元禄

元禄

元緑

[7] 元禄元緑と書く例が稀にあります。OCR誤読も多いですが、 誤記、誤植で実際に元緑と書いている例もそれなりに見つかります。

[1] 9274B4D7538B111F49256D41000A766 - 017096_hanrei.pdf, , https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/096/017096_hanrei.pdf#page=7

2 甲第二号証の羽鳥村絵図には、その左下方に、他の部分とは異つた筆跡で、 「元緑七甲午歳六月 日」と記載されており、「元●」とあるのは「元禄」の誤記 と解されるところ、成立に争いのない乙第五八号証の一ないし四、当審鑑定人V、 同Eの各鑑定の結果を総合すると、元禄七年(一六九四年)の干支は甲戊であるこ と、江戸時代には数年で改元されることも珍しくなく、年号に頼るよりも六一年目 ごとに同じものが巡つてくる干支の方が年数を計算するうえで便利であり、広く干 支が用いられていて、年号の記載には干支のそえられることが多かつたこと、干支 を間違えて記載するようなことは、ことに真壁郡山田村及び羽鳥村の名主各二名の 氏名とこれに並べて「惣百姓」との記載のある甲第二号証の絵図のような場合、考 えられないところであること、右絵図が画かれている紙も、幕末から明治初期にか けて、現在の埼玉県小川で製造されたコウゾを原料として漉いた和紙であること、 これらの点からみて、右絵図は、元禄七年に作成されたものではなく、幕末以降に 作成されたものであることが認められる。もつとも、日付の記載が虚偽であつて も、右日付の記載は他の部分と筆跡を異にし、後日加筆されたものとも考えられる ので、日付の部分を除き、幕末以降作成の絵図としての信用性についてさらに検討 するに、前認定のとおり、羽鳥村、田村、小幡村の三村の接するところに「三村境 塚」と刻した古い石があるが、同絵図では、右三村の接するところに、本来は筑 波、真壁、新治の三郡の境を意味するはずの「三方境塚」との記載があり、右三郡 の接する地点は明確にされていないこと、右絵図では羽鳥村の中に画かれている魔 王石、鏡石(護摩壇岩屋)が前認定のとおり筑波山神社の代表的な禅定場であるこ と、当審鑑定人Eの鑑定結果によると、右絵図には、「御林」という笠間藩の藩有 林を意味する記載があると同時に、最上方の森林地帯のところに「深山」という記 載があり、右両記載を対比すると、「深山」は筑波山神社(護持院)の山林を意味 するものと認められ、この点についての反証はないことなどの諸事情並びに前記二 の認定に供した各証拠に照らすと、同絵図のうち真壁郡羽鳥村と筑波郡との境界に 関係する記載については、正確なものとして信を措くことができず、これをもつて 前記の認定を左右しうる証拠とすることはできない。

[3] >>2 >>6 元禄の誤植なのは明らか。

[5] >>4 写真にうつっているのは元禄。キャプションが誤植。

[9] 川内町誌, 川内町, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3006139/1/96 (要登録) 左下

元録元年

メモ

[8] 社説 被災者になって分かったこと/阪神・淡路大震災 |震災1年目|阪神・淡路大震災|連載・特集|神戸新聞NEXT () https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/01/rensai/199501/0005491602.shtml

これまで被災者の気持ちが本当に分かっていなかった自分に気づく。“災害元禄”などといわれた神戸に住む者の、一種の不遜(ふそん)さ、甘さを思い知る。