[41] 満州国の後継を自称する団体はいくつかあります。 それらの中には独自の日時制度を制定しているものや、 かつての満州国の日時制度を復活させているものもあります。
[1] 満州国を継承すると自称する団体満洲国臨時政府とその後身の満洲国政府は、 満州国の標準時や元号などを使っています。
[226] 満洲国臨時政府は満州国を名乗っていますが、 かつての本来の満州国政府や、 満州国帝室との関係は無く、 満州族を代表する性質もなければ、 満州地域の拠点も有していないようです。 亡命政府としての正統性も疑わしく、 単なるミクロネーション風政治団体といったところでしょうか。
[3] 従って本項で紹介する日時制度は、 満洲国臨時政府なる団体の構成員や支持者の間でのみ通用するものです。 満洲国臨時政府は、 日本や香港などで活動しているようです。
[5]
満洲国臨時政府の
Webサイトは、
本来の満州国の元号である大同と康徳も元号一覧に示しています。
>>4
[6] 満洲国臨時政府の Webサイトは、 本来の満州国の解散後、 満洲国臨時政府設立前の、 -西暦2003年について、 元号を示していません。 >>4
[7] 満洲国臨時政府の Webサイトによると、 西暦2004年の満洲国臨時政府成立後、 西暦2008年まで、 宣統 >>19 の元号 (y~1095) を使いました。 >>4 宣統は清国最後の元号で、 空白期を経て再開された延長年号です。
[22] 現在確認できる最古の宣統の用例は 「宣統九十七年四月十六日」 () で、 時点の Webページの履歴にみえます。 >>17
[21] 西暦2007年当時の満洲国臨時政府の Webサイトは、 「宣統(せんとう)を用いる。(西暦2008年は宣統100年である)」 とし、 「我が政府は「かつての満洲国のみ」を引き継いだのではない。そこで清朝末の元号であり、現在の元首である宣統帝即位の年を元年とする元号を採用した。」 と説明していました。 >>19 「のみ ではない」 が何を指しているのか不明です。 ロシア領外満州の領有も主張している部分でしょうか。
[23] 確認できる最後の用例は、 「宣統一百年三月三十一日」 でした >>18。
[16] 復光 >>4 (y~1752) は、 -に使われた元号でした。
[13] 復光元年四月十日、 新皇帝が即位し、 復光に改元しました >>18。
[15] 昊徳 (昊德) >>4, >>12 (y~1753) は、 -に使われた元号でした。 復光三年四月十七日に制定され >>12 (理由は新皇帝即位)、 昊徳元年五月一日をもって施行改元 >>12 されました。
[25] こうした元号は、満洲国臨時政府関連 Webサイト以外でもごく少数の用例が確認できます。 いずれも満洲国臨時政府の活動に言及するものです。 本格的な用例は確認できません。
[8] 満洲国臨時政府の Webサイトによると、 満洲国臨時政府は、 から、 西暦を使うようになりました。 >>12 理由は清国の復興を主張する団体らしい大清復国組織との併合を前日に決定したためのようです。 Webサイトの表記は 「」 >>12 となりました。
[279] 満洲国臨時政府の Webサイトの付け記事には、 「西暦2019年、己亥猪年が到来し、」とあり、西暦と共に干支年・十二支年が併記されました >>278。
[11] 満洲国臨時政府の発行するカレンダーには、 西暦年と干支年が表記されました。 >>10
[9] 満洲国臨時政府の Webサイトによると、 満洲国臨時政府は、 から、 西暦に加えて康徳の元号 (y~1158) を併記するようになりました。 >>4 この康徳は、 本来の満州国の解散前最後の元号で、 空白期を経て再開された延長年号に当たります。
[280] 満洲国臨時政府の Webサイトの付け記事 (建国祭) から、西暦に康徳の元号が併記されるようになりました。 >>278
[277] 満洲国臨時政府の機関紙とみられる 滿洲時報 は、「漢文版」、「日本語版」ともに 「西暦2018年11月23日」 のように日付を表記していました (一時は両版とも「金曜日」と「星期五」を併記、 その後漢文は星期、日本語は曜日のみに変更) が、 「西暦2019年(康徳86年)4月4日」 のように康徳の元号が併記されるようになりました。 >>276
[24] 元号復活の理由は明記されていませんが、 時期柄明らかに日本の令和改元に影響されたものです。 改元時には祝福コメントを発表し >>278、 機関紙 滿洲時報 にも記事を掲載するなど関心を示していました。
[44] なおに満洲国亡命政府と満洲国臨時政府が合併して満洲国政府が成立したとされます >>43。 併記が始まったのはちょうどこのタイミングで、 その関係もあるのでしょう。
[27]
令和3(2021)年年頭の挨拶文には、
題字
「
[31] Webサイトの英語版では、 「AD2018」のように西暦年が AD と明記して利用されています。
[29] 令和3(2021)年現在、継続して利用中のようです。
[46]
のTwitter投稿を最後に活動が確認できません。
[40] 有哪些「听着很扯淡却确有其事」的历史事件? - 知乎, https://www.zhihu.com/question/340940737/answer/851078027
【满洲国临时政府】
