[264] 震災 (y~1788)、 フクシマ紀元 (y~1738)、 福島 (y~1738)、 フクシマ (y~1787) は、 平成時代に使われた日本の私年号です。
[274] 震災と福島とフクシマ紀元の元年は平成23(2011)年です。
[265] フクシマの第0年は平成23(2011)年、 第1年は平成24(2012)年です。
[396] 、 東日本大震災が発生しました。 震源に近い東北地方を中心に、 北海道から九州まで日本列島のかなり広い地域で揺れを感じました。 日本海側を含む日本全土で津波注意報以上が発令されたほどの大規模津波は、 東北地方の太平洋沿岸の街を壊滅させました。 その他東日本各地で家屋の倒壊など甚大な被害がありました。
[441]
日本国福島県にあった東京電力の福島第一原子力発電所は、
津波の被害から大事故に発展しました。
東北地方を含む日本全国の原発は、
地震対策の不十分が疑われたことから、
最終的にすべて一時停止されるに至りました。
そのため東京電力が供給する首都圏の電力が地震直後に不足しはじめ、
夏場には全国的な電力の逼迫が予想されたのでした。
そこから夏時刻導入を提案する人も出てきました。
[442] 首都圏の直接被害は限定的だったものの、 ほとんどの交通機関が点検のために機能停止し、 都内外の労働者達が帰宅難民化しました。 そこに電力不足、 交通網分断による流通網の機能不全、 CM自粛の風潮などが重なって、 全国的に経済活動の停滞が起こったのでした。 連動して起こったかのような全国各地の大きな地震の連発、 インターネットやテレビで流される悲惨な津波被害の映像、 無責任に煽る放射能デマを含む原発事故の情報は、 全国のたくさんの人達を不安にさせました。
[440] 社会不安が広まった世の常として、 改元待望論が盛り上がったり、 震災元年やフクシマ紀元のような私年号が生まれたりもしました。
[103] の東日本大震災以来、 毎年3月頃には 「震災から何年」 「震災何年」 「震災何年後」 のような記事がメディアやSNSに投稿されるようになっています。 大きな事件のあった日にはよくあることです。
[104] 頻繁に耳にするからか、これが元号のように感じる人も現れてきました。 「戦後」でも起こった現象です。
[245] 「震災何年」 のような書き方をしていても、 第1年が平成23年 (y~1788) ではなく平成24年となること、 元号年のように年を指すのではなく「○周年」のように日を指す場合もあることに、 注意が必要です。
東日本大震災から11日で2年。
[263] 震災 (y~1788) は、 平成時代に使われた日本の私年号です。
[275] 元年は、 平成23(2011)年です。 震災後何周年の数え方とは1年のずれが生じることに注意が必要です。
[271] 令和2(2020)年まで用例が確認されています (>>189)。 それ以後本稿執筆時点の令和3(2021)年において、 現用されている形跡は確認できません。
[184] ブログ著者の mizumoe19 は、 震災 (y~1788) を元号として使っていました。
[185] 元年は平成23(2011)年です。 >>27 震災後何周年の数え方とは1年のずれが生じるので注意が必要です。
[186] このブログは従来特別に日付を書いていなかったようです (必要があれば西暦年や元号年を書いていました。) が、 に改元 >>27 して以来、 ほとんどの記事に日付を明記するようになりました。 改元前年の平成23年は、遡って震災元年とされました >>27。 記事は月十数回程度の頻度で追加されていたようで、 震災が継続的に利用されていたことが確認できます。
[187] 東日本大震災は未曽有の災害で、 戦後を一区切りする画期であることが、 改元の理由とされます。 >>27 旧来の災異改元にも、また当時巷で囁かれた改元待望論にも通ずる考え方でしょう。
[189] 震災はその後8年間使われ続けましたが、 震災10年2月28日 () の記事 >>26 を最後に、 にコロナ元年と改元されました >>25。
[190] 私年号らしきものを思いつく人は少なくありませんが、 それを実用する人はほとんどいません。 しかもそれが使われ続ける様子を確認できるのは稀有な例で、 私年号から私年号への改元を見られるのも例外中の例外。
[191] 口ばかりの戯れの私年号もどきが溢れるこの時代に、 志を持って元号を建て実践できるというのは大変素晴らしい。
[192] なおこのブログ以外での利用例 (この著者によるものや、 このブログの影響によるとみられるもの) は確認できません。
震災2年1月9日
