[45] 東南アジア・西太平洋の島国フィリピンの標準時は、 です。 夏時刻はありません。
[97] 日本の中央標準時 と1時間の時差があり、 フィリピンが遅れています。
[98] フィリピンの法令や政府機関は、 フィリピンの時刻を Philippine Standard Time >>145, PST, PhST >>44, >>171 (>>461) と呼んでいます。
[99] その他 Philippine Time、フィリピン時間、 Juan Time などと呼ばれています。
[103] PHT と略されることもありますが、現地で使われているのか不明です。
[240]
かつて tzdata は、
これといった根拠なく当略称を使っていました >>91。
その後撤回されていました。
[245] それに由来すると思われる PHT を略称として示した Webサイトは多々あります。 Wikipedia も呼称の1つとして PHT を示しました。 PST は北米の標準時の 1つと衝突する (ので衝突しない PHT が良い) 等の主張もあったようですが、 PHT がフィリピン現地で実用されているという根拠は示されませんでした >>6, >>153。 当事者不在の, 部外者 (主として欧米人?) の勝手な議論に過ぎません。
[239] 何となれば、フィリピンと関係の深い英語圏の人が北米の標準時との衝突を防ぐため呼び分ける慣習がある、 という類の事情すら報告はありません。 (しかもフィリピン政府機関はそのような目的で PhST と呼んでいます >>171。)
[242] tzdata は根拠のない略称を除去する方針にも関わらず、 標準時に PST の略称を採用するにあたり、夏時刻 を PDT としました >>176。 PDT は米国式の類推で「invent」したもの >>176 で、実在する証拠は示されていません。 実在する略称を使うという原則より、 「○ST」と「○DT」の対応関係を維持するという原則が優先されるようです。
[246] 「PDT」 の呼称が実在したとする根拠が見い出されない限り、 tzdata 以外ではこの略称を使うべきではないと思われます。
Time Zone Philippine Standard Time (UTC+8)
[100] tzdata はフィリピンについて Asia/Manila
を定義しています >>7。
フィリピンの首都マニラの時刻を表しています。
[169] 西洋世界との交流が無く、 地球を一周する人がいなかった時期の日付は、 アジア日付ともアメリカ日付とも言えません。 敢えてどちらか定めるなら、 周辺地域と同じ日付と解釈するべきでしょうから、 経度に従いアジア日付とするのが適切 (便利) でしょうか。
[170] (ユリウス暦3月17日)、 スペインのマゼラン艦隊がフィリピン諸島に上陸しました。 米大陸側から来訪したマゼラン艦隊は、 アメリカ日付を用いていました。 マゼラン艦隊は数週間滞在して布教と戦闘を行いました (ユリウス暦開戦)。 この時点で原住民にどの程度浸透したかは不明とはいえ、 キリスト教の儀式などでアメリカ日付の西洋式日時 (ユリウス暦) に触れたものと思われます。
[17] マゼラン軍は敗退したものの、 その後スペインはフィリピン諸島を植民地とし、 中米や太平洋諸島と一体の領土として管理しました。 スペイン領フィリピンにスペイン人はアメリカ大陸から往来していたので、 フィリピンでもアメリカ日付が用いられていました >>92。 オランダ人が喜望峰周りで到達していた近隣の蘭領東インド (インドネシア) ではアジア日付が用いられていて、日付の差がありました >>92。
[250]
この時代まだ日付変更線という概念が発達していませんでしたが、
敢えて言うならばスペイン領フィリピンの西側の南シナ海を通る、
西太平洋のフィリピン諸島と南洋群島を包み込むように西側に大きく反れた線とみなせます。
(>>92 の挿絵参照。)
[8] tzdata の Asia/Manila
は、
元のLMTを としています >>7。
[152] Wikipedia は、 March 16, 1521 からまでを、 Manila は 、 Balabac (西部) は 、 Davao Oriental (東部) は としました >>6。
[178]
フィリピンその他スペイン領太平洋諸島各地のスペイン人の他に、
フィリピンを拠点に日本や支那に渡って布教していたフランシスコ会のスペイン人も、
フィリピンと同じアメリカ日付を使っていたようです。
[179] 一方でマニラの支那人町や日本人町を中心にフィリピンにも周辺国の商人が進出してきていました。 支那人や日本人などは、 現地のスペイン人との交渉のため西暦のアメリカ日付を使うこともあったでしょうが、 日常生活や同民族同士のやり取りでは本国の、アジア日付相当の日時を使っていたと考えるのが自然です。
[223] tzdata は、 英国統治下のマニラの時刻は不明としました >>222。 印度方面から進出してきた英国人はアジア日付を使っていたかもしれません。
[18] 、 スペイン領フィリピンは、 アメリカ日付にかえてアジア日付を採用しました。
[10] 、 スペイン領フィリピンの総督 Narciso Clavería y Zaldúa (在任 -) は、 日付の変更を布告しました >>7。 の翌日が、 とされました >>7。 はスキップされました。
[160] この変更は、 中南米諸国がスペインから独立した後、 スペイン本国からスペイン領フィリピンへは喜望峰周りで往来するようになったためでした >>92。
[248] これによって日付変更線はスペイン領フィリピンの東側に移動しました。
[9] tzdata の Asia/Manila
は、
を境に地方時
となったとしています >>7。
[154] Wikipedia は、 からまでを、 Manila は 、 Balabac (西部) は 、 Davao Oriental (東部) は としました >>6。
[224] 1935年の米国政府の時差の表は、 Philippines を 1896年に標準時採用としていました >>225。 根拠は不明です。
[522] 時点の電信会社の情報によると、 Eastern Telegraph Company, Ltd. ()、 Indo-European Telegraph Company, Ltd. (), Western Union Telegraph Company の3社共、 Manila を としました >>89。
[90]
の Milne の時差の表は、
当時の港湾報時情報に基づき、
Philippine Islands の Manila
の時刻を
Manila mean time
(Manila 平均時)
としました >>89。
[521] 、 米国政府は、 米領フィリピン諸島の標準時を に定めました。
[511] 、 アメリカ合衆国政府 War Department (戦争省, ワシントンDCにある陸軍の政府部局) は、米西戦争に関する Circular No. 17 として次のことを定めました。 >>510
[518] 、 U.S. MILITARY GOVERNOR IN THE PHILIPPINE ISLANDS (米軍フィリピン諸島知事) は、 Circular No. 8 としてワシントンの戦争省からの Circular No. 17 等を配布しました。 >>510
[252] 、 THE LONDON GAZETTE, SEPTEMBER 29, 1899. に英国水路部告示 No. 590. が掲載されました。 本告示は、 Havana (キューバ), San Juan, Puerto Rico (プエルトリコ), Philippine Islands (フィリピン) の標準時の制定と報時球落下時刻変更を通知するものでした。 それによると: >>83
[253] 従って地方平時は でした。 実施時期は明記されておらず、実施済みであることしかわかりません。
[11] 当時の日本の学術誌地学雑誌は、 非律賓の標準時 と題してこれを報じました >>37。出典は英国水路部告示第590号でしたが、 日本に近いためか、 非律賓諸嶋の標準時と馬尼剌の報時球の項のみを伝えていました。 なお平時で 0:03:112 とするのは明らかな誤りです。
[94] Time Changes in the U.S.A. は、 から標準時 (それ以前はLMT) としていました >>93。
[106] Time Changes 世界版の PHILIPPINES は、 から標準時 (それ以前は地方平時) としていました。 ただしすべての市民がすぐに使ったわけではないとの注釈がありました。 >>1256
[104] Shanks の PHILIPPINES は、 から としていました (それ以前は LMT) >>95。
[105] tzdata の Asia/Manila
は、
を境に
としていました >>7。
[519] Circular No. 17 より、米西戦争で米国が獲得した地域の標準時が、 米国本国側で一括して制定されたことがわかります。 これ以前の現地の状況は不明です。 制定前に現地米軍部隊との調整があったのか、 本国で一方的に定めたのかも不明です。
[146] 付で制定された標準時が現地でいつ施行されたものかは不明です。 米領フィリピン軍政府が配布したのはですが、 さすがに米国本国から米領フィリピンまでの情報伝達に2ヶ月も掛かったとは考えにくく、 関係する部局にはそれよりも早く通知され順次実施されていったとみるのが自然でしょうか。
[256] 英国水路部告示は、 3箇所のうちキューバのみ、 米国政府の通知によると情報源を明記していました >>83。 文脈から3箇所ともの標準時制定に起因すると判断するのが妥当でしょうが、 報時球等 Circular No. 17 に含まれない情報が含まれています。 Circular No. 17 の決定に基づき米国の水路当局が英国に通報したものが3箇所の情報源になったと考えるべきでしょう。
[28] 米国本国では1883年に鉄道標準時が定められ、 1918年に標準時と夏時間が法制化されています。 中国 (清) は1902年に海岸時を定めています。 仏印は1906年に標準時を定めています。 これらの時期と比較すると、1899年は非常に早い時期です。 なお旧宗主国のスペイン本国は、 1901年に標準時を採用することになります。
[75] の日本の学術誌の時差の表は、 西暦1905年末の情報として、 米領のフヰリーピンの時刻はフヰリツピン標準時 としていました >>74。
[226] Cavite には米軍により無線報時信号の送信局が設置されました。
[186]
1929年、
蘭印のスマトラ島を訪れた日本の科学者が、
フィリピンのカギテ局の報時信号を受信して経度を測定しました。
カギテとは Cavite でしょうか?
[236]
米領フィリピン準州は、
法令等で、
紀年法として西暦と共に、
準州設立に起算するフィリピン準州紀元を使いました。
本国アメリカ建国紀元に倣ったものと思われます。
[337] からまで、 米領フィリピン準州は1時間の夏時刻 をフィリピン地域で初めて実施しました。 目的は日光の有効活用とされました。
[57]
、
米領フィリピン準州法第91号
AN ACT TO FIX THE STANDARD TIME OF THE PHILIPPINES, AND TO AUTHORIZE THE PRESIDENT OF THE PHILIPPINES TO ESTABLISH A DAYLIGHT SAVINGS TIME THEREIN,
[265] 本法案は当期の議会で成立したものでした。 >>1
[216] 本法律は現在も標準時および夏時刻の根拠法として有効とみられます。
[263] 本法律は旧法令の改廃の規定がなく、 従前の標準時の定めがどうなったのかは不明です。
[270] なお本法律および以後の布告では、 日光節約時を用いる期間は日光節約時を標準時と定める形を採っていること (標準時 ≠ 冬時間) に注意が必要です。
[195] が除外された理由は不明ですが、 フィリピンの気候にはそれが適しているのでしょう。 (6月-10月/11月が雨季、 10/11月-5月が乾季、 うち2月までが狭義の乾季、 3月からが暑季とされています。)
COMMONWEALTH ACT No. 91
AN ACT TO FIX THE STANDARD TIME OF THE PHILIPPINES, AND TO AUTHORIZE THE PRESIDENT OF THE PHILIPPINES TO ESTABLISH A DAYLIGHT SAVINGS TIME THEREIN
Be it enacted by the National Assembly of the Philippines:
Section 1. The standard time of the Philippines shall be fixed upon the basis of the mean astronomical time at one hundred and twenty degrees East Longitude, Greenwhich Meridian: Provided, That the President of the Philippines may, when the public interest so requires, and at any time or times, within the periods from March to June and from November to January, all inclusive, establish, by proclamation, a daylight saving time, by advancing by one hour, on such date as he shall determine, the standard time herein fixed, and by retarding such daylight saving time by another hour or such other date as he shall determine, so that during certain periods of the year, as above indicated, the standard time be one hour advance of the mean astronomical time at one hundred and twenty degrees East Longitude, Greenwhich Meridian. The President shall, in such proclamation, fix the date and hour when such daylight saving time shall commence and terminate.
Section 2. The standard time of the daylight saving time herein established shall govern the movement of all common carrier. In all statutes, order, rules and regulations relating to the time of performance of an act by any officer or department of the Government of the Commonwealth,
1 赤字 or relating to the time within which any right shall accrue or determine, or within which any act shall or shall not be performed by any person in the Philippines, it shall be understood that the time shall be the standard or the daylight saving time as herein established, as the case may be.This act shall take effect upon its approval.
Approved, October 26, 1936.
1 赤字 Now Republic.
