月干支

月干支 (月建) と三正

[23] 中国式太陰太陽暦には年始の定め方が主に3種類あり、三正と呼ばれています。 日本旧暦を含め、現在の中国式太陰太陽暦はそのうちの1つ夏正を採用しています。

[21] 正朔を改めるとは年始を改めるということでした。 >>201

年と月

暦法の他の要素との関係については農暦

[4]

n
月建
type
種別
亥0
建亥
建子
建丑
建寅
建卯
建辰
建巳
建午
建未
建申
建酉
建戌
建亥
子2
建子
丑2
建丑
g
採用時期
note
備考
type
夏正
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
子2
11月
丑2
12月
g
(戦国時代) >>2
note
>>1, >>2
type
殷正 (商正)
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
子2
12月
note
>>1, >>2
type
周正
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
note
>>1, >>2
type
楚正
亥0
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
note
>>2
n
顓頊暦
type
秦正
亥0
10月
11月
12月
端月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
g
統一頃 - 元封6年/西暦紀元前105年 >>5
note
>>2
n
西暦紀元前104年
亥0
10月
11月
12月
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
子2
11月
丑2
12月
g
元封7年/太初元年/西暦紀元前104年 >>5
n
前漢
type
夏正
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
子2
11月
丑2
12月
g
太初2年/西暦紀元前103年 - 居摂2年/西暦7年
n
西暦8年
type
夏正
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
子2
11月
g
居摂3年/初始元年/西暦8年
n
type
殷正
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
子2
12月
g
note
>>7
n
後漢以後
type
夏正
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
子2
11月
丑2
12月
g
更新元年/西暦23年 - 青龍4年/西暦236年
n
西暦237年
正月
2月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
子2
12月
g
青龍5年/景初元年/西暦237年
note
>>9
n
西暦238年
type
殷正
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
子2
12月
g
景初2年/西暦238年
note
>>9
n
西暦239年
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
子2
12月
丑2
後12月
g
景初3年/西暦239年
note
>>10
type
夏正
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
子2
11月
丑2
12月
g
正始元年/西暦230年 >>10 以後、垂拱4年/西暦688年まで
n
西暦689年
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
g
永昌元年/西暦689年
note
>>12
n
武周
正月
臘月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
g
载初元年/西暦690年 - 聖曆2年/西暦699年
note
>>12
n
西暦700年
正月
臘月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
子2
11月
丑2
臘月
g
聖曆3年/久視元年/西暦700年
note
>>13
type
夏正
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
子2
11月
丑2
12月
g
久視2年/大足元年/長安元年/西暦701年 - 上元元年/西暦760年
n
西暦761年
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
g
上元元年/西暦760年
note
>>14, >>15
n
西暦762年
建子月
建丑月
建寅月
建卯月
建辰月
建巳月/4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
子2
11月
丑2
12月
g
粛宗元年/寶應元年/西暦762年
note
>>14, >>15, >>16
type
夏正
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
子2
11月
丑2
12月
g
寶應2年/廣德元年/西暦763年 - 現在
n
方臘西暦1120年
正月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
g
方臘永楽元年 >>3

[18] 閏月は閏○月というのが (現在は) 一般的ですが、後○月と言うこともあるようです。


[26] 支那の古代王朝が年始を改めた際に四季の配置も改めた (改月) かどうかについては論争がありました。 >>201

[29] 改月論者年始が常に正月だったとしました。 >>201

[30] 不改月論者年始正月年始十二月年始十一月年始十月だったとしました。 >>201

[31] 春秋には常に「春王正月・・・」と記載されています。 民間では建寅が、 諸侯がそれぞれの正朔があって統一されていなかったため、 特に建子であることを示したものだ、 といわれていました。 春秋に記載された日食を計算した結果から、 建子正月年始の始めとしていたことがほぼ間違いない、 とされていました。 したがって正月11月であり、 当時の約半月前に始まったこととなります。 ところがこれらは詩経礼記 (月令) の記載と一致していないため、 論争となりました。 >>201

月建の意味

[20] 建寅建丑とは、 初昏北斗七星の斗柄がまたは方位に向かっている時とされています。 >>201

表や実装における扱い

[17] 中央研究院 兩千年中西曆轉換 ( 版) http://sinocal.sinica.edu.tw/

  • 紀元前は未対応
  • 景初3年は「12」月が2回
  • 武周は「1」-「12」を順に当て、最終年は「11」「12」「11」「12」の月で終わる
  • 肅宗は元年に「9」-「12」、2年に「1」-「3」
[3] china ( 版) http://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/when/china.html

本プログラムでは一貫して建寅月を歳首としています。これは歳首の切り替 え時に同じ年月が二度生じて指定が混乱することを避ける為です。従って2度 ある太初元年10,11,12月は、年初の方を太初0年、年末の方を太初元年として 扱います。1月以外を歳首にしている時期には何れも同様の読み替えが必要で す。読み替えが必要な場合は、皇帝名欄に歳首の月の十二支を()でくくって示 しています。

