠄀日 >>631 となっています。 もっとも、それも仮称となっています。

[31] GHQ (米国) の希望で導入された夏時刻制度の呼称が米国式の日光節約時ではなく、 欧州式の夏時間となった事情は謎です。

[749] 初回実施は、とすることになっていました。 以後の開始は4月10日前後、終了は9月10日前後 (初年は9月11日) とされていました。 終了を9月第3土曜日とする案もありました >>2200。 初年の開始日を 法律で定め、 終了日は政令に委任することも検討されました >>2200。 最終的に次官会議で 4月第1土曜日と9月第2土曜日と決定しました >>2200

[750] また特に制度上の措置が必要な項目として、期間計算天文台報時、 列車運行、労働時間・給与計算が挙げられていました。後の実施時には、 労働時間について政令で特例が定められましたが、それ以外の法的措置はとられていません。 列車については、国鉄の運行上調整が行われていたようです。 報時はもとより中央標準時によるものとなっていますが、 夏時刻法にはそれを否定しない規定があるため、それでカバーされているのでしょう。 法令上の期間計算については特別な規定がなされなかったのですが、 特に必要ないと判断されたということでしょうか。


[751] 付けの文書 >>616 では、 法律案として整えられた形になっています。要旨は閣議決定と変わっていませんが、 呼称が夏時刻に定まったことがわかります。

[777] 外務省からの夏時刻実施を告知しました >>776

[752] 衆議院川崎秀二が政府案に対する修正案を提示しました >>684。 これは内容としては変更がなく、法律としての体裁を整えるもので、 ここで最終的な初代夏時刻法が完成しました。 国会ではその他にはいくつか実施上の事項について質問があった程度で、 特別反対する意見もなく、スムーズに審議が進んだようです。

[1916] 川崎秀二は後に廃止にも関わりました (>>795)。

[753] そして衆議院ではのうちに >>695参議院では>>690 可決され、 法律第二十九号夏時刻法 >>13 として即日公布施行されました。 の初回実施まで、わずか3日でした。

[46] 日本政府連絡調整事務局は、 夏時刻法成立を受けて制度の解説 >>2246 を政府内に配布したようです。 ここでは夏時刻のメリットが次のように説明されていました。

  • [55] 特に都会生活者は、 帰宅から日没まで1時間長くなるため、 菜園作り、内職、家族団欒などに供することが出来、保険上、経済上の好結果がもたらされるはず。
  • [56] 電力石炭の節約が大いに期待される。

[48] 本来の制度では4月の第1土曜日と翌日曜日の間に夏時刻が開始されることとなっていましたが、 この年は既に過ぎていたため、5月の第1土曜日と翌日曜日の間となりました。 ところがそれがたまたまの間だったため、 4月と5月の間で切り替えるとの誤解が広がっていました。 連絡調整事務局は、 の日中は標準時のままであるとし、 各方面に訂正の協力を求めました。 >>2246 新聞でもこのことが取り上げられました >>598


[16] 総理庁審議室中央連絡調整事務局により >>1187 実態調査が行われました >>316付けのメモ >>315では、夏時刻制を継続するか廃止するか、 夏時刻制と政府執務時間の関係をどうするかが政府内部で検討されていたことがわかります。 結論としては、 節電に大きな効果が認められ >>1187夏時刻制を継続するべきとなったようです。 他に通年夏時刻 や、冬時間 夏時間 ダブルサマータイムも候補に挙げられていましたが、 将来の研究 >>1187 に先送りされました。

[612] 政令第二百八十号 夏時刻終了の際における労働基準法の特例に関する政令 (施行) >>613 は、 夏時刻から標準時への復帰に伴い1日が25時間となるが生じることに関連して、 労働基準法の労働時間の規制を1時間分緩和することを定めました。

[53] 終了時の特例の必要性は夏時刻法制定当時から認識されており、 夏時刻法政令への委任条項が盛り込まれたのも労働時間の例外設定のためでした >>2246 が、 この政令自体の検討が始まったのは頃だったようです >>244

[620] 閏時を含む25時間のとなり、 から中央標準時に復帰しました。

[774] Newspaper Article - Untitled, Morning Tribune, 10 April 1948, Page 1 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/morningtribune19480410-1.2.10

tokio. April 9. -The Japan* eso Cabinet haJ decided to have daylight saving time in Japan for the fust time, moving clocks up one hour. U.P.

[2200] 芦田内閣次官会議書類(その1)昭和23年3月11日~昭和23年4月28日 (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2006041216592540020

4月12日(月)案件表

[2201] 芦田内閣閣議書類(その2)昭和23年4月2日~昭和23年4月30日 (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M2006041216595340080

4月13日(火)案件表

[776] Newspaper Full Page - The Straits Times, 23 April 1948, Page 1 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Page/straitstimes19480423-1.1.1

DAYLIGHT SAVING tokio. Thursday. The' Japanese Foreign Office an- j n>u. ced yesterday that day-i lipht saving time would beer me effective on May 1. A.P.

2年目 昭和24年

[624] 2年目である昭和24年は、初めて4月頭からの実施ということで、 開始時期が早すぎると実施前から議論になっていたようです。 には国会でも取り上げられました >>700政府委員は「終戦連絡事務局方面から関係方面に交渉」 したが延期とはならなかった >>700 と述べました。 日本政府GHQ との間で協議が行われたものの、 GHQ が予定通りの実施を強硬に主張したものと思われます。

[625] 実施直前の国会衆議院人事委員会は、 夏時刻開始を6月第1土曜日とする法改正を要望することを全会一致で決議しました >>697。しかし、流石に時間がなさすぎたのか、法改正には至りませんでした。 この決議の本文には含まれませんが、説明で 「そもそもこの夏時刻に対しましては、この前から実は各党各派とも反対であつた」 と述べられており >>697、「この前」がいつのことなのか判然としませんが、 国会の議事録上はスムーズに制定されたように見える夏時刻法が実はそれほど歓迎されていなかったことが窺えます。

[2207] GHQ国会の審議にまで圧力をかけて国政に介入していました ( 極端な事例は国会時間 )。 国会議員が自身や国民の意見を無視してでも法案に賛成し可決せざるを得ないことが当時はあったのでしょう。

[668] 同じくには、 政府機関の執務時間を変更する命令 (総理廳令第18号 政府職員の勤務時間に関する総理廳令(昭和24年総理廳令第1号)の特例に関する件, 総理廳令第19号 大正11年閣令第6号(官廳執務時間並休暇ニ関スル件)の特例に関する件) が制定されました >>629, >>671。 これは、元々執務時間が から である >>673 ところ、 この年限りでからの間は から と変更するものでした。 つまり、一度に1時間分業務開始を早めるのではなく、 二度に分けて30分ずつ開始を早めるというものでした。

[1029] そもそも夏時刻制季節に関わらず表示上同じ時刻に固定できることがメリットだったはずで、 これを徹底するため前年にも政府機関の執務時間は変更しないと確認していたはずでした。 夏時刻実施延期が間に合わなかったための代替措置なのでしょうが、 このような移行期間という形態ながらも執務時間の方を変更してしまうことで、 早くも夏時刻制は破綻が明確になっていたといえます。

[1229] 当時の新聞は、 国民は不便を我慢しながら夏時刻に従っているのに、 公務員だけなぜ特例が許されるのかと強く批判していました >>1228

[1682] 当時は公務員の始業時刻が で、 民間は が一般的だったため、 自然と時差通勤のような形になっていました。 ところが夏時刻初年には公務員の遅刻者が続出し >>1681、 出勤時刻の重なった鉄道は大変な混雑だった (>>1195) ようです。 2年目には正式に公務員の始業時刻も に改められたため出勤ラッシュは激化。 輸送力強化も限界で積み残しと負傷者が激増し 「通勤地獄」、「殺人ラッシュ」とまで報道されました >>1683。 しかもその報道の後、学校の新学期で駅の利用者が更に増えたといいますから、 予想もつかない混雑と混乱が起こったはずです。

[1206] この年の開始日は北海道から九州まで大変寒い日で、 札幌では積雪19cmに更に降雪があり、 仙台では気温-1°Cで炬燵で過ごすという「サンマー」 とは程遠い天候でした。当然国民には不評だったようです。 >>1204 新聞各紙も「寒いサンマータイム」を批判する記事を掲載し、 読者の反応が良かったといいます >>68

  • (開始直後の月曜日)
    • tz=+10:00 lat=43.0594286 lon=141.3004595 day=1949-04-04

      札幌
    • tz=+10:00 lat=35.654865 lon=139.744584 day=1949-04-04

      東京
    • tz=+10:00 lat=35.0060799 lon=135.6909091 day=1949-04-04

      京都
    • tz=+10:00 lat=31.5227198 lon=130.2779645 day=1949-04-04

      鹿児島

[185] 日本衆議院人事委員会で、 衆議院議員高橋權六九州の視察を踏まえて夏時刻九州では実施しないこと、 あるいは6月頃から8月頃までに限定することを提案しました >>138

[68] 昭和25年 日本新聞年鑑 1950 (日本新聞協會, , ) https://books.google.co.jp/books?id=AGkWU2jhNW4C&pg=PA68 (Googleブックス1947とするのは誤り)

三月の記事としては、 「不人氣のサンマータイム」(共 同)、

四月から始まつ たサンマ ー タイム に對しては 「朝日」の「炬燵で迎えた夏時間」、「每日」の「冬姿 のサンマータイム」、「讀賣」の「夏時間、寒いふたあ け」を筆頭に共同ダネを採用した全國各紙も、揃つて 「寒いサンマータイム」を皮肉る調子の報道振りで、 これは國民の気持にうけたようである。續いて八日の 「朝日」は春寒異變を報じたが、最も早くこれを豫報した のは實は二月九日の「每日」であつた。

[138] 衆議院会議録情報 第006回国会 人事委員会 第11号 () http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/006/0794/00612030794011c.html

第006回国会 人事委員会 第11号

昭和二十四年十二月三日(土曜日)

午前十一時四十五分開議

出席委員

   委員長 星島 二郎君
   理事 小平 久雄君 理事 玉置  實君
   理事 藤枝 泉介君 理事 吉武 惠市君
   理事 中曽根康弘君 理事 加藤  充君
   理事 木村 俊夫君
      岡西 明貞君    高橋 權六君
      柳津 義男君    松澤 兼人君
      土橋 一吉君

出席政府委員

        (法制局長)
        人事院事務官  岡部 史郎君

○高橋(權)委員

私は先日から九州を国政調査でまわりまして、いろいろの労組の方、その他の方々に接して聞いておつたことが事実であることを確かめて参つたのであります。特にサンマー・タイムが行われておるのでありますが、これは東京と九州におきましては夜明けが一時間差かあります。ま’た日暮れも一時間くらい差がありまして、九州あたりでこの時間を励行されることになると、出勤する本人たちの苦労というものは、実に筆舌に盡すことのできないほどの苦労があります。また出勤するのに非常に遠路のところを交通機関もなく出て来るためには、非常に早起きをしなければならないのであります。今日寒冷地に対してはお手当もいただくように、われわれは盡力を申し上げたのでございますが、暑地の手当、こういうことは今日言うべきことではないかもしれませんが、こういう方面に対しても考慮すべきではないか。早く起きるということが一日か二日ならばよろしいのでありますけれども、何といつても毎日々々のことであります。非常に心労し、能率上非常に支障を来たしていることが多多あるのであります。まして長距離の通勤者のごときは、電車あるいは列車内における混雑、ラッシュアワーのごときに至つてはいすに寄りかかることもできないで、立ちづくめで数時間を要して出勤しておる。それだけですら労力を費し、出勤して事務に従事するときにはもうほとんど疲れ切つておるのてあります。帰りにおいてもまたその通りであります。出勤するところの本人もそうでありますが、家族のものはどうであるかと申しますと、それ以上に早起きをして炊事の準備に労力を費すのでありまして、特にいなかのごときは電燈などが非常にきゆうくつでありまして、一群大切な炊事時間に停電されて困難を来しておるのであります。そのためにろうそくのごときをともしまして、その結果が火事の原因になるというようなことが非常に多いのであります。でありますから、このサンマー・タイムを九州方面だけでも除いていただくようなお考えはないか。もしそれを実行して行かなければならないならば、六月ごろから八月ごろくらいの非常に日の長い時日のみに実行するような方法をしていただきたいという感じを持つておるものであります。皆さんからありがたい御同情のお話がありましたが、あながち賃金べースを上昇せしめるのみが、私は親切でないと思うのであります。賃金ベースどころではない。病気になつた結果、療養費に要する費用は大したものであります。そういう観点から出勤時間についての改良あるいは廃止というようなことに意を用いていただくことができるか。特にアメリカ人ですら東京都内の各所に行くのに夏時間というものはあまりよろしくないようなことを言つておるのであります。そういうところから、私は来るべき勤務時間を改正することについて、当局はどういうお考えを持つておられるか、承りたいと思うものであります。

○星島委員長

高橋君にお諮りいたします。が、サンマー・タイムの問題はよほど大きい問題でありますから別なときにこれを扱つていただきたい。直接この請願に関係ありませんから……

○高橋(權)委員

請願は一部であつて、これはずいぶん大きい問題です。

○星島委員長

何かその御答弁がありますか。

○岡部(史)政府委員

簡單にお答え申し上げますが、根本は実は夏時刻法の問題だと存じております。この夏時刻法のもとにおきまして、現在職員の勤務時間は四十四時間となつております。四十四時間を各勤務日に割当てることは、それぞれ総理庁令に一般的にはゆだねられておるわけであります。しかしわが国のような南北に長い地域におきましては、日没と日出の時間が地域によりまして非常に違うことも、高橋さんの仰せの通りであります。その間におきまして地方の実情に応じまして、勤務時間の四十四時間は総体においては変更いたしませんが、それを何時から始めて何時に終るかということは、地方の実情に応じて定める余地が残つておるわけであります。現に北海道におきましては、これも九州とは反対の事情があるわけでありますが、そういう事情のために、現在においても勤務時間を朝九時より六時までというように、特に例外を設ける、あるいはその反対に八時から四時半までとするというように例外を設けていることもございますので、そういうようなやりくりによりまして、九州地方の職員のために便宜をはかろうということは、現在の制度のもとにおいても可能でございます。それは考慮の余地があることでございますから、仰せの趣旨に従いまして考慮すべき問題だろうと存じます。

○高橋(權)委員

私は今当局から御答弁くださいましたようなことが、北海道において実現いたしておることであつたならば、私ら兄弟たち九州の人間でもみなお国のためには大いに盡しておるのでありますから、北海道にできることを今まで九州に行わせなかつたということは、当局があまりにも不親切であつたと思うのであります。事実先日の国政調査にはどなたもいらつしやらない。私ただ一人であつたから、党派を論ぜず労組の人は、共産党、社会党、民主党といろいろな党派に属する労働者の方にお目にかかつたが、私、年寄りであつたためでありましようか、ひとつもやかましくない。土橋さんのような、加藤さんのように、実に熱心に研究なさつた方も、あのじいやが来ておるからという意味からかしらぬけれども、おとなしく談笑裡に接していただいてお話はしましたが、そういう党についてはほんとうに感じたのでありますから、政府当局は、来年のサンマ一・タイムがだんだん近づいて参つておりますから、あとで言つても遅いことになりますから、来年度のサンマー・タイムの実施には実情に適応したようにしていただきたい。また寒冷地手当のことよりも、そういうことを望んでおる方が多いのでありますから、出勤する本人のみならず、家族の者の心労に御同情くだざいまして、一日もその実行の早からんことをお願いして、私の質問は打切つておきます。

[184] 高橋権六福岡県選出の衆議院議員でした。後に自由党に所属しました。

3年目 昭和25年: 改正

[755] 3年目となる昭和25年法律第三十九号 夏時刻法の一部を改正する法律公布、即日施行され、 夏時刻の開始が4月から5月に改められました >>14

[756] この改正法案は、付の総理府文書に既に現れています。 国会では公聴会も行われ夏時刻自体についても国民から是非の意見の表明がありましたが >>682、それ以上に議論は深まらず、原案通りに成立 >>674 しました。 (改正前の夏時刻法に基づく開始予定日は で、かなりぎりぎりではありました。)

[757] 夏時刻の開始を1ヶ月遅らせることになったのは、 4月初めにはまだ夜も開けきらないうちに活動時刻となること、 前年実績から4月中の節電効果はほとんど期待できないことが理由とされていました。

4年目 昭和26年

[183] 4年目である昭和26年には、 夏時刻に対する国民の不満の声がますます大きくなっており、 夏時刻制度の失敗は明白になりつつありました。 連合国との講和交渉も進行し、 GHQ から日本政府への国政介入圧力も弱まってきました。

[182] 日本政府は、夏時刻に対する国民の不満の高まりを受けて世論調査を実施し、 過半数の反対という結果を得ました (>>1115)。

5年目 昭和27年: 廃止

[621] 5年目に当たる昭和27年法律第八十四号 夏時刻法を廃止する法律公布、即日施行され、 夏時刻廃止されました >>15

[626]法律は、国会日本国との平和条約発効に向けた諸法律の審議が行われるのに混じって提出されました。 どうやら夏時刻の廃止は既定路線となっていたようで、 衆議院に提出後直ちに可決 () >>688 されて送付された参議院でも 「労働委員会におきましても早くからこれが廃止をしたいということを考えて準備いたしておりましたことは御了承の通り」 >>693 と説明されていました。

[669] 本法案は内閣ではなく議員の提出 (議員立法) という形が採られましたが、 に同内容の法案が3件提出される >>687 という珍事となりました。

  • 夏時刻法を廃止する法律案(井之口政雄君外二十二名提出、衆法第一七号)
  • 夏時刻法を廃止する法律案(中曽根康弘君外七十四名提出、衆法第一八号)
    • 改進党、社会党右派、左派並びに農民協同党等、共産党を除く各党 >>687
  • 夏時刻法を廃止する法律案(船越弘君外十一名提出、衆法第一九号)

共産党が反米色の強い法案を提出したのに対抗して中立的な内容の他2案が提出されたようです。 結局18号と19号が「併合」されて衆議院可決され、参議院へと送られて成立しました。

[675] 共産党は廃止法を通じて米国式制度導入の失敗を総括しようと試みたのに対して、 他党は単純に労働強化につながる結果となったことを廃止の理由としていました >>687, >>688。 いずれにせよ、この議事進行を巡る対立を除けば、 廃止すること自体には異論もなかったようです。

[795] 夏時刻廃止を提案した国会議員中曽根康弘川崎秀二子供である中曽根弘文川崎二郎は、 平成時代に国会議員となり夏時刻の導入を推進しました。 サマータイム制度推進議連

[1208] 当時の新聞は、予算や重要法案の審議も終わって国会議員も気が抜けて欠席も目立つ中での騒ぎだった >>1207 と伝えていました。 共産党自由党その他の対立では、

共産党

太陽の時間まで、自分勝手に扱う自由党は、清盛以上だ

自由党

地下にもぐった共産党には、時間のことなどどうでもよかろう

廊下に笑声

... というやり取りがあった >>1207 といいます。

[1225] 清盛というのは日招き伝説のことでしょう。 日招き しかし夏時刻導入時ならともかく廃止時にその喩えはどうなのでしょう。 夏時刻GHQ が強行に導入したことは共産党も当然了承しており、 だからこそ反米的法案を提出したのですから、 平清盛以上の暴君は GHQ でなければ話が整合しません。 それを自由党批判に使ってしまうところは、 国民生活の立て直しよりも反米主義よりも、 反体制に傾倒していた証左でしょうか。 自由党議員の返しはそれを見透かしていたのでしょう。

[758] 成立公布施行ということで、 今回は夏時刻開始予定のまで1ヶ月の余裕がありました。


[623] には、 政令第百九号 夏時刻終了の際における労働基準法の特例に関する政令を廃止する政令が制定され、 夏時刻終了の際における労働基準法の特例に関する政令廃止されました >>611。この政令頃から用意されていたようです >>615


[172] 古在由秀からの伝聞であるとする文書は、 文部省から東京天文台に送られた夏時刻の正式な中止の通達によると、 夏時刻の開始と終了の時期、 九州では児童登校日の出前になり、 文部省通達に違反しているということが国政で問題となり、 夏時刻を中止することとなった、 としていました。 >>1812 古在由秀は当時東京天文台職員で、後に東京天文台長も務めた人物でした。

[173] この文書はこれが唯一の中止理由としていますが、伝聞かつ当該通達文を示していませんから、 どれだけ正確かは不明です。文部省からの文書ということで、 文部省としての重大関心事項を述べただけに過ぎなかったかもしれません。 夏時刻制度は様々な点で破綻に至っており、これが唯一の理由だったとするのは難しい >>1813
[153] 朝日新聞記事総覧: 昭和戦後編 - Google ブックス () https://books.google.co.jp/books?id=o-AvAQAAIAAJ&q=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC+%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0&dq=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC

サンマー・タイム取止め自由党今国会に法案

提出: ...

