[102] 板碑用例は調査の進展と共にどんどん増えており、何度か集成されています。
[106] の集計によると
が知られています (亡失資料を含みます)。 >>97
[116] このうち武蔵地域に59基あります。また、同時期の公年号である延徳3年銘が25基あります。 >>97 >>97 には一覧表があって、福徳・延徳3年の通しでNo.01 から No.84 まで連番が振られています。
[117] 武蔵の59基中、
にわけられます。 >>97
[38] 青梅 : 定本市史, 青梅市史編さん実行委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3022484/1/130 (要登録) /311, /326
福徳2 = 延徳2、文正説も
[41] 八王子市史 下巻, 八王子市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3022498/1/735 (要登録)
福徳2 = 1467, 1491
[46] 大宮市史 第2巻 (古代・中世編), 大宮市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2989704/1/296 (要登録) /318
[47] 町田市史史料集 第4集, 町田市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641054/1/163 (要登録)
[55] 戸田市史 資料編 1 (原始・古代・中世), 戸田市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9642301/1/305 (要登録)
[56] 戸田市史 通史編 上, 戸田市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643895/1/327 (要登録)
[59] 田沼町史 第3巻 (資料編 2 原始古代・中世), 田沼町, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643164/1/322 (要登録) /330
[60] 酒々井町史 通史編 上巻, 酒々井町史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644122/1/119 (要登録)
[61] 騎西町史 考古資料編 2 別冊, [騎西町教育委員会]社会教育課郷土史料係, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644935/1/15 (要登録)
[64] 千葉県史料 金石文篇 3 補遺, 千葉県企画部県民課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641996/1/79 (要登録)
[67] 板碑入門, 小沢国平, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2980023/1/78 (要登録)
[68] 川口市史 古代・中世資料編, 川口市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/317 (要登録)
福徳元年辛亥
[86]
日本国東京都練馬区南大泉妙福寺 月待信仰板碑
「福徳元年
[96] テキスト / コラム 板碑に刻まれた私年号, https://adeac.jp/miyashiro-lib/text-list/d100010/ht200510
[173] 練馬区史 歴史編, , https://www2.i-repository.net/contents/myc/text_2rekishihen/rekishihen_honcho6.xhtml
[332] 日本国東京都青梅市吹上 宗泉寺 板碑 >>492 (青梅市の板碑, 青梅市教育委員会, ):
[337] 日本国東京都青梅市今寺 泉蔵院跡 板碑 >>492 (青梅市の板碑, 青梅市教育委員会, ):
[40] 立川市史研究 第3冊, 立川市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2989350/1/39 (要登録)
[42] 立川市史 上巻, 立川市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9640331/1/376 (要登録)
[69] 川口市史 古代・中世資料編, 川口市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/338 (要登録)
かつて福徳二年と読まれていたが不明に
[95]
>>80
東村山市徳蔵寺 板碑(上部欠) 右行「
銘文部分の拓本写真あり。銘文のおよその字形がぎりぎり読み取れる解像度。
[51] 水沢市史 2 (中世), 水沢市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9569710/1/385 (要登録)
文正元年
[62] 宮城県史 第1 (古代史・中世史), 宮城県史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2995409/1/238 (要登録)
[372] 宮城町誌, 宮城町誌編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3019310/1/27 (要登録) /35
[182] 宇那禰神社の情報| 御朱印集めに 神社・お寺検索No.1/神社がいいね・お寺がいいね|15万件以上の神社仏閣情報掲載, https://jinja-bukkaku.net/detail.htm?jbId=71460
