[24] 日本では、明治5年をもって従来の太陰太陽暦 (旧暦) が廃止され、 明治6年より太陽暦 (グレゴリオ暦) が採用されました。
[4] 明治5年11月9日太政官布告第337号。 太陰太陽暦(天保暦)を廃して、太陽暦 (グレゴリオ暦)を採用するもの。
天保暦明治5(1872)年12月3日をとする。
閏年は、明治31年5月11日勅令第90号 『閏年ニ関スル件』がグレゴリオ暦同様に定めています。
ちなみにこれらは未だ効力を有しています。
まず。用語などについては太陰太陽暦の項を参照してください。
[2] 日本では1873年(明治6年から)グレゴリオ暦(実は置閏法もグレゴリオ暦にあわせたのは明治31年ですが)を使っています。 しかし、この改暦は1ヶ月前になってから決定されたというのはご存知ですか(明治5年11月9日 = グレゴリオ暦12月8日) 実は新暦の1月1日は旧暦12月3日にあたっていたので日本において「明治5年12月」は2日間しかありませんでした。 (「一番短い月は?」と聞かれて「閏年以外の2月の28日間です」と答えるのは間違いです :-)、なお西洋でのグレゴリオ改暦の際の「1582年10月」は21日間です。) とうぜん庶民は大混乱だったそうです。
なんでこんなにとっさに改暦が行われた(当然明治の初期のうちにグレゴリオ暦の導入は必要だったのでしょうが、なにもこんなに突然...)かというと情けないことに財政難が理由なんだそうです。 明治6年も旧暦のままにすると「閏月」が生じ年13ヶ月になります。すでに政府は月給制を導入していたので1年に13回も月給を払うのは痛いと、しかし明治6年元日で改暦を行えば短い明治5年12月分の月給も省略しちゃえるから2か月分も月給が節約できる、うれしー。となるわけです。 西洋でユリウス暦からグレゴリオ暦の改暦が一通り済むまで宗教上の理由で結局3世紀もかかったのに比べると、なんとも情けない理由ですね :-)
もひとつ愚痴(?)、今まで日本では伝統的に陰暦正月すなわち立春の頃に「お正月」のお祝いをしていたのに、現代日本では寒の入りも前のグレゴリオ暦1月1日に「お正月」のお祝いをしています。なのに「迎春」という言葉だけは生き残っているんですよねぇ。 それだけではなく現代日本では、陰暦の日付をそのままグレゴリオ暦の日付に数字どおり移して伝統行事を行っていることが多いですよね。 桃の節句なのに桃の花はどこだ〜、七夕の節句なのに梅雨空で織姫と彦星がデートできないぞ〜、重陽の節句なのに菊酒飲めないぞ〜ってな奴です。
しかしながら太陰太陽暦の日付はまぁ月の満ち欠けによって決まるので「日常生活暦」のグレゴリオ暦とあわせるのは不便なのでいまさら復活するわけにはいきません。 (たとえば「立春」といえばグレゴリオ暦では毎年2月4日頃で一定ですが、日本の旧暦に直すと2000年は12月29日, 2001年は1月12日, 2002年は12月23日, 2003年は1月4日などと最大では約30日の幅で変動します) しかし、陰暦の日付は新暦より平均1ヶ月ちょっと遅れているということに着目してそこで月遅れという知恵(高岡の七夕とかお盆休みとか)が生まれたんですね。
でもアケリスさんのいうとおり「1月1日」にははっきりいって何の意味もないので。その意味のない日に日本で伝統的なお正月を行ってもね。
いっそのことお正月も月遅れにして立春の日に「お正月」(2月3,4日頃)のお祝いをすればいいと個人的に思ったりします。 お正月に暦は変わらないけれど季節感としてはこのあたりがちょうどいいような。
というのも12月25日のクリスマスが終わったとたんお正月セールになるなんてまさにあわただしい日本人の姿をあらわしているなぁと思いませんか。 12月にはゆっくりクリスマスを祝って、1月に入ったらお正月に向けて「のんびり師走気分」。もっと冬を楽しみましょう :-)
マーケティング的にも11, 12月いっぱいクリスマスセールを行えるし、1月いっぱいから2月上旬へお正月セールを行えるから経済効果も... あ、バレンタインがお正月のお祝いで消えちゃうか、まぁあんなもんいいや :-)
[11] 天保暦明治5年/1872年12月は改暦により1日、2日のみとなるため、 明治5年11月23日の太政官布告で11月30日、31日とすることにされました >>12 が、 11月24日に取り消されています >>13。
[7] 改暦ノ布告はグレゴリオ暦の採用だけでなく、時刻も従来の不定時法にかわり定時法を導入しています。
[8] 午前0時~12時、午後1時~午後12時という時の数値呼称もこの時導入されています。
[129] この12時間制による時の表記も改正されること無く現在に至っています。 政府機関が24時間制より12時間制を正規の表記として採用する根拠法です。
[168] Xユーザーのイコやんさん: 「@miura1010100 日本:公務員の給料をちょろまかすために、閏月をまたぐタイミングで新暦1/1にしたので、不満が出ないように国家的に新暦で新年を祝うように 北朝鮮:主体暦がグレゴリオ暦準拠」 / X, , https://x.com/icoyan_1030/status/1737999017014186352
[20] 日本ではユリウス暦が用いられたことはありません。 当初の置閏法には不具合があり、ユリウス暦相当になっていましたが、 日付はグレゴリオ暦相当でした。つまりユリウス暦でもグレゴリオ暦でもない独自の暦になってしまっていました。 実際に違いが生じてしまう前に修正されました。
[21] 日本で当初ユリウス暦が採用されたと説明する文献もありますが >>17, >>18, >>90, >>91, >>96, >>97, >>98、 実際にはユリウス暦とは日付がずれており、ユリウス暦を採用しようとする意思があったわけでもないので、 不適切です。
[22] 「ユリウス暦からグレゴリオ暦へ改暦された」という間違った説明に引きづられているのか、 置閏法修正時に1週間日付が飛ばされたと説明する文献 >>19 まであります。