[2] 、 米領フィリピン準州の大統領のマニュエルルイスケソンイモリーナは、 米領フィリピン大統領布告第104号 ESTABLISHING THE DAYLIGHT SAVING TIME FOR THE PHILIPPINES, QUE ESTABLECE LA HORA DE AHORRO DE LUZ PARA FILIPINAS (比律賓日光節約時間制定の件) を制定しました。 次のことが定められました。 >>125, >>1, >>60, >>385
[266] までに、 大統領令の公布が船会社その他関係者に通知されました。 在マニラ大日本帝国総領事館も通知を受け、 本国 (東京、臺灣)、在ダバオ領事館に電報で報告しました。 >>1 コマ5
[267] 、 在マニラ大日本帝国総領事館は大統領令の写しを受け取り、 本国 (東京) および在ダヴアオ領事館に送信しました。 >>1 コマ2
[108] Time Changes の PHILIPPINES は、 から夏時刻とし、切り替えは0時としていました。 >>1256
[96] Shanks の PHILIPPINES は、 から としていました >>95。
[107] tzdata の Asia/Manila
は、
に1時間進めて
としました
>>7。
MALACAÑAN PALACE
Manila
BY THE PRESIDENT OF THE PHILIPPINES
Proclamation No. 104
ESTABLISHING THE DAYLIGHT-SAVING TIME FOR THE PHILIPPINES
Pursuant to the authority vested in me by Commonwealth Act Numbered Ninety-one and in order that employees and laborers may be afforded sunlight for recreation purposes and, likewise, to effect savings in the use of light both to the Government and to the general public, I, Manuel L. Quezon, President of the Philippines, hereby proclaim daylight-saving time for the Philippines between November first, nineteen hundred and thirty-six, and January thirty-first, nineteen hundred and thirty-seven, and order that at twelve o’clock midnight on October thirty-first, nineteen hundred and thirty-six, the standard time of the Philippines fixed in the aforesaid Act shall be advanced one hour, and at twelve o’clock midnight on October thirty-first, nineteen hundred and thirty-six, the standard time of the Philippines fixed in the aforesaid Act shall be advanced one hour, and at twelve o’clock midnight on January thirty-first, nineteen hundred and thirty-seven, the time so fixed, as above stated, shall be retarded one hour so as to return to standard time.
Employers and the public in general are hereby enjoined to give effect to the purpose and intent of this Proclamation and of Act Numbered Ninety-one. For purposes of astronomy and meteorology, however, the mean astronomical time at one hundred and twenty degrees East longitude, Greenwich Meridian, may be used as heretofore.
In witness whereof, I have hereunto set my hand and caused the seal of the Commonwealth of the Philippines to be affixed.
Done at the City of Manila, this thirtieth day of October, in the year of Our Lord, nineteen hundred and thirty-six and of the Commonwealth of the Philippines, the first.
[SEAL]
(Sgd.) MANUEL L. QUEZON
President of the Philippines
By the President:
(Sgd.) ELPIDIO QUIRINO
Secretary of the Interior
[183] からにかけて、 臺灣在住の日本人実業家の三卷俊夫らは、 諸国をまわる船路の途中、 米領フィリピン準州のダバオ、 サンボアンガ、 セブ、 マニラに寄港しました。 一行は当時ちょうど実施中の日光節約時を体験しました >>189。
[173] 三卷俊夫は夏時刻のことを、 ケーソン夏期標準時、 ケーソン時間、 ケソン時間と書いていました >>181, >>182, >>187。 一行がフィリピン到着前に夏時刻の情報を入手していたのかは不明ですが、 現地で交流した日本人がこのように呼んでいた可能性は高そうです。 フィリピン人も同じように呼んでいたのでしょうか。
[277] ケーソンは労働者の終業後の余暇の拡大を狙っているらしいが、 慣れない一般人には当面不便だろうと三卷俊夫は評していました >>181。 三卷俊夫が現地の労働者の様子をどれだけ知り得たかは定かではありませんが、 各都市とも大きな混乱が起こった状態ではなかったようです。
[185] 、 三卷俊夫は、 大日本帝国臺灣で発行されていた新聞の自身の連載で、 時事ネタの内台時差撤廃 (実施) に関連して、 フィリピンで夏時刻として 「ケーソン時間」 が実施されていると紹介しました >>180。 その実施理由は労働者の終業後の運動時間のためとしました >>180。
[280] 当時の人々が夏時刻実施をどう感じていたのかは情報が少なく、 資料の発掘が望まれます。
11月6日、払暁フィリピン、ミンダナオ島南端チチカ角灯台を望み、漸次ダバオ海湾に転針、午前9時カリアン角通過、奥行き70カイリ、横幅35カイリの湾内に侵入してフィリピンの山々を眺める。午後1時25分タリツクド、サマル両島を右に見て2時10分ダバオ港着、タワウよりの航程566カイリ。この日正午気温83度。
ダバオ到着と同時に時計が一時間進められてケーソン夏期標準時となった。つまり日本の標準時と合わせる事になる。台湾においても時差撤廃の説がある。これは学理上からと実際上からと賛否両論あるようであるがケーソンの考えは勤務者に対し、退庁、退店後明るい間に運動なり散歩などの時間を与えたいと言うにあるらしい。他にも重要な動機があるかも知れぬが、要するに早く起きて早く寝る事になるからどちらにしても同じ理屈だが従来の習慣に慣らされている一般人にとっては当分の不便は免れぬであろう。
ダバオにおいても着港と同時に柴田領事以下多数邦人の出迎えを受け、午後4時半上陸(従来の3時半、以下フィリピン航海中全部ケーソン時間に従う)日本領事館に領事柴田市太郎氏を訪問し御款待を受け次に向かい側の日本人会並びに小学校を視察し、それより本日は自由行動となったが、外泊希望の者はそれぞれ旅館に引き取り他は市内見物の上帰船した。
午後1時出帆と聞いて急いで零時半までに帰船してみると、それは標準時の午後1時の意味であったからケーソン時間では午後2時に当る。一時間だけ見物時間を短縮して損をした。何のことだ、軽損軽損は洒落にもならぬ。
ケソン時間の午後7時半は標準時の6時半だが、それでも夕陽すでに西に落ちて、逢魔ケ時の椰子林はいささか物凄い。
午後4時50分マニラ出帆、湾口北水道に向かう。ただし出帆と同時に時計一時間後退、台湾の標準時としたから実際は午後3時50分であった。以後台湾標準時による事、勿論である。台湾においても内台間時差撤廃問題が起こり、現に実行されんとしている。
比律賓にもケーソン時間 と云ふのがある。日本標準時 同様とするもので、恰も今回 臺灣に於て實施されたのと同じ く一時間の時差を縮めたもの である。尤もこれは所謂サン マー。タイムで一年を通じて 實行するものではない。其理 由の一として、俸給生活者に 對し、日没前一時間長く戸外 運動を行はしむる餘裕を與へ んとするのであると聞いた。
[39]
、
米領フィリピン準州の大統領のマニュエルルイスケソンイモリーナは、
米領フィリピン大統領布告第126号
REVOKING PROCLAMATION NO. 104, DATED OCTOBER 30, 1936, ESTABLISHING THE DAYLIGHT SAVING TIME FOR THE PHILIPPINES,
QUE REVOVA LA PROCLAMA NO. 104 FECHADA EL 30 DE OCTUBRE
[271] この深夜12時が指す時刻には若干の曖昧性がありますが、 日光節約時 の24時と解するのが最も自然と思われます。
[272] 本布告により、日光節約時は当初予定より半月早く、即時終了して標準時に復帰しました。
[274] 、 在マニラ大日本帝国総領事館は、 本国 (東京、臺灣)、在ダバオ領事館に電報で報告しました。 >>1 コマ7, >>38
[275] 急遽の繰り上げ終了にはどのような背景があったのでしょうか。 当日実施で混乱は無かったのでしょうか。
[273] 主要な時差の表資料は、 この布告の情報が伝わらなかったらしく、 元の布告 (>>2) に従った誤った夏時刻期間となっていました。
[288] Time Changes の PHILIPPINES は、 まで夏時刻とし、切り替えは0時としていました。 >>1256
[289] Shanks の PHILIPPINES は、 から としていました >>95。
[290]
tzdata の Asia/Manila
は、
に1時間戻して
としていました
>>7。
MALACAÑANG PALACE
Manila
BY THE PRESIDENT OF THE PHILIPPINES
Proclamation No. 126
REVOKING PROCLAMATION NO. 104, DATED OCTOBER 30, 1936, ESTABLISHING THE DAYLIGHT SAVING TIME FOR THE PHILIPPINES.
By virtue of the powers conferred upon me by law, I, Manuel L. Quezon, President of the Philippines, hereby revoke Proclamation Numbered One hundred four, dated October thirtieth, nineteen hundred and thirty-six, establishing the daylight saving time for the Philippines, and direct that at twelve o’clock midnight today, January fifteenth, nineteen hundred and thirty-seven, the standard time fixed in the said Proclamation shall be retarded one hour so as to return to the normal standard time.
In witness whereof, I have hereunto set my hand and caused the seal of the Commonwealth of the Philippines to be affixed.
Done at the City of Manila, this fifteenth day of January, in the year of Our Lord, nineteen hundred and thirty-seven, and of the Commonwealth of the Philippines, the second.
[SEAL]
(Sgd.) MANUEL L. QUEZON
President of the Philippines
By the President:
(Sgd.) ELPIDIO QUIRINO
Secretary of the Interior
[349] フィリピンの初めての夏時刻は、 - (フィリピン準州元年-フィリピン準州2年) の1回実施されたのみで、翌年以降再実施されませんでした。 夏時刻実施権限を大統領に付与する準州法はそのまま存続しましたが、 夏時刻実施を定める大統領布告が制定されない形で放置されました。
[350] 継続されなかった理由は不明ですが、想定した効果が得られなかった、 反発が大きかったのでしょうか。
[338]
からまで、
フィリピン地域では1時間の夏時刻
が実施されました。
戦時下の資源節約が目的とみられます。
この種の夏時刻は、第二次世界大戦期に世界各地で実施されました。
[123] 、 米領フィリピン準州大統領布告第789号 ESTABLISHING DAYLIGHT-SAVING TIME FOR THE PHILIPPINES DURING THE PRESENT EMERGENCY. が制定されました。 次のことが定められました。 >>122
[284] 2月の中断は根拠法の定め通りでした (>>57)。
[285] 4つの境界点のうち、12月の開始のみ実施時刻が定められていました。 日光節約時の開始は16日としながら、 15日の twelve o'clock midnight に1時間進める >>122 とも書くことで変更の瞬間を明白に特定していました。 残りの3点は日付のみしか定められていませんでした。 類推するべしということだったのでしょうか。 それとも期日が近づいたら追加の布告が予定されていたのでしょうか。
[287] 布告には “準州法に基づきおよび緊急性に鑑み” としか書かれていませんでしたが >>122、 日本軍の来襲に備えた資源節約目的での戦時の日光節約時の実施と考えて間違いないでしょう。 奇遇にもこの日光節約時実施によってフィリピンの時刻は日本の中央標準時 と一致することになりました。
[309] 、 米領フィリピン準州大統領執行令第384号は、 緊急時につき政府機関の office hour を
... と定めました。 >>127
[312] 標準時 の時間帯より日光節約時 の時間帯が1時間進んでいますから、 実質的に時計を無視して同じ時間帯に設定するものなのでした。 日光節約時開始からわずか3日後のこの決定は、 どのような判断によるものだったのでしょうか。 本来の夏時刻の趣旨に矛盾するこのような運用で、 資源節約効果は得られたのでしょうか。
Proclamation No. 789, s. 1941
Signed on December 13, 1941
MALACAÑAN PALACE
MANILA
BY THE PRESIDENT OF THE PHILIPPINES
PROCLAMATION NO. 789
ESTABLISHING DAYLIGHT-SAVING TIME FOR THE PHILIPPINES DURING THE PRESENT EMERGENCY.
Pursuant to the authority vested in me by Commonwealth Act Numbered Ninety-one and in view of the present emergency, I, Manuel L. Quezon, President of the Philippines, hereby proclaim daylight-saving time for the Philippines effective December sixteenth, nineteen hundred and forty-one, to continue only until January thirty-first, nineteen hundred and forty-two, and from March first to June thirtieth, nineteen hundred and forty-two, and direct that at twelve o’clock midnight on December fifteenth, nineteen hundred and forty-one, the standard time of the Philippines fixed in the aforesaid Act shall be advanced one hour.
The public in general is hereby enjoined to give effect to the purpose and intent of this Proclamation and of Act Numbered Ninety-one. For purposes of astronomy and meteorology, however, the mean astrological time at one hundred and twenty degrees East longitude, Greenwich Meridian, may be used as heretofore.
Done at the City of Manila, this thirteenth day of December, in the year of Our Lord, nineteen hundred and forty-one, and of the Commonwealth of the Philippines, the seventh.
