[8] 千葉県史料 金石文篇 3 補遺, 千葉県企画部県民課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641996/1/38?keyword=%E6%B0%B8%E6%AD%A3 (要登録)
[42] 永正が栄正 (旧字体: 榮正) と表記されたと思われる事例があります。
[58] 諸説とも永正に比定することで一致していますが、 江戸時代から昭和時代初期までの研究では明確な理由が示されておらず、 音通であることが当然のように扱われてきました。
[59] 日本私年号の研究は著者の活動期間から永正に比定できることを示しました (>>12)。
[60] 改めて検討すると、
... より、榮正元年は永正元年と一致すると断定できます。
[65] ここで、榮正元年の慶安から永正3年の慶満の間で録司代の代替わりがあったことがわかりますが、 その正確な時期は不明です。 >>53 はその間二通の録通代名義の文書を収録していますが、 (根拠を明記しないものの) 慶安に帰属させています。それらの日付は、
... となっています。 >>53 /167
[70] >>68 は元号名不明ですが、第二字は正とも解し得るようです。
第一字は推定すら示されていません。 >>46 は「正で干支年が甲子であることから、
永正と推定したのでしょう。第一字がまったく不明なのか、
永の可能性がある形なのか、あるいは榮の可能性もある形なのかわかりません。
他の行も行頭付近が読まれておらず、保存状態があまりよくないのでしょう。
[71] >>53 収録文書のうち、永正の初出は >>69 です。これ以後は、 慶満発給文書も受信文書も永正表記であり、榮正表記は出現しません。
[72] この利用状況を見ると、永正が一般に榮正と表記され得たとは言い難く、 改元直後にだけ限定的に使われたものだった可能性があります。
[73] 慶安自身が当初は9月 (菊月) に榮正と表記しながら、12月に永正と表記しているのだとすると、 慶安の個人的な意思ないし何者かの意識的な改変とする見方 (>>19) よりは、音優位の情報伝達で生じた偶発的な異表記で、 正確な情報の到来により訂正されたと考える方が素直に感じられます。
[74] 永正への改元は2月ですが、延徳から明応への改元が1年も遅延している (>>62) ので、9月に正確な情報が到来していないとしても不思議ではありません。
[461]
嘉永6年付の清宮秀堅による
[41] その出典は示されていませんが、 清宮秀堅の経歴によれば、香取文書の用例が根拠の可能性が高そうです。
[47] 明治時代刊行の香取文書纂は、 >>10 への注釈で、
永正ヲ榮正
ト書ルハ、 貞治ヲ淨時 ト書ルカ如 シ、
と書いています。 >>46
[48] 新撰年表と同じ貞治の事例が引き合いに出されており、 要するに音通による異表記という指摘でしょう。
[52] 昭和2年の史料集は、 >>10 を紹介して、 特に注釈もなく永正元年と題名を付けています。 >>49
[44] の 年号読方考証稿 は、 永正条で >>10 を紹介しています。 >>43
[55]
の史料集は、
>>10
を紹介して、
「
[12] 昭和42年の 日本私年号の研究 は、 異年号のうち私年号でない同音異字年号として >>10 を紹介し、 次のように述べています。 >>9
永より栄が現実的な響きをもって受け取られたことが知られる[34] 紀元類聚考に、永鎮があります。 >>37 (紀元編)
[35] 紀元編は、 >>34 を永正の誤りとしています。 >>33, >>37
[39] 昭和39年の論文は、 >>35 を紹介していますが、 単独で私年号として立項してはいません。 >>33
[38] 昭和42年の日本私年号の研究は、 私年号でなく私年号的諸資料の1つとして、 次のように述べています。 >>37
[7] 刀剣と歴史 (583), 日本刀剣保存会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7901277/1/18?keyword=%E6%B0%B8%E6%AD%A3 (要登録)
[1] 川口市史 古代・中世資料編, 川口市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/330 (要登録)
永正18年 延長年号+1年
[3] https://rissho.repo.nii.ac.jp/record/5272/files/KJ00000161220.pdf #page=3
永正11年乙亥 1年ずれ
[6] 天文法華の乱 : 武装する町衆, 今谷明, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13211890/1/127?keyword=%E4%BA%8C%E6%B0%B4 (要登録)