[5] 天皇や皇帝や王などの君主が治世の元号で呼ばれることがあります。
[60] 一世一元だと元号の期間が君主の治世とほぼ一致するようになるので、 元号名と君主名が一体化する傾向があります。
[63] 元号名ベースの君主名が最も一般的な名前である場合と、 そうでもない場合があります。
[62] 近現代日本では天皇の崩御後に生前の元号名が送られる慣習があります。 明治天皇から昭和天皇まで続いています。 制度化されていないことと、 名前を送られるのが崩御後であることが、 若干の混乱を招いています (>>15)。
[64] 王朝最後の君主や廃帝は治世の後に正規の手続きで名前が送られないことが多く、 一世一元の王朝でなくても通称として元号名ベースの君主名が使われることが多いです。
[65]
君主名が伝わらないとき、通称として元号名に「王」や「帝」を付けた呼称が使われることがあります。
[66] 明清交替期に漢土から日本にもたらされた情報をまとめた 華夷変態 では明や清の君主名が元号 + 「帝」や「王」で表されていることが多いです。 漢土由来の記述と日本側での記述があることや、 各情報がどの時点のものかに注意が必要ですが、 当該君主の生存・治世中かどうかはあまり気にしなかったように思われます。
[67] 明清交替期の西洋の書籍では元号名で明や清の君主を呼んでいました >>462, >>448。 情報源がどの時点のものかに注意が必要ですが、 当該君主の生存・治世中かどうかに関係なく元号名を君主名と認識していたように思われます。
[68] 17世紀の越南人のキリスト教関係者の歴史記述では、 一部元号名が君主名と認識されていました。 治世中の改元が改名や別人と誤認されることがありました。 >>127
[106]
明治時代の日本国外で明治天皇を明治と呼んだ事例:
[69] yhkondoさんはTwitterを使っています: 「今回のような呼び名の「混乱」が起こった一因は、明治天皇の追号を、治世の元号にしたことにあります。これは、おそらく明・清の皇帝の名称が元号によっていて「乾隆帝」などと呼ばれたことに起因すると思われますが、「乾隆帝」などは生前からの号で、ここに混乱の原因があります。」 / Twitter, 午前3:33 · 2019年5月5日 , https://twitter.com/yhkondo/status/1124743871634726912
[112] 称謂私言 - Wikisource, , https://ja.wikisource.org/wiki/%E7%A7%B0%E8%AC%82%E7%A7%81%E8%A8%80
(明治27年 那珂通世)
又是は、新聞抔に見ゆることなるが、主上を指し奉りて明治天皇と書く事あり今の主上の事は、今上天皇と申すべき事にして、年号を加ふることは、昔の帝王に限れり。即ち崩御になりし帝王に非ざれば、年号を頭へ附くること無き例なれば、是も今上に対し奉りては不敬の言葉と思はる。
[25] 明治天皇以来天皇には元号で追号されることが慣例となりましたが、 それ以前も在位中の主要な元号で天皇を呼ぶことがありました。 >>23 普及版 p.623 (帝室制度史第六巻)
[24] 江戸時代の後西院 (明暦)、 東山天皇 (元禄)、 桜町天皇 (延享) のように天皇が蔵書印に元号を使うことがあり、 一世一元につながる考え方が芽生えていたとされています。 >>23 普及版 p.557
蔵書印には後西天皇(「明暦」)・東山天皇(「元禄」)・桜町天皇(「延享」)・後桜町天皇(「明和」)など在位中の元号を用いたものや
[43] 桓武天皇は 「延歴勅定」 印を使っていました >>45, >>48, >>52。
[54] なお、 所蔵機関等公的な解説では 「延歴勅定」 とするものが多いですが、 一般の解説では 「延暦勅定」 とするものも多いです。 現物写真によると印章用の篆書で、 「延歷勅定」 に当たる字形です >>53。
[10] 天正20年付の秩父神社の棟札に、 「仁皇百十世天正帝朝造営」とあります。 >>9
[11] 天正は正親町天皇の元号で、現在の数え方では第106代です。 に後陽成天皇に譲位されました。現在の数え方では第107代です。 天正はまで続きました。
[13] >>12 は明治7年の文献ですが、天正帝が関白豊臣秀吉の第に行幸したとあります。 天正16年に正親町上皇と後陽成天皇が聚楽第に行幸しています。
[1] 明治天皇、大正天皇、昭和天皇は、ご崩御された後に次代の天皇からの追号という形で、 在世中の元号と同名の諡号が定められたものです。
[15] 一世一元下では元号が諡として用いられることが通例となっています。
[16] これにより歴史学習者などは君主と時代を容易に対応付けられるという利点があります。