MANUEL L. QUEZON
President of the Philippines
By the President:
JORGE B. VARGAS
Secretary to the President
[291] の日本軍布告により、 フィリピン行政委員会の施政下の大日本帝国南方占領地旧米領フィリピンでは、 軍政に影響のない従前の法令の効力は存続しました >>292 PDF 1頁。 従って、 米領フィリピン準州の日光節約時 は、 そのまま継続されました。
[193]
大日本帝国南方占領地旧米領フィリピン駐留の日本軍部隊は、
当時他の地域に展開した日本軍同様に、
軍用時である日本の中央標準時
を使っていたと思われます。
[294]
日本軍の軍政部布告は、
日本語 (縦書きの片仮名・漢字混じり)
と
「
[355]
例外的に、
[388]
行政委員会公報 (英文) に収録された、
前月の比島大日本軍司令官から米領フィリピン準州大統領に送付された文書
(英文、原文の言語は不明。)
には、
「
[358] 、 米領フィリピン準州布告によればこの日をもって日光節約時は終了して翌日より本来の標準時に復帰するはずでしたが、 これは中止されました。
[356] 、 比島行政長官行政命令第3号 CONTINUING UNTIL FURTHER ORDERS THE DAYLIGHT-SAVING TIME FOR THE PHILIPPINES は、 米領フィリピン準州布告に基づきから実施中の日光節約時を、 次の命令があるまで継続すると定めました。 >>354, >>390
[364] 実施当日の中止はなかなかに急ですが、それ以前から内定していたのか、 本当に急に決められた (あるいは急に気がついた) のか不明です。 また、その意思決定に日本人とフィリピン人のどちらがどの程度関与したのかも不明です。
[359] 行政長官の行政命令は、その形式が明らかに従来の大統領の布告を踏襲したものでした。 どちらもフィリピン人の行政トップのポストから発出した政令で、 実務上は大統領布告の後継だったと思われます。
[360] 行政命令は英語で、軍政公報の英語版にのみ収録されていました >>351。 日本語版にも日本語訳が収録されても良さそうなものですが、 現地行政担当の日本軍人には行政命令の日本語訳は不要だったのでしょうか。 (行政委員会は厳密には日本軍の軍政の組織ではないから収録対象外なのかもしれませんが、 現に英語版の方には収録されているのです。)
[361] 公報所収の他の行政命令には、 大日本軍司令官の承認の日付が入っているものと、 入っていないものがありました。 当行政命令には入っていませんでした。 日付のないものが行政長官の職権だけで発出されたものなのか、 何らかの理由で日付が入っていないだけで承認手続きを経ているのかは不明です。
[295]
、
比島大日本軍司令官訓令第1号
[297]
、
比島行政長官行政命令第6号
[296] 「夜半」が0時か24時か定かではありませんが、 11日発出の文書に11日の夜半から実施とあるからには、 11日の24時、12日の0時と解するのが穏当と思われます。
[370] 訓令は日本軍司令官から行政長官への指示の形になっています。 行政命令は行政長官から一般への周知の形となっています。 両者の内容は概ね同じですが、 単純な翻訳ではなく細部が書き換わっています。
[372] 気になるのは標準時改正の主体が明らかではない点です。 訓令は行政長官に改正の手続きを執るよう指示しているに過ぎず、 それ自体に改正法としての効力は無さそうに読めます。 一方で行政命令は標準時採用が日本軍により既に行われたようにしか読めません。
[373] 或いはこれはフィリピン側の消極的な姿勢を表しているのかもしれません。
[374] 訓令は現行時刻を準州布告以来のものと捉えているのに対し、 行政命令は現行時刻を前の行政命令に基づくものとわざわざ言い直している点も注目されます。
[377] 通年夏時刻の標準時化は実質的に無変更のようにも思えますが、 従来の夏時刻の布告にあった観象目的の標準時利用の条項が適用できなくなります。 気象観測などもこれに合わせて基準時刻が変更されたりしたのでしょうか。
[378] 通年夏時刻の標準時化にはどのような意義があったのでしょうか。 通年夏時刻化からわずか11日後の決定ですから、 それを機会に誘起された議論の結論と見るのが妥当でしょう。 フィリピン側に積極的に標準時化する動機は無さそうです。 日本側にも、既に時刻が一致しているのにそれ以上の措置を求める必要があったのか疑問です。 一方で、 先にフィリピン側が消極的だった可能性を指摘しました (>>373) が、 実態がほぼ変わらないとすれば、 渋る理由も謎です。
[391] このほとんど変わらない「改正」が、 フィリピンの住民にどれだけ浸透したものかも不明です。 「何もしない」が継続するだけなのですから、 (他にいくらでもあるだろう重要事項を措いて) 積極的に広報したとも思えません。
[12] Shanks の PHILIPPINES は、 から としました >>95。
[299]
tzdata の Asia/Manila
は、
を境に としました >>7。
[118] 西暦2017年出版の日光節約時に関する英語の書籍は、
... としました。 >>117
[303] これらの記述の出典は不明です。 という時期には共通の由来がありそうですが、 それらしきものは見つけられません。
[119] 同じの変更でも、 他の説と違っての書籍は日光節約時から日本標準時に変更された日だとしていました。 この書籍自身が指摘している通り、どちらも なので、 観測され得る変化は起こりません。 それでも変更があったと主張するからには、 何らかの出来事があったと考えたのでしょうか。
[304] 日本側の変更は2月に行われており、5月に再度行われた可能性は低いでしょう。 米領フィリピン準州政府は豪州に逃亡していて、 現在ウェブで公開されている官報にも関係しそうな法令等は収録されていないようです >>124。
[112] Time Changes の PHILIPPINES は、 大戦中の時期の標準時変更を特に示しませんでした。 かわりに、 日本統治時代に地下勢力が通信でのみ夏時刻を用いたが、 市民は用いなかったと注記しました。 >>1256
[147] この注記の根拠は不明ですが、それが正しいのであれば、 日本軍政府や独立したフィリピン共和国は本来の標準時 に復帰しており、潜伏していた米領フィリピン準州兵は夏時刻 を継続していたということになります。
[305] このような注記がまったく根拠なく発生するとも思われませんから、 帰還兵等よりそういった情報を得たのでしょうか。 標準時と夏時刻が逆ならまだ納得感がありますが、どうなのでしょうか。
[354] PDF 6ページ
OFFICE OF THE CHAIRMAN OF THE EXECUTIVE COMMISSION
MALACAÑAN PALACE BY THE CHAIRMAN OF THE EXECUTIVE COMMISSION
E
XECUTIVE ORDER NO . 3CONTINUING UNTIL FURTHER ORDERS THE DAYLIGHT-SAVING TIME
FOR THE PHILIPPINES Pursuant to the authority conferred upon me as Head of the Central Administra
tive Organization by Order No. 1 of the Commander-in-Chief of the Imperial Japanese - Forces in the Philippines, the daylight-saving time for the Philippines established under Proclamation No. 789, dated December 13, 1941, is hereby continued until further orders. Done in the City of Greater Manila, Philippines, this 31st day of January, 1942.
(Sgd.) J
ORGE B. VARGAS Chairman of the Executive Commission
[363] PDF 18頁
OFFICE OF THE CHAIRMAN OF THE EXECUTIVE COMMISSION
MALACAÑAN PALACE BY THE CHAIRMAN OF THE EXECUTIVE COMMISSION
E
XECUTIVE ORDER NO . 6ADOPTING THE CENTRAL STANDARD TIME OF JAPAN
Having been advised by the Commander-in-Chief of the Imperial Japanese Forces
in Philippines that he has adopted beginning on the midnight of February 11, 1942, the Central Standard Time of Japan (Longitude East 135 ° アキなし . the Meridian StandardTime) as standard time of Philippines. I hereby announce. for the information and guidance of all concerned. that the time so adopted is same as the daylight-saving time mentioned in Executive Order No. 3 dated January 31, 1942, which is hereby con tinued indefinitely. - Done in the City of Greater Manila, Philippines, this 11th day of February, 1942.
(Sgd.) J
ORGE B. VARGAS Chairman of the Executive Commission
[525] 付で大日本帝国南方占領地旧米領比島マニラ市で発行された英字新聞 The Tribune の題字下に
YEAR XIX
NUMBER 29
MANILA, PHILIPPINES, FRIDAY, APRIL 30, 1943
とありました。また、紙面右上端に
(昭和十七年一月三日大日本比島 □ 派? 遣󠄁軍發行認可)
とありました (画像低解像度のため細部判読困難)。 なお本文は English の左上横書きでした。 >>523
[526] 軍政当局の発行許可のが日本語、右横書き、 昭和で書かれています。 日本では現在でもこのような表記がありますが、 英文紙でも日本語表記されていること、 本文と無関係に右横書き表記されていることが注目されます。 占領地住民の紀年法と無関係に日本軍は元号を使うという原則がここでも確認できます。
[527]
新聞の日付は英文紙の一般的な表記と同様、米国 English
の月日年表記で、英語月名、西暦年で記述されています。
元号年でも皇紀年でもなく西暦年が使われていることは特に注目するべきです。
[528] 日付欄左側に YEAR XIX とあり、ローマ数字で19年です。 右側に NUMBER 29 とあるので、第19年第29号で発行開始からの年数でしょうか? 週刊ならこの号数になります。
[530] 逆算するとが第1年になります。ちょうど創刊年です >>529。
[230]
フィリピン共和国(第2共和国)は、法令で、
西暦と共に、
独立から起算したフィリピン第2共和国紀元を使いました。
[229] 、 フィリピン共和国は、 フィリピン共和国大統領布告第30号で米国と英国に宣戦布告しました。 この日時は 「September 23, 1944, at 10:00 o’clock in the morning」 とされました >>228。 時間帯は明記されておらず、 当時の法定時によることを意味すると思われます。
[22] Shanks の PHILIPPINES は、 から としました >>95。
[307]
tzdata の Asia/Manila
は、
を境に としました >>7。
[140] 、 フィリピンのマニラに復帰した米領フィリピン準州政府の布告では、 時刻に Daylight Saving Time と注記がありました >>138。 日光節約時 を使っていたものと思われます。
the office hours of all bureaus and offices shall be from eight o’clock to twelve o’clock in the morning, and from one o’clock to four o’clock in the afternoon (Daylight Saving Time) on week-days including Saturdays
This Order repeals Executive Order No. 384, dated December 16, 1941, and shall take effect as of March 6, 1945.
Done at the City of Manila, this 8th day of March, in the year of Our Lord, nineteen hundred and forty-five, and of the Commonwealth of the Philippines, the tenth.
[393] 、 米領フィリピン準州は日光節約時間 から旧標準時 へ移行しました。
[120] 、 米領フィリピン準州西暦1945年大統領布告第20号 PROVIDING FOR THE RETURN TO STANDARD TIME, AS PROVIDED IN COMMONWEALTH ACT NO. 91 は、 日光節約時間の必要性が解消したとして、 twelve o’clock midnight, November 30, 1945 () に1時間戻して標準時 に復帰すると定めました >>131。
[314] 大統領の Sergio Osmena は米国のワシントンDC滞在中で、 本布告はワシントンDCで署名されました >>131。 本布告がフィリピン国内の状況から制定されたものか、 米国本国からの指示で制定されたのか布告の文章からは不明です。
[380] 当時の新聞ではの0時1分に1時間戻すと案内されていました >>379。「0時1分」は他の地域でも使われることがある表現で、 早朝0時を曖昧なく表す意と解されます。
[381] 米領フィリピン準州に駐留していた米国陸軍は、 GHQ の指示により民間と同時に時刻を改正しました。 >>379
[315] この布告やそれ以前の法令 (>>140) の記述より、 米領フィリピン準州の立場では時点で日光節約時が実施中との見解だったことがわかります。 米軍部隊も を使っていたようですが、 戦闘中からそうだったのでしょうか。
[316] 日本統治時代に日光節約時から標準時への転換がありましたが (>>295)、 米領フィリピン準州としては無効と考えていたのでしょうか。
[317] 米領フィリピン準州の法令上は初までしか日光節約時は法制化されていませんでした (>>123) が、その後の期間を法的にどう処理したものか不明です。 行政命令 (>>356) は効力があるとみなしていたのでしょうか。
Proclamation No. 20, s. 1945
Signed on November 11, 1945
MALACAÑAN PALACE
MANILA
BY THE PRESIDENT OF THE PHILIPPINES
PROCLAMATION NO. 20
PROVIDING FOR THE RETURN TO STANDARD TIME, AS PROVIDED IN COMMONWEALTH ACT NO. 91
WHEREAS, the emergency which justified the observance of the daylight-saving time has ceased to exist;
NOW, THEREFORE, by virtue of the powers conferred upon me by law, I, SERGIO OSMEÑA, President of the Philippines, do hereby direct that at twelve o’clock midnight, November 30, 1945, the daylight-saving time, heretofore observed in the Philippines, be terminated and retarded by one hour, and proclaim the standard time, as fixed in Commonwealth Act No. 91, effective in the Philippines beginning December 1, 1945.
