C/Gタイム

小笠原の日時

[1] 現在の小笠原諸島では、 他の地域と同じ日本の暦中央標準時 が使われています。

変遷

[237] 小笠原諸島時刻の概略
            +-----------------------------------------------------+
            |                     小笠原諸島                      |
         法 |     小笠原群島   || 火山列島  |                     |
         的 |     父島     |母|其|   硫黄島 |        南鳥島       | 彩  大
         時 |              |島|他|          | 北東岸|    水谷     | 帆  宮
         刻 +--------------+--+--+----------+-------+-------------+ 島  島
1675          *                                                             日本領確認
              : 
1826             *                                                          欧米人入植
1862          *  |                                                          日本人入植
1863          *  |                                                          日本人退島
18730101  *LT    |                                                          明治改暦
1876          *  |                                                          日本人入植
18880101  *+9 |  |                                                          標準時施行
188906    |   |  |                                          *               米国人来航
18910909  |   |  |                *                                         日本領確認
18961228  |   |  |                |                  *                      日本人入植
18970724  |   |  |                |                  *                      日本領確認
19020729  |   |  |                |                  | *LT  *               南鳥島事件
19020828  |   |  |                |                  | *+10    
19190201  |   |  |          |  :  |                  |             *+10     南洋標準時
19351002  |   |  |          |  :  |                  * *           |        海軍基地     
19380101  |   |  |  |       |  :  |  |                 |           *+9      南洋時改正
194407    |   *  *  |+9     *     *  |+9               |+9         |        本土疎開
19450219  |         |                |   *             |           ||   |   硫黄島戦
19450326  |         |                *   |+10          |           ||+10|+10
194509    |         |  *                 |             |   *       ||   |
194510    :         *  |                 |             *   |       *|   |   復員
19460126  *            |                 |                 |        |   |
194610    :      *     |                 |                 |        |   |   一部帰島
1947      :      |     |                 |                 *        |   |   米軍撤退
194805    *+9/10 |     |                 |                          |   |   DST
19500701  :      |     |                 |                          *   *   民政移管
19510201  :      |     |                 |         *+9              |   |   観測開始
195109    *+9    |     |                 |         |                |   |
19520130  :      |     |                 |+10      |                |   |
195204    *      |     |                 |         |                |   |   講和条約
1952             |     |                 |         |                *   |   軍政再開
19590627         |     |                 |         |                |   *+11 DST
19610129         |     |                 |         |                |   *+10
196205           |     |                 |         |                *   |   民政移管
19630701         |     |                 |         *       *  *     |   |   ロランC
196505        *  |     |    *     *      |                 |  |     |   |   墓参#1
19660520      *  |+10  |    *+10  *      |                 |  |     |   |   墓参#2
196705        *  |     |    *     *      |                 |  |     |   |   墓参#3
19670901         |     |                 |                 |  |     |   *+11 DST
19680120      *  |+10  |    *     *      |                 |  |     |   |   政府調査団
196804           |     |                 |                 |  |+10  |   |   政府調査団
19680506      *  |+11  |    *+11  *+11   |                 |  |     |   |   都調査団
19680626  *+9 *+9*+9   *    *+9       *  *     *   *       |  *     |   |   日本返還
196810    |   |  |          |         |  |     |   |       |        |+10|+11
196906    |   |  |          |         |  |     *   *       |        |   |   南鳥島庁舎
19690831  |   |  |          |         |  |     |   |       |        |   *+10
19700426  |   |  |          |         |  |     |   |       |        |+10*+11 DST
19700906  |   |  |          |         |  |     |   |       |        |   *+10
          |   |  |          |         |  |     |   |       |        |   :
197611    |   |  |          |         |  |+9   |   |       |        |   :
19770828  |   |  |          |         |  |     |   |       |        |   *+10
198312    |   |  |          |         |  |     |   |       |+11     |   |
1988      |   |  |          |         |  |     |+10|+9     |+11     |   |   VLBI建設
1989      |   |  |          |         |  |     |+10|+9     |+11     |   |   VLBI建設
199005    |   |  |          |         |  |     |+9 |+9     |+11     |   |   学術調査
1991      |   |  |          |         |  |     |+9 |+9     |+11     |   |   テレビ
19931001  |   |  |          |         |  |     |+9 |+9   * *        |   |   CG撤退
          |   |  |          |         |  |     |   |     |+9        |   |
2010      |   |  |          |         |  |     |   |     *          |   |   海保撤退
          |   |  |          |         |  |     |   |                |   |
          |+9 |+9|+9        |+9       |+9|+9   |+9 |+9              |+10|+10
            +--------------+--+--+----------+---------------------+
         法 |     父島     |母|其|   硫黄島 |        南鳥島       | 彩  大
         的 |              |島|他|          | 北東岸|    水谷     | 帆  宮
         時 +---------+----+--+--+-----+----+-------+-----+-------+ 島  島
         刻 |   日本  |米国|日|日| 日本|米国|      日本   |米国   |  
            | 日 欧 軍| 海 |民|民|民 軍| 軍 |  海 気|民海 |軍 気  |
            | 系 米   | 軍 |間|間|間 ・| ・ |  自 象|間軍 |・ 象  |
            |    系   |    |  |  |   自| CG |     庁|   海|CG 庁  |
            |         |    |  |  |     |    |       |   保|  民   |
            |         |    |  |  |     |    |       |     |  間   |
            +---------+----+--+--+-----+----+-------+-----+-------+

[9] 他地域との比較は日本の標準時

[103] 小笠原諸島は、 伊豆諸島マリアナ諸島の間の北側にある小笠原群島 (米国名 Bonin Islands)、南側にある火山列島 (Volcano Islands) 、 その遥か西にある沖ノ鳥島 (日本国最南端)、遥か東にある南鳥島 (米国名 Marcus Island日本国最東端) などで構成されています。 小笠原群島には主島の父島母島などが、 火山列島には硫黄島などが含まれています。

入植

[10] 北硫黄島父島には古代遺跡があり、 かつては人が住んでいたことがあったようですが、 その後小笠原諸島各島は長らく無人島でした。
[11] 16世紀頃から、欧米の船舶が小笠原諸島各島附近を度々航行し、 目撃記録を残しました。
[12] 江戸時代日本人が何度か小笠原諸島に漂流または渡航しました。 1675年日本政府 (江戸幕府) は無人島 (父島など現在の小笠原諸島) が日本の領土であることを確認しました。
[58] 18世紀後半、 英国米国グレゴリオ暦改暦しました。
[2] 1826年頃から、 欧米人が父島母島に住み着くようになりました。 (その子孫は後に欧米系島民となりました。)
[14] 1827年英軍父島母島に進攻し、 自国領と主張しました。 しかし英国政府はこれを承認しませんでした。
[15] 1853年米軍父島に進攻し、 植民地政府を設置しました。
[16] 1862年日本政府 (江戸幕府) は改めて小笠原諸島日本の領土であると宣言しました。

[37] 小笠原諸島日本人は、 当時の日本の暦、 つまり旧暦元号江戸時代の時刻制度の地方時を使っていたと思われます。

[43] 欧米人は、 グレゴリオ暦西暦西洋式時刻地方時を使っていたと思われます。

[238] 1863年日本政府 (江戸幕府) は生麦事件の影響で日本人に退島を命じました。

[45] 大日本帝国旧暦からグレゴリオ暦改暦しました。 日本の法令上、これは小笠原諸島にも適用されました。 明治改暦

[13] 日本政府 (明治政府) は改めて小笠原諸島日本の領土であると宣言しました。

[59] 小笠原諸島に残留し日本人となった欧米系島民がどのような日時制度を用いたのかは不明です。 おそらく当初は西暦を中心に使っていたでしょうが、 純日本人の島民が増加したり、 日本本土との政治的・経済的つながりが強化されたりするにつれ、 日本の元号中心に移行していったのではないでしょうか。

[67] 1920年東京で開催された「時」展覧会には、 中央標準時実施以前に郵便局で使われていた日時計 (正午計) が出展されました。 現存するものには「小笠原郵便局」と刻印がありました。 当時の郵便局では、これを用いて地方真太陽時正午観測していました。 >>7

[68] 現在小笠原郵便局父島の他に山梨県にも存在しています。 他にも廃止された郵便局が存在するかもしれません。 この日時計がどこで使われたものかは不明です。 しかしこれが小笠原諸島のものでなかったとしても、 時刻を知る方法はそう違わなかったと思われます。


[61] 大日本帝国(中央)標準時 施行しました。 中央標準時

[414] 的には小笠原諸島各島でも中央標準時が適用されたことになりますが、 実際に離島でどれだけ正確な中央標準時が運用できたかは不明です。

[172] この時代、日本本土郵便局ですら数分のずれは珍しくなかったようです。
[207] 米国人南鳥島米国領と宣言しましたが、 米国政府は承認しませんでした。
[17] 日本政府硫黄島その他の火山列島を正式に日本の領土としました。
[206] 水谷新六南鳥島をみつけました。 南鳥島日本人が移住しました。 (水谷らが最初に渡航した時点で漂着したサイパン人らしき者が住み着いていたようですが、 その後サイパンに居住し、数年後にはいなくなっていたようです。 もともと定住していたのではなさそうです。)
[55] 米国人南鳥島米領とすることを企てましたが、 日本政府が軍艦笠置を派遣したため、 失敗しました。

[202] 軍艦笠置南鳥島に到着し、 まで滞在しました。 乗組員の一部はそのまま南鳥島に駐留しました。

[211] 南鳥島笠置残置隊報告書には、 からの定時気象観測結果が掲載されました。 の記事に「本日 日時計ヲ造ル」 とあり >>210 PDF 10ページ、 この日時計により観測したものと思われます。 真太陽時ということでしょうか。

[213] 記録には0分、10分、15分、30分、40分、45分、50分という値が見え >>210、 この程度の精度で時刻を知り得たということになります。

[214] 島内での隊員日課として、次のものなどが挙げられていました >>210

[215] 地方時日の出後ですが、 は明らかに日の入り後です。

[242] それなりの精度で時刻を知り得て、 日の入り後の時刻も知り得たということは、 携帯可能な時計を持ち込み、 日時計時刻規正のために用いたのでしょうか。

[201] 日本海軍の軍艦高千穂南鳥島に派遣されました。 その記録によると、 鳥島を離れた後陸地がまったく見えない日が続くなか、 船内時 に改正され (9時半に1時間進めたと解釈して良い?)南鳥島に到着、 に出発し、 船内時 に改正され、 父島に到着しました。 >>200, >>210

[209] 高千穂の測定によれば、 南鳥島西端の笠置嵜の位置は、 東圣百五十四度一分〇秒 北緯二十四度十七分二秒 でした。 >>210 PDF 26ページ この値に従うなら地方時 となります。 (近年の測量では南鳥島東端153°59′11″ (世界測地系) = とされています。)