[17] 一方で、在命・在位中の君主を先代の事例からの類推で元号名で呼んでしまうという禁忌を犯してしまう事例があります。 (中には天皇反対主義者など、意図的にそのような呼び方をする人もいますが、 多くは無知故の失敗と思われ、一世一元の弊害といえます。)
[92] 元号と天皇の追号の関係:「平成天皇」「令和天皇」になるとは限らない|中原 鼎(皇室・王室ライター), https://note.com/nakahara_kanae/n/n5d2b7d99328d
[88] 植田清吉GX-TさんはTwitterを使っています: 「しかしこれはいけない。こう呼ぶようになるのはそれこそ千秋万歳の後のこと。誰か助言できなかったのか。それとも碑文の彫り直しや建て直しの手間を省くつもりだったのか。 https://t.co/eL9Fl8BlZm」 / X, , https://twitter.com/shakeeach/status/1688006637259554816
[91] 臣 りょういちさんはTwitterを使っています: 「@furunomitama 見てられません… ちなみにこう言うのもあります。 https://t.co/6K5b5JnJ6w」 / X, , https://twitter.com/ashinroad/status/1688360590325227520
[93] 元号で天皇を呼べるはずという認識が広く存在しているのに対し、 それは失礼で不敬という認識も根強く存在しているようです。
[94] でも明治時代には元号で呼ぶのは失礼という考え方は存在し得なかったはずですし (清の皇帝の類推ではあり得る? 清にもそのような忌避感があったのかどうかは要検討。)、 大正時代にもまだそう広まってはいなかったように推測されます (前例1件しかないので)。 でも昭和時代の後期になると、そういう呼び方をうっかりする人も、 それを注意する人もいたらしいです。
[95] それではこの忌避が支配的になったのはいつのことだったのでしょうね。
[96]
令和時代のいま、平成時代の天皇陛下を呼びづらいという問題は現に存在しているので
(
[97] 近現代の新しい慣習に過ぎず、前近代には元号を天皇の自称、他称にした例はいくつもあるのですから、 本来は禁忌とされるべきことでもないはずです。
[98] 将来平成の陛下がご崩御された折に元号以外の諡号が贈られれば元号と諡号が分離されてこの慣習も変わっていくと思われますが、 どうでしょう。
[8] 無色さんはTwitterを使っています: 「子ども向けの偉人伝シリーズでは先代の天皇(既に子ども向けの伝記があるの。年号が変わったのにあやかってのことだと思うが。北条義時が最近何冊も出たり、あの世界も大人向けと同様というか大人に買わせるために、けっこうミーハー)は「平成の天皇」とされていた。さすがに出版社はぬかりなし。」 / X, , https://twitter.com/huibishou/status/1688367634289684480
過去にも「延暦天皇」・「貞観天皇」など、当今の天皇を「元号+天皇」で呼称した例があり、伝統的観点からは必ずしも間違いとはいえない。
「元号+天皇」を巡る問題意識
(未推敲)
一部の出版物においては、平成28年(2016年)現在の天皇に対して、「平成天皇」という称号を用いる事例が散見される。明治天皇・大正天皇・昭和天皇の3代の「○○(元号)天皇」という呼称は、その天皇の崩御後に贈られた追号であるが、現在の天皇に対する呼称としても必ずしも誤りではない。日本で「ある天皇」なり、中国で「ある皇帝」なりを、その在世中の年号で呼ぶことは歴史上けして珍しいことではなく公式に失礼とされた例もない。明治天皇の崩御後に、年号である明治を追号として転用したのは、第一には、明治以降に天皇の権威が飛躍的に高まってしまったため、「臣下が君を議することの不敬」という古来からあった諡号制への批判という観点から、波風を立てることを忌避した官僚主義的な発想だったが、第二には、一世一元の制と同様に明治時代の合理主義精神に基づいて、煩雑な天皇呼称を生前死後に一貫して簡略化しようとしたものでもあった。
今上天皇を、諡号の習慣法に照らして「元号+天皇」(や「元号+の+天皇」)と呼ぶのは、相手を死者扱いしてる様なので、不適当だとする意見が一部にはある。しかし、そういった感情論は間違った極論と言うべきだろう。場合によっては、不適当である、不自然であり、不要である。敬意の表し方が単純化・マニュアル化したために、形式に先鋭的にこだわるのは、日本に限らず後進国諸国の近代化過程において普遍的にみられる「文化衰亡の情況」に他ならない。
追号が元号と同一であるのは法的な根拠があることではなく、先の3代の天皇に続いたのは名目上は偶然である。従って公式には今上天皇の崩御後に平成天皇という追号が贈られると確定している訳でもないが、面倒を回避したがる官僚精神によって、何らの議論なく平成天皇という追号にいつの間にか決まっていくだろうとは万人が想像する通りである。
