金石文󠄃に現れたる異年號に就いて

久保常晴

[1] () () (つね) (はる) は、 日本史研究者でした。 仏教考古学を中心に研究しました。 考古学的資料と文献史料とを有機的に関連付けて論証する手法を活用しました >>18

[5] 仏教考古学の開祖である石田茂作に師事しました。

[30] 生まれ。 没。 >>29

日時制度研究

[39] 昭和時代中期、 久保常晴は古代から近世までの日本の私年号について大量の史料を収集、検討し、 私年号の利用状況や時代背景などの総合的な研究を行いました。 従来若干の混乱が見られた私年号に関連する用語を整理し、 古代年号や中世の私年号の性格を明らかにしました。

[42] 久保常晴の研究は日本私年号の研究としてまとめられました。 日本私年号の研究はその後の若干の研究の進展によってやや古びているものの、 日本の私年号の「今日の研究水準を導き出す原動力」 >>35 と高く評価されており、 現在でも日本の私年号をメインテーマとした唯一の研究書です。

[43] 久保常晴の成果は、千々和到による若干の軌道修正を経て、 現在でも日本の私年号の研究の基盤となっています。 千々和到は、 久保常晴と直接の師弟関係にはないと思われるものの、 次の世代の代表的な私年号研究者となり、 久保常晴の死後の日本私年号の研究再版時に巻末の解説を書いています。 日本の中世私年号, 千々和到


[175] 久保常晴は、 昭和3年に立正大学に入学し、 石田茂作のもとで考古学を研究しました。 >>174 p.三五七

[95] 卒業論文執筆過程で 「命禄」 私年号板碑の年代決定を試みましたが、 当時の定説の永正3年説では干支年が一致せずに悩まされました。 たまたま中山信名偽年号考 の天文9年説で解決しました。 (私年号命禄の年代に就いて, 昭和七年一一月) >>174 p.三五七

[108] これに板碑私年号の新資料を加えた 金石文に現われたる異年号 が、 石田茂作の斡旋で昭和九年一二月の 考古学雜誌 に掲載されました。 >>174 p.三五七

[210] この時代の論文は後続の論文と被っているためか、書籍に収録されていません:

[176] 昭和12年3月に立正大学助手の任期が切れ、 特例で7月末まで延期されたものの、 経済的に従来の野外活動が不可能となったため、 机上の文献による研究を主として行いました。 仏教考古学の基礎として紀年銘のある遺物に重点を置くべきと考え、 中国の金石関係の書目と日本の金石文を取り上げた雜誌目録の製作に日時を費やした、 といいます。 >>174 pp.三五九-三六〇

[116] 久保常晴の論文集 佛教考古学研究 シリーズには、 金石文の銘文を一覧表にし、 それを元に研究した論文が多数収録されました。 これが久保の仏教考古学の研究スタイルであると共に、 私年号をはじめとする紀年銘研究へと結実することになったのでしょう。

[109] なお師匠の石田茂作は昭和5年に 紀年銘の記載形式に就いて を発表していました。 考古学的遺物の研究で紀年銘の取り扱いは必須で、 当時も今も研究者はみな基礎知識は持ち合わせていますが、 それ以上に追求しようとする人は (残念なことに当時も今も) それほど多くないようです。 師弟共にこの分野の業績を残しているのは偶然ではないのでしょう。


[109] 昭和18年9月には 金石文に現れたる仏滅年代 を発表しました >>174 p.三六〇, >>208 ( 仏暦 )。

[59] 仏滅年代の論文は「まったく書き 改められた新稿」 >>179 として 仏教考古学研究 収録。

[62] 書き改められる前の版は、

の第3巻 = 立正大學論叢通巻の第9巻に収録。 参考文献リストだと誌名が「立正論叢 九」と省略されていたりするのでわかりにくい。 昭和18年9月。 この巻は国会図書館にない。 立正大學論叢立正大学の機関リポジトリーにもない。 いくつかの大学図書館が所蔵している。


[110] 金石文異年号の論文 (>>108) については、 日本史研究者の中村直勝 (-)

において、 その元号名から室町時代の関東に一種の到富長寿の思想があったと補足説明しました。 このことから私年号の発生理由を追求する必要性を感じたのだといいます。 >>77 p.

[186] 昭和19年、 大日本帝国東京都より 「我国に於ける私年号の研究」 に対して科学研究費 (東京都科学研究奨学金 >>77 p.) 交付を受けました >>185。 ここでは古代年号も含めて私年号全体の名称とその年代、 発生の過程を概観したとされます。 >>77 p.