[74] 昭和61年の暦と時の事典 に既に 「明治六年に実施したのはユリウス暦であったなどという妄説を称えるものがある」 とあります。 >>73
[117] 歴史読本: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201208/article_24.html
[71] 『暦と占いの科学』(その1): suchowan's blog () https://suchowan.at.webry.info/201208/article_27.html
『暦と占いの科学』の初版発行時、ざっとチェックして文章化したもの を、抜粋すると以下のようになります。
(7) P.46後ろから4行目
日本でもユリウス暦採用の際、明治五年十二月二日のあとを二十八日間もとばし
て翌十二月三日を明治六年一月一日としている。
(11) P.122後ろから1行目より
一八七二年十二月二日(明治五)の翌日を明治六年一月一日として、ユリウス暦
を取り入れたが、それから二七年後の1900年(明治三三)に初めてグレゴリ
オ暦を採用したのである。
[70] ユリウス暦採用説: suchowan's blog () https://suchowan.at.webry.info/201907/article_5.html
[94] この説明は極めて正確だが、キュレーションメディアの編集者の手にかかればデマに改変されてしまう危うさがある。 (どうすれば防げるのだろう... 無理な気がする)
[101] 杜撰なプログラムではグレゴリオ置閏法ではなくユリウス置閏法が使われていることがありますが (昔のことかと思えば未だにそういうひどいのが生産されているらしい)、 不思議とそれを「ユリウス暦が実装されている」と言っているのは見たことがありません。 (探せば出てくるかもしれませんが。) 同じ構図なのに明治時代の方だけ「ユリウス暦を採用した」と言われちゃうのは、 どうしてでしょうかね。
[110] Russian_Grammar.pdf, , https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/65738/1/Russian_Grammar.pdf#page=41
[103] 日本国滋賀県蒲生郡日野町鳥居平文書に、 当時滋賀県庁から戸長等に送付された布令書が残されていました。 >>1080 pp.346-350
[78]
公務員給与削減のためグレゴリオ暦を採用した事例として、
他にサウジアラビアがあります。
[16] 太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ行フ附詔書 国立公文書館 デジタルアーカイブ 画像データ表示 ( 版) http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?KEYWORD=&LANG=default&BID=F0000000000000000349&ID=M0000000000000841660&TYPE=&NO=
[23] 明治改暦、太政官布告のもう一つの間違い (M.Suzuki著, ) http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlwa/200704120.htm
[26] 国立国会図書館デジタルコレクション - 新聞集成明治編年史. 第一卷 (新聞集成明治編年史編纂会著, 1936-1940) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920323/288
[27] グレゴリオ暦 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%AA%E6%9A%A6#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E3.82.B0.E3.83.AC.E3.82.B4.E3.83.AA.E3.82.AA.E6.9A.A6.E5.B0.8E.E5.85.A5
[28] 新暦 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%9A%A6
[35] 二つの正月 ―植民地台湾における時間の重層と交錯(1895-1930 年)― () http://www.jats.gr.jp/journal/pdf/gakkaiho009_02.PDF
[36] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治5年 (明20-45) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952/312
[37] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治6年 (明20-45) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787953/76
[38] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治6年 (明20-45) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787953/94
[39] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治6年 (明20-45) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787953/124
[40] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治6年 (明20-45) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787953/265
