[8] 神亀は白亀を祥瑞とする元号でした。 これをそのまま元号名とみたものでしょうか。
[19] 読みは 「はくき」 >>18 「びゃっき」 >>36 とするものがありますが、根拠は不明です。
[10] 旧唐書 の遣唐使の記事に、 「白亀元年」 とありました >>7。 新唐書 に、 聖武天皇が即位して白亀に改元したとありました >>9。
[20] 伴信友は、 旧唐書 と 新唐書 を根拠に、 神亀は当初白亀の祥瑞をそのまま元号名に白亀と定められ、 同じ年のうちに神亀に改められたとしました。 唐や延喜式で白亀は祥瑞とされておらず、 神亀なら大瑞であることを根拠とし、 続日本紀 所収の改元の詔書は改正後の状態であるとしました。 >>2
[23] 坂本太郎は、 伴信友の主張を参照し、 「神亀の改元は、白亀を得たのに基づき、 そしてその初めは白亀と呼んだ形跡がある」 と述べました >>22 p.二一〇。 坂本太郎は白鳳が白雉から生じたとする伴信友の説を継承し、 その傍証の1つとして白亀に言及したため、 簡単な言及に留まっていますが、 白亀改称説に肯定的なことがわかります。
[24] ただ伴信友の改称説は記述の正確性に疑問が持たれる新旧唐書以外の根拠がなく、 日本国内で白亀が用いられた痕跡がないという大きな問題があります。 続日本紀 の編纂過程に疑問が持たれているとはいえ、 詔書が原文通りでなく改変されているとすると重大な問題で、 今日の歴史学の水準で再検討せぬまま信じることは難しいでしょう。
[26] 歴史を扱った論文や書籍などで白亀を神亀や霊亀のことだとしたり、 誤りだとしたりしたものはいくつかあったようです >>25, >>27。 深く考察したものはみつけられません。
[13]
いくつかの私年号の一覧表は、
白亀を収録しました >>12, >>11。
神亀の別名とされました。
私年号として扱うべき根拠は定かではありません。
別名説を採るなら、
私年号ではない異年号の一例とするべきでしょう。
[17] その他いろいろ自説を展開する人も見られるようです。 >>14, >>15, >>3, >>16
[4] 現存する史料から判断できる限りに於いて、 日本国内で白亀が使われたことはなく、 唐で何らかの手違いで白亀が生じたと判断するのが穏当でしょう。 ただ 旧唐書 には印象的なエピソードが掲載されていますから、 相応の根拠があったものとも考えられます。 如何なる経緯で発生したものか明らかになっているとはいえず、 検証が必要です。
私年号 元号相当年 使用実例 西暦相当 白亀 神亀1年 1年 724年
私年号 異説 元年相当公年号(西暦) 継続年数 実例・備考 (白亀) - 神亀元年(724年) 不明 『旧唐書』倭国日本国伝。公年号「神亀」の誤認。
[30] 旧唐書 に 「開元初」 とある。 唐開元年間は 713年-741年。 この時期の遣唐使は養老元(717)年-2(718)年、 天平5(733)年-6(734)年の2回。 だとすると前者を指すと解するべきだろう。
[31] 日本神亀年間は724年-729年。 神亀は後者よりは古い時代だが前者よりは新しい時代。 前者なら白亀元年はあり得ない。
[32] 白亀を聖武天皇代始改元とする 新唐書 の記述は信用してよいものか、どうか。 新唐書 の 「開元初粟田復朝」 も不審とされている。
[33] でも霊亀の祥瑞は白亀なのかどうか。 神亀と宝亀 (770年-781年) の祥瑞は白亀。
[1] 神亀も霊亀も (宝亀も) 音や字形から白亀に変化しそうにない。 白亀に因んだ祥瑞改元であるとの知識から派生したものか。
[28] 續日本紀史料 第16卷 自寳龜元年十月至寳龜四年十二月・是歳の通販/皇學館大学史料編纂所 - 紙の本:honto本の通販ストア, https://honto.jp/netstore/pd-book_25374656.html
[29] >>28 これ最初見た時「白龜元年」に空目した。これ何かのヒントかも?
[34] hyena_no_papaさんはTwitterを使っています 「p296、白亀と霊亀。 案外、真相は別にあるかもしれぬ。なぜなら、後漢の霊帝(1字傍点)の帝名あるを知り、これを慎重に忌諱したのかもしれぬのである。 よく意味が、、、後漢の霊帝の「霊」が忌諱の対象になったと?忌諱の対象は諱(本名)であり、帝命が忌諱の対象になるとは聞いた事がありません。」 / Twitter (, ) https://twitter.com/hyena_no/status/1401113151295217670
[35] その一派の人が尽くスルーしてる (古代史関連のワードで検索すると必ず出てくるほど汚染されてるのに対して白龜をテーマにした記事が全然引っかからないから、ないと思ってた) の不思議だった。開祖様はちゃんと(?)触れてたのね。
[36] 史跡ある記 続, 石島潔, 上尾市企画財政部広報課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644437/1/62 (要登録)
[38] 皇典講究所講演 5(47), 皇典講究所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1563284/1/27 (要登録)
[39] 均田法とその税役制度, 曽我部静雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2463379/1/116 (要登録)
[40] 岡山県史 第3巻 (古代 2), 岡山県史編纂委員会 編纂, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9576565/1/264 (要登録)
[41] 異説日本史 第1巻, 雄山閣編輯局, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3431672/1/121 (要登録)
[42] 阿倍仲麻呂伝研究 : 朝衡伝考, 杉本直次郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1046667/1/167 (要登録)