[1812] つれづれ ― プレイバック戦後一時期実施されたサマータイム廃止の事情 (2008.07.08 Tue 11:28 ) http://titoh44.blog29.fc2.com/blog-entry-835.html

お送り戴いたメール文をそのまま紹介します。

ぐんま天文台長の古在由秀さんより、以下のような情報がありました。

(1)終戦直後のサマータイムは、その末期、一般の一部が現在誤解しているように、「立ち消え」になったのではなく、正式な中止通達が、東京天文台へは彼らの上層部である当時の文部省からきちんとした形で流されていた。

(2)その正式文書では理由づけはたった一つだけであり、確かに世間一般の目を引く派手な内容ではなかった。

(3)すなわちそれは九州の寒村の、児童の通学時間の長い学校の関係者より、「サマータイムのシーズンの最初と最後の期間が、『児童へ、日の出以前に登校の為の出宅を強いるような時刻設定を禁止する』文部省の通達に違反しているにもかかわらず、サマータイムの実施で、九州ではしばしばそのような状態になってしまっている。」という苦情があり、国政レベルでそれが取り上げられたという内容であった。

(塵星)

衆議院 では第 13 回国会に「夏時刻法を廃止する法律 案」が、当時の自由、改進、共産の3党から 同時に個別に提出された。これは敗戦直後の 占領下において、占領軍の習慣に合わせて実 施を強制されていた夏時刻の制度を、独立回 復後に早々に廃止することにしたものである が、全く同一内容、同一字句の3案は、衆議 院でともに労働委員会に付託された。そこで 自由、改進の両党案は併合修正されて(併合 しただけで字句の変更はなし)一案となって 成立し、共産党案は議決不要として処理され た。

琉球の夏時刻制

[93] 琉球の日時一般については南西諸島の日時

[43] 米国支配下の琉球では、夏時刻 (夏季時刻夏季時間日光節約時間夏期時間サンマタイム) が実施されました。

[250] この時期、米国南西諸島日本から切り離し、 自国領土同然に扱おうとしていました。 鹿児島県奄美諸島吐噶喇列島下七島北部琉球と命名し、 沖縄県と合わせて琉球列島と呼んでいました。 鹿児島側の人々はこれに反発し北部琉球北部南西諸島と訳しました。 鹿児島側はその後奄美群島に改称されました。 以後本章で奄美とは鹿児島側地域を指します。

[302] 当時の琉球列島は、 日本政府の統治権が及ばず、 日本本土の新しい法令は適用されませんでした。 しかも4つの地域に分割され、 それぞれ別個の行政府により分断統治されていました。 夏時刻も、 本土の夏時刻法は適用されず、 各地域それぞれ、 しかも恒久法ではない単発の法令で施行されました。

y
西暦年
jy
元号年 (日本本土)
s
開始
e
終了
日本s
日本本土 夏開始
日本w
日本本土 冬開始
南鮮s
大韓民国 夏開始
南鮮w
大韓民国 冬開始
y
1948
jy
昭和23年
s
>>230, 奄美 >>1211, >>289, 八重山 >>44, >>98, 奄美 >>234
e
奄美 >>1211, >>289, >>232, 八重山 >>44, >>98, 奄美 >>236, 沖縄 >>240, >>241
日本s
日本w
南鮮s
南鮮w
y
1949
jy
昭和24年
日本s
日本w
南鮮s
南鮮w
y
1950
jy
昭和25年
s
>>231, 八重山 >>100, 奄美 >>1211, >>289, 八重山 >>44
e
>>195, 八重山 >>101, 奄美 >>1211, >>289, 八重山 >>44
日本s
日本w
南鮮s
南鮮w
y
1951
jy
昭和26年
s
奄美 >>289, 実施あり 沖縄 >>242, 奄美 >>2098
e
奄美 >>289
日本s
日本w
南鮮s
南鮮w

[197] 時期に微妙な違いがありますが、誤りなのか実際地域により異なったのか不明です。 また終了日だけが示され時刻が示されていない場合、夏時刻最終日を表すのか冬時刻開始日を表すのか不明です。

[239] 1946年1947年に実施されたのかは不明です。 周辺諸地域で実施例がなく、実施されなかったと考えるのが自然です。


[968] 八重山民政府告示第30号は、 このより時刻を1時間進めることとしました >>965。 これは南部琉球軍政府マクラム軍政官から、 軍政府に1時間進めた、 との通知があったことによるものでした >>965民政府からの通知文は付になっており、 軍政府が急遽実施したものが住民に知れ渡るまで数日の時間差があったのかもしれません。

[970] 八重山民政府告示第51号は、 をもって標準時に復帰するとの南部琉球軍政府からの通知を周知するものでした >>969。15日に告示されても既に過ぎてしまっているわけですが、 米国南部琉球軍政府からの通知文の日付も13日になっています。

[966] 20世紀末にまとめられたと思われる石垣市年表は、 から まで夏季時刻 (サマータイム) が用いられたとしていました >>44

[291] 21世紀初頭の書籍によると、 奄美では から まで夏時刻が実施されました。 >>289


[238] 1949年、1950年の臨時北部南西諸島政庁や1948年-1950年の沖縄民政府の公報には (すべて調べられたわけではありませんが) 同様の文書は見当たりません。 実施されなかったのか、公報に掲載されなかったのかは不明です。

[303] 1949年については、 南西諸島のどの地域でも、 夏時刻が実施されたと確定できる資料が見当たりません。 一方で実施されなかったとする証拠も見つかっていません。 この年も日本本土大韓民国では夏時刻が実施されていました。 南西諸島でも実施されたのか、 それとも何らかの理由で実施されなかったのか、 はっきりしません。

[304] 奄美の当時の政治や社会の様子を網羅的にまとめた書籍 >>289 は、奄美では少なくても3回 (= この年以外) 夏時刻が実施されたとしていました。 出典は明記されていませんが、当時の新聞などの資料を調査した結果とみられます。 「少なくとも3回」 >>289 とある通り、 記録が見つかっていない夏時刻が実施された可能性を著者も否定はしていません。 1年だけ、しかも南西諸島だけ、 夏時刻が実施されなかったというのは不審です。 一方で、実施されたのに痕跡がまったく残っていないとしても不審です。


[972] 米国八重山軍政府は、 より標準時に復帰することを指示しました >>971。 相変わらず当日になってからの通知ですし、 月曜日であり、世界的な慣例 (土曜日深夜・日曜日早朝) からずれているのですが、週が開けてから慌てて復帰したということでしょうか。

[967] 20世紀末にまとめられたと思われる石垣市年表は、 から まで夏季時刻 (サマータイム) が用いられたとしていました >>44。 開始日が他の資料と大きく異なっており、 の誤りでしょうか。

[292] 21世紀初頭の書籍によると、 奄美では から まで夏時刻が実施されました。 夏時刻を詠み込んだ和歌が伝わっています。 >>289


[293] 21世紀初頭の書籍によると、 奄美では から まで夏時刻が実施されました。 >>289


[237] 日本本土の実施時期とは、ずれがあります。 初回1948年の実施時期は南朝鮮と一致します ( 朝鮮半島の標準時 )。 東京米軍極東軍司令部夏時間に移行したのを受けて、 周辺地域も1ヶ月遅れで追随したのでしょうか。

[229] 昭和のサンマータイム時代はまだ日本本土琉球との民間貿易が認められなかったため、 日本本土琉球の住民が相互に行き来することは (密貿易を除き) ほとんどなかったと思われ、 夏時刻切り替え期に一時的に時差が生じたとしても、 大きな問題にはならなかったのかもしれません。 日本国会夏時刻法案の審議でも、 琉球との関係は全く話題にならなかったようです。

[583] 日本参議院の審議では、議員が 「今日日本は鹿兒島の奄美大島を含めまして、約北緯三十度、北は北緯四十五度でありますから」 と発言しており、政府委員も特に訂正していません >>582。 この当時奄美諸島には日本政府施政権が及んでいなかったはずですが、 何を意味しているのかはよくわかりません。

[294] 当時の沖縄奄美の住民が夏時刻をどう考えていたのか、 実態を伝える資料や証言はほとんど見つかっていません。

[249] 中央標準時でも既に30分程度の通年夏時刻に相当している南西諸島の住民にとって、 日本本土以上にサンマータイムは不都合も多かったと推測されますが、 その実態は解明されていません。

[298] 日本本土でも GHQ の厳しい検閲が実施され、 夏時刻に対する不満はほとんど報道されませんでした。 (本土の項参照。) 米軍の直接統治下にあった南西諸島の住民は、 より厳しい状況に置かれていたとみられます。

[301] 奄美大島では、 報時のためのサイレンが1日数回鳴らされていました。 試行錯誤があったようで、 鳴らされる回数は頻繁に変更されていました。 夏時刻実施に伴う変更とされるものもありました。 >>289


[219] 日本本土夏時刻廃止した 1952年以後、 琉球でも同様に中止されたのかどうかも、 不明です。 日本琉球時差への言及がほとんど見つからないことから、 独自で実施した可能性は低いとは思われます。

[689] 琉球での夏時刻実施には、統治者である米国 (米軍) の意思が強く働いていたものと推測されます。 日本本土大韓民国も、1952年以後夏時刻は実施していません。 1954年大韓民国の標準時改正には米軍は反対しています。 つまりこの時期の米軍は同一の時刻を用いることに重大な関心を持っていたと思われますから、 琉球のみで夏時刻を継続したとは考えにくいでしょう。


[92] 日本本土と同じく奄美沖縄県でも、 サンマータイム実施は徐々に人々の記憶から消えていっているようです。 過去のサンマータイムのことが話題になることはあまりありません。 さらに、日本の過去のサンマータイムを紹介する場合であっても、 琉球サンマータイムにまで言及される例は本ウィキ以外では見たことがありません。

[299] 奄美夏時刻については、 当時の奄美の政治や社会の情勢を総合的に整理した書籍が 21世紀に入ってから出版され >>289夏時刻が実施された期間が掲載されました。 他に、 奄美の歴史を扱った本の年表部に夏時刻の開始や終了の日を示したものがありました (図書館で見ましたが、書名は忘れました) が、 その書籍 >>289 よりも情報が不十分なものでした。

[300] 沖縄のこの時代について扱った本は奄美より遥かに多いのですが、 どうにも戦闘や復帰運動や米軍基地が話題の中心になりがちで、 人々の生活実態に関するものは多くありません。 夏時刻に言及したものはまだ見たことがありません。 (沖縄県史や市町村史になら書いてありそうなものですが、 図書館の開架にあるものをいくつか拾って覗いてみても、 見つかりません。 市町村レベルだと、 当時の新聞記事の集成の巻があっても、 当該市町村に直接関係しない記事は (不採録記事リストにすら) 載っていなかったりするようです。 夏時刻は地域全体に適用され、 当該市町村に特に指定されるものではないので、 対象から漏れてしまうようです。)

[226] 計算機ソフトウェアなどで過去の日時を取り扱う場合、 日本本土サンマータイムは (切り替え前後の扱いなど何かしら問題はあったとしても) それなりに扱えることが多いですが、 琉球サンマータイムを扱えるものは見たことがありません。


[305] 昭和時代末期、米軍基地では「サマータイム」が実施されました。 夏時刻制度でなく、夏季業務時間制度とみられます。 南西諸島の日時

[234] 公報 一九四八年六月十五日 第三十七號 臨時北部南西諸島政廳 - 政廳 特別告示 >>233

▲特別告示第二號

軍政府長官の指令に依り日光節約時間の件(北部南西諸島軍政府指令一九四八年第六號)を次のように告示する

一九四八年六月一日

臨時北部南西諸島

知事 中江實孝

北部南西諸島軍政府指令

一九四八年第六號

日光節約時間の件

北部南西諸島に日光節約時間制(夏期時間制)を實施するため、 一九四八年六月一日午前零時を期し、本諸島に於ける一切の時間を一時間進める様指令す

一九四八年六月一日

北部南西諸島軍政府長官

砲兵中佐

ヘンリ・ビ・ジョセフ

[236] 公報 一九四八年九月十五日 第四十五號 臨時北部南西諸島政廳 - 政廳 特別告示 >>235

特別告示第四號

北部南西諸島軍政府長官の指令に依り日光節約時間の件(北部南西諸島軍政府指令一九四八年第八號)を次のように告示する。

一九四八年九月八日

臨時北部南西諸島

知事 中江實孝

北部南西諸島軍政府指令一九四八年第八號日光節約時間(サンマタイム)制の件

一九四八年九月十二日午前零時を期し、北部南西諸島軍政府指令一九四八年第六號はこれを廢止し、 本諸島内の一切の時計を一時間遅らせる。

一九四八年九月八日

北部南西諸島軍政府長官

歩兵大佐 ヒユー・デイ・アデア

[240] 沖縄民政府 608_部長会議 1948年9月10日 ( 版) http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/gikaikaigiroku/html/608_%E9%83%A8%E9%95%B7%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E3%80%801948%E5%B9%B49%E6%9C%8810%E6%97%A5.html

サンマータイムは来る十三日(月)より解除元通りになる。

[241] 609_軍民連絡会議 1948年9月10日 ( 版) http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/gikaikaigiroku/html/609_%E8%BB%8D%E6%B0%91%E9%80%A3%E7%B5%A1%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E3%80%801948%E5%B9%B49%E6%9C%8810%E6%97%A5.html

◎サンマータイムの切りかへは来る十三日(月)午前〇時から。

[242] 第9回沖縄群島議会(臨時会)第二部委員会議事録 1951年7月30日 ( 版) http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/gikaikaigiroku/html/08_%E7%AC%AC9%E5%9B%9E%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%BE%A4%E5%B3%B6%E8%AD%B0%E4%BC%9A%EF%BC%88%E8%87%A8%E6%99%82%E4%BC%9A%EF%BC%89%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E9%83%A8%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%BA%8B%E9%8C%B2%201951%E5%B9%B47%E6%9C%8830%E6%97%A5.html

○新里銀三君 第五条の興行時間は十一時限とあるがサンマータイムの十一時では興行に支障ありませんか。事実田舎等では午前の一時頃までやっているようですが、何んとか出来ませんか。

[1211] 全記録分離期・軍政下時代の奄美復帰運動、文化運動 - 間弘志 - Google ブックス (2003, ) https://books.google.co.jp/books?id=cEQzTBes-ssC&pg=PA334&lpg=PA334

1948 (昭和23年)

6月1日-9月11日 サマータイム実施

1950 (昭和25年)

5月7日-9月9日 サマータイム実施

[74] うるま新報, 第 3 巻 (不二出版, ) https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=27syAQAAIAAJ

来る六月二十 六日(月雄)予前拾時(サンマータイム)常事務所に於てセメントブロックの入札があります から武希望の方(企業免許を得たる者に限る)は基の時間逸に入札して下さい

左記により本日護告別式を行いますので謹告申 上げます時闇(サンマータイム)正午よッ一略まで於松川七班自宅五時より六騎まで

第3巻: 第289号〜第441号 '50年1月〜6月
[97] うるま新報, 第 6 巻 (不二出版, ) https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=vcEyAQAAIAAJ

349 ページ

... 島田知事以下機寝神爆懸殿員層露祭は像て六月二十日、執行する処六月二十五日 、執行する事になりました A ら右御了承の上御参列kmいます一、日時及場所費一時騎 斧いて二シ合場所郡観、首属附近及中部北部地区より御出の方は賞日サンマータイム

 ...