芋沢字明神に鎮座する宇那禰神社は、桓武天皇を祭祀しており、創祀年代は明らかではないが、封内風土記によれば、社殿造営の際に梁の上に古い棟札が3枚あり、その中の1枚は、藤原朝臣長沼伊勢守政継が、福徳元年(福徳という年号は公式にはないが、非公開の年号で西暦1490延徳2年にあたっている。)に建立したという棟札、その2は、藤原朝臣長沼式部少輔宗次が天文5年丙申(1536)に建立、その3は、藤原朝臣長沼郷六大膳宗家が永禄5年壬戊(1562)に建立したという棟札である。
[43] 福島市史 第6巻 (原始・古代・中世資料(資料編1)), 福島市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2993589/1/205 (要登録) /250 /65
[44] 福島市史 第1巻 (原始・古代・中世(通史編1)), 福島市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3027510/1/335 (要登録)
[50] 郡山市史 第1巻 (原始・古代・中世), 郡山市, 郡山書店連盟, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9569414/1/308 (要登録)
[45] 郡山市史 第3巻 (近世 下), 郡山市, 郡山書店連盟, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9536826/1/74 (要登録)
[48] 郡山市史 第8巻 (資料 上), 郡山市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9569387/1/202 (要登録)
[49] 町田市史 上巻, 町田市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641034/1/386 (要登録)
[53] 図説福島市史, 福島市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641429/1/54 (要登録)
[371] 福島県歴史資料館研究紀要 (1), 福島県歴史資料館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4421275/1/43 (要登録) 右下
鰐口 平時福徳三年辛宛六月日
[380] 幸田一族の墓域.indd - 29.koudaitizoku.pdf, , https://www.city.yashio.lg.jp/kosodate/bunka/bunkazai/shiteibunkazai.files/29.koudaitizoku.pdf
昭和 47 年 3 月 9 日 八潮市指定記念物(史跡)
●八潮市中央3丁目 19 番地2(妙光寺)
福徳3年日正筆私年号曼荼羅(非公開)
[94]
「下総国松沢大権現鰐口也
大機翁曰、昆陽漫録ニ載ス鎌倉鶴岡八幡宮座不冷所着到ノ軸ニ福徳二年四月一日ト彫テアリ、
同所光明寺ニ祈禱ノ額ノ裏ニ福徳二年辛亥九月吉日トアル由鎌倉志出、
一条過去帳ニ延徳二年十二月十七日板垣善満逆修、福徳二年正月四日同五月一日トアリ、延徳三年七月六日、八月十三日同九月十六日ト記セリ同六月十日云云、按ニ庚戌十二月ノ末ニ改元、但シ復二延徳
一ニ 六月十日ノ後七月六日迄ノ間ナリ
[369] 一条過去帳は一蓮寺過去帳のこと (>>295)。
[398] 甲子夜話 : 未刊 第1, 松浦静山, 坂田勝 校訂, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2933205/1/80 (要登録)
[295] 日本国山梨県甲府市太田町の一蓮寺の 一蓮寺過去帳 には、次のような日付がみられます。 >>492
[280]
常在寺所蔵聖教に福徳2年辛亥5月16日の写本奥書があります。
[281] 日本国山梨県塩山市竹森 玉宮神社旧蔵大般若経 (野尻倹之助所蔵) について、 の塩山市市史編さん係と山梨県の県史編さん中世部会の合同調査によると、
がありました。 >>279
[134] 甲斐近世史の研究 上, 磯貝正義, 村上直 共編, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9537166/1/32 (要登録)
[52] 水海道市史資料集 第4集 (諸家文書), 水海道市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641441/1/7 (要登録)
[54] 日光市史 上巻, 日光市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641847/1/513 (要登録)
[57] 久喜市史 資料編 1 (考古・古代・中世), 久喜市史編さん室, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644349/1/255 (要登録)
[58] 会津坂下町史 2 (文化編), 会津坂下町史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9640725/1/193 (要登録)
[353] >>351 >>352 は発給者不明で、茂木上総介宛です。 茂木上総介は天文20年に同じような御教書を古河公方足利晴氏から受け取っているため、 これらの発給者を古河公方足利成氏とする渡部恵美子の説があります。 >>594
[355]
渡部恵美子は、