[203] 高千穂乗員らは南鳥島で軍艦笠置残置者や「水谷氏の事務所」 の者と過ごしました。 高千穂船内時 だとして、 残置者の日時計地方時で +15分程度、 さらに均時差で8月月初頃 -6分程度、月末頃0分程度のずれがあったはずですが、 何の言及もありませんでした。 当時特に問題とするほどのことでもなかったのでしょう。

[204] 笠置時刻は不明ですが、 高千穂同様 だったのでしょうか。

[212] 南鳥島水谷村の一般島民入植者達はどうだったのでしょうか。 観測用日時計を作る必要があったということは、 それまで時計を持っていなかったのでしょうか。

[218] 南鳥島時刻に関する特別の法令はなく、 日本本土同様に中央標準時 が当時から法的時刻だったと思われますが、 現実的には難しかったのでしょう。

[60] 明治時代頃には、その他小笠原諸島の多くのに移住者がいました。

[69] 日本本土父島グアム島間の海底ケーブルが開通しました。 これで物理的には父島日本本土から直接中央標準時を受信できるようになりましたが、 実際に行われたかは不明です。

[243] 日本政府大正元年改元しました。 中頃に硫黄島を訪問した学者の報告によると、 当時船便が年3回で通信手段もなかったため、 住民は改元を知りませんでした。 大正改元

父島母島の訪問時にはこうした記述がないので、 伝わっていたものと思われます。
[222] 南鳥島のほとんどの住人が退島しました。
[205] 南鳥島日本海軍が上陸しました。 これより海軍による気象観測が開始されました。 昭和11年時点で民間人は5人しか残っていませんでしたが、 全員退島し海軍だけの島となりました。

[217] 日本軍南鳥島派遣報告には、 船内時改正の記録もなく >>216南鳥島内も含めて一貫して中央標準時を用いているように見えます。

[105] 小笠原諸島南洋群島への航路の中継地となっていました。 南接する北マリアナ諸島南洋群島中部標準時 を使っていましたが、昭和13年南洋群島西部標準時 に改正され、時差が解消されました。 南洋群島の標準時大東亜の標準時

[71] 1939年出版の硫黄島での南十字星観測の記事は、 島の人は太陽と共に寝起きしていて時計など不要なようだと書いていました >>617

[77] 当時有人だった「硫黄島」は他に鹿児島県薩摩硫黄島もありますが、 南十字星を観測できたとしても一部のみです。 記事中南十字星の見え方には言及がなく、 南十字星が完全に見える小笠原諸島硫黄島と解釈するのが自然です。

[72] 一般島民が時計とは無縁の生活をしているとはいえ、 島内に時計がないとは書いてありません。村役場などにはあったとも思われます。 なお著者自身は天体観測のため時計を持ち込んだと思われ、 記事中には時刻の記載もありました。

[200] 南鳥島航海日記, 天外生, 地学雑誌, 1902, 14 巻, 10 号, p. 683-690 () https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/14/10/14_10_683/_article/-char/ja/

此日時針一時間を遅らたり

時針を本邦標準時に改正す

[210] 南鳥島事件軍艦笠置 高千穂派遣并噴火の件(7) (アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records著, ) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C06091435200

PDF 24ページ

廿七日 正午本艦位置北韋二十五度四十二分東経百五十度三十一分ナリ 本日午前九時三十分ヨリ東圣百五十度ノ標準時ヲ用ヒ時辰ヲ改ム

丗一日 正午位置北韋二十五度五十九分五十一秒東経百四十五度四十八分二十三秒ニアリ 時辰ヲ東経百三十五度ノ標準時ニ改ム

[617] 硫黃島にて, 大口周作, (南十字星3題, 高濱虚子, 大口周作, 田村白桐, 天界 = The heavens (1939), 19(216): 171-173, ) () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167796/1/tnk000216_171.pdf

太陽と共に起き出で, 太陽と共に休む 島の生活, 此處では時計なんかは不必要らしい. 太陽を時計としてゐる島の人 々は都會人等は及びもつかない程太陽を愛する. 我々と同様天文学同好者達であ る.

[7] 1920年に東京教育博物館で開催された「時」展覧会の出品物の調査, 井上毅, 佐々木勝浩, Bull. Natl. Mus. Nat. Sci., Ser. E, 38, pp. 23–34, () https://www.kahaku.go.jp/research/publication/sci_engineer/download/38/BNMNS_E38_23-34.pdf PDF 10ページ

(2)最初の正午計(図10a, 10b)

目録Cの266–267ページには次のような 詳細な記述がある.「郵便局に時計を備付けたの は明治七年六月であつて暦の改正後間もない時で あつた時は如何にしてはかつたかと云ふとそれは 正午計によりて日の真南に影をさした時を以て正 午として時計の針を正午に据えたのであつた.只 今の言葉で申すと其土地々々の地方時であつて而 も日の南中してくる毎日の差などを加減しなかつ たのであります.それがあるから郵便を逓送する 脚夫が走る所の各局発着時刻を記入する逓送記に 局々の備付け時計によるところに時間の食違いが 起こります.(一部当用漢字に修正.以降の引用も 同じ)」 今回発見された正午計は 小笠原郵便局の刻印があり,電信で時報を取得で きないような地方の郵便局で正午計が使用されて いた一例といえる.正午計の実物を見る限り,均 時差や経度補正が行える機構や資料は付属してい なかった.

米国統治

昭和時代の他の地域の日時制度の混乱については、昭和時代の日時

[455] 米国統治下の小笠原諸島では、 グアム島北マリアナ諸島と同じ標準時 が用いられました >>109, >>516, >>609。 時期によっては夏時刻 が用いられました >>517, >>516, >>609

[303] 小笠原群島は、 地理的には の境界付近にあります。 日本本土から南方伊豆諸島小笠原群島火山列島と連なるのをみれば中央標準時 が自然に感じられますが、 グアム島を中心に北マリアナ諸島火山列島小笠原群島と連なるのをみれば となるのも違和感ありません。

[70] 太平洋戦争日本マリアナ諸島小笠原諸島日本列島へと進攻した米軍は、 軍用時として を使っていました。 南洋群島の標準時

[34] 米軍の進攻に伴い、 小笠原諸島の民間人は日本本土疎開し、 日本軍と関係者だけが残留しました。

[102] 米軍の文書は、 日本本土伊豆諸島小笠原諸島標準時 で、 Marcus Island時間帯 である >>615 としていました。 実際は日本の法令南鳥島 としたことはありませんし、 現地の日本軍軍用時 を使っていたはずです ( 大東亜の標準時 ) が、 米軍小笠原群島南鳥島の間に 1時間の時差があるのが自然と考えていたようです。 (地理的にはその通りです。)

[38] 米軍硫黄島に進攻し、 までに制圧しました (硫黄島の戦い)。 硫黄島ロランA局が開局しました。
[40] SCAPIN-677 により日本政府小笠原諸島施政権を行使できない状態となりました。

[153] 小笠原諸島の旧日本軍関係者は、 順次日本本土に帰還しました。 米軍父島硫黄島南鳥島基地を設置しました。 小笠原諸島マリアナ諸島などと共にグアム島米国海軍の管轄下に置かれました。 この時期の米軍も引き続きグアムの標準時と同じ を使っていたと考えるのが自然です。

[241] TOKIOAP電は、 Iwojima台風時刻Tokio time で記していました >>239東京の記者が執筆して中央標準時としたのでしょうか。 それとも情報源が中央標準時を使っていたのでしょうか。 記事には硫黄島在島米兵の安否情報があり、 米軍が情報源と思われます。

[41] 欧米系島民 (明治初期までに小笠原諸島に移住していた欧米人子孫日本国籍の人々)米国統治下の父島に帰還しました。
[29] 1947年南鳥島米軍が撤退し、無人島となりました。

[129] 1948年から1951年までの4年間、 日本本土および米軍東京GHQ の指揮下にあった琉球南朝鮮では、 夏時刻 が実施されました ( 昭和のサンマータイム朝鮮半島の標準時 )。 指揮系統が異なり元より を使っていた小笠原米軍がこれに追随した可能性は低いと考えられます。

[148] 日本政府中央気象台職員ら日米調査隊が南鳥島を調査しました。
[30] 米国の委託により日本政府中央気象台南鳥島気象観測を開始しました。 琉球では1950年まで中央気象台が観測業務を行っていましたが、 琉球政府機関として琉球気象台が新設されて日本本土機関は撤退しており、 逆の動きでした。 に建設隊員が日本本土出航、 に上陸しました。 経緯は気象庁の報告書 >>259 にまとめられています。
[130] 南鳥島中央気象台の庁舎が完成しました。 (現在Webサイトで観測記録が公開されているのはこの日から >>78 です。)

[292] 日本中央気象台中田良雄は、 の暮から数回マーカス島 (南鳥島) を訪れたとに書いています。 動植物環境の報告が中心で、移動や気象についても少しずつ記述がありますが、 時差には明言がありません。 「日本內地より約1 時間早く夜が明ける」 とあるだけです。 文中他に時刻の記載はありません。 なお末尾の日付西暦年ですが、文中の台風日付元号年です。 >>291

[94] 現在日本政府気象庁Webサイトで公表している観測データには、 1951年から1963年南鳥島の値が含まれています >>78。このデータについて特別の注記がないので、 他の観測地点と同じく中央標準時 を用いた値と思われます。 ただ過去の日界が異なるデータは可能なら再計算した >>84 とされており、当時中央標準時を用いていたか、 これだけでは不明です。

[260] 日本政府中央気象台職員の報告には、 当時の観測時刻が記録されています。 >>269 また、 米国からの委託による観測業務の終了 (>>262) 後に日本政府気象庁がまとめた報告書には、 当時の観測方法や観測結果がまとめられています。 >>259 どの時刻のものか明記されていませんが (終了の時刻 >>262 を除きます。)、 明記する必要がなかったということは中央標準時と思われます。 現地の様子は写真が掲載されているだけで、 生活の詳細まではわかりませんが 観測時刻が中央標準時なら、 現地駐在職員も中央標準時で生活していたと考えるべきでしょう。

[262] 1956年から 1960年の高層気象観測について、 報告書には 09h と 21h の観測結果が掲載されました >>259中央標準時の9時と21時、 世界時の0時と12時でしょうか。 にはラジオゾンデの観測が開始され、 「00, 12時」の1日2回に実施されました >>259。 明記されていませんが、これは世界時とみなすべきでしょうか。

[264] 南鳥島現在も手動のラジオゾンデ観測が継続されており (米国観測時代も連続していたかは不明)、 世界共通で中央標準時の「09時・21時」の1日2回の観測とされています >>255

[86] 日本報道機関数社の記者らは取材のため米国統治下の硫黄島に渡航しました。 毎日新聞政治漫画を掲載していた漫画家那須良輔は、 CATチャーター便で他の記者と共に訪問しました >>6081985年や没後の1995年に出版された那須の著書によると、 着陸の直前、 毎日新聞社記者福湯豊は、 夏時刻なので時計を1時間進めるように指示しました >>614, >>607

