[44] 20世紀頃、グレゴリオ暦より更に改良された暦法の採用をめぐり全世界的に議論が行われ、 色々な暦法改良案が提出されました。
[77] 18世紀末から19世紀初めにかけての革命時代のフランスは、 大胆な変更を加えたフランス共和暦を採用しました。 しかしこれは様々な理由から失敗に終わり、元のグレゴリオ暦に復しました。
[143] 1884年 >>27、 フランスの天文学者のカミーユフランマリオンは、 1人で天文雑誌ラストロノミーを出版していましたが >>137、 改暦案を募集してほしいと匿名で5000フランの賞金が提供されました >>27, >>137。 これに対して多数の改暦案が集まり、 募集期限を延期したところ最終的に54案が提出されました >>137。
[144] 同じ頃フランス天文学会が設立され、 フランマリオンが会長となりました。 改暦案はフランス天文学会の審査委員会 (審査委員長はフランマリオン) で審議され、 1887年の初めに報告書が学会に提出されました。 報告全文はラストロノミーで6月以後数回に分けて掲載されました。 >>137
[2] 提案のうち6案に金牌と賞金が授与されました >>27。 1等賞から11等賞くらいまであり、 1等賞には1500フランくらいが与えられました >>137。
[145] 日本の天文学者の寺尾寿は、 開催の通俗講談会で 太陽曆の話として仏国の改暦案を紹介し、 東洋学芸雑誌の (88號)、 (89號) に掲載しました。 1等賞の案 (5.2.1) の修正案 (5.2.3) も披露しました。 (これは後に天文雑誌でも紹介しました。) >>137
[155] 1889年、 パリ大博覧会の折に改暦についての万国会議が企画されました >>172 が、 成立しませんでした >>139。
[3] 19世紀末、 ロシアはユリウス暦を用いていましたが、グレゴリオ暦を用いる他国との交渉の不便から、 新世紀を機に改暦を企てました。 1899年、ペテルスブルグでロシア天文学会が主催し、 各官庁、教務院、学士院、各学会の代表者を招集した会議が行われました。 その結果、グレゴリオ暦は不完全であるため不採用とし、 新暦法の発達を待つことと決められました。 >>27
[4] その後暦法改良は欧州の産学官各界の重大な問題となりました。 のロンドンの列国商工業会議所連合会は、 全会一致により、 全世界共通の暦法を制定すること、 復活祭の日を一定にすることを望むと決議しました。 、ブルッセルの在外仏国商業会議所総会も同内容で決議しました。 >>27
[5] 英国の下院には、グロスクロード案が提出されました。 >>27
[6] ローマ教皇は、ベルギー国の外交当局者の交渉に応じて、 暦法改良に反対しないと宣言しました。 >>27
[7] 大日本帝国の帝国議会の衆議院でも、 工藤の中正暦や増田の暦法調査会が取り上げられました。 >>27
[8] スイス政府は、 グロスクロード案に対する意見を募集し、 列国会議を開催しようと企てました。 >>27
[160] 1911年、 英国議会に改正案 (5.2.5) が提出されました。 >>159
[9] 1913年、 ペテルブルグで開催された列国学士院連合会の総会では、 パリー学士院代表のデランドルの提案により、 各学士院から2名以下の代表を選出した特別委員会を設置し、 暦法改良を議論することになりました。 >>27
[19] 第一次世界大戦によって暦法改良問題は事実上棚上げとされましたが、 終戦後にロシアと土耳古がグレゴリオ暦を採用、 ギリシャがトルプコヰッチ(甲)修正案を採用し、 「世界中の暦が始めて統一」>>27 されました。
[20] 1922年、ローマの国際天文学協会で暦法改良問題の専門委員会で、 フランス代表のビグールダンの司会により、改暦案が示されました。 しかし週の改良に強固な反対があり、総会決議とはなりませんでした。 >>27
[21] 1923年、国際連盟交通通過委員会で取り上げられ、 国際連盟事務局から各国政府を通じて各団体、研究者の改暦案を募集しました。 185案が提出され、各分野の専門家で議論されました。 その結果、改暦問題が十分に理解されておらず、各国世論が統一されていないとして、 国際連盟から各国に暦法改正国内委員会を設置するよう要請されました。 次の各国他計15ヶ国に国内委員会が設置されました。
しかし他の各国はほとんど無関心でした。 >>27
[73] 平山清次は、現行暦の不便にも関わらずこのとき改暦が成らなかったのは、 週をどう扱うか決まらなかったためだとしていました。 平山によると国際連盟がこの問題を扱う以前から
... の2案が有望視されていました。しかし >>74 は週外の日を置くことに宗教団体からの反発があり、 >>75 は年の日数が一定しないことが問題でした。 >>27 110ページ
[78] 、 ソビエト連邦はグレゴリオ暦からソビエト連邦暦に改暦しました。
[22] 1930年、 国際連盟は次の3案のいずれを採るか決めようとしました。 >>27
[79]
1931年夏、
ソビエト連邦暦が一部改正されました。
[134] 、 日本の大阪で週刊朝日と京都花山天文台が主催する改暦座談会が実施され、 週刊朝日第20巻第4號に掲載されました。 実業界各方面十数人の意見が掲載されましたが、 ほとんどは13ヶ月案に反対でした。 >>132
[38] 、ジュネーヴの国際連盟交通通過部総会の暦法委員会では、 復活祭の固定を認めることが決められましたが、 暦法改正は合意に至りませんでした。
[129] 平山は、 現行暦の欠点は各国了承しているものの、 既に世界的に統一されたものをまた変えようとするのは大変なことであり、 カエサルやローマ教皇のような強大な権威が必要であるが、 果たして国際連盟にそのような権威があるか、と改暦の実現性に疑問を呈しました。 >>27
[80] 、 ソビエト連邦はソビエト連邦暦からグレゴリオ暦に改暦しました。
[207] 1947年、 国際連合経済社会理事会に世界暦採用に関する決議案が上程されましたが、 審議は延期されました。 >>205
[208] 、 が日曜日となり世界暦への改暦の好機だとして特に強力な働きかけがあった結果、 国際連合経済社会理事会で改革に関する決議案が可決され、 各国政府に改暦に関する意見が求められました。 >>205
[209] それに対する各国の反応は、次の通りでした。 >>205
