[8] シンガポール、マレーシア、ブルネイでは、 が標準時として用いられています。
[114] 日本の標準時と1時間の時差があり、日本が進んでいます。
[342] シンガポールの法令は「Standard time」を定義していますが、 その名称は定義していません。しかし題名に「Singapore Standard Time」 が含まれる法令が存在しています >>305。 シンガポールの政府機関の Webサイトはシンガポールの標準時を Singapore Standard Time (SST) >>340 と呼んでいます。
[343] かつて tzdata はシンガポールの標準時を SGT と呼んでいましたが、 根拠がないとして削除されました >>99。 しかし現地で使っているという人もいます >>339。
[347] マレーシア政府はマレーシアの標準時を Malaysian Standard Time >>174, >>501, MST >>501 と呼んでいます。
[510] マレーシアの英語の Webサイトではマレーシアの標準時を MYT と書いていることがしばしばあります。 どれだけ一般的なのかはわかりません。
[186] tzdata はマレー半島の Asia/Kuala_Lumpur
(マレーシア)
と Asia/Singapore
(シンガポール) を定義しています。
またボルネオ島北側の Asia/Kuching
(マレーシア)、
Asia/Brunei
(ブルネイ) を定義しています。 >>184
[281] 19世紀末頃まで、マレー半島とボルネオ島では近代的標準時制度が実施されておらず、 各地の地方時が用いられていました。
[221] 各資料は、各地の元々の地方時を次のように示しています。
[166] Penang、Malacca、シンガポールにはそれぞれ観象台があり、 当地地方時を用いていました >>142, >>5。
[282] Shanks の MALAYSIA の #1 (Sarawak, Sabah, Labuan 以外) と SINGAPORE は、 から としています (それ以前は LMT) >>111。
[161] Wikipedia は、 1880年にマレー半島でシンガポールの地方時 が標準時として採用されたとしています >>142。 かつては tzdata も同様としていました >>177。
[47] 1893年の新聞記事によると、 英領海峡植民地シンガポールの Fort Canning と Pulau Brani の報時球は、 日曜日を除く毎日、に落下されていました。 5分前に巻き上げられ、時刻になると落下させます。2つの報時球の一方または両方が電気的に正常に動作しなかった時は、 そのまま5分間待ってから、手動で降ろされます。その場合、時刻信号として信頼してはいけません。 ここで、 = GMT とされています。 >>46 つまりシンガポール平均時は となります。
[43] この頃のシンガポールの新聞には、 Fort Canning および Pulo Brani の報時球の報時結果の欄がありました。 何年も継続して掲載されており、後の時代には標準時 であることが明記されています。この時代はまだシンガポール平均時が使われており、 シンガポール平均時 は GMT とされています >>44。つまりシンガポール平均時は となります。
[92] 1899年の Milne の時差の表にある英国政府提供の情報によると、 Penang では が、 Singapore では が用いられていました。 >>93
[94] 同時期の電信各社は、 Borneo 、 Malacca 、 Penang 、 Singapore としていました >>93。
[203] >>6, >>142, >>5, >>184, >>40、 英領海峡植民地 >>142, >>5, >>6, >>40 と英領マレー連合州 >>142, >>5, >>40 がシンガポール平均時 >>6, >>142, >>5, >>40 を標準時としました。
[224] 官報により告示されたと駐新嘉坡日本領事館から に報告されています >>6。
[223] それまで海峡植民地の標準時はなく、地方時が使われていたといいます >>6。
[42] には、 Pinang Gazette (紙名から推測するに英領海峡植民地管下ペナンの新聞) が、シンガポール平均時をマラヤに適用するのは不合理だと批判していました >>41。
[284] tzdata の
Asia/Kuala_Lumpur
>>184、その出典は >>5 と
Asia/Singapore
は、
を境に
としています。
[34] の新聞報道によると、香港の標準時制定をうけて、 英国北ボルネオ会社の director はラブアンと北ボルネオの標準時制定を指示しました >>22, >>60, >>61 (付北ボルネオ社書簡 >>60)。 香港は末に標準時 を制定しましたので、 それに倣って英領北ボルネオと英領ラブアンの標準時 が制定されたものと思われます。
[496] の米国の新聞報道は、 「最近植民地局も、 を香港と他の域内英国植民地の法的時刻とすることを決めた」 としていました。この「zone 内の植民地」が具体的にどこを指すのか不明ですが、 英領北ボルネオや英領ラブアンが該当する可能性もあります。 (あるいは新界などを指しているのかもしれませんが...)
