開埠紀年

開埠 (元号)

[2] 開埠紀年は、 香港開埠元期とする紀年法です。 >>1 元号名開埠とする建国紀元の一種です。

紀年法

[3] 元年とするもの (y~2231) >>1 と、 元年とするもの (y~2232) の2系統があります。

[149] 元年 (y~2231) の前を紀元前方式開埠前年と遡っていく用法もあります。

元号名

[146] 元号名スロット開埠とするのが最も一般的ですが、 稀に国名付きの香港開埠とした例もあります。

[150] 通常は香港の標準字体 (繁体字の一種) で表記されます。

[154] 香港の通常の表記の字体は「香港󠄃」 (2文字目 IVS) ですが、 一般には「香港」と IVS なしで表記されるため、 日本語フォントで表示すると日本風の字体に見えます。

[153] 中華人民共和国簡体字ウェブ媒体では、 簡体字に機械的に置き換えた开埠が用いられました。 >>151, >>152

[148] 英語表記で元号名スロットH.K. または H.K とした例もあります。 (y~2232)

[147] 稀に元号名を省略して年数のみ書くこともあります。

[155] 開埠紀年ともいいますが、紀年法としての呼称で、 これを元号名スロットに用いた事例は未見です。


[175] 開埠とは香港開埠を指しています。 香港の創設に起算した紀年法であること (>>25) を直接的に表現した名称です。

[176] そもそも中文開埠は、 近代における開港を意味しています。 日本語でも埠頭という言葉があるように、 とは港湾を指していて、 それが開設されることを言っています。 清国時代末期、 欧米諸国との条約によって清国沿岸部の諸都市が開港場となりました。 香港だけでなくそれらの港湾都市に「開埠」の時期があって、 例えば上海開埠から何年のような表現が現在でもなされています。

[177] 香港の場合にそれが特殊なのは、 ただ港湾機能が開かれたというのに留まらず、 居留地租界でもない正式な英国領土となって、 ほぼ何もなかった土地に新たな都市・港湾が建設され、 100年以上にわたった独自の繁栄の礎となった点であります。 香港の開埠は香港 = 「港」の始まりであり、 香港という都市の始まりであり、 香港政府の始まりでもあって、 各地から集ってアイデンティティーもばらばらだったはずの 「香港人」の起源ともいえるものなのです。

[182] なお、 開埠紀年 の記事のある 粵文維基百科 は、 ローマ建国紀元 (AUC) を 羅馬開埠紀年 と呼んで立項しています。 中文維基百科では 罗马建城纪年 です。

用例の一覧

背景

[25] 2系統の数え方のどちらも、 英国清国アヘン戦争 (ないし - ) に伴う香港の都市創設を基準点としています。

[156] 英軍の進攻によって香港地区は清国の統治が及ばなくなりました。 英領香港時代から21世紀初頭に至るまで、 は香港開埠の記念日として祝われています。 開埠はこの記念日が紀年法に発展したものと見られています。

[157] 記念日を指した、紀年法としては未成熟な用例は、 英領香港時代から存在したようです。 その頃から2系統の数え方がありました。

[159] 英軍香港に上陸し、 領有を宣言したとされます。 >>158, >>103 占領したとする説 >>160, 領有を宣言したとする説 >>59 もありますが、根拠は定かではありません。

[162] 穿鼻草約 により香港英国への割譲が交渉担当者間で合意されましたが、 その後両国政府に承認されず不成立に終わりました。 >>161

[163] 香港英国への割譲を定めた 南京条約署名されました。 批准書が交換されました。

[164] 英国の実質的な統治開始の日をいつとするかには若干の揺れがあるものの、 同じ暦年なので単位で数えるには問題となりません。 問題となるのは実質的な統治開始と南京条約の1年の違いで、 清国英国の双方の法律及び国際法により正式に香港英国領土となった 南京条約 を起点とする考え方も存在します >>59, >>103, >>140

