4文字元号の省略形

元号略号

漢字1文字略号

[44] 元号名の先頭文字の略号は、 手書きの時代から便宜上用いられていたと思われます。

[42] 使われ始めた時期を確定させるのは困難ですが、 4文字元号を2文字や1文字に略した例は既に日本奈良時代から知られています。

[43] 東アジアの他の国や時代にも事例は見られます。 しかし時代と地域を超えた普遍的な慣習ではなさそうです。

前近代日本

[45] 4文字から1文字に >>1

[113] 板碑概説, 服部清五郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/384 (要登録)

[136] 郷土要録, 大分県師範学校郷土室, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1232609/1/29 (要登録)

大分県の板碑の私年号「建」、意識的に使用したかは不明 (具体例なし)

[140] 江戸時代以前は比較的短い期間に同じ先頭文字が再利用されることが多かったので、 現在のような先頭1文字の省略を実用することは難しかったとも思われます。 (簡易的な年号記述としては十二支年があり、 漢字1文字でまで特定できましたから、 需要も多くなかったと思われます。) だとすると明治時代以後に習慣化したと考えられます。

近現代日本

[46] 近現代日本では、 元号の先頭漢字1文字を取ったり、 ローマ字表記の先頭ラテン文字1文字を取ったりして、 簡略的な日時表示に使ったり、 日時を組み込んだ番号や識別子の一部に使ったり、 OCR 用の入力に使ったり、 情報交換情報処理用の日時形式の一部に使ったりします。 元号コード

[47] 近代初期には珍しくあまり見かけませんが、現代には生活の隅々にありふれています。

[118] 語の先頭文字を使った省略法は日本語として一般的であって、 元号に適用した例も見られます。例えば明治6年に 「明六社」 が設立され 「明六雑誌」 が出版されました。 元号の2文字目を採った例としては、 江戸時代文化文政を中心とする時期の呼称 「化政時代」、その文化 「化政文化」 があります。 「化政」の語がいつ成立したか不明ですが、 明治時代後期には既に見られるようです。

[122]慶應」は「慶応大学」に使われたため、 その省略として「慶大」、「早慶戦」 のように使われています。元号としての省略形はほとんど見られません。 同じように 「大正大学」の「正大」 (2文字目)、 「昭和大学」の「昭大」、 「昭和女子大学」の「昭女大」 (「昭和女大」の方が一般的らしい)、 「昭和音楽大学」の「昭音大」 (「昭和音大」の方が一般的らしい)、 「昭和医療技術専門学校」の「昭医」、 「帝京平成大学」の「帝平大」、「平大」、 「福山平成大学」の「福平大」、「平大」 のような省略形があります。 「明治大学」は「明大」と略される他、 付近の駅名として「明大前駅」、 受験業界などの用語として 「MARCH」 (明治大学等5大学の総称、「M」が明治大学)、 が派生しています。 大正野球娘。 は 「たいやき」、 「大正」、 「野球娘」、 「やきむす」 と略されました >>125
[123] 元号から1文字採った固有名詞も昔からあったようです。 有名な例としては、 昭南 (大日本帝国南方占領地英領シンガポール) があります。 東京都昭島 (あきしま) は、 昭和29(1954)年昭和町拝島町が合併したことによる合成地名です (昭和町昭和時代の合併により成立したに由来)。
  • [148] 「古硯堂詩抄 平安 山田鈍子静著 著作者 印刷者 山田茂助 明治44.11月 古硯堂記(序) 明七年十有二月 朗廬阪谷素撰 非売品」 >>147 PDF 52頁

[158] 東洋文庫リポジトリ, NetCommons, https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=6328&item_no=1&page_id=25&block_id=47 PDF 5頁

[159] 東洋文庫リポジトリ, NetCommons, https://toyo-bunko.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=5671&item_no=1&page_id=25&block_id=47 PDF 16頁

[117] 近現代になると提出用書類の様式の日付記入欄でも字数節約のため、 あるいは文書番号の類の構成要素としても用いられるようになったのでしょう。

[40] 英字略号は、それに加えてローマ字表記が日本人に普及して初めて一般化し得たものといえます。 昭和時代後半頃でしょうか。 さらに昭和時代末期頃には電算処理にも使われるようになりました。

[41] 元号名文字の省略ではない数値符号は、 昭和時代末期頃、電算処理の都合上使われはじめたと推測されます。 マークシートOCR 処理される用紙のような形で一般人が記入させられることもあったでしょう。 元号コード

書籍記事 「 (しよう) 4324 (ほう) (えい)

北魏

[53] 孝昌と書いた金石文が発見されています。 孝三年

高句麗

[54] 景四年と書いた金石文が発見されています。 2文字元号の省略ではないかとの説があります。 景四年

[49] 国の時代の金石文では、

のように略していることがあります。 >>48

[52] 主に金の元号が対象ですが、 遼の元号壽昌避諱のためと略した例があります。 壽昌

4文字元号の省略形

[84] 日本奈良時代には4文字元号が使われました。 日本の公年号漢字2文字でないものは、 この時代の5号だけでした。

[1] やはり面倒だったのか、 便宜上2文字に略した事例が数多く知られています。 中には記号的に1文字に略した事例までありました。

用例

[55] 日本古代人名辞典 第4巻 (し・て), 竹内理三, 山田英雄, 平野邦雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2978022/1/17 (要登録) 右下

宝字四・六

性質

[2] 2文字の元号の慣習の強さを表すものとされます。 >>64 p.145 (新日本古典文学大系 続日本紀三, 1992, 補注17-五一 天平感宝への改元)

[31] 久保常晴は次のように解釈しました。 >>14

  • [33] 天平感宝はわずか3ヶ月で消え去ったので、その間は忠実に使われたのだろう。
  • [34] 天平勝宝時代から省略例が見つかるように、 重要な意味を持たぬ文書では省略するようになった。
  • [35] 天平勝宝は2例、天平宝字は5例と、 どちらも約8年間なので、増加傾向にあった。
  • [36] 天平神護は1年8ヶ月で1例、 神護景雲に至っては3年余で10例にも増加。
  • [37] 越前越中ど同じ方面の用例が見られることが注意される。
  • [38] 狭い面に書くのに不便だったろう、 百万塔に「云」にまで省略した例が多数見られる。
[32] 当時久保常晴が収集した範囲になかった史料が今では知られているので、 この分析もいくらか訂正が必要でしょう。

漢土

[56] shirin_082_1_102.pdf, , https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/239516/1/shirin_082_1_102.pdf#page=3

真君六年 (太平真君)

英字1文字略号

>>46

関連

[5] 近現代の元号名の省略については、 元号名元号コードも参照。

メモ