[167]
>>142, >>5, >>184 Asia/Kuala_Lumpur
, Asia/Singapore
、
英領海峡植民地および英領マレー連合州が
を標準時としました >>45, >>142, >>5。
[160] この標準時はに制定されました。 >>142, >>5
[286] これによって一時的にインドシナ半島の大部分が共通のインドシナ時間 で統一されました。
[272] Time Changes の MALAYA は、 Labuan 以外について、 から標準時 (それ以前はシンガポールの地方平時 103.51E (= )) としていました >>1256。
[115] Shanks の MALAYSIA の #1 (Sarawak, Sabah, Labuan 以外) と SINGAPORE は、 から としていました >>111。
[159] Wikipedia は、シンガポール >>10, >>11 とマレー半島 >>142 を以降 としつつ、 から正式に印度支那時間を採用したとも述べています >>11。前日に官報告示か何かがあったのか、あるいは深夜に切り替えがあったのか、 その意味するところは不明です。
[245] 1913年に日本で出版された書籍は、 英領ボル𛂘オを としていました >>246。
[52] の新聞報道によると、ケダは を標準時としました。 従来視太陽時を用いていたので、それと比べて季節により2分から30分の時差がありました。 >>51
[64] 大正9年の書籍には、 英領North Borneo, Labuan が 、海峡殖民地、Federated Malay States が とありました >>63。
[168] 1920年、 海峡植民地立法評議会に を採用する日光節約法案が提出されましたが、廃案となりました。 英国本国に倣ったものでしたが、30分は進めすぎであるなど否定意見があったといいます。 >>142, >>5
[222] 、 英領海峡植民地および英領マレー諸州は、 通年夏時刻 を採用しました >>142, >>5, >>10, >>11, >>1。
[169] 1932年、海峡植民地立法評議会に を採用する日光節約法案が提出され、 2回の審議を経て成立しました。 それを受けて政庁が1932年政令第21号 1932年日光節約令 として施行しました。 >>142, >>5
[225] これは英領海峡植民地での決定ですが、 ジヨホール政府 (非連合州) もそれに追随し、「馬來聯邦其他ノ馬來諸州」 でもこの時刻が用いられることになる >>2, >>3 と当時報告されており、 事実上マレー半島全体に自動的に適用される状況だったようです。
[21] ただし海峡植民地管内でもラブアン島とクリスマス島には適用されませんでした >>19。
[273] Time Changes の MALAYA は、 Labuan 以外について、 から標準時 としていました >>1256。
[116] Shanks の MALAYSIA の #1 (Sarawak, Sabah, Labuan 以外) と SINGAPORE は、 から としています >>111。
[181] tzdata の Asia/Kuala_Lumpur
と Asia/Singapore
は、を境に としています >>184 (出典 >>5)。
[4] 期間は1年間とされていました >>142, >>5, >>2, >>3 が、 総督が1年以内の期間を定めて官報で告示することで延長できるともされていました >>2, >>3。
[170] 実際に1934年と1935年は英領海峡植民地官報告示により延長されました >>142, >>5。 他のマレー諸州も同様に延長されたものと思われます。
[171] 更には英領海峡植民地1935年政令第5号 Daylight Saving (Amendment) Ordinance 1935 >>336 によって日光節約令が改正されて期限が撤廃され、 以後都度延長の必要無く となりました。 >>142, >>5
[172] 日光節約令は1936年版 The Laws of the Straits Settlements に第170章として収録されています >>142, >>5。
[287] 英領ボルネオには英領サラワク、英領ブルネイ、英領北ボルネオがあり、 すぐ近くに英領ラブアンがありました。この4地域はそれぞれの歴史を持ち、 それぞれ別個に統治されてきましたが、現在はブルネイ以外は東マレーシアと呼ばれ、 マレーシアの一部となっています。現代の文献では東マレーシアとして、 あるいはマレーシアとして一括りにされていることが少なくありません。 また当時であっても、「ボルネオ」という曖昧な表記でその一部地域のことを指す場合がありました。 そのためこの地域の過去の標準時に関する情報には混乱が見られます。
[71] 1925年の米国政府の情報によると、 マレー連合州と海峡植民地は 、 ラブアン島と英領ボルネオは でした >>70。
[15] 発行の日本の文献によると、 Sarawak、Burunei、Labuan、British North Borneo の標準時は でした >>178。 ただしこれはなぜか Labuan の項にだけまとめて記載があり、 その他の地域の項には標準時の何の言及もありませんでした。 はちょうど Labuan の経度です。
[59] の新聞記事によると、「最近」 官報に掲載された政令により、 サラワク標準時 が制定されました >>58。
[288] 制定にあたりサラワク国内の地方政庁の地方時を調査した結果は、 次の通りとされていました >>58。これがそれまで各地で使われていた時刻と考えられます。
[189] サラワク標準時 はこれらの中間の値として選択されました >>58。
[264] 標準時実施に伴い、 Kuching Wireless Station が毎日報時信号を受信し、 サラワク国内の地方政庁に報時するととなった >>58 といいます。
[311] この新聞記事によると、隣接する英領北ボルネオは 、 海を挟んだ英領マラヤは でした >>58。 英領ブルネイや蘭領ボルネオには言及がありませんでした。
[275] Time Changes の SARAWAK は、 から標準時 としていました >>1256。
[112] Shanks の MALAYSIA の #2 (Sarawak, Sabah) と BRUNEI は、 から としていました (それ以前は LMT) >>111。
[198]
tzdata の Asia/Kuching
は Shanks & Pottenger を出典に、
を境に としています >>184。
[187] tzdata の Asia/Brunei
は、
を境に としています >>184。
[289] Wikipedia 記事は婆羅洲について から としています >>1。
[298] 英領ブルネイの標準時について同時代の言及は見つかっておらず、 本当にこの時に となったのかどうか、肯定も否定もできません。
[96] の米国政府の情報によると、 英領マラヤと英領海峡植民地は 、 ラブアン島は 、 英領サラワクと英領ブルネイは 、 英領北ボルネオは でした >>95。
[109] 日本政府の1927年版の情報では、 Sarawak (Borneo) の Kuching の報時信号を としていました >>108。
[65] 日本政府の時間帯図は、ボルネオ北部 (英領の3地域) について、 当初 のみで塗っていますが、後の版では英領北部ボルネオのみ 、英領サラワクと英領ブルネイは で塗っています。不鮮明ですが、1929年版までは1色、 1931年版以降は2色のようです。ラブアン島は描かれておらず不明です。 >>66
