[1] 現在の小笠原諸島では、 他の地域と同じ日本の暦や中央標準時 が使われています。
[37] 小笠原諸島の日本人は、 当時の日本の暦、 つまり旧暦、元号、江戸時代の時刻制度の地方時を使っていたと思われます。
[43] 欧米人は、 グレゴリオ暦、西暦、西洋式時刻の地方時を使っていたと思われます。
[45]
、
大日本帝国は旧暦からグレゴリオ暦に改暦しました。
日本の法令上、これは小笠原諸島にも適用されました。
[59] 小笠原諸島に残留し日本人となった欧米系島民がどのような日時制度を用いたのかは不明です。 おそらく当初は西暦を中心に使っていたでしょうが、 純日本人の島民が増加したり、 日本本土との政治的・経済的つながりが強化されたりするにつれ、 日本の元号中心に移行していったのではないでしょうか。
[67] 1920年に東京で開催された「時」展覧会には、 中央標準時実施以前に郵便局で使われていた日時計 (正午計) が出展されました。 現存するものには「小笠原郵便局」と刻印がありました。 当時の郵便局では、これを用いて地方真太陽時の正午を観測していました。 >>7
[68] 現在小笠原郵便局は父島の他に山梨県にも存在しています。 他にも廃止された郵便局が存在するかもしれません。 この日時計がどこで使われたものかは不明です。 しかしこれが小笠原諸島のものでなかったとしても、 時刻を知る方法はそう違わなかったと思われます。
[61]
、
大日本帝国は(中央)標準時
を施行しました。
[414] 法的には小笠原諸島各島でも中央標準時が適用されたことになりますが、 実際に離島でどれだけ正確な中央標準時が運用できたかは不明です。
[202] 軍艦笠置はに南鳥島に到着し、 まで滞在しました。 乗組員の一部はそのまま南鳥島に駐留しました。
[211] 南鳥島の笠置残置隊報告書には、 からの定時気象観測結果が掲載されました。 の記事に「本日 日時計ヲ造ル」 とあり >>210 PDF 10ページ、 この日時計により観測したものと思われます。 真太陽時ということでしょうか。
[213] 記録には0分、10分、15分、30分、40分、45分、50分という値が見え >>210、 この程度の精度で時刻を知り得たということになります。
[214] 島内での隊員日課として、次のものなどが挙げられていました >>210。
[215] 地方時は日の出後ですが、 は明らかに日の入り後です。
[242] それなりの精度で時刻を知り得て、 日の入り後の時刻も知り得たということは、 携帯可能な時計を持ち込み、 日時計は時刻規正のために用いたのでしょうか。
[201] 、 日本海軍の軍艦高千穂は南鳥島に派遣されました。 その記録によると、 に鳥島を離れた後陸地がまったく見えない日が続くなか、 に船内時が に改正され (9時半に1時間進めたと解釈して良い?)、 に南鳥島に到着、 に出発し、 に船内時が に改正され、 に父島に到着しました。 >>200, >>210
[203] 高千穂乗員らは南鳥島で軍艦笠置残置者や「水谷氏の事務所」 の者と過ごしました。 高千穂が船内時 だとして、 残置者の日時計は地方時で +15分程度、 さらに均時差で8月月初頃 -6分程度、月末頃0分程度のずれがあったはずですが、 何の言及もありませんでした。 当時特に問題とするほどのことでもなかったのでしょう。
[204] 笠置の時刻は不明ですが、 高千穂同様 だったのでしょうか。
[212] 南鳥島水谷村の一般島民入植者達はどうだったのでしょうか。 観測用日時計を作る必要があったということは、 それまで時計を持っていなかったのでしょうか。
[218] 南鳥島の時刻に関する特別の法令はなく、 日本本土同様に中央標準時 が当時から法的時刻だったと思われますが、 現実的には難しかったのでしょう。
[69] 、 日本本土、父島、グアム島間の海底ケーブルが開通しました。 これで物理的には父島は日本本土から直接中央標準時を受信できるようになりましたが、 実際に行われたかは不明です。
[243]
、
日本政府は大正元年に改元しました。
中頃に硫黄島を訪問した学者の報告によると、
当時船便が年3回で通信手段もなかったため、
住民は改元を知りませんでした。
[217] の日本軍の南鳥島派遣報告には、 船内時改正の記録もなく >>216、 南鳥島内も含めて一貫して中央標準時を用いているように見えます。
[71] 1939年出版の硫黄島での南十字星観測の記事は、 島の人は太陽と共に寝起きしていて時計など不要なようだと書いていました >>617。
[77] 当時有人だった「硫黄島」は他に鹿児島県の薩摩硫黄島もありますが、 南十字星を観測できたとしても一部のみです。 記事中南十字星の見え方には言及がなく、 南十字星が完全に見える小笠原諸島の硫黄島と解釈するのが自然です。
[72] 一般島民が時計とは無縁の生活をしているとはいえ、 島内に時計がないとは書いてありません。村役場などにはあったとも思われます。 なお著者自身は天体観測のため時計を持ち込んだと思われ、 記事中には時刻の記載もありました。
[455] 米国統治下の小笠原諸島では、 グアム島や北マリアナ諸島と同じ標準時 が用いられました >>109, >>516, >>609。 時期によっては夏時刻 が用いられました >>517, >>516, >>609。
[70]
太平洋戦争で日本のマリアナ諸島や小笠原諸島、
日本列島へと進攻した米軍は、
軍用時として を使っていました。
[102]
の米軍の文書は、
日本本土、伊豆諸島、小笠原諸島の標準時は で、
Marcus Island の時間帯は
である >>615 としていました。
実際は日本の法令で南鳥島を としたことはありませんし、
現地の日本軍も軍用時
を使っていたはずです (
[153] 小笠原諸島の旧日本軍関係者は、 順次日本本土に帰還しました。 米軍は父島や硫黄島や南鳥島に基地を設置しました。 小笠原諸島はマリアナ諸島などと共にグアム島の米国海軍の管轄下に置かれました。 この時期の米軍も引き続きグアムの標準時と同じ を使っていたと考えるのが自然です。