[41] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治6年 (明20-45) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787953/463
[42] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治5年 (明20-45) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952/172
[43] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治5年 (明20-45) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952/233
[44] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治5年 (明20-45) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952/234
[45] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治5年 (明20-45) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952/236
[46] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治5年 (明20-45) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952/243
[47] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治5年 (明20-45) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952/245
[48] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治5年 (明20-45) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952/271
[49] 国立国会図書館デジタルコレクション - 法令全書. 明治5年 (明20-45) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787952/312
[50] 国立国会図書館デジタルコレクション - 太政官日誌. 明治5年 第85−108号 (慶4-明9) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787663/34
[51] 国立国会図書館デジタルコレクション - 太政官日誌. 明治5年 第85−108号 (慶4-明9) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787663/39
[52] 国立国会図書館デジタルコレクション - 太政官日誌. 明治5年 第85−108号 (慶4-明9) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787663/57
[53] 国立国会図書館デジタルコレクション - 太政官日誌. 明治5年 第85−108号 (慶4-明9) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787663/59
[54] 国立国会図書館デジタルコレクション - 太政官日誌. 明治5年 第85−108号 (慶4-明9) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787663/65
[55] 国立国会図書館デジタルコレクション - 太政官日誌. 明治5年 第85−108号 (慶4-明9) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787663/67
[56] 改暦ニ付月日定方・二条 (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000000841662
[57] 国立公文書館 デジタルアーカイブ (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/MetSearch.cgi?DEF_XSL=default&IS_KIND=summary_normal&IS_SCH=META&IS_STYLE=default&IS_TYPE=meta&DB_ID=G9100001EXTERNAL&GRP_ID=G9100001&IS_SORT_FLD=&IS_SORT_KND=&IS_START=1&IS_TAG_S1=fpid&IS_CND_S1=ALL&IS_KEY_S1=F0000000000000000349&IS_NUMBER=100&ON_LYD=on&IS_EXTSCH=F9999999999999900000%2BF2009121017005000405%2BF2005021820554600670%2BF2005021820554900671%2BF2005031609204303022%2BF2005031610541803024%2BF0000000000000000349&IS_DATA_TYPE=&IS_LYD_DIV=&LIST_TYPE=default&IS_ORG_ID=F0000000000000000349&CAT_XML_FLG=on
[58] 紀元年号ノ書式 (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000000843881
[59] この人は10年もいったい何を調べていたのだろう?