[247] 1932年出版の日本の文献によると、 英領北部ボルネオでは 、サラワーク (ボルネオ) では でした >>248。
[249] 1934年出版の日本の書籍には、 サラワクは とありました >>250。
[276] Time Changes の SARAWAK は、 から標準時 としていました >>1256。
[113] Shanks の MALAYSIA の #2 (Sarawak, Sabah) と BRUNEI は、 から としていました >>111。
[291] tzdata の Asia/Kuching
は、 Shanks & Pottenger を出典に、
1933年を境に としています >>184。
[292] tzdata の Asia/Brunei
は、
1933年を境に としています >>184。
[158] Wikipedia 記事は、婆羅洲について 1933年から としています >>1。
[188] 別の Wikipedia 記事は、 サラワクについて から としています >>142。
[295] これらの情報の根拠は不明です。 英領サラワクについても英領ブルネイについても、 これより後の時代に が標準時であるとする情報がある一方、 1933年に が標準時となったとする同時代の情報は見つかりません。 1947年時点では英領北ボルネオと英領ブルネイで が、 英領サラワクで が用いられていました (>>270)。 しかし英領サラワクでも英領ブルネイに近い地域では、第二次世界大戦前から が使われていた (>>57) といいます。 であるなら、1933年かどうかは不明ながら、 英領ブルネイでも が使われた可能性は高いでしょう。
[35] 1932年のサラワク人からの新聞投書には、 Kuching では20分の夏時刻が1929年以来実施されている (9月末-1月はじめが冬時間) とありました >>27。
[18] 1932年、英領北ボルネオ (英屬北婆羅洲) は海峡植民地に倣って夏時刻を導入するか検討しました >>26, >>30 が、、 政府当局は日光節約法案を提案しないことに決定しました >>25, >>17。
[323] 1935年の米国政府の時差の表には、 Borneo のうち British North Borneo (Labuan). が 、 Dutch Borneo と Sarawak が で Java time とありました >>324。 Sarawak は の midnight から の midnight まで20分の夏時刻とされていました >>324。 英領ブルネイには言及がありません。
[277] Time Changes の SARAWAK は、 1935年から1942年の間、 からに20分進める夏時刻が実施され、 0時に切り替えられていた >>1256 としていました。
[293] Shanks の MALAYSIA の #2 (Sarawak, Sabah) は、 1935年から1941年の間、 0時0分から 、 0時0分から の変更が繰り返されたとしていました >>111。
[294] tzdata の Asia/Kuching
は、
1935年から1941年の間、
0時に20分進め、
0時に戻したとしています >>184。
[164] Wikipedia 記事も、婆羅洲について からの間、 20分の夏時刻を実施したとしています >>1。
[296] 英領サラワクで20分の夏時刻が実施されたことは確実なのでしょうが、 当時の標準時が何だったのか、期間はいつからいつまでだったのか、 確定させられる情報が見当たりません。
[32] 1938年のシンガポールの新聞記事は、 夏時刻0時5分 (旧標準時前日23時45分) 出生の子供を当日生まれとみなすべきか前日生まれとみなすべきか、 と問題提起していました >>33。
[157] 、英領海峡植民地および英領マレー諸州は、 を通年夏時刻としました >>142, >>1, >>10, >>11, >>184。
[199] これは、英領海峡植民地1941年政令33号によって日光節約令が改正されたことによるものでした >>142, >>5。
[14] 日本の昭和14年-昭和19年の暦には、次の通り記載されていました。
[512] A31_0525_152(096)2663.pdf, , https://www2.i-repository.net/il/user_contents/02/G0000002chosakai/A31_0525_152(096)2663.pdf
- レコードNo.
- A31_0525_152(096)2663
- タイトル
- 同盟旬報 第5巻 第25号(通号152号)
- 巻数
- 第5巻
- 号数
- 第25号
- 掲載年
- 1941年
マレー標準時繰上げ|9月2日
[191] 日本軍は中央標準時 を軍用時として使っていました。 その軍政下にあったマレー半島やボルネオ島の各地の標準時としても が使われたと言われています。しかしその法的根拠や開始・終了の実態は不明瞭です。
[227] 名目上は夏時刻として実施された >>11 とするものもありますが、 その根拠は不明です。
[200] 各文献における への移行時期は、次の通りです。 日付は確実な資料や当時の記録に基づくものではなく、 戦局から推測した時期を示しているに過ぎないと思われます。
[132] Shanks の MALAYSIA の #3 (Labuan) はこの時期に変更を示していません >>111。
[201] Shanks の BURUNEI や tzdata の Asia/Brunei
はこの時期に変更を示していません。
[79] のシンガポールの新聞は、 数日前 (a few days ago) の Penang Radio の報道によれば Malaya では以後 Tokyo Time を使うことになった >>78 としていました。
[82] 以後のシンガポールの新聞にしばしば掲載されている大日本帝国の軍政当局から住民に対する案内には 「(Tokyo time)」のような注記が見られました >>81。 注記が当局の発表に由来するのか、新聞社で加えたのかは不明ですが、 市内で従来の時刻も用いられていて明確化する必要があったことがうかがえます。
[88] また、軍政府関係以外の記事でも、時刻は中央標準時が使われるようになったようで、 同様の注記が見られます。 Tokyo Time は、省略して T.T. とも表記されました >>87。 NIPPON TIME と表記されることもありました >>90。
[86] 住民も徐々に慣れていったのか、 Tokyo Time と明記された時刻は徐々に減っていくようですが、 確認できる中ではまで、注記付き時刻の例 >>85 が見られました。
[84] 現地時刻 と Tokyo Time が併記されることもありました >>83。 いつまで行われたのかは不明ですが、の記事 >>89 でも併記されたものがありました。
[134] シンガポールの住民は、 家では旧時刻を、腕時計では を使ったといいます >>10。
[91] この時期のシンガポールでは、 年号も西暦にかわって皇紀と昭和が用いられました。 新聞の日付表記は皇紀となっていました。