日本には元号を使う習慣がある。天皇を中心にして元号が決められているのが通常であるが、3月11日の大震災は戦後という考え方を大きく変えたような気がする。
よく、昔から、戦前・戦中・戦後という言葉を聞いて私たち団塊の世代は育ってきた。しかし、戦後も70年になろうとし、明治時代生まれの人も段々いなくなり、節目がなくなって来ているところで、大きな災害に昨年は遭遇した。まさに未知との遭遇であった。世の中が諸行無常である限り、このような変化は必然ではある。その中をどうやって私たちは生きて行くかが今後もずっと問われているのだ。
私はこの1000年に一度といわれる未曾有の大震災は年号を決める意味でも、とても大きな転換点になったのではないかと思う。世界がグローバル化し地球が益々狭くなってきている現在、もう、地球の生命もこのまま行けば末期に近づいているのではないかと思うようになってきた。地球に負荷がかかりすぎているのだ。
そこで、大きな大きな地震が起きた。原発もはぜた。そうだ、戦後に匹敵する大きな事件が勃発したのである。日本だけの問題でなく世界的な問題、地球的な問題でもあったのだ。そこを、境に今後は私なりに震災元年の年と呼ぶことにする。
今年はお正月を迎えた訳だから、震災2年になった。この未曾有の出来事を神からの警鐘ととらへ、今後の生きたかに変えていかないでどうするということだ。
震災元年を境に諸々の問題点を整理し、新たに震災元年として、再出発するためにも、ここに日本国民は震災元年を新たに銘記し新たな旅立ちをすべきだと考えたい。
震災10年2月28日
[266] 日本の放射線防護学研究者の高田純 (札幌医科大学教授) は、 震災直後から現地調査を継続していましたが、 その経過発表時に 「震災元年」 と言っていました。
[273] Webサイト、 SNS、書籍、講演などの用例が見られました。 本人だけでなく、他の人が言及する例もありました。
[267] 震災後何年間も震災当時を「震災元年」と呼び続けていました (y~1788) が、 「震災2年」以後の用例は確認されていません。 月の表記に用いている例がいくつか見られます。 日時表示にまで用いた例は見つけられません。
震災元年の6月から始まった福島県内各地での体内セシウム検査、延べ98人の結果は、最大でも0.4ミリシーベルトと低線量だった。今後次第にさらに低下していくと予想する。健康リスクはない。
福島20km圏からの緊急避難者の震災時の外部被曝は5mSvと低線量で、福島県全体としても震災元年の線量は概して5mSv以下。
[201] 平成23(2011)年を「震災元年」と呼ぶ例は多いです。
毎年年末になると仲間内で色んな所に旅行に出かけるのが恒例となり、今年は早10年目を迎えました。場所を決める段階で今年は震災元年という事もあり、被災地に行く事が復興にも繋がると思い、迷わず仙台をチョイスしました。12月29日~2泊で泊まらせて頂きました。
【2011年12月宿泊 友達旅行】
第7回 東北復興チャリティ KIZUNA展 | 滋賀ガイド!, 2017/3/6 掲載, https://archive.is/cqUzS
東日本大震災で親を亡くした子供達を支援する【KIZUNA展】は、震災元年から開催し今回で7回目。
[241] 2年以後を数えている例。
[205] 震災何年と書いても良さそうなのに、 「震災元年から何年」 のような書き方をしている例もあり、興味深い。
震災元年の昨年一年を振り返ったブログから一年が経ち…
もうすぐまた新しい年が明けようとしている…。
[212] を「震災4年1月1日」だとする発言 >>44。 平成23(2011)年を元年とする数え方 (y~1788) は同じでも、 グレゴリオ年始ではなくを年始とする点が独特。
[268] 平成23(2011)年を0年とする震災何年の数え方もあります。
[269] 平成23年を0年、 平成24年を1年とするこの数え方は、 震災後1年 (1周年)、2年 (2周年) のように周年式で経過時間を表す方法 (>>103) と年数が一致するものですが、 いくらか元号年風の要素が入ってきています。 震災当日を含む年を元年とする私年号 (y~1788) とは1年のずれが生じます。
[58] 、 日本国福島県福島市の詩人和合亮一は、 「震災後八年」でなく「震災八年」だと述べた詩を発表しました。 >>174
[59] を第0年とする数え方です。
[60] 東日本大震災が終わって何年ではなく未だ課題が山積し継続中である、 という思いを表したものなのでしょう。 といっても和合亮一の Twitter への投稿にはこれ以前もこれ以後も 「震災から何年」 「震災の年」 「震災後」 といった表現が散見されます。
[100] 8年を過ぎてから、「震災9年」のような表現でよく Twitter に投稿するようになったようです。 しかし「震災から何年」 と混在しています。