[60] >>59 より

1841年1月27日,英軍登陸香港島,宣稱管治,是為開埠。計計時間,今年正是開埠175周年。

これは「周年」で、0年とする数え方。 y~2232

ところが英軍による実効支配以来、 条約による法的地位が以来なので、 1年ずれた別の数え方があり得る。実際、

所以本地官方文獻慣以1841年作為開埠紀年。可知,在歷史學界運用了兩種“香港開埠”年份的紀錄。

と両方使われているとのこと。 ここでいう「香港開埠紀年」は開埠から何周年という表現のことらしく、 紀年法としての開埠何年の数え方については何も言っていません。

[61] 紀年法としての開埠年も突然出てきたのではなく、 香港開埠周年の表現が何十年も使われてきた蓄積の上で生まれたものです。


[4] 紀年法としての用法は、 香港本土派が考案したものだといわれています。 >>1 香港は、 英国から中華人民共和国割譲されましたが、 一国二制度として一定の自治的な権限が認められていました。 しかし21世紀に入って時が経つにつれ、 中華人民共和国中国共産党香港に対する統制は徐々に強化されていきました。 少なくない香港人がそれに反発を示していました。 の秋から冬には、 雨傘革命と呼ばれる大規模な反政府運動がありました。 この紀年法もそうした文脈で育まれてきたようです。

[166] もっとも、香港人にもいろいろな考えの人達がいました。 中華人民共和国からの独立を目指す人達もいれば、 一国二制度を維持したまま民主的な政権運営を求める人達もいました。 この紀年法は諸勢力で広く受け入れられる規模には至っていなかったようです。

[143] 現在知られている用例中という前提は付きますが、 2系統あるうちの y~2231付け、出版の 城邦舊事 が初出 (>>144) で、 y~2232Blue Culture Club が初出 (>>145) です。

[167] 1年ずれた両者が独立に発生したのか、 何らかの誤りで派生したのか、 これだけの材料では判断が難しいですが、 人脈等のつながりが発見されない限りは、 独立して発生したと判断しておくべきでしょうか。

[37] 開埠紀年に関するブログ記事は、 城邦舊事 等の y~2231 が正しいものとし、 の拔萃男書院國是學會創會宣言 (>>23) y~2232 は誤りとしました。 >>7

[39] 拔萃男書院國是學會がどのようにこの紀年法を決めたのか明らかではありません。 またこのブログ記事がどのような理由で正誤を判定したのかも明らかではありません。 このブログ記事Blue Culture Club の用法には言及していません。 このブログ記事の範囲では拔萃男書院國是學會は歴代第2の用例ですから、 誤りとするのは勇み足と思わないでもありません。 初出で、しかも運動の理論的支柱の1つだったであろう 城邦舊事 の記述を重視したのでしょうかね。

[40] このブログ記事著者の判断も、 当時の香港人 (の一部) によるこの紀年法の理解が垣間見える貴重な資料といえます。 ただし宣言発表直後の掲載記事 (>>28) に誤りと指摘したものはありませんでしたから、 当年が開埠何年かはっきり認識していた人は、 当時の香港にはそれほど多くなかったのでしょう。

[38] Blue Culture Club の流れを汲む Museum of Hong Kong 香港繆詩菴 は、 に年の数え方を説明しています。 >>103, >>140 それによると、 実質の英国統治開始と条約締結による法的な開始には1年のズレがあるものの、 東洋や英国の即位紀年等の前例によれば、 即位の翌年が元年になるのは自然なことで、 y~2232 の数え方でいいのだといいます。

[70] この説明が投稿されたのは、年数が1年ずれているのではという意見があったためのようです。 いつどのような人達との意見交換があったのかは定かではありません。 投稿の直前のこととも限らないでしょうし。 この時期に英国に活動拠点が移ったため、 活動を再検証したり、新たな人的交流が生まれたりして疑問が生じたという可能性はあります。

[168] ただし、この説明の妥当性には若干の疑問もあります。 即位紀年即位の翌年の改元の伝統と、 実質的な統治と国際法的な領有権移転のずれには関係がなく、 前者は便宜上や思想上の措置、後者はたまたま戦況がそうだったからに過ぎません。

[169] Blue Culture Club は毎年の開埠記念日に開埠周年を祝っていたようです。 その自然な延長で、開埠があった年が第0年、翌年 (条約締結の年) が1周年 = 第1年と数えた結果 y~2232 が成立したというのが実際のところでしょう。


[170] y~2231, y~2232 の2系統のどちらも、 からにかけて用例が集中していることには注意が必要です。 この時期に開埠が最もよく用いられたのはおそらく確実でしょう。 には香港立法会選挙が実施されました。

[171] もちろん他にも Web 上で現存しない利用例があったかもしれませんし、 SNS 等私的な領域や、 紙媒体などで他にも用例はあったかもしれません。

[173] 主要な用例が中等教育学校生徒らによるとされているのも特徴的です。 しかし学校によっても2系統のどちらが選ばれるか違っていたのは不思議なことです。 生徒や他の利用者らがどこで開埠を知って広めていったのか、 その時2つの系統がどう交わったのかは興味深い問題です。