[502] 日本統治時代の昭南市に関する近年の書籍に 「昭南時代の結婚証明書と写真」 として掲載された書類 (の写真) >>503 254ページ は、中文で記載されており、 「結婚証明書」らしきものには 「中華民國參拾壹年參」 (以下隠れて見えず)、 記念写真下には 「昭和十七年三月卄五日」 とありました。いずれも日付は1942年であり、 写真下には「昭南島」と書かれていますから、 当時の昭南市で作成された支那人 (華僑) のものと思われますが、 詳細は説明されておらず「結婚証明書」の大部分は隠れていて読めません。 日本の元号だけでなく大日本帝国と同盟関係にあった中華民国の民国紀元が使われたとしても違和感はありませんが (日本統治前から華僑の間では使われていたのでしょうか)、 「結婚証明書」だとするといかなる組織がいかなる権限で発行したのでしょうか。
[98] サラワクでは、第二次世界大戦後の標準時改正 (>>57) の際に、 戦時中 Sarawak Standard Time が変更されて混乱があった (ので標準時改正に反対だ) と華僑が述べたのに対し、 戦時中 Tokyo Standard Time = Sarawak Standard Time + 1:30 が使われて混乱もあったかもしれないが、今般の改正は30分しか違わない、 と標準時改正を推進する当局の担当者は反論していました >>56。
[49] 日本軍支配下のケダ等で が実施されたのかどうか不明ですが、 タイ領となった後タイの標準時 に移行した可能性もあります。
[29] の新聞報道によると、前日夜のシンガポール英軍政府放送で、 以後マラヤではの前の時刻 を用いる旨の発表があったようです >>28。 従って、までが 、 からが とするべきでしょう。
[297] これをシンガポールを含むマラヤと解釈して良いのかどうかは不明瞭です。 また英領ボルネオの事情は不明です。
[269] のシンガポールの新聞には、 GMT が Malayan time とあります >>268。 Malayan time は ということになり、謎です。
[50] クランタン、ケダ、トレンガヌ、プルリスは、 1946年にタイからイギリスに返還されました。 時刻もいずれかのタイミングで に戻されたと思われます。
[513] catalogue_rev2_R3.pdf, , https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/exhibition/2021/images/catalogue_rev2_R3.pdf#page=35
[258] 1947年当時の英領各地当局間の文書の要約には、 次のようにありました >>255 。
[270] つまりこの当時英領北ボルネオと英領ブルネイが 、 英領サラワクと英領マラヤと英領シンガポール、 それに蘭領ボルネオが だったことになります。
[37] の新聞報道によると、 英屬婆羅洲3政区のうち汶萊と北婆羅では が、 砂朥越では が使われていて不便であるため、 に統一することが検討されていました >>36。
[57] 開催の Standing Committee for General Purposes and Traffic や 開催の Kuching Municipal Board では、支那人から占星術で不便などとする反対意見もあったものの、 から に移行する方が利点が多いと結論付けられたようです。 Miri の油田は英領ブルネイにまたがっており、 時差があって不便であることも指摘されていました。 また英領サラワクの中でも Fifth Division (ブルネイ寄りの地域) では を戦前から使っていたといいます。 シンガポールと時差が生じる点は、支障ないとされました。 >>56
[215] 付けの航空時刻表には、次のようにあります >>193。
[315] 1950年版の英領サラワクの報告書によると、 Standard Time (Amendment) Ordinance によりサラワクの標準時が から に変更され、 英領サラワク、英領ブルネイ、英領北ボルネオの時刻の統一が実現しました >>314。
[274] Time Changes の MALAYA は、 1960年までに標準時 としていました >>1256。 MALAYSIA は、 1960年代までに標準時 、 ただし Sabah と Sarawak は標準時 としていました >>1256。
[278] Time Changes の SINGAPORE は、 標準時 、 1960年代から標準時 としていました >>1256。
[122] Shanks の MALAYSIA の #1 (Sarawak, Sabah, Labuan 以外) と SINGAPORE は、 から としていました >>111。
[107] 、英領サラワクの標準時が に改められました。まで でしたが、30分進めて5月から になりました。 >>100
[251] 付け航空時刻表には、次のようにありました >>127。
[337] 2017年出版の書籍には、 1955年に Sarawak を含む British Borneo で夏時刻が実施され、 おそらく他の年も実施された >>336 とあります。根拠は不明です。
[210] 1955年版The Laws of the Colony of Singapore では、 日光節約令は第266章に改番されて収録されていました。 第2章 Interpretation and General Clauses の第41節2項では、標準時が と定義されていました。 >>5
[55] ブルネイの法解釈及び一般条項に関する法律は、1959年の成立から2001年改訂までのいずれかのタイミングで、 (または官報で告示した時差) を標準時と規定しています >>31。
[23] 1965年7月10日の新聞報道の連邦政府担当相の話によると、 当時サバ州と標準時統一で同意しており、その方法を協議していたようです。 サバ州政府は、両岸が15分ずつずらして統一することを提案していました。 >>24
[211] 1970年版 The Statutes of the Republic of Singapore には、 日光節約令が収録されていませんでした。 標準時の定義は改番されて第3章 Interpretation Act 第52条2項となっていました。 >>5
[183] Wikipedia は1970年にシンガポールが を通年夏時間から標準時に改めた >>117 としていますが、 この廃止のことを指していると思われます。
[38] 1977年、シンガポールでは更に時刻を早めることが提案されましたが、 合意は得られませんでした >>39。
[280] Time Changes の BRUNEI は、 標準時を としていました >>1256。
[196] 、西マレーシア = マレー半島とシンガポールは、 標準時を に改めました >>10, >>11, >>184。
[202] 1981年 >>5、マレーシア政府は東西マレーシアの標準時を統一することに決定しました。 マレーシア法律第261号1981年マレーシア標準時法として に制定されました >>299。
[331] この改正は、マレーシア国内に30分の時差があるための不便と混乱を解消するために行われました。 東マレーシアの が採用されたのは、日光節約効果があることと、 UTC と整数時差であることが理由でした。 >>330
[335] 、 マレーシア連邦政府の副首相の Datuk Musa Hitam は、 からサバ・サラワク時間を採用しマレーシア標準時を統一することを発表しました。 >>500, >>334
[332] マレーシア首相の Dato’ Mohamed Nasir は、 にマレーシアの元老院に、 にマレーシアの衆議院に The Malaysian Standard Time Bill を提出しました。 法案は原案通り承認され、 に国王 Yang di-Pertuan Agong により公布、 に官報に掲載されました。 >>330