第6巻: 第622号〜第866号 '51年1月〜9月
[98] 行政記録 () http://www2.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/gyoseikiroku/html2/00978.html

1948/06/01

【八重山の部】夏季時刻使用。

[99] 行政記録 () http://www2.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/gyoseikiroku/html2/00991.html

1948/09/12

【八重山の部】夏季時間使用終る。 足祭り開催。

[100] 行政記録 () http://www2.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/gyoseikiroku/html2/01085.html

1950/05/06

【八重山の部】夏季時刻使用。

[101] 行政記録 () http://www2.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/gyoseikiroku/html2/01096.html

1950/09/08

【八重山の部】夏季時刻使用終了。

[44] 八重山近・現代史年表 昭和20年8月15日~昭和47年5月14日まで (石垣市教育委員会市史編集課, 版) http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/100000/100500/Timeline/timeline-page/timeline-21.html

昭和23年(1948)

6月01日 夏季時刻(サマータイム)使用(~9月12日まで)

昭和25年(1950)

5月16日 夏季時刻(サマータイム)使用(~9月9日まで)

[2098] 全記録分離期・軍政下時代の奄美復帰運動、文化運動 - 間弘志 - Google ブックス () https://books.google.co.jp/books?id=cEQzTBes-ssC&pg=PA327&lpg=PA327

48年には時報サイレンが鳴るようになる。この年はサマータイムを実施。50年4月からは朝5時から夜の10時の5回。51年2月、それまで中止していた吹鳴が復活する。この年もサマータイム実施。7月からはサマータイム実施のために吹鳴時間を朝の5時から7時に変更している。

[289] 全記録分離期・軍政下時代の奄美復帰運動、文化運動

p.8 (ページ表記なし、巻頭写真ページ)

奄美タイムス(号外)

1953年12月24日(木曜)

〝復帰〟四時間後に迫る

今夕返還協定調印

pp.142-145

1949(昭和24年)

12月31日付沖縄タイムス 「新か旧か戸惑うお正月」 婦人連合会長「新暦に統一したいという意見はあるがまだ実現しないのでまちまち」

1950(昭和25年)

1月1日付沖縄タイムス 「旧正月について」 「わづかに新年をやるのは都市や官公街に勤めている人々の家庭」 「行政的に一定にまとめる必要はないものかどうか」

1951(昭和26年)

11月4日付琉球新報 「正月は新暦で」

p.327

(2) 生活

①音またはサイレン 定時になると名瀬の町にサイレンが響く。役場屋上の報知用サイレンが鳴る。 46年2月は午前6、8時、正午、午後1、5、9時の6回。 47年4月からは6時が朝の5時と1時間早くなっている。 冬にはまた6時に戻る。 48年には時報サイレンが鳴るようになる。 この年はサマータイムを実施。 50年4月からは朝5時から夜10時の5回。 51年2月、それまで中止していた吹鳴が復活する。 この年もサマータイム実施。 7月からはサマータイム実施のために吹鳴時間を朝の5時から7時に変更している。 52年4月には、また朝5時から10時までの6回。 この時期、朝の5時から夜の10時まで、 6回サイレンの音が鳴っていた。 町に時を告げ、 時を刻んでいた。 復帰前から広告宣伝会社や映画館の騒音に悩む市民は少なくなかった。 復帰後に名瀬に住んだ島尾敏雄は騒音への苦情を雑誌に書いている。 58年におがみ山山頂にコンクリートのグランドピアノが建った。 平和のサイレンと時の市長が呼んだミュージックサイレンは朝の6時、正午、夕方5時と晩の9時の4回、 メロディーを奏で、市民に時を告げる。 もっともその後の故障続きで、苦情が出て、 撤去されたのだが。

②サマータイム 米軍政下にサマータイムは少なくとも3回実施されている、 1回目は48年6月1日から9月11日の103日間。 2回目は50年5月7日から9月9日の126日間。 「傘ささずサンマータイムに急ぐ子のかばん重げの姿消えたり」 (高岡雪江)、 「戸をもれてしらみゆく空を仰ぎつつ朝はせかるるサンマータイム」 (村中一枝) と短歌にも詠まれた。 3回目は51年5月6日から9月8日の126日間。

p.331

46年5月に大島の祝祭日を決定した。

51年1月から年齢を満で数えることになる。

pp.333-342 (抜粋)

1946(昭和21年)

2月8日 サイレン吹鳴 (午前6、8時、正午、午後1、5、9時の6回)

5月27日 大島の祝祭日決定

1947(昭和22年)

4月1日

サイレン吹鳴 (午前5、7時、正午、午後1、5、9時の6回)

12月1日 サイレン吹鳴 (午前6、8時、正午、午後1、4、9時の6回)

1948(昭和23年)

6月1日-9月11日 サマータイム実施

この年 時報サイレン吹鳴 (それまでは役場屋上の報知用サイレン)

1949(昭和24年)

11月2日 サイレン吹鳴 (午前6、8時、正午、午後1、4、9時の6回)

1950(昭和25年)

4月1日 サイレン吹鳴 (午前5、7時、正午、午後5、10時の5回)

5月7日-9月9日 サマータイム実施

「傘ささずサンマータイムに急ぐ子のかばん重げの姿消えたり」 高岡雪江

「戸をもれてしらみゆく空を仰ぎつつ朝はせかるるサンマータイム」 村中一枝

8月16日 サイレン吹鳴 (午前6時、正午、午後5、10時の4回)

1951(昭和26年)

1月1日 年齢を満で数えることになる

2月13日 しばらく止めていたサイレン吹鳴復活 (午前8時、午後1時の2回)

4月1日 サイレン吹鳴 (午前5、7時、正午、午後1、5、10時の6回)

5月6日-9月8日 サマータイム実施

7月1日 サイレン吹鳴 (午前7、8時、正午、午後1、5、10時の6回。 サマータイムによる変更)

1952(昭和27年)

4月20日 時報 (サイレン吹鳴、午前5、7時、正午、午後1、5、10時の6回)

1953(昭和28年)

6月10日付南海日日 「待つな待たすな皆の時間」時の記念日標語

7月15日付南海日日 よみがえる六月灯今年から盛大に

7月29日 六月灯

運用

[1039] 初年の夏時刻開始直後には、 「銀座の服部時計店の大時計が正午をすぎるまで古い時間でカネをならし見上げる銀ブラたちを戸惑わせていた」 >>1203, >>429 など時間の違いに戸惑う人々が見られた >>1203 ようです。

[166] 国民はすぐに夏時刻に慣れることはできず、 「夏時刻の○時だから標準時だと○時」 といったような思考から抜け出せない人もいたようです >>352。 予定の時刻に遅れてくる人も少なくなかったようです >>1635

[77] 祭事など野外の活動の時刻は従来のものと変更が必要になったりもしたようです >>2096

[178] 両国花火は明るいうちに打ち上げられました >>2000

[222] 夏季時間 (サンマー・タイム) を実施 來月一日から九月一杯, 讀賣新聞 朝刊 2ページ

夏季時間 (サンマー・タイム) を実施

來月一日から九月一杯

政府は九日の (かく) 議で今夏サンマー ・タイムを (さい) 用することに決定、 実施要領はさらに十三日の (かく) 議に はかつたうえ國会の承認を得て実 施するが、サンマー・タイム実施 () 間は五月一日から九月一ぱいの 予定で、 () 通時間との切換え方法 は実施日の午前 (れい) 時をサンマー・ タイムの午前一時に繰上げるほか ヨーロッパのサンマー・タイム実 施國と時間をあわせるために船橋 の送信所から十一時と廿一時に國 際報時を行う

この実施によつても出勤時間面 には変更はないが本質的には一 時間早まるわけで、問題は列車 ダイヤをどう改正するかにある が、運輸当局では時間を一時間 繰上げるとすればその際のうつ り変りのダイヤだけを一部修正 すればよいので実施前夜は十八 時ごろからの出発列車をその日 だけ一時間繰上げて発射させ、 実施当日は一時間の延着扱いと し翌日からは普通ダイヤの運轉 にもどす方法が考究されている なおサンマー・タイム実施によ る石炭、電力など光熱資源も相 当の節約が出來るものと期待さ れている

サンマー・タイムとは

夏の 季節 を日光にしたしみ、われらの社会 生活を能率的ならしめようとする 〝 夏季時間〟はすでにイギリスをは じめ北欧の諸國では一九三二年か ら國家的に採用し経済的にもかな りの成果をあげている、サンマー・ タイムは正確にはデーライト・セ ービング・タイム(日光節約時間) といゝ太陽の照射時間の長い六月 のはじめから九月末までの四ヶ月 の間を巧みに時計の針を一時間繰 り上ることによつて工場の銀行の 会社の商店の窓口を高度に能率化 して行くというのがねらいだ、本 社でも昨年六月このサンマー・タ イムの可否を世論に問うた結果可 五四・三パーセント、否三七・〇 パーセント、中間八・七パーセン トの結論を得ている

[352] サンマタイム: オラ ケタル ( 版) http://hida.cocolog-tnc.com/fuji/2005/08/post_27a2.html

我輩幼少のみぎり、これを体験した。

あれは、小学校の夏に入ったとき、校長先生が全校生徒を集めて(といっても小中学校生合わせて200人弱)「明日からサンマータイムになります。今晩は寝る前に時計を1時間早くしておいてください」

純真無垢な小学生は、言われた通り時計を1時間早くして寝た。その前に姉がやはり早くしたのを知らず。おかげで、当家は前日にくらべて、2時間も早くサンマータイムに入り、誰もこない朝のラヂオ体操に出かけていた。

この文を書くにあたり、調べてみた所サンマータイムは昭和23年から5年続いたとある。たぶんGHQ(占領軍)あたりからの指示だったのだろう。よく「普通の時間にすると、、、、、」なんて言葉を聞いたことがあるから、完全に定着したものではなかったものと見受けられる。

[354] 昭和毎日:昭和23年5月2日 日本でも導入された「サンマータイム」 - 毎日jp(毎日新聞) ( 版) http://showa.mainichi.jp/comeback/2008/05/post-08d7.html

「サンマータイム」が導入された1948年5月2日付毎日新聞の記事は以下のとおり

目が覚めたら夏時刻 時計の針は進めましたか

今日(二日)からいよいよ夏時刻、時計の針は進めましたか……

今朝の日の出は五時四十九分、日の入りは七時廿八分--これになれるまでは太陽の高さで時刻をはかると錯覚を起こすことがあります、國鉄以下各私鉄も(二日の長距離列車の一部を除く)きようからいままでのダイヤをそのまま夏時刻にあてはめ、ラジオのプロは朝九時五分から十五分までの気象通報が九時五十分から十時までとなり、九時半から十時までの邦楽の時間がぬけるほかは変りはない、ここで例外は天文台、気象台や学術関係の精密な記録には従来のグリニッチ標準時や日本標準時が使われる、気象台の船舶向け無線気象通報は従来の通りグリニッチ標準時が使用されるので漁船などの夏時刻ではいままでの時間より一時間遅れてキャッチしなければならない、九日の礼文島の金環食も標準時で観測されるので一般の時計では一時間遅れになるわけだ。

[355] 広田せい子の ESSAY 幸せのエッセンス 日本にもあった幻の「サンマータイム」 (hirotaseiko 著, 版) http://hirotaseiko.blog105.fc2.com/blog-entry-1406.html

「小学生の頃はサンマータイムといって、土曜、日曜は学校が休みだったのよね。

その代わり、土曜日記を書くのが宿題だったけど、私はいつもさぼっていたから大変よ。

月曜日の朝に大急ぎで書いったっけ・・・・」、

私の言葉にうなづいたのは、18年生まれのすぐ下の妹だけで、20年と22年生まれの妹たちは、

まるで知らないという。

1941年生まれの私は、ちょうど小学1年生の頃からサンマータイムを経験していたことになる。

だとすれば私と同い年の人は、皆覚えているはずなのに、ほとんど誰も知らないのは、どうしてなのだろう。

[356] 夏時間 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E6%99%82%E9%96%93#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.82.B5.E3.83.9E.E3.83.BC.E3.82.BF.E3.82.A4.E3.83.A0

1948年(昭和23年)4月28日に公布された夏時刻法に基づいて、同年5月から毎年(ただし、1949年(昭和24年)のみ4月の)第1土曜日24時(= 日曜日1時)から9月第2土曜日25時(= 日曜日0時)までの夏時間を実施していた(詳しくは夏時刻法を参照)。

[357] 夏時刻法 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E6%99%82%E5%88%BB%E6%B3%95

実施期間を正確に記すと、条文のとおり、5月の(ただし、1949年のみ4月の)第1土曜日24時(=日曜日1時)から9月第2土曜日25時(=日曜日0時)までである。

[513] <あのころ>明日から元に戻ります サマータイム1年目が終了 - 共同通信 47NEWS () http://this.kiji.is/147477022399956469?c=110564226228225532

1948(昭和23)年9月11日、戦後に初めて実施された1年目のサマータイムがこの日で終了した。時計の針を1時間進めて生活していたが、学校で「今夜の12時から元に戻ります」と児童たちは教えられた。連合国軍総司令部(GHQ)の指導により、夏時刻法に基づいてこの年から4年間だけ全国で実施された。

教室の写真あり、時計の針を動かす人、黒板には

さんまーたい

こんやの十二時

からもとへもど

(下部は見えない。)

[584] 竹林乃方丈庵 サンマタイム (竹林泉水著, ) http://tikurinnnohoujyoann.blog.fc2.com/blog-entry-2656.html

家を整理していて、70年程前の綴りがでてきた、それはわたしの母の婚儀諸綴であるが、それをりを見ていると、サンマタイム實施に付御通知と書かれた資料に目がとまった。そこには、「サンマタイム實施により1時間繰り下げる・・・・」と書かれていた。

サンマタイムは節分でもないのに、サンマを食べる時間?と思ったが、よく読んでいくとGHQの指令で昭和23年5月2日に実施されたサマータイムのことで、5月2日から導入されることになっていた。結婚式は5月15日だったので、前に連絡した時間を1時間繰り下げて実施するとの緊急の連絡文書でしす。

[312] 時差について - Goo知恵袋 () http://otasuke.goo-net.com/qa493096.html

サマータイムも戦後のGHQの力によって実施されましたが、東西に長い日本では非現実的な生活リズムとなってしまう地域がある為に、問題となり数年で廃止された経緯があるので、おそらく今後も実施はされないでしょう。

[666] サマータイム(サマータイム)とは - コトバンク (ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,知恵蔵,朝日新聞掲載「キーワード」,デジタル大辞泉,百科事典マイペディア,人事労務用語辞典,ワイジェイFX用語集,デジタル大辞泉プラス,大辞林 第三版,日本大百科全書(ニッポニカ),世界大百科事典内言及著, ) https://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0-69722

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サマータイム

日本では 1948年5月の第1土曜日を 23時で打切って翌日曜日の午前0時とし,9月の第2土曜日を 25時までとして実施され,以来毎年行われたが,不評のため 52年に廃止された。

[585] Web東京荏原都市物語資料館:下北沢X物語(429)~代田が匂う斎藤茂吉の短歌~ - livedoor Blog(ブログ) () http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/50235493.html

齋藤茂吉の代田への居住は昭和二十二年十一月四日からである。そして、昭和二十五年十一月三日十四日、新宿区大京町二二の新居に移った。

いつしかもサンマ・タイムになりゐたる代田の森空のありあけの月

[403] <あのころ>サマータイムを実施 時計を1時間進める - 共同通信 47NEWS (2017/4/3 08:00 ()) https://this.kiji.is/221404019779207173?c=110564226228225532

1949(昭和24)年4月3日、GHQの指導で前年からスタートしていた夏時間がこの年も始まった。

[404] >>403 時計店?で時計を進めるセレモニー?の写真あり。

[1033] <あのころ>サマータイムを実施 時計を1時間進める|BIGLOBEニュース (2018/4/3 08:00 ©一般社団法人共同通信社 ) https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0403/kyo_180403_5792635912.html

同内容の記事。共同通信は毎年これを配信しているのだろうか。

[754] 椴法華村史 第三編 椴法華発達史(明治元年から昭和30年まで) 第四章 昭和時代(戦後) 第一節 日本の再出発 二 椴法華村の再建 昭和二十三年 ( ()) https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/0120205100/0120205100100070?hid=ht031050&word=

椴法華村でもこの時実施され、いつも早起きの漁師達はあまり影響されなかったが、月給取りと称される役場職員・先生・郵便局員等は、実質的に一時間勤務時間が延長されたような感じであったと云われている。

[1127] 風化させぬ強い思い きょう福井地震70年 :福井発:日刊県民福井から:中日新聞(CHUNICHI Web) () http://www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/kenmin-news/CK2018062802000218.html

午後四時十三分(当時サマータイム同五時十三分)、マグニチュード(M)7・1の直下型地震が嶺北地方を襲い、倒壊家屋は三万四千棟を超えた。

[2096] 桟敷席券の販売が行われました & 博多町家ふるさと館で「博多祇園山笠展」が始まりました | 山笠ニュース | 山笠ナビ (HU-Connect. / http://www.hu-connect.co.jp/著, ) http://www.hakata-yamakasa.net/yamakasanews/2018/06/26/sajikiken2018/

昭和27年の「博多祇園山笠今昔物語」にはサマータイム(表記はサンマータイム)が実施されていた時代の櫛田入りの時間が5:59になっていたりと、大変興味深い資料が展示されています。

[1635] 桂米丸や杉下茂ら、70年前に体験したサマータイムへの反発│NEWSポストセブン (2018.08.20 11:00 ) https://www.news-postseven.com/archives/20180820_742723.html

93歳になった落語芸術協会の最高顧問、4代目・桂米丸師匠が、約70年前の“苦い記憶”を振り返る。

「前にサマータイムが導入されたのは、ちょうど私が師匠・古今亭今輔の前名である桂米丸を襲名した頃でした。“社会全体が能率的になる”という話でしたが、寄席では厄介なことが起きましたよ。始まる時間を勘違いして1時間遅れで会場に来てしまうお客さんが、大勢いたんです。そうしたお客さんたちから、“もう終わっちまうのか”と不満をいわれ、閉口しましたよ」

[1636] 桂米丸や杉下茂ら、70年前に体験したサマータイムへの反発│NEWSポストセブン (2018.08.20 11:00 ) https://www.news-postseven.com/archives/20180820_742723.html?PAGE=2

導入2年目の1949年に中日ドラゴンズに入団した元プロ野球選手の杉下茂氏(92)は、アスリートの立場から「サマータイムは暑さ対策にならない」と話す。

「当時のプロ野球は、デーゲームしかありませんでした。試合開始は午後3時。とりわけ名古屋はやたら気温が高くて、とにかく暑かった記憶しかない。試合の時間が1時間や2時間ズレたところで、選手にとってあまり変わりはなかったですよ」

交通機関

[171] 土曜日日曜日の間に切り替えを行うのは全世界的な慣習ですが、 日本本土においてこれを踏襲したのは、 「最初の日と最後の日の翌日の半日位は鉄道のダイヤに影響が残るので休日の日曜日ならその影響によつて起り得る混乱が最少限度ですむと考えたから」 でした >>2246