[241] TOKIO 発AP電は、 Iwojima の台風の時刻を Tokio time で記していました >>239。東京の記者が執筆して中央標準時としたのでしょうか。 それとも情報源が中央標準時を使っていたのでしょうか。 記事には硫黄島在島米兵の安否情報があり、 米軍が情報源と思われます。
[129]
1948年から1951年までの4年間、
日本本土および米軍が東京の GHQ の指揮下にあった琉球と南朝鮮では、
夏時刻 が実施されました
(
[292]
日本の中央気象台の中田良雄は、
の暮から数回マーカス島 (南鳥島)
を訪れたとに書いています。
動植物環境の報告が中心で、移動や気象についても少しずつ記述がありますが、
時差には明言がありません。
「
[94] 現在日本政府の気象庁が Webサイトで公表している観測データには、 1951年から1963年の南鳥島の値が含まれています >>78。このデータについて特別の注記がないので、 他の観測地点と同じく中央標準時 を用いた値と思われます。 ただ過去の日界が異なるデータは可能なら再計算した >>84 とされており、当時中央標準時を用いていたか、 これだけでは不明です。
[260] の日本政府の中央気象台職員の報告には、 当時の観測時刻が記録されています。 >>269 また、 米国からの委託による観測業務の終了 (>>262) 後に日本政府の気象庁がまとめた報告書には、 当時の観測方法や観測結果がまとめられています。 >>259 どの時刻のものか明記されていませんが (終了の時刻 >>262 を除きます。)、 明記する必要がなかったということは中央標準時と思われます。 現地の様子は写真が掲載されているだけで、 生活の詳細まではわかりませんが 観測時刻が中央標準時なら、 現地駐在職員も中央標準時で生活していたと考えるべきでしょう。
[262] 1956年から 1960年の高層気象観測について、 報告書には 09h と 21h の観測結果が掲載されました >>259。 中央標準時の9時と21時、 世界時の0時と12時でしょうか。 にはラジオゾンデの観測が開始され、 「00, 12時」の1日2回に実施されました >>259。 明記されていませんが、これは世界時とみなすべきでしょうか。
[86] 、 日本の報道機関数社の記者らは取材のため米国統治下の硫黄島に渡航しました。 毎日新聞に政治漫画を掲載していた漫画家の那須良輔は、 CAT のチャーター便で他の記者と共に訪問しました >>608。 1985年や没後の1995年に出版された那須の著書によると、 着陸の直前、 毎日新聞社の記者の福湯豊は、 夏時刻なので時計を1時間進めるように指示しました >>614, >>607。
[92] 当時の硫黄島には米軍関係者のみが滞在しており、 が使われていたものと思われます。 福湯の情報源は不明で、事前の米軍との交渉で入手したのでしょうか。 夏時刻だとされていますが、 実際そうだったのか、福湯の解釈なのか不明です。
[456] 米国統治下の小笠原諸島の法令は、 米軍の布告として制定された司法・刑法関係のものと、 住民の自治組織の五人委員会による衛生、課税、就労などに関するものの 2つだけでした >>97。 ここに標準時や夏時刻に関する規定が含まれていたかは不明です。
[179] 日付は日本の元号ではなく西暦を用いていたと考えるのが自然です。
[180] 当時の島民は欧米系島民のみでしたし、 純日本系の旧島民の文化的影響があったとしてもほとんど明治改暦後の入植者のものだったでしょうから、 祭事などで旧暦が用いられた可能性は低そうです。
[569] 1950年代の米国政府の地図を基に作られたのではないかと推測される地図 >>570 では、 (文字は潰れて判読しづらいですが) Nanpo-shoto (南方諸島) と書かれているらしい伊豆諸島南部・小笠原諸島の北緯30度以北は 、以南はマリアナ諸島と同じ で塗られています。 Marcus (南鳥島) も で塗られているように見えます。
[99]
、
グアムは夏時刻
に移行しました。
[114] 小笠原諸島でも夏時刻が実施された可能性がありますが、 確定させられる資料は見つかっていません。
[100]
、
グアムは標準時 に移行しました。
[261] 気象観測は、 (= 中央標準時7月1日9時) をもって移管されました >>259。 日本側無線通信は、 をもって終了しました >>259。 気象庁の報告書はこの2つの時刻のみ、 米軍時間帯表記で時差まで厳密に記述していました。 現地でも普段から、あるいは引き継ぎ業務に使っていたのでしょうか。 (「12時」が0時か12時か24時か不明ですが、 米軍式24時間表記なら12時でしょうか。)
[46] 、 旧島民 (欧米系島民ではない純日本系のかつての島民) が初めて墓参のため小笠原諸島への渡航を認められました。
[258]
この時父島に
「
[274] 旅程は当時の報告書に収録されています >>273 が、現地時間については何も言及がありません。 標準時や夏時刻の違いは、どうとでも取れるようなスケジューリングで、 推測は難しいです。
[110] 、 旧島民の2回目の小笠原墓参が認められました。 に日本航空チャーター機により硫黄島に、 -に海上保安庁の宗谷により父島と母島に、 政府職員、旧島民、報道関係者が渡航しました >>109。
[111] 硫黄島の報告には現地時間に関する記述はありません。 日帰りの空路短期滞在だったためでしょうか。 行程表の時刻もすべて中央標準時とみられます。
[112] 父島・母島の報告には宗谷の船内時計が到着時に1時間進めて現地時間 とされ、出発時に1時間戻して中央標準時 とされたことが明記されていました >>109。 行程表の時刻もこの間は とみられます。 有人の父島だけでなく、無人の母島でも を使っていたようです。
[101]
、
グアムは夏時刻
に移行しました
(
[276] 、 日本の報道各社が硫黄島を訪問しました。 >>275
[281] どの記事も時差を明記しておらず、概数なので不確実ではありますが、 7時から4時間経過して11時となるはずのところが12時だったのだとすると、 現地時間は ということになります。