私年号は寺社で呪術的に使われたものと主張していました (
[386] 日本古文書ユニオンカタログ - 詳細, https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w21/detail/20210310001048?dispid=disp01
【管理番号】 66503703426023
【和暦年月日】 (延徳3年)6月2日(14910060020)
【文書名】 足利政氏補任状
【詳細内容】 私年号「福徳二年」と記す。
[385] 日本古文書ユニオンカタログ - 詳細, https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w21/detail/20210310001094?dispid=disp01
【管理番号】 66503703426069
【和暦年月日】 (延徳3年)7月12日(14910070120)
【文書名】 足利政氏補任状写
【詳細内容】 「補遺 茂木文書(流出文書)」所収、私年号「福徳二年」と記す。『栃三』五三
[74] 延徳および福徳は当時日光山全体で使われた (公年号は使われなかった)
と推測されています。
[341] 諏訪文書に「福徳元年十二月一日」が2通あります。 >>340
[342] 信濃史料はこれを延徳2年に排列していますが、 延徳2年12月にも同様の文書があり不審だと注記しています。 >>340
[343] 延徳元年、延徳3年、延徳4年にもあるので、前後にも収まらず謎です。
更に前後、本書収録範囲の応仁2年から明応2年まで、毎年すべて埋まっていて、どこにも福徳元年が入る余地がありません。
[348] 延徳の4組はすべて当社神幸記、福徳だけ諏訪文書で出典が違うのも関係ありそうです (どちらも諏訪家所蔵)。延徳の4組には干支年があり福徳にはまったくないのも不思議で、 我々には都合が悪い。
[349] 元号を改めて当社神幸記に収録したということでもなさそうです。 日付がどれとも一致していません。延徳元年が一番近いですが...
[350]
平成時代の歴史研究者渡部恵美子は、
干支年がなく福徳元年がいつに当たるか定かでないものの、
信濃史料が
「
[88]
続群書類従本妙法寺記延徳元年条に、
「京ニテハ正享二年ト延徳ヲ改玉フ也。・・・又京ニテ王崩御トテ。福徳二
[91] 私年号の正享が同時期に伝えられたこと、 足利義政、足利義尚の死去が改元理由と伝えられたことがわかります。 >>80
[213] 日本の人形芝居, 堂本寒星, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1125715/1/30 (要登録)
[222] 吉井良尚選集, 吉井良尚先生古稀勤続五十年祝賀会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2965396/1/48 (要登録) 左
[253] 民俗芸能研究 (5), 民俗芸能学会編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7959555/1/13 (要登録) 左上
鹿児島
鹿児島
[252] 夜須町史 下巻, 夜須町史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9576271/1/227 (要登録) 右
福岡県
[215] 近畿民俗 = Bulletin of the Folklore Society of Kinki : 近畿民俗学会会報 (18)(26), 近畿民俗学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6046000/1/20 (要登録) 左下
石見国
「福徳元年正月三日まだ卯の刻になるかならざるに信濃国武井宮の元安が木のもとで」
松江藩
広島 因島
[234] 家船民俗資料緊急調査報告書, 広島県教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9769128/1/61 (要登録)
[240] 広島県民俗資料 8, 村岡浅夫, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9573980/1/167 (要登録) 左
[236] いきなじまというところ : 生名島と久兵衛さんの増刊号, 森本正勝, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9768994/1/193 (要登録)
愛媛県 (因島の隣)
[214] 祭り風土記, 宮尾しげを, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9542658/1/40 (要登録)
関西
[211] 淡路の人形芝居, 広川清, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1055520/1/53 (要登録)
[224] 淡路島の民俗, 和歌森太郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9544744/1/191 (要登録)
[249] 兵庫教育 37(12)(420), 兵庫県立教育研修所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7924527/1/2 (要登録)
淡路島
[201] 民俗芸術 3(9)(33), 民俗芸術の会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1524799/1/20 (要登録) 右下