[346] 鉄道は、夏時刻実施中も通常ダイヤを(ずらした時間を使って)そのまま用いました。 ただし切替時の長距離列車は特別な扱いがなされたようです。 >>354

[347] 諸外国でも切替時に特別ダイヤを用意したり、1時間停車させたりしているようです。 夏時間時間帯の接続

[198] 初年開始時には、 最初の日に合わせ、前日の一部列車の運行が1時間繰り上げられました >>193

[190] >>189 より

  • [191] ついに国会で議決され本決定となった。
  • [192] 1日午前0時 (30日深夜) が切り替えだと一般には思われているが、 正しくは2日午前0時 (1日深夜) に1時間時計を進める。
  • [193] 国鉄その他交通機関は1日から2日にまたがる列車を2日の新時刻に間に合わせるため 1日のうちに1時間なり2時間なり繰り上げる。
  • [194] 官庁、会社、学校その他は1日は従来通り、 2日・3日は休日、 4日は従来と同じ8時出社でも実際は1時間早まる。
[509] 青いバス停 バスも「サンマータイム」? () http://contrapunctus.blog103.fc2.com/blog-entry-266.html

1948(昭和23)年9月12日付京都新聞山城版↓

京阪 バス ではサンマータイムが十二日からまた 元の標準時間に切り替えられたの で従前通りの時間運行に復した、

[1272] 朝日新聞 >>1271

七日午前零時に時計の針を一時間進めるのが正しいわけだが、一般家庭では今夜寝る前に一時間進めておくのが一番いゝ、国鉄列車のダイヤの一部が昨報のように六日夜から七日にかけて変るほかは今年はサンマー・タイムへの切換の影響はない

[1064] () http://www.kakioka-jma.go.jp/publ/journal_list/pdf_files/memoirs_of_KMO_29_01.pdf

列車時刻は日本中央標準時で表示したが,当時は夏時刻というものを使っていた関 係上,誤解を防ぐ意味で括弧内にこの時刻をも併記しておくこととした。

ラジオ放送

[345] 夏時刻実施当時は深夜ラジオ放送が行われておらず >>344夏時刻切り替えが放送中に行われたことはないようです。 標準時期間と夏時間期間とでは、番組の編成が一部異なっていたようです >>354, >>351

[95] 当時 NHKラジオ放送聴取者数千人を対象に調査を行いました。 の調査では、 の調査と比べて聴取率が全般的に低下しており、 サンマータイムの影響とされています。 夕方から19時半頃までの番組が特に聴取率が低下しており、 遅くまで野外にいるためラジオを聴取しなかった反面、 21時頃から22時頃はほとんど聴取率が低下していませんでした。 >>69

[96] の調査では、 聴取に都合の良い時間が次の通りとなりました。 >>69

平日・時刻
19:00 - 19:3079%
19:30 - 20:0047%83%
20:00 - 20:3067%77%
20:30 - 21:0074%70%
21:00 - 21:3073%
21:30 - 22:0063%
  • 早朝、夜間は平日と日曜日でほとんど変わらず
  • 7:30 - 18:30 は平日より日曜日が数%多い
    • 午後は10%以上多い
    • 12:00 - 13:00 は平日 37-39%、日曜日 57.8%
  • 夜間は男女差ほとんどなし
  • 8:00 - 16:00 は男子より女子が多少高い
  • 都市と町村
    • 早朝は町村が高い
    • 7:00 - 12:00 は都市が高い
    • 12:00 - 13:00 は町村が高い
    • 13:00 - 21:00 は都市が高い
    • 21:00 - 22:00 は町村が高い
    • 22:00 - は差がない
    • 夜間ピークが都市は 20:00 - 21:00、町村は 21:00 - 21:30
[71] ラジオ年鑑 - 日本放送協會 - Google ブックス (日本放送協會, ゆまに書房, 1951, ) https://books.google.co.jp/books?id=dRMVAQAAMAAJ

サンマー,タイムの冏題:ま,農村方面では夜閒唯一の 11 ^とし" 0 ^、る娯楽放聴けなレ、 からサンマ- ,タイムは廃止して欲し、、との要^ ^圧倒的に多かった。

[351] 昭和はじめて物語(02) サンマータイムの始 昭和23年: サンキyou広場 昭和世情史 ( 版) http://sejo-lab.sblo.jp/article/106596399.html

最後に「HNKで放送終了を一時間繰り下げたような愚は二度と繰り返さぬことだ」とあるのは、せっかくサマー・タイムを実施したのに、放送終了時間を実施前の時間に合わせてしまったのだろう。「愚」だな。

引用:『ものしり事典』(風俗篇上、下/日置昌一著/河出書房/昭和27年12月10日再販発行)

画像:朝日新聞/昭和23年9月2日朝刊

学術的分野

[1038] 日本政府中央気象台は「夏時間では」と注釈しながら解説していた >>1203, >>429 ものの、業務自体は一貫して中央標準時を用いており、 職員は2つの時刻を使う必要があって苦心していたようです >>1203。 気象台前で堀に向かって設置された大時計は夏時刻となっていました >>1203

[57] 日本政府東京天文台では、 計算に中央標準時が用いられ、その旨の注釈が付されていました。 >>2244

[58] その他全国の大学等の研究施設では、論文の記述を見る限り、 夏時刻を採用したものと一貫して中央標準時としたものが混在していました。 どちらの時刻か明記がなく現在となっては断定し難いものも少なくないと思われます。

[202] 当時の少年雑誌に掲載されていた日食時刻中央標準時で、 特に注記もありませんでした。 >>201 (出版スケジュールに間に合わなかったのかもしれません。)

[555] 防風檣の水温上昇效果 (農業気象 Vol. 7 (1951-1952) No. 3-4 P 140-142, ) https://www.jstage.jst.go.jp/article/agrmet1943/7/3-4/7_3-4_140/_article/-char/ja/

観測時刻は夏時刻施行中だが日本標準時に依つたことを附記する。

[556] Nara University of Education Academic Repository: 奈良公園を中心とした氣象状態の分布について(其一) () http://dspace.nara-edu.ac.jp/handle/10105/5184

時間はすべてサンマータイム。

[557] 後樂園スタヂアムの夜間照明について (照明学会雑誌 Vol. 35 (1951) No. 1 P 6-13, ) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jieij1917/35/1/35_1_6/_article/-char/ja/

時刻は何れもサマータイムである

[558] 揖斐川における塩分濃度の調査報告 (農業土木研究 Vol. 20 (1952-1953) No. 5 P 308-313, ) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsidre1929/20/5/20_5_308/_article/-char/ja/

但時間は夏時間

[559] 小地域における濕度・氣温分布と地上被覆(その1) (地理学評論 Vol. 24 (1951) No. 10 P 359-369, ) https://www.jstage.jst.go.jp/article/grj1925/24/10/24_10_359/_article/-char/ja/

時間はすべて夏時間で示した

[560] 那須温泉の化学的研究 (第9~10報) (第9報) 湯本温泉元湯の化学組成について (その7) 元湯の錫の含有量 (日本化學雜誌 Vol. 76 (1955) No. 8 P 833-836, ) https://www.jstage.jst.go.jp/article/nikkashi1948/76/8/76_8_833/_article/-char/ja/

9月8日 で夏時間が終ったが,9月8日 までは時刻は夏時間で 表わし,9月9日 以後は裡準時間で示した

[210] 奈良公園を中心とした気象状態の分布 について(其一) (1951年 6 月10日 受領、) http://dspace.nara-edu.ac.jp/bitstream/10105/5184/1/NUE1_3_253-259.pdf

時間はすべてサンマータイム。

[561] CiNii 論文 -  育成複二倍体作物とその両親作物との生理生態学的性質の差異に就いて〔第V報〕葉の同化, 呼吸並びに転移作用に就いて (1951) http://ci.nii.ac.jp/naid/110001736156/ja/

之等の測定時刻ぼ夏時刻ではない

[2181] 京都市に於けるサシチヨウバエの分布と生態 (篠田統 1951 ) https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/156686/1/btk00016_141.pdf

夏時間の21.00~22.30

時間はサンマータイム。

[76] 原因別に見た出火件數と氣象との關係に就て, 横井鎮男 (建設省建築研究所建設技官), 日本火災学会論文集, 1952年1巻2号 p. 36-37 () https://www.jstage.jst.go.jp/article/kasai/1/2/1_36/_article/-char/ja

火災發生の時刻別統計を第4表に掲げる。此表では 夏時刻も標準時と變らないものとして修正しなかつた。

第4表 各種原因火災發生の時刻別變化 (昭和22~25年統計)

[163] 「変わらないものとして」ということは、 本当に変わらないかは検証していないのか? (この論文からは検証したのかどうか、実際影響はあったのかどうか読み取れない。) せっかくの研究なのに、夏時刻実施期間が異なる複数年がまとめられているので、 データの価値が怪しくなっている。
[2244] 暦Wiki/時刻/夏時刻 - 国立天文台暦計算室 () https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/BBFEB9EF2FB2C6BBFEB9EF.html

4月の第1土曜日に次ぐ日曜日は、午前0時より1時までの1時間が消滅し、9月の第2土曜日の午後11時より、翌日曜日の午前0時までが2時間となります。

たとえば、昭和23年の場合、5月1日午後12時(中央標準時)=5月2日午前1時(夏時刻)となり、9月11日午後13時(夏時刻)=9月12日午前0時(中央標準時)となります。

なお、暦象年表では夏時刻はまったく用いられていません。

昭和25~27年の暦象年表には「本年表に記された時刻は、特にことわらぬ限り、すべて中央標準時で、夏時刻は本書では全然之を用いない。中央標準時を夏時刻に換算するには、前者に1hを加えればよい。」と注釈されています。

暦要項の前身である暦象事項抜粋にも、昭和26年・昭和27年には「以上の時刻は、すべて中央標準時である。」という注意書きが書かれています。

法的な分野

[167] 日本政府法務府は、 民事甲第2384号民事局長通達 戸籍の届出及び記載に関する夏時刻の表示方について により、戸籍における夏時刻の最終日の日付の表記方法 (>>169) を定め通達しました >>1502

[168] 本通達は3年目の昭和25年の終了時のもので、 従来の方法のようなものへの言及がなく、少なくても戸籍業務においては、 それまで国レベルで統一された方法が定められたことも問題とされたこともなかった可能性が高そうです。 厚生省との協議にも言及があり、厚生省でもそれまで明確に定めていなかったのでしょう。

[224] 現在の電子化された戸籍システムでどう扱われているかは不明ですが、 日時が文字列として保持されていると推測されています >>1502 コメント欄

[140] 夏時刻廃止後数年経った昭和33年判決には、 夏時刻実施中の時刻が記載されており、 サンマータイム (夏時刻) であるとの注記が添えられていました >>1586

[326] 関連: 戸籍の日時

[1502] 出生届と死亡届における夏時刻の表示方法 | yasuokaの日記 | スラド (yasuoka, 2018年08月16日 15時19分, ) https://srad.jp/~yasuoka/journal/623190/

『民事月報』のバックナンバーをあさっていたところ、第5巻第10号(昭和25年10月)p.56に「戸籍の届出及び記載に関する夏時刻の表示方について」(昭和25年9月7日民事甲第2384号民事局長通達)を見つけた。

夏時刻法(昭和二十三年法律第二十九号)第二條第二項の規定によつて、九月の第二土曜日は二十五時間をもつて一日とされているところ、同日の第二十五時間目中に発生した事件について戸籍の届出及び戸籍の記載に関する時刻の表示方につき疑義を生じている向があるようであるが、この表示は「午後十一時何分(夏時刻)」の振合によることに一定した(なお同日の第二十四時間目までの時刻の表示及び同日の第二十五時間目を終つたとき翌日の午前零時と表示することについては、他の日におけると同じである)。從つて、今後は出生及び死亡の各届出書に記載する事件の発生時分並びに死亡に関する戸籍記載上の時分はすべて前記の例によつて取り扱うよう貴管下各支局及び市区町村に対して徹底方取り計われるように通達する。

追つて本件については、厚生省とも連絡済みであり近く同省より、人口動態調査票の記載における夏時刻の表示について、本通達と同趣旨の指示がなされる筈である。

この通達に合わせて「人口動態調査票、人口動態調査票送付票、人口動態統計月報及び人口動態調査票送致目録作成手続」(昭和23年3月10日厚生省訓令第5号)も改正されたのだろう、と思ったのだが、私が調べた限りでは、こちらの訓令に「(夏時刻)」が現れたことは無いようだ。

国民の反応

[794] 夏時刻の廃止について、 現在では一般的に GHQ の意向で導入されたものが GHQ の撤兵に伴い撤廃することと説明されています。 また、朝鮮戦争と重なり労働強化につながったため、国民に不評だったとも言われています。 戦争によるインフラの荒廃で生じた電力不足の軽減に一定の効果が見られたものの、 復興が進んで昭和27年には電力事情が好転し >>599 その必要もなくなったことも廃止の一因のようです。

[109] 夏時刻法廃止国会審議は、議事録から読み取れる限り、 議論の余地もなく当然廃止されるべきものとして行われたようです。 4年間の夏時刻実施はそれほど自明な大失敗であったというべきでしょう。


[1676] 読売新聞社が実施した世論調査では、 賛成 54.3%、 反対 37.0%、 中間 8.7% でした >>222, >>1675。 実施前には国民も比較的好意的だったということになります。

[1688] 興味深いことに、後の21世紀の世論調査でも、 賛否は同じような比率で推移しています ( 日本の標準時 )。 これが夏時刻未体験の日本国民の「素」の反応ということなのでしょうか。

[144] 夏時刻の実施は開始直前に決定されました。 形式的には国会の議決を経ているとはいえ、 生活に深く関わる事項を広く国民に議論を喚起することなく一方的に押し付けることに反感を覚える人もいました >>129。実施後の国会でも、請願などの形で反対意見が度々取り上げられていましたが、 ほとんど顧みられませんでした。夏時刻の実施・継続は GHQ の圧力で確定事項となっていて、民主的手続きによる議論の余地が残されていなかったようです。

[137] 1年目の開始後と終了後、 照明学会の学会誌で産学の識者らが誌上討論会を実施しました。 ほとんどの論者が夏時刻に賛成で、 明るいうちに帰宅できて家族団欒できる、 仕事に使える時間が1時間延びて嬉しい、 などと大絶賛していました。 >>129, >>75

[143] 照明と夏時刻が関係の強い興味深いテーマであることは共通認識だったようですが、 議論の大部分が個人の体験と感想に留まっており、 学会誌の記事としては若干物足りない感じがあります。 (これはこれで当時の人々の貴重な生の声ではあるのですが...)

[1189] 1年目の終了間際の朝日新聞では、 各界の状況が次のようにまとめられていました >>1187

[500] 朝日新聞の「声」欄には 「太陽にはサンマータイムもなく、1時間早く地表に顔を出すので、 奥さん方がきっと主人につらく当たるようになるに違いない」 というような不満の声が掲載されていたようです >>429

[1236] 読売新聞には、 子供は外が明るいままなので遊び回り、 麻雀でなかなか帰ってこない、 出費もかさむという主婦の不満 >>1234 が掲載されました。余暇と消費の拡大という夏時刻のメリットを子供は享受し、 は負担だけ強いられるという構図があったようです。

[124] 鉄道など交通機関では、 夏時刻実施に伴う始業時刻の変化により通勤ラッシュが激化し、 大混乱をもたらしました。 一方で、 時間帯や路線によっては逆に通勤通学が楽になったという証言もありました。 (>>1189, >>1682, >>125)

[126] 夏時刻実施の目的の1つだった電力消費の削減には大きな効果があったとされていますが、 これも必ずしも順調だったわけではなかったようです。 初年の振り返りでは、 夕方に一時的に電力消費が落ち込むため調整に苦労したり、 夏時刻終了後も夏時刻気分が抜けないため晩の電力消費が増大し停電が発生したりという電力会社からの報告がありました。 (>>125)

[181] 昭和25年には、 夏時刻とまったく関係ない洗剤の便乗広告も見られました >>180。 当時の米国式制度・文化の流入の中で、 夏時刻による生活合理化に米国式洗剤による合理化を重ね合わせたものでした。 夏時刻によって生活が改善されるという主張がこの広告の想定読者には行き渡っていたのだろうということになりますし、 サンマータイムにまだ決定的に悪い印象がついていなかったということでもあります。

[141] 4年目には、夏時刻の廃止を求める声が特に大きくなっていました。 読売新聞は、4年間の実施の結論が一応出てきた、と評していました。 >>2090

[142] 夏時刻反対派は、 サラリーマンが夕方の時間を持て余し浪費していること、 主婦が寝不足に陥っていること、 電力節約も期待できないことを批判していました。 一方で存続派は、諸外国で実施されている制度であり、 日本人も生活を計画化し夏時刻を有効活用するべきだ、 と主張していました。 >>2090

[1235] 読売新聞世論調査では、 賛成 23.4%、反対 74.8%、わからない 1.8% でした >>1234, >>2090

[1115] 昭和26年夏時刻実施後の日本政府世論調査では、 賛成 30%、 反対 53% と過半数夏時刻制度の継続を望みませんでした >>740


[2208] これだけ国民に不評であり、国会議員も反対していたにも関わらず夏時刻が4年間も続けられ、 GHQ が撤兵する直前まで廃止できなかったのは、 電力事情に加え、 GHQ の強い意志があったのでしょう。

[2209] また当時は GHQ が厳しく検閲していた言論の自由のない時代でしたから、 新聞などでも夏時刻のデメリットが十分に報じられなかった、 反対できなかった >>1590 との指摘もあります。 にも関わらず二年目には既に新聞各紙が揃って夏時刻を非難する記事を掲載する >>68 など、国民の不満はとても抑えきれるものではなかったようです。

