[57] 本項は、シベリア、満州、蒙古、支那、朝鮮エリアの鉄道の標準時に関する情報をまとめたものです。
[58] 現在は各国の標準時 (ロシア国内ではモスクワ時間) を使っているようですが、歴史的には複雑な変遷があったようです。
[70] には、清国で海岸時 +08:00 が定められ、港湾および鉄道で用いられました。
[89] 出版の >>88 は、シベリア鉄道の運転時間はすべて 「ペトルブルグ」標準時によっていると述べています。 この章は東清鉄道も含めて言及していますが (当時東清鉄道相当部分のシベリア鉄道本線は未開通)、 標準時の記述が当時の東清鉄道も含めてなのかどうかは不明です。
[42] 黒竜江沿道総督府 (ロシアの地方政府) 官報掲載の時間表 () を出典として書かれた文章 >>41, >>99 は、次のように説明しています。
[211]
、
朝鮮半島最初の鉄道として京仁鉄道が開業しました。
その後京釜鉄道が部分開業しました。
これらの鉄道では、
首都の京城の地方時 +08:28
が使われました。
[1207]
、
日露戦争で朝鮮半島や南満州に展開していた日本軍は、
満韓地方の基準時 +08:12
を軍用時として採用しました。
建設中の軍用鉄道もこれに従ったのでしょうか。
[2]
、
京釜鉄道の全線完工に伴い、
京仁鉄道と京釜鉄道は新鉄道時として中央標準時
+09:00 を採用しました。
[84]
、
日露戦争で朝鮮半島や南満州に展開していた日本軍は、
中央標準時
+09:00
を軍用時として採用しました。
軍用鉄道もこれに従ったとみられます。
[77] には、清國海関により清國全土の標準時が実施されました。
[1112] 遼東半島はロシア帝国が清から租借していましたが、 発効のポーツマス条約により日本の租借地である関東州となりました。
[110] 日露戦争後満洲では +09:00 が使われた >>106 ともいわれます。
[111] 南満州鉄道では当初日本中央標準時 +09:00 を採用していましたが、から日本西部標準時 +08:00 が使われるようになりました >>214。
[1212] 関東州および満鉄附属地では以後西部標準時 +08:00 が使われるようになりました >>1211。
[201] 、
大韓帝国は大韓国標準時 +08:30
を制定しました。
鉄道時もこれに改められました。
[96] 明治44年出版の >>95 は、時差を次のように説明しています。
[202] 、 朝鮮総督府は中央標準時 +09:00 に標準時を変更しました。
[215] 朝鮮鉄道もそれまで +08:30 を使っていましたが、 同時に中央標準時に切り替えました >>214。
[105] 1914年の黒龍江鐵道のブラゴウエシチェンスク驛延伸記事によると、 イルクートスク標準時が用いられており、 その 12:00 はブラゴウエシチェンスク地方時 13:29 に当たります。 >>104
[125] 大正6年7月16日より、東清鉄道と鳥蘇里鉄道は (露国?) 臨時政府の指示で従来より1時間早い時刻に移行しました >>124。
[119] 大正7年1月11日より、東清鉄道は従来より1時間遅れた時間 (本来の哈爾浜の地方時) に移行しました >>118。
[5] シベリアと満州に出兵した日本軍は、 以降、 当地の鉄道時を軍用時として採用しました (制定) >>4, >>9, >>10, >>127。
[6] 更に各地方の時刻は次の通りとされています >>4, >>9, >>10。
[8] オムスク政府決定によりシベリア全体で大正8年6月17日と18日の間の午前0時に標準時が1時間進められ >>10、 鉄道時もそれに合わせて改められた >>7, >>10 とされています。