[101] なおどの表現もあくまで経過時間を示したもののようで、 年の表示や日時表示に使ったものは見つけられません。
言わば震災後八年ではなく震災八年。
(和合亮一)
[102] 「震災8年」にはそれなりに反響があったようです。 ちょうどの令和改元を間近に控えていたこともあって、 元号や戦後に関連付けた投稿もありました >>173。
[199] なぜか震災翌年の平成24(2012)年を「震災元年」とする流儀がありました。
株式会社エルエスネット -俺の話しを聞け!-, Vol 44.変わること変えること, 古川達高, 2012.01.06, , https://web.archive.org/web/20160912071055/http://ls-n.net/column_pages/20120106column.html
今年は、震災の翌年のある意味「震災元年」(昨年は政府の対応の悪さも含めて手がつけられなかったので)。
震災元年
2012年 03月 11日
震災元年となるこの日旅行に出かけました。
昨日は、東日本大震災が起こってからちょうど1年が経過した日でした。東日本大震災という出来事は、家族、親戚、友人等を亡くされた方、被災された方、避難を余儀なくされている方、避難したいけどできない方等はもちろんの事、それらの方達だけではなく日本人全てに何らかの暗い影響を及ぼした悲しい出来事だったと思います。
私もインターネットの動画ニュースで、日本のニュースを見たのですが、涙なくしては、見る事ができませんでした。
ここイタリアでも、震災元年のここ数日多くの番組で特集を組んでいました。在日イタリア人記者やイタリアから派遣された記者による被災地の現状、福島原発の避難区域との境に住む事を余儀なくされている人達などの様子をレポートしテレビで放映され、興味深く見ました。
今年は、震災元年。現在までに死者・行方不明者は2万人弱を数え、いまだに多くの方が仮設住宅で暮らしています。
[8] フクシマ紀元 (y~1738) は、 日本の平成時代に使われた紀年法です。 一部の極左活動家が利用していました。
[9] 元年は、平成23(2011)年です。 私年号の震災 (y~1788) や福島 (y~1738) と年数は一致しています。 私年号のフクシマ (y~1787) とは1年のずれがあることに注意が必要です。
[54] 平成24(2012)年の年賀状でヒロシマ紀元と震災紀元を併記した人がいたそうです >>10。
[56] に SNS に投稿された、 開催の極左活動団体の集会の告知文に、 「2011年」が「フクシマ紀元元年」だと書かれていました。 >>4
[6] 、 日本の極左活動家のさくらい さとしは、 メーリングリストへの投稿で、 「核時代67年 フクシマ紀元2年7月3日」 と核時代とフクシマ紀元を併記しました。 >>304
[55]
平成24(2012)年末、
日本国山口県下関市を拠点とする極左活動団体宗教法人カトリック・イエズス会下関労働教育センターの大城研司は、
機関紙で震災紀元の事例 (>>54) を引いて、
「
[18] 、 Twitter 利用者の小野不一は、 平成23(2011)年をフクシマ紀元年、 平成24(2012)年をフクシマ紀2年と数え、 「放射性物質が放射能を出さなくなる日」 まで使うべきだと主張しました。 >>1 しかしこの提案の後小野不一が Twitter でこれを使った例は確認できません。 他の人がこれに賛同し利用した事例も見つけられません。
1945年。
核時代が始まった。
2011年。
フクシマ紀元元年。
私たちの願いをこめて、原発廃絶がスタートした。
民衆ってのは、知識人の実験材料にされるほどやわじゃねえぞ。 フクシマも 沖縄も 試験管のなかのリトマス試験紙じゃあねえぞ。
核時代67年
フクシマ紀元2年7月3日
さくらい さとし
暦を巻き戻させまい
東ティモール支援の仲間から届く年賀状には毎年「ヒロシマ紀元」が記載されている。
それから六十六年、私たちは「フクシマ」を迎えてしまった。彼の二〇一二年年賀状には「震災紀元」も記載されるようになった。
そんな「フクシマ紀元二年」が終わろうとする時の選挙の結果は、「フクシマ」どころか、「ヒロシマ」以前に戻らんとする考えの政治家が跋ば っ こ扈している。「ヒロシマ」以前に奪った数多の命や尊厳を省みず、九条の精神をないがしろにし、軍隊の復活を掲げ、原発はおろか核武装すら語られ、あたかもファッションのごとき大言壮語や心地よく響く言の葉をあやつる人気者にすがる政治。
(下関労働教育センター大城研司)
フクシマ紀元3年を間もなく迎える今日、3.11は、フクイチは、何だったのか、もう一度一人一人がしっかり考え、行動していくことを更に一層求められていると感じます。
