[45] 1つだけ報告されています。
[14]
拓本によると、第1字は明らかに永の異体字です。 >>13
[22]
第5字は、 >>1 の一冊の中で二と六の2説があり、何の説明もされていません。
>>13 の拓本によると、ちょうど凹凸か何かで字形が不明瞭となっている部分で、
二のような横線と、その下に八ともただの凹凸とも読める部位があります。
関係者内に2説あったか、あるいは途中で読みを改めたのかもしれません。
[49] 永政についての研究は、実質的に、最初の報告者である前川清一によるものだけです。 前川清一が自身の検討過程を説明したものが現段階での全てです。
[50] それによると、公年号の永正の誤りとする説と、別個の私年号とする説があり、 前者は干支年と読みが一致しないため、後者に軍配を上げます。
[51] しかし、読みが一致しないとは永正を「えいしょう」と読むことを前提としています。 「えいせい」と読むなら永政と同音になります。
[52] 私年号説は、様式論から永正年間 (永正2年 = 永政元年) と結論付けられています。 だとすると、同音で字形もよく似た2つが同時期に存在していたことになり、 両者がどのような関係か説明を要すると思われます。
[54] 様式からの時代の絞り込みは、 当地の多くの金石文を見てきた前川清一の経験によるところも多いと思われるところ、 時代の幅が60年周期に対して十分狭められていると言えるものか不安が残ります。 より厳密な実年代の範囲を確定できる手法の開発・適用が期待されます。
[23] の書籍は、 >>9 を紹介しています。 執筆者の前川清一は地元の郷土史家で金石文の専門家であり、 本書の調査で私年号用例が確認されたものとのことです。 >>1
[24] 本書によると、前川清一の考察の過程は次の通りです。 >>1
[43] その後の熊本県関係の私年号の列挙に永政が紹介されることがあります。 前川清一が関与したものか、それに由来すると思われるものです。
[46] その後令和時代に至るまで、 日本全国規模の私年号の一覧表などに掲載された事例は知られていません。 >>47
[48] 熊本県の私年号は千々和到の表経由で拡散されたものが多いのですが、 永政は報告が新しいため、このルートに乗れなかったのでしょう。
[53] 文亀4(1504)年2月30日: 永正に改元 (甲子年)
[4] 要検討: