[23] 改元にはいろいろな手続があり、 元号の選定にはいくつかの基準があります。
[1045] 元号制度は、国家権力などが新たな元号を制定し、 移行を繰り返していくことで運用されるものです。
[256] 元号を改めることを改元といいます。
[182] 元号制度内部での通常の改元の他に、
終了していた元号の再開、
元年以外の途中年からの開始、
元号以外の紀年法への移行のような特殊事情が発生することもあります。
[50] 元号その他の紀年法を含む日時制度は、 社会生活の基本であり、 当事者間の共通理解を必要とします。 従って日時制度の制定と運用は、度量衡等と並んで、 共同体としての国家の統治の基礎といえます。
[278] 歴史的には、独立した権力を有する東洋の各国がそれぞれの元号を定め、 その領域で並行して使われていました。元号の制定権は独立した国家権力の象徴であり、 元号を使うことはその政府を支持する(勢力下にある)ことを意味していました。
[72] 日本では大宝、慶雲の頃から改元の行事が制度化したとみられています。 >>71
[76] 幕末までの改元では、 年号勘者を定めて案を提出させ、 公卿の難陳 (審議) を踏まえ天皇が詔書で公布していました。 >>73
[39] 朝廷内で様々な案を出して絞り込み最終的に天皇が決定する方法が平安時代から江戸時代まで一貫して採られていました。 最終案を天皇が承認することもあれば、 数案提出させて天皇が選ぶこともありました。 >>40 p.25-53
[47] 改元があると、 朝廷では政始の儀が行われ新元号が通達されました。 >>40 普及版 p.415
[77] 摂関家、 上皇、 幕府といったその時々の権力者たちも、 改元や元号の選定に介入しました。 朝廷の正式な手続きは幕末まで続きましたが、 採用案が内定している形骸化した選定手続きも多かったようです。 >>40 p.25-53 (c.f. >>55)
[61] 特に江戸時代には、 江戸幕府が改元の実施や新元号の決定の実質的な決定権を有していたとみられています。
[78] 朝廷での改元手続きに関する文書は 続群書類従公事部や古事類苑歳時部に多数収録されています。 江戸時代初期の江戸幕府の改元政策については林春斎の 改元物語 に記録されています。 >>40 普及版 p.25-53
[41] 明治改元では、 形骸化していた従来の手続きが廃され、 候補案から明治天皇が籤で選びました。
[79] 大正と昭和の改元では、旧皇室典範に基づき践祚時に枢密院に諮詢し、 天皇が勘定して勅令として公布していました。
[80] 平成改元以後、 元号法に基づき内閣が選定し、 天皇が政令として公布しています。
[106] 所功は、 平成31年出版の書籍で、 「年号文字は、どのようにして選ばれ定められたのか。 中国のことは、寡聞にして今のところ明らかでない」 >>105 しました。 日本以外の元号の選定手続きの詳細は研究が進んでいないようです。
[129]
歴史的には、
元号名が事後的に定められた例もありました。
[294] 文芸類纂 巻4 文志 下, 榊原芳野, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/991274/1/9
[271] 元仁は、 朝廷が11月に改元し、 元仁元(1224)年12月4日に鎌倉に通知が届きました >>440 (吾妻鏡)。 ところがのうちに鎌倉幕府は 「元仁不快」と咎めました >>440 (明月記 嘉禄元年四月十五日条)。
[272] その結果朝廷は4月に嘉禄と改元しました。 表向きは災異改元とされますが、 鎌倉幕府が不快を表明したための改元でした >>440 (明月記 嘉禄元年四月十五日条)。
[273] その後13世紀半ばまでに元号の字について朝幕間で協議する慣例が成立しました。 >>440 (文士と御家人, 北爪真佐夫 (c.f. >>55), 延慶改元・改暦への鎌倉幕府の関与について, 福島金治)
[274] 延慶度 (), 正慶度 () も「今度関東内々有申旨之間」 と改元の発議や字の選定に鎌倉幕府が関与しています。 >>440
[275] 康安度 (), 康暦度 () は室町幕府の意向で時期が定められました。 >>440
[276] その他、武家から改元を発議したり、 年号勘者や元号名の選定に関与した例が多数あります。 >>440
[277] 室町時代後期になると改元費用を武家が負担するようになりました。 >>440 (室町期の朝廷公事と公武関係, 久水俊和)
[285] 歴史研究者の今谷明は室町幕府に改元の全面的な主導権 (発議権、協議権) があり、天皇はまったくのロボットだったとしました >>440 (天皇家はなぜ続いたか, 平成3年)。 しかし今谷明の指摘するように足利義満期の関与は大きかったとはいえ、 権力者の改元への介入はどの時代にもあることで、 「まったくのロボット」とはいえないと現在では評価されています。 >>440