IN WITNESS WHEREOF, I have hereunto set my hand and caused the seal of the Commonwealth of the Philippines to be affixed.
Done at the City of Washington, District of Columbia, United States of America (for the City of Manila, Philippines), this 11th day of November, in the year of Our Lord, Nineteen Hundred and Forty-five, and of the Commonwealth of the Philippines, the tenth.
(Sgd.) SERGIO OSMEÑA
President of the Philippines
By the President:
(Sgd.) JOSE S. REYES
Secretary to the President
[231]
フィリピン共和国(第3共和国)は、法令で、
西暦と共に、
米国からの独立に起算するフィリピン第3共和国紀元を使いました。
[161] 西暦1949年、 フィリピン共和国の Weather Bureau (気象局) に Time Service Division (時刻役務部) が設置されました。 U. Nardin Marine Chronometer が主たる時計として用いられ、 pendulum regulator が dispatch clock として用いられました。 >>44, >>81
[162] 西暦1951年、 フィリピン共和国気象局 Time Service Division の U. Nardin Marine Chronometer は、 short synchrome ensemble に置き換えられました。 >>44, >>81
[339] からまで、 フィリピン共和国は1時間の夏時刻 を実施しました。 日光の有効活用が目的とされました。
[67] 、 西暦1954年大統領布告第13号 ESTABLISHING THE DAYLGHT SAVINGS TIME FOR THE PHILIPPINES DURING THE SUMMER SEASON OF 1954 (1954年夏季比律賓日光節約時間制定の件) が制定されました。 次のことが定められました。 >>62
[325] Time Changes の PHILIPPINES は、 から夏時刻、 切り替えは0時としました。 >>1256
[326] Shanks の PHILIPPINES は、 から 、 としました >>95。
[327]
tzdata の Asia/Manila
は、
を境に
としました >>7。
[328] この年になって突如夏時刻を実施する運びとなった理由は不明です。
[329] 制定から実施まで1週間もなく混乱がなかったのか心配になりますが、 それは現代の先進国の感覚で、 突然の実施はフィリピンに限らず世界中に事例があります。
MALACAÑANG
RESIDENCE OF THE PRESIDENT OF THE PHILIPPINES Manila Proclamation No. 13
ESTABLISHING THE DAYLGHT SAVINGS TIME FOR THE PHILIPPINES DURING THE SUMMER SEASON OF 1954
Pursuant to the authority vested in me by Commonwealth Act No. 91, and in order that officers, employees, and laborers of the government may be afforded sunlight for work and recreation purposes after office hours, and to effect savings in the use of light both to the government and the general public, I, Ramon Magsaysay, President of the Philippines, do hereby proclaim daylight saving time for the Philippines for the period between April twelfth, nineteen-hundred and fifty-four, and July first, nineteen-hundred and fifty-four, and hereby order that at twelve o’clock-midnight on April eleventh, nineteen-hundred and fifty-four, the standard time in the Philippines fixed in the aforesaid Act shall be advanced one hour, and at twelve o’clock midnight on June thirtieth, nineteen-hundred and fifty-four, the time fixed as above-stated shall be set back or retarded one hour so as to return to standard time.
Employers and the public in general are hereby enjoined to give effect to the purpose and intent of this Proclamation and of Act numbered ninety-one. For purposes of astronomy and meteorology, however, the mean astronomical time to one hundred and twenty degrees East longitude, Greenwich Meridian, may be used as heretofore.
In witness whereof, I have hereunto set my hand and caused the seal of the Republic of the Philippines to be affixed.
Done at the City of Manila, this 6th day of April, in the year of Our Lord, nineteen-hundred and fifty-four, and of the Independence of the Philippines, the eighth.
RAMON MAGSAYSAY
President of the Philippines
By the President:
FRED RUIZ CASTRO
Executive Secretary
Singapore Standard 8 April 1954 Microfilm Reel NL2603
P.I. DaYLIGHT SaVING PLaN MaNILa. april 7, (Renter)— President Ramon Magsaysay yesterday issued a proclamation placing the Philippines on daylight saving time beginning midnight. april 11 when Philippines time will be advanced one hour. the time will return to standard at midnight on June 30.
[142] 、 西暦1954年大統領布告第33号 REVOKING PROCLAMATION NO. 13, DATED APRIL 6, 1954, SO AS TO RESTORE THE STANDARD TIME. が制定されました。 布告第13号を取り消すこと、 twelve o’clock midnight of June 4, 1954 (西暦1954年6月4日24時) に1時間戻して標準時に復帰することが定められました。 >>141
[331] 布告本文中からは読み取れませんが、他の布告や資料から勘案して、 「深夜12時」とは を指すと思われます。
[332] この布告により、日光節約時は約4週間繰り上げて終了されました。
[333] 本来の終了予定を目前にして終了した理由は不明です。 不評だったにしては長続きしすぎています。 日照時間か何か気象条件との関係でしょうか。
[334] 制定から実施まで1日と、開始よりも更に短くなっていました。 それだけ急いで終了したかったのでしょうか。
[336] 翌年以後再実施されなかったのは、やはり不評だったのでしょうか。
[335] 時差の表の類にはこの繰り上げ終了が反映されておらず、 当初予定による間違った終了日が掲載されていました。
[110] Time Changes の PHILIPPINES は、 まで夏時刻、 切り替えは0時としました。 >>1256
[13] Shanks の PHILIPPINES は、 から としました >>95。
[109]
tzdata の Asia/Manila
は、
を境に
としました >>7。
Proclamation No. 33, s. 1954
Signed on June 3, 1954
MALACAÑANG
RESIDENCE OF THE PRESIDENT
OF THE PHILIPPINES
MANILA
BY THE PRESIDENT OF THE PHILIPPINES
PROCLAMATION NO. 33
REVOKING PROCLAMATION NO. 13, DATED APRIL 6, 1954, SO AS TO RESTORE THE STANDARD TIME.
By virtue of the powers vested in me by law, I, Ramon Magsaysay, President of the Philippines, do hereby revoke Proclamation No. 13, dated April 6, 1954, establishing the daylight saving time for the Philippines during the summer season of 1954, and direct that at twelve o’clock midnight of June 4, 1954, the time fixed in the said proclamation shall be set back or retarded one hour so as to return to normal standard time.
IN WITNESS WHEREOF, I have hereunto set my hand and caused the seal of the Republic of the Philippines to be affixed.
Done in the City of Manila, this 3rd day of June, in the year of Our Lord, nineteen hundred and fifty-four, and of the Independence of the Philippines, the eighth.
RAMON MAGSAYSAY
President of the Philippines
By the President:
FRED RUIZ CASTRO
Executive Secretary
The Straits Times 5 June 1954 AP Microfilm Reel NL1768
Magsaysay has had enough MANILA. Frl. President Ramon Magsaysay has decided the Philippines has enough daylight saving time. He Issued a proclamation last nlghi saying the country would return to standard time hi miriniKlit oo Friday. D.r. Ughi .saving time was to have continued until June 30.— A.P. I
[404] 、 地球物理観測所から1日7回の無線報時信号を送出するようになりました。 >>403, >>405
[232]
をもって、
フィリピン共和国紀元が使われなくなりました。
[163] 西暦1965年、 フィリピン共和国気象局 Time Service Division の時計 U. Nardin Marine Chronometer は、 quartz crystal clock に置き換えられました。 (後年 Digitizing Oscilloscope も導入されました。) >>44, >>81
[400] 、 大統領令第78号 ESTABLISHING THE PHILIPPINE ATMOSPHERIC GEOPHYSICAL AND ASTRONOMICAL SERVICES ADMINISTRATION によって法律 Atmospheric, Geophysical and Astronomical Science Act of 1972. が制定されました。 >>399
[401] この法律は、 PAGASA (Philippine Atmospheric, Geophysical and Astronomical Services Administration, フィリピン大気地球物理天文局) と称する観象等を所管する政府機関を設立するものでした。 >>399 従来の気象局等科学的な業務を担当する機関が再編されたものでした。
[402] この法律は、 PAGASA の業務の1つとして、 the precise standard time of the Philippines (正確なフィリピンの標準時) を provide (提供)、 disseminate (配布) することを挙げていました。 そして PAGASA の部門の1つ The National Geophysical and Astronomical Service が the official time service agency of the Philippines (フィリピンの公式な時間サービス機関) 業務を行うことと定めていました。 >>399
Section 3. Philippine Atmospheric, Geophysical and Astronomical Services: Powers, Duties and Functions. – To carry out the provisions of the preceding section, there is hereby created a Philippine Atmospheric, Geophysical and Astronomical Services Administration, herein referred to as “PAGASA” which shall be under the Department of National Defense, with the following functions, powers and duties, among others:
(e) To provide and disseminate the precise standard time of the Philippines; to maintain and operate an adequate satellite tracking and monitoring system especially for weather surveillance and for other astronomical information; to observe, analyze and interpret varied astronomical phenomena and collate observational data for publication and exchange with foreign observatories;
Section 4. Major Organizational Units; Powers, Duties, and Functions. – The PAGASA shall be composed of the following major organizational units: National Weather Service, National Atmospheric, Geophysical and Astronomical Information Service, and National Institute of Atmospheric, Geophysical and Astronomical Sciences.
(c) The National Geophysical and Astronomical Service shall undertake activities or observations and studies of Geophysical and Astronomical phenomena essential for the safety and welfare of the people and also for the economy of the country. The service shall issue bulletins and/or technical advice to the public in case of significant geophysical events like severe earthquakes, and tsunami, and shall also serve as the official time service agency of the Philippines.
The implementation of the “Atmospheric, Geophysical and Astronomical Science Act of 1972” as herein adopted, approved, and decreed shall be carried out effective from date hereof as modification of the Integrated Reorganization Plan under Presidential Decree No. 1.
All concerned shall act accordingly pursuant to the contents of this decree.
Done in the City of Manila, this 8th day of December, in the year of Our Lord, nineteen hundred and seventy-two.
[214]
からまで、
フィリピン共和国は1時間の夏時刻
を実施しました。
目的は石油危機に伴う資源節約でした。
[129] 、 フィリピン共和国の大統領 Ferdinand Edralin Marcos により、 西暦1977年布告第1629号 ESTABLISHING A DAYLIGHT SAVING TIME DURING THE PERIOD FROM MARCH 28 UP TO JUNE 7, 1977. が制定されました。 次のことが定められました。 >>128
[346] 布告本文中からは読み取れませんが、他の布告や資料から勘案して、 「深夜12時」とは24時を指すと思われます。
[130] フィリピン政府の Webサイトで公開されたテキスト化された官報の布告文 >>128 は、 終了日を題名では7日、本文では27日と書いていました。 原文の記述は不明ですが、 他資料によれば題名の7日が本来の意図したものであるようです >>211, >>132。
[347] 布告から実施までが2日と、以前にも増して急な施行でした。 当時のフィリピン共和国は戒厳令が継続中で、 戒厳令下で制定された憲法の元、大統領に強大な権限が与えられていました。 実施に至るまでにフィリピン国民が新制度にどれだけ理解と準備を進められたかは疑問です。
[207] 直後の新聞報道によると、 前週から周知があったようです >>204。 数ヶ月後の新聞報道は、 に実施が指示されたとしました >>200。 正式な布告の前に発表や関係部署への指示があったのでしょうか。
[205] 開始前日のラジオ放送では、 時計を動かすよう案内がありました。 >>204
[348] しかし開始後には混乱が見られたようです >>204。
Proclamation No. 1629, s. 1977
Signed on March 25, 1977
MALACAÑANG
MANILA
BY THE PRESIDENT OF THE PHILIPPINES
PROCLAMATION NO. 1629
ESTABLISHING A DAYLIGHT SAVING TIME DURING THE PERIOD FROM MARCH 28 UP TO JUNE 7, 1977.