[129] 照明サロン: 夏時刻をめぐる誌上リレー座談會, 照明學會難誌 第32巻第2號, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jieij1917/32/2/32_2_42/_pdf/-char/ja
  • [130] 黒澤凉之助 (東芝照明課長・電氣)
    • 新聞で夏時刻実施を知った妻が悲鳴を上げた。
      • 夫が出勤するのは 6:30。準備のため起床は 5:30。実質 4:30。
      • 眠いのは早寝で慣れればいいかもしれないが。
      • 台所作業に電灯を点けるのでは、電力節約になるはずがない。
    • 1時間早く寝れば、夜間電灯分、電力節約になるかもしれない。
    • が、1時間早寝早起きでは、 仕事が1時間早く終わって1時間余った時間ができるという能書きは嘘になる。
    • 勤務先では夏季業務時間を採用。よそも大概そうらしい。 その方がいいのではないか。
    • くだらないことを閣議決定したと悪口を言う人もいる。
    • 国民生活に関わることを閣議だけで決めるのは民主的でない。
    • 鉄道やラジオで困るといわれたが、
      • すべて1時間ずらすのだから、移行のときだけだ。
      • 船や飛行機など天文・気象に関係すると難しいと反論された。
        • 特殊な業務の人達はやむを得ない。
    • 欧米でもやっているが、緯度が違うから事情が違う。
    • 古いものを慕うのが人情、早起きは苦痛だから特に。結果はやってみないとわからない。
  • [131] 笠原襄 (東芝照明課長代理・電氣)
    • 戦争中、遥か西方でも日本時間を使っていた。 自分の初めてのサマタイム体験だった。
      • 違和感があったのは数日だけだった。
    • 時計をずらすのが不自然だというのは固定観念に縛られている。
    • 夏の昼間はどうせ暑くて仕事にならない、 夏時刻16時はまだ暑くて満員電車で帰る気がしない、 ならば昼間に居眠りをして残業すれば、 残業代が得られて良さそう。
  • [132] 須田棟介 (運輸技官・電氣)
    • 遠距離通勤者として夏時刻に絶対反対。
    • 元々早起きしている。普段から4時起床。それが実質3時になる。
      • 家事をする者がまず悲鳴を上げる。
    • 退社が1時間早くなるというが、まだ標準時では早いからと寄り道してると一大事。
    • 暑い夏、蚤や蚊の中で簡単に寝られるのか。 普段21時で寝ているから21時 (標準時20時) にとなると夕食を済ませて一服というタイミング。 標準時ではまだ20時だからと寝ないでいると睡眠不足になる。 学生や給仕も辛いだろう。
    • 近距離通勤者は夏時刻をありがたがっている。 近距離の賛成者と遠距離の反対者が大討論していたが、 利害が異なるので結論は出なかった。
    • 日照時間より、5月開始なら終了を8月上旬くらいにするべきではないか。
      • 4月開始だと官庁始業が9時開始から7時に2時間もずれることになる。
    • 起床時間が早くなり、就寝が1時間早くはならないだろうから、 家庭の照明電力は増える。節電にはならない。
    • 来年は中止だ。
  • [133] 岡松正泰 (電氣試験所・遞信技官)
    • 夏時刻に条件付き賛成。
    • 北海道から九州まで経度差があり、実質夏時刻ともいえる。
    • 同じ土地でも均時差がある。気づいている人がどれだけいるか。
    • 長女が通学に2時間かかるので、 試験や行事に遅れないようにこっそり時計を進めることがある。 1時間近く進めても気づかないことがある。
    • 年間の日の出、日の入りを図にすると、
      • 日の出は夏時刻で均される。夏時刻のおかげで朝ずっと寝られる。
      • 始業時刻は従来の夏季業務時間をやめて年中一定にするべきだ。
      • 年の半分は南中前に、半分は南中後に正午になる。 夏に弁当が腐る割合も減るだろう。
      • 日の入りは時間差が大きくなる。
      • 終業時間は季節ごとに調整するべき。冬は15時終業とすれば、 女性の通勤の不安も軽減される。
      • 夕食後明るいからもうひと働きできるが、1日4食にするわけにもいかない。 太陽の明るさに合わせて夕食準備を始めればいい、却って自然的だ。
        • 子供のおやつには苦労するかもしれないが。
        • 仕事熱心も結構だが、とっとと終業して夕食で家族団欒を楽しむのが良い。
      • 就寝は
        • 5時-6時に起きるなら、21時-22時、遅くても23時には寝たい。
        • 朝は明るくなって起床するが、夜いつ消灯するかは人が勝手に決められる。
        • 6月-7月に夏時刻20時日没で21時にまだ明るいのが問題。
        • 7月-8月は明るさより暑さが問題。
        • 暑くて夜半過ぎまで寝られないことは今までもあったから、 就寝を遅らせても今までと変わらないとも言える。
        • 夜明け前の涼しい時間の睡眠が貴いのだから、 起床-始業の時間が短くなって睡眠不足になるとも言える。 午睡で解決できないか。
  • [134] 關重廣 (本會参與)
    • 家族全員夏時刻賛成。
    • 18時夕食、22時就寝だったのが夏時刻だから標準時で1時間早いので、 といって19時夕食、23時就寝になると睡眠不足になるので気をつけている。
    • 遠距離通勤だが8時小田原発なので苦痛ではない。
    • 帰路は明るくて本が読めるので良い。
    • 19時の夕食後に1時間散歩が出来て良い。
    • 会議の時刻が「午前10時(但し夏時刻にあらず)」とあった。
      • 馬鹿らしい。幹事は夏時刻を理解していない。
      • 9時のことか11時のことか。11時だろうが9時に来る人もいるのでは。
      • 昼食も13時に出るのだろう。腹が減る。
    • 満州でも通年夏時刻を実施していた。 満州の標準時, 日満時差撤廃
      • あまり言及されていないが、多くの日本人が既に経験済みなのだ。
  • [135] 小木曾定彰 (東大助教授・建築)
    • 夏時刻賛成。
    • 標準時が正しいというのは意味がない。
      • 経度差や均時差がある。
      • 夏時刻を使うと決めたからそれが正しい時刻。
      • 100年後、誰でも「明日はちょっとロンドン」な時代になったら世界で統一することになるかも。
    • 帰宅時に明るいのが快適だから夏時刻が良い。
    • 「サンマータイムは時計に行動を支配される都會人の弱點を掴んだものだ」と言う人がいるが、 能率が上がり快適になるなら結構なことだ。
    • 自然現象の昼間の中心と勤務時間の中心はずれている。勤務(生活)中心が遅れる。なぜか。
      • 気温の影響だろうと思っていた。夏時刻でもやはり少し自然中心より生活中心が遅れると予想していた。
      • 夏時刻開始後少し迷っている。
        • 自身は都会人だから時計に支配されているで説明できるかもしれない。
        • 時計に縛られない3才児も前と同じ時刻に起床する。
          • 早寝の結果早起きなのかもしれないが、無理がなさすぎる。
        • 今後どうなるか楽しみ。
  • [136] 酒田文右衛門 (帝國電氣・技術部長)
    • 夏時刻賛成。
    • 戦時中の灯火管制、戦後の電力不足で照明と生活の関係を痛感した。 夏時刻により淡い黄昏時の夕食で家族団欒できて嬉しい。
      • 長距離通勤は大変だろうが、早く帰って家族団欒できて良かろう。
    • 時刻は便宜上のもの、生活の設計でどうとでもなる。 思ったほど不都合でないと考える人が多かろう。
    • 夏の朝、明るくなったら菜園に行くか読書している。 家族が迷惑していたが、夏時刻実施後文句を言われなくなった。
    • 24時頃就寝するが、夏時刻24時になって、 睡眠時間が1時間長くなって良い。
[75] 照明サロン: 夏時刻の感想リレー座談會, 酒田文右衛門 (編), 照明學會雑誌 第32巻第6號, 昭和32年11-12月 () https://www.jstage.jst.go.jp/article/jieij1917/32/6/32_6_194/_pdf

[125] 内容を要約すると >>75

  • [112] 小山正徳 (工業技術廰・商工技官)
    • 9月11日土曜日 (最終日) と12日日曜日の日記。
      • 11日、真っ暗の5時半起床。12日、明るくなってきて5時起床。
      • 11日、6時頃子供を起こすと明るくなってくる。12日、子供はまだ5時だ、もう1時間、といって二度寝。
      • 11日、この頃新聞が朝に間に合わないと7時出勤。12日、珍しく朝食前に新聞が届く。
      • 12日、8:30 のミサまでまだ2時間もあると困る子供。
  • [113] 巽良知 (産業科學協會)
    • 大学生の子供: 登校時に比較的涼しいが、可もなく不可もなく。
    • 中学生の子供: 6:30 に家を出て省線荻窪驛から大塚驛まで乗車するが、 夏時刻中は空いていて、標準時復帰後混み出した。夏時刻はとても良い。
    • 小学生の子供: 夕方遅くまで外で遊べる、 父親の帰宅が早ければ夕食後散歩できる。夏時刻は良い。
    • 妻: 昼間が長いので仕事が捗るが、疲れる。
    • 自宅の電力消費が減ったかわかりづらい。薪とガスの消費量と家族の人数が前年と違う。 電灯用電力量は10%減少。
    • つまり平凡な都会人には良い点があり悪い点はない。
  • [114] 山内二郎 (東京大學第一工學部)
    • 夏時刻賛成。
    • 年間通じて8時始業で、慣れるまで辛かった。
    • 時刻でなく暗さで働いていることがわかった。 もうこんな時刻だと気づき帰宅が遅くなることが度々あった。
    • 朝寝坊の自分だが実働時間が長くなって良かった。
    • 終わりが早すぎた。春分から秋分までが良いのではないか。
  • [115] 平山嵩 (東京大學第一工學部)
    • 夏時刻賛成。
    • 昼間が長く、勤務や運動に使える時間が長くなった。
      • 1時間だがそれ以上に感じた。
    • 主婦5人位が、台所仕事が夜遅くまでかかるので不満を感じていた。
  • [116] 本城巖 (東京芝浦電氣・管球技術部)
    • 終業後も太陽がかんかん照りで夏時刻が「夏だ」という印象を与え、 終了後そうでなくなり「秋来る」という寂しい印象を与える。
    • アパートで独居だと、終業後の長い昼間はわびしい。
    • 家族持ちでも、
      • 主婦は早起き遅寝を強制される。
      • 主人は役所や会社で残業があり、明るいうちは帰れない。
    • 明るさベースの生活に時刻の枠がはめられて厳しい。

      [123] わざわざ夏時刻反対ではないと断っているが、 あまり賛同しているようにも見えない。 同調圧力に屈したか。

  • [117] 東堯 (東京芝浦電氣・マツダ研究所)
    • 夏時刻賛成。
    • 戦時中の工場夏季業務時間制度は役所や一般市民に適用されず、 自分たちだけ苦労している感や時間の食い違いが起こりがちで悪かった。
    • 今般は全国民で実施なので矛盾が起こらず、社会の能率も下がらなかった。
    • 農家は日光に従うので夏時刻の趣旨に常に合っている。
    • 社会全体が1時間多く活用したのだから、悪いはずがない。
    • 戦災で遠距離通勤してる人達は夏の朝に息をつこうと思っていただろうに、 気の毒だ。社会全体の利益のため我慢されたい。
    • 終了時朝6時に暗い。4月開始も暗かろう。開始・終了とも10日くらいずらすべきではないか。
    • 開始日は用心して就寝時間を調整するから影響ない。
    • 終了日は1時間余計に寝られてよかった。
  • [118] 植村操 (慶大醫學部)
    • 眼科医として夏時刻賛成。
    • 暗室作業後外が暗くなっていると寂しい。夏時刻だと明るくて良い。
    • 開始日に上野驛で乗車待ちの客が発車時刻を議論していた。
      • 時計を1時間変えるだけなのに。
      • 商人が夏時刻の時刻表を売りに来た。たくさん売れていた。商人は頭が良い。

        [119] 植村は夏時刻に入っても鉄道発着時刻は表示時刻のまま当然変わらないと思っていたようだが、 実際夏時刻に合わせたダイヤ改正は行われているようなので、 商人が本当に新しい時刻表を売りに来た可能性もある。

  • [120] 朝野通 (東京都電氣研究所)
    • 近距離通勤者にはありがたいといわれているが自分もそうだった。
    • 自宅から少し離れた家庭菜園に毎日通えてよかった。
      • 終了後毎日は行けたくなった。
  • [121] 伊賀秀雄 (關東配電株式會社)
    • 配電会社としては良くも悪くもなく。
    • しかし実績の検討や実施の準備がもっと必要。
    • ロードカーブ (図あり)
      • 実施中は全体的にあまり変わっていないように見える。
        • ただ 16:00-17:00 の深い谷が目立つ。
          • 工場の終業後、家庭の電力使用前。
          • このロードカーブの谷を埋めるのに苦労した。
      • 終了後は悪影響が残った。
        • 9月末、日が短くなり、夕方の工場、家庭、商店等の電力使用時間が重なる季節に近づいている。
        • 夏時刻の惰性で17時、18時はまだ昼間のように感じるが、 実際には家庭も商店も点灯が必要。
          • 酷いピークがロードカーブの上に出現。
          • そのため緊急停電が大分あった。
  • [122] 尾本義一 (東京工大)
    • 夏季業務時間制度は前からあり、 時計をいじって全国一律実施しただけで実質大したことはない。
    • 切替時に多少の混乱はあった。
    • それより天下り式に決めたことへの不満が大きい。
    • 遠距離通勤者でも賛否は 1:2。1時間早起きのかわりに1時間早寝すれば埋め合わせできる。
    • 1時間多く仕事・家庭奉仕しても疲れない。夏の勤務時間を増やし、 サンマーサラリを出すと良かろう。
      • 主婦の労働時間も増えるし、収入が増えるのは良いこと。
    • 実施期間にはいろいろな意見がある。地方によっても利害があろう。
    • 電力節約効果は不明瞭だが、1回の実施で分からないのは当然だろう。
    • 個人的には、全国一律実施より、地方や職場ごとに自発的に始業時刻を決める方が良い。
[2092] いやだ、サマータイム - 中華街ランチ探偵団「酔華」 (2018年08月08日 ) https://blog.goo.ne.jp/chuka-champ/e/a6d78b468296ed279f5ef25296e8fcee

先日、図書館で古い新聞を調べていたときに偶々発見したのが、冒頭に掲げた新聞記事である。

昭和24年3月26日の神奈川新聞だ。占領下の日本はアメリカ式のサマータイムを押しつけられていた。しかし、これが不評であちこちから苦情が出ていたのである。

新聞記事より:

  • 官庁職員
    • 決まってしまったのは仕方ないが、4月からは早すぎるのではないかという意見が圧倒的。
    • 労働時間48時間、 8:30 出勤になってただでさえ眠い。
    • 住宅難で遠距離通勤が多く辛い。
    • Q: 1時間早く帰れるからいいのでは。 A: 夕方の1時間はわからないうちに経ってしまい結局同じ。
  • 百貨店
    • 労働基準法があるので1時間早く開店したら1時間早く閉店しないといけない。
    • 明るいうちに閉店せざるを得ず売上に影響がとても大きい。困っている。
    • 客が来る時間も早くなるかもしれないしやってみないとわからない。
    • 4月からは早すぎる。
  • 映画館
    • 同じく朝早く開店するが、朝から映画など褒められたことではない。
    • 夏は夕涼み客が多いが、明るいうちに閉店せざるを得ない。
  • 野毛露天街
    • 朝から晩まで客がいる時間に営業していればいいだけ、影響はない。
    • 天ぷら屋の辰さん: 早めに出てきて準備する必要があるので困る。
  • 国鉄
    • 4月は早い気がする。
    • 鉄道は時計を変えればいいだけだが、切替時はごたつくかも。
  • その他
    • 夏時刻など問題ない、日本再建のため一時一刻を積んでがんばろう。
    • 農民は早朝から夜まで働いている。
    • 労働時間48時間どころか時には徹夜してまで輸入食料の船降ろしをしている。
  • 進駐軍労務者は無用論
[148] 高田保『ブラリひょうたん』 () http://books.salterrae.net/amizako/html4/takada_hyoutan.html

高田保『ブラリひょうたん』「夏時刻」

時計の針を一時間進めて、出勤時刻を三十分遅らせる。何のことやらわからない。なぜ簡明に出勤を三十分早めるとしたのではいけぬのか。この疑問を常識だとすればサンマー・タイムは非常識となるだろう。常識なら申合せでも済むが、非常識となると法律ででも強制するのでない限り守るものはいない。法の煩わしきは国亡ぶるの基と昔の人はいったそうである。

「ここらあたりは出家ゆえ、紅葉のあるのに雪が降る」というセリフが歌舞伎にある。非常識は人間ばかりのものではない。天然自然の理法も狂うことがある。ここらあたりは都会ゆえ、夏時刻だというに氷雨が降る。外套のえりを深く立て、白い息を吐きながら電車を待っている風景――といいたいが、しかし夏時刻法というのは天然自然の理法に従ったものではあるまい。

小学校で先生がー「今日からはサンマー・タイムですから、何もかも一時間早くなります」

生徒が手を上げた――「太陽の上るのもですか?」

先生は答えた――「いえ、太陽だけは、逆に一時間おくれて出ることになります」

生徒は当然質問した――「なぜですか?」

先生は何の苦もなく答えた――「サンマー・タイムだからです」

時間というものは太陽の運行から割出されたものだ、などというものは古代の観念でしかあるまい。近代の時間はただ時計の針の先にだけある。だから人間が自由にそれを動かすことができる、というのだったら、むしろ、いっそ、一時間遅らせてみたらどんなものだろうか? 朝いつもの如くに床を離れる。しかし今日からは夏時刻だから出勤は一時間おくれてよろしい。ゆっくりした気持で新聞が読める。日ごろは及びもつかなかった社説や外電や学芸欄やにまで丹念に眼が届く。これだけだって大したものではないか!

昼の時間をできるだけ余計に利用させるための方法だというのだが、どうせ利用させるなら朝の新鮮な時間にした方が効果は多い。まさかに朝っぱらからマージャンやダンスをやる連中はあるまい。一日の勤務を終えての疲労しつくした時間では、どう与えられてもしんみり読書したりする気持にはなれぬのが普通である。針の先の動かし方一つで結果は雲泥に分れる。役人にはゆっくりした時間を与えて世界の勉強をさせねばならぬ、とこれは私の説ではない。荻生徂徠が「政談」の中で述べていることである。彼ならきっと一時間おくれの夏時刻の方を採用したにちがいない。 (四・五)

最終更新日 2005年04月10日 12時18分34秒

[151] 東京日日新聞掲載のものがまとめられたのものが原文。
[2094] 潮流(昭和25年)▷夏時間(サマータイム、サンマータイム) | ジャパンアーカイブズ - Japan Archives () https://jaa2100.org/entry/detail/047844.html

広告:

サンマータイムを有効に!