[92] 当時の硫黄島には米軍関係者のみが滞在しており、 が使われていたものと思われます。 福湯の情報源は不明で、事前の米軍との交渉で入手したのでしょうか。 夏時刻だとされていますが、 実際そうだったのか、福湯の解釈なのか不明です。

[95] 日本本土昭和のサンマータイムの4回目が終わったでした。 この2ヶ月後には、日本国夏時刻法廃止されました。
[44] 日本国との平和条約施行により、 小笠原諸島の政治的状態が追認されました。 小笠原諸島民間人の居住が認められたのは父島だけで、 居住者も欧米系島民に限られました。 父島米領太平洋諸島北マリアナ諸島と共に、 グアム島米国海軍の実質的な軍政下に置かれました。 公用語英語となるなど米国式の制度が実施され、 子供も島内の学校を卒業するとグアム島学校に進学していました。 住民や物資の移動はグアム島との間の米軍輸送船で行われ、 経済的にもグアム島に依存していました。 日本本土との行き来はほとんど認められず、 純日本系の旧島民の帰還や日本への返還の要求も米国は拒絶し続けました。 小笠原諸島日本本土と完全に分離された、 事実上の米国領土となっていました。

[456] 米国統治下の小笠原諸島の法令は、 米軍布告として制定された司法刑法関係のものと、 住民自治組織五人委員会による衛生、課税、就労などに関するものの 2つだけでした >>97。 ここに標準時夏時刻に関する規定が含まれていたかは不明です。

[179] 日付日本の元号ではなく西暦を用いていたと考えるのが自然です。

[180] 当時の島民は欧米系島民のみでしたし、 純日本系の旧島民の文化的影響があったとしてもほとんど明治改暦後の入植者のものだったでしょうから、 祭事などで旧暦が用いられた可能性は低そうです。

[149] 日本政府南鳥島で戦没者遺骨の調査を行いました。 現地で慰霊祭を行い、石碑を建立しました。

[569] 1950年代の米国政府の地図を基に作られたのではないかと推測される地図 >>570 では、 (文字は潰れて判読しづらいですが) Nanpo-shoto (南方諸島) と書かれているらしい伊豆諸島南部・小笠原諸島の北緯30度以北は 、以南はマリアナ諸島と同じ で塗られています。 Marcus (南鳥島) も で塗られているように見えます。

[173] ただし Ryukyu-retto (琉球列島) と書かれた奄美諸島以南の南西諸島は、 八重山諸島、それ以外が で塗られていました。 これは不正確とみられています ( 南西諸島の日時 )。 小笠原諸島についてもどれだけ正確か不明です。

[99] グアム夏時刻 に移行しました。 南洋群島の標準時

[114] 小笠原諸島でも夏時刻が実施された可能性がありますが、 確定させられる資料は見つかっていません。

[100] グアム標準時 に移行しました。 南洋群島の標準時

[27] 1963年硫黄島ロランC局が稼働しました。 南鳥島ロランC局が完成しました >>26。 これに伴い米軍 (USCG) が南鳥島に駐留を開始しました。 南鳥島気象観測中央気象台 (まで) から米国気象庁に移管されました。

[261] 気象観測は、 (= 中央標準時7月1日9時) をもって移管されました >>259日本側無線通信は、 をもって終了しました >>259気象庁の報告書はこの2つの時刻のみ、 米軍時間帯表記で時差まで厳密に記述していました。 現地でも普段から、あるいは引き継ぎ業務に使っていたのでしょうか。 (「12時」が0時か12時か24時か不明ですが、 米軍式24時間表記なら12時でしょうか。)

[46] 旧島民 (欧米系島民ではない純日本系のかつての島民) が初めて墓参のため小笠原諸島への渡航を認められました。

[258] この時父島に 「昭和四十年五月三日」 と書かれた墓標が建てられました >>247 p.296 写真, >>273。 米国統治時代に昭和元号が使われた数少ない事例とみられます。

[274] 旅程は当時の報告書に収録されています >>273 が、現地時間については何も言及がありません。 標準時夏時刻の違いは、どうとでも取れるようなスケジューリングで、 推測は難しいです。


[110] 旧島民の2回目の小笠原墓参が認められました。 日本航空チャーター機により硫黄島に、 -海上保安庁宗谷により父島母島に、 政府職員、旧島民、報道関係者が渡航しました >>109

[111] 硫黄島の報告には現地時間に関する記述はありません。 日帰りの空路短期滞在だったためでしょうか。 行程表の時刻もすべて中央標準時とみられます。

[112] 父島母島の報告には宗谷船内時計が到着時に1時間進めて現地時間 とされ、出発時に1時間戻して中央標準時 とされたことが明記されていました >>109。 行程表の時刻もこの間は とみられます。 有人の父島だけでなく、無人の母島でも を使っていたようです。

[113] 旧島民の3回目の小笠原墓参が認められました。

[101] グアム夏時刻 に移行しました ( 南洋群島の標準時 )。 しかし翌年前半の日本本土からの調査団の証言は ですから (>>125)、 小笠原諸島はこれに追随しなかったか、 独自に復帰したことになります。

[276] 、 日本の報道各社が硫黄島を訪問しました。 >>275

[281] どの記事も時差を明記しておらず、概数なので不確実ではありますが、 7時から4時間経過して11時となるはずのところが12時だったのだとすると、 現地時間は ということになります。


[123] 日本政府の調査団が小笠原諸島を訪問しました。 しかしその公式な報告書には時刻に関する事項は記載されていませんでした。 現地での日程にも時刻の記述がありますが、説明はありませんでした。 小笠原諸島現地調査

[125] 調査団員の論文によると、 父島上陸直前に「日本内地よりも一時間早い」 現地の時計に団員達の手持ちの時計を合わせました >>612。 つまり父島 でした。 に一部メンバーが直前打ち合わせのため父島に上陸しました >>612 から、そのときに現地時間の情報を得たのでしょうか。

[124] 調査団員の腕時計を進めたということは、船内時 のままだったのでしょうか。 調査団員は船内に宿泊し、 父島に通いました。その後母島硫黄島に上陸しました。 しかし以外に時刻に関する記述がなく、 いつまで で過ごしたのか不明です。

[198] なお、この調査の時点で、

  • 父島には米国海軍の基地があり、マリアナ管下
  • 硫黄島には米国空軍の基地があり、立川の関東 AB command 管下
  • 硫黄島には米国沿岸警備隊の基地があり、府中の米軍統合司令部内米国極東管区沿岸警備隊司令官隷下
    • ロランA、ロランCの施設は米国海軍の管下で、「必要なデータ」はグアムに置かれている

... とされていました。

[126] 当時グアム夏時刻 実施中でしたが、 小笠原諸島では標準時 のままだったということになります。 既に返還が決まっている状態で、 小笠原諸島独自の判断で の間に日本本土時差が開く形の夏時刻が開始されたということになり、 不自然ではあります。

[35] グアムとは無関係に、何月から何月までと事前に夏時刻の期間が決められていた可能性もあるでしょうか。 ただ米領グアム米領琉球米国占領地南朝鮮など米軍夏時刻を実施した地域はいずれも事前に期間を定めない形の夏時刻を実施していました。

[263] 父島日の出時刻を基準に実施するなら、 5月から9月頃が夏時刻実施に適していた期間とは思われます。

[240] 1966年には夏時刻は実施されていませんでした (>>112) から、 そう長く続いた制度ではなさそうです。 期間が違ったとしても、やはりグアム夏時刻に触発されたものだったでしょうか。

[128] 頃、 東京都の先遣隊職員数十人が父島に移住しました。 黒潮丸が月1回物資を輸送した他、 海上保安庁巡視船も寄港しました。 >>356

[225] 気象庁などの日本政府調査団が南鳥島を訪問しました ( 小笠原諸島現地調査 )。 参加した職員の論文は、 「現地時間(日本標準時+1)」としており >>226 が使われていたようです。

[228] 当時南鳥島には USCG米国気象庁の職員が駐在していました。 米国空軍立川から生活物資を定期輸送しており、 休暇時には東京で過ごすことができました >>226

[98] -日本東京都の調査団が父島母島硫黄島を訪問しました ( 小笠原諸島現地調査 )。 その報告には、各島の「現地時間は時差と夏時間の実施中のため二時間遅らせたもの」 と注記がありました >>517夏時刻 が用いられていたようです。

[256] 報告にあるスケジュールによると、 各島での主たる活動が6:30や7:00に始まっており、 現地時間の8:30や9:00に相当します。 また各日の10:00から11:00にあまり活動がなく、 現地時間の12:00から13:00、昼休みの時間帯に相当します。 調査団も現地時間に合わせて行動していたということがわかります。 調査団が時計を現地時間に合わせていたのかどうか、 宿泊していた船内も現地時間だったのかは、不明です。 (報告書が便宜上中央標準時に統一したのか、 調査団の当時の記録でも中央標準時だったのか、 調査団の活動自体も中央標準時だったのか。 都議会議事録掲載の報告の他に、 簡易製本でまとめられた報告書にも同じスケジュールが掲載されましたが 小笠原諸島現地調査 、 そちらには時差の注記が欠けていました。)

[257] 硫黄島でも父島と同じ時間が使われていたことになりますが、 滞在時間が短く、民間人住民はおらず米軍関係者としか接触していませんから、 確実とはいえません。 当時無人島の母島でも調査団は同様のスケジュールで行動したことになります。

[127] および小笠原諸島日本政府東京都の出先機関勤務となる職員が海上自衛隊の艦船で日本本土を出発したようです。 頃、 返還式典に参加する日本政府関係者が日本本土を出発したようです。

[116] 返還直前の小笠原諸島では夏時刻 が使われていました >>107, >>516, >>609


[177] 父島で実施された夏時刻の期間は不明です。 父島米軍グアム米国海軍の隷下で、 経済的にもグアムとの関係が深かったことから、 グアムで実施された夏時刻との関連が疑われていましたが、 先述の通りグアム夏時刻が実施されているのに父島では実施されていない期間がありました。

[181] グアム小笠原諸島の中間に位置する北マリアナ諸島では、 1968年1970年夏時刻は実施されなかったとみられます。 北マリアナ諸島小笠原諸島と同じく在グアムマリアナ諸島管轄米国海軍の統治下にありましたが、 1962年民政に移行しました。それ以前の 1959年は不明です。 小笠原諸島北マリアナ諸島時差が生じても、それほど影響はなかったということでしょうか。 南洋群島の標準時

[115] 父島とは指揮系統の異なる硫黄島南鳥島米軍夏時刻を実施したかどうかは不明です。

[412] 1977年南洋の航空会社の路線図では、 の境界線が小笠原群島火山列島マリアナ諸島を囲むのように西に反れて描かれています >>406。これも米国政府の地図をもとに描かれたものか、あるいは米国信託統治領太平洋諸島で当時流通していた情報によるものなのでしょうか。 沖ノ鳥島は描かれず、位置的には と思われます。 南鳥島も描かれていません。 沖縄も既に日本に返還された時代ですが、 の境界線は経度通りの直線になっています。

[460] 米国政府時間帯図では、少なくても1985年以後、 小笠原諸島 で着色されていました。 沖ノ鳥島南鳥島は年によって描かれていたりいなかったりするのですが、 南鳥島が2013年版以後、小笠原群島火山列島沖ノ鳥島が 2008年版以降 となっており、それ以前はどうやら のつもりで描かれているようです。 >>520 1968年版の地図を元にしたという日本で発行された地図でも、 同様に描かれています >>549。 米国統治下での情報が返還後に更新されないまま残っていたのだと思われます。

[174] 米領小笠原標準時 夏時刻 が使われたことは、現代日本ではほとんど知られていません。 日本の標準時を扱った書籍Webサイトでも、 これを扱ったものは本ウィキを除き、 見たことがありません。

[175] 返還以前は日本との交流がほとんど認められず、 欧米系島民グアムには渡航できても米国本国へ行くのは難しく、 米国政府関係者以外が入域するのも難しい、 という孤立した状況だったため、 情報が出ていかなかったと思われます。

[176] 返還時には日本新聞時差の存在が全国に伝えられましたが、 日本標準時に統一されたというニュースだったため、 人々の記憶からもすぐに消え去ったのでしょう。

[615] Izu and Bonin Islands...: 10 July 1944 - Google ブックス (Office of the Chief of Naval Operations, Navy Department, 1944 ) https://books.google.co.jp/books?id=sOHUUcOSLRMC

Time. The standard time in the islands, with the exception of Marcus Island, is uniform with that prevailing throughout the four main islands of Japan, which is nine hours in advance of Greenwich. Marcus Island, considerably to the east of the other islands, falls within the minus ten zone (G.M.C.T.).

