永幻

永幻

[38] 永幻は、 日本の私年号の1つです。

元号名

[33] 読みは 「えいげん」 とされます。 >>31

諸説

[39] 大別して、私年号説と公年号永徳とする説があります。 一応私年号説が通説的地位にありますが、 私年号説の提唱者が永徳説も検討を要すると同時に提唱して以後、 誰も十分な議論を行っていないので、 結論は保留されたままと言うべきです。

[40] 私年号説を前提とした利用者の意図や元号名の意味にはいくつかの解釈が提示されていますが、 これといった根拠がない仮説だったり、雰囲気を汲んだだけの妄想だったりで、 有力説と言えるものは成立していません。

用例

日時事例

[6] >>377 掲載の拓影は、やや不鮮明ながら字画はもともとはっきり彫られていたものと思われ、 確かにが最も近い字形と思われるものの、断定することもまた躊躇されるものであります。

研究史

[14] の論文で久保常晴は、 宮城県板碑研究の論文で銘文異年号事例として検討しました。 >>377 pp.五〇-五三, >>8 #page=26

[18] 昭和45年の現地調査によるものとのことです。 >>8 #page=1, >>3

[5] これが研究史上の初出とされます。 >>251

[19] >>1 が紹介され、私年号として年代が検討されています。

[15] 板碑本体と銘文内容の様式から、 南北朝時代康永前後と推定しました。 >>8 #page=26 - #page=28

[16] は、草書省画なのか、後考を待つとしています。 >>8 #page=28

[17] 一方で、はともかく年号にまったく相応しからず、 中世年号としての願望とかけ離れており、 永い間の願望が達せられずに終わったことを示すのであり、 政治的背景がうかがえる、 と解釈しています。 >>8 #page=27

[20] 昭和45年の報告書では「南朝系私年号」とされていました。 >>377 これを政治的背景と表現しているのでしょうか。 あるいは南朝説は成り立たなそうだと判断したのでしょうか。

[22] 板碑の総合研究は、 >>14 の推定を紹介し、康永前後という推定には「相応に妥当性があるのではないかと考える」 としています。 >>251

[23] 発生理由は不明であり、日蓮宗徒の政治的な不満によるものか、 としています。 >>251 日蓮宗としたのは、日蓮宗題目板碑であるためと思われます。


[24] 昭和42年の日本私年号の研究に未収録のためなのか、 千々和到私年号の一覧には掲載されていません。

[26] 平成時代以後のいくつかの私年号の表には掲載されており、 南北朝時代(頃)などとされています。 >>25

[28] 平成時代Webページの表で、 「南北朝時代後期から室町時代」 としているものがあります。 >>27 根拠は不明です。

[30] 日本語ウィキペディアには初期からありますが、 当初は 「14世紀後半~15世紀前半」 だったものが、 平成20年に現在のものに変更されています。 >>29, >>10 いずれも直接の根拠は不明です。 変更後は久保常晴説由来と思われます。 変更前の由来は不明ですが、 >>28 と同系統で雑に換算された可能性もありそうです。

[34] SNS 投稿で永幻を紹介したものがあります。 一見何らかの辞典類からの転載に見えますが、途中までは ウィキペディア の記述と酷似しています。 >>31 出典は何の記載もなく、ウィキペディアに書かれていない読み方や解釈も記述があります。

[35] この投稿は、は字義が元号にふさわしくないのでに通ずると解釈するべきとしています。 >>31 根拠は皆無ですが、著者の感想でしょうか。それに従い「永玄」と書かれていますが、 このような元号名の用例はありませんし、一般的な単語でもありません。 板碑用例がとも読めるという主張でも、 漢字辞典などを根拠に通用するという主張でも無さそうです。

[36] その置き換えを根拠に(?) 「永く静かな世が続くという祈り」 という意味と解釈し、 風刺か何かのようなポエムに続けられています。 >>32 要するに自らの政治的(?)表現の素材として私年号の独特な解釈が披露された事例といえます。

[37] 一見して学術的な解説だと誤認する人もいそうなので (最後まで読めばそうでないことはわかりますが、 SNS では全文読まれないといわれますからね)、注意を要します。

関連

[4] 永伝との関係が気になるのですが、推定される時代と所在する地域にかなり違いがあるのと、 と混同され得るのかというのが問題です。

メモ