[60] () http://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/pcs/7000.pdf
[66] () http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1973/pdf/19730104.pdf
[67] () http://www1.cts.ne.jp/~koyomi/kikou2-13.html
[68] 9.41.訪問者からの耳より情報3 () https://web.archive.org/web/20010827185039/http://www6.airnet.ne.jp/as400/tips/coolidea3.html#%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%A7%E3%81%AE%E6%94%B9%E6%9A%A6%EF%BC%88SK%E6%A7%98%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E6%83%85%E5%A0%B1%EF%BC%89
[69] 未だに根強く残り続ける旧暦で暮らそう、旧暦を取り入れよう系の人達、 旧暦と季節の1ヶ月前後のずれについてどう思ってるのか気になっているのだけど、 旧暦は季節に合ってるという主張ばかりで全然言及しないのでよくわからない。 酷いのになると二十四節気にまで言及しているのに、 旧暦と季節は合っていて良いとか言ってて、 じゃあなんで二十四節気にわざわざ言及したのかと疑問になるw
[72] 官報. 1890年10月31日 - 国立国会図書館デジタルコレクション (大蔵省印刷局 [編]著, [1964]-) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2945456/1
[75] 除夜の鐘: suchowan's blog () https://suchowan.at.webry.info/201612/article_32.html
[76] 除夜の鐘(続き): suchowan's blog () https://suchowan.at.webry.info/201701/article_10.html
[77] 11月 9日 太陽暦採用記念日(ブルーバックス編集部) | ブルーバックス | 講談社 () https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68176
[79] 天文関連【日記】 () https://www.wizforest.com/diary/ASTROLOGY.html#ID2
[81] 親鸞 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E9%B8%9E#%E8%AA%95%E7%94%9F
[84] 隆之介 ψMaverickさんはTwitterを使っています 「@kiwawawawaaa @sakuyaruririka @3h4m1 私も #沖縄暦 を使っています 今年は無理だったけれど 例年は梅雨入り梅雨明けとかも なんとなく予測がつきます」 / Twitter (午後4:23 · 2018年7月31日 , ) https://twitter.com/Meg_Ryunosuke/status/1024193939559997440
[85] 隆之介 ψMaverickさんはTwitterを使っています 「なんかもう ここのところ10年くらい #沖縄の梅雨 を #沖縄暦 (太陰暦)で予想(説明)する ことができなくなったね」 / Twitter (午前9:29 · 2019年6月25日 , ) https://twitter.com/Meg_Ryunosuke/status/1143315203414614017
[87] 「現在でも物議を醸す」ところをみたことないが、どこでだろう。
[88] 春節を廃止した日本、その「潔さを尊敬しないわけにはいかない」=中国 (2021年1月19日) - エキサイトニュース () https://www.excite.co.jp/news/article/Searchina_20210119011/
[89] サマンサ ラジオさんはTwitterを使っています 「明治八年、西箕輪村では、約100人程の子供達に種痘を行いました。これは、ヒューマンチャレンジだったのかもしれません。 https://t.co/UsySo5vGvp」 / Twitter (午前11:48 · 2021年2月18日 , ) https://twitter.com/samansacat/status/1362232531320401922
[127] ここで参照されている明治5年太政官達とは改暦の布告のことです。 西暦で数えると決めた事実はなく、 なぜ不思議を感じているのか謎。
[128] この文章は明治31年の勅令は引用しているので、 明治5年の改暦の布告を参照していると考えたいところですが、 改暦の布告を読んだことがあればそんな不思議は感じないはずで、 この著者がどうやって不思議を感じたのかが本当に謎です。
[107] 暦に係る法制に関する覚書 : Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊), http://donttreadonme.blog.jp/archives/1916178.html
[108] 今日は何の日(2月7日):「北方領土の日」 : Bureau de Saitoh, Avocat (弁護士 齊藤雅俊), http://donttreadonme.blog.jp/archives/1073895005.html
[109] 沖縄語辞典, , https://mmsrv.ninjal.ac.jp/okinawago/
旧暦、陰暦は ?ucinaagujumi
新暦 、太陽暦は 'jamatugujumi