(下関労働教育センターを支える会 大城研司)
[51] 日本の現代史研究者で中部大学教授の三浦陽一は、 ヒロシマ紀元に倣ってイラク紀元、フクシマ紀元を考え、 「どれも重要な<紀元>である」と主張しました。 平成25(2013)年はフクシマ紀元3年だとしました。 >>3
[53] 三浦陽一によると福島第一原子力発電所事故は日本政府と東京電力の 「原発犯罪」で、 「放射線による人類絶滅のシンボル的事件」 と捉えられることからフクシマ紀元を設定するのだとのことです。 >>3
[52] 「重要」としているにも関わらず、それ以外の用例は見つけられません。 また、幸いにも人類はまだ絶滅していません。
ヒロシマ紀元、イラク紀元、そしてフクシマ紀元 | ごきげんようチャンネル, 2013.03.22 Friday, http://transhistoy.jugem.jp/?eid=3394&PHPSESSID=rk0abbs1b7cfmpffn5sb3vvhr7
かつて芝田進午氏は、原爆の使用を人類絶滅のはじまりととらえ、1945年を「ヒロシマ紀元」の元年と呼ぼうとよびかけた。
それでいくと、今年2013年は<ヒロシマ紀元68年>をむかえる。
そして、イラク戦争を核戦争の秘匿化と通常戦争絶滅への開始ととらえれば、今年は<イラク紀元11年>に入る。
同様に、政府・東電による原発犯罪を、放射線による人類絶滅のシンボル的事件としてとらえれば、今年は<フクシマ紀元3年>となる。
[45] 、 日本国茨城県高萩市の詩人長久保徹は、詩集 フクシマ紀元 を発表しました。東日本大震災で自宅が半壊した経験から、 福島第一原発の事故を中心に語っているようです。 >>16
[46] 「★あの日から あの日から わたしたちの日常が変わった★ ★あの日を「フクシマ紀元」と名づける★ ★紀元前に 何があったのか 紀元後に 何があったのか あの日から 何に苦しみ 何に悩み 何を諦め 何を求めて 生きているのか★」 とあり >>18、 がフクシマ紀元で、 それ以前が紀元前、 それ以後が紀元後であるようです。
[47] 説明を見る限り、 スローガン的元号に類した比喩的用法で使われているもので、 日時表示に使っているものではなさそうです。
[48] 「フクシマ」という名は福島第一原子力発電所事故に由来するのでしょう。 題名に英字で「FUKUSHIMA-IBARAKI」と茨城が併記されているのは、 著者の居住地だからでしょう。
[270] その後の利用例は確認できません。震災後の一時的なブームのようなものだったのでしょうか。
[283] 福島 (y~1738) は、 令和時代に使われている日本の私年号です。
[307] 元年はです。 私年号の震災 (y~1788) やフクシマ紀元 (y~1738) と年数は一致しています。 片仮名のフクシマ (y~1787) とは1年のずれがあることに注意が必要です。
[287] 日本国東京都の私立大学中央大学の関係者の極左活動家 >>281 で九州王朝説愛好家 >>282 の外岡則和は、 の 東京新聞 Webサイト記事 (を紹介したの東京新聞社 Twitter アカウントの投稿) を引用して、 東京新聞 記事は誤りであり、 福島の元号では「福島9年」であると指摘しました >>284。
[289] 当該 東京新聞 記事で該当しそうな部分は「事故から8年」 >>284 ですが、 これを元号とみなすのは社会通念上一般的な解釈とは思えません。 当該記事は Internet Archive にも時点のもの >>288 しか保存されていないので、外岡則和が見たそのままの文面かどうかは不明です。
[290] ともかく外岡則和はの年を元年とする福島 (y~1738) の元号と理解したようです。 >>284
[293] 、 外岡則和は、 「天皇制」を「解体」することを目的に福島の元号を使うことにしたと Twitter で表明しました。 >>292 の新天皇の即位と令和改元に触発されたタイミングのようです >>306。
[295] その後しばしば Twitter への投稿に 「2020年、福島10年10月28日水曜日」 >>294、 「2020.福島10.12.14、月曜日」 >>297 のように西暦年と併記する形で日付表示に実用していることが確認できます。 新聞や雑誌の何年何月号のような引用でも福島表記にしているようです >>299, >>300。
[302] 採用以前の平成時代の日付の表記に遡って用いた例もありました >>301。
[298] 令和3年時点で引き続き利用中のようです >>299, >>300, >>280。
