[12] HTML 3.2 は、1996年初頭の common practice 的な HTML の規約をまとめた仕様です。1997年1月に W3C 勧告となりました。 IETF とは無関係に W3C が公表した最初の HTML の仕様書です。 HTML 2.0 に代わり使われるべく開発されました。
[24] HTML 3.2 は1997年に W3C勧告となりました。
[25] その後 HTML 4.0、HTML 4.01、HTML 5.0 と幾度にもわたり後継版が W3C勧告になっていますが、 W3C の手続き上 HTML 3.2 は依然として廃止されていないようです。
[27] ですから HTML 3.2 も形式的には現行仕様ということになりますが、 流石に実情と大きく乖離していると言って良いでしょう。 W3C勧告は出版後放置プレイ状態が基本なので、 出版当時の状況を示しているという以上の意味はないと考えるべきです。
[28] ただし HTML 3.2 のページ >>3 には、
Warning! HTML 3.2 was superseded by HTML 4.0 in December, 1997.
... との記述もあります。 HTML WG としては HTML 4.0 によって置き換えるつもりだったのが、 W3C 手続き上はそう扱われなかったのかもしれません。
日付 | 内容 |
1995-12-07 | W3C HTML ERB のメーリング・リストの最初の投稿 |
1996-03 | W3C、 HTML ERB を組織 要出典 |
1996-05 | HTML 3.2 1st WD |
1996-06-17, 1996-06-18 | HTML ERB 会合 |
1996-09-09 | HTML 3.2 WD http://www.w3.org/TR/WD-html32-960909.html |
1996-09-11 | W3C、 HTML 3.2 を発表 |
1996-11-05 | HTML 3.2 PR http://www.w3.org/TR/PR-html32-961105.html |
1996-11-05〜1996-12-15 | HTML 3.2 PR の Member 投票 |
1997-01-13 | HTML 3.2 REC FE http://www.w3.org/TR/REC-html32-970113.html |
1997-01-14 | HTML 3.2 REC SE http://www.w3.org/TR/REC-html32.html, http://www.w3.org/Press/HTML32-REC-PR.html |
1997-12 | HTML 4.0 REC により HTML 3.2 は superseded 要出典 |
[29] 当初は開発コード名 Wilbur と呼ばれていました >>3。
[46] >>43 の出版の頃、 2つの勧告の URL は >>43 へのリダイレクトになってしまい、 オリジナルの2つの勧告へはアクセスできなくなってしまいました。
[50] W3C Journal, , https://web.archive.org/web/19980202200344/http://www.w3journal.com/5/s2.raggett.html
[55] >>44 では Dave が Editor だったのが >>45 では Author になっている。この違いはどういうことか。 わざわざ書き換えたのだからなにか意味があったはず。 W3C勧告は組織的に承認して発行した文書だから著者は W3C となるべきではないのか。
W3C Document Type Definition for the HyperText Markup Language This version is code named Wilbur, and also as "HTML 3.2". Draft: Tuesday 23-Apr-96 $Id: HTML3.2.dtd,v 1.1 1996/05/06 22:11:23 connolly Exp $ Author: Dave Raggett <dsr@w3.org>
W3C Document Type Definition for the HyperText Markup Language This version is code named Wilbur, and also as "HTML 3.2". Draft: Friday 31-May-96 Author: Dave Raggett <dsr@w3.org>
Draft: Tuesday 25-June-96
Draft: Tuesday 13-Aug-96
Draft: Tuesday August 21st 1996
[61] 日付なし。
Draft: Tuesday September 18th 1996
Date: Tuesday December 17th 1996
Date: Tuesday January 14th 1997
[1] 1996年5月5日に W3C HTML 3.2 の最初の原案が発表されたと伝えられていますが、現在 W3C の Web site には1997年1月14日の勧告 (最終版。) 以外残っていません。
当時の他の勧告についても WD とかは残っていないっぽいので、 当時の W3C の方針で古い原案は消していたのかもしれません。
Internet Archive にも勧告しかありません。
[2] ところで、 HTML 3.2 勧告の URI
は http://www.w3.org/TR/REC-html32 ですが、これを修正して
http://www.w3.org/TR/WD-html32 を参照してみると、勧告に
redirect されてしまいます。
Internet Archive Wayback Machine http://web.archive.org/*/http://www.w3.org/TR/WD-html32
によれば遅くても1999年10月12日からこの措置がとられています。 不思議なことです。
[19] いつのまにか http://www.w3.org/TR/REC-html32-19970114 という URI になっていました。中身は >>7。
script
要素と style
要素が (#PCDATA)*
から CDATA
に変わってます。[18] http://www.w3.org/TR/PR-html32-961105.html には、 WD-html32-960924 なる文書を基にしたと書かれていますが、 現存しません。 960909 の誤りか、あるいは HTML ERB 内部文書でしょうか。
[20]
HTML 3.2 文書は文書型宣言で始まらなければなりません。
HTML 3.2 勧告の DTD の公式公開識別子は
-//W3C//DTD HTML 3.2 Final//EN
です。
(素案時代の識別子は -//W3C//DTD HTML 3.2 Draft//EN
でした。) ただし、 HTML 3.2
で書かれたものをどう蓄積するかは仕様の範囲外なので、
ファイルには文書型宣言がなく、 Web鯖が HTML 3.2
で書かれた文書には文書型宣言を付けて送り出すという運用もできると述べられています。
HTML 3.2 The Structure of HTML documents
[21] このような説明の背景には、文書型宣言がほとんど使われていなかったという背景がありました。 (更にいえば文書型宣言を付けたところで妥当たり得る文書もそんなにありませんでしたけどね。) 現実には文書型宣言を付けてくれる鯖などなく (広告を付ける鯖は沢山あったのにね!)、 しかもなぜか HTML 3.2 の頃から文書型宣言を付ける文書や HTML の解説が増えてきました。 ただし文書型宣言の意味が十分理解されることはありませんでした。 (でも、何か最初に書くと格好良い変な奴程度の認識だったこの時代はある意味平和でした。その後 DOCTYPEスイッチなるおかしなものが登場するなんて誰が予想したでしょう!)