[128] シンガポールの MINISTRY OF TRADE AND INDUSTRY の 付け報道発表によると、 シンガポール訪問中のマレーシア首相 Dato Seri Dr Mahathir Mohamad からシンガポールの首相にマレーシアの標準時変更の通知があり、 シンガポールも追随することとなりました。 Interpretation Act に基づく官報告示により をもってに移行する、 関係国際機関にも通報する、とあります。 >>124, >>126
[243] 付けシンガポール政府官報告示 S 392/81 によりシンガポールの標準時は改正されました >>5。
[244] マレーシア法でもシンガポール法でも、 GMT のをもってとされました >>299, >>305。 東マレーシアでは元の時刻から変更なしですが、 西マレーシアおよびシンガポール (マレー半島) については、 に30分進め、 とした >>1, >>142 こととなります。
[333] マレーシアのクアラルンプルの Selangor State Secretariat building の時計塔では、 Ching Hin Sian ら5人が から時刻調整を始めました。 Radio Malaysia の時報を聞きながら作業を進め、 には Radio Malaysia と同時に 0時の鐘が鳴らされました。 >>334 (作業中の写真あり)
[180] tzdata の Asia/Kuala_Lumpur
と Asia/Singapore
は、を境に としています >>184 (出典 >>5)。
[153] シンガポールについては、 が となった >>5 といいます。
[213] 1985年版 The Statutes of the Republic of Singapore では、 標準時の定義は改番されて第1章 Interpretation Act 第52節2項となりました。 >>5
[307] に1990年版としてシンガポールの告示 S 392/81 Singapore Standard Time Notification が改正されています >>305。
[173] 以来、 マレーシアでは、 内閣の委託により National Metrology Laboratory (Sirim) が保時を担当しています。 SIRIM の保持する原子時計に基づき現示されている時刻は UTC(NMLS) と呼ばれています。 >>174
[507]
なおマレーシアではグレゴリオ暦・西暦のほか、
イスラム暦も使われています。
かつては即位紀年が使われたようですが、
現在も使われているかは不明です。
[344] 現在シンガポールでは、 National Metrology Centre (NMC) Time & Frequency Laboratory が保時、報時を担当しています。 >>340
[345] NMC の保持する原子時計と BIPM を通じた国際比較の結果シンガポールで 1997年以来現示されている時刻は UTC(SG) と呼ばれています >>340。シンガポール標準時は UTC(SG) に8時間を加えたものとされています >>340。
[346] シンガポール標準時は、 Network Time Service (NeTS) と呼ばれる Time protocol, Daytime protocol, NTP による配布や、 Automated Computer Time Service (ACTS) と呼ばれる電話線を用いてアナログモデムで受信する無料電話サービスにより国内に配布されています >>340。
[214] 1999年版 The Statutes of the Republic of Singapore では、 標準時の定義は改番されて第1章 Interpretation Act 第51節2項となりました >>5。 2000年版 Subsidiary Legislation でも Chapter 1, Section 51(2) にあります >>5, >>304 = 現行版。
[308] にシンガポールの告示 S 392/81 Singapore Standard Time Notification が改正されています >>218。 以前の版にあった旧時刻との関係が置き換えられて、「GMT より8時間進んでいる」 という規定になっています。
[309] 議会通過、制定のシンガポールの Statutes (Miscellaneous Amendments and Repeal) Act 2001 により、シンガポールの Interpretation Act 第51節2項が改正されました >>306。 GMT 基準から UTC 基準に置き換えられると共に、 UTC との時差が大統領の官報の告示によって変更できる旨の記述が追加されています。
[312] マレーシアのサラワク州の Interpretation Ordinance , 2005 には時刻を原則 standard time と解釈するとの規定がありますが、 その標準時自体の定義は含まれていません >>313。
[316] インドネシア領ボルネオでも、 一部でサラワクの標準時 が越境して用いられているようです。
[257] DAYLIGHT SAVING ( ()) http://www.nas.gov.sg/archivesonline/government_records/record-details/8e8b264b-1159-11e3-83d5-0050568939ad
[352] シンガポールが通年夏時刻を採用している理由について、 経済的理由から中国や香港と揃えていると主張する人が多いです。 しかしその主張の明確な根拠を示しているものはありません。
[353] 英国が強制したと主張する人もいますが >>73, >>349 (シンガポールと香港はともに旧英領だったからということでしょうか)、 シンガポールの現標準時採用は独立後ですから、 明確な誤りです。
[354] 1982年のシンガポールの標準時改正は西マレーシア追随が理由とされており、 西マレーシアの標準時改正は東西マレーシアの時差撤廃が理由とされています。 1950年に東マレーシアが で統一されたのは、 それが地理的に自然だったからです。 1904年に東マレーシアの一部に当たる旧英領北ボルネオの標準時として が採用されたのは香港の標準時制定がきっかけでしたが、 さすがにそれを根拠にシンガポールを云々と議論するのは無理筋でしょう。
[355] 中国、香港、華僑が云々というのは、 シンガポールにとって現標準時が好ましい理由、 再変更しない理由ではあるかもしれませんが、 現標準を選んだ理由としては誤りです。
[13] タイの標準時、印度支那標準時、インドネシアの標準時、 マレーシアの標準時も参照。
[69] The Straits Times, 4 June 1920, Page 10 - DAYLIGHT SAVING. () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200604-1.2.66.aspx
Territories occupied by Japan during World War II, including Singapore and Malaya, adopted Japan Standard Time for the duration of their occupation, but reverted after Japan's surrender.