[112] 市川斎宮の改暦案の紹介.pdf, https://raw.githubusercontent.com/suchowan/calendar_papers/master/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E6%96%8E%E5%AE%AE%E3%81%AE%E6%94%B9%E6%9A%A6%E6%A1%88%E3%81%AE%E7%B4%B9%E4%BB%8B.pdf
[118] 『忘れられた日本人』に現れた日付: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201212/article_20.html
[119] 明治改暦当時の制度: suchowan's blog, https://suchowan.at.webry.info/201305/article_1.html
[121] 太陽暦と財源 | 中国新聞デジタル, 07:00(最終更新: 07:00), https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/235474
西洋列強にも要求された新暦導入は時代の流れと言えよう。ただ、そこに明治政府の思惑が▲人件費節約が本音だったようだ。12月分に加えて翌年予定された閏月も月給を払わずに済む―。この頃は鉄道開業に学制、徴兵制など物入りの難題ばかり。維新を果たした面々が涙ぐましく財源を工面した姿も浮かぶ▲今の政府はきょう29兆円超の補正予算案を閣議決定する。物価高騰などの難題にあれこれ手を打つが、財源の大半が借金だ。あまりの安易さに賛成する国会議員はいっそ何カ月分か報酬を返上したら、と思いたくなる▲盆や七夕など旧暦の季節感も忘れずに。そんな柔軟さが現代の政治にほしい。
[122] 明治改暦を話の枕に現政府の予算案を非難する新聞コラムです。 明治改暦の動機が実は財政難だった、 という話はよく紹介されますが、 そこから論理を飛躍させて政府批判にまでつなげる創造性は目を見張るものがあります。
[124] 国の借金はよくない、国会議員は報酬を返上せよ、 というのも定型化した「あまりの安易」な国政批判です。 国会議員の報酬を何ヶ月か削減すると補正予算案のどれだけが賄えるのか、 この筆者は計算したのでしょうか。 中国新聞は会社の経営が厳しい時、 社員の給与を何ヶ月分か削減して補填するのでしょうか。 改暦による月給削減は、 強引とはいえ道理は通してあります。 国会議員や中国新聞の社員の給与を「何カ月分か」 恣意的に削減することには、どういう道理が在るのでしょうか。
[125] それにしても当時の公務員は突然の収入減で困ることもあったでしょうに、 現政権批判のために雑に美談化するのはいかがなものでしょう。
[132] 立川志の輔 質屋暦 | 落語一日一席 () http://rakugo1day1speech.com/2016/09/16/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E5%BF%97%E3%81%AE%E8%BC%94%E3%80%80-%E8%B3%AA%E5%B1%8B%E6%9A%A6/
[131] 暦Wiki/本暦/明治06年暦 - 国立天文台暦計算室, , https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/CBDCCEF12FCCC0BCA306C7AFCEF1.html
[133] 東京天文台報. 15(1)(56) - 国立国会図書館デジタルコレクション, 東京天文台, 1932-1988, http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2322299/51 (要登録)
[134] 第44回 衆議院 請願委員会 第6号 大正10年3月12日 | PDF | 帝国議会会議録検索システム - 004411944X00619210312.pdf, https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/minutes/api/emp/v1/detailPDF/img/004411944X00619210312#page=3
[135] 第43回 衆議院 請願委員第一分科 第2号 大正9年7月19日 | PDF | 帝国議会会議録検索システム - 004311946X00219200719.pdf, https://teikokugikai-i.ndl.go.jp/minutes/api/emp/v1/detailPDF/img/004311946X00219200719#page=8
[136] 祭儀|第二章 国内宣教|大本七十年史 - 霊界物語ネット, https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195402c8242
一九五五(昭和三〇)年には、大本大祭と開祖祭をあわせて大本開祖大祭と改称して執行することとし、またこの年の一月一日より、神集祭のほかは従来の旧暦を廃し、太陽暦によって祭典をとりおこなうことになった。参考までに大本教則にしめされた、旧暦・新暦による祭儀を次頁にかかげておこう。
[137] 日本外交文書 : 条約改正関係 第1巻, 日本学術振興会 編纂, 外務省調査局 監修, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3447430/1/115 (要登録)
日本東洋暦
[138] 暦法調査資料 第9輯 我が國の神祇及び祭祀と暦の關係, 大政翼賛会興亜局, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1141629/1/15
[139] 1872~1873年、日本 - 時間旅行の難所(顕巨鏡) - カクヨム, https://kakuyomu.jp/works/16816927859968730090/episodes/16816927863245243410
[140] >>139 時間旅行者向けの案内。 ツッコミどころは多いのだけど、フィクションなので...