[30] HTML2 と同じく HTML 3.2 も HTML を SGML応用として定義していました。 これはまったく実情と合っていませんでしたが、当時の政治的限界であり、 Web Applications 1.0 (現 HTML Standard) により修正されるまで10年かかることになります。
[32] HTML 2.x の成果はまだ取り入れられておらず、 HTML 3.2 の文書文字集合は ISO/IEC 8859-1 でした。 そのため厳密には日本語を含む欧米以外の文字は使えませんでした。 もちろん、これは実情に合っておらず、 HTML 3.2 を使った日本語やアジア圏の文字を使った文書も多々存在していました。
[34] "
が含まれていませんでしたが、 HTML 3.2 のWebサイト >>3
ではこれは失敗だったと釈明されています。しかし仕様を修正して追加しようという意思は無かったようです。
実装上の問題も特に無かったはずで (相互運用性の問題なら、 Latin1
文字参照もすべて削除しないといけなかったはずです)、なぜ削除されたのかは謎です。
(HTML4 では復活しています。)
[35] marquee
や blink
が追加されなかったのは Microsoft と Netscape の政治的決着だったといわれています。
-//W3C//DTD HTML 3.2 final//EN
[36] 不思議系解説本の中に、 HTML 3.2 の公開識別子を
-//W3C//DTD HTML 3.2 final//EN
としているものがありました。
本文中のかなり多くの例文にきちんと文書型宣言が書いてあって、それだけは評価できるのですが、全部が全部 f
が小文字になっています。
[52] W3C Journal, , https://web.archive.org/web/19980202200545/http://www.w3journal.com/5/s3.musciano.html
[22] 当時は HTML 3.0 の標準化が難航の末に放棄され、 実質標準 HTML が存在しない状況であった上に、 所謂ブラウザ戦争真っ盛りであり、 Netscape と M$, そしてその他の販売者達が競って HTML に新機能を追加していました。 HTML の標準化は不可能だという悲壮感すら漂っていました。
そうした事態を打開すべく、主要ブラウザ販売者らが集められて W3C HTML ERB が組織され、比較的共通に実装されていた HTML の「機能」を集約し、その後の作業の基本とすることになったのが、 HTML 3.2 だったのです。
[13] ですから、 HTML 3.2 には旧 HTML 3.0/2.x モジュール群はほとんど影響していない一方で、 ブラウザの実装から多くの物理要素が取込まれました。
後に HTML 4 が勧告されたときにはそのような要素型はほとんどが非推奨とされてしまいました。 それらの要素型が使用できた HTML 4 Transitional は HTML 3.2 の直系の子だといえます。 ですから、 HTML の歴史から見ると HTML 3.2 / 4 Transitional は「大きな寄り道」のように思えます。
もっとも、そのような後世の価値観からの評価はともかくとして、 W3C 勧告という形で HTML の仕様をまとめて標準化を推進した歴史的意義は決して蔑ろに出来るものではないでしょう。
フレーム対応など HTML 3.2 をフルサポート
とか意味が分からないことが普通にかかれていたりする。[37] CFC: Make previous versions of HTML and XHTML obsoleteCFC: Make previous versions of HTML and XHTML obsolete · Issue #86 · w3c/WebPlatformWG () https://github.com/w3c/WebPlatformWG/issues/86
[38] Proposal to Republish Previous Versions of HTML and XHTML as Obsolete Recommendations (Wide Review until 2017-09-07) (Xueyuan著, ) https://lists.w3.org/Archives/Public/public-review-announce/2017Aug/0004.html
[40] Press Release: W3C Issues HTML 3.2 Recommendation () https://www.w3.org/Press/HTML32-REC-PR.html
[41] Announcing the Release of HTML 3.2 () https://www.w3.org/MarkUp/Wilbur/pr7may96.html
[42] HTML 3.2 Reference Specification () https://www.w3.org/TR/2018/SPSD-html32-20180315/
[49] Advancing HTML: Style and Substance, , https://web.archive.org/web/19990427194618/http://www.w3journal.com/5/toc.html