[138] 昭和41年の回顧によると、 昭和20年に東京都の研究助成金10円が支給されたそうです。 >>136 1年のずれがありますが、同じものでしょうか。

[139] そしてその研究では私年号についてまとめましたが、 終戦直後に神田の闇市で全額を投じて靴を買ったのだそうです。 >>136 時勢下、たいへんなご苦労があったのでしょう。

[113] この研究費がどのような性格のものなのか、ウェブ上には情報が見当たらず詳細は不明です。 成果報告書のようなものがどこかに提出され残されているのかもよくわかりません。

[178] その後新資料を加えて古代年号中世私年号についての論文を発表しました。 これらは更に新資料を加えて再編されたものが 日本私年号の研究 に収録されています。

[118] ここまでの研究に、江戸時代私年号を加え、 更に新出資料等から大幅に改訂した上で、 私年号の周辺現象や大陸の事情なども加筆したものが書籍 日本私年号の研究 でした。

[136] >>212>>208 時点では書籍収録なし。 その後続々 〝大道〟の私年号を追って として収録 >>217

日本私年号の研究大道の項と同趣旨の随筆。あわせて読んでおきたい。

[140] この回顧で、 昭和20年の研究の 「その調査の時に未だ解決されない」ものが2,3あったうちの1つが大道だった >>136 とされています。 これは昭和20年の時点で研究の大方がもう解決済みだったということでしょうか、 それとも昭和20年から日本私年号の研究までの一連の研究を経ても今なお、 という意味なのでしょうか。

[141] いずれにしても大道は重大な未解決問題だったようで、 こうしてわざわざ1編まとめるほどの思い入れもあったようです。 大道

[137] >>214続佛教考古学研究収録。

日本私年号の研究法興の項の一部分と重なるが内容には出入りあり。 歳在

関連: 延寿 (高句麗)


[120] この論文は墓誌の年代決定のため諸手法を組合せていますが、 そのうち1つが紀年の書き方について統計的に分析したものです。 師匠石田茂作の仕事のうち奈良時代部分を深化させたものといえます。


[121] その他単著に収録されていない日時制度関連論文等

[58] 清香というのは国会図書館にも CiNii にも、 立正大学 OPAC にも Google Books にも見つからず...

日本私年号の研究

[2] 日本私年号の研究 は、 久保常晴による日本の私年号に関する研究書です。

[3] 日本の私年号研究を大成させた久保の研究をまとめた名著と評されています。 出版後の後学による研究成果 (それほど多くない) が反映されていないことを除けば、 現在でも私年号研究の基礎となるべき有用な書籍です。 日本の私年号の研究史

[36] 久保常晴は本書と同内容と思われる博士論文で、 博士号を取得しました。 続々佛教考古学研究, pp.八九-一〇七に、 日本私年号の研究 (概要) として「学位請求論文の概要」が収録されましたが、 論文と共に提出された要旨と思われます。 記載内容は「概要」とある通り本書の論旨と同じであり、 本書の章のはじめや終わりにある説明文とほとんど同じことが書かれていました。 また、古代年号私年号の一覧表が掲載されました。

[49] 久保常晴私年号に関する論文を何本も執筆していて、 本書はその集大成となっています。 本書は過去の論文を単純にまとめただけではなく、 史料を大量に追加し構成も改め、 場合によっては結論も変更した全面改訂版になっています。 紀要論文の多くが現在ではウェブ公開されていますが、 最新説は本書で確認するべきです。

[50] ただし本書の内容のうち 「歳次」と「歳在」 部分は 続々仏教考古学研究 収録版の方が充実している。 (>>214)

内容

[79] 旧版の主な内容 (新版の差分は >>63 参照):

[102] 節ごと、章ごとに繰り返し何度もまとめが入るのはちょっと冗長であれなんですが、まあ許容範囲でしょう。

[103] それよりは原形・時代の考察と建元理由の考察で1つの私年号でも2つに分かれてるのが探しづらいかな。

[104] 公年号の異形と私年号を分類上はっきりわけて、章構成も別々にしたのも、検索性という意味ではよくなかった。

[105] その点、新装版は巻末に異年号索引を設けたのが正解だといえる。

[124] その他関連記事: 公年号, 私年号, 日本私年号一覧表

誤植等

旧版

[77] 奥付によると: 昭和四十二年九月二十五日 印刷, 昭和四十二年十月一日 発行

[4] 21世紀に入って再版されましたが、それも既に絶版となっています。 しかし古書の入手は難しくありません。

書評

[38] 立正史学 = Journal of Rissho Historical Society (33), 立正大学史学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7937870/1/31 (要登録)