[293] 東京都議会委員会速記録 [1967 3], 東京都議会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1351825/1/46 (要登録)
[123]
、
日本政府の調査団が小笠原諸島を訪問しました。
しかしその公式な報告書には時刻に関する事項は記載されていませんでした。
現地での日程にも時刻の記述がありますが、説明はありませんでした。
[125] 調査団員の論文によると、 、 父島上陸直前に「日本内地よりも一時間早い」 現地の時計に団員達の手持ちの時計を合わせました >>612。 つまり父島は でした。 に一部メンバーが直前打ち合わせのため父島に上陸しました >>612 から、そのときに現地時間の情報を得たのでしょうか。
[124] 調査団員の腕時計を進めたということは、船内時は のままだったのでしょうか。 調査団員は船内に宿泊し、 父島に通いました。その後母島と硫黄島に上陸しました。 しかし以外に時刻に関する記述がなく、 いつまで で過ごしたのか不明です。
[198] なお、この調査の時点で、
... とされていました。
[126] 当時グアムは夏時刻 実施中でしたが、 小笠原諸島では標準時 のままだったということになります。 既に返還が決まっている状態で、 小笠原諸島独自の判断で と の間に日本本土と時差が開く形の夏時刻が開始されたということになり、 不自然ではあります。
[35] グアムとは無関係に、何月から何月までと事前に夏時刻の期間が決められていた可能性もあるでしょうか。 ただ米領グアム、米領琉球、米国占領地南朝鮮など米軍が夏時刻を実施した地域はいずれも事前に期間を定めない形の夏時刻を実施していました。
[263] 父島の日の出の時刻を基準に実施するなら、 5月から9月頃が夏時刻実施に適していた期間とは思われます。
[240] 1966年には夏時刻は実施されていませんでした (>>112) から、 そう長く続いた制度ではなさそうです。 期間が違ったとしても、やはりグアムの夏時刻に触発されたものだったでしょうか。
[225]
、
気象庁などの日本政府調査団が南鳥島を訪問しました
(
[98]
-、
日本の東京都の調査団が父島、母島、硫黄島を訪問しました
(
[256] 報告にあるスケジュールによると、
各島での主たる活動が6:30や7:00に始まっており、
現地時間の8:30や9:00に相当します。
また各日の10:00から11:00にあまり活動がなく、
現地時間の12:00から13:00、昼休みの時間帯に相当します。
調査団も現地時間に合わせて行動していたということがわかります。
調査団が時計を現地時間に合わせていたのかどうか、
宿泊していた船内も現地時間だったのかは、不明です。
(報告書が便宜上中央標準時に統一したのか、
調査団の当時の記録でも中央標準時だったのか、
調査団の活動自体も中央標準時だったのか。
都議会議事録掲載の報告の他に、
簡易製本でまとめられた報告書にも同じスケジュールが掲載されましたが
[257] 硫黄島でも父島と同じ時間が使われていたことになりますが、 滞在時間が短く、民間人住民はおらず米軍関係者としか接触していませんから、 確実とはいえません。 当時無人島の母島でも調査団は同様のスケジュールで行動したことになります。
[116] 返還直前の、 小笠原諸島では夏時刻 が使われていました >>107, >>516, >>609。
[177] 父島で実施された夏時刻の期間は不明です。 父島の米軍はグアムの米国海軍の隷下で、 経済的にもグアムとの関係が深かったことから、 グアムで実施された夏時刻との関連が疑われていましたが、 先述の通りグアムで夏時刻が実施されているのに父島では実施されていない期間がありました。
[181] グアムと小笠原諸島の中間に位置する北マリアナ諸島では、
1968年や1970年の夏時刻は実施されなかったとみられます。
北マリアナ諸島も小笠原諸島と同じく在グアムのマリアナ諸島管轄米国海軍の統治下にありましたが、
1962年に民政に移行しました。それ以前の
1959年は不明です。
小笠原諸島と北マリアナ諸島で時差が生じても、それほど影響はなかったということでしょうか。
[115] 父島とは指揮系統の異なる硫黄島や南鳥島の米軍が夏時刻を実施したかどうかは不明です。
[412] 1977年の南洋の航空会社の路線図では、 と の境界線が小笠原群島、火山列島、マリアナ諸島を囲む弧のように西に反れて描かれています >>406。これも米国政府の地図をもとに描かれたものか、あるいは米国信託統治領太平洋諸島で当時流通していた情報によるものなのでしょうか。 沖ノ鳥島は描かれず、位置的には と思われます。 南鳥島も描かれていません。 沖縄も既に日本に返還された時代ですが、 と の境界線は経度通りの直線になっています。
[460] 米国政府の時間帯図では、少なくても1985年以後、 小笠原諸島が で着色されていました。 沖ノ鳥島や南鳥島は年によって描かれていたりいなかったりするのですが、 南鳥島が2013年版以後、小笠原群島・火山列島・沖ノ鳥島が 2008年版以降 となっており、それ以前はどうやら のつもりで描かれているようです。 >>520 1968年版の地図を元にしたという日本で発行された地図でも、 同様に描かれています >>549。 米国統治下での情報が返還後に更新されないまま残っていたのだと思われます。
[174] 米領小笠原で標準時 、夏時刻 が使われたことは、現代日本ではほとんど知られていません。 日本の標準時を扱った書籍やWebサイトでも、 これを扱ったものは本ウィキを除き、 見たことがありません。
[175] 返還以前は日本との交流がほとんど認められず、 欧米系島民もグアムには渡航できても米国本国へ行くのは難しく、 米国政府関係者以外が入域するのも難しい、 という孤立した状況だったため、 情報が出ていかなかったと思われます。
[176] 返還時には日本の新聞で時差の存在が全国に伝えられましたが、 日本標準時に統一されたというニュースだったため、 人々の記憶からもすぐに消え去ったのでしょう。
[224] 著者は当時の気象庁職員で南鳥島の調査も行っているが、 論文の内容は開拓時代の調査結果が中心で、 島での生活や気象観測には触れていない。