[239] Newspaper Article - Typhoon Hits Iwojima, Morning Tribune, 16 August 1946, Page 4 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/morningtribune19460816-1.2.34

typhoon wind lashed Iwojima at 3 a.m. Tokio time .

No fears were felt for the safety of Iwojima's 200 United States personnel.

[608] 衆議院会議録情報 第013回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号 () http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/013/0012/01302050012003c.html

第013回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号

昭和二十七年二月五日(火曜日)

午後一時三十九分開議

委員外の出席者

参 考 人

(毎日新聞社嘱

託) 那須 良輔君

○小平委員長 次に硫黄島戰沒者の遺骨調査に関する実情を聴取することといたしますが、その前にお諮りいたします。

硫黄島戰沒者の遺骨調査につきましては、現在和智恒藏君外二名が現地において調査にあたつておられますが、これに関し、先月三十日に各新聞社の報道班の方々がその実情を視察されて帰つて来られたのでありまして本日その視察に参加された方々より現地の実情をお聞きするため出席を願つたのであります。本日御出席を願つた方々は

朝日新聞社

社会部記者 宍倉 恒孝君

毎日新聞社

社会部記者 福湯 豊君

読売新聞社

社会部記者 窪美万壽夫君

漫画家の那須良輔君及び近藤日出造君であります。

○福湯参考人 私からちよつと御説明いたします。実は和智さんなんかが高野建設の船で硫黄島に二十七日に出発いたしました。毎日ばかりでなく、朝日さんも読さんも、そのほかの新聞社の方々もこの船に同乗させてくれということを高野建設に申し出ておつたのでありますが、高野建設の方で共同しか――共同が内地新聞の代表であるから、共同を乗せれば十分ではないかと言つて、最後までわれわれの同乗を峻拒いたしました。そのために、それならわれわれ大新聞の力を見せてやるぞと力み返つたわけでもないのですが、朝日さん読さん私の方と三社共同でCATの飛行機をチャーターして出発したわけであります。それで和智さんたちのあの船が現地に着くのが三十日でありまして、共同通信が船の無電で原稿を送る、それに間に合うようにわれわれは帰つて来て新聞に発表しないことには苦労して行つたかいがないというので、羽田を午前三時に出発いたしまして、硫黄島に着いたのが午前七時半、それから八時間ばかり滞在いたしまして、午後三時に向うを立てばこちらに七時か八時には着くから、それから新聞に組み込んでも十分に共同通信の無電と対抗できる、そういう計算でやつたわけでありまして、何も指示されたわけではありません。

[224] 著者は当時の気象庁職員で南鳥島の調査も行っているが、 論文の内容は開拓時代の調査結果が中心で、 島での生活や気象観測には触れていない。

[259] 南鳥島・鳥島の気象累年報および調査報告, 気象庁, 1963

[248] 巻頭写真ページ 「米国空軍立川基地関東管区司令官 トーマス・R・フォード准将より贈られた」 との写真に映る感謝状 (日本気象庁への観測業務委託終了に伴い謝意を表したもの)。 日本でよくある賞状用紙の右半分が縦書き日本語、左半分が横書き英語。 不鮮明だが英文は西暦、日本語は「昭和三十八年八月カ?一日」。 しかし本文中には「一九五一年」のごとく日本語の方も西暦。

[249] p.5

「軍営時代」

1935年10月から気象観測開始。これが南鳥島の気象観測の最初。 毎日9回 (6時-22時の2時間ごと) 実測。 気圧、気温、湿度、風は自記観測で毎時。 高層気象は1日3回実測。 1945年8月まで継続された。 大部分は軍事秘密として焼却処分、一部のみ気象庁離島課に現存。

米軍が気象観測したか不明。

[250] pp.10-11

1963年6月30日24時00Z時をもって, 気象観測は米国気象局員 (主任 Cobf James 氏) 8名に欠測なしに引継ぎ, ホーミング・ビーコンは米軍が新しく作動する迄は従来の吾々の実施した器械と電源を譲ることで, 連続引継運営を行わしめ, 無線通信は7月8日12時(Iタイム)で打切って, 米軍の無線電話に引き継ぎ, 一切の業務を完了, 引継ぎを終り, 7月9日, 日本財産と人員の引揚げを米軍用機で行い, 12年5か月のマーカス島気象業務に終止符を打った。

[251] p.55 「髙⿸尸ソノでなく一ウインドローズ」

[252] p.187

「南鳥島気象観測業務履歴」抜粋

1961. 2. 15 ラジオゾンデの観測開始, 1日2回 (00, 12時)。

1958. 6. 3階の観測室改築工事のため観測は地上に移転す。 (6月20日9時より7月22日11時まで)。

1963. 6.30 2400時(Z)気象業務廃止。

[253] 気象データは月間のものは Year (西暦の数値) 対 Month (数値) の表にして示してある。南鳥島も鳥島も同形式。

p.26 「高層気象累年報告 (1956~1960)」

南鳥島における, 1956年から1960年までの指定気圧面の高層気象累観測値の統計値で, 平均値は時刻別に行なった月平均値の5年平均である。

Year : 西暦の10位と1位 Indicated by the last two figures of the year (Christion Era) of occurrence of extreames

「January 09h」、 「January 21h」、 「February 09h」、 「February 21h」、 ... と表が続く。

[254] データは西暦、本文は西暦が主だが元号が混在し一貫性は見いだせない。 出版年と序文は元号。 (英語出版年は西暦)

[109] 第2回小笠原墓参実施報告書 , 東京都小笠原墓参対策本部 (東京都総務局行政部地方課内), 発行

18ページ-23ページ

5月22日(日)

2100 船内時計を現地時刻に整合のため1時間進める。

5月23日(月)

700 父島二見港沖合に到着、

5月27日(金)

600 螢の光に送られて抜錨、父島、二見港出港。

925 母島沖港着、投錨停泊す。

5月30日(月)

1540 宗谷に帰る。

1600 現地時間16時を日本時間15時に時間調整、抜錨、北港を出港帰路につく。

[612] 小笠原調査団日記

一月二十日 現地の時計は、日本内地よりも一時間 早い。私達も手持の時計をすベてそれに合わせた。

現地時間の九時、われわれは、全員大村の船着場に 上陸した。

[517] 閲覧 | 単文表示 | 東京都議会 会議録検索 (昭和43年第2回定例会(第6号) 本文 1968-06-04 ) http://www.metro.tokyo.dbsr.jp/index.php/5479622?Template=doc-one-frame&VoiceType=onehit&VoiceID=9906 (移転確認 )

閲覧 | 発言内容 | 東京都議会 会議録検索, http://www.metro.tokyo.dbsr.jp/index.php/9615456?Template=doc-page&VoiceID=13310

昭和四十三年六月四日

小笠原対策特別委員会委員長 久保田 幸平

議長 大日向 蔦次殿

小笠原対策特別委員会調査団調査結果について

小笠原諸島の返還に伴う、同諸島の実情調査について左記のとおり報告する。

五月八日(水)

五時〇〇分 二見港(父島)到着 晴 二三度C

五月十一日(土)

二時三三分 二見港(父島)発

風波の関係上、北港停泊を中止

五時二四分 沖港(母島)着(一、〇〇〇メートル)

一八時〇一分 沖港(母島)発

五月十二日(日)

一時〇九分 北硫黄島並航 一二・五浬

四時四九分 硫黄島沖着 上陸地点選定

一八時〇二分 硫黄島出発、帰途につく。晴 二三度C

五月十三日(月)

(注)八日~十三日の日程も日本時間による。

従って現地時間は時差と夏時間の実施中のため二時間遅らせたものである。

[227] >>226

4月27日早朝南鳥島沖に投びょう (錨) した. 調査団 員は現地時間9時(日本標準時+1時間)救命ジャケツに 身を固め内火艇に乗り込んで波止場に向かい,

[614] 漫画家生活50年 - 那須良輔 - Google ブックス (那須良輔 平凡社, 1985 ) https://books.google.co.jp/books?id=mSAFAAAAMAAJ

ここはナ、夏時間だそう,たから、時計の針を一時間進めとけよ。路にすべりこんだ。: ! :

記者が、私に、いま何時だい、という。ヒ時だよ。

[607] 釣りキチ賛歌 - 那須良輔 - Google ブックス, () https://books.google.co.jp/books?id=kirasqm-7_oC&pg=PA212&lpg=PA212

硫黄島ルポ

一月三十日の午前三時キッカリ、われわれは羽田を発った。 機は島の上空を斜めに旋回して滑走路にすべりこんだ。H記者が、私に、いま何時だいという。七時だよ。ここはナ、夏時間だそうだから、時計の針を一時間進めとけよ。

[178] 欧米系島民多数の証言を集めた本として 小笠原クロニクル: 国境の揺れた島 山口遼子, https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121501853/wakaba1-22/ がありますが、当時の時刻は扱っていませんでした。

[79] >>78 第二次世界大戦後日本の観測期間の分しかデータがない。

[85] >>84 には昭和基地以外は中央標準時とある。 当時の現地の時刻はわからないが、現在ここで示されているデータは中央標準時ということになる。

[255] 気象庁 | ラジオゾンデによる高層気象観測, 気象庁 Japan Meteorological Agency, https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/upper/kaisetsu.html

ラジオゾンデによる高層気象観測は、世界各地で毎日決まった時刻(日本標準時09時・21時)に行われており、気象庁では、全国16か所の気象官署や昭和基地(南極)で実施しています。