[211] 日本は、 改暦は社会全体に甚大な影響を与えるから、 諸方面から十分に検討してはじめて決定されるべきだ、 と回答しました。 >>205
[10] 平山清次は1913年の論文で、 当時の諸改暦案を次の通り分類しています。 >>27
[11] グレゴリオ暦の置閏法は、 平年が7年続くことがある (閏年が非連続的である)、 1年が太陽年より平均0.0003日長いことが欠点とされています。 >>27
[97] もっともこの欠点よりも他の欠点の方が重大であり、 無理に改める必要はないとも考えられます。 ただ他の点を改めるのであれば、 同時に置閏法も将来に改良の必要性が生じない程度に改良するべきであろう、 と平山は考えていました。 >>27
[81] 平山は各案を次のように評価しました。
... で得られます。ここで T は、 から 100ユリウス年 (= 36525日) を単位とする時間です。 これによると、
年 | T | 日数 |
---|---|---|
1500 | - 4.00 | 365.242223 |
2000 | + 1.00 | 365.242193 |
2500 | + 6.00 | 365.242162 |
3000 | +11.00 | 365.242131 |
3500 | +16.00 | 365.242101 |
4000 | +21.00 | 365.242070 |
... となります。この値の精度ははっきりしていませんでしたが、 2000年前後には小数点以下4位か5位、 4000年前後には小数点以下3位か4位くらいは正確だろうと平山は見ていました。 >>27
[84] この回帰年の平均日数と比較すると、9案中 3 と 4 が最適となり、 「不連続性」の少なさでは 4 が優良といえますが、 しかし平年と閏年の判定が分かりづらいのが欠点です。 >>27
[85] 7 は回帰年平均日数では 3 と 4 に次ぐもので、 「不連続性」は 2 や 3 より低く、 これも優良な案といえます。 >>27
[86] ただし 7 では 1600年、2000年が平年、 1800年が閏年となります。 グレゴリオ改暦直後の1600年から 2000年まではグレゴリオ暦と一致する方が都合が良いとして、 平山は 7 の置閏法を微修正した案を示しました。 >>27
[87] 新暦を長く使うためには回帰年が徐々に短くなっていることを考慮するべきだとして、 置閏法を更に修正した案も示しました。 平山はこれを最良の案と考えていました。 >>27
[88] グレゴリオ暦と比較すると置閏法はこれらの修正でますます複雑になっています。 理論的な複雑さや「不連続性」はそこまで変化していませんが、 一般人が記憶するのが難しくなっているのは確かです。 グレゴリオ暦との互換性と回帰年の近似性を両立させるためにはそうするしかないのでしょうが、 平山のいうほど優良と評価していいものかどうか。
[89] 8 は複雑で記憶困難であることが欠点ですが、 連続的である点と回帰年の短縮を見越して小さな値とした点は優れています。 >>27
[90] 9 は 7 の「不平均」を改良したように見えますが、 5年に3回の閏を置くことになり不平均は却って大きくなった >>27、 と平山はあまり評価していませんでした。 ただ 7 と同等の精度を遥かに単純な規則で実現した点は優れているとみるべきでしょう。
[91] 1 や 8 のように連続的であることと極端に正確であることを両立させるには、 一定の太陽黄経と一定の子午線を基準に随時、閏年かどうかを定めるという方法があります。 しかしそれでは専門的で複雑な計算が必要となり、 採用する太陽表によって異なる結果となる可能性があります。 支那暦が年々複雑化したのと同様、 太陽運動に一致させようとすると計算が複雑化するのは必至であり、 暦法の実用性すなわち簡単さと正確性は両立しません。 >>27
[12] グレゴリオ暦の年始はニケア会議で春分をと定めたことにより決まったもので、 季節と何ら関係していないことが問題とされていました。 >>27
[98] 四季の区別は洋の東西を問わず昔から行われている便利なもので、 自然に決まるため動かすことも出来ないため、 年始を動かし両者を一致させるのは当然のことと考えられました。 >>27
[99] 分点至点を季節の区切りとするのは西洋の習慣、 立春を年始とするのは東洋 (やカエサル時代) の習慣でした。 >>27
[147] 仏国天文学会第1等賞案は、 冬至頃を年始とすることを提案していました。 審査委員も賛同しましたが、 より大きく変更し、 欧米のみならず支那や日本でも新暦が採用されるように設定するべきとしていました。 >>137
[17] 年始の移動は10日差の冬至ですら大きな混乱が予想されます。 実際にユリウス暦やグレゴリオ暦の改暦でも混乱がありました。 >>27
[101] 平山はそこまでして季節を移動させる必要があるのかと疑問を呈しながらも、 40年間閏日を置かないか、 8年間1年を364日に減らすことで、 比較的容易に移行できると提案しました。 >>27
[161] 、平山は新聞に次のように書いていました。 >>162
[18] 各月の日数が著しく不均等なのが欠点です >>27。
[102] 平均位置からの差異は 3 が最良で、理論上これ以上の改善はできません。 しかし閏年が5ヶ月も大小を変更しなければならないのが欠点です。 正確性と単純さは両立しません。 >>27
[103] 閏日を年内に置くか年末に置くかについては、 年内だと通日が変化するものの特殊な人々のみへの影響であり、 年末は一般の人への影響が大きく、 年内に置くのが無難だろうと平山は評価していました。 >>27
[104] 暦日と週日はまったく無関係で不便であるため、 これを改良しようとする提案がありました。 そのうち、 平年52週364日、 閏年53週371日とし、 1週年の平均日数を回帰年の日数に一致させようとするものが閏週案です。 >>27
[106] 1、2 は平均日数をグレゴリオ暦に合わせて、 置閏法もこれに倣って「不連続」的にしたものでしたが、 平山は日付の最大離隔が大きな値となることから「甚だしい誤謬」 と批判しました。 3 は連続的でありこの点では適切なものでした。 (グレゴリオ暦の最大離隔 1.10 と比べて3倍以上ではありますが、閏週案では不可避です。) >>27
[107] しかし 3 の置閏法は記憶困難です。ここでもやはり正確性と実用性は両立困難ということなのでしょう。