徳島県
[216] 近畿民俗 = Bulletin of the Folklore Society of Kinki : 近畿民俗学会会報 (19)(27), 近畿民俗学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6046001/1/19 (要登録) 左上
徳島市
[220] 柿島村史, 柿島村誌編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2993276/1/217 (要登録) 左
徳島
[225] 浦庄村史, 浦庄村史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2998251/1/309 (要登録) 左
徳島
[226] 貞光町史, 徳島県美馬郡貞光町史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3022340/1/810 (要登録)
[232] 芸能 11(12)(130), 芸能学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2276325/1/17 (要登録) 右
徳島県 三好
>>209 阿波
[219] 神領村誌, 神領村誌編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2996786/1/408 (要登録) 右下
徳島
[227] 諸国祭礼行脚, 宮尾しげを, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9545320/1/40 (要登録)
徳島
[233] 正月の行事 第3 (徳島県・三重県), 文化庁文化財保護部, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9546162/1/33 (要登録)
徳島
徳島県
[218] 七十七年の回顧, 高畠亀太郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3008610/1/63 (要登録) 阿波
[243] 徳島の研究 第7巻 (民俗篇), 石躍胤央, 高橋啓, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9575152/1/59 (要登録) 右
阿波、淡路
[203] 讃岐俗謡集, 笑門散人, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1233932/1/10 (要登録)
[217] 法勲寺村史, 法勲寺村史編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2998191/1/233 (要登録) 左上
香川県
[235] 詫間町誌 : 新修, 詫間町誌編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9573069/1/497 (要登録)
香川県
[237] 財田町誌, 財田町誌編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9572806/1/508 (要登録) 左
香川県
[238] 高瀬町誌, 高瀬町誌編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9573154/1/462 (要登録) 左
香川県
[241] 豊中町誌, 豊中町誌編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9770490/1/480 (要登録) 右下
香川県
[244] 新編香川叢書 民俗篇, 香川県教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9574940/1/371 (要登録)
香川県
[221] 愛媛民謡集, 愛媛県史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9544183/1/192 (要登録) 右下
[239] 長浜町誌, 長浜町誌編纂会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9769393/1/443 (要登録) 左上
[185] えびす信仰事典 - Google ブックス, , https://books.google.co.jp/books?id=glXcN9r6GhAC&pg=PA166&dq=%22%E7%A6%8F%E5%BE%B3%E5%85%83%E5%B9%B4%E6%AD%A3%E6%9C%88%E4%B8%89%E6%97%A5%22
えびす様の石像(勝山町)エビス石像. -166- 、家々を寿いだ。「まずはめでたやめでたや、西宮の恵比須三郎左衛門尉は、まろが生まれはいつぞと聞けば福徳元年正月三日は ...
[242] 信濃 [第3次] 31(1)(349), 信濃史学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6069832/1/7 (要登録)
愛媛
[248] 三善生活誌 第1輯 (肱川とむら), 常磐井忠伽, 森正経, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9576123/1/149 (要登録) 右
愛媛
[247] 愛媛県史 民俗 下, 愛媛県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9774873/1/143 (要登録) 左下
