[216]
四分暦は、
基本的に史記にある司馬僊らの太初暦と同じでした。
>>201
[208] 章法を使うのは三統曆と同じでしたが、 1年 = 365日とし、 月の大小と閏月は 4章 = 76年 = 1蔀で循環しました。 日干支は80章で循環しました (1520年紀法)。 >>201
[5] 太初暦については史記巻26、暦書に記載があります。 >>3
[6] 一部抜粋すると次の通り。 >>3 (表記は現代風に改めた。)
[7] これだけでは意味不明ですが、史記索隠に解釈があり、 他に説明もできません。 すなわち: >>3
... です。
[10] 従って、
[11] さて、
太初元年 | 12 | 00 + 54日 = 00 + 54 |
---|---|---|
太初二年 | 12 | 54 + 54日 = 60 + 48 |
太初三年 | 13 | 48 + 23日 = 60 + 12 |
太初四年 | 12 | 12 + 54日 = 60 + 07 |
天漢元年 | 12 | 07 + 54日 = 60 + 01 |
... のように計算できることから、前列の大余は朔日の干支を表す数だとわかります。
[12] 前年冬至 (夏正の11月) の朔を天正経朔と呼んで暦算の起点とする慣習があり、 本文にも朔日冬至とありますから、前年11月朔を指すと解釈できます。
[13] 日得甲子、無大余と最初にあることから、 0 は甲子とわかります。
[14] ここから太初0年11月朔は甲子、 太初元年11月朔は戊午、 太初2年11月朔は壬子、 などとなります。
... です。また1日は32等分されました。これを同様に 60 の循環分を除去すると、 5日という値を得られます。 やはり同様の計算から、 大余は冬至の日干支を表し、 小余は冬至の時刻を表すことがわかります。
[17] 後漢書巻13、律暦志下には、 「章法十九、 章月二百三十五、 周天千四百六十一、 日法四、」 とあり、
... となります。 >>3