[338] Remove unused letters from Rule lines (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/ed991472a575483e35d21b2b8d7bad84d2923d54
[356] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., Malaya Tribune., 9 September 1920, Page 4 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19200909-1.2.11
[357] Newspaper Article - Daylight Saving in Malaya., Malaya Tribune., 15 June 1916, Page 3 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19160615-1.2.6
In December 1942 the official name of the country became “Malai”, and like the rest of Southeast Asia it was forced to adopt Japanese time, two hours ahead of Malayan time. Office hours were 10 a.m. to “2 noon”, 3.30 to 5.30 p.m., and on Saturdays 10 a.m. to “2 noon”, making a working day that was shorter than under the British. The reason, according to a government circular, was to give officers a chance “to study Nippon-go [Japanese language] with vigour”, but civil servants also needed time to tend their vegetable plots as part of the Grow More Food Campaign. 17]
17 Penang Shimbun, 10 Dec. 2602; Perak Secretariar Circular 21, 8 Oct. 2602, Pejabar Hutan Perak 56/2602. In May 1943 the afternoon working hours were changed to 3-5 p.m., and in November 1943 offices began to open for two hours on Saturday afternoons.
[364] Newspaper Article - Daylight Saving., The Straits Times, 22 May 1920, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200522-1.2.46
[365] Newspaper Article - TIME SIGNALS., Malaya Tribune, 11 January 1933, Page 15 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19330111-1.2.141
[366] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., Malaya Tribune, 11 January 1933, Page 7 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19330111-1.2.50
[367] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., Malaya Tribune, 29 July 1932, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19320729-1.2.19
[368] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., Malaya Tribune, 29 July 1932, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19320729-1.2.21
[369] Newspaper Article - 'DAYLIGHT' SAVING NOT VERY SATISFACTORY FOR MALAYA, Malaya Tribune, 1 September 1941, Page 5 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19410901-1.2.48
[370] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., Malaya Tribune., 28 May 1920, Page 4 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19200528-1.2.7
[371] Newspaper Article - Daylight Saving: A Compromise, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 10 June 1941, Page 7 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19410610-1.2.57
[372] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., Malaya Tribune, 26 September 1932, Page 9 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19320926-1.2.54
[373] Newspaper Article - Untitled, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 22 June 1933, Page 4 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19330622-1.2.26
[374] Newspaper Article - Daylight Saving, Malaya Tribune, 22 July 1941, Page 11 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19410722-1.2.88
[375] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 30 November 1932, Page 347 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19321130-1.2.65
[376] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 26 September 1932, Page 9 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19320926-1.2.63
[377] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 25 November 1932, Page 9 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19321125-1.2.59
[378] Newspaper Article - DAYLIGHT BILL., The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 6 July 1908, Page 5 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19080706-1.2.21
[379] Newspaper Article - CLOCKS ON., Singapore Daily News, 17 December 1932, Page 4 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singdailynews19321217-1.2.53
[380] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING BILL., The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 2 July 1920, Page 12 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19200702-1.2.51
[381] Newspaper Article - Untitled, The Straits Times, 3 July 1920, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200703-1.2.32
[382] Newspaper Article - Untitled, The Straits Times, 17 June 1920, Page 24 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200617-1.2.24
[383] Newspaper Article - Untitled, The Straits Times, 26 June 1920, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200626-1.2.34
[384] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., The Straits Times, 12 July 1932, Page 11 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19320712-1.2.51
[385] Newspaper Article - Untitled, The Straits Times, 31 October 1933, Page 14 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19331031-1.2.86
[386] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 17 December 1932, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19321217-1.2.89
[387] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., Malaya Tribune, 16 July 1932, Page 9 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19320716-1.2.48
[388] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., Malaya Tribune, 17 December 1932, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19321217-1.2.45
[389] Newspaper Article - Mean Time and the Daylight Saving Hill., Malaya Tribune., 29 June 1916, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19160629-1.2.80
[390] Newspaper Article - F.M.S.R. & Daylight Saving Ordinance, Malaya Tribune, 30 August 1941, Page 3 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19410830-1.2.36
[391] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 30 August 1934, Page 4 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19340830-1.2.37
[392] Newspaper Article - PENANG & DAYLIGHT SAVING., The Straits Times, 29 August 1934, Page 12 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19340829-1.2.66
[393] Newspaper Article - Daylight Saving., The Straits Times, 11 June 1920, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200611-1.2.40
[394] Newspaper Article - Daylight Saving., The Straits Times, 9 June 1920, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200609-1.2.42
[395] Newspaper Article - Daylight Saving., The Straits Times, 14 June 1920, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200614-1.2.41
[396] Newspaper Article - Daylight Saving., The Straits Times, 10 June 1920, Page 6 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200610-1.2.37
[397] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., The Straits Times, 17 December 1932, Page 12 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19321217-1.2.68
[398] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., The Straits Times, 1 November 1932, Page 11 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19321101-1.2.73
[399] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING, The Straits Times, 19 September 1932, Page 12 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19320919-1.2.69
