[3] 現在東アジア各国では、 、 、 、 が標準時として用いられています。
[4]
[81] 東アジアの近現代史は、 時刻の統一と分断の歴史でもありました。
[39] 支那の王朝と周辺の属国では、 中央で制作された曆 (中国式太陰太陽暦) が周辺国に与えられる形を採っていました。 暦の計算には、 首都の時刻が用いられていました。
[41] 日常生活全般で用いられる近代的標準時制度とは異なり極めて限定的ではありますが、
支那、滿洲、朝鮮、越南、琉球など広範囲で共通に用いられていました。
[21]
[22] 東アジア諸国の中では大日本帝国が最初に中央標準時 で国内を統一しました。
[24] 1904年頃、 大韓帝国では、日本に近い釜山や、 日本の資本により建設された鉄道を中心に が広まっていきました。
[25] 日露戦争後の南満州では、 それまでのロシア帝国のハルビン鉄道時にかわって が鉄道などで広まっていきました。
[26] このように、当時現地国家の標準時が存在していなかった朝鮮半島や南満州へと、 日本の中央標準時が拡大していきました。 とはいっても、大日本帝国が国策として中央標準時の適用範囲の拡大を狙ったのではなく、 軍用時が軍の進攻に伴いなし崩し的に広まっていったに過ぎないと思われます。 次の通り、戦後の体制が整えられるに連れて正式な標準時が定められ、 中央標準時は縮小していきました。
[29] 1896年、
大日本帝国領先島諸島と大日本帝国領台湾の標準時が西部標準時
と定められました。
[27] 1907年、
大日本帝国領関東州および満鉄附属地の標準時が西部標準時
と定められました。
[28] 1908年、
大日本帝国保護領大韓帝国の標準時が
と定められました。
[138] 大日本帝国の領土が拡大した場合、当初は現地の経度に基づく標準時が用いられていましたが、 時差による混乱も多かったらしく、中央標準時へと統合されてゆきました。
[6] 昭和前期には、 交通と通信の発達により国内および周辺国との結び付きが深くなっていた上、 世界的なブロック経済化によりますます周辺諸国との経済統合が進んでおり、 時差がその障害となっていたようです。
[139] 標準時が統一された大日本帝国と満州国の領域だけでなく、 中華民国南京国民政府 (汪兆銘政権) の統治下にあった支那大陸の海岸部や英領香港、 上海租界なども夏時刻を実施 (大東亜戦争期は通年実施) していました。 更には第二次世界大戦中の南方占領地でも中央標準時が用いられたといいます。
結局、西太平洋から東南アジアにかけたかなり広い範囲 (当時でいう大東亜) で が事実上の大東亜の標準時として使われることとなりました。
[71] 1940年代後半には東アジア各国で夏時刻が実施されました。 しかし生活習慣に合わないなどの理由でいずれも数年で廃止されています。
[228] 米国の統治下にあった日本、琉球、大韓民国では、 ほぼ同じ期間に夏時刻が実施されていました。
[43] 日本では、法律の制定により夏時刻が実施されました。 国会審議の過程では米国や GHQ の関与や周辺地域との協調に明確な言及は見当たりませんが、 GHQ の指示で夏時刻が実施されたというのは定説になっています。
[44] 琉球では、米軍当局の指示やそれに基づく行政機構の法令により夏時刻が実施されました。
[45] 大韓民国では、 独立前には米軍当局の指令により、 独立後には大統領令により、 夏時刻が実施されました。
[46] 日本の法律は実施スケジュール込みの恒久法として制定されたのに対し、 琉球では毎回個別に実施される形となっており、 大韓民国の大統領令は恒久法の形を採っているものの毎年改正されていました。 琉球と大韓民国は日本に追随して同じ期間に実施することを意図したように見えますが、 急な変更には追いつけていませんでした。
[47] おそらく、各地域の政府がそれぞれの都合で独自の制度を定めたものの、 日本にある司令部のもと各地域で活動する米軍にとって日本の時刻に揃えた方が都合が良く、 都度介入していた (大韓民国の標準時制度には在韓米軍が介入していることが知られています。)、 といったところなのでしょう。 地域全体の時刻政策を日本政府、韓国政府、米軍が協議したというわけではなさそうです。 日本の夏時刻法廃止後に大韓民国は標準時を改正し夏時刻を復活させ、 異なる時刻を用いることとなりました。
[10] 中華民国にかわって支那大陸の支配者となった中華人民共和国は、 経度上は最大4時間 (5区) 分の時差があるウイグルやチベットから滿洲までを含む全国で を単一の中華人民共和国の標準時として用いています。
[11] は台湾の標準時やシンガポールの標準時でもあり、 広範囲で通用する統一時刻となっています。
[35] 北ボルネオやラブアン島は、 香港との政治・経済的なつながりから を採用した経緯があります。
[36] 西マレーシアやシンガポールは東マレーシアとの標準時統一のため
を採用しましたが、シンガポールと同じく金融の中心都市である香港や、
経済的に密接な関係のある中国との関係のため
が重要であるとよく説明されています。
[13] ASEAN 各国の関係強化のため、ASEAN標準時として
を採用することも提案されています。
[37] 国家の標準時が ではない東南アジア諸国でも、 国境付近では中華人民共和国の標準時 が越境している例がいくつも見られます。
[15] 日本と大韓民国は、 地理的・歴史的な関係性はもちろん、 冷戦期の米国を含めた西側陣営としての政治的・経済的・軍事的に密接な関わりがあり、 共通の標準時 がこれを支えています。
[16] 大韓民国は一時標準時を に改めていましたが、
この地域で活動する米軍の都合を理由に に戻されました。
[17] 大韓民国はその後夏時刻を実施していましたが、現在は実施していません。
[18] 日本でも大韓民国でも、夏時刻の再導入論があります。
その中で他国との関係に言及されることは (賛否どちらの立場とも) 必ずしも多くありませんが、
政府間で協議されるに至ったこともあります。
[20] 朝鮮民主主義人民共和国も長らく同じ標準時
を採用していましたが、東側に属し現在も日本とは国交がなく大韓民国とも戦争状態にあるため、
同一の時間帯に属するとの意識はそれほど強くありませんでした。
2015年に に改められましたが、
その影響もほとんどありませんでした。
そのわずか3年後の2018年に、
南北の標準時の統一を謳って に復帰しました。