[59] かつて日本政府が発行していた英文官報では、 昭和23年を「the twenty-third year of Showa」 のように表記していました。
[27] 「昭和」を名称に含む国の機関は英名で「showa」 と表記しています >>25, >>26。
[31] ただし昭和基地は「Syowa Station」と綴られています
>>28, >>29, >>30。
tzdata には
Antarctica/Syowa
があります。
[16] 当用漢字字体表・常用漢字表の字形以外にも、 いろいろな字形で書かれてきました。
[14] 姿形書換字(3), , http://gattin.world.coocan.jp/kanji/sikeika3.htm
「
[48] ラスカルさんはTwitterを使っています: 「実家の近所にある占守島で戦没された陸軍大尉のお墓、小学生のときはなぜ終戦記念日を過ぎた8月18日に戦没されたのか理解できなかった。 帰省すると実家の墓参りの後で手を合わせている。もうすぐ78回目の御命日。 https://t.co/iUVuOiFj2W」 / Twitter, , https://twitter.com/arisaka2599/status/1678552430181769219/photo/1
𫞃和。目偏のようにも見えるがおそらく日偏。
[15] 道民の人@北ティア(10/11) S01でしたさんはTwitterを使っています 「待合小屋の中には棟札のようなものがかけられている。「昭和38年改修」 そんな時代からあるのか…。 https://t.co/R1x4xgs6K7」 / Twitter (午後9:01 · 2020年11月8日 , ) https://twitter.com/North_ern2/status/1325408130717548547/photo/1
「
マンホール蓋「
[51] XユーザーのSY1698@12/31東3-ウ30bさん: 「@BigMuski 定規で書いた文字の謄本なら見たことありますよ 丹荘駅構内地番の電算化閉鎖登記簿というやつですが https://t.co/22YbgWeU8p」 / X, , https://twitter.com/SY1698/status/921024976400015361/photo/1
[33] 「昭」の字は昭和改元以前はそれほど使われなかったそうです。 改元以後、元号名・元号コードとしてはもちろん、 人名・地名などにもよく用いられるようになりました。
[49] でもそう言われてから観察すると昭和改元以前にも案外「昭」の用例はあるんですよね。 あるところには。稀字というよりは、あまり意識される字ではなかった、 程度かもしれません。
[19] 日本の古い計算機システムなどでは、
内部的な年の表現に昭和を使っていることがあります。
平成改元、令和改元の後も、内部的には昭和を延長して用います。
(昭和暦)
[32] 情報システム設計に詳しくない人は、 平成改元以後も昭和を使い続ける対処療法的な歪んだ設計で不適切と感じることもあるようです。 実のところ、 システム内部表現のデータ構造と人間向け外部表現の文字列は必ず何らかの変換が発生するので、 内部表現が改元を反映する必要はありません。 基準点はどこでもよく、 たまたま昭和元年としても何も問題ありません。
[20] ただし年を十進2桁で扱うシステムで問題が生じる可能性があり、 昭和100年問題と呼ばれています。西暦における2000年問題と同じものです。
[46] (HP)sakimono20220208.pdf, , https://www.jpx.co.jp/sicc/securities-code/nlsgeu0000032d48-att/(HP)sakimono20220208.pdf
符号中に年号を表す1桁がある。その数値の意味は説明されていないが、 昭和の延長年号の下1桁と一致する。
[35] 大日本帝国台湾出身の漢民族の廖文毅が日本国東京都でに設立し、 後に同じく台湾人漢民族の郭泰成や林台元が引き継いで (または) まで各国で活動した亡命政権である台灣共和國臨時政府について、 中文版维基百科は紀年法として昭和を用いたとしました。 >>34
[43] その根拠は不明です。日本を拠点に生活していたなら日本の元号を使っていたでしょうが、 この団体は日本併合(復帰)派ではありませんから、 独立運動にそれを用いたというのは不自然です。 一般に外国人が現地の日時制度で生活・経済活動することと、 その外国人が属する政治団体の日時制度とは区別するべきでしょう。
[44] 同団体の文書とされるものには、西暦年の漢数字表記が用いられていました >>40, >>41, >>42, >>39。
[1] 実家から昭和11年頃の大衆情報誌が出てきたのでうpる - ゴールデンタイムズ ( ( 版)) http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51818487.html
[4] 昭和末期のパソコン雑誌の広告 - 毒電波半減日記 ( 版) http://d.hatena.ne.jp/ikasuke/20120703/p1
[12] 昭和と平成の狭間に行ってきた ~「声かけ写真展」訪問記~ - ものぐさ姫のキリトリ線 ( ()) http://cutoff-line.hatenablog.com/entry/2016/05/09/014927
[13] 世田谷の「声かけ写真展」で少女写真を販売 主催者はアダルトサイト運営も ( ()) https://www.buzzfeed.com/eimiyamamitsu/photos?utm_term=.pj6A823Vw#.avG5Ky3lX
[22] 元号建定ノ詔書案 (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001758772
[23] 元号ノ称呼 (独立行政法人国立公文書館 | NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN著, ) https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001758773
[24] () http://rakusai.nichibun.ac.jp/hoji/contents/Nichibei/PDF/1926/12/19261226nba10.pdf
[36]
21世紀以後の人々がいう「昭和感」は、実は平成1桁台のイメージのことも多いようです。
[47] 昭和の映像西田中弁天大運動会平成4年9月13日 光雄さん撮影 - YouTube () https://www.youtube.com/watch?v=DydDAkJAJQs