便利で経済的なアメリカ式洗剤で生活を合理化して、 デーライトセービング(時間の節約)を計りましよう。

新しい万能化学洗剤

セスキ

旭硝子株式会社

説明文:

夏時刻法により昭和23年~昭和27年までの5月~9月にサマータイムが採用された(占領期のため、GHQがサマータイムの本国の時刻と整合させるためという) http://www.agc.com/index2.html

[2202] 次官会議資料綴・昭和26年12月(昭和26年12月3日~12月27日) (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001379469

サマータイムに関する世論調査報告(総理府)

[740] サンマータイムに関する世論調査 ( 版) http://survey.gov-online.go.jp/s26/S26-09-26-13.html

わが国におけるサンマータイムは,昭和23年4月28日に「夏時刻法」として制定された。現在までに施行以来4カ年を経過したわけである。しかし国民一般がこの制度に対する経験を重ねてくるに従って,漸くこれに対する批判の声も高くなって来た。政府としては早急にこの制度に対する国民の意見と態度を把握し,国会における検討のための資料を準備することが必要になって来た。

[1919] 参議院会議録情報 第101回国会 予算委員会 第13号 () http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/101/1380/10103281380013c.html

第101回国会 予算委員会 第13号

昭和五十九年三月二十八日(水曜日)

午前九時十九分開会

○国務大臣(森喜朗君) 私は今でも疑問に思っておりますのは、やっぱり敗戦のショックによって、当時の文部省にいろいろと御検討いただくいわゆる学者の方々がかなり右往左往、言葉はよくないかもしれませんが、私がなり右往左往しておられたのじゃないかと思うのですね。例えば僕たちの子どものころに非常に困ったのは、右側通行が左側になったり右側になったり、何でもかんでもアメリカ流にしていって、我々はそれこそ右往左往、うろちょろしたことを今でも思い出しているわけですし、あるいはサマータイムなんていうようなものもたしかアメリカからそのまま取り入れて、日本に合わないということで急にやめられて、学校教育では随分現場では苦労したということを記憶をいたしておるわけでございます。

[220] その随分と苦労したことも忘れてしまったのか、 平成30年夏時刻導入を主張することになる森元 日本の標準時
[1113] サマータイム導入を面倒くさがる日本 / SAFETY JAPAN [大前 研一氏] / 日経BP社 (経営コンサルタント 大前 研一氏 2008年7月2日 ) http://web.archive.org/web/20080705081936/http://www.nikkeibp.co.jp:80/sj/2/column/a/138/index.html サマータイム導入を面倒くさがる日本 / SAFETY JAPAN [大前 研一氏] / 日経BP社 () http://web.archive.org/web/20080705081941/http://www.nikkeibp.co.jp:80/sj/2/column/a/138/index1.html

今回のサマータイム論議において、わたしが気になったことがいくつかある。一つはいい加減なコメントが多すぎたことだ。たくさんの識者がいろいろなことを発言していたが、そもそもサマータイムとはなんぞやということを理解せず、勘違いしたままのコメントが相当に見受けられたのである。

例えば、かつて日本でもサマータイムが導入されていた話。ある識者は「米軍に占領されていた時代にサマータイムを導入したが、国民の支持が得られなくて数年でやめてしまった」と、したり顔で述べていた。

確かに日本でも、1948年から1951年までサマータイムが導入されていたことがある。当時の新聞四コマ漫画などを見ると(例えば『サザエさん』など)、しばしばサマータイムが話題に上っていたりもする。こうしたものを読むと、当時の国民はサマータイムを「季節の風物詩」のように受け止めていたかのような観さえあるのだ。‥‥というのも乱暴な決め付けであろうが、少なくとも日本でサマータイムが廃止された理由を「国民の支持が得られなかったから」と表現するのは違和感がある。ではどうして廃止になったのか? ずばり、それは「貧しかったから」である。

サマータイムが導入されていた1948年から1951年とは、昭和でいえば23年から26年である。戦後すぐの混乱期だ。国民の栄養状態をどう改善するか、欠食児童をどうするかといったことがまだ真剣に議論されていた時代である。サマータイムのために仕事が1時間早く終わっても、実際に日が暮れるまでにたっぷりと時間が残っている。空腹だからさっさと帰宅して寝てしまいたいのだが、日が高くて簡単には寝られない。

そんな時代にあって、「ゆとりを持って時間を過ごそう」という趣旨のサマータイムが合うはずがない。食べものに困らない現在であれば、ビジネスパーソンも「日が高いなら、もう少し余計に遊ぼうか」ともなるだろうし、それは景気の活性化にも寄与しよう。だが、戦後間もない時代は状況が全く違っていたのである。

ついでに言うと、「残業が多くなってサマータイムが廃止された」という識者もいた。これもうそだ。当時は残業などそんなになかった。そういうことを発言する識者たちは、おそらくどこかのWebページで情報を探して、したり顔で解説していたのだろう。だから当時のことが分からないまま話すので、うそばかり並べ立てるようになるのだ。

[1114] 昭和の夏時刻の趣旨に「ゆとり」など当然あるはずもなく、 勝手に勘違いしているのはこの筆者の方である。世論調査でも国会でも反対多数だったものを、 「国民の支持が得られなかった」のではないと否定するのは、 もはや歴史修正主義と言ってもよいレベルだろう。

他の (当時の) 文章を読めば分かる通り、 残業がなかったというのは大嘘。 一方で残業しないで家族団欒したらいいじゃないとか言ってた上級国民もいる。

[1183] >>1174

飲食店について、喫茶店、飲食店、カフェなどは、カフェというのはいわゆるバー のことだが、例年の夏より客足が減って悲鳴が上がったと。やはりこのころでも、明るい となかなか飲むわけにはいかないというのは、時代を問わずあるようで やはり当時でも明るいと飲 み客は減ったそうだ。

次、教員の方々は、明るいので残業が多くなって、労働が過重だと。

次に、これは当時の世相だろうが、夜学生。昼間働いて、夜学校に通っている、今の塾 ではない。本当に学校で勉強するので、サマータイムは大歓迎で、当時で言うと十数万の 賛成投書が来たそうだ。明るい時間帯に学校に行けるというのは非常にいいのだとポジテ ィブに訴えてくださったそうだ。

[1184] 投書とはどこへ? 単純計算で4年間毎日70通の投書が届き続けて十万余通。 流石に盛り過ぎではないか。 全体的に朝日新聞記事 (>>1202) と同じ情報のようだが、 そこには夜学生が十数万人いるというだけで十数万通とは書いてないぞ。
[1185] >>1174

○八田座長 それから、日本で1952年までやってサマータイムをやめたのは、私は小学校 の4年生か5年生だったが、雰囲気としては、道も右左の右側通行、左側通行を占領が終 わって変えたし、やはり非常にナショナリスティックな気持ちはあったと思う。サンマー タイムとか、いろいろな道路のあれとか、全部アメリカに押しつけられていたのだと。い なくなったのだから、もうよそうということがあったので、あまり実質的な議論をしたと いうことではなかったのではないかと思う。

○中上氏 座長がおっしゃるとおり。 それでまた思い出したのだが、国会議員の方々にもアンケートをした。すると、この時 代はまだ長老議員がいっぱい残っていて、皆さん経験されている。あまりいい経験がない ものだから、あれはだめだと言って、若い人がやろうと思っても全然話にならなかった。 それがだんだんリタイヤされて、若いほうに変わってくると、議員の方々の賛成度合いが ずっと高まってきた。そういう傾向は確かに、当時経験されていた方は、あまりポジティ ブなイメージはない。

○八田座長 押しつけられたという感じだろう。

[1186] こんなのはもう当時の人々への冒涜でしかない。 夏時刻推進のためなら何を言ってもいいのか?
[1675] 読売新聞, 夏季時間(サンマー・タイム)を実施 来月1日から9月一杯, >>1681

政府は9日の閣議で今夏サンマー・タイムを採用することに決定、実施要綱はさらに13日の閣議にはかったうえ国会の承認を得て実施するが、サンマー・タイム実施期間は5月1日から9月一杯の予定で、普通時間との切り替え方法は実施日の午前零時をサンマー・タイムの午前1時に繰り上げる

本社でもサンマー・タイムの可否を世論に問うた結果、可54.3パーセント、否37.0パーセント、中間8.7パーセントの結論を得ている

全文 >>222

[1683] 朝日新聞, 負傷者従来の3倍 夏時刻実施で また通勤地獄, >>1681

サンマー・タイムの実施で官庁が出勤時刻を民間同様9時にそろえたため、毎朝8時半―9時の省電ラッシュはもの凄く、またまた通勤地獄を再現している。東鉄ではこの緩和策に苦心し車体増結や発駅変更など応急策を講じているが、時差出勤でもやらない限り殺人ラッシュは解消しようもない。

去る4日の夏時刻実施以来、各駅とも積み残しが激増、新宿駅では最高1800人ぐらいが上り線ホームにあふれ、混雑による負傷者も従来の3倍に跳ね上がっている。しかも11日から各学校が新学年に入るので、通勤と通学が8時半―9時の30分間を中心に鉢合わせする形となるが、輸送力の方は既に限度一杯まできているので、これ以上の増強は望めず「官庁勤務者を一般と同じ時間帯に投入したことに最大の難点があり、4月中だけでも官庁を8時半出勤に直すことが先決だ」と東鉄当局は完全に手をあげた形だ

労働強化と過労

[175] 余暇が充実するだの仕事の能率が上がるだのとの宣伝とは正反対に、 多くの国民が労働時間が延びた、 睡眠不足だ、 疲労が取れない、 といった不満を表明しました。 都市労働者、主婦、農民、学生と様々な職業の人達が不満を持っていました。

[127] 初年終了後に照明学会の学会誌に掲載された産学官関係者の感想集では、 夏時刻によって業務に使える時間が長くなった、 仕事が終わっても明るくて良い、 夏だけ業務時間をもっと長くしてもいいくらいだ、 と絶賛の嵐でした。一方で、家事の時間が長くなり早起きと遅寝を強要されているという主婦の不満の声も、 わずかながら触れられていました。 (>>125)

[128] 残業が増えて睡眠不足に苦しむ一般市民と、 仕事の時間が長くなって嬉しい先生方との感覚の違いが興味深いですね。

[179] 当時は戦後復興に全国民が必死だった時期で、 夏時刻であろうがなかろうが、 寝る間も惜しんで労働しようという意見もありました >>2092

[180] 夕方の「余った」1時間を使った余暇の活用も、 商業施設や娯楽施設の閉店も1時間早まって意味をなさなかったり、 営業していても明るいうちには入りにくい空気があったりと、 矛盾があらわになっていました。 こうした業種の売上の低下も問題となりました。 >>2092


[1036] 後世の夏時刻再導入派は、 労働強化という印象を持たれているが実際にはそうではなかった、 朝鮮戦争特需の特殊事情によるもので夏時刻導入と直接関係ない、 といったように分析しているようです。 日本の標準時

[1686] しかし当時の報道や体験者の回顧を読むと、 単純に労働時間が延びたというだけの話ではなく、 夜の暑さによる睡眠不足や日の出前の出勤、 出勤ラッシュなどの生活条件の悪化が積み重なっていった結末のようにみえます。 夏時刻推進派は詳細な分析もせず統計の数字の上の感想を述べるにとどまっており、 再発防止の検討すらしていないようです。

[176] 都合のいいデータを選んで示しているだけだとの批判もあります >>1813

[267] 例えば夏時刻制度推進派の主要人物だった木本教子は、 1999年の新聞記事で、 「労働強化が言われたが、実施年はむしろ労働時間は減少し、 五〇年の朝鮮戦争以降に増加している」 と主張しました >>271。 これ以後の推進運動関係者もこの見解を踏襲したようです。 日本標準時改正案

ところが昭和のサンマータイム実施年の昭和23(1948)年は、 法律四十九号 労働基準法 (施行) によって現行の労働時間規制が導入されて初めて迎える夏でした。

労働基準法の労働時間規制の導入以前の日本の伝統的な労働慣習では、 は労働時間が長く、 は労働時間が短い変動型の勤務時間が一般的でした (c.f. 昭和21(1946)年 >>90)。

つまり昭和23(1948)年は労働時間制度の変更と夏時刻制度の導入というダブルの変更で、 社会の急激な変化による相当な混乱があったはずなのです。 夏時刻制度昭和24(1949)年昭和25(1950)年も改正がありました。 そもそもが終戦直後の混乱期であり、 これに更に途中から朝鮮戦争という特殊な社会事情が加わります。

木本がどのような統計を参照していて、 それがこうした事情をどのように処理していたのかは、 不明です。

どのような統計データだとしても、 (推進派の主張にも反対派の主張にも) 根拠とするのは難しいのではないでしょうか。

[279] サマータイムで労働時間が減少したのだとしたら、 むしろ過去の事例を強調したほうが良さそうなものですが、 なぜかそんなことはしていません。 なぜサマータイムで労働時間が減少したというのでしょうか。 朝寝坊で遅刻が増えたからとでも言うのでしょうか。

[177] 過去の事象を正確に分析せず、 サマータイムゆとりが増えるだの健康促進になるだのと前回と同じ主張を繰り返すだけでは、 再実施してもまた同じ失敗を引き起こすことになりましょう。

[273] 夏時間制度導入:否定的な立場を明らかに--政府首脳, 毎日新聞, 1999年5月14日 () https://web.archive.org/web/20001203142100/http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/199905/14/0515m118-100.html

政府首脳は「戦後の一時期、唐突に実施されて国民が混乱した苦い経験がある。私自身、暗いうちから勤めに出かけ、疑問を感じた」と自らの体験を披露。

[1813] 半世紀前、 サマータイムを廃止した理由: biac の それさえもおそらくは幸せな日々@nifty (biac 2008年7月23日 (水) 12時56分 ) http://bluewatersoft.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_3a13.html

当時の毎月勤労統計調査データhttp://wp.cao.go.jp/zenbun/seikatsu/wp-pl95/wp-pl95bun-1-1-40z.htmlをひっぱり出してきて、 「サマータイムでサービス残業が増えた事実は無かった」 ( サマータイム導入年に急増していないし、 廃止年に急減していない ) と主張する向きがあります。

しかし、 このデータは、 事業所規模 30人以上の製造業で、 賃金が支払われている労働時間です。 労働者のごく一部にすぎない上に、 サービス残業は含まれていません。

[287] サマータイム導入について | 生活・身近な話題 | 発言小町, https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2018/0807/858427.htm

賛成

レス求隊

2018年8月28日 14:06

戦後導入された時みたいな事がなければ大賛成です。 戦後不評だったのは、始業はサマータイム、就業は通常時間みたいなバカなことをするアホ経営者や上司がワラワラと湧いたからです。

[288] 主張の根拠は不明。そのような慣行が一般的だったとの記録は見当たらない。 (日が明るいうちは仕事を終えれなかったとする説明が多い。 また「サンマータイムの○時、本当の○時」という言い方をしていたという証言はあるが、 始業と終業で都合よく使い分けていたという証言はあるか?) (これは平成時代の夏時刻反対意見にある想定でよくでてくるもので、 過去に実在したという証言は存在しないか、メジャーなものではない。)
[1939] (2ページ目)EUはサマータイム廃止へ それでも安倍政権は導入するのか|日刊ゲンダイDIGITAL () https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/236698/2

当時、サマータイムを体験した筑波大名誉教授の小林弥六氏(経済学)がこう言う。

「評判はよくなかったですね。1時間、早く出社しても日本のサラリーマンは、早く帰宅できませんからね。夕方時間が余っても、余暇を楽しむ文化もなかった。

[1827] 如蓮華在水さんのツイート: "サマータイムという困った「お化け」が顔を出した。 8/28(火)朝日新聞『声』… " () https://twitter.com/heno_ko/status/1034309809766522881

困った「お化け」が顔を出した

無職 □□□□□

(熊本県 93)

熊本の夏の午後5時はかんかん照り だ。新任教師だった私が定刻に門を出る と、辺りは麦刈りの真っ最中。汗まみれ の顔で「今日は何のあっとですか」と驚 かれた。ない仕事も作り、本来の定刻ま で働いた。2年間で体が悲鳴を上げた。

健康被害

一般的事項は夏時刻の健康被害

[164] 昭和のサンマータイムの実施当時の不満の声および廃止後の回想では、 多くの人が生活リズムの変化と睡眠不足、それに起因する体調不全を訴えました。

[1044] 夜暑くて寝苦しいと言われていたようです >>1043

[1687] 2年目の昭和24年大分市の広報誌には、 夏時刻に伴う「おやすみサイレン」時刻変更のお知らせが掲載されていました >>1212。 記事は「うつかりすると私たちを睡眠不足に追い込む、 殊に自覚の伴わない子供たちほどその影響は大きい」 としていました。 大分日の入りは、 で、 「おやすみサイレン」が (変更後) でした。 日本西部に位置する九州では特に日没が遅いため、 子供がいつまでも遊び続け、なかなか寝付かず、 睡眠不足となる、という問題がより深刻だったのでしょう。

[2193] 大分市太陽
  • 昭和24年 大分市
    • tz=+09:00 lat=33.1797026 lon=131.407557 day=1948-01-05

    • tz=+09:00 lat=33.1797026 lon=131.407557 day=1948-03-05

    • tz=+10:00 lat=33.1797026 lon=131.407557 day=1948-04-05

    • tz=+10:00 lat=33.1797026 lon=131.407557 day=1948-07-05

    • tz=+10:00 lat=33.1797026 lon=131.407557 day=1948-09-05

    • tz=+09:00 lat=33.1797026 lon=131.407557 day=1948-10-05

    • tz=+09:00 lat=33.1797026 lon=131.407557 day=1948-12-05

[174] 九州では、 夏時刻の期間の始めや終わりの頃、 小学生日の出前に登校しなければならない事態に陥っていました (>>172)。当然起床はその遥か前となります。 睡眠時間はもちろん、低音や暗い道での登校の危険があり、 国政でも取り上げられる問題となりました。

[186] 当時はまだ電力供給が不安定だったためか、 暗い中での食事準備中に停電し、 蝋燭を使っていたため火災につながることも多かったそうです >>138

[1209] 夏時刻廃止時の新聞記事は、 「これでこの夏はユックリと眠られる」 と書いていました >>1207。 睡眠不足による健康被害が最も深刻かつ象徴的だったということでしょう。

[165] 廃止から数十年後の騒動 ( 日本の標準時 ) でも、当時を生きた人が語ることの多くは睡眠不足による健康被害でした >>988, >>1543, >>1637, >>1787, >>2000

[1212] 大分市報 第99号 昭和26年4月21日 (發行所 大分市役所 ) https://www.city.oita.oita.jp/o029/shisejoho/kohokocho/koho/shihooita/documents/0099-s26-04-21.pdf