[91] 大正8年7月および翌年発行の >>90, >>92 には、... との説明があります。時刻表の長春欄には、 満鉄の時刻で記載しており、東清鉄道とは23分の時差があると注記があります >>90 16コマ, >>92 15コマ。
[109] 大正8年8月の報告には、満洲里-知多間ザバイカル鉄道の 8月1日からの列車時刻が、イルクーツク時間とハルビン時間で記載されています。 両者の時差は、1時間30分 (ハルビンが進んでいる) とされています。 >>115
[11] オムスク政府決定によりシベリア全体で大正8年9月23日と24日の間の午前0時に標準時11時に巻き戻す >>10 とされています。 鉄道時も次の通り改められたようです >>10。
[63] 1919年出版の >>64 にはロシアの各都市の時差が次のようにあります。
[86] 大正8年発行の >>85 は、ロシア革命の混乱下のシベリア鉄道運行状況を記述しています。 浦潮-満州里間および浦潮-「ハバロフスク」間の時刻表は 『哈爾賓「タイム」』で記述されており、その正午は露都の午前5:35に当たるとあります。 「ハバロフスク」-「クエンガ」間および満州里-「イルクーツク」 間の時刻表は『「イルクーツク、タイム」』で記述されており、 その正午は「アレクセーウスク」(「ハバロフスク」より起点し 「ボチカレーヴォ」駅の2駅手前) の午後1:30に、または哈爾賓の午後1:29 に当たるとあります。
[87] ハルビン鉄道時を +08:23 だとすると、... となります。最初の3都市は >>6 と一致します。
[326] >>325 によれば、上海に倣って天津 (の租界および民国現地政府) は1919年4月26日から1919年10月1日までの間夏時刻を実施する (天津の電信局はそれに従うが鉄道は従わない見込みである) ことから、 北京も夏時刻を実施するべきかと各国公使団で議論されました。 しかし鉄道が夏時刻を実施しないことによる混乱を危惧し、 北京では実施されなかったようです。
[13] 大正9年5月10日に後貝加爾鉄道庁がイルクーツク鉄道時をチタ鉄道時に改称しています >>10。
[12] 大正9年5月には、>>5 の日本軍用時から... が削除され、かわりに... とされ、また >>11 からイルクーツク鉄道時が削除されてかわりに... が追加されています >>10。
[52] 大正9年の時差一覧表には、ロシアの時刻としてサンクトペテルブルクの経度と +02:01:19 を挙げています >>51。
[66] 大正9年7月出版の旅行案内本 >>65 によれば、
[16] 浦塩の地方政府と鳥蘇里鉄道庁は大正10年4月11日23時に1時間進め (鳥蘇里鉄道時 12:23 (+09:23) = 東京 12:00 (+09:00))、元々同じ鉄道時だった満州側の東支鉄道 (哈爾浜鉄道時 11:23 (+08:23)) と1時間の時差が生じました >>15。
[17] その後沿海州の政変で成立した新政権の指示により、 鳥蘇里鉄道庁は5月28日24時に1時間巻き戻して23時とし、 この時差は解消しました >>15。
[97] 日本軍の軍用時の改正は一旦保留されており、 東支鉄道のハルビン鐡道時をシベリア側でも使っていました >>127。
[94] 支那國有鐵路旅客及貨物運輸章程 (民國10年1月1日施行) の第二條には、... とあります >>93。
[74] 中華民國國有鐵路旅客及荷物運送規則 >>73 (日本鐵道省北京辦公處, 原文内に日付はないが書誌情報によれば) の第二條には、「鐵路ハ中華民國海岸時刻ヲ用フルモノトス (日本鐵道時刻ヨリモ一時間早ク東支鐵道時刻ヨリ二十三分遅シ)」とあります。
[76] >>74 と >>94 は同じもの (原文支那語) を和訳したのだと思われます。 両者では「早い」と「遅い」が逆になっていますが、どちらも共に「遅い」 が正しいと思われますが...