[108] 閏週を置くとして、 1年の月日の割り振り方には次の各案がありました。 >>27
[109] 4.2.1 では月が28日か35日となり、不便に思われます。 >>27
[110] 4.2.2 は「多少革命的」ですが閏週案にはむしろ適応するものです。 >>27
[111] しかし平山はこのどちらも満足がいかなかったとみえ、 また別の方法を「変形してここに持ってくるのも一の方法であろう」 >>27 として挙げていました。
[112] いずれの案もグレゴリオ暦の年や月の構造を破壊する大胆な変更となっています。 グレゴリオ暦の年や月と週は根本的に相容れないので、 週を重視して設計するとこうなるのは避けられないのでしょうが、 このままの形では到底受け入れられないものだったと思われます。
[113] 1年から1日または2日減らすと 364日 = 52週となることから、 余った1日または2日を週から除外することで、 毎年の暦日と週日の関係を一定させるのが除日案です。 >>27
[114] 除日した日を余日 (餘日) と呼ぶことにします。 >>27
[214] 週に属さない日を設ける案は、 欧米の宗教から反発を受けました。 週と曜日の7日間のサイクルは、 古代から延々と繰り返されてきて、 グレゴリオ改暦でも改変されませんでした。 例えばキリスト教で日曜日は重要な曜日ですが、 改暦によって「本来の日曜日」と新暦の日曜日がずれては困ります。 同じようなことは、 日干支と暦日の関係を固定化しようとした改暦案でも指摘されました (>>154)。
[115] 第1種は、1月の日数を 7 の倍数とするものです。 次の案がありました。 >>27
[118] 5 においては月に属さない週を Easter week, Julian week, Gregorian week, Christmas week と呼び、各季の業務を整理する日とすることにしていました。 >>27
[116] 1 の 13 月というは素数で扱いにくく、 西洋では 13 が忌避される数であることも都合が悪いといえます。 >>27
[157] 、 米国人チャールス・フイシヤーは、 在サンフランシスコ日本領事館に13ヶ月案を持ち込み、 日本人学者の意見を求めました。 領事は革命的提案であるから現実的ではないと回答し、 外務省から東京天文台の寺尾の元へと送付しました。 フィッシャーは暦日と週日の関係が固定され会社や銀行で都合が良いとしていましたが、 寺尾は上半期・下半期のような2分割ができず日本では都合が悪いと考えていました。 >>139
[158] 仏国の募集でも13ヶ月案はいくつかありましたが、 審査委員会はやはり分割し辛いことから重視しませんでした。 >>139
[131] しかし1930年頃の米国では 1 を修正し閏日を6月末に置くこととしたコツウォース案が有力となっていました。 コツウォースの世界的な宣伝活動により、 改暦案といえば13ヶ月案と思われるほどになっていました。 >>132 (>>22 C案、国際固定暦)
[117] 13 を回避するべく 4 は月を2分し、 3 や 5 は4分して四季に配分していました。 平山は月に属さない週や日の存在に議論があるだろうが 3 のように無理に月に押し込むのも良くないとし、 四季に配した 5 が良いと評価しました。 >>27
[119] 第2種は、 1月を30日または31日とするものでした。 原則とし1年を4季とし、1季を3月としていました。 暦日と週日の関係は3ヶ月で循環するものでした。 >>27
[146] 1 の仏国天文学会第1等賞案と第2等賞案はほとんど同じでしたが、 1等賞は第1月1日を月曜日、 2等賞は日曜日としていました。 しかし月初が日曜日となると商取引などの都合がよろしくないとして、 月曜日案が1等賞となりました。 ただし寺尾は、 日本では逆に月末が日曜日とならない方が都合がよいのではないかと指摘しました。 >>137
[120] 余日と閏日を連続させるのは週外の日をひとまとめにするという趣旨でしょうが、 季節配置が不均等となるのが欠点です。 >>27
[121] 余日と閏日を月から除外するのは月の日数の規則性のためでしょうが、 各種統計や日常生活にも不便です。 >>27
[122] 年末や年始に閏日を置くのは紛らわしく、 6月末に置くのが妥当とも考えられます。 >>27
[123] こうした観点から平山は 8 が好ましいとしました。 >>27
[124] 7日の週を廃し他の期間を設けるものが廃週案でした。 次の案がありました。 >>27
[125] 1 は天文的意味を消失した週と月を廃止する理想的改良案ながら、 実現性は低いと平山は評価していました。 >>27
[126] 2 には 1.1, 1.2, 4.* と同種の欠点がある上、 800年ごとに2週除くことになるのは粗漏も甚だしいと平山は批判し、 問題ないとする修正案と別案を示していました。 ただし8年に1回除週することが実用上如何なものかと疑問も呈していました。 >>27
[127] 4 は5日単位とすることが便利であり、 閏年のみ週外の日を置くことで暦日と週日の関係を維持しており、 実生活上最適だと平山は評価していました。 5日や10日を単位とする習慣は昭和初期の日本にもまだ残っていましたし、 他国にもありました。 >>27
[28] 第一次世界大戦後にギリシャが改暦した際、 グレゴリオ暦ではなくトルプコヰッチ(甲)修正案の置閏法を採用していたようです >>27。 すなわち、
[222] ソ連新暦を紹介しつつ他の案も紹介する新聞記事
[1] 1930年代に世界暦協会のアケリスにより提案された暦法です。 現在暦法改良案の代表例として知られています。
[206] アケリスは現在最も使われているグレゴリオ暦の欠点として次のようなものを挙げた。
アリケスは前者2つを是正した次のようなルールの暦法を提案した
[196] 便利といえば便利な暦法である。しかし、曜日は宗教とも密接に関連しているので(どの暦法でも, 七曜は同じ日である)反対も多く廃案となった暦法である。
[50] 世界暦協会は >>49, >>205 にニューヨークでアケリスを会長として設立され >>205、世界各地で活動しました。
[195] 昭和24年の「輓近」、 日本の「一部にも呼びかけ」ました。 >>190
[51] 世界暦協会は提案が国際連盟や国際連合で否決されたために に解散しました >>49, >>205。