サンマー・タイム實施

五日夜、就寝前に時計を一時間進めること

夏時刻法により、五月五日の午 後十二時より全国一斉にサンマー タイム (夏時刻) が施されます

五月五日の夜、寝床に入られる 前時計の針を一時間進めることが 必要です。五月六日からは汽車の 発着時刻も、役所や会社の出退時 刻もすべて一時間繰り上げられる ので御注意下さい

尚このサンマー、タイム (夏時 刻) は、九月九日の午前〇時で終 り、その後は又元通りになります

(弘報係)

[988] 時計の針を動かすな|北海道サマータイム|宮本順伯 () http://www.mcfw.jp/summertimehokkaido.htm

戦後、サマータイム導入された時の私の日記帳に起床時間と就寝時間との記録がある が、就寝時間は一定であるが、起床時間がサマータイム実施の期間中のみ、毎日 1時間早まっていたと記録されていた。つまりサマータイム期間中には睡眠時間が 削られていたのだ。当時の進駐軍が日本国民の不評を無視できず、サマータイムを 廃止したときに味わった喜びと安堵感を、50年以上経過した今でもはっきりと記憶して いる。

[1637] 桂米丸や杉下茂ら、70年前に体験したサマータイムへの反発│NEWSポストセブン () https://www.news-postseven.com/archives/20180820_742723.html?PAGE=3

累計200万部超のベストセラー『思考の整理学』著者で、“知の巨人”とも呼ばれる御年94歳の英文学者・外山滋比古氏(お茶の水女子大学名誉教授)も憤りを隠さない。

「70年前は、たしかに時計を1時間早めたぶんだけ、日が高い夕方に余暇時間ができました。でも結局は、多くの人が生活のリズムを崩すだけだった。私の周囲の人たちも、“いつもより早起きになる上に、夜もなかなか寝つけない”と睡眠不足に陥って、疲弊していたと記憶しています。

[1787] 読者の声:サマータイム、ほぼ「反対」 - 毎日新聞 (毎日新聞2018年8月27日 東京朝刊 ) https://mainichi.jp/articles/20180827/ddm/005/070/042000c

読者から届いている意見はおおかた「反対」。

東京都の男性は「GHQ(連合国軍総司令部)が導入した時に経験していますが、覚えているのは眠かったことだけ」。

[2000] サマータイムと時そば 編集委員 塩田 芳久|【西日本新聞】 () https://www.nishinippon.co.jp/nnp/weather_vane/article/447070/

作家の小林信彦氏は20年近く前から、エッセーで導入反対論を説き続けている。「両国の花火が明るいうちに打ち上げられた」など、戦後間もない1948年から51年に導入された時の体験をつづり、「寝不足が生じ、頭がフラフラになる」と訴える。

  • [1618] 旅の途上さんのツイート: "昭和20年代に実施されたサマータイムを覚えている母いわく、 「サマータイムになると、暑い時期のうえ何時までも陽が高く、疲労困憊した」 「家族の食事時間がバラバラになった」 「ホントは○時なんだよね…」という会話ばかりになった、とか。 嘘ついて招致した五輪は返上しろ。 #サマータイム反対" () https://twitter.com/Tc76003/status/1030960196510658560

農村

[204] サンマータイムなる珍妙な言葉、わけのわからない制度に、 「夏時間? お日さんが1時間早よう出んさるようになるんの?」 >>201、 (日本ではまだ寒いのに)「今、アメリカじゃあ夏なんかね」>>1231、 といった感想があったようです。

[212] 風刺画 (実施当時のものかは不明) で 「アメリカじゃいまごろサンマがとれるのかえ?」 >>211 というものもありました。

[1237] 読売新聞に掲載された長野農家の声によると、 夏時刻は農業の作業スケジュールと相性が悪く、 「私達の地方では夏時間を励行している農家は極めて少な」 かった >>1234 といいます。

[205] 広島県農村では、 学校夏休みに入ると夏時刻の影響を受けたのは近隣都市へ行く労働者と村役場農協の従業員くらいで、 ほとんどの住民には無関係でした。 >>201

[207] 村の里山より更に奥の用倉地区の開拓民は、 電灯ラジオ新聞もない生活を送っていました。 「どこからともなく聞こえてくる」というサイレン柱時計合わせていました。 >>201 ということはサイレン夏時刻に合わせられていたのなら自然と夏時刻で生活していた可能性もありますが、 住民は標準時なのか夏時刻なのかは気にせず、 太陽の動きに従い開拓に励んでいたようです。

[206] 第一次産業従事者が夏時刻に反対するのは世界的な傾向でもあります。
[1231] >>1230

はじめて夏時間を採用した年の春、私は北海道の雪深い田舎にいた。4月1日は積雪最深期で、まだ6尺(編集部註:約1.8メートル)近く雪があった。最初の年は、4月1日から採用したのである。

「明日からサンマー・タイムですから、時計の針を1時間進めて下さい」という回覧板をもって、役場の人が、農家を一々回って説明した。

「サンマー・タイムって何じゃね」

「夏時間という意味で、夏は日が早く出るから、1時間早く起きることにするんだそうだよ」

「へえ、今、アメリカじゃあ夏なんかね」

という会話が至るところでかわされ、そして誰も不服をいわなかったそうである。

6尺の雪に埋もれ、あかぎれだらけの手足で冬仕事にいそしんでいた農民たちにとっては、「夏」時間は、まさに驚くべき異変であった。次の年から5月1日に延期されたが、事の本質にはちがいがない。すなわち日本のように気候の幅が広い国では、一律にことを決めることが無理なのである

[1232] 最初の年は4月1日実施というのは正しくない。2年目のことか。
[2093] 第6部 戦後の開拓地で(3) - 満洲少年回想記 (saro109著, ) http://saro109.jp/blog-entry-97.html (サーバー不存在 )

[201] 第6部 戦後の開拓地で(3) - 満洲少年回想記 (saro109著, ) https://web.archive.org/web/20170501070214/saro109.jp/blog-entry-97.html

時計の針は予定時刻の午前10時を、すでに過ぎていた。

そうか、日食はサンマータイムでなく標準時間で始まるのだ。

ぼくの手持ちの雑誌には、「夏時間は1時間繰り下げ」といった注記は加えられていなかった。 新聞もラジオもない山の中の暮らしでは、こうした身近な情報すら伝わってこない。

戦後、わが国で初の日食を観測ができた日は、昭和23年5月9日の日曜日だった。 同様に、サンマータイムが初めて試みられたのは、その1週間前の5月2日の日曜日から9月11日の土曜日までである。

「夏時間? お日さんが1時間早よう出んさるようになるんの?」

村に新しいかカタカナ語が入荷すると、ぼくたち新制中学生は下校時に、立ち話中のおばさんや年寄りたちにつかまり、このような珍問奇問を受けることがままあった。

通りすがりの青年団の兄やんが、こうした話の輪に首を突っ込んだりすると、

「なんせ、マッカーサー元帥の命令じゃけぇ。どがいにもならんのよ」

最後に、したり顔でこう結論づけると、一件落着するのが常だった。

占領軍統治下のこのころ、進駐軍の米軍兵士やジープを見かけることもない辺ぴな田舎でも、連合国軍最高司令官ダクラス・マッカーサー元帥の名を掲げれば、水戸黄門の印籠ほどにご威光があった。 そんなサンマータイム騒動も一時のこと、村全体の日常生活には何の影響も及ぼさない。

学校が夏休みに入ると、夏時間を励行させられるのは隣接都市への通勤者か、村役場や農協で働いている一握りの人たちだけだった。

村の人たち以上にサンマータイムと無関係だったのは、村の里山からさらに奥に入った森林地帯で生活を送っていたわれわれ開拓民である。

用倉と呼ばれるこの一帯は、いまでこそ近代的な広島空港に変貌しているが、当時はどこからともなく聞こえてくる朝6時のサイレンに、柱時計の針を合わせておけば事足りた。

1日に10分や20分の狂いなど、開墾作業にまったく支障はない。

電灯もなく、ラジオや新聞などの情報源を持たない文明社会と隔絶した不毛の地では、暮らしのリズムはすべてお天道様にゆだねるのが最も賢明であり、理にも適っていた。

ぼくは、夏時間を1時間繰り下げた標準時間を確認し、再び表へ出た。

太陽はゆっくり欠けはじめた。

サザエさん

[214] 当時から現在まで続く稀有な国民的作品であるサザエさんでもサンマータイムが何度も取り上げられました。 夏時間の話題ではしばしばこのことが触れられています。

[348] シャイなあんちくしょう : サマータイム ( 版) http://blog.livedoor.jp/kazu21th2001/archives/50024717.html

まず、サマータイムの朝一番、サザエさんが時計を1時間進めるのである。

そして、波平が起きてきて、サザエさんが進めた時計をさらに1時間進めるのである。

そして、次に、カツオが起きてきて、時計をさらに1時間進めるのである。

結局、磯野家のサマータイムは、世間より3時間進む、、というオチの漫画があったのである。

[349] サマータイム案を笑え | 六條院日記 ( 版) http://love.ap.teacup.com/korremitz/125.html

『サザエさん』では、今日からサマータイムだからというので、サザエさん、フネさん、波平さんがそれぞれ1時間ずつ時計の針を戻したので、カツオくんが「お父さん、ぜんぜん眠くないよ」「すぐになれる」(だったか「だまってねなさい」だったか)というオチがついていました。サマータイムが時計の針を逆進させるという具体的行動で実行されていたのだと判断されます。惟光の生まれる前の話です。

[350] サザエさん―シルバ(37)|遠近回想 ( 版) http://ameblo.jp/3250ht/entry-12102014338.html

朝日文庫版4巻〔90頁〕・昭和25年

『家の外の道をお婆ちゃんが竹箒で掃除をしていました。するとそこへ、サザエさんがあわてて駆けつけ、「とけいがとまったんです いまなんじでしょう」と聞いています。お婆ちゃんは「みてきましょう」と答えました』

『サザエさんの家の中です、出勤の準備を済ましたお父さんは、新聞を読んでいます。出勤の準備を済ましたマスオさんは、タラちゃんと遊んでいます。そこへ、サザエさんが入って来て、「まだ7時半だって!」と教えてくれました。まだ、朝食を済ましていないカツオ君は、ご飯を箸で運びながら、「アーよかった」とホッとしています』

『なんとなく気になったのでしょうか、サザエさんは外に出て、まだ掃除中のお婆ちゃんの傍に駆けつけ、「おばあちゃんサンマ―タイムにしてあるんでしょうね」と確かめました。すると、お婆ちゃんは「ハイちゃんと一じかんおくらしてあります」と平然と答えました』

『サザエさん家からの門から、カバンを持ったお父さん、カバンを持ったマスオさん、ランドセルを背負ったカツオ君が、被った帽子も飛んでいきそうな勢いで飛び出して行きました。サザエさんが、心配そうな顔をして見送っています』

昭和23年4月28日に公布された夏時刻法に基づいて、同年5月から毎年4月の第1土曜日24時から9月第2土曜日25時までの夏時間を実施

ですから、サマータイムは、時計を一時間進めるのが正解です。しかし、お婆ちゃんは、一時間遅らせていました。お婆ちゃんが教えてくれた7時半は、正しい時間は既に8時半です。そら急げ、遅刻だ!

お婆ちゃんの大変迷惑な勘違いでした。

[510] 声ひろば 2016年6月25日、土曜日|高知新聞 () http://www.kochinews.co.jp/article/30868

5.サマータイム

【磯江真知子、74歳、高知市井口町】

祖父は「今日から『サンマータイム』」と言って柱時計の針を1時間進めた。昔を思い出して、つぶやくと息子が「サザエさんで見た」と、「サザエさん」の漫画本を持って来た。

サザエさんが、「サア!今日からサンマータイムダ!」と柱時計を進め、続いて、フネさんも。カツオもランドセル姿で「1時間進めなさいと先生がおっしゃった」と針を進める。4こま目でカツオ、ワカメ、波平さんが寝ている。目を大きく描いて、「ちっともねむくないよ!」。目を閉じている波平が「いまになれるよ」。漫画だから面白いのである。

「サンマータイム」は高知だけの言い方かと思っていたが、漫画本にも載っていたので、日本中がそう思っていたかもしれない。

[213] 春秋 :日本経済新聞 (2018/8/11 1:10 ) https://www.nikkei.com/article/DGXKZO34077470R10C18A8MM8000/

サザエさんは長っ尻の客を追い払おうと一計を案じる。柱時計の針を進めたのだ。客は「もう12時ですか。とんだ長居を」と腰を上げる。「ウチはきょうからサンマータイムにしたワ」というオチ。

GHQ の関与

[914] 昭和のサンマータイムGHQ の指示によるものだというのが定説となっており、 現代の様々な文献でそのように説明されています。 ただ、その具体的な内容や詳細な経緯を扱ったものはほとんど見られません。

[59] 最初の実施の前にかなり早い時期から GHQ夏時刻の導入を推進していた記録が残っています (>>11, >>746)。

[60] 日本政府夏時刻担当部局は連絡調整事務局/終戦連絡事務局、 すなわち GHQ との交渉部門でした (>>46, >>16) から、 その内容が GHQ の強い影響下にあることは明白です。

[63] 夏時刻について投書が中央連絡調整事務局にあった (>>1202) ということですから、 当時の国民にもそうした状況が知れ渡っていたものと思われます。

[62] 2年目には終戦連絡事務局の「関係方面」 が夏時刻移行延期を拒否したとされており (>>624)、 GHQ日本国民の反対を無視して予定通りの夏時刻強行を指示したと推測されます。

[203] 田舎の農村でも、 わけのわからない新制度が始まったがマッカーサー元帥の命令だから仕方ない、 という会話が交わされていたそうです >>201


[285] 大日本帝国時代、 何度も夏時刻を実施しようとする動きが政府内外にみられ、 実施予定日まで決められたこともありましたが、 一度も実現しませんでした。 生活のすべてが統制下に置かれた戦時中ですら実施が困難な事情を抱えていたのです。 日本標準時改正案 平時でも戦闘時でも実現できず、 専門家が懸念を示し、 民意も得ていない制度が強行できたのは、 GHQ の暴政ゆえと評価するほかありません。


[188] GHQ の米英人が本国の制度を日本にも強制したものだといわれることもよくあります >>2094。 ただこの当時の欧米でも夏時刻は安定した制度ではありませんでした。 米国ではごと、ごとに実施の有無が分かれていました。 終戦までは季節性夏時刻ではなく戦時通年夏時刻を実施していました。 駐日軍人にとって慣れた本国の制度を導入する、 あるいは本国の優れた制度を日本に紹介する、 のどちらの意図にせよ、その解釈の妥当性は十分検討されているとはいえません。

[187] 当の米国人すら、東京各地に行くのに夏時刻は不便だと不満を持っていた >>138 という証言もあるようです。

[286] 米国占領地南朝鮮米国占領地琉球での夏時刻実施は、 日本本土より少し遅れていました。 これら地域の米軍東京の米軍司令部の隷下であり、 少し遅れたということは日本の方針に追随したものとみられます。 一方で遅れたということは東京GHQ連合国軍内部の調整や周辺地域への影響の検討もまともに行わないまま夏時刻実施を強行したことがうかがえます。 東アジアの標準時


[225] 小笠原諸島の米軍と時刻については小笠原諸島の標準時

定着しなかった説

[309] 昭和のサンマータイムは 「定着しなかった」 >>352, >>256、 「立ち消えになった」 >>1812 などと説明されることがたまにあります。 平成30年夏時刻騒動でもそうした説明をしばしばみかけました。

[1911] いつからこうした説明が生じたのかよくわかりません。 どこかに発信源があるのだろうか。 定着も何も法律で全国に強制的に施行され、 国民の不満爆発で廃止になった、 というのは「失敗した」であって定着するとかしないとかいうものではなかろう。

[311] 当時はまだ地方では時計を意識しない生活が可能な人もいたことや、 「標準時での何時」のような二重制度下していたこと >>352 を、「定着しなかった」と表現するのは、 違和感を拭い去れないまでも、間違っているとまではいえません。 そうしたところから生じた表現でしょうか。

[313] それとももっと簡単に、わずか4年で廃止に至ったことを定着しなかったと評したのでしょうか。 これも表現として間違っているとまでは言い切れませんが、 どこか不正確に感じてしまいます。

[321] 例えば消費税は強制されるもので、 ひとたび施行されれば国民に選択権はありません。 たとえイートイン脱税が横行したとしても、 「新税率が定着していない」 と言い得るでしょうか。

[310] 「クールビズが定着した・しなかった」みたいな感覚なのだろうか。 (実施されても自分は実行しないので関係ないとか思ってそう。)

[314] たぶん廃止自体を「定着しなかった」と表現することはそれほど間違っていなくて、 でも社会制度や時刻に対する観念が大きく変わってしまった現代の夏時刻問題の文脈にその表現を持ってきたときに、 テレワーククールビズプレミアムフライデーのような働き方改革的な政策の定着・不定着と結びついて、 違和感が生じてしまうのでしょう。なにより夏季業務時間制度たるサマータイムゆう活が 「定着しなかった」政策なので。

[319] 夏時刻制度の導入の是非をめぐる場面で「以前は定着しなかった」 と説明されると、なら今回も定着しないかもと思わされてしまいます。 そして暗黙のうちに採用する、しないの裁量が残されてると誤解してしまいます。 (説明した人自身も夏季業務時間制度と混同しているきらいがあります。) 昭和のサンマータイムですら夏時刻の存在をまったく意識せずに暮らせた人は多くなかったようです (旧来の生活リズムを保った農村でも役場や市場などの関係で悪影響があり、不評だったのです) から、 現在ではほぼ不可能でしょう。 定着しなくても社会が動いていたという誤解で、 制度への賛否の判断を歪めてしまう危険性があります。

[318] つまるところ、夏時刻制度夏季業務時間制度をどちらもサマータイムと称して混乱を招いた夏時刻運動の負の側面でしょうか。 日本標準時改正案

朝日新聞黒幕説

[215] 森元らが東京五輪のために夏時刻を導入するよう日本政府に要請し世間の猛反発を受けていた 日本政府副総理財務大臣麻生太郎は、 閣議後の記者会見で、 朝日新聞が煽って昭和のサンマータイムを導入させたものの、 新聞記者が明るいと飲みに行きにくいから廃止するべきと報道した、 などとする珍説を披露しました。 >>1447 平成30年夏時刻事件