[254] 土佐史談 (197), 土佐史談会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7913140/1/15 (要登録) 左
高知県土佐清水市
[223] 上南部誌, 上南部誌編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3020954/1/403 (要登録)
和歌山
[191] 倭文麻環 巻之5,6, 白尾国柱 (斎蔵), 山本盛秀, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/899885/1/45
福徳元年正月7日、まだ巳の刻にもならないとき
[194] 徳川文芸類聚 第9, 国書刊行会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/945814/1/128 左下
「福徳元年正月三日まだ卯の刻に」
[198] 謡曲界 12(1), 丸岡出版社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1531893/1/49 (要登録) 左上
「福徳元年正月三日まだ卯の刻に」
[202] 大日 (22), 大日社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1595728/1/87 (要登録)
[205] 民政 7(1), 民政社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1583468/1/56 (要登録) 左中央
[208] 辻風土記, 山下待夫, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1234829/1/278 (要登録)
[210] 木太刀 33(1), 木太刀社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2346896/1/27 (要登録)
[168] 日本国広島県広島市安佐南区沼田町阿刀神楽 (広島県指定無形民俗文化財) 恵比寿舞 >>97 (若田佳子)
そもそも恵比寿三郎殿の御誕生は何時ぞやと ふくとく元年閏(の)正月の初(の)三日 巳の年 巳の日 巳の刻に御誕生なされしが 産湯の次第も面白し
[175] ウェブ上では平成時代に確かに 恵比寿舞 が舞われていたらしいことはわかりますが >>174、 その内容まではわかりません。
[256] これ1例だけ他と系統が違いそう。ウェブ上にはこの系統のものがまったく見当たりません。 これはたまたまなのでしょうか。それとも本当に孤例なのでしょうか。
[261]
>>168 の三日巳年巳日巳刻はもともとは言葉遊びというか語呂合わせで出てきたのでしょうけど、
三寅
筒賀村大歳社の神楽歌:広島県安芸地方の山間部は神楽が盛んな地域で、方々の神社に神楽関係資料が
所蔵されている。そのうち山県郡筒賀村の大歳社にある神楽資料は江戸時代後期からの貴重なものである。 本稿の主題と関わるのは幕末から明治にかけて使用されていた神楽の詞章帳である『正行本』、でそこに 収録された神楽の詞章のうち「将軍」「恵比寿」に「崇宝元年」が、「尼ノジヤク」に「応久三年」が登場す る。これらはいずれも明治期に筆録されたものであるが詞章そのものは江戸時代に遡り、特に旧舞に属す る「将軍」は寛延~明和年間(一八世紀中頃)に行われたという。
[187] えびす信仰というものは全国に広がっているようですが、ウェブ上でこの謡の痕跡が見つかるのは瀬戸内海と四国が中心で、その周囲にちらほらと見られます。 これは実際の地域分布なのでしょうか、 それともたまたまウェブ上で見つかるのがこれだけなのでしょうか。
[188] 瀬戸内海沿岸を除くと中国地方にはほとんどなく、 九州も鹿児島以外ほとんどない、 中心地の四国も高知県はほとんどない、 という分布はとても興味深いです。
[255] 西宮神社についての伝承であるにも関わらず、 西宮神社自体を除けば兵庫県本土や近畿地方にはぜんぜん分布していないのも不思議です。
[189] 各地域とも 「いってん」の解釈に苦労していそうな感じがしますが、 「一点」、点は時刻単位と解釈するのが妥当でしょう。
[258] 本項の通り西日本各地に分布していることは、明治時代以来数々の記録がありますが (ウェブで見つからないだけで近世にも記録はあるのではないでしょうか)、 その内容の考察がほとんどされていないのは不思議です。
[259] 「福徳元年」についても考察はほとんどありません。 民俗学はそれがいつかあまり重視していないし、 歴史学は民俗学的資料をあまり扱わないのでスルーされてきた感じですかね。
[170] この「福徳元年」は令和2年まで私年号研究分野では報告されていなかったようです。
[190] >>180 16世紀前半といういい感じのタイミング、なんだか気になりますね。
[263] 組み合わせとしては
が考えられますね。どれもそれなりの理屈は立てられそうですが、これといった確証は今のところなにもありません。
[267] 恵比寿と「福徳」というキーワードは「福徳元年」と関係ないところでもかなり強く結びついていて、 >>263 のどの起源だとしてもそれが発展して「福徳元年」伝承の元になった (「福徳元年」伝承から恵比寿と「福徳」の関係が生じたのではない) ように感じられます。
[260] >>259 でも弥勒元年の伝承は民俗学方面で一応言及はされてますし、 「弥勒元年」「福徳元年」みたいな表現が何なのかって民俗学的にも普通に興味持たれそうな題材ではないのですかねえ?