[40] 古代 = Journal of the Archaeological Society of Waseda University (49/50), 早稲田大学考古学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6062487/1/86 (要登録)


[143] 千々和到は、 資料収集が困難を極めたと思われるにも関わらず広範囲から収集しており、 型式編年など考古学的手法で厳密な分析を加えて年代比定をほぼ完璧に仕上げている、 と久保常晴の研究成果を高く評価しています。 >>142

[144] そしてその成果を踏まえながらも新たな資料を加えるなどして幾ばくかの修正を加えています。 千々和到, 中世私年号

[145] 日本私年号の研究 以後、 久保常晴が死去した頃には既に多くの辞書やハンドブックにその成果が反映されていました。 >>142

[147] 千々和到平成時代初期の発表で、 私年号には1例しか見い出せないものや、 2次資料や後世の写しにだけ見えるものも多く、 それらは実際に年号として通用したものか疑問がなくはない、 と述べています。 そして日本私年号の研究やそれ以後に報告された史料についても、 史料批判の余地があり、 実物にあたっての再調査と検討が必要だと指摘しています。 >>146 中世私年号

[148] 久保常晴ももちろん史料を無条件に信用しているわけではありませんし、 実見の機会を得たものは当然それに基づいて議論しています。 しかし日本私年号の研究が引用する大量の金石文文献のすべての原典を参照するのは困難で、 刊行された書籍等のみを参照したと思われるもの、孫引きと思われるものも少なくありません。

[149] 現在の論文なら参照した本を明記するべきなのでしょうが、当時の研究者の慣行はそうではなく、日本私年号の研究にもどれを実見してどれは実見していない資料か明記されていないことが多いですし、どの異本からかわからない引用があります。

新装版

[45] に新装版が出版されました。 >>44

[63] 旧版とほぼ同内容ですが、多少の違いがあります。

  • [64] 背表紙中表紙は作り直されています。
    • [65] どちらも明朝体ですが、旧版の昭和感ある字形から新版は平成感ある字形に変わっています。
      • [66] 仕方ないのかもしれませんけど、味気ない感じもします。
    • [67] 題名に「新装版」が足されています。
    • [68] 中表紙著者名肩書「立正大学教授」が削られています。
  • [69] p.一〇 最後に「図版」 とあったところ (次ページの図版目次の見出し?) が新装版の「解説」の目次項目に差し替わっています。
  • [70] 新装版で巻末に新規追加された部分:
    • [47] 解説, 千々和到, pp.五三九-五四四
    • [71] 異年号索引, 横書き pp.1-3
    • [72] 人名索引, 横書き pp.4-6
  • [73] 奥付
    • [74] 著者略歴・著書欄が更新されています。
    • [75] 奥付が完全に差し替わっています。
      • [76] 旧版の発行年は解説にありますが、 月日がどこにも書かれていないのは、いただけません。
  • [78] その他 (図版、本文) はパッと見た感じ同じ。頁数変更なし。

[48] 令和5年現在、 Amazon は販売していませんが、 紀伊國屋書店ウェブストア では販売中です。 出版社にも在庫があるようです >>44

メモ

[99] もう40年以上たってるのかー

[100] そろそろ全面改訂版がほしいよなー けど改訂できるだけの研究成果があるのかというと・・・ 個別私年号の新出資料は豊富にあるのだけど、 総論的なのが千々和到の後更新されてないからなあ

[101] 延長年号, 改元伝達, 改元デマ, 日本古代の日時, 日本近現代の私年号あたりの分野の知見を統合し、 大陸の状況まで見渡せるようなものが望ましいが、、、

仏教考古学研究

[6] 仏教考古学研究 は、 久保常晴の主要な論文をまとめた書籍シリーズでした。

[10] 古書で比較的容易に入手できます。3冊セットで安価に入手できることもあります。


[11] 題名は奥付によれば 佛教考古学研究続佛教考古学研究続々佛教考古学研究 でした。

[13] 外箱表面、外箱背表紙、 本体背表紙内題の題字 「https://glyphwiki.org/wiki/u4f5b-itaiji-003横3本教考古𭓇硏究」 (石田茂作筆)。 第2巻, 第3巻はその上に明朝体で「」「続々」と足されていました。