[267] 19360815npa10.pdf, , https://rakusai.nichibun.ac.jp/hoji/contents/NippakShimbun/PDF/1936/08/19360815npa10.pdf#page=4
[268] 合理的な「世界暦」の話, M.Suzuki, http://koyomi8.com/doc/mlwa/202202270.html
[269] 世界歴とSmile - FMHaro! Smile On Radio, https://smileonradio.hamazo.tv/e8734491.html
[315] 現代用語の基礎知識 1948年版, 時局月報社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2498074/1/74 (要登録)
[316] 天界 = The heavens 40(407), 東亜天文学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3220070/1/36 (要登録)
[317] 天界 = The heavens 62(10)(677), 東亜天文学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3220340/1/7 (要登録)
[251] 西暦に代わる新たな暦を考えてみる | さすらいの調査人, 2021.09.30, https://sasuraichosa.com/change-the-christian-era-to-a-new-calendar
[252] >>251 「産業紀元(Industrial Era、IE)」 としてをIE0年にする紀年法を提案し、 世界暦と併用することを提唱しています。
[253] しかしこのサイト自身も実用していません。
[133] 19世紀末ごろから提案されていました >>132。
[46] 国際固定暦 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%9B%BA%E5%AE%9A%E6%9A%A6
[197] 工藤茂三郎が改暦案を考案したのは明治30年のことでした >>190。
[148] 仏国の改暦案が日本に報じられた後、 工藤茂三郎が改暦案を寺尾寿の元に持ち込みました。 仏国第1案と似た趣旨のものでしたが、 週ではなく60日の日干支と暦日との対応を固定するべく、 日干支のない日を設けるものでした。 寺尾は工藤に対し、 日干支を日常的に扱っていて、 それが暦日と一致しないことを不便に感じているのであれば、 それはよい考えだろうとし、 仏国第1案を紹介しました。 しかし祭日や吉凶の決定に日干支を用いている者が人為的に改変した新しい干支を採用するとは考えにくいと指摘しました。 >>138
[153] 工藤は平山の元にも改暦案を持ち込みました。 >>138
[150] 工藤の改暦案は中陽曆と命名され、更に中正曆と改称されました。 日干支と暦日との関係の他、 年始、 日の名称 (月の間に挿入する日付のない日は春中日、夏中日、秋中日、冬中日、 年の中間の月に属さない日は歳中日)、 二十四節気の名称を定めていました。 >>138 (5.2.4)
[152] 日干支や月に属さない餘日と閏日は、 曜日は前日と同じ土曜日とされ、 土曜日だけは2連続で現れ得ることになっていました。 >>138
[198] 明治42年、 請願が帝国議会を通過し政府に送付されました。 >>190
[199] 明治43年、 補助費下付の請願が帝国議会を通過し政府に送付されましたが、 政府は下付不実行としました。 >>190
[151] 中正曆は帝国議会に請願として提出され、 文部省から東京天文台へと送られてきました。 天文台長の寺尾はこれに対する私見を講演し天文月報に掲載し、 得られた意見を踏まえ東京天文台の曆の主任たる平山と回答をまとめることとしていました。 >>137, >>138
[154] 寺尾は工藤の改暦案について厳しく批判しました。 仏国案が従来の週と似て非なる形に週を「破壊」した (>>214)のと同様、 日干支を似て非なるものに「破壊」するものであり、 以前これを指摘したにも関わらず理解されなかったことを遺憾としました。 年始を立春とすることも (寺尾も平山も) 要領を得ないとしました。 時刻 (瞬間) である二十四節気を日の名称とし、 節気間の日数も改変していることも「破壊」であるとしました。 中正曆には記載されていませんが、 以前の中陽曆や中陽論には、 一番寒い日の翌日が立春である、 寒いときは世界同時に寒くなるというようなことが書いてあったようです。 >>138
[185]
の読売新聞には、
萬世不易 北斗中正
[186] の読売新聞には、 大正四年北斗中正曆 (出版印刷: 玄文社) の広告が掲載されていました。 暦法改正は世界の大問題であるところ、 中正曆は「世界に賞讃を受け居れり」というものと紹介していました。 しかし太陽暦、太陰暦の2暦を併記し各種暦注があることを売りにしていたようで、 特に「太陰曆」は本文中最も大書きとされていました。 また、「內務省著作登録済」であって 「世のヲバケと稱する僞曆やゴマカシの秘密出版物」 ではないことを強調していました。
[187] 明治時代末期に公式な暦の旧暦併記が廃止され、 しかし旧暦の習慣が未だ根強く「お化け暦」 が流通していた世情にうまく便乗して普及させようとしていたことがわかります。
[200] 大正14年、 新渡戸稲造が国際連盟に提出しました。 >>190
[201] 昭和24年、 日本国の第5回国会に暦法改正の請願が提出されました。 >>190
[193] 、 日本国の第6回国会の衆議院文部委員会は、 文書表番号第一八〇号 暦法審議会設置の請願 (眞鍋勝君外一名紹介) を審議しました。 文部委員会理事の圓谷光衞 (福島県選出) と衆議院議員の眞鍋勝 (徳島県選出) が説明しました。ただし前者は理事としての代理説明と思われます。 「外一名」は不明です。 暦法審議会設置を求める請願を説明したのに対し、 政府から文部事務官の森田孝が慎重に検討する必要があると答えました。 請願は可決され政府に送付されたようです。 >>190
