[55] 永楽 (y~1632) は、日本の私年号の1つです。
[73] 確実な用例は1つ知られています。
[68] に発行された、 高野山にある宝寿院の所蔵品目録に、
32 教誡律儀 版本一帖 永楽元年(大永か一五二一)辛巳七月四日於高野山谷上多聞院初後書續畢 住持重義 泉慶房 五十七
とあります。 >>37
[7] この奥書にある泉慶房の他の署名を探してみると、次のものなど多数があります。
[18] 諸書で元号と年齢に矛盾がないため、 >>5 をその57歳に当てはめると、永楽元年辛巳は寛正2年となります。
[19] >>68 は説を注釈していますが、 それに従うなら泉慶房は同名別人と考えなければなりません。
[62] の国史大辞典の私年号の表に、 永楽元年はである旨の記載があります。 出典は「高野山宝亀院蔵『大日経疏二末抄』奥書」とされます。 >>268
[64] 筆者である千々和到の論文には同様の表がありますが、 のものには掲載がなく、 のものには掲載があります。 >>115
[65]
ただし昭和58年のものは発表で、
その後の知見が追加されていなそうなことが昭和58年の
[66] 日本語版ウィキペディアの表は初期から掲載しています。 >>117 典拠を 「高野山宝亀院蔵『大日経疏二末抄』奥書」 としています。 >>10 出典不明ですが、直接または間接に国史大辞典に由来すると思われます。
[67] 私年号の一覧で元号名などを示しているものは他にもある >>115 ものの、 これ以外の情報を示しているものがなく、詳細不明です。
[69] 元号法の制定が議論されていたの雑誌に、 私年号の例として福禄, 永楽, 弥禄があります。 >>70
[71] 元号名を列挙しているだけですし、 福徳や弥勒を意図したのではないかと思われる他の2つも怪しげな表記になっており、 信頼できる情報源から正確に転記したものとは考えられませんが、 永楽が何に依るのかは気になります。
[80] >>75 説と >>78 説では同じ辛巳年でも干支1周り分の違いがあります。 状況から見て、実際にはどちらも同じ「永楽元年辛巳」と思われます。 どちらかの説が正しいのかもしれませんし、どちらも間違いという可能性もあります。
[81] 大永は、 永正18(1521)年8月23日に改元されたものです。 >>75 説によれば、 >>68 の書写の日付は正確には大永元年に改元される1ヶ月余り前のを表していることになります。
[82] 大永の改元は災異改元とされているものの、実際には事実上空位の将軍に足利義晴が就任 (12月) するのに先立った代始改元的なものだったと考えられています。 7月28日に室町幕府から朝廷に改元の申し入れがあり、 8月7日には朝廷から8月23日の改元実施が発表されました。 >>83
[84] 日本年号大観に掲載の歴代不採用案に永楽はありません。
[85] 明の永楽は、永楽帝の時代に22年間使われたもので、 永楽帝や永楽大典などで現在でもよく知られていますが、 当時の日本でも有名な元号だったのではないかと思われます。 永楽銭は永楽帝の時代から江戸時代の初頭まで、 日本でも事実上の標準の貨幣として通用していました。
[86] よって当時の日本人の知識層は明の元号の永楽を知っていた可能性は高く、 それが理由で新元号案に一度も浮上しなかったのでしょう。 私年号として使われたとすると、考案者や利用者がそれをどう考えていたのかが問題となります。
... の癸未から辛巳に誤記、誤写で変化するとは考えにくいですし、 利用期間中に辛巳年はないのでその誤りの可能性もありませんが、 元年が2年ずれると辛巳年になるのは気になります。
[92] ただ高野山で明の元号を使うというのも考えにくいものです。 (明国人の僧侶がいたならあり得るのかもしれませんが。)
があります。また、異年号では、
があります。
[108] 改元デマ其の他の異年号は公年号の文字に影響される傾向が指摘されており、 それによれば永正18年 = 大永元年説がより環境が整っているように思われます。 ただし、これはあくまで観察的傾向であって、私年号の発生原理との関係は明らかになっておらず、 年次比定の根拠にはし得ないことは注意が必要です。
[75] 現在知られている研究史上の初出は昭和50年の目録 (>>68) ですが、 そこでは大永元年かと推測されています。 目録という性質上、それ以上の詳細は説明されていません。
[76]
は、
おそらく元号名で永の字が一致することと、
干支年が一致することに由来するのでしょう。
実物や他の所蔵品と比較してその時代で違和感ないという判断もありそうです。
[79] なお、 これは「書續畢」とあって書写の日付のようですが、 「版本一帖」 となっています。書写奥書込みで印刷されたものが現存するということでしょう。 すると現存する版本自体は「永楽」年間より後のものかもしれません。
[78] 昭和50年代に千々和到はと判断しています (>>62)。 この推測が千々和到自身によるものか、 それとも他の研究者の推測を引いているのかは不明です。 また、実物の表記も不明ですが、年次を確定的に記載しているからには、 辛巳年と干支が明記されているのか、 前後の他の奥書に他の元号年が明記されているのか、 何らかの根拠があるのでしょう。
[2] の SNS 投稿は、出典不明であり根拠があるのか筆者の感想かわかりませんが、 「永く安楽な世が続くように」 との元号名の解釈を示した上で、 明の永楽を「知っていて借用したと思う」一方で偶然の一致の可能性も否定できない、 と述べています。 >>110
[3] 当該投稿に対する反応で、永楽銭による伝播説が指摘されています。 >>113
[4] いずれも、可能性であるとの留保付きとはいえ、明の永楽との関係を重視する説が提示されているわけですが、 根拠と言えるものが先後関係程度しか記載されていません。 用例の文献の内容や書いた者の素性、伝来の経緯などを検討したわけでは無さそうです。