[262] このタイプのなんとか元年って他にはないんですかねえ?って聞いたら答えてくれる博識の学者さんはいそう。 でもそういう論文は出てこない。深掘りはされてなさそう。
[365] 「福徳の三年目」「福徳の百年目」という言葉があります。
明治17年11月11日 日本国長野県南佐久郡南相木村字栗尾の山中の炭焼小屋で働く久作
「南無有難や、有難や、福徳の三年目。や、寸刻もこう
しちゃゐられねえ。」
[27] 当文章は秩父暴動の首謀者の親族が昭和初期に執筆したドキュメンタリーです。 事件とその後の逃亡の様子が描写されています。 当事者らへの取材で構成されたものでしょうが、 会話等の細部がどれだけ史実に忠実かは不明です。
[29] 当該部分は逃亡者に遭遇した現地民の会話です。 久作は仕事で山に篭もりっきり、 世情に疎く秩父暴動の騒ぎにも気づかないどころか未だに髷を結っている時代遅れの老人だとわざわざ説明されています。
[360] 事件当時に老人ということは昭和50年どころか筆者と生存期間が重なっているかも疑わしく、 わざわざ伝承されるような重要な台詞でもないので、創作の可能性がありますね。 もしそうだとすると、 「福徳の三年目」 は 「昭和の人がイメージする明治の老人の言いそうなこと」 ということに。
[367] XユーザーのCheese!編集部さん: 「佐倉紫露先生の「レイアイ同盟」は、霊を成仏させる男子×霊を呼び寄せる女子のラブファンタジー!さらに、歪んだ愛を描いた「福徳の百年目」、夢のある女子は共感必至な「コンプレックス・ハーモニー」の3編を収録! https://t.co/jW4EEirsmj」 / X, , https://twitter.com/monthly_cheese/status/659635617861505024
[192] 川柳獅子頭 3(3), 獅子頭発行所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1511890/1/13 (要登録)
[193] >>192 福徳、弥勒を不時の正月の一種だったとする説。
[294] 武蔵野歴史地理 第1冊, 高橋源一郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3432375/1/206 (要登録)
[382] 刀剣刀装鑑定辞典, 清水孝教, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1222005/1/271 (要登録)
[389] 昭和7年の久保常晴の論文では、福徳は4種あると指摘しています。 >>388
[81]
千々和到は他の私年号と異なる福徳固有の特徴を5つ指摘しました。
>>80
[92] 福徳の用例は日本私年号の研究に63件、うち板碑が23件ありました。 >>80
[93] 昭和時代後期時点で東国板碑調査団の十年の調査の資料の整理 武蔵国板碑集録, 千々和実編が一部刊行済 途中でしたが、 板碑用例は倍増すると見込まれました。 >>80
[276] 平成時代初期時点で延徳3年、福徳の板碑の武蔵国における分布を図示しましたが、 どちらも武蔵国に満遍なく所在していること、 延徳3年は少数で大多数は福徳であることがわかります。 >>444
[277] また、図には示されていませんが、武蔵の東側には福徳元年が比較的多く、 西側では福徳2年が多く用いられています。 >>444
[278]
同じ延徳3年が福徳の違う年数で使われていることは、
複数の改元伝達ルートの存在を示唆しています。
[325] 平成時代初期の歴史研究者渡部恵美子は、 これらの日本国山梨県域の用例 (>>295 >>280 >>281) から、 甲斐国では延徳3年の1月頃から6月頃まで福徳2年が使われ、 その後7月頃から延徳3年が使われるようになったとしました。 >>492, >>97 (渡部1997)
[328] ところが山梨県には11月8日の板碑も1例あります (>>326)。 渡部恵美子はこれが公年号と私年号が選択的に使用された証拠で、 板碑という場だから呪術的な目的で私年号に使ったのだと説いています。 >>492
[329] しかしそれではなぜ一蓮寺を始め甲斐国一円で呪術が6月に不要になったにも関わらず、 1例の板碑でだけ呪術を「復活」しなければならなかったのかは説明されていません。 当該板碑のある地域で前後にどのような年号が使われたのかも不明です。
[338]
渡部恵美子はまた、
日本国東京都青梅市の
「
[339] しかしやはり一方の板碑は呪術を必要とし、他方は不要としたのかは説明されていません。
[99] 、 日本国東京都府中市の歴史研究者深澤靖幸は、 福徳の板碑を計量的に分析してその伝播の様子を詳細に描き出しました。 >>97
[100] この研究は武蔵地域の板碑を対象としています。 福徳銘の板碑のほとんどは武蔵に分布しているためなのですが >>97、 域外は対象外となることや、板碑以外の金石文や文献なども対象外となることには、 注意が必要です。
[123] この研究では、
といった指摘がありました。 >>97
ふくとく
>>97 の結論の要約 + いくつかの資料のカラー写真
[272] テキスト / 板碑(いたび), https://adeac.jp/miyashiro-lib/text-list/d100010/ht200500
また、西光院の福徳(ふくとく)元年銘阿弥陀三尊種子板碑は、私年号板碑であり、この板碑からこの時期におけるこの付近の領主は古河公方とも考えられている。
[273] >>272 これは中世私年号の一部と足利成氏との関係を指摘した説を誤って拡大解釈しているのでは...?