[296] Twitter 以外での用例は見つかっていません。追随者も見つけられません。
[308] 反政府活動としての建元は東アジアの伝統を受け継いだものといえます。
[309] 外岡則和は九州王朝説の古田武彦の信奉者らしく、 しかも 東日流外三郡誌 にまで言及していましたが >>282、 九州年号からの影響もあるのでしょうか。
東京電力は15日、福島第一原発3号機の原子炉建屋上部にある使用済み核燃料プールから、冷却保管中の核燃料の取り出しを始めた。事故から8年、炉心溶融(メルトダウン)を起こした1~3号機でプールからの核燃料取り出しは初めて。
[163] フクシマ (y~1787) は、平成時代に使われた日本の私年号です。 一部の極左活動家らが使っていました。
[164] 元年は平成23(2011)年ですが、 これを第0年とし、以降を周年形式で数えていくようです。 震災の私年号 (y~1788) やフクシマ紀元 (y~1738) や漢字の福島 (y~1738) の私年号とは1年のずれがあることに注意が必要です。
[165] 明確な関係性を確認できない数個の活動団体が使っているようです。 裏でつながっている可能性もありますが、 同時発生的なものである可能性もあります。
[167] これらの用例は元号的な年の表記を目的としたと見られるものよりも、 ただの福島第一原子力発電所事故から何周年という意味の記述と見られるものも多いです。 他に「何年後」や「何年間」のような似た表現も見つかります。
[126] 、 極左活動家の広河隆一は、 福島第一原子力発電所事故からわずか2ヶ月で情報も混乱していたこの時期に早くも 暴走する原発 チェルノブイリから福島へ これから起こる本当のこと を出版しました >>124。 本書でフクシマ元年が使われていたようです >>250。
[127] 、 広河隆一が創設したチェルノブイリ子ども基金は、 機関誌で開催のイベントの報告を掲載しました。 それによると、 「チェルノブイリ25年 命・自然」 という触れ込みでしたが、 「残念なことにフクシマ元年の報告にもなってしま」 った会でした。 >>16
[128] こののイベントでは広河隆一が チェルノブイリ75年 フクシマ元年 現地最新報告 と題して発表したようです。 チェルノブイリ25年、フクシマ元年 という文書が掲載されており、 その発表内容を記録したものと思われます。 本文中には 「チェルノブイリ25年、フクシマゼロ年」 とありました。 >>16
[176] 、 広河隆一は、 明治大学で チェルノブイリ25年 フクシマ元年 と題して講演しました >>172。
[122] 、 日本国東京都千代田区の一般財団法人総評会館で開催された9条フェスタ2011内で、 特定非営利法人広河隆一非核・平和写真展開催を支援する会は、 チェルノブイリ25年・フクシマ元年 写真展 と題した広河隆一の写真展を実施しました。 >>121, >>123
[129]
チェルノブイリ原子力発電所事故は、
の出来事でした。
西暦2011年が25年とすると、
西暦1986年は第0年です。
[130] 西暦2011年をフクシマ元年とするのは一貫性がないように見えますが、 元年を0年と誤解している可能性が高いでしょう。
この本は50回以上にわたってチェルノブイリ原発事故被災地の取材を重ねた著者が描く「フクシマ元年」の未来です。
PDF 1頁
チェルノブイリ25年 フクシマ元年 現地最新報告 広河隆一 4/23 牛込箪笥区民ホール
PDF 2頁
チ ェ ル ノ ブ イ リ 2 5 周 年 救 援 キ ャ ン ペ ー ン 4/23 牛込箪笥区民ホール&4/14~26 チェルノブイリ・福島写真展 【報告】
チェルノブイリ25年 命・自然と題して行われた今 年のチェルノブイリ25年目の最新報告は、残念 なことにフクシマ元年の報告にもなってしまいま した。
PDF 4頁
チェルノブイリ25年、フクシマ元年
現地最新報告 広河隆一
こういうタイトルをつけなければならなかった ことが残念です。「チェルノブイリ25年、フクシ マゼロ年」。
[106] 、 日本の極左活動家の豊田直巳は、 写真集 フクシマ元年 を出版しました。 >>15
[107] 、 日本国東京都府中市府中市女性センターで講演会 フクシマ元年原発震災 豊田直巳スライド&トーク が開催されました。 >>17
[111] 、 一般社団法人部落解放・人権研究所の機関誌 ヒューマンライツ 2012年10月号に、 豊田直巳の フクシマ元年——原発被災を取材して が掲載されました。 第37回部落解放・西日本夏期講座に基づく記事のようです。 >>110
[109] -、 日本国大阪府大阪市で 豊田直巳写真展「フクシマ元年~原発震災を生きる~」 が開催されました。 >>112, >>108