[194] 説明によると、請願者は工藤茂三郎の子であって、 グレゴリオ暦には問題があって日本では旧暦や月遅れ暦が実施されており、 海外では世界暦などの活動があることから、 中正暦や世界暦などを各界代表者で検討する審議会を設置する必要がある、 と主張していました。 >>190 子供世代に引き継がれて依然改暦活動を続けていたことがわかります。
[204] 工藤繁三郎の作った中世暦について知りたい。 | レファレンス協同データベース (国立国会図書館著, ) https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000263246
本田親徳 <三五> ↓ 出口王仁三郎 <大本教> <十ケ月暦> ↓ 三五教 <月光天文台> ← 山本一清 <天文学者>
[254] 692 十ケ月暦|玉鏡|三鏡 - 霊界物語ネット, https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg692
[255] 随筆(一〇)|第五巻 言霊解・其他|出口王仁三郎全集 - 霊界物語ネット, https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121805c210
[259] 『神霊界』大正9年1月15日号掲載|第一章 出口王仁三郎関係文書|大本史料集成 - 霊界物語ネット, https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195502c110710
[260] 人類愛善と青年の動き|第二章 満州事変と大本|大本七十年史 - 霊界物語ネット, https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195402c5211
[257] ミロクの世の暦「十ケ月暦」の謎 | 飯塚弘明.com, https://iizukahiroaki.com/?p=620
[256] 「恒天暦」とは? | 飯塚弘明.com, https://iizukahiroaki.com/?p=626
[258] 出口王仁三郎の「十ケ月暦」 - オニド:王仁三郎ドット・ジェイピー, Iizuka Hiroaki, , http://www.onisavulo.jp/modules/ond/index.php?content_id=168
[182] 真正太陽暦は、 皇大神宮 (伊勢神宮内宮) 子午線を本初子午線とし、 立春を年始とする暦法です。
[183] 国際連盟に暦法改良案として提出されたといわれますが、 詳細は不明です。
[213]
大東亜戦争中に本初子午線を東京天文台にする提案が帝国議会に請願されたことがありました。
[184] 現在までに確認されている言及は、 「復活」を望む人物1人と Twitter アカウント1つだけです。
[292] 大東亜紀元元年、八紘一宇元年のような紀年法が提案されていたとのこと >>273。 (ウェブ公開分からは確認できない。)
[313] 暦の本質とその改良, 能田忠亮, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1063830/1/140 (要登録)
[314] >>313 大東亜暦だけでなく明治時代の改良暦提案達も紹介されている。
[273] 昭和戦中期の暦 ――暦と大麻の頒布強制と頒暦数の急伸, 下村 育世, , , https://tcue.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=21&item_id=1046&item_no=1 #page=23
[278] スローガン的元号のようにも見える「大東亞紀元元年」、 皇紀2601年。
[280] これもスローガン的元号のような「大東亞紀元元年」ながら、 「大東亞元年」「大東亞二年」とも。 皇紀2601年。
[282] 「大東亞戰爭第二年」
[285] 「大東亞戰爭二年」
[283] 序文「大東亞二年夏」
[309] 日本総力戦の研究 上巻, 寺田弥吉, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1460246/1/248
[311] しかしこの時代の人々は日本以外でもこういうことを真面目に取り組んでいて、
世界各国で「戦争に勝つため」戦争時間が実施された。
中華民国重慶政府も標準時を変更して戦争に勝とう!とやっている。
[351] 現代人は笑うかもしれないが、日時制度は人の動きを制御し、 考え方を制約する。日露戦争では軍事作戦の時刻同期のため日時計を配るしかなかったが、 大東亜戦争では無線通信が当たり前に使われた。 日本軍はどこにいても中央標準時を使い、 米軍は地域ごとに米軍時間帯で区別していたが、 この違いは必然的に軍事作戦のあり方に影響してくる。 こうして考えると戦争に勝つため日時制度を研究するのはむしろ当然のことともいえる。
[352]
実のところ日本は南方占領地の日時制度政策において行き当たりばったりで失敗しているとしか思われず
[353] 新しい大東亜用の暦や紀年法を作ったとして、 西暦・グレゴリオ暦のかわりにねじ込めるだろうくらいの目論見だったのかもしれないが、 キリスト教勢力が何十年、何百年もかけて強制的に刷り込んでいっても表面的にしか根付いていない西暦・グレゴリオ暦レベルまで到達できたのか、厳しい。
[312] 祭政 4(4)(30), 祭政社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1540152/1/7 (要登録)
[173] ISO の国際標準である ISO 8601 は、グレゴリオ暦と週暦を定めています。 後者は週年、週番号、週日の組で日付を特定するものであり、 週を中心に日付体系を再編したものであります。 グレゴリオ暦を置き換えるものではなく、 また暦法改良案の成果が取り入れられたものともいえませんが、 これが100年にわたる論争の果てに行き着いた形ということでしょうか。
[58] 世界の人々のかつての暦法改良への熱量はすっかり失われてしまいましたが、 未だにごく少数ながら新しい暦法を提案する人はいます。
[49] 現行暦の微修正 (佐藤明達、) http://tenkyo.net/kaiho/pdf/2008_03/2008-03-04.pdf
[56] Hanke–Henry Permanent Calendar