[400] Newspaper Article - Support For More Daylight Saving, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 25 December 1941, Page 6 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19411225-1.2.61
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[402] Newspaper Article - Talk On Daylight Saving, Morning Tribune, 30 August 1941, Page 9 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/morningtribune19410830-1.2.65
[403] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., Malaya Tribune, 2 January 1934, Page 11 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19340102-1.2.121
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[405] Newspaper Article - Penang Daylight Saving., Malaya Tribune., 30 June 1920, Page 4 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19200630-1.2.10
[406] Newspaper Article - Daylight Saving., Malaya Tribune., 15 September 1920, Page 4 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19200915-1.2.10
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[409] Newspaper Article - Legislative council, The Straits Times, 18 August 1920, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200818-1.2.44
[410] Newspaper Article - Untitled, The Straits Times, 24 December 1932, Page 12 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19321224-1.2.76
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[413] Newspaper Article - Daylight Savings Ordinance., The Straits Times, 13 June 1935, Page 16 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19350613-1.2.120
[414] Newspaper Article - DAYLIGHT, The Straits Times, 14 May 1953, Page 6 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19530514-1.2.94.3
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[417] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., The Straits Times, 15 September 1920, Page 9 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200915-1.2.65
[418] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., The Straits Times, 7 November 1932, Page 19 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19321107-1.2.108.4
[419] Newspaper Article - LEGISLATIVE COUNCIL MEETING., The Straits Times, 20 September 1932, Page 18 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19320920-1.2.109
[420] Newspaper Article - Daylight saving: More energy would be used, New Nation, 22 July 1979, Page 7 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/newnation19790722-1.2.33
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[422] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING, Malaya Tribune, 3 December 1934, Page 11 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19341203-1.2.78
[423] Newspaper Article - Daylight Saving, Malaya Tribune, 12 January 1937, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19370112-1.2.49
[424] Newspaper Article - Daylight Saving., The Straits Times, 30 June 1920, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200630-1.2.43
[425] Newspaper Article - Daylight Saving., The Straits Times, 14 June 1920, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200614-1.2.78.1
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[427] Newspaper Article - TIME SIGNALS., Singapore Daily News, 11 January 1933, Page 2 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singdailynews19330111-1.2.29
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[429] Newspaper Article - NOTES & COMMENTS Daylight Saving, Malaya Tribune, 4 January 1937, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19370104-1.2.69
[430] Newspaper Article - Clocks Advanced Ten Minutes, Sunday Tribune (Singapore), 31 August 1941, Page 2 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/sundaytribune19410831-1.2.32
The Straits Times 5 June 1954 AP Microfilm Reel NL1768
Magsaysay has had enough MANILA. Frl. President Ramon Magsaysay has decided the Philippines has enough daylight saving time. He Issued a proclamation last nlghi saying the country would return to standard time hi miriniKlit oo Friday. D.r. Ughi .saving time was to have continued until June 30.— A.P. I
[432] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING BACKED IN S'PORE, The Straits Times, 8 December 1947, Page 5 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19471208-1.2.50
[433] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., Sunday Tribune (Singapore), 25 June 1933, Page 5 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/sundaytribune19330625-1.2.39.6
[434] Newspaper Article - NOTES & COMMENTS Daylight Saving, Malaya Tribune, 27 January 1937, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19370127-1.2.52
[435] Newspaper Article - Daylight Saving, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 3 December 1934, Page 6 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19341203-1.2.48
[436] Newspaper Article - Daylight Saving, Malaya Tribune, 2 August 1934, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19340802-1.2.65
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[442] Newspaper Article - Daylight Saving., The Straits Times, 5 June 1920, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200605-1.2.43
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[446] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., The Straits Times, 15 June 1932, Page 12 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19320615-1.2.70.2
[447] Newspaper Article - Daylight Saving., The Straits Times, 8 June 1920, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200608-1.2.39
[448] Newspaper Article - Daylight Saving., The Straits Times, 6 November 1920, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19201106-1.2.47
[449] Newspaper Article - Singapore Clerical Union., The Straits Times, 3 July 1920, Page 9 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200703-1.2.66
[450] Newspaper Article - Further 10 Mins. Daylight Saving, Malaya Tribune, 27 August 1941, Page 3 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19410827-1.2.30
[451] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING, Malaya Tribune, 1 December 1934, Page 9 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19341201-1.2.67
[452] Newspaper Article - ROUND MALAYA IN FIVE MINUTES Seremban., Malaya Tribune, 14 October 1933, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19331014-1.2.70
[453] Newspaper Article - THE CINEMAS., Malaya Tribune, 4 January 1933, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19330104-1.2.66
[454] Newspaper Article - THAT DAYLIGHT SAVING BILL., The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 15 September 1920, Page 6 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19200915-1.2.19
[455] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 31 December 1932, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19321231-1.2.90
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[458] Newspaper Article - Daylight Saving., The Straits Times, 26 July 1910, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19100726-1.2.91.2
