[19] 「平成31年」、「1024
[2] 東洋では 「令和元年」、 「西暦2014年」、 「民国13年」、 「ユリウス暦1423年12月2日」、 「南宋淳煕十四年丁未」 などと伝統的に年番号の直前の日時構成要素が元号スロット (暦法スロット) となっています。
[4] 「推古天皇3年」、「推古3年」
のように元号ではないものの元号に準じて使われるものを便宜上疑似元号ということがあります。
[3] 英語では 「AD 2019」、 「1024 BC」、 「this 13th day in June, 1715, in the year of our Lord」、 「this third day of September in the year of our Lord, one thousand seven hundred and eighty-three」、 「in the year of our Lord 1917, and in the Eighth year of Our Reign」 などと位置が一定しません。
[6] 日本では元号名なしの元号年と2桁西暦年が使われ、区別できません。 そのためか2桁西暦年に「'」をつけて「'93」 のように表記することがよくあり、元号名スロット的に機能しています。
[5] 元号スロットには、 繰り返しを表す 「同」、 「〃」 のような記号が入ることがあります。
[7] 「翌平成30年」 のように元号名スロット直前に修飾語が来る場合もあります。
[8] 紀年法の呼称、紀年法ラベルは、一定しているものと表記揺れが激しいものがあります。
[9]
東洋の日時形式には元号名スロットがあって元号名を書きます。
このように日時表示に特定のラベルを明記する慣習が定着している紀年法ラベルは、
揺れがあまりありません。文字の種類や異体字のバリエーションがあっても、
同じ語の範囲に収まっていることがほとんどです。
[10] 日時表示に明記する慣習がない紀年法は、 たまに明記することがあっても表記がばらばらで、 日時表示以外でそれを参照するときにも、 呼び方がいろいろあることが多いです。
[11]
西暦はいろいろな時代と地域で広く使われ、
いろいろな国・宗教やいろいろな言語で使われるので、
それだけ呼び方もいろいろなものがあります。
ある者はキリスト教との関係を明示するため「キリスト紀元」
と呼び、
ある者はキリスト教との関係性を隠すため「Common Era」
と呼ぶような、真逆の企ても内包しています。
[61] その後も現在に至るまで、欧米の手紙や書籍の端書などに日付だけでなく地名も添えることがよくありますが、 ただの位置の記録というだけでなく、こういう事情もあっての慣習なのでしょうか。
[14] 元号年表記では、元号名の前には国名を書くことがあります。
[15] 中国は諸国の栄枯盛衰があったため、その区別のため国名を明記する慣習ができたと思われます。 通常の日付の表記ではいちいち国名まで記述しないのが普通ですが、
... などに国名から始まる長い表記が出現しがちです。
[21] 日本では王朝交替がないためわざわざ日本、日本国と明記することはほぼありませんが、 他国から日本の元号に言及するときには国名で修飾されることがあります。 日本国内でも他国に触れる時など明記したいときには国名を記述することがあります。
[99] 日本では「北朝」や「日本南朝」のように南北朝時代の朝廷の記述に使われることがあります。
[22]
中文では国名と元号名を並べるだけですが、
日本語では助詞「の」を挟む
(漢文訓読では送り仮名「
[27] 中国や周辺の国名は、自国やいわゆる正統王朝のものは、 大がつくもので書かれたことが多いです。 大の他にも、
のような例があります。
[124] 阮朝越南の意味では「皇朝」もよく使われていました。
[32] 近現代では (引用以外では) 当時の正式な国名 (「漢」や「大漢」) ではなく現在の通称国名で記述する場合が多いです。 例えば新と蜀の間の時代の国を日本語では後漢、 中文では東漢といいます。
[126] 前近代には国号の末尾に「国」をつけることはあまりありませんが、 近現代になるとつけるケースも出てきます。
[130] 朝鮮年表, 森潤三郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/992503/1/3
[176] https://ir.lib.shimane-u.ac.jp/files/public/0/3147/20170425020054849164/a007006h003.pdf
#page=7
皇天保十年歳己亥三月十五日
#page=19
皇安政五年歳在戊午十二月