[172] それ以降の用例が無いのは、活動の変質によってこの紀年法は必要とされなくなったのでしょうか。 それとも公開の場で堂々と利用するのが憚れる政治状況に陥ったためでしょうか。

[174] 香港域内で今後新たな用例が発生するかは怪しいと言わざるを得ません。 香港民主派は弾圧によりにはほぼ壊滅してしまっているようです。


[178] それにしても21世紀香港という土地での新たな紀年法が登場はとても興味深い現象です。 中華人民共和国は建国以来元号がなく公元を使っていますし、 英国は日常で専ら西暦を使っています。 台湾建国紀元である民国紀元に触れる機会はままあるにせよ、 香港人にとって元号はせいぜい歴史上の存在という程度でしょう。 それでも香港人民族としての自立のためには建国紀元元号のような紀年法が必要と考えた人達がいたのです。

[180] 香港やその周辺の地域は、国時代末期などにも独自の紀年法が生み出された歴史があります。 それが繰り返されたのは偶然なのでしょうか、それとも必然なのでしょうか。

城邦舊事

[9] 徐承恩著書 城邦舊事:十二本書看香港󠄃本土史 の序文の日付が、 「開埠173年癸巳中秋」 でした。 >>8, >>10 開埠173年はに当たります。 >>7

[127] 月名の「中秋」は現代でも農暦の8月を表すかも知れませんが、 この日付がいつ頃なのかは明らかではありません。

[165] 各書籍サイトの情報によると、本書の発売日はでした。 実際に入手可能となったのがいつかは不明ですが、およそその年末年始の頃なのでしょう。

[11] の同書修訂版の序文には、 「開埠175年12月」 とありました。 >>10 p.12 開埠175年はに当たります。

[17] 同書修訂版の本文は公元で書かれていたようですが、 大事年表 には公元紀年開埠紀年が併記されていました。 次のように紀元前方式開埠前の記述もありました。 >>10

[5] 粵文維基百科は、 城邦舊事:十二本書看香港本土史 (修訂版) の 大事年表 を出典としています。 >>1

拔萃男書院國是學會の創會宣言

[19] 、 拔萃男書院國是學會の創會宣言が発表されました。

[22] この宣言は SNS Facebook で公表されました。 >>20, >>26, >>27, >>29 その投稿は本段落執筆時点で既に存在せず、 投稿先の Facebookページも存在していません。

[23] その内容と思われる文章が他の Webサイトで公開されています。 それによると、 日付が 「開埠一百七十五年 九月二十五日」 とありました。 >>18, >>29, >>66 が開埠175年と表現されました。 y~2232

[124] 本文中は 「上世紀二 十年代」 「一九八九年」 「二零一二年」 「二零一四年」 と西暦年でした。 >>18, >>29, >>66

[24] 拔萃男書院 (Diocesan Boys' School, DBS) は、 英領香港時代から続く伝統ある名門の私立学校で、 日本の制度では中等教育学校に相当します。 「國是學會」はその生徒グループとされています。

[28] この宣言は当時複数の中文媒体で報じられました。 >>26, >>27, >>29, >>30, >>31, >>32, >>33, >>34 「開埠一百七十五年」 とある部分も注目されました。 >>27, >>29, >>30, >>31, >>32, >>33, >>34

漢華中學本土關注組

[68] 漢華中學本土關注組が Facebook に投稿した >>69 とされる 漢華中學本土關注組就中國政府「釋法」之嚴正聲明日付が 「開埠一百七十五年 11月8日」 でした。 >>67 が開埠175年と表現されました。 y~2232

[125] なお本文中には 「九七年」 () ともありました。 >>67

[126] 漢華中學第2次世界大戦の頃から続く香港中学です。 本土關注組はその生徒グループと思われます。

葵涌循道中學

[49] 香港キリスト教系の学校である葵涌循道中學葵涌循道中學2016-17年度學生會Promise (生徒会に相当) は、 機関誌刻板の表紙の日付において、 以来まで開埠紀年 (y~2231) を使いました。

[50] 現品は関係者に配布されたと思われますが、 日付表記のある表紙の写真が Facebook で公開されました >>46, >>42, >>44

[51] 前年末の西暦年のみでした >>48。 その後の1ヶ月の間に思うところあって変更したのでしょうか。

[52] 他のFacebookの投稿によれば、その他の活動では西暦年を使っていたようです。

[54] Wikipedia には機関誌の発行は前年度から当年度までとあり >>53、 翌年度学生会の Instagram アカウントにも機関誌は掲載されていません。 翌年度以降は機関誌そのものが発行されていないのかもしれません。