WHEREAS, Commonwealth Act No. 91 fixes the standard time and authorizes the President of the Philippines to establish by proclamation a daylight saving time within the periods from March to June and from November to January, all inclusive; and
WHEREAS, in order to conserve power and energy during summer when day-time is longer than night-time, it is necessary to take advantage of the daylight by advancing by one hour the standard time fixed under said Act;
NOW, THEREFORE, I, FERDINAND E. MARCOS, President of the Philippines, by virtue of the powers vested in me by Commonwealth Act No. 91, do hereby proclaim a daylight saving time effective twelve o’clock midnight, March 27, 1977, to continue up to twelve o’clock midnight, June 27, 1977, and direct that the standard time fixed under Commonwealth Act No. 91 be advanced by one hour.
During said period the daylight saving time herein established shall govern the movement of all common carriers. In all statutes, orders, rules and regulations relating to the time of performance of an act by any officer or department of the government of the Philippines, or relating to the time within which any right shall accrue or determine, or within which any act shall or shall not be performed by any person in the Philippines, it shall be understood that the time shall be the daylight saving time herein established.
The public in general is hereby enjoined to give effect to the purpose and intent of this Proclamation. For purposes of astronomy and meteorology, however, the mean astrological time at one hundred and twenty degrees east longitude, Greenwich Meridian, may be used as heretofore.
The Energy Conservation Movement of the Philippines shall monitor the results of daylight saving time and recommend to the President such other measures as may be appropriate to generate maximum conservation in power and energy consumption.
All agencies and instrumentalities of the government including government owned and controlled corporations shall assist the Energy Conservation Movement in assessing and monitoring the results of this program.
IN WITNESS WHEREOF, I have hereunto set my hand and caused the seal of the Republic of the Philippines to be affixed.
Done in the City of Manila, this 25th day of March, in the year of Our Lord, nineteen hundred and seventy-seven.
(SGD.) FERDINAND E. MARCOS
President of the Philippines
By the President:
(SGD.) JUAN C. TUVERA
Presidential Assistant
March 25—
The President ordered the observance of a daylight saving time program throughout the country starting March 28. In an executive order, the President directed that local time will be advanced one hour starting midnight of March 27 and will continue until midnight of June 7, 1977. The President enjoined all offices, business establishments, commercial houses and stores, factories and all enterprises, both public and private, to cooperate with the program. He said the Energy Conservation Movement of the Philippines will monitor results of the measures to generate maximum conservation in power and energy consumption.
The Straits Times 29 March 1977 Reuter Microfilm Reel NL8996
Start of daylight saving time confuses Filipinos MANILA. Monday fHE start of day--1 light saving time threw the country into utter confusion today despite announcements last week and on the radio yesterday that the clocks would go forward one hour today. conferences. Including a seminar on
[133] 、 西暦1977年大統領布告第1641号 EXTENDING THE DAYLIGHT SAVING TIME JUNE 7, 1977 TO SEPTEMBER 21, 1977. が制定されました。 それによると、 日光節約時による資源節約の有効性が確認できたとして、 日光節約時の終了が June 7, 1977 () から 12:00 o’clock midnight of September 21, 1977 () に変更されました。 >>132
[116] この延長は、 根拠法 (法律第91号) では授権されていませんでしたが (>>215)、 西暦1973年憲法下の大統領権限で実施されました >>117。
[208] 延長された期間の終了後の報道によると、 本夏時刻実施により燃料8百万ドルが節約できた >>200 と報告されました。
Proclamation No. 1641, s. 1977
Signed on May 26, 1977
MALACAÑANG
Manila
BY THE PRESIDENT OF THE PHILIPPINES
PROCLAMATION NO. 1641
EXTENDING THE DAYLIGHT SAVING TIME JUNE 7, 1977 TO SEPTEMBER 21, 1977.
WHEREAS, in order to take advantage of longer daylight hours during the summer period the daylight saving time (DST) was proclaimed effective March 28, 1977 to June 7, 1977;
WHEREAS, during the period of its implementation the daylight saving time (DTS) was found beneficial for it enabled the nation to substantially conserve energy;
WHEREAS, the extension of the daylight saving time (DST) will further generate savings of elective power and fuel consumption consistent with the nationwide drive for energy conservation;
NOW, THEREFORE, I, FERDINAND E. MARCOS, President of the Republic of the Philippines, by virtue of the powers vested in me by the Constitution, do hereby proclaim an extension of the daylight saving time (DST) from June 7, 1977 up to 12:00 o’clock midnight of September 21, 1977.
IN WITNESS WHEREOF, I have hereunto set my hand and caused the seal of the Republic of the Philippines to be affixed.
Done in the City of Manila, Philippines this 26th day of May, in the year of Our Lord, nineteen hundred and seventy-seven.
(SGD.) FERDINAND E. MARCOS
President of the Philippines
By the President:
(SGD.) JUAN C. TUVERA
Presidential Assistant
May 25—
THE PRESIDENT signed Proclamation No. 1641 extending to midnight of September 21, 1977, the effectivity of the Daylight Saving Time (DST). DST, which was first proclaimed on March 27 to take Advantage of longer daylight hours during the summer period, was to expire on midnight of June 7. The President said the extention of DST will further generate savings of electric power and fuel consumption consistent with the country’s energy conservation drive.
It's a case of time is money. By turning the clock one hour ahead to conform with daylight saving time ordered by the martial law regime last March 11, the Phi- lippines was able to save $8 million worth of fuel.
[243] 、 フィリピン共和国西暦1977年大統領令第1149号は、 西暦1972年大統領令第78号 (>>400) を一部改正しました。 この改正は PAGASA の改組に関するものでした。 >>47
[462] PAGASA の業務の1つとして official time service を指定した条項も改正されました。 >>47 その変更は組織変更に関する文言の修正に留まりますから、 実質には変更がなかったと思われます。
PRESIDENTIAL DECREE No. 1149
AMENDING CERTAIN SECTIONS OF PRESIDENTIAL DECREE NO. 78 OTHERWISE KNOWN AS "THE ATMOSPHERIC, GEOPHYSICAL AND ASTRONOMICAL SCIENCE ACT OF 1972"
WHEREAS, under Letter of Instruction No. 41, dated December 11, 1975 the Typhoon Moderation Research and Development Council (TMRDC) created pursuant to Republic Act No. 6613 was transferred from the Office of the President and merged with the Philippine Atmospheric, Geophysical and Astronomical Services Administration (PAGASA), Department of National Defense;
(c) The National Geophysical and Astronomical OFFICE shall undertake activities or observations and studies of Geophysical and Astronomical phenomena essential for the safety and welfare of the people and also for the economy of the country. The OFFICE shall issue bulletins and/or technical advise to the public in case of significant geophysical events like severe earthquakes and tsunami, and shall also serve as the official time service agency of the Philippines.
[209] 、 フィリピン共和国で夏時刻が開始される予定でした。 しかし、 労働者への周知が進まず、延期となりました。 >>199
[213] 最初の実施予定についても、延期についても法的根拠は見当たりません。 その後実施されたとの情報も見当たりません。結局中止されたのでしょうか。
[210] 法的根拠が見当たらないことについては、 毎回法令の発布は直前なので、 それ以前の検討段階で中止になったためかもしれません。
[14] Shanks の PHILIPPINES は、 から 、 から としていました >>95。
[148] tzdata の Asia/Manila
は、
に に移行、
に に復帰としています >>7。
[121] Wikipedia も同じように >>25 1978年に夏時刻が実施された >>6 と説明しています。 Wikipedia の出典は tzdata や timeanddate.com >>149 のようです。
[150] その他 Web 上には Wikipedia や tzdata をコピペしたとみられる1978年実施説が多々あります。
[151] これら1978年実施説のいずれも、明確な根拠を示したものはありません。 フィリピン政府が Webサイトで提供する官報に1978年の実施を示したものは見当たらず、 逆にこれら1978年実施説は1977年の実施に言及していないことから、 誤った情報と考えられます。
[395] 終了日のは、1年前の終了日と一致していますから、 そこから生じた誤情報でしょうか。 開始日のは、1年前の開始日とも当年の予定開始日とも一致しません。 あるいはそのような実施案もあったのでしょうか。
The Straits Times 28 March 1978 Reuter Microfilm Reel NL9594
Day saving time put off MaNILa, Mon. The Philippines has postponed adoption of daylight saving time from today to a later date because many Filipino workers had not been advised of It. an official announcement said. adoption today of The daylight saving time In which clocks would go forward 30
[397] 、 フィリピン共和国の法律 AN ACT DEFINING THE METRIC SYSTEM AND ITS UNITS, PROVIDING FOR ITS IMPLEMENTATION AND FOR OTHER PURPOSES. が承認されました。 この法律は、 をもって SI単位系を施行するものでした。 >>46
[407] この法律は、 SI秒を含む SI単位が定めていました >>46。 この単位系の管理は PAGASA の業務とされました >>46, >>44, >>86。
[87] Wikipedia >>6 は、フィリピン標準時は Batas Pambansa Blg. 8 >>46 AN ACT DEFINING THE METRIC SYSTEM AND ITS UNITS, PROVIDING FOR ITS IMPLEMENTATION AND FOR OTHER PURPOSES. によってに制定され、 に実施されたとしました。
[396] しかしこの法律には時間の長さである SI秒は定められていますが、 フィリピン標準時の規定は見当たりません。 PAGASA による標準時管理業務も、 以前から行われていた (>>402) ものです >>81。
Section 1. Adoption of the metric system. — Effective January one, Nineteen hundred and eighty-three, the metric system (SI) as defined herein, shall be the sole measurement system to be used in the Philippines for all products, commodities, materials, utilities, services, and commercial transactions, in all contracts, deeds and other official and legal instruments and documents, in accordance with the provisions of Presidential Decree Numbered One hundred eighty-seven as amended by Presidential Decree Numbered Seven hundred forty-eight and this Act and their implementing rules and regulations.
Sec. 6. National standards for metric units. — (a) For the purpose of deriving the value of the base units, the National Institute of Science and Technology shall establish and maintain national standards of these units with the concurrence of the Board for certification by the International Bureau of Weights and Measures, when necessary.
(b) For the purpose of deriving the value of the second the Philippine Atmospheric, Geophysical and Astronomical Services Administration shall establish and maintain the national standard for the second, with the concurrence of the board.
Sec. 11. Effectivity. — This Act shall take effect upon its approval.
Approved: December 2, 1978
[164] 西暦1988年、 PAGASA の改組により、 Time Service Division は Time Service Unit (TSU) となりました。 >>44, >>81
[398]
からまで、
フィリピン共和国は1時間の夏時刻
を実施しました。
目的は資源節約でした。
[70] 、 国家非常事態覚書指令第17号 PROVIDING ENERGY CONSERVATION MEASURES AND DIRECTING THE OFFICE OF ENERGY AFFAIRS TO ISSUE THE IMPLEMENTING GUIDELINES が制定されました。 >>134, >>69
[406] この指令の第1節は、 May 21, 1990 () から日光節約時間 を官民ともに実施すると定めました >>134, >>69。
[196] 開始の時刻は明記されませんでした。 時刻の指定がないということは、 21日になった時、すなわち0時に1時間進めて1時にするということでしょうか。
[73] timeanddate.com は、 に1時間進めたとしました >>58。
[72] この指令の第4節は、 フィリピン共和国政府の Office of Energy Affairs (資源事務局) に対し、 関係機関と調整の上で本指令の実施指針を直ちに公布することを求めました >>134。 Guidelines Implementing National Emergency Memorandum Order No. 17 と題した文書がその指針と思われます。 その内容の詳細は不明です。
[409] 指令本体には、 日光節約時間の終了期日は言及されていませんでした。 後の行政命令によると、 Guidelines Implementing National Emergency Memorandum Order No. 17 で日光節約時間の終了がと定められていました >>135, >>59。
[174] この頃のフィリピンはクーデターや内乱により政治と経済が不安定化し、
資源不足が深刻化していたようです。更には地震や湾岸戦争による原油価格高騰にも見舞われました。
[408] 夏時刻の実施も、資源節約のための諸施策の1つでした。 従来の通常の夏時刻のような準州法に基づく実施ではなく、 緊急事態への対処のための特権を根拠法とした実施でした。
[410] 実施初日には、 Manila City Hall (マニラ市役所) の時計が1時間進められました >>202。
[206] 実施初日には、 Manila (マニラ) の公共交通機関が時間調整に失敗し、 大きな混乱が生じました。 多くの労働者が出勤時刻に遅刻しました。 政府には苦情が寄せられました。 >>203
MALACAÑANG
MANILA
NATIONAL EMERGENCY MEMORANDUM ORDER NO. 17
PROVIDING ENERGY CONSERVATION MEASURES AND DIRECTING THE OFFICE OF ENERGY AFFAIRS TO ISSUE THE IMPLEMENTING GUIDELINES
WHEREAS, to assure continuous power supply in the coming months, there is a need to adopt energy conservation measures to complement the supply side actions being undertaken by the Joint Government and Private Sector Initiatives Task Force under the Four-Day Work Week Program;
WHEREAS, until such time that the power supply situation has normalized and as continuing efforts to generate more effectively energy conservation awareness among energy users, these energy conservation measures have to be adopted for long range benefit to the country’s economy and people;
NOW, THEREFORE, I, CORAZON C. AQUINO, President of the Philippines, by virtue of the powers vested in me by the Constitution and Republic Act No. 6826, do hereby order:
SECTION 1. A Daylight Saving Time (DST) shall, effective May 21, 1990, be adopted by advancing the official clock by one hour in both the public and private sectors.