[178] 欧米系島民多数の証言を集めた本として 小笠原クロニクル: 国境の揺れた島 山口遼子, https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121501853/wakaba1-22/ がありますが、当時の時刻は扱っていませんでした。
[79] >>78 第二次世界大戦後の日本の観測期間の分しかデータがない。
[85] >>84 には昭和基地以外は中央標準時とある。 当時の現地の時刻はわからないが、現在ここで示されているデータは中央標準時ということになる。
[42] 、 南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定 が発効しました。 小笠原諸島は全域が日本国東京都小笠原村となりました。
[229] 父島の米軍は撤退しました。 硫黄島と南鳥島の米軍基地は存続しました。 硫黄島と南鳥島には日本政府の海上自衛隊の基地が新設されました。 父島と南鳥島では日本政府の気象庁による気象観測が開始されました。
[230] 日本復帰後、 父島の欧米系島民に加え、 日本本土から帰還した旧島民や、 新たに移住した新島民が父島や母島に居住しています。
[231] 硫黄島と南鳥島には民間人はおらず、 政府職員のみが駐在しています。 返還時点で南鳥島に日本政府施設はなく、 旧米国気象庁宿舎に海上自衛隊と気象庁の職員は居住し、 USCG の食堂を共同利用していました。
[3] 、 返還と同時に小笠原諸島の時刻は旧小笠原時間 から中央標準時 に変更されました >>107, >>516, >>609。 公式な紀年法も日本の元号の昭和となりました。
[244] 紀年法について小笠原村で返還以後特別な事情があったという話は聞きません。 日本国東京都に所属する村となり、 当然に日本の元号を用いることになったものとみられます。 現在の小笠原村の Webサイト >>245 も、 元号を基本に適宜西暦を併用するという、 現代日本の地方自治体の Webサイトの一般的な構成です (どちらかといえば元号の割合は高い方にみえます)。
[117] 現在の日本の法令や東京都や小笠原村の例規集には、 標準時の変更に関するものは見当たりません。 日本の法令の適用される地域となることで自動的に中央標準時 の実施地域に含まれますから、 特別に法的手続きはとられなかったのかもしれません。 あるいは告示レベルのものはあったかもしれませんが、不明です。
[118] 返還協定が発効した (したがって中央標準時が施行された) のは、 とされており、時刻は明記されませんでした >>495, >>509, >>500。
[285] 日本の法令ではそのような場合と解すべきですが、 日本、米国本国、現地で法体系も標準時も異なっていましたから、 それが正しい解釈かは不明です。
[286] 当時の日本国東京都の職員は議会で午前0時返還と説明していました >>284。 常識的に考えて中央標準時でしょう。 現在の日本ではやはり (中央標準時) だったと理解されているようです >>611, >>516, >>609。
[287] とされる場合もありますが >>429、 返還式典の時刻と混同していると思われます。
[106] 、 東京 (本土) および現地で記念式典が行われました >>104。
[119] 当時の新聞によると、の返還式典に「先立ち」、 「まで」と異なる標準時に移行しました >>104, >>107。 現地住民 (欧米系島民および準備のため在島していた日本政府や東京都の職員) には、通貨の変更や左側通行への切り替えなどと共に事前に周知されていたと予想されます。 こうした変更や式典の準備はより前から行われていたようで、 午前には既に現地は日本国内と認識されていたと思われます。
[132] サイレンなど返還の瞬間の合図があったとの記録はありません。
[134] 中央標準時のが切り替えの瞬間だとすると、 に 2時間戻してを迎えたことになります。
[133] 実際の各家庭の時計の変更は、 前日就寝前あるいは当日起床後に行ったのでしょうか。
[122] 出典不明の Webページ記事 (著者の体験談?) によると、 父島のからの返還式について、 日米で時差に関する認識の差異があったようです >>356。 ただし当時の新聞をはじめ他の資料にはそうした記載がなく、 行き違いがあったにせよ式典の進行に影響するほどの問題は起きなかったと思われます。
[282] https://dl.ndl.go.jp/pid/3006443/1/306 (非公開)
朝日年鑑 1969年版
図書
朝日新聞社, 1969
306: ,本土より2時間早い小笠原時間が日本時間に,ドルから円へ,そしてヤードからメートル法へと切替えが
[283] https://dl.ndl.go.jp/pid/1794702/1/4 (非公開)
講演時報 (1413)
雑誌
(連合通信社, 1968-07)
4: てくる。時差一時間に米国式サマー·タイム(夏時間)のプラス一時間が加わつて、本土とは二時間違いだつた時計も二十六日午前零時でピタリ本土に合わされた。しかし、二十三年の長い時間が残した日米チャンポンの"
[288] 市政 17(8)(193), 全国市長会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2711494/1/40 (要登録)
[289] 東京電力株式会社社報 (210), 東京電力, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2312136/1/33 (要登録)
[294] 市政 17(8)(193), 全国市長会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2711494/1/40 (要登録)
[136] の USCG の硫黄島基地案内には、 Iwo Jima time は東京時間と同じ (Kilo Zone) で、 太平洋標準時 より17時間進んでいる、 とありました >>606。