ラジオゾンデによる高層気象観測地点(平成29年10月現在)

父島、南鳥島は「人の手による観測地点」

日本返還

[42] 南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定発効しました。 小笠原諸島は全域が日本国東京都小笠原村となりました。

[229] 父島米軍は撤退しました。 硫黄島南鳥島米軍基地は存続しました。 硫黄島南鳥島には日本政府海上自衛隊基地が新設されました。 父島南鳥島では日本政府気象庁による気象観測が開始されました。

[230] 日本復帰後、 父島欧米系島民に加え、 日本本土から帰還した旧島民や、 新たに移住した新島民父島母島に居住しています。

[231] 硫黄島南鳥島には民間人はおらず、 政府職員のみが駐在しています。 返還時点で南鳥島日本政府施設はなく、 旧米国気象庁宿舎に海上自衛隊気象庁の職員は居住し、 USCG の食堂を共同利用していました。

[232] その他は無人島となっています。

[3] 、 返還と同時に小笠原諸島時刻は旧小笠原時間 から中央標準時 に変更されました >>107, >>516, >>609。 公式な紀年法日本の元号昭和となりました。

[244] 紀年法について小笠原村で返還以後特別な事情があったという話は聞きません。 日本国東京都に所属するとなり、 当然に日本の元号を用いることになったものとみられます。 現在の小笠原村Webサイト >>245 も、 元号を基本に適宜西暦を併用するという、 現代日本地方自治体Webサイトの一般的な構成です (どちらかといえば元号の割合は高い方にみえます)。

[246] 同様に米国統治の後日本に復帰した沖縄県では、 公的には本土同様に元号を使っているものの、 米国統治時代の名残で西暦が普及しています。 反政府的な立場から元号を忌避する人達もいるようです。 南西諸島の日時

[117] 現在の日本の法令東京都小笠原村例規集には、 標準時の変更に関するものは見当たりません。 日本の法令の適用される地域となることで自動的に中央標準時 の実施地域に含まれますから、 特別に法的手続きはとられなかったのかもしれません。 あるいは告示レベルのものはあったかもしれませんが、不明です。

[118] 返還協定が発効した (したがって中央標準時施行された) のは、 とされており、時刻は明記されませんでした >>495, >>509, >>500

[285] 日本の法令ではそのような場合と解すべきですが、 日本米国本国、現地で法体系も標準時も異なっていましたから、 それが正しい解釈かは不明です。

[286] 当時の日本国東京都の職員は議会で午前0時返還と説明していました >>284。 常識的に考えて中央標準時でしょう。 現在の日本ではやはり (中央標準時) だったと理解されているようです >>611, >>516, >>609

[287] とされる場合もありますが >>429、 返還式典の時刻と混同していると思われます。

[106] 東京 (本土) および現地で記念式典が行われました >>104

[119] 当時の新聞によると、の返還式典に「先立ち」、 「まで」と異なる標準時に移行しました >>104, >>107。 現地住民 (欧米系島民および準備のため在島していた日本政府東京都の職員) には、通貨の変更や左側通行への切り替えなどと共に事前に周知されていたと予想されます。 こうした変更や式典の準備はより前から行われていたようで、 午前には既に現地は日本国内と認識されていたと思われます。

[132] サイレンなど返還の瞬間の合図があったとの記録はありません。

[135] 琉球返還時は に各地でサイレン汽笛があったようです (琉球の場合は標準時変更はありませんでした)。 現在の父島には防災無線の設備があってサイレンが流せるようですし、 戦時中空襲警報があったようですが、 当時どうだったか不明です。

[134] 中央標準時が切り替えの瞬間だとすると、 に 2時間戻してを迎えたことになります。

[133] 実際の各家庭の時計の変更は、 前日就寝前あるいは当日起床後に行ったのでしょうか。

[122] 出典不明の Webページ記事 (著者の体験談?) によると、 父島からの返還式について、 日米で時差に関する認識の差異があったようです >>356。 ただし当時の新聞をはじめ他の資料にはそうした記載がなく、 行き違いがあったにせよ式典の進行に影響するほどの問題は起きなかったと思われます。

[1027] 1969年日本本土 (銚子無線電報局) と父島との間の無線 (短波) の電話回線が開通しました。
[145] 南鳥島気象庁海上自衛隊の共同の庁隊舎が完成し、 日本政府職員が移住しました。

[121] 小笠原復帰で1時間戻されたとする書籍もあります >>613, >>616。 返還当時夏時刻 が実施されていたのは現地からの新聞報道などで明白であり、 誤りです。

[495] 南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定 - Wikisource () https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E5%8F%8A%E3%81%B3%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%93%E3%81%AE%E5%8D%94%E5%AE%9A

この協定は,日本国がその国内法上の手続に従ってこの協定を承認した旨の通知をアメリカ合衆国政府が日本国政府から受領した日の後30日目の日に効力を生ずる。

[509] 小笠原諸島 (Masahiro Higashide著, ) https://uub.jp/hmt/hmt18.html

外務省告示 第百三十号

昭和四十三年四月五日に東京で署名された南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定が日本国によりその国内法上の手続に従つて承認された旨の通知は、昭和四十三年五月二十七日に東京で行なわれた。よつて同協定は、その第六条の規定に従い、昭和四十三年六月二十六日に効力を生ずる。

昭和四十三年六月十二日 外務大臣 三木 武夫

[500] 4.日本の締結した重要国際取決め () https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1969/s43-13-shiryou-004.htm

(1) 南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(米国との小笠原返還協定)

(昭和43年4月5日に東京で著名,同年6月26日に効力発生)

[104] 新生・小笠原スタート 現地と東京で盛大な式典 日の丸、高々と 父島の返還, 讀賣新聞 夕刊1面

同日正午からは父島、硫黄島、南鳥島の三か所で、 日米関係者により返還式が行なわれた。 これに先立ち同諸島では時差を解消して日本時間に統一され、

父島の返還式は 正午ちょうどに守谷総理府小笠原準備室長が開会宣言。 午後一時十分式は終わった。

[107] 〝日本晴れ〟けさの「小笠原村」 式場あふれる参列者 旧島民暑さ忘れて 父島, 讀賣新聞 夕刊 11面

ボニンアイランズから東京都小笠原村へ――。 小笠原は一夜で生まれ変わった。 そして、小笠原時間は日本時間に……。

さらに、時間もきのうまでの小笠原時間 (本土より二時間早くなる) が、日本時間に統一されることになり、いささか勝手が違ったという表情。 時間はもちろん、通貨はドルから円、さらにヤード・ポンド法からメートル法へと、 なにからなにまで新しくなるわけだ。

[616] Japan Quarterly - Google ブックス (Asahi Shinbun, 1968 ) https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=WA4VAAAAMAAJ

clocks have been put back one hour to conform with Japan Standard Time

[613] 朝日年監 - Google ブックス (朝日新聞社, 1969 ) https://books.google.co.jp/books?id=g3W6AAAAIAAJ

小笠原諸島と本土との間には1時間の時差(本土の 正午は、小笠原では午後 1時)があったが、 本土復帰と同時に時差がなくなり、本土時間 に統一された。

[404] 佐藤政権: 平和と繁栄の中の長期保守政権の記錄 - 岡本文夫 - Google ブックス (白馬出版, 1974, ) https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=LYQNAQAAMAAJ

現地の式典は正午から父島、硫黄島で、午後二時から南鳥参院選挙中の六月二十六 日、小笠原返還式が華々し^行なわれた。この日の午前零時、二十三正案を次の国会に 提出する姿勢をみせた。力してきたが、こうした事態となったことは大変、残念」と語り、 ...

[429] 小笠原の歴史 - 東京アイランド (, ) https://blog.goo.ne.jp/ogamaru2014/e/4c88211634d9849a38e01da33e65ee10

1968年(昭和43年) 6月26日の正午、小笠原諸島を日本に返還、東京都小笠原村設置。

アメリカ国旗を降納し、同時に日の丸を掲揚した記念すべき日。

[403] 近代日本と小笠原諸島: 移動民の島々と帝国 - 石原俊 - Google ブックス (平凡社, 2007, ) https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=vLsyAQAAIAAJ

返還式一一時に終わって午後にはもう、道路のコ—全然心配する必要はない、全員、返還式の翌日から仕事があるから」と言った。〔... ...〕でも早かったな、から... : .仕事はくれると言われても、信用できなかった。でも〔駐留海軍の〕〔 0 ョョ 35121 'は、「おまえら ...

[510] 郵便学者・内藤陽介のブログ 小笠原復帰40年 (内藤陽介 Yosuke NAITO著, 2008-06-26 Thu 13:15, ) http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-1121.html

小笠原諸島では、日本復帰当日の6月26日付で父島大村地区に小笠原郵便局が開局することになっていましたが、復帰当日の6月26日は、正午から午後3時まで一連の記念行事が行われたため、小笠原局で記念切手の発売や郵便物の引受等の窓口業務が開始されたのは午後3時15分以降のことだったそうです。また、小笠原局には初日カバーの郵頼が殺到しましたが、局長以下2名という小規模な局では、当然、これに対応することはできず、カバーの大半は東京中央局で処理されました。その際、東京中央局では、櫛型印の押印依頼に対しては、時刻欄を午前8-12時(実際には小笠原局の業務がまだ始まっていない時間帯)として対応するなど、現場はいろいろと苦労したようです。

[357] アメリカ施政権下の小笠原諸島 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%96%BD%E6%94%BF%E6%A8%A9%E4%B8%8B%E3%81%AE%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E8%AB%B8%E5%B3%B6

6月26日正午(日本標準時)、父島のアメリカ海軍司令部前で返還式典が行われ、小笠原諸島は日本に復帰した。

[611] 第90回小笠原諸島振興開発審議会, () http://www.mlit.go.jp/common/001183914.pdf

15ページ:

【渋井委員】

翌年の昭和43年、1968年6月26日の午前零時に小笠原諸島返還協定が発効いた しまして、ついに小笠原諸島全域が日本の施政権のもとに復帰し、東京都小笠原村が発足 をいたしました。

[516] 閲覧 | 単文表示 | 東京都議会 会議録検索 (平成30年第2回定例会(第9号) 本文 2018-06-20 ) http://www.metro.tokyo.dbsr.jp/index.php/5479622?Template=doc-one-frame&VoiceType=onehit&VoiceID=68652

◯五十二番(三宅正彦君) 昭和四十三年六月二十六日午前零時、小笠原諸島返還協定が発効し、小笠原諸島全域が日本の施政権下に復帰し、それまで、アメリカ時間で一時間、サマータイムで一時間の計二時間あった本土との時差が日本時間に変更されました。

真っ青な空に灼熱の太陽が輝く中、父島のアメリカ海軍司令部前の広場で、正午より歴史的な小笠原諸島返還記念式典が始まりました。

まず、アメリカ大使館のアームストロング政治参事官がジョンソン大統領からのメッセージを代読し、次に、田中総理府総務長官が佐藤総理のメッセージを読み上げました。そして十五分後、アメリカ国歌に合わせて星条旗がおろされ、君が代の演奏とともに日の丸が掲げられました。