[114] 、 フクシマ元年 のイタリア語版 FUKUSHIMA: L'ANNO ZERO が出版されました >>113。
[115] 「L'ANNO ZERO」は第0年の意味。
意訳なのか誤訳なのか不明です。
元年を0年とする誤解は極左活動家界隈に萬延しています。
[120] その後も「フクシマ7年」「フクシマ8年」「フクシマ10年」 といった用例が見られます。 イベント開催日ではなく展示内容が福島第一原子力発電所事故から何年目かを表すようなので、 各年が具体的にいつからいつまでを指しているのか今ひとつはっきりしませんが。
期間:2018年7月12日(木)~25日(水)*7月14日(土)休
福島ブックレット委員会の藤岡恵美子(ふくしま地球市民発伝所)が、福島県出身の農業者である村上真平氏と共に、タイのバンコク郊外で2019年2月に開催された平和構築と紛争解決・変容を学ぶための研修「School of Peace Studies & Conflict Transformation」にて、福島原発災害の経験と教訓について2日間の講演とワークショップを行いました。
同時に、写真家・豊田直巳氏による写真展「叫びと囁き~フクシマ8年の記録と記憶~」も開催しました。
参加者は、タイ、インドネシア、ミャンマー、インド、ネパール、パキスタン、バングラデシュ、エチオピア、ケニア、南アフリカから集まった大学院生や大学講師、公務員やNGOスタッフなど20代〜60代の18名でした。
豊田直巳監督より写真展のご案内が4月17日にメールにて届きました。
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いつもお世話になっている皆様へ
フォトジャーナリストの豊田直巳です。
是非、この機会に生演奏で『遺言』の世界と『フクシマ8年』の世界を目でだけでなく耳でも感じてみませんか。
フクシマ10年 福島を忘れない
豊田直巳写真展
■挨拶(豊田直巳さんより)
昨年(2020年)も、北は青森県から南は静岡県の一部まで、というきわめて広範囲にわたって野生キノコの一部に出荷制限や摂食制限が掛かりました。長野県でも一部の山菜に出荷、摂食の制限が掛かっています。セシウムが100ベクレル/kgという「基準値」以上検出されたからです。
これが「フクシマ10年」の日本です。
開催日 2021年2月26日 (金) 〜 2021年2月27日 (土)
午前の部:特別試写会「サマショール~遺言 第六章~」(豊田直巳 野田雅也監督)
[158] 平成23(2011)年を第0年とする、 周年式の数え方のもの。
No.4 2013年2月12日インタビュー/53分 小出裕章(京都大学原子炉実験所) 「フクシマ2年」
事故後2年のフクシマの現実。
さあ、いよいよ三日後の2月22日に東京地検包囲行動が開始され、全国で怒濤のアクションが幕を切って落とします。
フクシマ2年のデモについて、「首都圏版」と「全国版」のファイルを分けて、最終版・第三弾としてお知らせします。 このファイルは「全国版」です。
それぞれの地方の方は、一帯に広めてください。
いまは、考える時を超えて、行動で示す時です。どこでも、参加できる場所と日時に、その場に駆けつけましょう。頼みます。どうかお願いします。
広瀬隆
講座名 人間回復ドキュメント イラク戦争10年、フクシマ2年のこの時におくるDVD『ポスターガール』上映&お話しの集い 日時 2013年10月27日(日)14時~16時
さんが・いちはらの納涼講座。青田勝彦・恵子ご夫婦の講演とお話。約40人が会場である恵光寺に集まりました。 講演では東電・国と住民の思いが全くかけ離れていることが紹介されました。フクシマ3年。避難した人、避難しない人との間に、あるいは居住区域によって東電の補償金に差がついたり、で被災者の中でいがみ合い、分断が生ずる。そういう人たちが毎日を生きている、ということを忘れないでほしい。」と。そして「絶対に≪第二のフクシマ≫を作ってはならない」と訴えられました。
【写真右上】 青田勝彦さんの話に聞き入る納涼講座の参加者(6月14日/恵光寺本堂)
ZDF・ドイツ第二公共放送が「フクシマ4年」の30分番組で「日本政府と原子力産業は嘘と隠蔽の常習犯」と厳しく指摘していたが、安倍自民党は何の反論もしていない。
戦後70年 ヒロシマ・ナガサキ70年 フクシマ4年5か月!
2018年3月17日(土) 開場17:00~終了20:45 那覇市安里2丁目1ー1ほしぞら公民館 主催「つなごう命の会」
チェルノブイリ32年、フクシマ7年。永きに渡って携わってきたウラジーミル先生と野呂美香さん、矢ヶ崎先生のお話を聞いて今一度生命力を奮い立たせましょう。生き抜くために!