[137] 実際には Kilo Zone は です ( は India Zone)。 古い案内の記述が残った可能性もありますが、 それにしては東京と同じ、カリフォルニアとは17時間差、 と周りの文章が正しいのが不自然です。
[138] いずれにせよ、硫黄島の USCG は、 日本の海上自衛隊などと同じく を使っていたとみられます。返還と同時に移行したのでしょうか。 南鳥島の USCG が返還後も と異なる時刻を使っていたと見られ、 対応に一貫性がないように見えるのが気になります。
[199] 返還前の硫黄島の米国空軍と USCG は、 東京の在日米軍の指揮下にありました (>>198)。 実は米領時代から だった可能性もあります。 そう仮定すると時差に言及のない1966年の記録 (>>111) と整合します。しかし父島と同じ時刻を使っていた 1968年の記録 (>>98) には整合しません。 また南鳥島の USCG も東京の指揮下にあった (>>228) なら、この理屈は成り立ちません。
[21] 返還後の小笠原諸島では、他の日本本土同様、 中央標準時 が使われています。 ただし日本の領土の最東端に当たる南鳥島だけは特殊で、 USCG 管理区域 (水谷 (24.285970, 153.976792) など) ではCGタイム が、 日本政府管理区域 (中山 (24.289595, 153.983017) など) では中央標準時 が使われていました。 一時は海上自衛隊時間 も使われました。
[6] 返還直後の南鳥島には日本政府系職員と USCG 職員が駐在していました。 島内は日米地位協定に基づく米国管理区域 (島の中央から東南部分) と、 それ以外の日本管理区域に分かれていました。 島内の生活施設や外部との航空輸送は日米それぞれ独立していました >>48。
[169] 1970年代の気象観測データに基づき1980年代に書かれた論文では、 地方時を JST としたり >>167、 JST で観測したものに経度差を足すと地方時になるとしたり >>168 していました。観測は気象庁のもので (論文著者も南鳥島に渡ったのか、 観測結果のみ利用したのかは不明)、中央標準時 基準の観測データだったようです。
[90] に南鳥島に「赴任した」という人物による 2016年の Webページは、 現地時刻である が使われていた >>87、 としていました。 「アンテナのメンテナンスのため、 コースト・ガードの隊員が天辺先端まで登って行った現場を見ました」 >>87 ということで、 USCG 職員と行動を共にしていた (こともある?) ようです。 この人物の立場は不明ですが、 島内に時差があったという書き方にはなっていませんから、 日本側も を使っていたのか、 専ら USCG 職員と行動しており島内時差を意識しなかったのいずれかになるでしょうか。
[49] 昭和63年と平成元年に VLBI 施設建設のため南鳥島を訪問した通信総合研究所研究官の報告によると、
... の3つが南鳥島で使われていました >>48, >>50。 USCG 庁舎工事およびそれに相乗りした VLBI 工事の関係者は、 C/Gタイムで生活しました >>50。 通信総合研究所研究官は常にこの3つの時刻を頭に入れなければならなりませんでした >>48, >>50。
[141] 独立していた USCG 庁舎はともかく、 気象庁と自衛隊の庁舎はつながって1つの建物となっていたようですが、 別々の時刻を用いていたのは驚きです。
[221] 末に地形と植生の調査のため南鳥島を訪れた大学教授らによると、 当時日本の海上自衛隊や気象庁の職員は日本の標準時 を使い、日本本土と同じ時間帯で生活・勤務していました。 一方で USCG は を使っていました。 >>220
[64] 2011年に YouTube に投稿された南鳥島で撮影された映像には、 USCG 庁舎内食堂で壁の時計と取材した日本人の腕時計を比較する場面がありました。 USCG の時刻はグアム時間で2時間進んでいると説明されました。 >>62
[157] 映像内にはこれがいつのものかの情報はありませんが、 この映像の半年後に南鳥島で勤務したと証言する YouTube 視聴者のコメントがあり、 それを信じると1991年頃となります。 映像内で USCG の「ウォロンジンスキー隊長」が語っていますが、 LTJG Jerald L Woloszynski が -に在任しており >>158、 一致します。
[155] この映像内では海上自衛隊隊員が主として案内しており、 USCG との交流にも言及がありました。 気象庁には言及がありませんでした。 この時点では海上自衛隊は中央標準時 を、 USCG は を使っていたと解釈するのが自然です。
[81] 1990年代末に公開された Webページは、 南鳥島では日本標準時と USCG のグアム時間があって、 USCG が2時間進んでいる >>36 としていました。 著者の素性は不明ですが、 「私の場合は、しょっちゅうCGに入り浸って」いたという日本側関係者のようで、 「」と印字された写真を撮った頃滞在していたとみられます。 VLBI 施設建設と同時期で、 VLBI 施設にも言及がありますが、 言及のある時刻は2種類だけでした。
[91] 2000年頃に公開された Webページは、 南鳥島では日本時間と USCG のウェーク時間があって、 USCG が2時間進んでいる >>4, >>74, >>20, >>73、 としていました。 (何度か URL と記述が変更されていますが、 同じWebサイトです。) この Webページの著者は過去4回、 3ヶ月程度の期間ずつ南鳥島に滞在したと述べており、 そのうち3回は 1981年、 昭和58年、 昭和63年 >>159 とみられます。
[165] 2004年や2005年のブログ記事 >>31, >>33 は、南鳥島の USCG はウェーク時間を採用しており 2時間早いとしていました。伝聞調であり、出典は示されていませんが内容から >>3 のサイトに直接または間接に基づいたものと思われます。
[160] 医療目的で南鳥島を訪問したという人物のの雑誌記事は、 「滑走路の左右で時差がニ時間ある」としていました。 >>32
