永樂

永樂

永楽 (高句麗)

[1] 永楽 (y~389) は高句麗の元号の1つです。

[2] 広開土王碑にあります。 >>7862 他の金石文にも文獻にもなく、現在知られる唯一の用例です。

[3] この元号の存在は長く忘れられていました。 碑の存在は現地住民らに知られていましたが、 の時代にようやく碑文が注目されました。 >>7862

[4] 近代に学術調査が進み、その貴重な碑文の重要性ゆえに現代では永楽も一躍有名になっています。

[6] 碑文には、元号年ではありませんが、 「甲寅年九月廿九日乙酉」 の日付があり、 晋義煕10(414)年甲寅9月29日に当たります。 >>7862

[7] この日干支の一致から年代比定の正しさと当時の高句麗で晋曆が忠実に実施されていたことが証明できる >>7862 とされています。ただ厳密に言えば晋曆が実施されていたかどうかは、 よく似たが使われていたという程度しか確実に言うのは難しいです。

[8] 日本書紀に基づくこの時代の暦日とも一致しますが、 日本書紀は晋曆ではありません。

[36] 元年は、 です。

[5] 碑文による永楽の年とその記事は、 三国史記による広開土王即位紀年 y~3915 やその記事と1年ずれがあり、 その解釈は問題となっています。 >>7862

[17] 元号年の形式で歳在干支を伴うことから、 永楽元号であることは明らかです。 ただそれが即位からの年数であるとは限りません。 >>1543 p.六六

[18] 朝鮮半島で見られる (元号ではない) 即位紀年何々王即位何年、 何々御宇何年、 何々王何年のような形式を取るのが普通です。 >>1543 p.六六 朝鮮半島の紀年法

[13] 朝鮮史全般で即位紀年1年ずれが見られ、 数え方の違いによる混乱とされますが ( 朝鮮半島の紀年法 )、 それとの関連が示唆されます。 >>1543 ただ具体的にどう違いが生じたかは明らかになっていません。

[14] なお 日本私年号の研究 は史書にない朝鮮半島の古代の元号を一律で私年号としています。 >>1543 史書から漏れたものかもしれず「一応」と留保されていて、 十分検討した上での判断ではありません。 私年号

[15] 国王の顕彰碑に私年号が使われたというのは違和感があります。

[16] 紀年には歳在が伴う点も注意されます。 >>1543 歳在


[9] 関係して昭和21年5月発見朝鮮慶州路西里百四十號墳出土蓋付青銅鋺底面銘に、

乙卯年國 岡上廣開 土地好太 王壺杅十

とあります。 >>7862

[11] 乙卯年は没後3年に当たり、解釈が問題となっています。 >>7862


[25] 好太王碑に比べると知名度は低いですが、もう1例出土しています。 発見 >>1681

日時事例

[33] 書かれている日付の最古は好太王碑のものですが、 作られたのが古く完全な同時代用例であるのはこちらの方です。


[35] 中原高句麗碑 に 「永樂七年歲在丁酉」 と書かれているとする説があります。定説にはなっていません。 >>34


[19] 元号名は、国家の永続性と人民の安楽への願いを表しているといわれます。 >>1555 (鄭雲竜1998)

[20] 涅槃の永遠の楽しみという仏教的意味が含まれるとの説もあります。 >>1555 (趙景徹2008)


[22] 永楽は銘文とその三国史記暦日との対照によって高句麗の元号であることと広開土王の在位期間を通じての元号であることが明らかです。 このような高句麗の元号は唯一のものであります。 そのため今では多数の断片的な情報が発見されている高句麗紀年の復元の研究のベースキャンプのような位置となっています。

[12] 朝鮮古史の研究, 今西竜, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1921111/1/257

[21] 고구려의 稱元法과 年號 운용, https://www.kci.go.kr/kciportal/ci/sereArticleSearch/ciSereArtiView.kci?sereArticleSearchBean.artiId=ART002607784 (PDF 全文あり) #page=6

永楽 (日本)

[10] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7

私年号異説元年相当公年号(西暦)継続年数典拠・備考
永楽-寛正2年(1461年)不明高野山宝亀院蔵『大日経疏二末抄』奥書

メモ