寳久

寳久

[2] 宝久 (当時の表記: 寳久) は、 江戸時代日本の私年号の1つです。

紀年法

[4] 元年は、です。 >>14

用例

[15] 現在までに1例知られています。

日時事例

[20] これは年貢の引き受けの旨を名主市郎左衛門に提出した証文です。 その日付宝久が使われました。 >>14

[21] 市郎左衛門名主在任期間はからであり、 十二支年であることから、 に比定されます。 >>14

記録

[8] 日本国岩手県花巻市に伝わるの書き入れにおいて、 に 「十二月始宝久元年ト成」 とありました。 >>7

[13] 他の公年号改元にも同様の記録があり >>7、 当地で改元した時期を表していると考えられます。
[39] 当該地域は幕末時点で盛岡藩領。

[9] つまりの12月の初め頃に改元伝達があって、 宝久元年となったといわれていたようです。 短期間実用された可能性もあります。

[11] ところが翌年以後には何の説明もありません。

[10] 改元デマだったのでしょうか。

研究史

[12] に残された改元の記録 (>>8) は昭和時代後期の自治体史に収録されましたが、 特に解説もなく、 令和時代に至るまで私年号研究の方面では認識されずにいました。

[22] 日本国福島県の歴史研究者で福島県歴史資料館小野孝太郎により、 福島県内の文書用例 (>>16) で初めて私年号として報告されました。 次のように説明しました。 >>14

[33] 福島県歴史資料館はこの発見を受けて私年号の展示会を開催しました。 >>5, >>6

[37] 岩手県に残る記録 (>>8) の判明により、 天明3年とする推測が正しかったことが裏付けられました。 しかも比較的広い範囲で流通していた可能性が出てきました。

[40] 盛岡藩 (南部藩) の北と南に記録が残っているのは興味深いですね。 宮城県域でも今後発見が期待されます。

[5] 福島県歴史資料館, , https://www.fcp.or.jp/history/event/3430

なお、福島県内で使用された私年号「宝久」の発見に合わせて、「私年号」に焦点を当てたトピックス展「私年号とは」も開催します。

会期

令和3年11月20日(土)~12月27日(月)

令和4年2月20日(日)~3月27日(日)

会場

福島県歴史資料館展示室

[6] とうほう・みんなの文化センター[福島県文化センター], , https://www.fcp.or.jp/culture/event/3319

なお、福島県内で使用された私年号「宝久」の発見に合わせて、「私年号」に焦点を当てたトピックス展「私年号とは」も同時開催。後半展示に合わせ、庶民の願いが込められた私年号「宝明」など、新たに発見された私年号についての史料を公開する。

日時
2/20(日)~3/27(日)
会場
福島市・県歴史資料館

関連

[3] 宝久の報告後ほどなくして同じ福島県下で天保期に宝力, 宝明が使われたことが明らかになりました。

[34] 日本国石川県下では入れ替えた久宝が使われたことが明らかになっています。 しかもその利用時期は宝力, 宝明と同年です。

[35] 更に、天保期に永長福島県下、石川県下を含む各地で使われたことが明らかになりました。

[36] こうなるとこれらがまったく別個に起こった独立の現象とは言い切れなくなってきます。

メモ