[164] あるウィキの記事には、南鳥島の米軍海兵隊がグアム標準時 を採用していた >>56 とありました。この部分は >>162 に追加されました >>163。出典は示されておらず、 筆者の実体験でもなく他の Webサイトなどから得た情報と思われます。 海兵隊とするのは USCG の誤りと思われます。また とする根拠は不明で、 グアム標準時という情報から補った可能性があります。
[82] 南鳥島の USCG で1年間勤務したという人物 (滞在時期不明) の 2015年の掲示板投稿によると、 米国側では local time を用いており、 日本側では日本時間を用いていたため、 米国側が2時間進んでいました。日本側への連絡では 「three o'clock CG time, one o'clock Japanese time」 のように言っていました。 また米軍の公式記録では を使っていました。 >>47
[161] 2018年の Twitter 投稿によると「30年程前の南鳥島の資料」 に日本 (気象庁と自衛隊) と USCG との間に2時間の時差があったとされており、 USCG のはグァム時間とされていました。 >>156
[25] 、 硫黄島ロランC局と南鳥島ロランC局が日本政府の海上保安庁に移管されました。
[183] USCG はをもってロランCの運用を終了し、 南鳥島から撤退しました。 撤退日や日米地位協定に基づく米国管理区域の正式な廃止日は不明です。
[182] 南鳥島の海上保安庁は USCG 庁舎に入居し、 ロランC運用業務を引き継ぎました。 日本政府の機関である海上保安庁は、 CGタイム は引き継がず、 中央標準時 を用いました。
[184] 南鳥島の USCG がCGタイム を採用した時期や経緯は不明です。 日本返還直前には が使われていました (>>225)。 駐留開始の (>>27) から を用いていたのでしょうか。 にはいつ切り替えられたのでしょうか。
[185] USCG で勤務していた米国人は を地方時と認識していました (>>82)。南鳥島は東経153度58分 = で実際には地理的時間帯は ですから、 は通年夏時刻に相当します。 米国は他にも父島 (地方時 、標準時 )、 硫黄島 (地方時 、標準時 )、 サイパン (地方時 、標準時 )、 グアム (地方時 、標準時 )、 Kwajalein (地方時 、標準時 )、 ウェーク島 (地方時 、標準時 ) と通年夏時刻を採用しがちなので、 その点は一貫しているといえます。 米軍は小笠原群島と南鳥島で1時間の時差があるという見解を以前から示していました (>>102)。
[187] 元々米領小笠原諸島の標準時 と夏時刻 が使われていたものが日本返還時点の で固定されたという可能性もあります。 返還後も米領グアムに合わせて と を切り替えていた可能性もあるかもしれません。 しかし硫黄島の USCG が返還後中央標準時 に変更したらしい (>>136) のと一貫していません。 南鳥島では地方時と中央標準時の差が大きすぎるという判断があったのでしょうか。 だとしても、最終的に で固定という判断に至った理由は謎です。
[8] CGタイム がグアム時間であるとする説は 1990年前後に南鳥島を訪問した人達が紹介しており (>>81, >>161)、 それと同時期とみられる現地映像でもそう説明されていました (>>64)。 当時の現地日本人にはそのように理解されていた可能性が高いです。 ただし実際のグアム標準時は です。 グアム夏時刻 が最後に実施されたのは1977年でした。 その当時からの伝承だったのか、 あるいはそれとは無関係の誤解なのかは定かではありません。 日本の職員は3ヶ月交替、 USCG 職員は1年交替の勤務で、 古い情報は残りにくい環境だったかもしれません。
[186]
CGタイム がウェーク時間だとする説もあります
(>>91, >>165) が、そのうち現地を訪問したとする者は1人だけです (>>91)。
実際のウェーク時間は で、
確かに地理的時間帯は ですが、
この時代のウェーク島で が用いられたとする証言は見当たりません。
ただし、他地域の米軍資料でウェーク島を
とした例はあり、なにか関係はあるかもしれません。
(
[189] 返還直後は日本の施設がまだなく、気象庁と海上自衛隊も USCG の施設に同居していました。 その当時は日本人もCGタイムで生活していたかもしれません。 ただ気象観測では観測時や日界が異なると比較上不都合ですから、 一貫して中央標準時が用いられていたと考えるべきです。
[190] 海上自衛隊時間 が用いられた理由は不明です。 たしかに地理的にはそれが正しいかもしれませんが、 島内で3つの時刻が混在し、 輸送や通信の相手となる硫黄島や日本本土とも異なるとなると、 不便しかなかったはずです。 あるいは返還直後の同居時代などに USCG と海上自衛隊が を使っていたことがあるのでしょうか。
[191] 南鳥島に時差があったことは、現代日本でも、 こうした分野に興味を持つ人々の間ではよく知られています。 時代が比較的新しいことはもちろん、 民間人が訪れることができないとはいえ、 工事や調査などで現地に行った人が意外と多いためもあるでしょうか。
[192] ただ本章の通りそのまま鵜呑みに出来ないおかしな情報が流布していますし、 1960年代や1970年代の情報もほとんどありません。 海上自衛隊時間に触れたものも、本ウィキと元の論文以外には見たことがありません。 日本の標準時などを扱う書籍で南鳥島の時差に触れたものも見たことがありません。
local time (JST)
The wind observations were made eight times daily according to Japan Standard Time (J ST; the zone time at 135°E). Marcus Island is 19° east from this longitude. In this study, local time is therefore cal- culated as LT = JST + 1.27 h.