改暦が宣言されたのはグレゴリオ暦1872年12月9日である。その前日までならば、外国人居留地以外にいる日本人は、天保暦をつかっていると想定して同調対象にしてよい。しかしそれから年末までは新暦を先どりしている人がいる可能性があり、翌年は新暦をまだ正しく理解できていない人がいるので、日本人を同調対象にするのは危険である。
「改暦決定したこと」が理由で明治6年1月1日より前にグレゴリオ暦を使っていた人なんて実在してただろうか? (外国人とのやり取りなどの理由で元々グレゴリオ暦と和暦を併用していた人なら都市部にはたくさんいただろうけど。)
[142] 現代人視点だと 「「旧暦時間軸」から「グレゴリオ時間軸」に乗り換え」 と思っちゃうけど (だから「乗り換え」タイミングを先取りする人もいたかもしれないと考えてしまう)、正確には 「12月2日の翌日が1月1日に改正 (した結果グレゴリオ暦と月日が一致)」 だからなあ。 そして明治5年時点の日本人のほとんどはグレゴリオ暦の存在も知らなかったわけで。
[143] 083-178/森川.indd - amorikawa40.pdf, , https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/amorikawa40.pdf
[148] 「グレゴリオ暦を採用せずにグレゴリオ暦と同じものを採用した」 理由と、禁教とはあまり関係ないのではないかなあ。 実際、耶蘇の正月呼ばわりされてしまってるわけだし。
[149] 明治5年の日本で「グレゴリオ暦を採用する」という法令を出すことはできるか。 技術的に不可能なのでは。グレゴリウス教皇の勅令を引用する? 当時の日本で参照するのはほぼ不可能だろうけど。 ラテン語のやつを全文引用でもする? 当時の布告は中央政府から各府県、各市町村、各集落へと書写で伝達されてたけど...
[150] たしかにその勅令には神がどうのこうのと書かれているので禁教政策的にも無理なのは確かだけど、 ユリウス暦からグレゴリオ暦に改暦する方法が定められていて、 独立した暦法が定められていないのも問題。和訳したとしても日本の状況には合わない。 万一明治政府が突然国教をキリスト教にしようと言い出したとしても、 これをそのまま引用するのでは済まない。
[151] 「グレゴリオ暦を採用します」というだけではグレゴリオ暦って何かわからないので法令として機能しないし、 「グレゴリオ暦」を定めたものが西洋にならあるかというと、それもない。 日本の法令で法定暦としてグレゴリオ暦を実施するなら、 「グレゴリオ暦と同じもの」を独自に定める以外に選択肢がなかった。
[152] また、明治31年に置閏法を定めた時点で日本の法令で定められた紀年法は皇紀 (と元号) しかないので、 自然、皇紀で定義することになる。 キリスト紀元を使って定義するために新たな法令を制定するほうが「回りくどい」。
[153] 七十七年の回顧, 高畠亀太郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3008610/1/60 (要登録)
明治6年に新暦へ変更した日本、その理由は「合理性」ではなかった。グレゴリオ暦はかなり“怪しい代物”だ
こうしたことを言い出しますと、よく「旧暦が太陰暦で、新暦が太陽暦だから」そして「太陽暦の方が合理的だったから」というような説明を始める人がいますが、それは半分だけの真理です。
正しくないのか半分正しいのか、どっち?
これは、「太陽暦」をもとにした調整だったわけで、私たちのご先祖様が使っていた旧暦は、月の満ち欠けをもとに作成した単純な太陰暦だったのではなく、これに季節の変化を反映させた太陽暦を組み合わせた「太陰太陽暦」だったというわけです。
ちなみに、今でも使われている「大寒」とか「立春」「啓蟄(けいちつ)」といった季節の呼び名は「二十四節季」とよばれる暦によるものですが、これは太陽暦なのです。太陽の日長変化をもとに、1年を春夏秋冬に分け、それぞれをさらに6分割することで「二十四節季」が構成されました。江戸時代以前のご先祖様たちは旧暦と「二十四節季」を合わせて使っていました。
つまりご先祖様は「太陰暦」と「太陽暦」と「太陽暦」の3つを組み合わせて使っていたってこと? あと「節季」ってなに?