[160] 久水俊和著, 『室町期の朝廷公事と公武関係』(中世史研究叢書 20), 岩田書院, 二〇一一・九刊, A5, 三九〇頁, 八四〇〇円, https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigaku/121/12/121_KJ00008520497/_article/-char/ja/
[14] 改元は江戸城伝達後、 天領、私領、知行所、寺社領へとそれぞれ布達されます。 江戸市中では町年寄3人により同日に町触が出ます。 京や大坂は江戸からの伝達があってから触が出ます。 >>22
[11] 正徳改元では 宝永8年4月25日に改元定があり、 江戸城では5月1日に令達されました。 京都の本島知辰は、 月堂見聞集 巻之五 (近世風俗見聞集 第一) に 「五月七日触状で、一、正徳 右之通今度年号改元有之候旨被仰渡候間可相触事」 と記録しています。 >>22
[3] 松浦静山の甲子夜話続編巻六十八に寛政改元のことがあり、
としています。>>22
[12] 新訂増補国史大系48 続徳川実紀 第一篇 文恭院殿以実紀の天明9年2月に、 「三日群臣出仕あり。年号寛政と改元のよし。席々にして鳥居丹波守忠意これを伝ふ。」 とあります。 >>22
[13]
幕臣の森山孝盛の
森山孝盛日記
(日本都市生活史料集成 二)
天明9年2月に、
「一、三日 惣出仕有之四時揃年号改元披仰渡有之。
[16] 安永改元は、 明和9年11月25日に江戸幕府が布達した後、 安房国安房郡相浜村 (旗本酒井氏知行所) の 旗本領名主日記 (近世農政史料集 三) は
辰十二月、年号安永と御 改披仰出候、
右之趣、辰十二月六日、吉野庄右衛門樣 ゟ以御廻状ヲ、御知行村〻江披仰聞 候、同夜当村方江小歩行を以、相触置キ 申候、
松崎小歩行
下の伝五郎
と記録を残しています。>>22
[17] 美作国真島郡美甘村の 広岡家永代留書記 に 「十二月廿五日安永元歳ト御改メ御触有之候」 とあります。 >>22
[1] 日本随筆大成 別卷下, 日本随筆大成編輯部, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1914170/1/294?keyword=%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)
[19]
平成の発表は官房長官の記者会見で行われました。
[18]
令和の発表は官房長官と内閣総理大臣の記者会見で行われました。
手話で同時通訳されました。
英語同時通訳もあったとする説もあります。
テレビやインターネットで生配信されました。
[45] 改元は幕府や大名など各時代の統治組織を通じて各地に伝達されました。
各組織で改元の儀式があり、
(朝廷の改元日ではなく)
これをもって新元号を利用開始しました。
[164] 日本政府 (行政府、立法府) は改元による書き換えだけを目的とした法令の改正は行わない方針を取っていますが、 地方自治体レベルではそのような改正が行われた例があります。
[165] 改元に伴う関係条例の整理に関する条例, , https://www2.city.takarazuka.hyogo.jp/reiki_int/reiki_honbun/k316RG00001182.html
[328] 元号選定手続について (内閣公文・国政一般・一般・暦時・A04-1・第1巻 独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001159113
[9] いよいよ新元号発表、有識者会議はじまる『新元号の有識者懇談会のメンバーに選ばれるのは国民の意向・意識を反映できる人物って解説していたがそこにNHK会長が入っているのはなにかのギャグですか?(笑)』とネットユーザのツッコミ - Togetter () https://togetter.com/li/1333657
[10] 左大臣・藤原頼長の言い分とは? 白熱の元号論議「難陳」が続いた1000年(日経BizGate) - Yahoo!ニュース () https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190325-00010000-nkbizgate-bus_all
[15] () https://www.digital.archives.go.jp/das/contents/pdf/lossy/H11B0001720000/069509831435.pdf
[128] 古事類苑 (歳時部四, 年號下, 改元, 革令改元, 第 1 巻 285 頁, ) http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/saijibu/frame/f000285.html
[192] 改元詔書, https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/i04/i04_02478_0051/index.html