南鳥島には3種類の時刻系がある。ひとつは日本 時間、もうひとつの海上自衛隊時間はそれより1時 間早い。それにC/Gタイムはさらに1時間早い。 工事の人たちはC/Gタイムで生活し、朝5時仕事 開始、15時終了。この時間のずれは常に念頭に入れ ておかなければなかった。
南鳥島には3種類の生活時刻がある. 第1は日本時 間, 第2は海上自衛隊時間であり, 日本時間より1時間 早い. 第3の C/G タイムはさらに1時間早い. 同島の 生活ではこの3種類の時間のずれは常に念頭に入れてお く必要がある.
島の位置が東経一五三度にあるにもかかわらず、南鳥 島における勤務時間や生活は日本の標準時で、しかも日 本本土と同じ時間帯に設定されている。そのためわれわ れのような野外調査屋は戸惑うことになる。朝七時過ぎ に調査を始めるときにはすでに太陽は高い位置にあり、 夏至に近いというのに夕方五時を過ぎての測量は日没と の競争で非常に慌ただしいものとなった。一方、米国沿 岸警備隊は日本側より二時間時計が進められていて、昼 間の勤務を終えた人々がゆったりと西太平洋に沈む夕日 を眺めていた。
懐かしいです!!!これは21年ぐらい前の映像ですね。数人当時の先輩が映っています。私はこの半年後ぐらいに南鳥島で3ヶ月勤務しました。
[197] 本文中に訪問年が明記されていませんが、 最初の出版の1991年からそう遠くない過去でしょう。 気象庁、海上自衛隊、USCG がいる島に貨物船で上陸したという話で、 VLBI 施設にも言及がありました。 夏至の頃出港し、 南鳥島に何日か滞在したそうです。 上陸前に日の出の時刻で日本標準時からの距離を感じたと記されていますが、 島内の時刻には言及がありません。 USCG 施設も見学しているにも関わらずです。
ここの生活で面白いことは、CGと日本側では同じ島にいながら時間が違うという ことです。
日本との時間差は2時間で、例として、日本側が8時に対しCGは10時です。
日本は日本標準時を使用していますが、CGはグアム時間を使用しています。
何しろ、南鳥島は日本では夜明けが早いし、夜が更けるのが早い。
[74] 南鳥島 () https://web.archive.org/web/20040723114513/http://homepage3.nifty.com:80/marcus/marcus.html
保安庁が来る前は、アメリカのコーストガードの職員も13名ほど在島していました。コーストガード(CG)が居た頃は小さな島に時差が2時間存在していました。(CGはウエーク時間を使っていた)
[73] 南鳥島について () http://marcus.world.coocan.jp/marcus1/marcus.html#生活
海上保安庁が来るまでは、アメリカの沿岸警備隊コーストガード(CG)の職員が13名ほどロランCを運用 するために在島していました。その頃、コーストガードは日本時間より早い、ウェーク時間を使っていたため、 小さな島の中で時差が2時間存在していました。
昭和58年10月 1日 東京都小笠原村南鳥島にて JD1BDA を開局
昭和63年10月 1日 JD1BDA設置場所変更にて JK1ABP に変更
- 1981
- 第22回 オールアジアDXコンテスト電話 南鳥島第1位 JA9IAX/JD1
- 1983
- 第24回 オールアジアDXコンテスト電信 南鳥島第1位 JA9IAX/JD1
本土より実際には1時間日の出・日の入りが早いことから、
食事時間が早いのがつらいとか。
朝食6時半、昼食11時半、夕食16時半。
(季節などにより多少変更あり)。
夕食から朝食までの間が長く、とてもおなかがすくらしい。
[171] 南鳥島 () https://web.archive.org/web/20050223035805/http://www.d1.dion.ne.jp:80/~sight/marcus4.html より2005年には既に存在していたことが確認できます。 南鳥島特別航路 (>>195) を参照していますが、そちらにはこのような内容がなく、 出典ではなさそうです。
この島にアメリカのコーストガードも駐留していたときアメリカのコーストガードはウエーク島の時間(日本よりも2時間早い)を使っていたそうです、
南鳥島は東経153度59分12秒なので約1時間の時差があるらしく、この島にアメリカのコーストガードが駐留していた時は、ウエーク島の時間(日本よりも2時間早い)を使っていたらしい。
昨日の如く思い出すのは南鳥島 (マーカス島) に行った時のことで、 硫黄島を経由しYS十一型機で行ったと思いますが、 三角形のおむすびの様な島でした。 中央に何百メートルもありそうな無線塔(ロラン塔)が立っているのが印象的で、 島の中央に滑走路がありました。 当時はまだ米国のコーストガードがおり、 滑走路の左右で時差がニ時間あるのも新鮮でした。
南鳥島
- 自衛隊しかいない。
- 気象庁と米海兵隊もいるはず。ちなみに米海兵隊の区画内ではグアム標準時(JST+1)が採用されている。
- 米軍はもう居ない。今居るのは、海自と海保と気象庁。海保はロランを運用中。
- ロランは既に運用を停止した。海保もまもなく撤退する。
南鳥島は、別名「マーカス島」と呼ばれる、日本最東端の島。
沖ノ鳥島と並ぶ、絶海の孤島です。
本土からの距離はなんと1950km。
本土よりも1時間+の時差があるそうです(+_+)
時差:明石標準時より1時間早め
[236] 出典は明記なく不明。「早め」と曖昧で根拠のないイメージか。 4年間放置された後修正:
時差:本土と同じ標準時(UTC+9:00)。なお同経度の国は1時間早い標準時を採用している。