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[462] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., The Straits Times, 25 August 1932, Page 12 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19320825-1.2.78
[463] Newspaper Article - CHINESE STUDENTS., The Straits Times, 2 October 1932, Page 11 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19321002-1.2.72
[464] Newspaper Article - Advance Your Clocks To-night, The Straits Times, 31 August 1941, Page 9 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19410831-1.2.82
[465] Newspaper Article - EARLY CLOSING., The Straits Times, 27 January 1933, Page 12 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19330127-1.2.83.3
[466] Newspaper Article - Daylight Saving., Malaya Tribune., 8 July 1920, Page 6 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19200708-1.2.43
[467] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING IN MALAYA, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 22 October 1934, Page 4 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19341022-1.2.25.22
[468] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING AND SCHOOLS., The Straits Times, 16 July 1932, Page 18 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19320716-1.2.124.3
[469] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., The Straits Times, 28 September 1933, Page 12 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19330928-1.2.77
[470] Newspaper Article - The Straits Times Singapore, Saturday, Dec. 20, 1947 "TOKIO TIME", The Straits Times, 20 December 1947, Page 6 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19471220-1.2.31
[471] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., Malayan Saturday Post, 16 November 1929, Page 22 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/malayansatpost19291116-1.2.39
[472] Newspaper Article - LOCAL RATEPAYERS, Malaya Tribune, 28 August 1934, Page 11 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19340828-1.2.91
[473] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., Malaya Tribune, 31 December 1932, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19321231-1.2.72
[474] Newspaper Article - Daylight Saving Is Supported, The Straits Times, 9 December 1947, Page 7 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19471209-1.2.58.1
[475] Newspaper Article - Earlier Closing Advocated, The Straits Times, 13 December 1947, Page 9 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19471213-1.2.71.3
[476] Newspaper Article - Malayan Time To Be Advanced Next Week, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 26 August 1941, Page 7 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19410826-1.2.74
[477] Newspaper Article - S'PORE ROTARIANS FAVOUR MORE DAYLIGHT SAVING, Malaya Tribune, 15 July 1941, Page 3 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19410715-1.2.31
[478] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., The Straits Times, 22 June 1932, Page 17 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19320622-1.2.98.4
[479] Newspaper Article - Daylight Saving., The Straits Times, 7 June 1920, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200607-1.2.45
[480] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING., The Straits Times, 17 November 1932, Page 19 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19321117-1.2.109.5
[481] Newspaper Article - Saving some daylight hours for sports, The Straits Times, 17 November 1972, Page 19 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19721117-1.2.112.7
[482] Newspaper Article - DAYLIGHT SAVING ISN'T POPULAR, The Straits Times, 18 July 1952, Page 5 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19520718-1.2.63
[483] Newspaper Article - Daylight saving: Will it lower energy bill?, New Nation, 24 June 1979, Page 9 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/newnation19790624-1.2.31
[484] Newspaper Article - SWEATED LABOUR ALLEGATIONS || CHILDREN'S EDUCATION MENACED, The Straits Times, 4 March 1934, Page 1 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19340304-1.2.2
[485] Newspaper Article - Untitled, The Straits Times, 19 February 1933, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19330219-1.2.59
[486] Newspaper Article - SHOULD MALA YA PUT ON CLOCKS BY ONE HOUR?, The Straits Times, 15 July 1941, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19410715-1.2.78
[487] Newspaper Article - Advancing The Clock: Hong Kong Example, The Singapore Free Press and Mercantile Advertiser, 3 June 1941, Page 7 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/singfreepressb19410603-1.2.71
[488] Newspaper Article - 'Daylight saving' has hit planters, P.W.D., The Straits Times, 20 July 1954, Page 6 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19540720-1.2.100.1
[489] Newspaper Article - Moslems and Daylight Saving., The Straits Times, 24 September 1920, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19200924-1.2.71
[490] Newspaper Article - The Straits TIMES SATURDAY, NOVEMBER 6. DAYLIGHT SAVING., The Straits Times, 6 November 1926, Page 8 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19261106-1.2.19
[491] Newspaper Article - Don't Meddle, Malaya Tribune, 15 December 1947, Page 4 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19471215-1.2.28
[493] Newspaper Article - The Sunday Tribune DECEMBER 14, 1947. Fugitive Daylight, Sunday Tribune (Singapore), 14 December 1947, Page 6 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/sundaytribune19471214-1.2.40
[494] Newspaper Article - N. B. CHAMBER OF COMMERCE., Malaya Tribune, 27 December 1932, Page 14 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/maltribune19321227-1.2.100
[495] Newspaper Article - NO DAYLIGHT SAVING FOR N. BORNEO., The Straits Times, 20 June 1933, Page 15 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19330620-1.2.126
[497] Newspaper Article - LOCAL AND PERSONAL., The Straits Times, 10 May 1916, Page 10 () http://eresources.nlb.gov.sg/newspapers/Digitised/Article/straitstimes19160510-1.2.46
シンガポーリアンに聞くと、香港と合わせたという答えが返ってきたります。ライバル関係にある香港よりも例えば1時間遅れて市場が開いたのでは、経済活動に不利益を及ぼす、という理屈のようです。制度のすべてが自国の経済発展を意識して作られているシンガポールらしい、なかなか説得力のある答えです。
でも、調べていくとそうでもないんですね。
もちろん、マレーシアが標準時刻を統一するときに、マレー半島のUTC+7.5を採用するという選択肢もあったでしょうから、UTC+8、UTC+7.5のどちらを採用するかを決定するにあたっては、経済的優位性や中華系諸国との関係なども考慮したに違いありませんが。
[505] Act 261 MALAYSIAN STANDARD TIME ACT 1981 () http://www.agc.gov.my/agcportal/uploads/files/Publications/LOM/EN/Act%20261.pdf
[506] Act 261 MALAYSIAN STANDARD TIME ACT 1981 () http://www.agc.gov.my/agcportal/uploads/files/Publications/LOM/EN/Act%20261%20-%20Malaysian%20Standard%20Time%20Act%201981.pdf
[511] Malaysian Standard Time Act 1981, , http://www.commonlii.org/my/legis/consol_act/msta1981223/
[508] [tz] Some time zone history (4) (, ) https://mm.icann.org/pipermail/tz/2021-March/029889.html
[509] 富公報 第1号 富集団軍政監部 昭和17年10月1日, アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records, https://www.jacar.archives.go.jp/das/image/C14060646400 PDF 8頁 PDF 27頁