SECTION 4. The Office of Energy Affairs, in coordination with the Joint Government and Private Sector Initiatives Task Force, National Power Corporation and the Manila Electric Corporation, shall promulgate immediately the implementing guidelines for the accomplishment of the objectives of this Memorandum Order.
SECTION 6. This urgent Memorandum Order shall take effect two (2) days after publication in two (2) national newspapers of general circulation.
DONE in the City of Manila, this 2nd day of May, in the year of Our Lord, nineteen hundred and ninety.
National Emergency Memorandum Order No. 17, , https://web.archive.org/web/20161125174237/http://abernales.com/nemo17.htm
National Emergency Memorandum Order No. 17
WHEREAS, to assure continuous power supply in the coming months, there is a need to adopt energy conservation measures to complement the supply side actions undertaken by the Joint Government and Private Sector Initiatives Task Force under the Four-Day Work Week Program;
WHEREAS, until such time that the power supply situation has normalized and as continuing efforts to generate more effectively energy conservation awareness among energy users, these energy conservation measures have to be adopted for long range benefit to the country’s economy and people;
NOW, THEREFORE, I, CORAZON C. AQUINO, President of the Republic of the Philippines, by virtue of the powers vested in me by the Constitution and Republic Act No. 6826, do hereby order:
SECTION 1. A Daylight Saving Time (DST) shall, effective May 21, 1990, be adopted by advancing the official clock by one hour in both the public and private sectors.
Done in the City of Manila this 2nd day of May, in the year of Our Lord, nineteen hundred and ninety.
The conservation moves are intended to deal with an energy crisis that has led to severe power outages.
Mrs. Aquino ordered the nation to move its clocks ahead one hour on May 21 for an indefinite period of time. She also ordered strict implementation of a law limiting the use of electricity for advertising billboards.
The Business Times 22 May 1990 Microfilm Reel NL17018
saving time in Manila Manila City Hall clock was moved ahead by one hour yesterday as President Corazon aquino ordered the government and private offices to adjust to the nationwide daylightsaving time to cope with a severe power shortage. the emergency measure moves the Philippines from eight hours GMT to
The Straits Times 22 May 1990 Microfilm Reel NL17015
daylight saving time throws Manila into chaos Manila Many Filipinos turned up late for work yesterday as the capital's public ransportation system failed to adjust to the first day of daylight saving time, an aide rn President Cora/on Aquino said. the government received complaints early in the momtag that the
[197] フィリピン共和国政府の Energy Conservation Inter-Agency Committee (資源節約省庁委員会) は、 雨季の到来のため、 および夜暗くなるのが早いために想定ほど昼間を長く生かせないため、 日光節約時間を早期終了するよう勧告しました。 >>135
[71] 、 西暦1990年執行令第415号 LIFTING THE DAYLIGHT SAVING TIME (DST) PROGRAM INSTITUTED UNDER THE NATIONAL EMERGENCY MEMORANDUM ORDER NO. 17, SERIES OF 1990, EFFECTIVE MIDNIGHT OF JULY 28, 1990 が制定されました。 勧告を受けて、 次のことが定められました。 >>135, >>59
[413] この決定は実施の1週間前で、 新聞掲載も定められていて、 比較的 (比国基準) 余裕を持ったスケジュールといえます。
[175] 今次の夏時刻は、 開始当初から国民に大変不評だったようです >>192, >>203。 予定より切り上げて終了する運びとなったのも、 そうした背景がありそうです。
[414] timeanddate.com は、 に1時間戻したとしました >>58。
EXECUTIVE ORDER NO. 415 July 20, 1990
LIFTING THE DAYLIGHT SAVING TIME (DST) PROGRAM INSTITUTED UNDER THE NATIONAL EMERGENCY MEMORANDUM ORDER NO. 17, SERIES OF 1990, EFFECTIVE MIDNIGHT OF JULY 28, 1990
WHEREAS, under the Guidelines Implementing National Emergency Memorandum Order No. 17, the Daily Saving Time (DST) Program shall be effective until August 31, 1990;
WHEREAS, in view of the onset of the rainy season and the early nighttime darkness which both cut short the longer daylight hours expected during this time of the year, the Energy Conservation Inter-Agency Committee has recommended the early termination of the Daily Saving Time (DST) Program;
NOW, THEREFORE, I, CORAZON, C. AQUINO, President of the Philippines, by virtue of the powers vested in me by law, do hereby order:
Sec. 1. The Daylight Saving Time (DST) Program instituted under National Emergency Memorandum Order No. 17, Series of 1990, is hereby lifted effective midnight of July 28, 1990, Saturday, by adjusting the official clock one hour earlier, i.e., 12:00 midnight to 11:00 p.m. in both the public and private sectors.
Sec. 2. This Executive order shall be published for two (2) days in two national newspapers of general circulation.
DONE in the City of Manila, this 20th day of July, in the year of Our Lord, nineteen hundred and ninety.
DIRECTING THE IMMEDIATE IMPLEMENTATION OF AN ENERGY CONSERVATION PROGRAM
Sec. 5. The Energy Conservation Inter-Agency Committee established under Executive Order No. 412 dated July 13, 1990 shall continue to implement energy conservation measures provided under National Emergency Memorandum Order No. 17, S. of 1990, except for the Daylight Saving Time,
Sec. 12. This Executive Order shall take effect immediately.
DONE in the City of Manila, this 13th day of August, nineteen hundred and ninety.
PDF 16ページ
5月3日5月21日から8月末まで1時間早める夏時間を実施。
PDF 19ページ
7月20日 28日深夜に夏時間廃止――EO 第415号
亜細亜大学 学術リポジトリ, NetCommons, https://asia-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=13328&item_no=1&page_id=26&block_id=43
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90年5月2日付け国家非常事態覚書第17号のエネルギー節約指示があった。 これによる夏時間制の実施が5月21日から実施された (しかしながら夏時間制は国民に不評で7月28日に廃止された)。
When local standard time was about to reach
Monday, 21 May 1990, 00:00:00 clocks were turned forward 1 hour to
Monday, 21 May 1990, 01:00:00 local daylight time instead
When local daylight time was about to reach
Sunday, 29 July 1990, 00:00:00 clocks were turned backward 1 hour to
Saturday, 28 July 1990, 23:00:00 local standard time instead
[15] tzdata は、 90年代に夏時刻が実施されたとの情報があるものの、 詳細不明だとしました >>7。 Web 上にも混乱した情報がいくつかありました。 いずれも、 この西暦1990年の夏時刻を指すと思われます。
[155] 他の年の夏時刻は挙げてを挙げない資料や、 実施されていないと主張する者 >>153 まであるようです。 他の年よりも現在に近いにも関わらず情報が少ないのは不審ですが、 政情不安のため正確な情報があまり残されていないのでしょうか。
[415] 法令として明確に残されており、 現地発でシンガポールや日本に送られた同時代の記録もありますから、 実施されたことは間違いありません。
If I am not so sure about DST being implemented during the Marcos era, I am dead certain that it was during the Cory Aquino era.
DST Philippines - Tagalog Po!, , https://web.archive.org/web/20160812150955/http://tagalogpo.com/filipino-cultural-notes/daylight-savings-time-philippines
Currently the Philippines does not enforce daylight savings time; although in the years 1936-1937,1954, and 1990 daylight savings time was briefly implemented.
[486] のウェブサイト記事に、 「implemented in the mid-1990s under national emergency measures」 とありました >>500。 のウェブサイト記事に、 ラモス大統領の時代が直近の夏時刻実施だとするものがありました >>51。 根拠は不明で、現時点でそれを裏付ける資料は見当たりません。
[493] 、 フィリピン共和国の DOE (資源省) は、 日光節約時間実施についての研究をまとめました。 >>53
[494] いつ実施された日光節約時間についてのものか不明ですが、これを紹介した記事が President Corazon Aquino の制度に触れており、それについてのものでしょうか。
[495] これを踏まえた DOE の試算では、 Luzon grid の節約は 0.3 percent or 150 megawatt hours 程度に過ぎないとのことでした。 >>53 (この試算はの報告を元にの条件に置き換えて求めたものでしょうか。)
[165] 西暦1996年、 PAGASA TSU は、 Luminous Digital Clock と Global Positioning System (GPS) を取得しました。 西暦1997年に設置され、 主たる参照時刻系 として用いられるようになりました。 >>44, >>81
[166] 西暦2003年、 PAGASA TSU は PAGASA Astronomical Observatory の Transit Building に移転し、 Rubidium/Global Positioning System Common View (Rb/GPSCV) Time Transfer System に移行しました。 >>44, >>81
[476] この頃、 PAGASA TSU は Webサイトでの PST の表示を開始したと思われます. 現在 Internet Archive で確認できる最古はでした。 >>475
[157]
、
フィリピン共和国政府の Department of Trade and Industry (DTI)
は、
原油価格高騰を受けて資源節約のため夏時刻の実施を提案しました。
[498] の記事によると、 DTI の Trade Secretary の Peter Favila は日光節約時間に対して好意的な反応を受け取っていました。 他の省庁や民間も日光節約時間に賛同するだろうと考えていました。 >>497 の記事によると、 Peter B. Favila は既に民間の同意を取り付けており、 Cabinet (内閣) に持ち込もうとしていました。 >>500
[501] 翌月 (5月) にも開始される計画でした。 >>497 雨季到来までの6週間程度を予定していました。 >>500
[156] 西暦2007年頃の Wikipedia は、 Davao City でフィリピン標準時より10分進んでいた ()、 あるいは15分進んでいた () としていました。 その後出典不明として削除されました。 >>153
[416] ダバオで実際にそのような制度が存在していたのか、 それとも標準時が十分に徹底されていなかっただけなのか、 または何の根拠もない悪戯なのかも不明です。 ダバオの経度は 125.36.00E = で、 どちらとも一致しません。
[41] 西暦2010年代前半、 フィリピン共和国政府はフィリピンの標準時の利用と時刻厳守をフィリピン国民に習慣付ける活動を展開しました。 逆に言えば、それまで統一された標準時がフィリピン国内でほとんど実用に供されていない状態でした。
[471] フィリピン共和国在住の外国人は、 正確な時刻の確認に苦労していました。 のブログ記事の著者は、 テレビも街頭の時計も不正確なので、 インターネットで外国から時刻を得ていました。 >>473 のブログ記事の著者は、 テレビは不正確なので、 日本のテレビ局 NHK の放送で時刻を得ていました >>27 (NHK の海外向け放送のことでしょう)。
[474] この頃、 PAGASA のWebサイトに PST が表示されるようになったとされます >>473。 実際にはそれより10年以上前から表示されていました (>>476)。 知名度が低かったのでしょうか。
[427] 、 フィリピン共和国政府の Department of Science and Technology (DOST, 科学技術省) は、 Juan Time と称して、 PST を利用するよう国民に求めるキャンペーンを展開しました。 >>86
[428] 「Juan」はフィリピン人を表す言葉です。 「Juan Time」 には 「One Time」 のような意味があり、 全国的に PST を用いて同時刻に揃えることを通じてフィリピン国民としての連帯感を醸成する狙いもありました。 >>86
[432] キャンペーンを主導する DOST に加え、次のパートナーが参加しました。 >>86
[430] DOST は、各放送網に対し、 公衆に時刻を示す時 PST を用いることを推奨しました。 >>86
[431] SM Mall of Asia の Music Hall に PST を表示する時計の試作品が設置されました。 に公開されました。 >>86
[436] 始動式では Vice President (副大統領) の Jejomar Binay が基調講演を行いました。 来賓として DOST Secretary の Mario Montejo, PCOO Secretary の Sonny Coloma, Bam Aquino, Tony Meloto, Albert Gamboa らが同席しました。 会場では10時0分から16時0分まで、 展示、 映像上映、 出し物がありました。 musician-educator の Jim Paredes が進行しました。 >>86
また、我々フィリピンに暮らす外国人が集まると、ときどき話題になるのですが、フィリピンでは正確な時間を知るのがとてもむずかしいです。まずテレビ番組の始まる時間が正確ではありません。数分ズレたりします。 「あ、ニュースが始まったから7時だ。」というわけにいかないのです。 電話の時報サービスもありません。 街中に、正確な時刻を示していると思われる時計もありません。 「いま、本当に正確な時間は何時何分なんだろう」 と思ったときには、結局インターネットを使って、フィリピンの外の時刻を参照する以外ありません。
現在「フィリピンの標準時(PST)」は、PAGASAのホームページで確認することができるようになっています。
やっとできました。本当の「フィリピンの標準時(PST)」を知る手段です。
www.dost.gov.ph - Juan Time to sync time pieces with PST, Framelia V. Anonas, S&T Media Service, DOST-STII, , https://www.dost.gov.ph/knowledge-resources/news/36-2011-news/253-juan-time-to-sync-time-pieces-with-pst
To sync all time pieces in the country’s more than 7,100 islands, the Department of Science and Technology with several partners will unveil at 7:00 PM tonight a clock prototype that displays the Philippine Standard Time. Dubbed “Juan Time”, DOST’s campaign aims to promote the nationwide use of the PST (hence “Juan Time”, a word play on “One Time” and “Juan” being the common name for Filipinos) and sync timepieces with the PST.