また、硫黄島においても、同日正午に星条旗がおろされ、二十三年ぶりに国旗日の丸が翻り、太平洋で最もすさまじい戦場となった島が日本に返還されました。

[609] 平成30年第2回定例会 一般質問(三宅正彦)|本会議ネットリポート () https://www.gikai.metro.tokyo.jp/netreport/2018/report05/04.html

昭和四十三年六月二十六日午前零時、小笠原諸島返還協定が発効し、小笠原諸島全域が日本の施政権下に復帰し、それまで、アメリカ時間で一時間、サマータイムで一時間の計二時間あった本土との時差が日本時間に変更されました。

真っ青な空に灼熱の太陽が輝く中、父島のアメリカ海軍司令部前の広場で、正午より歴史的な小笠原諸島返還記念式典が始まりました。

まず、アメリカ大使館のアームストロング政治参事官がジョンソン大統領からのメッセージを代読し、次に、田中総理府総務長官が佐藤総理のメッセージを読み上げました。そして十五分後、アメリカ国歌に合わせて星条旗がおろされ、君が代の演奏とともに日の丸が掲げられました。

また、硫黄島においても、同日正午に星条旗がおろされ、二十三年ぶりに国旗日の丸が翻り、太平洋で最もすさまじい戦場となった島が日本に返還されました。

[356] 流れの果て―惣領のじんろく(4) 小笠原赴任 | yosie () https://love.ap.teacup.com/itokisya/86.html

小笠原諸島が、その施政権を、占領軍である米国から返還されたのは、先遣隊が上陸して3ヶ月後の、昭和43年のことだった。

当日、正午をもって返還のセレモニーが、行われる取り決めだったが、日米双方に時刻の認識にちがいがあった。

米軍占領下、日本とは1時間の時差があったからである。それまで小笠原には、日本時間は存在しなかったのである。

美濃部都知事は、ヘリで返還式に出席した。

ここで、先遣隊の任務は解かれ、同時に支庁職員として発令された。

最初の仕事は、民間に出回っていた、銃(ピストル)の回収だった。日常生活上の問題も続出した。

まず電圧である。120Vの世界だったのである。変圧器が必須であった。次は、単位である。メートルではなく、フィート、ポンドを、いちいち換算しなければないのだった。

さらに、支庁のオープン時刻と閉庁時刻の設定である。それまでの米軍時刻は1時間の時差と、サマータイムがあった。

このまま都の方式に移行すると、夏以外は10時の開庁となる。これではいかにも遅い。そこで一律に朝は8時開庁とし、昼の12時から1時半までを休憩時間とし、閉庁は4時45分としたのである。

[282] https://dl.ndl.go.jp/pid/3006443/1/306 (非公開)

朝日年鑑 1969年版

図書

朝日新聞社, 1969

306: ,本土より2時間早い小笠原時間が日本時間に,ドルから円へ,そしてヤードからメートル法へと切替えが

[283] https://dl.ndl.go.jp/pid/1794702/1/4 (非公開)

講演時報 (1413)

雑誌

(連合通信社, 1968-07)

4: てくる。時差一時間に米国式サマー·タイム(夏時間)のプラス一時間が加わつて、本土とは二時間違いだつた時計も二十六日午前零時でピタリ本土に合わされた。しかし、二十三年の長い時間が残した日米チャンポンの"

[288] 市政 17(8)(193), 全国市長会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2711494/1/40 (要登録)

[289] 東京電力株式会社社報 (210), 東京電力, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2312136/1/33 (要登録)


[136] USCG硫黄島基地案内には、 Iwo Jima time東京時間と同じ (Kilo Zone) で、 太平洋標準時 より17時間進んでいる、 とありました >>606

[137] 実際には Kilo Zone です (India Zone)。 古い案内の記述が残った可能性もありますが、 それにしては東京と同じ、カリフォルニアとは17時間差、 と周りの文章が正しいのが不自然です。

[138] いずれにせよ、硫黄島USCG は、 日本海上自衛隊などと同じく を使っていたとみられます。返還と同時に移行したのでしょうか。 南鳥島USCG が返還後も と異なる時刻を使っていたと見られ、 対応に一貫性がないように見えるのが気になります。

[199] 返還前の硫黄島米国空軍USCG は、 東京在日米軍の指揮下にありました (>>198)。 実は米領時代から だった可能性もあります。 そう仮定すると時差に言及のない1966年の記録 (>>111) と整合します。しかし父島と同じ時刻を使っていた 1968年の記録 (>>98) には整合しません。 また南鳥島USCG東京の指揮下にあった (>>228) なら、この理屈は成り立ちません。

[131] 硫黄島ロランAが運用停止しました。
[606] COAST GUARD Loran Station IWO JIMA General Information Book (NOVEMBER 1976 ) http://www.loran-history.info/iwo_jima/Iwo-Dunnington-Information-Book-1976.pdf#page=7

G. TIME ZONE:

Iwo Jima keeps plus 9 (Kilo Zone) time, which is the same as. Tokyo time. Iwo Jima time is 17 hours ahead of U. S. West Coast. Example: If it was 1100 local time in California on Sunday, it is 0400 Monday on Iwo Jima, disregarding daylight savings time.

南鳥島の時差

[21] 返還後の小笠原諸島では、他の日本本土同様、 中央標準時 が使われています。 ただし日本の領土の最東端に当たる南鳥島だけは特殊で、 USCG 管理区域 (水谷 (みずたに) (24.285970, 153.976792) など) ではCGタイム (CG time) が、 日本政府管理区域 (中山 (24.289595, 153.983017) など) では中央標準時 が使われていました。 一時は海上自衛隊時間 も使われました。


[6] 返還直後の南鳥島には日本政府系職員と USCG 職員が駐在していました。 島内は日米地位協定に基づく米国管理区域 (島の中央から東南部分) と、 それ以外の日本管理区域に分かれていました。 島内の生活施設や外部との航空輸送は日米それぞれ独立していました >>48

>>48 PDF 3ページ第3図に日米地位協定区域の図示あり。

[169] 1970年代の気象観測データに基づき1980年代に書かれた論文では、 地方時JST としたり >>167JST で観測したものに経度差を足すと地方時になるとしたり >>168 していました。観測は気象庁のもので (論文著者も南鳥島に渡ったのか、 観測結果のみ利用したのかは不明)、中央標準時 基準の観測データだったようです。

[90] 南鳥島に「赴任した」という人物による 2016年Webページは、 現地時刻である が使われていた >>87、 としていました。 「アンテナのメンテナンスのため、 コースト・ガードの隊員が天辺先端まで登って行った現場を見ました」 >>87 ということで、 USCG 職員と行動を共にしていた (こともある?) ようです。 この人物の立場は不明ですが、 島内に時差があったという書き方にはなっていませんから、 日本側も を使っていたのか、 専ら USCG 職員と行動しており島内時差を意識しなかったのいずれかになるでしょうか。

[53] 1985年南鳥島ロランC局の改築がありました。
[89] 日本政府郵政省電波研究所VLBI 観測施設建設のため現地調査しました >>48
[142] 日本政府郵政省通信総合研究所VLBI 観測施設建設のため現地調査しました >>50
[83] USCG 庁舎 >>50日本政府郵政省通信総合研究所VLBI 観測施設 >>48 の建設が始まりました。 謝辞 >>50 から、建設には理経NESIC鹿島建設が関与したと推測されます。 VLBI 施設が稼働開始しました >>48

[49] 昭和63年平成元年VLBI 施設建設のため南鳥島を訪問した通信総合研究所研究官の報告によると、

... の3つが南鳥島で使われていました >>48, >>50USCG 庁舎工事およびそれに相乗りした VLBI 工事の関係者は、 C/Gタイムで生活しました >>50通信総合研究所研究官は常にこの3つの時刻を頭に入れなければならなりませんでした >>48, >>50

[194] 「工事の人たちはC/Gタイムで生活し、朝5時仕事 開始、15時終了」 >>50 とありますが、この5時、15時とはCGタイムなのか、 中央標準時なのか。CGタイム5時は日の出前です。

[141] 独立していた USCG 庁舎はともかく、 気象庁自衛隊の庁舎はつながって1つの建物となっていたようですが、 別々の時刻を用いていたのは驚きです。

[221] 末に地形と植生の調査のため南鳥島を訪れた大学教授らによると、 当時日本の海上自衛隊気象庁の職員は日本の標準時 を使い、日本本土と同じ時間帯で生活・勤務していました。 一方で USCG を使っていました。 >>220


[64] 2011年YouTube に投稿された南鳥島で撮影された映像には、 USCG 庁舎内食堂で壁の時計と取材した日本人腕時計を比較する場面がありました。 USCG時刻グアム時間で2時間進んでいると説明されました。 >>62

[157] 映像内にはこれがいつのものかの情報はありませんが、 この映像の半年後に南鳥島で勤務したと証言する YouTube 視聴者のコメントがあり、 それを信じると1991年頃となります。 映像内で USCG の「ウォロンジンスキー隊長」が語っていますが、 LTJG Jerald L Woloszynski-に在任しており >>158、 一致します。

[154] テレビ番組の一部のように見えますが、不明です。 南鳥島を取材した番組として 中村敦夫の地球発22時 (1984-1987) があるようですが、時期が一致しません。

[155] この映像内では海上自衛隊隊員が主として案内しており、 USCG との交流にも言及がありました。 気象庁には言及がありませんでした。 この時点では海上自衛隊中央標準時 を、 USCG を使っていたと解釈するのが自然です。


[81] 1990年代末に公開された Webページは、 南鳥島では日本標準時USCGグアム時間があって、 USCG が2時間進んでいる >>36 としていました。 著者の素性は不明ですが、 「私の場合は、しょっちゅうCGに入り浸って」いたという日本側関係者のようで、 「」と印字された写真を撮った頃滞在していたとみられます。 VLBI 施設建設と同時期で、 VLBI 施設にも言及がありますが、 言及のある時刻は2種類だけでした。

[91] 2000年頃に公開された Webページは、 南鳥島では日本時間USCGウェーク時間があって、 USCG が2時間進んでいる >>4, >>74, >>20, >>73、 としていました。 (何度か URL と記述が変更されていますが、 同じWebサイトです。) この Webページ著者は過去4回、 3ヶ月程度の期間ずつ南鳥島に滞在したと述べており、 そのうち3回は 1981年昭和58年昭和63年 >>159 とみられます。

[165] 2004年2005年ブログ記事 >>31, >>33 は、南鳥島USCGウェーク時間を採用しており 2時間早いとしていました。伝聞調であり、出典は示されていませんが内容から >>3 のサイトに直接または間接に基づいたものと思われます。

[160] 医療目的で南鳥島を訪問したという人物のの雑誌記事は、 「滑走路の左右で時差がニ時間ある」としていました。 >>32

[164] あるウィキの記事には、南鳥島米軍海兵隊グアム標準時 を採用していた >>56 とありました。この部分は >>162 に追加されました >>163。出典は示されておらず、 筆者の実体験でもなく他の Webサイトなどから得た情報と思われます。 海兵隊とするのは USCG の誤りと思われます。また とする根拠は不明で、 グアム標準時という情報から補った可能性があります。