[137] 刀剣史料 (46), 南人社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/8099939/1/8 (要登録) 左下
皇文政
[36] 元号がない場合、元号名スロットは国名だけになります。 後世に区別のため国名を充てている場合と、 当時から国名で呼んでいた場合があります。
[38] 元号を使わないで建国紀元を使う場合と、 元号を使わないで即位紀年を使う場合があります。
[37] 前者の代表例が中華民国で現在公式に使われている、 民国紀元です。他にも近代に数例あります。
[40] 後者の特殊例として魏前、魏後があります。
[41]
後者の場合は同じ国で歴代君主の多数の紀年法があるので、
当時はともかく後世になると区別のために国名と君主名の組、
または君主名のみで表記します。
春秋戦国時代の諸即位紀年が該当します。
[42] 元号名の前に君主名を書くことがあります。 国名も書く場合は、国名と元号名の間に入ります。
[44] 中国では年表などに示す場合や、 説明的に記述するような時に君主名が挿入されます。 あまり多くはないようです。
[45] 日本では寺社縁起の歴史記述などでよく用いられます。
[46] 中国では国名で、日本では天皇名でおおよその時期を示す機能を持っているのでしょう。 現代では西暦年を併記し天皇名をいちいち書かないことが多いのは、 西暦年が時期を示す機能を持っていることも一因なのでしょう。
[47]
中文では君主名と元号名を並べるだけですが、
日本語では助詞「の」を挟む
(漢文訓読では送り仮名「
[68] 即位紀年では君主名だけを書くか、国名と君主名を書きます (>>41)。
[69] 歴史記述などで文脈上明らかな時は国名や君主名を省略して 「即位」「治世」とだけ書くこともあります。
[48] 元号や即位紀年の天皇名の後に「御宇」と書くことがあります。 御宇は御治世という意味です。 大陸の君主でもたまにあります。
[59] 現代日本のウェブサイトでここに「治世」と書く例が数点見受けられます。 古いものはあまり見つかりません。新たな慣習として成立しつつあるものか、 単にたまたま説明的に書いているだけなのかはまだよくわかりません。
[60] 君主名として天皇を書く時、 前代数を書くことも多いです。代数は「人王第十代」 のような書き方をします。
[63] 人王、仁王は天皇の意味です。神代でなく人代のご歴代ということで人皇と呼んでいます。
[64] 代数は前近代と近代で違うので要注意。前近代は神功皇后を数え、 弘文天皇を数えません。前近代は北朝を数えますが、 近代からは南朝を数えます。
[65] 天皇名は前近代においては、 現在一般的な漢風諡号 + 「天皇」ではなく院や皇帝と書かれ、 和風諡号や宮号が使われることもあります。
[66] 省略形として「天皇」を省くことがあります。
天皇即位紀年では文脈によって明らかな時逆に天皇名を省いて
「天皇」や「即位」などと書くことがあります。
神功皇后や天智天皇のような特殊例もあります。
[128] 三国遺事の朝鮮半島の即位紀年でも王名の前に代数を書いた例があります。
[136] 大田区史 資料編 寺社 1, 東京都大田区史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9642287/1/687 (要登録) 左上
「周第四昭王」など
[73] 君主名は基本的にそれを制定した君主ですが、 次代の代始改元が行われない、または行われる前を表す場合には、 次代の君主が使われることがあります。
[91] 応永年間に後小松天皇は称光天皇に譲位しましたが、 しばらく改元がありませんでした。 譲位後を後小松天皇と書いているものと、 称光天皇と書いているものの両方があります。
[93] 君主名はその元号を制定したと信じられていた者であり、 そのような史実がない古代年号も、伝承上関係する天皇が書かれることがあります。 あくまでそれを書いた人にとっては、それが史実だと信じていたことによるものです。
[98] 君主と元号の組合せが間違っていることもしばしばあります。 天皇の代数が間違っていることもあります。 一般的には代数より君主名が、君主よりも元号が信用できるようですが、 ケースバイケースです。
[129]
似た表現として、
三国遺事
では
「誰々王代何々何年」
のように元号制定者ではなくその時代の朝鮮の王を一緒に書くことがあります。
[100] 建国紀元のとき、 元号名スロットには元期設定の事由となった事象の名称を置くことがあります。 事象名は固有名のこともあれば、一般名詞のこともあります。
[110] 元号名スロットに紀年法の固有名を置くことがあります。
[133]
日本の元号の前に「國曆」と書いた例もあります。