[1] 集古 戊寅(3), 集古会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1890795/1/11 (要登録)
異年号 元眞元年五月日
[12] 千々和到は元真は鎌倉時代の年号ではないかと考えている (南北朝時代ではない) と述べています。 >>11 (根拠は記載なし。)
[10] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7
私年号 異説 元年相当公年号(西暦) 継続年数 典拠・備考 元真 - 14世紀半ば 不明 埼玉県小川町発見板碑。公年号「元徳」の異表記か。
[3] 杉山城址の碑が建てられる 1953年 - 嵐山石造物調査会, https://blog.goo.ne.jp/sekizoubutu/e/a905ce494e8ebdd4e068b844304d523b
杉山城址と特殊私年号青石塔婆に就いて 寺島祐
◇特殊私年号青石塔婆
僕が杉山城址を発見した日は詢に多幸な日で、ここに掲げる「特殊私年号青石塔婆」もその同じ道に発見したものであった。その場所は、武蔵嵐山駅から宝城寺への途中の県道の傍で、そこにあった個人墓地のような処にあった。
併し此日僕がそこに発見した梵字弥陀三尊に梵字光明真言を刻んだ青石塔婆は僕の記憶にない珍らしい年号が刻まれていた。それは
「元真元年九月廿三日」
というもので、干子がないのが些か気になるが、その「元真」の年号は将に特殊な私年号であると観じたので、直ちに至近距離にあった曹洞宗の大谷山宝城寺の住職にその保管を依頼したものである。結局これは、それまで誰も気着かなかった新たな私年号の一つを、僕がこの日この所に新たに発見した訳で、それは小事ながら史学界に於ける一つの新発見といえよう。
『関東史蹟会報』第195号 1960年(昭和35)9月11日
[4] 仏教考古学研究 - 石村喜英 - Google ブックス, , https://books.google.co.jp/books?id=NbIwAAAAMAAJ&q=%22%E5%85%83%E7%9C%9F%22
373 ページ
これらはカッコ内の公年号を誤って記したか、異字にそれほど違和感や正誤感をもたなかったための表記であったものと思われる。ゆえに、私年号からはここでは除外し、同音異字年号として扱っておく。また片仮名交り私文で表示した「永ワ」(永和)なども、 ...
374 ページ
... 鎌倉末期)、元真・至大・致得・永幻(以上南北朝)、徳昌・享正・延徳・福徳・徳応・弥勒・命禄(以上室町時代)の一例であるが、これらの板碑所在地をはじめ、これを公年号に比定すると、それぞれどの年代に該当するかを、以下簡明に明らかにしたい。
375 ページ
た(註 9 )が、埼玉県で調査の『板碑』でもこれを「元悳(徳)」とし( # 10 )て、同様の観点に立っている私年号板 埼玉鼻比企郡嵐山町志賀高崎武治氏 表示された(註)が、久保常晴氏はこれを「元真」と見做し、私年号として解明を加えている( # 12 )。 ... ところが千々和実氏坂は「元真元年九月廿三日」として、「元真」とはしながらも真字のかたわらに「徳?」とし、「元徳」への疑問を併せて銘文中、年号の二字目がやや不明確ながら、大沢氏はこれを「元悳(徳)元年」と見て、「元徳」の同音異字年号と ...
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板 私年号板図 130 弥勒 2 年 9 月 され、しかも「如」件」の用例からみれば、恐らく康永(一二~一四)前後のものであろうと ... 熟知の一基であるが、あるいは一般的といえるかどうか、これを同音異字の「至徳元年甲子(三四)」とすることが行われている。
[18] 昭和時代の日本国埼玉県浦和市の歴史研究者中英夫は、 埼玉県内に
があると紹介しました。いずれも実見しているようです。 >>117
[19] 延真の類例を挙げて、元徳のことだと判断しています。
[8] 中英夫は後に日本私年号の研究が >>17 を元真と判断したことを
「
[6] 川口市史 古代・中世資料編, 川口市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/242 (要登録) 左下
[13] 神奈川大学 学術機関リポジトリ, https://kanagawa-u.repo.nii.ac.jp/records/14171 #page=64
[14]
>>46 は元得3年4月日板碑を >>117 を出典に掲載しています。
「