[82] 南鳥島USCG で1年間勤務したという人物 (滞在時期不明) の 2015年掲示板投稿によると、 米国側では local time を用いており、 日本側では日本時間を用いていたため、 米国側が2時間進んでいました。日本側への連絡では 「three o'clock CG time, one o'clock Japanese time」 のように言っていました。 また米軍の公式記録では を使っていました。 >>47

[161] 2018年Twitter 投稿によると「30年程前の南鳥島の資料」 に日本 (気象庁自衛隊) と USCG との間に2時間の時差があったとされており、 USCG のはグァム時間とされていました。 >>156


[25] 硫黄島ロランC局南鳥島ロランC局日本政府海上保安庁に移管されました。

[183] USCGをもってロランCの運用を終了し、 南鳥島から撤退しました。 撤退日や日米地位協定に基づく米国管理区域の正式な廃止日は不明です。

[182] 南鳥島海上保安庁USCG 庁舎に入居し、 ロランC運用業務を引き継ぎました。 日本政府の機関である海上保安庁は、 CGタイム は引き継がず、 中央標準時 を用いました。


[184] 南鳥島USCGCGタイム を採用した時期や経緯は不明です。 日本返還直前には が使われていました (>>225)。 駐留開始の (>>27) から を用いていたのでしょうか。 にはいつ切り替えられたのでしょうか。

[185] USCG で勤務していた米国人地方時と認識していました (>>82)。南鳥島東経153度58分 = で実際には地理的時間帯 ですから、 通年夏時刻に相当します。 米国は他にも父島 (地方時 標準時 )、 硫黄島 (地方時 標準時 )、 サイパン (地方時 標準時 )、 グアム (地方時 標準時 )、 Kwajalein (地方時 標準時 )、 ウェーク島 (地方時 標準時 ) と通年夏時刻を採用しがちなので、 その点は一貫しているといえます。 米軍小笠原群島南鳥島で1時間の時差があるという見解を以前から示していました (>>102)。

[187] 元々米領小笠原諸島標準時 夏時刻 が使われていたものが日本返還時点の で固定されたという可能性もあります。 返還後も米領グアムに合わせて を切り替えていた可能性もあるかもしれません。 しかし硫黄島USCG が返還後中央標準時 に変更したらしい (>>136) のと一貫していません。 南鳥島では地方時中央標準時の差が大きすぎるという判断があったのでしょうか。 だとしても、最終的に で固定という判断に至った理由は謎です。

[8] CGタイム グアム時間であるとする説は 1990年前後に南鳥島を訪問した人達が紹介しており (>>81, >>161)、 それと同時期とみられる現地映像でもそう説明されていました (>>64)。 当時の現地日本人にはそのように理解されていた可能性が高いです。 ただし実際のグアム標準時 です。 グアム夏時刻 が最後に実施されたのは1977年でした。 その当時からの伝承だったのか、 あるいはそれとは無関係の誤解なのかは定かではありません。 日本の職員は3ヶ月交替、 USCG 職員は1年交替の勤務で、 古い情報は残りにくい環境だったかもしれません。

[186] CGタイム ウェーク時間だとする説もあります (>>91, >>165) が、そのうち現地を訪問したとする者は1人だけです (>>91)。 実際のウェーク時間 で、 確かに地理的時間帯 ですが、 この時代のウェーク島 が用いられたとする証言は見当たりません。 ただし、他地域の米軍資料でウェーク島 とした例はあり、なにか関係はあるかもしれません。 ( 南洋群島の標準時 )

[193] 南鳥島にはウェーク島の方角と距離が示された案内板があったり、 ウェーク島にも USCG が駐在していたりと、 まったく無縁でもありません。

[189] 返還直後は日本の施設がまだなく、気象庁海上自衛隊USCG の施設に同居していました。 その当時は日本人CGタイムで生活していたかもしれません。 ただ気象観測では観測時や日界が異なると比較上不都合ですから、 一貫して中央標準時が用いられていたと考えるべきです。

[190] 海上自衛隊時間 が用いられた理由は不明です。 たしかに地理的にはそれが正しいかもしれませんが、 島内で3つの時刻が混在し、 輸送や通信の相手となる硫黄島日本本土とも異なるとなると、 不便しかなかったはずです。 あるいは返還直後の同居時代などに USCG海上自衛隊 を使っていたことがあるのでしょうか。

[191] 南鳥島時差があったことは、現代日本でも、 こうした分野に興味を持つ人々の間ではよく知られています。 時代が比較的新しいことはもちろん、 民間人が訪れることができないとはいえ、 工事や調査などで現地に行った人が意外と多いためもあるでしょうか。

[192] ただ本章の通りそのまま鵜呑みに出来ないおかしな情報が流布していますし、 1960年代や1970年代の情報もほとんどありません。 海上自衛隊時間に触れたものも、本ウィキと元の論文以外には見たことがありません。 日本の標準時などを扱う書籍で南鳥島時差に触れたものも見たことがありません。

[2159] 南鳥島太陽
  • 南鳥島 中央標準時
    • tz=+09:00 lat=24.283056 lon=153.986389 day=2000-03-20 offsetbefore=02:00

      春分
    • tz=+09:00 lat=24.283056 lon=153.986389 day=2000-06-21 offsetbefore=02:00

      夏至
    • tz=+09:00 lat=24.283056 lon=153.986389 day=2000-09-23 offsetbefore=02:00

      秋分
    • tz=+09:00 lat=24.283056 lon=153.986389 day=2000-12-21 offsetbefore=02:00

      冬至
  • 南鳥島海上自衛隊時間
    • tz=+10:00 lat=24.283056 lon=153.986389 day=2000-03-20 offsetafter=01:00 offsetbefore=01:00

      春分
    • tz=+10:00 lat=24.283056 lon=153.986389 day=2000-06-21 offsetafter=01:00 offsetbefore=01:00

      夏至
    • tz=+10:00 lat=24.283056 lon=153.986389 day=2000-09-23 offsetafter=01:00 offsetbefore=01:00

      秋分
    • tz=+10:00 lat=24.283056 lon=153.986389 day=2000-12-21 offsetafter=01:00 offsetbefore=01:00

      冬至
  • 南鳥島CGタイム
    • tz=+11:00 lat=24.283056 lon=153.986389 day=2000-03-20 offsetafter=02:00

      春分
    • tz=+11:00 lat=24.283056 lon=153.986389 day=2000-06-21 offsetafter=02:00

      夏至
    • tz=+11:00 lat=24.283056 lon=153.986389 day=2000-09-23 offsetafter=02:00

      秋分
    • tz=+11:00 lat=24.283056 lon=153.986389 day=2000-12-21 offsetafter=02:00

      冬至
[167] Spectrum of Long-Period Fluctuations of Surface Wind at Marcus Island (Yukihiro Mori (Earth Science Laboratory, Kagawa University, Kagawa, Japan) Received: 16 October 1979 Final Form: 10 April 1980 ) https://journals.ametsoc.org/doi/pdf/10.1175/1520-0493%281980%29108%3C1456%3ASOLPFO%3E2.0.CO%3B2

local time (JST)

[168] Semidiurnal Tidal Wind Oscillation at Marcus Island (Yukihiro Mori (Earth Science Laboratory, Kagawa University, Kagawa 760 Japan) Received: 13 October 1983 Final Form: 18 January 1984 ) https://journals.ametsoc.org/doi/pdf/10.1175/1520-0493(1984)112%3C0755%3ASTWOAM%3E2.0.CO%3B2

The wind observations were made eight times daily according to Japan Standard Time (J ST; the zone time at 135°E). Marcus Island is 19° east from this longitude. In this study, local time is therefore cal- culated as LT = JST + 1.27 h.

[50] CRL NEWS 1989.9 No.162, 絶海の孤島南烏島のVLBI局完成 (三木千紘郵政省通信総合研究所標準測定部周波数標準課主任研究官, ) http://www.nict.go.jp/publication/CRL_News/back_number/162/162.htm

南鳥島には3種類の時刻系がある。ひとつは日本 時間、もうひとつの海上自衛隊時間はそれより1時 間早い。それにC/Gタイムはさらに1時間早い。 工事の人たちはC/Gタイムで生活し、朝5時仕事 開始、15時終了。この時間のずれは常に念頭に入れ ておかなければなかった。

[48] Ⅱ.3 南鳥島局の概要, 三木千紘, 雨谷純, 受理, 通信総合研究所季報 Vol. 36 特8 pp. 51-59 () http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8723921_po_0203.pdf?contentNo=1&alternativeNo=

南鳥島には3種類の生活時刻がある. 第1は日本時 間, 第2は海上自衛隊時間であり, 日本時間より1時間 早い. 第3の C/G タイムはさらに1時間早い. 同島の 生活ではこの3種類の時間のずれは常に念頭に入れてお く必要がある.

[220] >>219

島の位置が東経一五三度にあるにもかかわらず、南鳥 島における勤務時間や生活は日本の標準時で、しかも日 本本土と同じ時間帯に設定されている。そのためわれわ れのような野外調査屋は戸惑うことになる。朝七時過ぎ に調査を始めるときにはすでに太陽は高い位置にあり、 夏至に近いというのに夕方五時を過ぎての測量は日没と の競争で非常に慌ただしいものとなった。一方、米国沿 岸警備隊は日本側より二時間時計が進められていて、昼 間の勤務を終えた人々がゆったりと西太平洋に沈む夕日 を眺めていた。

[63] >>62 へのコメント: 2001kawauso, "publishedAt": "", "updatedAt": "" https://www.youtube.com/watch?v=aM98jMhc1BY&lc=UgyBYNkwRBa5uNCK4714AaABAg

懐かしいです!!!これは21年ぐらい前の映像ですね。数人当時の先輩が映っています。私はこの半年後ぐらいに南鳥島で3ヶ月勤務しました。

[197] 本文中に訪問が明記されていませんが、 最初の出版の1991年からそう遠くない過去でしょう。 気象庁海上自衛隊USCG がいる島に貨物船で上陸したという話で、 VLBI 施設にも言及がありました。 夏至の頃出港し、 南鳥島に何日か滞在したそうです。 上陸前に日の出時刻日本標準時からの距離を感じたと記されていますが、 島内の時刻には言及がありません。 USCG 施設も見学しているにも関わらずです。

[36] JM1GLZ's HOME PAGE ( 版) http://www.mars.dti.ne.jp/~jm1glz/marcus.htm

ここの生活で面白いことは、CGと日本側では同じ島にいながら時間が違うという ことです。

日本との時間差は2時間で、例として、日本側が8時に対しCGは10時です。

日本は日本標準時を使用していますが、CGはグアム時間を使用しています。

何しろ、南鳥島は日本では夜明けが早いし、夜が更けるのが早い。

[4] 南鳥島 () https://web.archive.org/web/20040607091621/member.nifty.ne.jp/marcus47991/marcus.html