I spent a year at a USCG LORAN station on Marcus Island, which is a Japanese island 600 east of Iwo Jima. The Japanese kept a small weather station (JMA) and JMSDF (Japanese Maritime Self Defense Force. Never say Japan has a Navy or Army, it's self defense forces) to run the landing strip on this 3.2 mile in circumference island. Anyways us Americans would kept our clocks local time while the Japanese would keep their clocks on Japan time...2 hours behind local time. So if we were arranging things with the Japanese like a softball game we would say "three o'clock CG time, one o'clock Japanese time".
A further complication was the military keeps their official records on what the world calls Greenwich Mean Time and we call Zulu time. So at 1100 CG (0900 Japan) we would type up a new log sheet and collect the day old recording graphs (about four) from the timer room to file for a few years.
Last edited by Jim's Son; 11-19-2015 at 05:12 PM..
南鳥島(マーカス)の「ロラン・アンテナ」について ※画像あり () https://web.archive.org/web/20180601154835/best-covert-gps-vehicle-tracking-systems.com/marcus/
ここは、「南鳥島(マーカス)」で、日本の最東です。東経154°です。日本国土ですから日本標準時を使用するのですが、実際は現地時刻です。
この画像は1983年12月に私が赴任した時の航空写真です。1時間以上の実時間差があるので、日本標準時より2時間進めています。
名前:OS
通信士の国家資格所有。
日本本土と同じで、世界標準時(グリニッジ標準時)より9時間早い。
ただし、日の出日の入りが本土より1時間程度早いため、食事の時間が早めに設定されている。
(朝食6時、昼食11時、夕食16時)
小笠原諸島の南鳥島には、90年代に米軍が撤退するまで島内に時差があった。日本側の区画においては標準時である一方、米軍(CG)施設においてはグアム標準時を採用した
gudachanさん|2016.10.18
[76] >>75 で引用元と示されているのが >>73 のサイトの構成ページ (画像の出典と思われ、 文章は元サイトには見当たらない)。 他に >>53 と >>36 から引用。 >>73 サイトでウェーク時間とするのは無視し、 >>53 が 、 >>36 が とする矛盾を何の注釈もなく併記した上で「グアム時間を採用」 としている。
[5] 平成19年に調査のため南鳥島に渡航したという人物は、 海上自衛隊と共同で生活しましたが、「食 事の時間が朝6時, 昼11時, 夕16 時と早」く、2時間ほど時差があるためと説明されたようです >>51。 時刻が早まっていることからここでいう時差とは標準時と地方時の差のことで、 中央標準時が用いられていたと解釈するのが自然です。
[152] 日本政府の国土交通省が制作した南鳥島の紹介動画 >>150 (パンフレットと同じだとすればのもの) は、南鳥島の日の出は3時台となることもある、と述べていました。 や ではそのようなことはなく、 が用いられていると確認できます。
[139] たまに Webページなどで南鳥島と与那国島など沖縄が 1時間や2時間の時差があると言及されることがあるようです。 ここでいう時差は地方時の差であり、 標準時は同じです。
[140]
極めて少数ながら、南鳥島 (など) を中央標準時と異なる別の標準時とするべきと提案する人もいます。
現実にほとんど意味もなく、同調者も皆無に近いと思われます。
また、日本の標準時を に改めるべきと主張する人は、
これが南鳥島の時刻だと紹介することがあります。
表紙の説明
私がこの南鳥島に言ったのは平 成19年のことである。東京防衛施 設局(現:北関東防衛局)より災害復 旧土木調査の仕事を受注し, 地形 測量及び, 路線測量, 滑走路舗装 調査の業務を行った。
島に来て驚いたことと言えば食 事の時間が朝6時, 昼11時, 夕16 時と早いことであった。
これは時差が2時間ほどあるため 早いそうである。
株式会社 八州
計測技術部第一課 石坂 雄介
[28] 実在していないとはいえ、 数十年間は日本の領土として扱われていました。 法的には (理論上は) 日本の内地であり、 通常の法令が適用されることになっていたと考えられます。 つまり、 日本の暦や中央標準時 が実施されていたことになります。
[26] 南鳥島ロランC局 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%B3%A5%E5%B3%B6%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3C%E5%B1%80