“Time is a resource that is very important but often overlooked,” said DOST Secretary Mario G. Montejo. “Other than its social and economic value, time is something that can unite us as Filipinos.”
“Juan Time reminds Filipinos that keeping to the PST avoids the difficulties of having confusing, unsynchronized time,” Montejo added.
Established decades ago, the PST is set by DOST’s Philippine Atmospheric, Geophysical and Astronomical Services Administration (PAGASA), the country’s official timekeeper since 1978 as mandated by Section 6 of Batas Pambansa Blg. 8.
The PST is set via DOST-PAGASA’s timing system that consists of rubidium atomic clock, Global Positioning System receiver, time interval counter, distribution amplifier, and a computer. The system automatically calculates its time difference with every satellite within its antenna’s field of view. The PST is available online at the DOST-PAGASA website (http://www.pagasa.dost.gov.ph).
[419] 、 フィリピン共和国政府教育省は、 教育省令第86号 Synchronizing With the Philippine Standard Time を制定しました。 次のことが定められました。 >>417
[424] この指示は、 時間通りに行動しないことを自虐的に表現した Filipino time という語を「時間通り」の意に変えていくための活動の一貫でした >>144。
[425] 時刻同期の方法として電話番号が示されました。 この電話がどのようなものかは不明です。 時報が流れるのでしょうか。 それともオペレーターが現在時刻を教えてくれるのでしょうか。 いずれにしても、 機械的な報時機構を整備するという類のものではなく、 時計の時刻を (手動で) しっかり管理しましょう、 時計にちゃんと従いましょう、 といった趣旨のものと読めます。
[426] 国民に時間に従うという意識がない場合、 確かに教育から変えていく戦略は正しいでしょうが、 どれだけの成果が得られたのでしょうか。
November 3, 2011 DO 86, s. 2011 – Synchronizing With the Philippine Standard Time
November 3, 2011
DO 86, s. 2011
Synchronizing With the Philippine Standard Time
To : Undersecretaries
Assistant Secretaries
Bureau Directors
Directors of Services, Centers, and Heads of Units
Regional Directors
Schools Division/City Superintendents
Heads, Public Elementary Schools
All Others Concerned
1. To synchronize all activities of the Department of Education (DepEd) from the Central Office to the school level, all DepEd Offices are hereby directed to set all clocks inside offices and school properties including time recording devices (also known as bundy clocks, clock card machines, or punch clock) to match the Philippine Standard Time (PST) established by the Department of Science and Technology (DOST) through the Philippine Atmospheric, Geophysical and Astronomical Services Administration (PAGASA). The time in hours, minutes and seconds is displayed in PAGASA’s website: http://www.pagasa.dost.gov.ph. To ensure precision, the offices and schools may contact the telephone no.: (02) 929- 1237.
2. It is therefore directed that all schedules (class schedule, meetings, activities, events, etc.) be based on the PST. These schedules must start on time and end on time.
3. The PAGASA is mandated by Section 6 of Batas Pambansa Blg. 8 to be the country’s official timekeeper. The PST is set using the DOST-PAGASA’s timing system consisting of a rubidium atomic clock, Global Positioning System receiver, time interval counter, distribution amplifier, and a computer.
4. Immediate dissemination of and strict compliance with this Order is directed.
Reference: None
To be indicated in the Perpetual Index under the following subjects:
BUREAUS AND OFFICES
POLICY
OFFICIALS
SCHOOLS
DepEd urges schools to use Philippine Standard Time | Official Gazette of the Republic of the Philippines, https://www.officialgazette.gov.ph/2011/11/11/luistro-urges-schools-to-use-philippine-standard-time/
A November 11, 2011 press release from the Department of Education
The Department of Education issued DepEd Order Number 86, series of 2011, “Synchronizing with the Philippine Standard Time,” directing all school officials nationwide to synchronize with the Philippine Standard Time (PST) so that all school-based activities are conducted simultaneously.
[42] 、 フィリピン共和国法第10535号 The Philippine Standard Time (PST) Act of 2013 が制定されました。 >>143
[16] 、 フィリピン共和国議会を法案が通過しました。 、 フィリピン共和国大統領が法律を承認しました。 法律は、 Official Gazette (官報) または newspaper of general circulation (一般発行の新聞) 2紙への掲載から15日後に施行されました。 >>143 すなわちに施行されました >>218。
[458] 、 DOST は、 西暦2013年行政命令第13号を制定しました。 法律に基づき制定された指針 (Implementing Rules and Regulations, IRR) でした。 法律で定められた各施策について、より細かく具体的に定めていました。 IRR は、 Official Gazette (官報) または newspaper of general circulation (一般発行の新聞) 2紙への掲載から15日後に施行されました。 >>456
[464] 従来から PAGASA は PST を供給していました。 PAGASA の Webサイトで表示されていた他、 DOST の庁舎でも用いられていました >>463。 今次の法律は PST を全国的に利用することを求めるものでした。
[453] PAGASA は既に国家の標準時の保時と配布の業務を担当していましたが、 この法律は更に強く、国内の主要地に時計を設置して正確な標準時を示すべきことや、 各機関が正確な標準時に同期するための指針の制定を求めています。
[454] 政府機関・学校に正しい時刻を使うことに加えて、 民営も含むテレビとラジオの放送に罰則付きで正しい時刻の利用を要求しています。 全国の国民に正確な時刻を普及させるために放送が極めて有効な手段となることは明らかです。
[102] ところが当時のフィリピン共和国のテレビ放送は、 時刻が統一されていない状態 >>27 がむしろ平常化していたようです。 罰金を定めてまで強制しないことには改善されないと判断されたのでしょう。
[459] IRR は、 PhST から5秒以下のずれは許容されると定めていました。 >>456
[468] local telecommunications network (地方電気通信網) の時刻は、 法の義務付けの対象外ではありましたが、 時点で PhST に従っていました。 DOST の担当者に拠ると、 telco GPS enabled network time と PAGASA network time には2秒程のずれがあり、 許容範囲内でした。 >>467
[43] なお、この法律はいかにも標準時が定められていそうな題名ですが、 標準時の定義はありません。 法律文中まったく言及されていないのですが、 おそらく西暦1936年の準州法 (>>57) による定めが効力を有したままなのでしょう。 IRR には実施方法がより詳しく規定されており、 UTC に基づく補正などにも言及はあるのですが、 UTC との時差など PhST 自体の定義はやはり (準州法の参照すら) 見当たりません。
[461] 法律は Philippine Standard Time の略称を 「PST」 としていました。 >>437 IRR は 略称を 「PhST」 としていました。 >>456
[466] ところで PAGASA の rubidium clock は、 Australian standard time に基づいていました。 PAGASA の担当者は資金を確保してフィリピン共和国の独自の時刻源を保有することを望んでいました。 >>463
[241] 、 に整備された Rubidium/Global Positioning System Common View (Rb/GPSCV) Time Transfer System は、 雷の被害を受けました。 この設備は放棄され、 そのかわりに WFFC building と Planetarium Building に設置された2つの secondary (二次) frequency standard (周波数標準) S350 を PAGASA Engineering and Technical Services Division (ETSD, 工務技術役務部門) の ICT group (情報通信技術グループ) を通じて取得することで、 時刻源とするようになりました。 WFFC building のものは NTP を通じた PhST の配布に利用し、 Planetarium Building のものはバックアップとされました。 両者故障時のさらなるバックアップとして、 PAGASA Astronomical Observatory (PAGASA 天文台) に Oscilloquartz 製 5225B Time Node が設置されました。 >>44
[REPUBLIC ACT NO. 10535]
AN ACT TO SET THE PHILIPPINE STANDARD TIME (PST) IN ALL OFFICIAL SOURCES THROUGHOUT THE COUNTRY, TO PROVIDE FUNDS FOR THE INSTALLATION, OPERATION AND MAINTENANCE OF SYNCHRONIZED TIME DEVICES TO BE DISPLAYED IN KEY PUBLIC PLACES AND TO DECLARE THE FIRST WEEK OF EVERY YEAR AS NATIONAL TIME CONSCIOUSNESS WEEK
Be it enacted by the Senate and House of Representatives of the Philippines in Congress assembled:
SECTION 1. Short Title. – This Act shall be known as “The Philippine Standard Time (PST) Act of 2013”.
SEC. 2. Display of the Philippine Standard Time. – All national and local government offices shall display the Philippine Standard Time (PST) on their official time devices, including bundy clocks, in accordance with the official time being provided by the Philippine Atmospheric, Geophysical and Astronomical Services Administration (PAGASA) using its network time protocol. All of these offices shall coordinate, at least once a month, with the PAGASA to synchronize their official timepieces and devices.
SEC. 3. Monitoring, Maintenance and Dissemination of the PST. – The PAGASA’s Time Service Unit, in coordination with the Department of Science and Technology (DOST), shall be tasked to monitor, maintain and disseminate the PST throughout the country. The PAGASA shall operate and maintain a timekeeping system to perform these functions and shall endeavor to install and maintain sufficiently large and prominently displayed synchronized time devices in all their field stations and in key public places.
SEC. 4. Procurement of Equipment for the Automatic Dissemination of Time. – The procurement of equipment necessary for the automatic dissemination of time with global positioning system (GPS) shall be in accordance with the provisions of Republic Act No. 9184 (Government Procurement Reform Act). The DOST shall be the procurement overseer of said equipment.
SEC. 5. General Appropriations. – The amount necessary for the implementation of this Act shall be included in the appropriation of the PAGASA under the DOST in the General Appropriations Act. Thereafter, such amount as may be necessary for the upgrading and/or maintenance of the timekeeping system shall be included in the annual budget of the DOST and the PAGASA.
SEC. 6. Role of the National Telecommunications Commission (NTC). – The NTC shall require the participation of all government and private television and radio stations in order to ensure the synchronization of timekeeping devices can be undertaken even in the most remote parts of the country.
SEC. 7. Violations. – The NTC shall have jurisdiction to enforce obedience to the provisions of this Act by writ of injunction or by other process, mandatory or otherwise, restraining further violations of this Act and enjoining obedience thereto.
Owners of private television and radio stations who shall fail to calibrate and synchronize their time devices with the PST during their broadcast shall, upon hearing and due proceedings, be penalized with a fine of not less than Thirty thousand pesos (P30,000.00) but not more than Fifty thousand pesos (P50,000.00) and in case of second offense, revocation and cancellation of their franchises to operate.
The fine to be collected as penalty for the violation of this Act shall be deposited in the general fund of the National Treasury.
SEC. 8. Information Campaign. – All national and local government offices, including all schools, public or private, shall conduct a continuing information campaign about the value of time and the need to respect the time of others, in order that the people may realize the imperative of synchronizing the official time.
SEC. 9. Institutionalization of the “National Time Consciousness Week”. – The “National Time Consciousness Week” shall be institutionalized and celebrated every first week of the year.
SEC. 10. Implementing Guidelines. – The PAGASA, in coordination with the DOST, the NTC, the Department of Transportation and Communications (DOTC), the Department of the Interior and Local Government (DILG), the Department of National Defense (DND), the Department of Health (DOH), the Department of Education (DepED) and the Commission on Higher Education (CHED), shall promulgate the necessary guidelines for the effective implementation of the calibration and synchronization of the timekeeping devices and implementation of this Act within ninety (90) days from the effectivity of this Act.