[74] 南鳥島 () https://web.archive.org/web/20040723114513/http://homepage3.nifty.com:80/marcus/marcus.html

保安庁が来る前は、アメリカのコーストガードの職員も13名ほど在島していました。コーストガード(CG)が居た頃は小さな島に時差が2時間存在していました。(CGはウエーク時間を使っていた)

[20] 南鳥島について ( 版) http://homepage3.nifty.com/marcus/marcus1/marcus.html

[73] 南鳥島について () http://marcus.world.coocan.jp/marcus1/marcus.html#生活

海上保安庁が来るまでは、アメリカの沿岸警備隊コーストガード(CG)の職員が13名ほどロランCを運用 するために在島していました。その頃、コーストガードは日本時間より早い、ウェーク時間を使っていたため、 小さな島の中で時差が2時間存在していました。

[159] ・アマチュア無線歴 ・移動運用 ・和文電信 ・DX ・コンテスト ・パケット通信 () http://marcus.world.coocan.jp/ham/ham.html

昭和58年10月 1日 東京都小笠原村南鳥島にて JD1BDA を開局

昭和63年10月 1日 JD1BDA設置場所変更にて JK1ABP に変更

1981
第22回 オールアジアDXコンテスト電話 南鳥島第1位 JA9IAX/JD1
1983
第24回 オールアジアDXコンテスト電信 南鳥島第1位 JA9IAX/JD1
[170] はなのはね南鳥島ガイド () http://ww35.tiki.ne.jp/~sight/marcus4.html

本土より実際には1時間日の出・日の入りが早いことから、

食事時間が早いのがつらいとか。

朝食6時半、昼食11時半、夕食16時半。

(季節などにより多少変更あり)。

夕食から朝食までの間が長く、とてもおなかがすくらしい。

[171] 南鳥島 () https://web.archive.org/web/20050223035805/http://www.d1.dion.ne.jp:80/~sight/marcus4.html より2005年には既に存在していたことが確認できます。 南鳥島特別航路 (>>195) を参照していますが、そちらにはこのような内容がなく、 出典ではなさそうです。

[31] 日本にも時差は有る? | マイペンライ - 楽天ブログ, 宮竹外骨, (Last updated , 版) http://plaza.rakuten.co.jp/kuukou4321/diary/200403220000/

この島にアメリカのコーストガードも駐留していたときアメリカのコーストガードはウエーク島の時間(日本よりも2時間早い)を使っていたそうです、

[33] I'm alive. , Katsushi NAKAGAWA (, 版) http://nakagawa.blogspot.jp/2005/09/281228167120135-11219379241292452941-1.html

南鳥島は東経153度59分12秒なので約1時間の時差があるらしく、この島にアメリカのコーストガードが駐留していた時は、ウエーク島の時間(日本よりも2時間早い)を使っていたらしい。

[32] 名誉総裁表彰を受けて, 日本医科大学付属病院高度救命救急センター 部長 山本保博, すいきゅうニュース Vol. 99 No. 1 号 ( 版) https://www.mrj.or.jp/suikyu_news/pdf/vol099_1/31_32.pdf

昨日の如く思い出すのは南鳥島 (マーカス島) に行った時のことで、 硫黄島を経由しYS十一型機で行ったと思いますが、 三角形のおむすびの様な島でした。 中央に何百メートルもありそうな無線塔(ロラン塔)が立っているのが印象的で、 島の中央に滑走路がありました。 当時はまだ米国のコーストガードがおり、 滑走路の左右で時差がニ時間あるのも新鮮でした。

南鳥島

  • 自衛隊しかいない。
    • 気象庁と米海兵隊もいるはず。ちなみに米海兵隊の区画内ではグアム標準時(JST+1)が採用されている。
    • 米軍はもう居ない。今居るのは、海自と海保と気象庁。海保はロランを運用中。
      • ロランは既に運用を停止した。海保もまもなく撤退する。

[188] 絶海の孤島・南鳥島 | CLUB テラコッタ (2011年07月18日(月) 19時20分34秒 ) https://ameblo.jp/koteppo/entry-10957628324.html

南鳥島は、別名「マーカス島」と呼ばれる、日本最東端の島。

沖ノ鳥島と並ぶ、絶海の孤島です。

本土からの距離はなんと1950km。

本土よりも1時間+の時差があるそうです(+_+)

[233] 出典とされているのは >>170。誤読だろう。

[234] 南鳥島とは (ミナミトリシマとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 (とめらん, 11/05/22 04:33 ) https://dic.nicovideo.jp/r/a/%E5%8D%97%E9%B3%A5%E5%B3%B6/1179423

時差:明石標準時より1時間早め

[236] 出典は明記なく不明。「早め」と曖昧で根拠のないイメージか。 4年間放置された後修正:

[235] 南鳥島のリビジョンとリビジョンとの差分 - ニコニコ大百科 (2015/06/09(火) 00:02:24 ) https://dic.nicovideo.jp/rd/a/%E5%8D%97%E9%B3%A5%E5%B3%B6/1416071/2216642

時差:本土と同じ標準時(UTC+9:00)。なお同経度の国は1時間早い標準時を採用している。

[47] The Naming of Time Zones - Straight Dope Message Board () http://boards.straightdope.com/sdmb/showthread.php?t=775636

I spent a year at a USCG LORAN station on Marcus Island, which is a Japanese island 600 east of Iwo Jima. The Japanese kept a small weather station (JMA) and JMSDF (Japanese Maritime Self Defense Force. Never say Japan has a Navy or Army, it's self defense forces) to run the landing strip on this 3.2 mile in circumference island. Anyways us Americans would kept our clocks local time while the Japanese would keep their clocks on Japan time...2 hours behind local time. So if we were arranging things with the Japanese like a softball game we would say "three o'clock CG time, one o'clock Japanese time".

A further complication was the military keeps their official records on what the world calls Greenwich Mean Time and we call Zulu time. So at 1100 CG (0900 Japan) we would type up a new log sheet and collect the day old recording graphs (about four) from the timer room to file for a few years.

Last edited by Jim's Son; 11-19-2015 at 05:12 PM..

[87] 南鳥島(マーカス)の「ロラン・アンテナ」について ※画像あり (2016年5月13日 BY WHAT-IS-GPS ) http://best-covert-gps-vehicle-tracking-systems.com/marcus/

南鳥島(マーカス)の「ロラン・アンテナ」について ※画像あり () https://web.archive.org/web/20180601154835/best-covert-gps-vehicle-tracking-systems.com/marcus/

ここは、「南鳥島(マーカス)」で、日本の最東です。東経154°です。日本国土ですから日本標準時を使用するのですが、実際は現地時刻です。

この画像は1983年12月に私が赴任した時の航空写真です。1時間以上の実時間差があるので、日本標準時より2時間進めています。

[88] 写真には時刻に関する内容特になし。

名前:OS

通信士の国家資格所有。

[54] 基本情報 - 南鳥島の歩き方 () https://sites.google.com/site/travelmarcus/home/ji-ben-qing-bao

日本本土と同じで、世界標準時(グリニッジ標準時)より9時間早い。

ただし、日の出日の入りが本土より1時間程度早いため、食事の時間が早めに設定されている。

(朝食6時、昼食11時、夕食16時)

[166] 出典不明、 Webページの更新日時も不明。

小笠原諸島の南鳥島には、90年代に米軍が撤退するまで島内に時差があった。日本側の区画においては標準時である一方、米軍(CG)施設においてはグアム標準時を採用した

gudachanさん|2016.10.18

[76] >>75 で引用元と示されているのが >>73 のサイトの構成ページ (画像の出典と思われ、 文章は元サイトには見当たらない)。 他に >>53>>36 から引用。 >>73 サイトでウェーク時間とするのは無視し、 >>53>>36 とする矛盾を何の注釈もなく併記した上で「グアム時間を採用」 としている。

現代

[96] 2000年南鳥島ロランC局の改築がありました。
[143] 気象庁南鳥島観測棟が新築されました。
[146] -台風のため南鳥島から全島避難しました (気象庁観測所設置後初)。

[5] 平成19年に調査のため南鳥島に渡航したという人物は、 海上自衛隊と共同で生活しましたが、「食 事の時間が朝6時, 昼11時, 夕16 時と早」く、2時間ほど時差があるためと説明されたようです >>51時刻が早まっていることからここでいう時差とは標準時地方時の差のことで、 中央標準時が用いられていたと解釈するのが自然です。

[147] 台風のため南鳥島から硫黄島に全島避難しました。
[144] 2009年南鳥島海上自衛隊庁舎が改築されました。
[24] 南鳥島ロランC局が廃止されました。 平成22年海上保安庁は撤退しました。
[23] 南鳥島の港湾整備事業が開始され、 日本政府国土交通省の職員が常駐するようになりました。 、仮庁舎兼宿舎が完成しました。

[152] 日本政府国土交通省が制作した南鳥島の紹介動画 >>150 (パンフレットと同じだとすればのもの) は、南鳥島日の出は3時台となることもある、と述べていました。 ではそのようなことはなく、 が用いられていると確認できます。


[139] たまに Webページなどで南鳥島与那国島など沖縄が 1時間や2時間の時差があると言及されることがあるようです。 ここでいう時差地方時であり、 標準時は同じです。

[140] 極めて少数ながら、南鳥島 (など) を中央標準時と異なる別の標準時とするべきと提案する人もいます。 現実にほとんど意味もなく、同調者も皆無に近いと思われます。 また、日本の標準時 に改めるべきと主張する人は、 これが南鳥島時刻だと紹介することがあります。 日本標準時改正案

[51] THE JOURNAL OF SURVEY 測量 2013.8 () http://www.hasshu.co.jp/img/gekkansokuryou201308.pdf

表紙の説明

私がこの南鳥島に言ったのは平 成19年のことである。東京防衛施 設局(現:北関東防衛局)より災害復 旧土木調査の仕事を受注し, 地形 測量及び, 路線測量, 滑走路舗装 調査の業務を行った。

島に来て驚いたことと言えば食 事の時間が朝6時, 昼11時, 夕16 時と早いことであった。

これは時差が2時間ほどあるため 早いそうである。

株式会社 八州

計測技術部第一課 石坂 雄介

中ノ鳥島

[22] 中ノ鳥島は、 太平洋上 (30.083333 154.033333) にあるとされたでした。 日本政府中ノ鳥島を正式に日本の領土としました。 しかし実在しないことがわかり、 昭和18年および昭和21年日本政府海図から中ノ鳥島を削除しました。

[28] 実在していないとはいえ、 数十年間は日本の領土として扱われていました。 法的には (理論上は) 日本内地であり、 通常の法令が適用されることになっていたと考えられます。 つまり、 日本の暦中央標準時 が実施されていたことになります。

伊豆諸島

日本の標準時

南西諸島

南西諸島の日時

関連

[57] 南洋群島の標準時

メモ

[26] 南鳥島ロランC局 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%B3%A5%E5%B3%B6%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3C%E5%B1%80