「
3 ・11 」七周年、3 ・21 全国集会1 万2 千国会には原発ゼロ法案
フクシマ
7 年となった が、脱原発の底流は広が り続け、本流になろうと している。
震災と福島原発の事故から7年。北ドイツのニーダーザクセン州にあるブラウンシュバイク市の学校と教会で、福島の現状について話をする機会を得た。
私が訪れたブラウンシュバイクのギムナジウム(小5から高校3年生までの一貫の公立校)では、 宗教の授業を利用し、中学3年生約100人が集まった。まず福島市出身で原発事故後に京都に移住した高校1年生の阿部ゆりかさんのビデオメッセージを上映した。
その後、教会で礼拝が行われ、中学1年生の生徒約50人と一般の人20人が参加した。教会で生徒たちが「福島からもう7年たち、何を学んだか」などメッセージを発表した。
広島デー、原爆投下後73年
恒例の広島デーがドルトムント市で開催された。主催者はドルトムント独日協会と核戦争防止世界医師会議(IPPNW)ドルトムント部。
フクシマ7年
3月18日、トロンボーントリオ“ブチナーテ”がドルトムント独日協会の福島の子供支援プロジェクトのためにチャリティーコンサートを開催した。
講演会 「福島7年、チェルノブイリ32年」
3月10日に“フクシマ7年”をテーマに講演会が開催された。昨年11月に大震災後福島3回目の訪問を終えたシュルターマン容子が避難指示解除後の南相馬、浪江、飯舘の現状について報告。IPPNW(世界核戦争防止医師会議)のハネ・カウプ博士が被爆の危険性について話をした。
東日本大震災から8年を控えた3月9日、新聞うずみ火は今年も大阪府熊取町にある京都大学複合原子力科学研究所(旧京大原子炉実験所)研究員の今中哲二さんを講師に迎え、大阪市此花区のクレオ大阪西で「うずみ火講座」を開いた。今中さんは原発の危険性を訴えてきた「熊取6人組」の一人。「スリーマイル40年、チェルノブイリ33年、福島8年」と題し、改めて原発の過酷事故の深刻さを語った。 (矢野 宏)
2019年4月号(NO.162)
18面~19面 こちらうずみ火編集部「うずみ火講座『フクシマ8年』」(矢野宏)
東日本大震災から8年を控えた3月9日、新聞うずみ火は今年も大阪府熊取町にある京都大学複合原子力科学研究所(旧京大原子炉実験所)研究員の今中哲二さんを講師に迎え、大阪市此花区のクレオ大阪西で「うずみ火講座」を開いた。今中さんは原発の危険性を訴えてきた「熊取6人組」の一人。「スリーマイル40年、チェルノブイリ33年、福島8年」と題し、改めて原発の過酷事故の深刻さを語った。 …
2019年11月30日(土) 於:仙台市内 ビデオジャーナリストレポート 「市民による検証~チェルノブイリ33年・フクシマ8年」 講 師:白石 草さん(しらいしはじめさん・アワープラネットTV 代表理事)
来たる2021年は、「フクシマ10年・チェルノブイリ35年」となる
3月11日
東日本大震災から9年。
3月7日に開催したカフェスロー、YUKARIが歌うフクシマ9年ライブの記事が、
今日の毎日新聞朝刊に載った。
[147] 公式サイトには 「フクシマ9年」 とは書かれていない:
チェルノブイリ34年、フクシマ9年 「チェルノブイリ・フクシマ京都の集い」開く「チェルノブイリ・フクシマ京都の集い」開く
【よくわかる原発事故 『 福島10年、チェルノブイリ35年 国の政策からみる被災地の現状 』】 2020年12月12月(土)13:30~15:30
講師:木村真三さんプロフィール
●「救援関西」発足29周年の集い ヒロシマ・ナガサキ75年~ヒバクシャの思いをつなぐ
■場所:ドーンセンター5階セミナー室2 14時~16時半
内容:事務局報告「被爆75年の取り組みを振り返りチェルノブイリ35年・フクシマ10年に向けて」
私たち「原発なくそう!九州玄海訴訟」原告団・弁護団は「フクシマ10年」の区切りとして「これからの10年私たちは何をすべきか?」と題した講演会を予定しています。3月6日(土)午後6時半から、佐賀市のアバンセホールで開催予定ですが、コロナ禍のため要予約で人数制限もあります。
今年は「フクシマ10年」の節目、国家をあげて「福島原発事故の問題を終わらせる」ことに全力をあげてきた政府との正面からの闘いです。10年の節目の今年、反原発の声を大きくあげましょう。
[162] NPO法人ひょうご労働安全衛生センターの機関誌の、 第112号(2011年10月号) の 生きものの記録しんぶん詠みフクシマ元年の労働者1 から始まった連載 >>159 は、約2年間、 3暦年にわたって第136号(2013年12月号) の しんもん詠み フクシマ元年の労働者 最終回 まで続きました >>161。 「フクシマ元年」は初年のことでしょうが、具体的にいつからいつまでなのかは不明。
[252] 平成23(2011)年を元年とする普通の元号年式の数え方の例も、 いくつかありました。ただしいずれも実用例と言えるかどうか微妙なラインのものばかり。 使っていきたいと言っているのに使っている形跡が見つからないものばかりです。
[14] Nobuo Kihara (木原伸夫)さんはTwitterを使っています 「@A_laragi @delp95 @rusuban_the_3rd フクイチ元年8月?」 / Twitter (午後1:23 · 2011年11月11日 , ) https://twitter.com/softark/status/134848610293645312
2011年がフクイチ元年。
2020年(フクイチ10年)が改元して、コロナの年 コロナ元年。
歴史を劃する災厲(さいれい 災い、疫病)の年。
あと何年続くか・・・・。
[105] フクイチ元年の用例はこの2例だけ。間に9年あるので偶然の一致か。 コロナ元年も参照。
アーサー・ケストラーは、西暦は古い暦であり、広島に原爆が投下された西暦1945年をPH(ポスト・ヒロシマ)元年とする新しい暦が当然と述べていた。それほどの重大事でありながら、実際は、アメリカ国民に原爆に関する理解はほとんど無かった。
では、1986年のチェルノブイリ原発事故をPC(ポスト・チェルノブイリ)元年とすべきであったかもしれない。
日本は、西暦2011年をPHのリベンジとするかのように、PF(ポスト・フクシマ)を制定しなければならないかもしれない。それとも、いまだ人類は賢くなく、次のP(X)を待つしかないのだろか?