[14] Web では 仏教考古学研究 と表記されることもよくあるようです。 本書自身も本文中ではこの表記を使っていました。

[19] 古書店の書誌情報などでは区別のために続・続々との対比で第1巻に「正」 と書かれていることがありますが、 本書自体にはどこにも書かれていません。

[22] 第1巻、第2巻とも著者近影があります。 第3巻にはネパールで現地調査中の著者の写真があります (「1969. 12」 付)。


[12] 第1巻奥付:

昭和四十二年十一月一日初版発行

昭和五十二年三月三十日発行

[15] ページに として、 恩師の石田茂作の言葉がありました。 昭和四十二年三月付。

[18] 編集担当の門下生坂詰秀一による あとがき (pp.三七五-三七六, 昭和四二年八月一二日) によると、 本書は還暦事業事業の1つとして計画されました。 本書は既発表の論文だけでなく、 発表済みの論文の一部または全部を改訂したものや、 未発表論稿も収録されました。

[28] 第2巻あとがきによると、他に同じ研究室の関俊彦野村幸希加藤邦雄が編集に尽力しました。


[21] 第2巻奥付:

昭和五十二年三月十五日印刷

昭和五十二年三月三十日発行

[23] pp.-序文として、 立正大学学長の菅谷正貫の文章がありました。 昭和五十一年十二月一日付。

[27] pp.四〇五-四〇六あとがきとして編集担当の坂詰秀一の文章がありました。 本書は古稀を記念したものであるようです。 第2巻はもっぱら坂詰秀一が編集を担当しました。 喜寿で第2巻を出版することが期待されていました。


[29] 第3巻奥付

昭和五十八󠄂年十月三十日発行

[31] pp.-序文として、 立正大学学長の中村瑞隆の文章がありました。 昭和五十八󠄂年八󠄂月付。

[32] pp.二三二あとがきとして立正大学考古学研究室の坂詰秀一の文章がありました。 昭和癸亥盂蘭盆󠄃会付。


[25] 第2巻に久保常晴先生略年譜 (pp.三八五-三八八) として経歴がまとめられていました。 最後は昭和五十一年十一月三日

[41] 第3巻に久保常晴先生略年譜 (pp.二〇九-二一二) として経歴がまとめられていました。

[16] 第1巻 付録 一 仏教考古学への道程 (pp.三五三-三六二) として、 著者の学者としての半生が自身の手で綴られていました。 昭和四二年八月十一日付で、 「推定カピラ城址発掘調印のため ネパール王国に出発する前夜」 とありました。

[24] 第2巻 付録 三 私と考古学と研究室 ⸺「仏教考古学への道程」余滴⸺ (pp.三七六-三八󠄂三) として、 第1巻を補足する形の著者の回顧録が収録されました。

[17] 第1巻 付録 二 著作目録 (pp.三六三-三七三) に、 昭和四一年までの論文等の一覧表が収録されました。 第1巻と 日本私年号の研究 に収録された論文に印がついています。 両書で重複しないように選ばれたようです。 どちらにも収録されていない著作がかなり多いことがわかります。

[26] 第2巻 著作目録 (pp.三八九-四〇四) に、 昭和五十二年一月までの論文等の一覧表が収録されました。 第1巻、 第2巻、 日本私年号の研究 に収録された論文に印がついています。 未収録はなお多い。

[33] 第3巻 著作目録 (pp.二一三-二三一) に、 論文等の一覧表が収録されました。 第1巻、 第2巻、 第3巻、 日本私年号の研究 に収録された論文に印がついています。

[34] 全3巻と日本私年号の研究で全業績がカバーされているとされます >>32。 論文リストを見ると実際には未収録の文献がかなり多いことがわかります。 他の論文と重複するものや事典類への寄稿の他、単発の調査報告の類がいくつかあるようです。

[60] 第3巻には日本私年号の研究の要約が収録されています。 結論や一覧表が書かれています。 博士論文提出時に概要として用意されたもので、 書籍版日本私年号の研究にない新規の情報はありません。

関連

[20] 関連記事: 東洋の日時表示, 年の字, 二二, 干支合字, 仏暦日本の私年号, 宇治宿禰墓誌, 4文字元号の省略形, 烏八臼

メモ

久保常晴

[56] https://rissho.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1633&file_id=20&file_no=1&nc_session=2lslg08rjdmmsg12vmd599t7v1

退職時

[37] 立正史学 = Journal of Rissho Historical Society (46), 立正大学史学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7937884/1/3 (要登録)

追悼

[151] >>150久保常春と書いています。

[152] risshonokoukogaku_compressed.pdf, , https://www.ris.ac.jp/museum/profile/lvhgqo0000004877-att/risshonokoukogaku_compressed.pdf#page=5