西暦2016年頃

[6] 粵文維基百科には、 開埠紀年 として単独の記事が2016年8月20號 () に追加されました。 >>1 y~2231

[36] その後細かな改訂は, , , , , と繰り返されました。 >>1 毎年ほぼ同じ時期に調整されているようです。

[58] 雨傘革命についてのブログ記事で、 拔萃男書院國是學會創會宣言の開埠紀年に言及されました。 >>57

[56] に掲示板に香港開埠紀年が使われているかと質問が投稿されました。 >>55

[65] に、 香港独立を目指すなら元号によって香港中心の史観を建てるところから始めるべきだと述べ、 「開埠一百七十五年十二月十日」 の日付を書いた記事が掲示板に投稿されました。 >>64 y~2232

[63] 開埠紀年を紹介し推奨するブログ記事が公開されました。 y~2231 が正しく、 y~2232 は誤りとしました。 >>7

Blue Culture Club

[128] Blue Culture Club は、 その Facebookページによると、 英領香港ポルトガル領澳門の植民地文化を研究していた同人グループで、 から香港(もしかすると澳門やその他の地域でも?) 活動していました。 機関誌 (おそらく紙媒体) を発行したり、 毎年の香港開埠記念日に記念の会を開催したり、 その他の活動をしていたようです。

[129] Blue Culture Club は一般の香港人のように西暦年を使いながらも、 Facebookページへの投稿に 「開埠」 年の日付を書いていました。 多くの投稿に書かれていましたが、すべてにではありませんでした。 投稿の本文は西暦年が多かったようです。

[130] 現在確認されている最古は、の投稿の 「開埠 一七三 年十一月十八號」 です。 >>72 y~2232

[131] 香港ではよく中文英文が併記されますが、 Blue Culture ClubFacebookページの投稿も日付で両言語併記したものが多くあります。 現在確認されている最古は、 の投稿の 「開埠 一七四 年一月廿六號 26 January, H.K 174」 です。 >>74

[132] 開埠に相当する英語元号名H.KH.K. で、明らかに Hong Kong の略です。

[133] 英語での用法は他に見られませんが、 Blue Culture Club の発案なのか、他にも使われているのかは不明です。

[134] 「September, 175」 「一七五年九月」 のように元号名を省略した例もあります。 >>81, >>82

[135] 本段落執筆時点で Blue Culture Club の直接投稿の最新用例は の 「開埠一七九年六月九號」 です。 >>71 から1年以上新規投稿が途絶えていますし、 開埠記念日の香港現地の活動も行われていないようです。 政治情勢と関係あるのかもしれません。

[136] Blue Culture Club の機関誌表紙に 「C.E.2019/H.K.178/M.U.464」 と書いた例があります。 >>88 「M.U.」 は澳門の開埠から起算したもののようです。 現在発見されている用例はこれ1例だけで、 どれだけ使われたものか不明です。

[137] Museum of Hong Kong 香港繆詩菴英領香港の文化保存的な活動を行っているグループで、 英国ロンドン市方面で香港開埠日記念イベントや展覧会などを実施しているようです。

[138] Blue Culture Club を継承するようなグループらしく、 Facebookページで見る限り、やや重なりながらもちょうど入れ替わるように活動開始しています。 本段落執筆時点で継続的に活動中のようです。

[139] 当初から開埠を使っていたようです。 本段落時点で, の 「香港、開埠一八一年二月六號 大英國、伊利沙伯二世六十九年二月六號」 >>140 が最新で、引き続き利用中と思われます。 ただし開埠を使っていない投稿も多いです。

[141] 香港開埠の日や現英国女王の即位記念日に関係して、 英国王即位紀年を使った例もあります。 >>94 >>122 >>103 >>117 >>140 ただし英国式改元ではなく即位の翌グレゴリオ年元年とする東洋式の数え方を使っているようです。 英国式改元に言及がなく、英国の伝統的な紀年法を採用しているのか、 東洋式からの類推なのか不明です。

[142] が 「正式進入開埠第一百八十年」 とされており >>105、 「正式」な年始は開埠記念日ではあるようですが、 この日の前から開埠180年の日付が使われていますから、 日時表示年始グレゴリオ年始で良いようです。 (この点が英国式改元とは違います。)

関連

[183] 天星 (香港)

メモ