SEC. 11. Separability Clause. – If any provision of this Act is declared invalid or unconstitutional, the remaining parts or provisions not affected shall remain in full force and effect.
SEC. 12. Repealing Clause. – All laws, decrees, executive orders, proclamations, rules and regulations, and issuances, or parts thereof, which are inconsistent with the provisions of this Act are hereby repealed or amended accordingly.
SEC. 13. Effectivity. – This Act shall take effect fifteen (15) days after its publication in the Official Gazette or in two (2) newspapers of general circulation.
AN ACT TO SET THE PHILIPPINE STANDARD TIME (PST) IN ALL OFFICIAL SOURCES THROUGHOUT THE COUNTRY, TO PROVIDE FUNDS FOR THE INSTALLATION, OPERATION AND MAINTENANCE OF SYNCHRONIZED TIME DEVICES TO BE DISPLAYED IN KEY PUBLIC PLACES AND TO DECLARE THE FIRST WEEK OF EVERY YEAR AS NATIONAL TIME CONSCIOUSNESS WEEK
この記事によりますと、テレビやラジオの事業者がフィリピン標準時をきちんと守らない場合には ペナルティーが科せられることになったとあります。
この大元の時間管理は PAGASA、日本の気象庁に相当する機関が責任を持つともあります。
従来は、テレビなどを見ていても 正確な時刻が分らず、NHKのテレビで時計を合わせていましたが、 今後はテレビやラジオで正確な時刻が知らせられることで、フィリピンの人たちの時計が 同じ時刻を示してくれることを期待したいと思います。
比標準時法
政府機関や報道機関などに「フィリピン標準時(PST)」を厳守させる共和国法10535号が1日、発効した。
政府機関と地方自治体には、職場に標準時...
IMPLEMENTING RULES AND REGULATIONS OF REPUBLIC ACT N0.10535, OTHERWISE KNOWN AS THE PHILIPPINE STANDARD TlME ACT OF 2013 HOTDownload
AN ACT TO SET THE PHILIPPINE STANDARD TIME (PST) IN ALL OFFICIAL SOURCES THROUGHOUT THE COUNTRY, TO PROVIDE FUNDS FOR THE INSTALLATION, OPERATION AND MAINTENANCE OF SYNCHRONIZED TIME DEVICES TO BE DISPLAYED IN KEY PUBLIC PLACES AND TO DECLARE THE FIRST WEEK OF EVERY YEAR AS NATIONAL TIME CONSCIOUSNESS WEEK
Information
Created 2014-10-01 Changed 2016-05-05
[438] からまで、 初回の National Time Consciousness Week が実施されました。 PAGASA は、 学校管理者に学内の時計を PST に合わせること、 学生に全国の時計を PST にすることを呼びかけました。 >>82
[470] 付のフィリピン共和国在住の日本人が書いたと思われる記事は、 標準時法の認知度は低く、時間厳守意識も低いままだと述べました。 >>77 国民の意識改善への道のりは果てしないようです。
Mario Raymundo, chief of the PAGASA's Time Service Unit, appealed to all school administrators to display clocks on their respective campuses displaying the PST, in line with National Time Consciousness Week observed from January 1 to 7.
フィリピン人と待ち合わせる時は、約束の時間を1時間早めに設定しておいた方がいいともいわれる。昨年5月には、国民の時間厳守を奨励するフィリピン標準時法(共和国法第10535号)が成立しているのだが、認知度は低いようだ。
[158] 、 LPGMA Partylist Representative の Arnel Ty は、 Benigno Aquino III 大統領に電力危機対策のため夏時刻実施を提言しました。 >>153, >>51 議会に決議案が提出されました >>51, >>487。
[488] 夏時刻は準州法に基づくものでした。 夏時刻の実施機関は、 -と -が想定されていました。 >>51
[489] 夏時刻は資源節約に効果があり、アメリカ合衆国等諸国で実施されていることからそれが証明されていると説明されていました。 >>51
[492] の報道によると、 大統領府は、 Department of Energy (DOE, 資源省) に日光節約時間の効果の調査を指示しました。 >>491
[490] しかしこの夏時刻は実現しませんでした。 早くもの報道によると、 DOE は日光節約時間実施は非現実的で、 他国と違ってフィリピンの気候では資源節約効果がほとんど見られないと指摘しました >>53。
MANILA, Philippines - A House leader has called on Malacañang to declare the use of daylight-saving time (DST) starting November this year to January 2015, and then from March to June next year, to prepare the country for a looming power crisis.
In House Resolution 1334, Deputy Minority Leader and LPG-MA Rep. Arnel Ty urged the Aquino administration to proclaim the observance of DST over the seven-month period “in order to significantly conserve energy."
He said a 1936 law, Commonwealth Act No. 91', authorizes the President of the Philippines to proclaim the resort to DST, “when the public interest so requires,” for a cumulative period not exceeding seven months each year.
DST was last proclaimed during the Ramos administration, when the country was reeling from a crippling power crisis.
The Department of Energy has dismissed Congress' suggestion to use daylight saving time to help address a looming power crisis next year, a report on GMA's “State of the Nation” program said Friday.
The suggestion was made by LPG Marketers' Association party-list Representative Arnel Ty who said adapting the system could help the country conserve energy.
[478] の PAGASA の年報によると、 PAGASA Observatory (PAGASA 観象台) は平時に報時信号を毎時、発していました。 >>477
[479] 更には、 semsester (半期) 中に電話による time check request (時刻検査要求) が 4309件あり、 そのほとんどは Metro Manila (マニラ首都圏) からのものでした (Metro Manila のすべてのテレビ局の時刻同期のためのものを含みます)。 >>477
[481] 、 PAGASA は新たに Precise Time-Scale System を整備しました。 この設備は、 independent timing chain (real-time clock) であって、 3つの高性能 cesium clock, GNSS timing information を使って UTC に合わせられた実時間時計, そして 5 MHz, 10MHz, AM/DC IRIG-B, 1 PPS, NTP への配布で構成されるものでした。 >>44
[483] PhST の基準時計である3つの高性能原子時計に、 2台の Symmetricom S350 と1台の OSA 5225B Time Node が接続されて、誤差 a few ミリ秒以内で同期されていました。 それらに更に NTP サーバー等が接続されていました。 >>44
[482] PAGASA によると、政府とテレビ局は、 Precise Time-Scale System から取得した時刻をテレビ画面に表示する時計に使うことが求められました。 ラジオ局はそのテレビ放送から Kapisanan ng mga Brodkaster ng Pilipinas (KBP) を通じて時刻を複製することが求められました。 >>44
The Philippine Atmospheric, Geophysical and Astronomical Services Administration (PAGASA) is mandated by law, as the government agency which is tasked to keep and disseminate the Philippine Standard Time (PhST). Section 6 of Batas Pambansa Blg. 8, defining the metric system in the country, states that: "PAGASA shall be responsible in the establishment, maintenance and operation of the National Standard for the second of time".
Another law is Presidential Decree 1149, assigning PAGASA as the official agency that will handle the dissemination of the Philippine Standard Time (PST). Recently, the Philippine Standard Time Act was created. Later, its Implementing Rules and Regulations was also created.
The Time Service Division was established as one of the major units in the then Weather Bureau sometime in 1949. Its master clock was a U. Nardin Marine Chronometer, with pendulum regulator, which was utilized as a dispatch clock. A short synchrome ensemble replaced the marine chronometer in 1951 and a quartz crystal clock improved the system in 1965.
Since then, there was no major improvement that had been done with the system, except for the acquisition of a Digitizing Oscilloscope. In 1988, the Time Service Division was downgraded to the Time Service Unit (TSU), together with the reorganization of the PAGASA. In 1996, the TSU acquired a Luminous Digital Clock and a Global Positioning System (GPS), which were installed in 1997, as its primary reference timing system.
In 2003, TSU was transferred to the newly renovated Transit Building of the PAGASA Astronomical Observatory, equipped with the new timing equipment, known as the Rubidium/Global Positioning System Common View (Rb/GPSCV) Time Transfer System. The detailed characteristics, components and utilization of the Rb/GPSCV are given in a succeeding section.
[502] National Time Consciousness Week はその後も法律の定めに従い毎年の恒例行事として続いているようです。 しかしの報道には、 前年から始まった行事と書かれてしまっていました (「NTCW was initiated last year」)。 >>76 に制定され、 に初回実施だったのですから、 この年は3回目だったはずです。 報道機関にすら実施回数を覚えてもらえない程度の認知度なのは寂しいものですが、 報道されているだけマシなのでしょうかね。 (記事内容も実施されたという事実だけで、 具体的に何が行われたのか謎です。 DOST/PAGASA がやる気を無くしてしまったのか、 報道の方が重視していないのか。)
[177] には、 フィリピン居住者が主要な読者と思われる英語の嘘ネタニュース >>54 のウェブサイトに、 フィリピンで日光節約時間が実施されるとの記事が掲載されました。 記事は、
... と説明していました >>52。
[506] 冗句に突っ込みを入れるのは無粋なのかもしれませんが、 フィリピンでは過去に何度も夏時刻が実施された経緯があります。 直近でもに議会で提案されたばかりでした。 フィリピンの一般の人々に過去の夏時刻の知識がないことがこの記事からわかります。
[507] 政府が払拭に努める Filipino time の悪習も一向に改善の気配が見られないのでしょう。
[508]
なお夏時刻を冗談の題材とした例は他国にもいくつかありました。
There's a running theory that we'd all be on time if traffic in Metro Manila weren't so bad, but while concerned government agencies are trying to solve that problem, the Department of Science and Technology (DOST) wants the public to at least be synchronized.
The DOST is once again leading the observance of the National Time Consciousness Week (NTCW), which starts on January 4th and ends on the 8th.
NTCW was initiated last year and in the spirit of the campaign to instill more discipline, the public is enjoined to synchronize their watches with the official Philippine Standard Time (PhST).
PhST is provided by the PAG-ASA and via Republic Act 10535 or The Philippine Standard Time Act of 2013, local government offices as well as broadcasting companies are required to follow "Juan Time."
MANILA, Philippines (The Adobo Chronicles, Manila Bureau) – Starting at 2 o’clock a.m. Sunday (Monday, Philippine time), Americans, except those in Arizona and Hawaii, will set their clocks forward by one hour as part of Daylight Saving Time (DST). In the Philippines, Filipinos will advance their clocks by two hours.
For the first time in the history of the Philippines, this tropical country in Asia is implementing DST, but unlike its U.S. counterpart, it is a two-hour adjustment.
However, Philippine DST has nothing to do with energy-saving. It is a national scheme to encourage and ensure that Filipinos arrive at their appointments, school or work ON TIME — in fact two hours early.
You see, the Philippines is known for “Filipino time,” a standard in which people arriving late for appointments is expected, much less tolerated. Even their country’s flag carrier, Philippine Air Lines, or PAL, is often referred to as “Plane Always Late.”
With the new Philippine DST, many employers will be very pleased that at last, their workers will arrive on time — assuming the LRT and MRT (light railway) trains run on schedule.
“By the time DST is set back to regular or standard time in the fall, Filipinos will already have been used to being on time or early,” President NoyNoy Aquino told reporters today.
THE ADOBO CHRONICLES is your source of up-to-date, unbelievable news. Everything you read on this site is based on fact, except for the lies.
[78] フィリピン共和国は新南群島の領有権を主張し、一部を実効支配しています。
フィリピン共和国の法令上および実際上、
フィリピンの標準時が実施されていると思われます。
[79]
フィリピン共和国は、
歴史的に関わりのある北ボルネオの領有権を主張していたことがありました。
(実効支配はしていません。)
[65] 現在のフィリピンの標準時 は、 中国大陸の標準時、マレーシアの標準時・シンガポールの標準時、 台湾の標準時、インドネシアの標準時の1つなどと同じものです。
[80] かつてフィリピンと同じくスペイン領東インドに属していた各地域については、 南洋群島の標準時・グアムの標準時、台湾の標準時、 インドネシアの標準時を参照。
[167] Juan Time, Filipino time >>144,
フィリピンタイムは慢性的に時間に遅れることを自虐的に、
あるいは軽蔑的に指す言葉としてもフィリピンで用いられています。
[465] そのような風習は、スペイン統治時代に、 客人が最初に到着するのを良しとし敢えて遅れてくるよう指示される慣習があったことに由来すると説かれています。 >>463
[496] Date and time notation in the Philippines - Wikipedia, , https://en.wikipedia.org/wiki/Date_and_time_notation_in_the_Philippines