それにしても、1年を「閏月」で調整するなどというのは、確かに、ちょっと面倒ですよね。ですから、明治政府が「合理性」を理由に旧暦から「グレゴリオ暦」に切り替えたというのも分からないわけではありません。
もうお分かりですね。日本は明治6年に、新暦に変えたわけですがその理由は必ずしも新暦の方が合理的だったからではないのです。まあ、多数決みたいなもので、世界を支配していた国々がグレゴリオ暦を使っていたので、その「グローバルスタンダード」に合わせたというだけの話です。要するに、ヨーロッパ列強と「共通の暦」を使っていないと、貿易やら商取引やらで、何かと不便だったからなのです。
この人のいう「合理性」は閏月がないことで、欧米との協調は「合理性」とは違うらしい。 後者を「合理性」という人もいそうだけど。 閏月が面倒だと「合理性」が欠けるように思うのは現代人の感覚のような気もするけど。 つまるところ、暦の合理性ってどういうことかよくわからないから、あーだこーだいったところで客観的な議論にならない気がする。 藁人形感。
しかし、商売上の便利さを棚に上げて考えると、グレゴリオ暦はかなり怪しいしろものです。なんせ、季節と合っていないのですから。ですから、農業従事者や漁業従事者など、自然を相手にしている人たちは、今でも「二十四節季」を併用しています。春夏秋冬季節の移ろいを知るためには、グレゴリオ暦は役に立たないからです。
なぜでしょう?グレゴリオ暦のもとになっているのは古代ローマの暦ですが、もともとの暦は農業のために作られたものでしたから、種まきの時期である現在の3月が1年の初めになっていました。ところが 紀元前153年に暦が改訂されました。現在の1月1日から新しい年が始まるように変えられたのです。
これは多分に政治的な理由からでした。当時の執政官が就任するのが1月1日であったため、それに合わせて新年が始まるように変えてしまったのです。本来、農業のために使われていた暦を、役人が勝手に奪い取ってしまったわけです。これが、暦というものが自然の営みや季節からずれてしまった原因なのです。
立春や春分を年始にするのは正しく、冬至を年始にすると季節からずれるという斬新な見解。 (月名のずれとかの話ではないっぽい。) 一次産業では二十四節気を使っていた、とか欧米月名は2ヶ月ずれてる、 とか断片的には正しい知識を拾っているのに、つなげるとどうしてこんなおもしろいことになるんだろう。
このように、グレゴリオ暦のいかがわしさの陰には古代ローマの役人どもがいたわけですが、日本における明治6年の「改暦」の陰にも、役人の陰謀が見え隠れしているのをごぞんじでしょうか?
かすかな事実をつなぎ合わせておもしろいストーリーを作る、既視感ありありだと思ったら陰謀論の王道ですね!
ところでこの改暦の話題がここから急展開して、 >>161
それどころか、「アメリカ帝国主義」はまだまだこれからで、ようやく壮年期にさしかかったところではないかとさえ感じている次第です。おそらく、アメリカの支配者たちは、多少血を流してでも、思い切った「新ドル(新基軸通貨)」への切り替えを断行するのではないでしょうか。
という結論を導きます。すごい話術! どうしてこうなるのか、気になった方はぜひ >>161 を読んでみてくださいね!
[162] 青ケ島の生活と文化, 青ケ島村教育委員会, 青ケ島村, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643307/1/244 (要登録) 左下
[163] 旧正月とは? 日本でなじみが薄い理由や各国の旧正月をご紹介, https://www.store-express.com/shop/pg/1column50/
新暦への切り替え以後、「旧正月」の風習は次第に日本では廃れていきました。
日本が新暦を採用して旧正月が廃れた理由ははっきりとしませんが、欧米諸国の文化を積極的に受け入れていた時期だったためという説があります。
[164] そのふわっとした説、どこの誰が唱えてるんだろう。。。
明治時代に旧正月がなくなったと書いてるその辺の変なサイトの解説よりはましだけど。
全国的にはなじみが薄くなった旧正月ですが、日本でも沖縄や南西諸島など旧正月を祝う文化が残っている地域はあります。
とか大きく間違ってないけどなんか変な記述が多いんだよなあ。「沖縄や南西諸島」って書いた人は日本地理わかってないよね。 それかなんかの切り貼りでこうなったのか。
[169] 旧暦が未だに細々とでも使われ続けているのに対して、 旧時刻制度があっさり消え去ってしまったことにはあまり注目がされていないようですけど、 興味深いですよね。旧の日付は生活上必要で民間で比較的容易に維持可能だったのに対し、 旧の時刻はそこまで必要とされず民間で測時、報時機構を維持するのも困難だった、 という違いはきちんと分析すると面白そうです。