[29] 大正12年/1923年時点でモスクワとチタに4:33、 ハルビンと5:03の時差があります >>28, >>30。 (その他には言及がないのでわかりません。) チタ鉄道の満州里時間の時刻の表もあります >>28, >>30。 チタ鉄道はモスクワ時間で、東支鉄道はハルビン時間と注記のある表もあります >>30。
[32] >>31 に1923年時点の鳥蘇里鉄道の時刻の表 (浦塩時間) があります。
[34] >>33 に大正15年時点のザバイカル鉄道の時刻の表 (ハルビン時間) があります。
[36] >>35 に大正15年時点の鳥蘇里鉄道の時刻の表があり、「地方時に依る」と注記があります。
[108] >>107 (1928年出版) のシベリア鉄道案内には、安東 (鮮満国境) で満洲時間、満洲里でモスコー時間、ワルソーで中歐時間、 リエージで西歐時間との注記があります。露西亜部分には、 地方時は1、3、4、5、6時間加算して求められるとあります。 ハルビン時間にはなぜか言及がありません。
[53] シベリア出兵時の日本軍の通信用の時刻同期は、 当初は京城や長春の電信局の報時に基づき、 ハルビンや浦塩で時差を調整して用いていました >>127。 更にそこから前線各地に報時していたようです。
[130] より、京城や長春に同期するのではなく、 船橋の中央標準時の電波報時をハルビンや浦塩で受信するようになりました >>127。
[54] ハルビンと浦塩はいずれも東清鉄道沿線であり、 ハルビン鐡道時が用いられていたようです >>127。
[132] 版の日本政府の情報では、浦塩の港湾報時信号は +09:00 だったといいます >>131。
[133] の米軍の地図では、浦塩 (だけ) は +09:00 で塗られています >>176。
[129] 時点で満州里-浦塩や長春-ハルビンはハルビン時刻 +08:26 でした >>128。
[83] の欧亜国際連絡列車の時刻表 >>82 には、西欧時、中欧時、東欧時、ハルビン時、満州時、 日本時(朝鮮時)、日本時の区別があります。 満州里以東はハルビン時となっていて、ロシアは東欧時になっています。
[121] の時刻表 (英文) には、 Moscow より Kharbin の Harbin time が 進んでいることが記されています >>120。 また Irkutsk が Kharbin ともあり >>120、 モスクワ +02:00、イルクーツク +07:56、ハルビン +08:26 ということになります。ただし(シベリア?)鉄道の時刻はモスクワ時ともあり >>120、 イルクーツクは鉄道時ではなく市内の時刻のようです。
[122] 露西亜ではから通年夏時刻 +03:00 に移行していますが、これらの時刻表では東欧時 = Moscow time = +02:00 と思われます。当時鉄道では +02:00 が引き続き用いられていたのでしょうか。
[1116] 満州国ではの建国より +08:00 が採用されています。
[38] >>39, >>37 に南満州鉄道を北上してシベリア鉄道に乗り継ぎ西に向かう旅程の説明があります。 曰く:
[3] 、
日本領関東州および満鉄附属地が中央標準時 +09:00 に移行しました。
同じく、
満州国も +09:00 に標準時を改正しました。
[72] >>71 所収「中華民國26年4月11日改訂 奉天・山海關・天津・北平間」の鉄道時刻表には、 「北支の時間は滿洲より一時間おくれですが山海關著發は滿洲時刻です」と注記があります。 奉天と山海関は +09:00、それ以外は +08:00 と見られます。
[180] ロシアの鉄道の時刻表や駅の時計、切符の時刻はモスクワ時間を採用しています >>179, >>183, >>184, >>185, >>188。
[182] しかし乗客は現地時刻に合わせて時計を調整しているようです >>181, >>184, >>186, >>187。
[75] ロシア本国の鉄道と直接接続していない離島のサハリンの鉄道でも、 モスクワ時間を用いているようです。ただし現地時間の時刻表も掲示されているようです。 >>68
[79] はいらーある pe Twitter: "あと個人的に面白かったのは時差の話である。満鉄(満洲時間)と東清鉄道(ハルピン時間)には時差が26分あり、新京でホームを挟んで隣り合っているにもかかわらず違う時刻を採用していたそうだ。" ( 版) https://twitter.com/hokuman_hailaer/status/684381607038332929
[136] ロシア・モンゴル鉄道旅行記 (2/3) 佐納康治 () http://www.asahi-net.or.jp/~hc7y-snu/sanoo/Travel32/Travel32b.html
[137] ロシア・モンゴル鉄道旅行記 (1/3) 佐納康治 () http://www.asahi-net.or.jp/~hc7y-snu/sanoo/Travel32/Travel32a.html
[143] 在営延期者の階級区分に関する件 (アジア歴史資料センター | Japan Center for Asian Historical Records著, ) https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C07061166100