第一任:关学君 称号:摄政王 在位时间:2004年11月-2006年 关学君,满族,出生于黑龙江省哈尔滨市,后移民美国。2004年11月,“满洲国临时政府”成立于美国纽约,关学君担任摄政王。
第二任:爱新觉罗溥仪 年号:宣统 谥号:憨帝 庙号:恭宗 在位时间:2006年-2008年3月2006年,满洲国临时政府再尊为皇帝,复用宣统年号。
第三任:爱新觉罗·孝杰(金孝杰) 年号复光 谥号:废帝 在位时间:2008年3月-2010年3月 爱新觉罗¡¤孝杰(金孝杰),1987年2月3日出生于香港,于满洲国临时政府在2008年举行的“皇帝选举”中当选为新任皇帝,取代溥仪,成为满洲国第二位“君主”。
第四任:爱新觉罗·崇基(罗崇基) 年号:昊德 称号:颐帝 在位时间:2010年3月-2011年5月2010年3月,当选为满洲国临时政府第三任傀儡皇帝。
第五任:李志栓 在位时间:2011年5月-李志栓,马来西亚人,自称唐昭宗李晔的后裔,李鸿章后代。大清帝国复辟组织创始人。2011年5月登基兼任满洲国临时政府皇帝.。
[42] 満洲国政府/滿洲國政府さんはTwitterを使っています 「満洲国康徳88年-91年(2021年-2024年)カレンダーはリリースしました。設計は美しくて、満洲国国軍の戦闘機と国旗の図案が含まれます。満洲国証明文書の申請者は1枚を入手できます。お申し込みはお早めに。 https://t.co/mvOWfoGMv1」 / Twitter, 午後8:01 · 2021年2月24日 , https://twitter.com/Manchukuo_Gov/status/1364530793637318657
[33]
滿洲帝國流亡政府は、
頃活動開始し、
に「完全樹立」したという政治系マイクロ国家です。
[48]
満洲帝国流亡政府は芸風が満州国臨時政府とよく似ていますが、
関係を否定しています。
SNS や Web は完全に別個で、直接的な関係は見い出せません。
満洲帝国流亡政府もまた、
史実の満州国や満州国帝室との関係はなさそうで、
満州地域の拠点もなさそうです。
[47] 現在知られている最古の満洲帝国流亡政府系統の活動は
Twitter
の付投稿ですが、
その添付画像は
「
[49]
この文書は、「
[51] 公式ウェブサイトには国の歴史の説明があります。 清の滅亡から現在までが、次のように表現されています。 >>50
(括弧全角)
[61] 日本語版ページでも同じ表現が使われています。「暨」や「西元」もそのままです。 >>60 この他にも日本語版と言っているものの、現代日本語で使わない漢語が散見されます。
lang
属性はなく、
フォントはページ全体が
system-ui,-apple-system,"Segoe UI",Roboto,"Helvetica Neue",Arial,"Noto Sans","Liberation Sans",sans-serif,"Apple Color Emoji","Segoe UI Emoji","Segoe UI Symbol","Noto Color Emoji"
となっています。
つまり漢字はページの言語と関係なく閲覧者のシステムのフォントで表示されることになります。[63] ウェブサイト上ではほとんどの記事が康德の年月日 (グレゴリオ暦、漢数字) で書かれています。 歴史関係など必要に応じて日本の元号や西元が併記されるようです。
康德九十年五月三十一日
とあります >>73。
[75] 日付だけでなく全文の漢字と片仮名には平仮名で読みが振られています。 片仮名に平仮名の振り仮名は、日本語の伝統的な表記ではなく、 日本語初学者向けの文書や教材でよくある表現です。 漢数字に振り仮名も日本語の伝統的な表記とは違います。
[76] 旧仮名遣いを採用していますが、や行の拗音が小書き仮名なのに対して、 「ぐわつ」の「わ」が大書きなのはちぐはぐさを拭えません。
[77] 「五月」の「五」に「い」と読みを振っているのも謎です。
[83]
「
[88] 米国で発行されているという機関誌がウェブ上で公開されています >>87。 (紙媒体で発行されているのかは不明。) 号数や奥付の日付が康德表記になっています。
[65] 建国記念式典の記事では、
今日は康德八十九年十一月六日(夏曆康德又壬寅年十月十三)です。滿洲帝國流亡政府は滿洲國標準時(GMT+9)の本日の午前十一時に建國九十周年式典を擧行しました。
のように夏曆 (農暦) が併記され、十二時制の時刻に標準時が明記されています >>64。
[66] ここでだけ農暦日付があるのは、祭祀という意識でのことなのでしょうか。
[69] 夏曆の根拠は不明です。独自に計算しているような説明はありません。
[67] 元号がない中華人民共和国では農暦の年は干支年だけで表すことが多いですが、 ここでは 「康德又壬寅年」 と元号年干支年表示を使っています。ただし康德の元年から干支が1周し終わっているので、 又で2周目を表しています。
[72] ウェブ上には 「康德八十九年度滿洲帝國流亡政府施政方針大綱説明」 のような年度の表現もあります。 >>71 年度の定義は不明です。 この記事の場合ブログシステムの日付は
Dec 30, 2022
で、記事見出しの日付は
康德八十九年十二月八日
となっています。つまり康德89年の年末のにその月の8日付で投稿された記事です。 「施政方針大綱説明」 とあるので年頭にその年の施政方針を説明するのかと思いきや、 記事内容は年末の活動報告と思われます。 従って年度 = グレゴリオ年と推測されます。