しかし、次はあるのだろうか?
西暦2011年は、PH(Post Hirishima)67年。アホはアホなり、バカはバカなり、ダラズはダラズなりに、60年(還暦分)も生きれば、それなりの考え、若い人に言うべきものが生ずるはずですが、総体としてのヒューマンビーイングという種には、60年過ぎても、全世界に存する核兵器・原発(施設)の廃止・廃棄(廃炉)と、その後の安全体制の確立の、即実施という考えは、おもい浮かべないようです。 とにかく、 西暦2011年、PH67年、あるいはPF(Post Fkusima)1年は、人類滅亡瀬戸際のマイルストーンになりました。
FROM S氏こと、宇宙一”だらず”を愛する教・代表信徒
2011(PH67)/05/29,20:36
[182] PH を使う人はこのように P なになにシリーズを例に出すのですが、 なぜか実用には供しないようです。このS氏 >>19 も本文ではPF1年といっているのですが、 文末の署名では西暦と PH しか書いていません。
[183] ところで「PF元年」は全く無関係のゲーム サイキックフォース のファンの間での方がよく使われています。
[11] の令和改元の頃の投稿。 被爆や核時代は私年号として実在しますが、 それらとは別の数え方です。 「数えるべき」との主張ですが、それを実践している様子は見られません。
[12] 偶然か必然か (どっちもだよ)、 大東亜戦争の終戦後も、 東日本大震災後も、 災異改元を望む国民は多かったようです。
[193] に日本国兵庫県で発生した阪神淡路大震災のときも、 震災元年という言葉がありました。
[194] 当時もやはり改元待望論はありました。
[195] 震災後のボランティア活動の様子は、 ボランティア元年という言葉も生みました。
神戸市民は平成7年を震災元年と位置づけ、何かにつけ「震災から何年」と数え、また昔話をするときも「あれは震災前のこと・・・」などと語ることが多い。それほどこの平成7年1月17日という日は特別な日で、この日を境に大きく人生が変わった人も多くいる。
このときに、本当にこれで、震災元年で、今後震災2年、 3年とつながるんだろうかという、危機感を非常に感じておりました。
[238] から始まった平成28年(2016年)熊本地震に関する震災元年もありました。
[277]
元号名のフクシマは日本国福島県や福島第一原子力発電所の福島の意味です。
片仮名表記は、左翼活動家の語法で、活動の対象となるものを表しています。
ヒロシマ紀元に使われるヒロシマ (広島の意味。) と同じです。
[278] 年の数え方としては同じ紀年法でも、 震災は東日本大震災という事件や被害の全般を意識したもので、 利用者の SNS の他の発言をみても思想的な背景に特に偏りはなく、 字面通りの中立的な元号名といえます。 それに対してヒロシマやヒロシマ紀元は、 原子力技術に否定的な活動を積極的に行う活動家グループに著しく偏っていることが明らかです。
[276] 用例や他の投稿を見るとフクシマ紀元はヒロシマ紀元から、 フクシマはチェルノブイリからの影響を受けていることも明白です。 どちらも反原子力系活動グループですが、 宗派が違います。 微妙な思想的背景の違いが元号名の違いと数え方の1年のずれとなって現れているのです。
[310] 不思議なことにこの記事には 東京新聞 が何度も登場しています。 東京新聞 自体に元号としての「福島」「フクシマ」の用例は未だ確認されていないのですが、 「福島」「フクシマ」の利用者に 東京新聞 の読者が多いようです。 他の現代日本の私年号でこれほどの偏りは見られません。興味深い現象です。
[315] 東京新聞 は原発事故後から過激な反原発記事を掲載し続けていて、 その内容は恒常的に非難されています。 >>311, >>313, >>314
[316] 逆に 東京新聞 の記事に賛同し歓迎するような人達 (や更に過激な主張をする人達) に 「福島」「フクシマ」 が支えられているということでしょうか。