宮代町における私年号は、西光院にある板碑に刻まれた「福徳元年□月三日」銘である。「福徳」は、延徳元年(一四八九)に甲斐国あたりで疫病が流行し、翌年の秋は異常寒気となり降雪に悩まされていた。そのため、これまでのように年号を変えることによって、この惨況を克服するため公年号の一字を入れ替えて「福徳」と命名したと考えられている。福徳元年は延徳二年に該当する。
私年号の「福徳」が使用された範囲は、武蔵、相模をはじめ関東地方一帯に及んでいる。
(カラー写真あり)
[2] 練馬区史, , https://www2.i-repository.net/contents/myc/text_1junenshi/junenshi_honcho2.xhtml
[3] 刀剣と歴史 (431), 日本刀剣保存会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7901125/1/20 (要登録)
関東の公年号無視風潮の極限が偽年号 私年号
文正元年 福徳 継続年数不明
常陸 妙法寺過去帳 延徳2年 = 福徳元年 → 関東、甲斐、奥州。 大飢饉と前年の将軍足利義政死去
福徳3年 「神武以来?」の豊作が年号のためと大騒ぎで「福徳の三年目」という諺に、 思いがけず幸運に巡り合うという意味。 福徳の神は3年目にやってくると解説する辞書は曲解。 「福徳の百年目」は原義を知らない濫造。
相州住宗吉 短刀 福徳二年 水戸家家老中山氏家来の差料だったもの
[4] 日本歴史論究 : 遺物遺習資料と歴史研究 昭史会三十周年記念論文集, 東京教育大学昭史会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2972384/1/99 (要登録)
[5] 東京都文化財調査報告書 第19 (西多摩文化財総合調査報告書 第1分冊), 東京都教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2476882/1/83 (要登録)
[6] 東京都文化財調査報告書 第19 (西多摩文化財総合調査報告書 第1分冊), 東京都教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2476882/1/85 (要登録)
[7] 史跡ある記 続, 石島潔, 上尾市企画財政部広報課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644437/1/62 (要登録)
[8] 埼玉県史 第四巻, 埼玉県, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3439275/1/309 (要登録)
[9] 富士見市史 資料編 3 (古代・中世), 富士見市総務部市史編さん室, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643536/1/112 (要登録)
福徳元年1例、2年辛亥4例、いずれも図録に拓影
巻頭に写真1例
[10] 浦和の歴史と文化を知る本, 青木義脩, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9642619/1/94 (要登録)
[11] 難波田城資料館の「私年号板碑」が新聞で紹介されました|富士見市, Fujimi City, , https://www.city.fujimi.saitama.jp/madoguchi_shisetsu/02shisetsu/shiryoukan/nanbatajo/exhibitions/Fukutoku-itabi.html
[12] 歴史考古学 (5), 歴史考古学研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7951453/1/30 (要登録)
[13] 考古学雑誌 = Journal of the Archaeological Society of Nippon 9(6)(233), 日本考古学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3548248/1/23 (要登録)
[14] 徳蔵寺(とくぞうじ)釈迦三尊種子板碑, , https://kawai24.sakura.ne.jp/tokyo-tokuzouji-40_90_179_227.html
[16] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7
私年号 異説 元年相当公年号(西暦) 継続年数 典拠・備考 福徳 - 延徳元年(1489年)など 不明 『旧録司代家文書』(『香取文書』)、『本土寺過去帳』など多数
[17] 武蔵国板碑集録 : 板碑発生最密集地域精査 第2 (旧比企郡), 千々和実, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2998370/1/46 (要登録)
[18] 武蔵国板碑集録 : 板碑発生最密集地域精査 第2 (旧比企郡), 千々和実, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2998370/1/148 (要登録)
[19] 仏教考古学講座 第五卷, 雄山閣, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1914064/1/82 (要登録)
[20] 板碑概説, 服部清五郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/384 (要登録)