[19] 中華暦(からごよみ) 注記 ( 版) http://www.wagoyomi.info/karagoyomi/karagoyomi_note.html

年初について

例えば顓頊暦の時代はBC306からBC105年まで年初が10月となっていますが、中華暦では プログラムの都合で年代を通して3ヶ月先の1月始まりとしています。

関連

[24] 三正中国式太陰太陽暦年始の決め方で、 太陽暦とはの決め方が異なるので直接は当てはめることができませんが、 旧暦グレゴリオ暦はおおよそ1ヶ月の差があるので、 敢えていえば現行グレゴリオ暦殷正に近いものです。

[28] その他の暦法年始については、年始を参照。

[22] 月名も参照。

[34] 東京五輪を涼しいに実施するため、 夏時刻のごとく月名を移動させれば良いという風刺的な提案もありました。 平成30年夏時刻事件

メモ

[1] 三正 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AD%A3

[2] 過立齋日進譚 - 学術筆記 ( 版) http://www.karitsu.org/column/000505sk8.htm

[5] 太初 (漢) - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%9D_(%E6%BC%A2)

太初暦では、それまでの顓頊暦の10月歳首を正月歳首に改めたので、太初元年は前年の10月から12月までの15月間存在することになった。またそれに干支(十干十二支)をあてはめた。

[6] 干支(えと)はいつ頃から使われているのでしょう?(かなり専門的) ( 版) http://www.ffortune.net/calen/calen/fromqa/qa106.htm

[7] 初始 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E5%A7%8B

元年11月:居摂3年を初始元年と改元し、王莽が皇帝に即位。国号を新と改め、初始元年12月朔日を新の始建国元年正月朔日とすることにした。

[8] いつか書きたい『三国志』 ( 版) http://3guozhi.jp/c/omt.html

『漢書』王莽伝下はいう。

地皇四年(23年)三月朔に、更始帝がたつ。更始元年とする。

『後漢書』光武帝紀はいう。

更始元年(23年)二月に、更始帝がたつ。

王莽は殷正の暦で、更始帝は夏正の暦だ。

地皇四年2月がおわった翌日を、更始元年2月とした。

更始帝の勢力には、2月が2回あった。

25年6月、光武帝は即位した。夏正を採用した。更始帝の年号をひきついだのですね。

[9] 景初 - 维基百科,自由的百科全书 ( 版) https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E5%88%9D

青龙五年三月改元并改用景初历,以建丑之月为正月。因此青龙五年三月则成为景初元年四月。

[10] 正始 (曹魏) - 维基百科,自由的百科全书 ( 版) https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%A7%8B_(%E6%9B%B9%E9%AD%8F)

《三国志·魏书·三少帝纪》:“景初三年...十二月,诏曰:‘烈祖明皇帝以正月弃背天下,臣子永惟忌日之哀,其复用夏正;虽违先帝通三统之义,斯亦礼制所由变改也。又夏正於数为得天正,其以建寅之月为正始元年正月,以建丑月为后十二月。’”潘眉据此考证魏明帝曹叡死与曹芳改元,相距14个月。

[11] 載初 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%89%E5%88%9D

武則天は永昌元年11月を載初元年正月と定め、12月を臘月、翌年正月を1月とした。この変則的な暦法は久視元年(700年)になり修正されるまで使用された。

[12] 载初 (唐朝) - 维基百科,自由的百科全书 ( 版) https://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%BD%BD%E5%88%9D_(%E5%94%90%E6%9C%9D)

武則天将永昌元年十一月改为载初元年正月,十二月改为腊月,夏正月为一月。从该年起用子正,直到久视元年(700年)恢复寅正[1],故载初年号实际始于公元689年。

[13] 久視 - 维基百科,自由的百科全书 ( 版) https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E8%A6%96

^ s:資治通鑑/卷207 甲寅,制復以正月為十一月,一月為正月,赦天下。

[14] 上元 (唐肅宗) - 维基百科,自由的百科全书 ( 版) https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%85%83_(%E5%94%90%E8%82%85%E5%AE%97)

上元二年九月二十一日去年号,称元年,以建子之月为岁首。[1]

[15] 去上元年號大赦文 - 维基文库,自由的图书馆 ( 版) https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%8E%BB%E4%B8%8A%E5%85%83%E5%B9%B4%E8%99%9F%E5%A4%A7%E8%B5%A6%E6%96%87

[16] 玉真公主 - 维基百科,自由的百科全书 ( 版) https://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E7%9C%9F%E5%85%AC%E4%B8%BB

《旧唐書 本纪第十 肃宗》:「上天降宝,献自楚州,因以体元,叶乎五纪。其元年宜改为宝应,建巳月为四月,余月并依常数,仍依旧以正月一日为岁首。」

[25] () http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/141872/1/JOR_66_4_663.pdf

[27] 二十四節気 - Wikipedia ( ()) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%9B%9B%E7%AF%80%E6%B0%97

[32] () https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/61115/cks_041_017.pdf

[33] 過立齋日進譚 - 学術筆記 () http://www.karitsu.org/column/000505sk8.htm

[35] 王莽 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E8%8E%BD

地皇4年9月3日(新の暦10月3日)

(23年10月6日)