[57] ゼロから始まる暦の提案 | 永井俊哉ドットコム (4月 14 2013 ) https://www.nagaitoshiya.com/ja/2013/zero-based-calendar/
[326] >>323 ここで紹介されている案の他にあまりない特徴は:
[303] 中華人民共和国の改暦提案, 21世紀の中華系暦法改良案
[264] もっと合理的な新しい暦の提案|Dec25Oct31|note, https://note.com/chrihallo/n/n75a00525ec6f
クリハロ暦
[294] A new calendar system, https://www.linkedin.com/pulse/new-calendar-system-mahesh-kacholia
[318] Quepennura Leap Week Calendar
[298] The UN Embraces a New Era with a 13-Month Calendar: The Future of Time Management Begins with Cal.com | Cal.com Blog, https://cal.com/blog/the-un-embraces-a-new-era-with-a-13-month-calendar-the-future-of-time-management
[319] 日本における紀年法だけの改元案は日本の紀年法改良運動と近現代日本の私年号参照。
[329] Zero-indexing the Gregorian calendar @ Things Of Interest, https://qntm.org/fencepost
[338] Sexagesimal Calendar / Introduction, http://www.sexagesimal.org/en_intro.php
[339] 仏人デザイナー Edouard Vitrant が3次元の設計には飽き足らず第4次元の設計を手掛けた >>340 という新暦案。
[341] このウェブサイトの日付 (更新日?) がこの新暦で書かれている。また、変換ツールが提供されている。
[342] 実用されているかは不明。 提案者個人ウェブサイトでは西暦年が使われている。 Twitter では各国の記念日当日に今日は何の日で第何日です、とたまに投稿されている >>343 が、 自然用例というには厳しい。
[304] 社会改良運動である改暦を志す人は少なくなりましたが、 娯楽としての暦作りは広まっています。
[305] 欧米の暦法愛好家コミュニティーには自分にとって理想的な暦を追求する人がちらほらいるようです。
[306]
創作物のための暦法も多数作られています。
紀年法の名前程度の簡単なものから、作り込まれたものまで多様です。
完全な架空世界のものもあれば、現実世界で実用されるものもあります。
かつての暦法改良案と似た指向のものもありますが、
現実の地球で実用するという縛りから開放された結果、
自由度は高まっています。
[307]
情報システムの進化もかつての暦法改良案時代との大きな違いです。
かつての暦法改良案の多数は日付と時刻の分離、
年月日暦または年月週日暦、年週日暦といった枠に収まっていましたが、
人よりも機械の扱いやすさという新しい指標で日時制度が開発されています。
相互変換が容易なので大域的な合意が必要なく、
場面場面で扱いやすい日時制度を作ってすぐに実施できるというのも、
全世界的な合意を目指し失敗した暦法改良案各種との違いです。
[336] えらんとさんはTwitterを使っています: 「そろそろ暦を見直すべきだと思うんですよね・・・・コロナがなくてもこの時期寒くて病気にかかりやすくなるし、亡くなる方もいて葬儀の確率上がるのに、年末進行だって言って色々詰め込まれたりして忙しい 2月も無駄に短いのそろそろやめよう?」 / Twitter, , https://twitter.com/_errant/status/1339551713099845633
[337] こういうことを言う人は今もたまにいる。実際に何かをする人はそういない。
[45] 13の月の暦 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/13%E3%81%AE%E6%9C%88%E3%81%AE%E6%9A%A6
[48] 暦Wiki/グレゴリオ暦/暦法改良問題 - 国立天文台暦計算室 () http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/A5B0A5ECA5B4A5EAA5AACEF12FCEF1CBA1B2FECEC9CCE4C2EA.html
[52] () http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1919/pdf/191904.pdf
[53] () http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1919/pdf/191910.pdf
[60] Kyoto University Research Information Repository: 最近の改曆運動だより () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/167135
[61] () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167179/1/tnk000179_178.pdf
[62] () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/161762/1/tnk000130_039.pdf
[63] Kyoto University Research Information Repository: 改曆問題の重大性 () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/161700
[64] Kyoto University Research Information Repository: 曆法改正問題の現狀 () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/161699