[30] 千葉県史料 中世篇 香取文書, 千葉県史編纂審議会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3450860/1/23 (要登録)
[31] 群馬県史 資料編 8 (中世 4 金石文), 群馬県史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644240/1/192 (要登録)
[32] 群馬県史 資料編 8 (中世 4 金石文), 群馬県史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644240/1/379 (要登録)
[34] 室町時代の1490年ごろ、関東以北では「福徳」という、なんともめでたい「私年号」が使用されていた - Google 検索, https://www.google.com/search?q=%E5%AE%A4%E7%94%BA%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE1490%E5%B9%B4%E3%81%94%E3%82%8D%E3%80%81%E9%96%A2%E6%9D%B1%E4%BB%A5%E5%8C%97%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%80%8C%E7%A6%8F%E5%BE%B3%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%81%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A8%E3%82%82%E3%82%81%E3%81%A7%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%8C%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E3%80%8D%E3%81%8C%E4%BD%BF%E7%94%A8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F
室町時代の1490年ごろ、関東以北では「福徳」という、なんともめでたい「私年号」が使用されていた。 飢饉や戦乱が続き、「そろそろ改元があってほしい」「徳政があってほしい」との期待から私年号が広がった。 続いて、反政府という文脈で改元が準備された近代の例も見ておこう。2019/04/03
論点:元号を考える | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20190402/ddm/007/040/133000c
[35] 私年号曼荼羅.indd - 18.mandara.pdf, , https://www.city.yashio.lg.jp/kosodate/bunka/bunkazai/shiteibunkazai.files/18.mandara.pdf
[63] 神奈川県の歴史, 中丸和伯, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9536176/1/66 (要登録)
変革を望む声が広まっていた、その証拠に公年号を拒否して私年号福徳を使っている。
[357] 福徳の草書を低解像度画像で見たら延徳になるような気がしてきた。。。
[358] 実際は延徳時代に福徳が出現したし、低解像度画像がそう見えたからどうなんだという話ではあるんだが。 でも文字図形として似てないとは言い切れない可能性が出てきたのは収穫なのかも。
[359] 中世の草書で「延」が「福」に見えるとか「福」が「延」に見えるとかが発見されないか?
[383] Xユーザーのところてんさん: 「安野君のポスター張りを手伝おうかと思って申し込みフォームから張ってない場所の地図を見ているんだけど 都心部はほぼほぼ張り終わっていて、郊外はほとんど埋まってなくて、 支持者が都心に集まっていることが図らずとも可視化されていてめちゃくちゃ面白い 例えば、荒川が境界線になってたりする https://t.co/Ckarev7Pg8」 / X, , https://x.com/tokoroten/status/1804467114172158248/photo/1
[384] >>383 川を挟んで綺麗にわかれてるけど、完全に綺麗ではなくてぽつぽつ混じってるのがちょっと不思議でおもしろい。 たまたま人が寄りにくいとか逆に行きやすいとか、たまたまそこの近くの人がいたとかいろいろと事情はあるのだろうけど。
で、これを一目見たとき、これって福徳元年と福徳2年の分布図じゃんwって思っちゃったw
どちらも結局地形から街が出来て人が動いて生じる結果の現象だから似てくるのかな。 きっとこういう現象は他にももっといろいろありそう。探せばもっと福徳板碑分布に似てるのも見つけられそう。
[387] XユーザーのDr. Yusuke YAMASHITA, PhD, Associ.Prof. of CSRさん: 「歴史上、日本には「私年号」「異年号」と言われるものが存在する。これは、 元号の一字を縁起の良い文字に変えて使う、という縁起物的風習であり、 例えば、「延徳」を「福徳」として使用した事例が存在する(※二代古河公方・足利政氏の御書の事例)。 (参照:市村高男『足利成氏の生涯』)」 / X, , https://x.com/YAMASHITAnoID/status/1631488764248993793