[216] 朝日新聞日本の代表的な新聞の1つですが、 大東亜戦争時に国民を煽ったことや、 朝日新聞珊瑚記事捏造事件などでその報道姿勢に疑問を持つ人も少なくありません。 麻生太郎もまた普段から朝日新聞に対して批判的であり、 今回もその延長線上と思われます。

[217] 麻生太郎は同時に夏時刻について、 熱中症などを避けるため早期導入が1つの選択肢であると述べました >>1447。 これは森元や武藤ら夏時刻推進派の主張やそれを受けた内閣総理大臣安倍晋三の反応とも整合するもので、 これをアシストする意図の発言だったのでしょうが、 まったくの蛇足というべきものでした。 日本の標準時

[218] 実際には当時の朝日新聞には約50本の夏時刻関連記事が掲載されたうち、 夏時刻廃止を訴えたものは1つもなく >>1549麻生太郎の主張は完全な誤りでした。


[221] 麻生太郎内閣総理大臣時代にも夏時刻導入の動きに関わっていました。 公表されている情報を見る限り、麻生自身は夏時刻にそれほど強い関心を持っておらず、 周囲が推進すればそれに従う程度の消極的賛成のようです。 日本標準時改正案

[247] 2013年標準時改正が提案されたときは、 改正の必要性を疑問視した上で、 昭和のサンマータイムにも 「えらい評判が悪くて1年間でやめた」と言及していました >>248。 このときも実施期間を誤っていました。

[265] ちなみに麻生太郎は、昭和のサンマータイムの改正法、廃止法に署名した内閣総理大臣吉田茂でした。 昭和のサンマータイム

[248] 財務相「なぜ2時間早めないといけないのか」 猪瀬氏に否定的 :日本経済新聞 (2013/5/28付 ) https://www.nikkei.com/article/DGXNASFL280HN_Y3A520C1000000/

サマータイム(夏時間)導入は「吉田茂内閣の時に1回やったけど、えらい評判が悪くて1年間でやめた」と振り返った。

[1447] 昭和のサマータイム廃止「朝日新聞の責任」 麻生財務相、恨み節を炸裂:イザ! (2018.8.15 12:33 SANKEI DIGITAL INC.著, ) https://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/180815/plt18081512330017-n1.html

麻生太郎財務相は15日の閣議後会見で、昭和23年に導入された夏の時間を繰り上げるサマータイム(夏時間)が4年間で終わった理由について、「(終わったのは)朝日新聞の責任だぞ」とまくし立てる場面があった。

朝日新聞の記者が、政府・与党が平成32(2020)年の東京五輪・パラリンピックの酷暑対策として、サマータイムの導入を検討していることについて質問。すると麻生氏は「確か俺の記憶だけど、違ってたらごめん」と付け加えた上で、「(当時の朝日新聞はサマータイム導入を)あおって書いたんだ。だけど良くないから止めた方がよいって(報道した)」と朝日記者に対して恨み節を炸裂(さくれつ)させた。

さらに「(止めるべきと)書いた最大の理由は、新聞記者が明るい最中だと夜に飲みに行きにくいから。それが事実だろ?」「北緯40度以上の国では多分、日本以外はみんな(サマータイムを)やっていると記憶している」と説明。その上で「熱中症で死者が出るなどの可能性を避けるため、早めに導入するのはひとつの選択肢としては正しいと思う」との見解を示した。

節電効果

[280] 当時の統計では、サマータイムによる節電効果があって、 切迫した電力事情を乗り切ることができ、 その後の状況改善で不要になった、 と説明されました。

[281] その後これを検証した研究は見当たりません。 戦災復興の混乱した状況下で、 しかも労働時間制度改正、 サマータイム実施、 朝鮮戦争勃発、 その他社会制度改革が同時並行していた、 相当に複雑な背景でのことです。 同時代には分からないこともあります。 統計値の妥当性も因果関係の分析も、 現代の視点から再検討する必要があるはずです。


[306] 読売新聞は、 残業や、 麻雀パチンコ飲酒などレジャーによる夜更しのため、 夕方から夜の節電効果がなかった >>432 と指摘しました。出典は不明です。

[432] 讀賣新聞 夕刊, 1面

よみうり寸評

サマータイム (夏時間) 制の導 入を政府は検討している。イラ ン政情に伴う石油節約のために 通産省・資源エネルギー庁が打 ち出したもので、サマータイム 採用で、わが国の石油消費は約 三百万㌔・㍑ (一%) 節約でき ると言う◆サマータイムは、夏 の間、日中の時間を利用するた めに、仕事の開始と終了の時間 を一時間早める制度だ。石油節 約のため第一次大戦中に欧米に 採用された。わが国で、昭和二 十三年に採用された方法は、五 月の第一土曜日を二十三時で打 ち切り、この時刻を翌日の零時 とし、九月の第二土曜日を二十 五時までとする方式だったが、 二十七年に廃止された◆サマー タイムが実施されたのは、米占 領軍下にあったからで、占領終 了とともにこの制度も廃止され た。サマータイムは、合理的な 制度だったが、日本人の生活習 慣にはなじまなかった。せっか く早く仕事が終わっても残業し たり、マージャンやパチンコ、 飲酒などレジャーで夜更かしし て、夕方から夜の電力消費には 役立たなかった◆当時、時計の 針を一時間進めただけでなく、 出勤時刻を三十分遅らせたり色 々細工もした。が、時計の針を 実際の時間より一時間早めるにお は、天然自然の理法に反すると いった根強い感情が日本人の胸 から抜けなかった。朝は朝星、 夜は夜星、夏は梅ぼしいただき て……という勤勉な農業国民の 意識が、合理的なサマータイム を拒否したのだ。が、先進工業 国は、ほとんどサマータイムを 採用している◆夏だけ朝一時間 早く働くだけのことなのだが ……

関連

[2] 第二次世界大戦終戦前までの提案や廃止後の再実施提案については日本標準時改正案

小笠原諸島については小笠原の標準時

外地での事例は関東州の標準時台湾の標準時

周辺諸国との比較は東アジアの標準時

[65] 昭和23年福井地震による大火は、 ちょうど夕食の準備の時間帯でが多く使われていたことで大きな被害につながったとされています。 夏時刻が実施されず中央標準時のままだったなら、 まだ夕食には早く、被害は軽減されていたのではないかと指摘されています。 >>66

[94] もっとも地震が何時に起こるかなどわからないので、 夏時刻実施により悪い時間に当たったことは、 運が悪かったとしか言いようがありません。
[66] コラム1 「サマータイムと福井地震」 () http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1948_fukui_jishin/pdf/13_column.pdf#page=1

福井地震の起きた 1948 (昭和 23 )年は、5月3日の日曜日からサマータイムが実施されて いるから、それから 56 日後に大地震が発生したことになる。

当時の体験記などには、地震は午後5時 14 分に起きたと書かれているが、サマータイム下 であるから、中央標準時では、午後4時 14 分であることはいうまでもない。

地震とともに各所で火災が発生して、たちまち燃えひろがり、福井市は一面の焼け野原にな ったのだが、出火原因については、夕食の支度のために火を使っていた家庭や料理屋が多かっ たことが挙げられる。また、風呂のかまどからの出火も目立った。午後5時すぎともなれば、 そろそろ夕食の準備や風呂の支度にかかっていたためである。

しかし、もしサマータイムが実施されていなかったとすれば、午後4時すぎの地震発生であ るから、大部分の世帯では、まだ夕食の準備に取りかかってはいなかったと思われる。したが って、出火箇所は大幅に減少していたにちがいない。

この年に実施されたばかりのサマータイムが、地震火災を招く要因になっていたとも見るこ とができよう。

メモ

[282] 回顧やサマータイム賛成・反対ではなく、 学術的な立場から検証した研究はないのだろうか。 探しても全然見つからない。

[72] 日本文化講座 - ひのもと文庫 - Google ブックス (ひのもと文庫, 1956 ) https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=ysRnAAAAIAAJ

暮れて大分タイムがある遅れました。で御案内状を差上げる時はうかっであって、

そういうことをはっきり覚えていましたらそう書けば一寸事務的な御報告を一、一一致

させて頂きます。咋晚の十一一時から時間がサンマータイムに変りまして一時聞司會

蒔田耕三.

[73] 宜野湾市史 - 宜野湾市 (Japan) - Google ブックス () https://books.google.co.jp/books?id=GgEEAQAAIAAJ

61 宜野湾村の I 部を兵舎にことを心配すべきである勤人や学生や奥さん方は朝寝

する時より一時間早くなるわけだから年のサンマータイムは実施され常活する時期、

きょうの零時か I は終り最早サンマ—タイムでの生猫がネズミをとることも忘れる頃〔

うるま,幼, ...

[252] 航海☆帝王(闘病中)さんのツイート: "やっぱりどれみても昭和のサマータイムは サンマータイムになってる。… " () https://twitter.com/kaizokuoji/status/1034111316355477504

[253] ゴードン・W・プランゲ文庫さんのツイート: "#東京オリンピック に向け、政府が #サマータイム 導入を検討中というニュースが出ていますね。さてこのサマータイム、占領期の1948年に一度導入され、数年で廃止された事はご存じでしょうか。画像は 学童良議叢書刊行会発行の「社會と生活」(1948)、「サンマータイム」の意義を簡単に説明しています。… https://t.co/sl6EfDhEd4" () https://twitter.com/PrangeColl_jp/status/1032640214525796352

[254] M.S+.さんのツイート: "「昔は日の出、日の入りでやってたんだからそうしたらいいのに」と書いている「サンマータイム」への意見が載っている暦の本(昭和24年刊)。 #ss954 https://t.co/2h5FwKsqp0… " () https://twitter.com/mdsch23/status/1030442150436036611

[255] Potebuuさんのツイート: "#サマータイム反対 私はサマータイム経験者、当時17歳だった生き残りです、戦後すぐ名前もサンマータイム、朝は一時間早く起きますが、寝るのは生理的に早くは寝付けず、兎に角 “眠い” “だるい” これが印象です、国民の不評が多く廃止された様です。" () https://twitter.com/potebuu/status/1030309864730324992

[256] 石黒彰さんのツイート: "子供の頃経験したサンマータイム、良いことは無かった。其れ故制度として定着しなかった、ロシアなどは既に廃止。緯度の高い国は日の落ちるのが遅い、夏時間にしなくとも私的活動は十分出来る。現在の室温は29℃湿度31%、冷房無しで快適です。… " () https://twitter.com/ablackstone3/status/1030293845425053696

[257] おさむしさんのツイート: "サンマータイムは横溝正史の何かの作品で読んだ。という方が多いけど、出てくるのは『女王蜂』です。 『だから九時過ぎにやっと腰をあげて、大道寺家を辞したとき、耕助の足もとはかなり危かったのである。 いかにサンマー・タイムとはいえ、九時過ぎといえばもう日が暮れている。』… https://t.co/snDnRhxehD" () https://twitter.com/osm4/status/1027796020741066752

[258] ゆーたさんのツイート: "いまの角川文庫だと『女王蜂』の「サンマー・タイム」が「サマー・タイム」に修正されちゃってるのか 誤字ではないのだから注釈で(現在は“サマータイム”の表記が一般的)とでも書いておけばよいものを" () https://twitter.com/latteteddy/status/1027184140871819264

[259] かやねずみさんのツイート: "1950年の世論調査「サンマー・タイムをどう思うか」…「給料取りに好評、農漁村では人気なし」の見出しで「わしらは昔から夏は夏時刻、秋は秋時刻で働いとるから、時計なんかどうでもええ」という農漁村の声。昔の日本人の健全さ。戦後まもなくのころには、政治家にも、きちんと物を言う人がいた日本。… https://t.co/LUaK0dmGwv" () https://twitter.com/kennenji/status/1027106942689275904

[260] 冨永 格(たぬちん)さんのツイート: "1950年の朝日世論調査「サンマー・タイムをどう思うか」…先ツイの通り、記事は「給料取りに好評、農漁村では人気なし」の見出しで「わしらは昔から夏は夏時刻、秋は秋時刻で働いとるから、時計なんかどうでもええ」という農漁村の声を紹介しているそうです。昔の日本、たくましかったなあ。" () https://twitter.com/tanutinn/status/1027032009355345920

[261] 前田 直人さんのツイート: "この記事の見出しは「サンマー・タイムをどう思うか 本社世論調査 給料取りに好評 農、漁村では人気なし」。本文では「明るいうちに帰れるからうれしい」とのサラリーマン家庭の声の一方、「わしらは昔から夏は夏時刻、秋は秋時刻で働いとるから、時計なんかどうでもえゝ」との農漁村の声も紹介。" () https://twitter.com/Nao_Maeda_Asahi/status/1027029004425998336

[262] 参議院会議録情報 第006回国会 本会議 第4号 () http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/006/0512/00610310512004a.html

[263] 衆議院会議録情報 第005回国会 考査特別委員会 第21号 () http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/005/1294/00507161294021a.html

[264] 解放迷さんのツイート: "@OnlyOn18 @akinoriTB @NoiMuzik @jumbo762 今でもときどきサンマータイム(サマータイム)復活論がでてきますが、体験者の昭和一ケタ(母)にきくとまあ、「あんないやなもんは無かった」そうです。まあ両方とも悪官僚の実績作り(ひまつぶし)でしょう。" () https://twitter.com/gobanyak/status/506930907102855168

[1420] Haruhiko Okumuraさんのツイート: "1988-04-27朝日夕刊「昭和23年4月28日、政府は「夏時刻法」を公布した」「ところがやってみると、サラリーマンは眠い目をこすっての満員電車。なかなか日は暮れず、明るいうちから酔っぱらいがあふれ、日に4回もご飯を食べたくなる始末。日本中が睡眠不足になり、27年4月、廃止」" () https://twitter.com/h_okumura/status/1027745850875760640

[266] Haruhiko Okumuraさんのツイート: "歳がバレるけど(もうバレてるか)私は1951年生まれ。生まれたのは何時何分だということまでわかっているが,あれはJST(日本標準時)じゃなくJDT(夏時間)だったのかと今ごろ気づく" () https://twitter.com/h_okumura/status/1028965155697094656

[1423] Tadさんのツイート: "かつてのサマータイムを実体験した小林信彦さんのコラムより。「日本人の生活感覚と相容れないことは、”往年の4年間の人体実験”によって身にしみている」とも。サマータイム、絶対に無理。 『最良の日、最悪の日』(小林信彦 著 2000年刊)… " () https://twitter.com/CybershotTad/status/1027497747430105089

[274] 会議議事録 () https://web.archive.org/web/20000305032019/http://www.kokuminkaigi.gr.jp/gijiroku1_4.html

私は、昭和23年頃はまだ子どもで、九州で育っていましたので、サマータイムになって、これはいいと。夕方いくら遊んでも日が暮れないから。東京より日が暮れないのです。

子ども同士で遠くまで遊びに行って、帰りにどうやって帰るか困ってしまい、夜中になって親に心配かけて叱られた覚えがあります。

[275] 会議議事録要約 () https://web.archive.org/web/19990821051125/http://www.kokuminkaigi.gr.jp/hearing1/okinawa/giji_1.html

生活に合わないとか、時計を変えるのが大変などという感情的理由と、景気回復を背景に1952年に廃止されました。

[276] 会議議事録要約 () https://web.archive.org/web/20001118071300/http://www.kokuminkaigi.gr.jp/hearing1/hokkaido/giji_4.html

私は昭和23年から27年までのサマータイム導入された時期、ちょうど小学校高学年から中学3年までの間で経験を致しましております。で、私の経験から申しますと、朝の通学時間帯、更に寝るとき等の苦痛というのは少年期の健康に非常に問題があったのではないかという風に考えてございます。体験と致しまして私は何ら良い思いは致しておりません。

[277] 会議議事録要約 () https://web.archive.org/web/20010508042832/http://www.kokuminkaigi.gr.jp/hearing1/chubu/giji_3.html

戦後の昭和の23年から26年に日本においてサマータイム制度が実施されていた時の経験では、太陽の明るさを有効利用する合理的な制度であると、全く抵抗感もなかったし、むしろ昭和27年に無くなったことの方が不思議に思えた。

[278] 会議議事録要約 () https://web.archive.org/web/20020929204150/http://www.kokuminkaigi.gr.jp/hearing1/shikoku/giji_5.html

(事務局:上野)

昭和20年代GHQが導入した理由についてですが、当時、石炭需給の非常な悪化があり、戦後でエネルギーが不足しており石炭が非常に不足していたことから、GHQが導入したものです。法律を作ってから施行するまでに3日しかなかったこともあり、国民が混乱という経緯があります。

[283] サマータイムに関する現状の認識整理 立命館大学情報理工学部教授・上原啓太郎氏 - IT記者会講演再録 () http://interview.hatenablog.jp/entry/2018/09/02/225008

当時の新聞をデータベースで検索しますと、サマータイムとか夏時間、サンマー・タイムとかですね。そうしますと、雰囲気としては最初のうちは普及啓蒙。というのはたしか法律が決まってからたった3日後という乱暴なスタートだったので、最初は大混乱だったんですね。それで政府は新聞で啓蒙したんです。

ところが制度をスタートして3年目になると、投書欄とかにですね、「辛い」とか「苦しい」といった声がいっぱい出てきます。「苦しい夏時間」(笑)なんていう見出しで、いつまで経っても子どもは寝ないし、騒がしい時間が夜まで続くし(笑)、という話がありまして、それに対して政府は、「いやいやそうじゃなくて、皆さんが自主的に時間を管理してずらせばいいじゃないですか」というようなやりとりがあって、結局は議員提案のかたちで廃止されています。

[2268] [tz] Japanese Summer time fallback transition in autumn 2020? () https://mm.icann.org/pipermail/tz/2018-September/026891.html

[322] 4月28日 日本で「夏時刻法」が公布(1948年)(ブルーバックス編集部) | ブルーバックス | 講談社, https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72035

欧米流の生活習慣を日本にも根付かせようという試みでした

[324] 国立公文書館さんはTwitterを使っています: 「かつて日本にも、夏時刻法により、昭和23年(1948)5月1日に開始されたサマータイムがありました。初年度を除き、4月の第1土曜日から9月の第2土曜日までを1時間早めるというものでしたが、日本に馴染まず、昭和27年4月11日に同法は廃止されました。 https://t.co/D3PXKz82cO https://t.co/871ldVT1xN」 / Twitter, 午後0:00 · 2022年4月11日, , https://twitter.com/JPNatArchives/status/1513351176825319425

[325] 弘道 64(689), 日本弘道会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6058231/1/15 (要登録)

GHQ政策の最悪失敗例として例示している