[65] Kyoto University Research Information Repository: 改曆に關する社會の聲 () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/161696
[66] Kyoto University Research Information Repository: 平山淸次博士を悼む () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/168671
[67] Kyoto University Research Information Repository: 改曆, 天文新語など : 卷頭隨筆 () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/168452
[68] Kyoto University Research Information Repository: 宇宙を觀る, 人生を觀る : 卷頭隨筆 : 曆時制と天文學 (時と曆の特輯) () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/168207
[69] Kyoto University Research Information Repository: 新東亞文化建設としての世界曆の採用について (時と曆の特輯) () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/168202
[70] () http://rakusai.nichibun.ac.jp/hoji/contents/Brasil/PDF/1949/03/19490330bja10.pdf
[71] Kyoto University Research Information Repository: 改曆問題について會員諸氏の注意を促す () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/167925
[72] The Death and Life of the 13-Month Calendar - CityLab () https://www.citylab.com/life/2014/12/the-world-almost-had-a-13-month-calendar/383610/
[130] () http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1914/pdf/191404.pdf
CLASSIFICATION AND SUMMARY OF PROPOSALS FOR CALENDAR REFORM received before July 1st, 1926., LEAGUE OF NATIONS, Advisory and Technical Committee for Communications and Transit, SPECIAL COMMITTEE OF ENQUIRY INTO THE REFORM OF THE CALENDAR, () https://biblio-archive.unog.ch/Dateien/CouncilMSD/C-167-M-49-1927-VIII_EN.pdf
[217] 19490810bja10.pdf, , https://rakusai.nichibun.ac.jp/hoji/contents/Brasil/PDF/1949/08/19490810bja10.pdf#page=2
[215] kiwanis_tokyo50.pdf, , https://www.tokyo-kiwanis.or.jp/club/pdf/kiwanis_tokyo50.pdf#page=158
423 1972/09/29 新世界暦への提案 Roger Johnston セイラム・キャピトル・キワニスクラブ
[218] グレゴリオ暦とバイナリ暦 () http://www.finetune.co.jp/~lyuka/interests/essay/binarian/
[219] 悪魔の置閏法666 | route127の日記 | スラド () https://srad.jp/~route127/journal/643963/
[220] The Law of Calendar Reform: We Got Rid of Year 2020, But Why Stop There? | New York Law Journal () https://www.law.com/newyorklawjournal/2021/02/01/the-law-of-calendar-reform-we-got-rid-of-year-2020-but-why-stop-there/?slreturn=20210101214701
[226] Nichibei Shinbun 1931.02.09 — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/jan19310209-01.1.3
[227] Yuta Nippō 1931.09.16 — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/ytn19310916-01.1.3
[228] Maui Shinbun 1930.10.20 — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/mas19301020-01.1.1
[229] Nichibei Shinbun 1926.07.01 — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/jan19260701-01.1.1 右下
[230] Maui Shinbun 1929.10.18 — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/mas19291018-01.1.5 右上
[233] Nippu Jiji 1912.09.29 — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/tnj19120929-01.1.1 下