今世紀と言わず、21世紀と強調して言う場合もあるように、平成という時代性における天皇だ、という事を強調する時に「平成天皇」なり「平成の天皇」と言ってもさしつかえないが、四角四面な形式論に拘泥する場合には、「平成天皇」は不適であるが「平成の天皇」は問題ないといいうる。しかし、そのような主張自体が日本語の構成原理からしてきわめて珍妙な不自然な議論である。
しかし「平成時代の天皇」や「平成の天皇」ならば問題がなく「平成天皇」となるといきなり不敬だというのでは日本語の構成原理としていちじるしく不自然であるが、かといって「明仁陛下」「明仁天皇」「明仁様」のような言い方は、いずれも平成天皇以上に失礼な印象を与える。
「平成」の字義(「内平外成」)に掛けて、天皇を評する時に、言語構成上も意味的にも「平成天皇」ということは不自然では無い。なので、全面的にかかる「元号+天皇」の用法を絶対否定するより、場合に応じて、その時の感性に基づいて、判断するのが適切である。むろん、今のところの一般論では、かかる「元号+天皇」の実用は希だ、と通知し得る。しかし将来、その実用がある程度増える可能性を、完全否定や積極否定する必要も必然も無く、場合相応な自由があるべきだろう。
そもそも天皇を個人的に名指しして議論するというような情況自体が前近代にはありえなかったので、名指すための呼称が必要とされず、抽象的な称号だけで済んでいた。そのため歴史上の人物でない現在の個人としての天皇をさす表現は、結局どのような言い方にしてもすべて日本語の用法として新しいものにならざるを得ず、違和感は避けられない。よって、前近代人のように「今上天皇」「みかど」「お内裏様」「天子様」「天皇陛下」等の個人を直接ささない婉曲表現で済ますのが現状では無難である。
[6] ノート:今上天皇(現代) - Uyopedia, , http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E4%BB%8A%E4%B8%8A%E5%A4%A9%E7%9A%87%EF%BC%88%E7%8F%BE%E4%BB%A3%EF%BC%89
(当時の天皇陛下 (現在の上皇陛下) に関する記事の命名に関する議論)
しかし諸悪の根源は、年号が天皇の名前そのものであるようなへんな印象だろ。これはなんとかならんのか。単なる年号(時代の名)を追号に転用してるわけであって、天皇の御名を時代につけてるわけじゃないのにな。ほんとにもう、薩長偽官軍政府がつくった近代の風習はいちいちムカッ腹の立つアホなものばっかりだな。----Mam 2007年9月20日 (木) 06:25 (IST)--
[7] >>21 が指摘するように、「平成天皇」を忌避するあまりに「天皇明仁」のような不敬でありしかも日本語としても不自然な表現が公然と用いられる現状は憂慮するべきだよぬ。
[22] 平成改元時の新聞報道、新旧天皇の呼称は – CharlieInTheFog, https://charlieinthefog.com/2019-04-30-075141/
さて、翌8日付朝刊では表記が分かれます。「昭和天皇」という表現がみられ始めます。厳密には7日付夕刊でも見出しに取る社がありましたが、本文でことわりなく使うのは8日付朝刊が最初。毎日と読売が「昭和天皇」を使い、裕仁をしのぶ内容の記事では「天皇陛下」も引き続き使われました。
正式には贈り名(諡)としての「昭和天皇」は即した明仁が後日決めることになっています。このときは1月31日になってやっと正式に決まりました。
[4] XユーザーのATSUJINさん: 「令和天皇御即位記念大鳥居建立記念碑 #230729浜通り収鋲 もう「令和天皇」でいいんですか? https://t.co/llsSo0C8FK」 / X, , https://x.com/atsatsatsa/status/1686008343373172736
[82] 日本の明治時代の書籍には当時の王朝である阮朝越南の 「元号帝」方式の歴代皇帝の称号が並んでいて、 初代が世祖なので歴代にも「何宗」の廟号があるはずなのに、 諸書がみな年号を称号としている、と書いています。 >>79 越南国内ではわかりませんが、日本では専ら元号の称号が通用していて廟号がわからないくらいだったのです。 現在越南の歴代皇帝が元号で呼ばれるのも当時の慣習がそのまま続いているのでしょう。
[83] 皇帝リストの末尾には出版当時の皇帝が成泰帝とあって >>79、 在位中の皇帝も元号で呼ばれていたことがわかります。 当時の日本人は明治天皇を明治天皇とは呼んでいなかったのとは違います。
阮朝は一世一元の制を採用したため、治世の年号が皇帝の通称となった。
阮朝は一世一元の制を採用していたため、皇帝はその元号を冠した通称で呼ばれる。現代ベトナム語では「帝」をつけず元号のみで呼ぶ。