[234] Yuta Nippō 1931.05.27 — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/ytn19310527-01.1.1 上
[235] Nippu Jiji 1929.08.17 — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/tnj19290817-01.1.5 中央
[236] Nippu Jiji 1929.01.09 — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/tnj19290109-01.1.1 中央
[237] Nippu Jiji 1930.01.15 — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/tnj19300115-01.1.3 左中央
[238] Nippu Jiji 1930.09.11 — Hoji Shinbun Digital Collection, , https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/tnj19300911-01.1.2 左中央
[239] 東方雜志1930年第27卷第06期 第89頁 (圖書館) - 中國哲學書電子化計劃, Donald Sturgeon, , https://ctext.org/library.pl?if=gb&file=97184&page=89
[240] 東方雜志1930年第27卷第14期 第65頁 (圖書館) - 中國哲學書電子化計劃, Donald Sturgeon, , https://ctext.org/library.pl?if=gb&file=97191&page=65
[241] The World Calendar Home, , https://web.archive.org/web/20030407034120/http://www.worldcalendar.org/
[242] パックス暦 - Enpedia, , https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E6%9A%A6
[243] 国際固定暦 - Enpedia, , https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%9B%BA%E5%AE%9A%E6%9A%A6
[244] Two Perpetual Calendars, , https://www.hermetic.ch/cal_stud/becker.htm
[261] 法律春秋 5(2), 法律春秋編輯局, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2262329/1/55 (要登録)
[262] AN00075153_7_pp15-20_nw.pdf, https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/AN00075153_7_pp15-20_nw._?key=WRESKG#page=7
[263] 改暦問題, 国際聯盟事務局東京支局, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1210948
[265] 19370610npa10.pdf, , https://rakusai.nichibun.ac.jp/hoji/contents/NippakShimbun/PDF/1937/06/19370610npa10.pdf#page=5
[266] 19310806npa10.pdf, , https://rakusai.nichibun.ac.jp/hoji/contents/NippakShimbun/PDF/1931/08/19310806npa10.pdf#page=5
[300] Home Page for Calendar Reform, , https://myweb.ecu.edu/mccartyr/calendar-reform.html
[301] Ari Belenkiy: - Newton-calendar.pdf, , https://u.cs.biu.ac.il/~belenka/Newton-calendar.pdf
[302] Proposals concerning calendar reform (Catalogue), https://www.newtonproject.ox.ac.uk/catalogue/record/THEM00067
[308] 国際知識及評論 17(6);6月號, 日本国際協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/10985918/1/93 (要登録)
[322] tnk000048_011.pdf, , https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/160199/1/tnk000048_011.pdf
[331] Sacrosanctum concilium, https://www.vatican.va/archive/hist_councils/ii_vatican_council/documents/vat-ii_const_19631204_sacrosanctum-concilium_en.html
[332] The Bonavian Calendar, , https://myweb.ecu.edu/mccartyr/bonavian.html
[350] Wayback Machine, https://web.archive.org/web/20060218084041/http://www.cs.biu.ac.il/~belenka/Newton-calendar.pdf
[364] 日本工業倶楽部廿五年史 下, 日本工業倶楽部, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1124416/1/71