享高

享徳

元号名

[64] 鎌倉市文化財資料 第2集, 鎌倉市教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2476533/1/95 (要登録)

異体字

享高

[132] 享高は、かつて日本の私年号の1つとされたものです。 享徳異体字であるを使った享悳を誤認し、 誤って私年号と分類されたものでした。

[131] 読みは 「きょうこう」 とされます。 >>130

用例

[140] 1例のみが知られていました。

日時事例

[103] 日本私年号の研究は、山本達雄所蔵としていました。 >>67

[104] 現在、東京国立博物館所蔵品に「山本達郎氏寄贈」の山水図があります。 >>98 「山本達雄旧蔵品」とされます。 >>107

[2] 山本達雄 (-) の所蔵品は、 養子山本達郎 (-) (平成考案者として知られています。) に承継されたと推測されます。

[3] ややこしいことに同時代に画家の山本達郎 (-) もいる。

[116] 山本達郎の所蔵品は、東京国立博物館へ寄贈されました。 >>115

[117] 日本私年号の研究が参照したものは、東京国立博物館所蔵品と特徴が一致するので、 同一と断定して良いでしょう。

[120] に修理が行われています。 >>119

[121] なお、に文化財指定されています。 >>119

[70] 日本私年号の研究によると、 日本室町時代と「いわれる」ものです。 >>67

[71] 画風による判定でしょうか。

[118] 東京国立博物館所蔵品の情報も、室町時代・15世紀と判定しています (>>105)。 純粋に画風によるものか、文字情報も加味してなのかは不明です。

[133] 紀年は、一部の字画が崩れてはいるものの、比較的明瞭な楷書で記述されています。

[134] 第2字は、異体字の1つで、の上部がであるswc762であることが明らかです。

[135] このを見慣れていない人が、近い字形としてを選んだのでしょうか。

[136] 第4字は、異体字であるの一種であるswc761です。 年の字の1つであり、系の用例も、多くはありませんが、 複数知られています。 年の字

[137] 第7字はとも読まれますが、明らかにです。 暮春, 莫春のいずれも、3月の月名です。

諸説

[141] 私年号として記録したのは久保常晴が最初と思われますが、 久保常晴享徳と同年に比定し、享徳の誤字の可能性を疑いつつも、 結論を保留しました。これがそのまま私年号としての通説になりました。

[143] ただし、ときには保留が外れて断定的に語られたり、 「享高4年」と「享高元年」の比定年が混同されたりする混乱も見られます。

[142] 一方、美術品・文化財としては昭和時代初期から一貫して享徳と読まれ、 単なる公年号として気にも留められていないまま、令和時代に至っています。

[144] 字形の判別に十分な解像度の写真で観察すれば、元号名の第2字が異体字であることが明らかで、 翻刻するには誤認と断定できます。享高は研究上の仮説的に生み出されたに過ぎない、 同時代的に存在しなかった「まぼろし」の私年号といえます。

[6] いくら乱世といっても4年になるまで間違った元号名が流通するとは考えにくい。

[5] 「高」と「徳」(の右側) は草書体なら誤読されることもあるか?

[7] 敢えて「禩」のような一般的でない年の字を使っているので、 他の字も特別な書き方の可能性がある?

研究史

[125] の書籍は、 >>68の紀年を享徳4年と解釈しています。 >>124

[128] 国宝指定目録に享徳4年ののある山水図があり、 >>68 を指すと思われます。 >>127, >>129


[72] 昭和42年の 日本私年号の研究 は、 次のように述べています。

[4] 日本私年号の研究は出典を書いていないので、 久保常晴 (-) が現物を見たのか、どのように知ったのか不明。

[138] 昭和40年の久保常晴の先行論文には享高は未掲載です。ということは、 久保常晴は昭和40年から昭和42年の間に享高を知った可能性が高い。

[139] 日本私年号の研究には山本達雄所蔵とあります。 ところが山本達雄は昭和22年に死去しています。 昭和42年の久保常晴が新しい所蔵者を知らなかったということは、 古い資料に基づいたのか、 伝聞のみで実見したわけではなかったのではないでしょうか。

[147] ところで、日本私年号の研究の分類法によれば、 享徳と同定可能なら一字異音年号とするべきはずであり、 なぜ私年号と誤記の2つに1つとし、一字異音年号を除外し、 暫定で私年号という結論に至ったのかは謎です。

[149] もっとも、一字異音年号もうまく解釈できず扱いあぐねていたものたち、 という点では同じです。

[92] 年の字に関する論文は、 >>68を紹介しています。 享高室町時代私年号と注釈しています。 >>22


[95] 千々和到系統の私年号の表などが享高を収録していますが、 元年を享徳元年とするものと康正元年かとするものがありつつ、 4年がまたはかとするなど、 若干の混乱があります。 享徳の誤記の可能性の指摘または断定が行われています。 >>96

[94] 日本語ウィキペディアの一覧表は、 初期から享高を掲載しています。 初期は元年としていましたが、 の変更で元年に改められると共に、 享徳の誤記かと注釈されました。 いずれも出典は不明です。 >>93

[145] SNS 投稿で、 当時の筆写による元号名の伝達で誤ったと説明するものがあります。 「説あり」と一応保留しつつも、あたかも改元伝達中の誤伝達の史実が有力説であるかに誤認させる (あるいは著者が実際そう信じている?) ような書き方となっています。 しかし、根拠は何ら示されていません。 >>130

[146] 用例が「四年」であることを知っていれば、このような説が成り立ち得ないことがわかるはずで、 この説はどんな用例があるのかすら調べていない人が適当にでっち上げたものでしょう。

[97] その他私年号の列挙に出現することがあります。


[105] 山水図の文化財系の情報は、比定年や翻刻で「享徳」と読んで、 と断定しています。 (ただし絵画としての成立年に関しては慎重です。)

享徳の延長年号

[41] 享徳4(1455)年7月25日 康正改元

[9] 足利成氏 正木文書で康正2年相当の事例 >>289

[11] 足利成氏 黄梅院文書で応仁2年相当の事例 >>289

[12] 足利成氏支配下の大名で享徳14年、享徳20年まで使用した事例があります。 >>289

[8] 埼玉県鳩山村妙光寺に永享18年銘、享徳8年銘の板碑があります。 >>289

日時事例

[51] 解釈と研究史は関東の延長年号参照。

[65] 偽年号考

[63] スライド 1 - 560.pdf, , http://koshigayahistory.org/560.pdf#page=7

享徳5年 私年号といっている (延長年号)

[566] https://tsuru.repo.nii.ac.jp/record/2000111/files/%E9%A6%99%E5%8F%96%E6%96%87%E6%9B%B8%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%E3%80%80%E9%A6%99%E5%8F%96%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E4%BF%9D%E5%AD%98%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E3%81%9F%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E7%9A%84%E7%A0%94%E7%A9%B6%20.pdf #page=21

享徳の干支不一致

[66] 板碑概説, 服部清五郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/390?keyword=%E4%BA%AB%E5%BE%B3 (要登録)

[61] 南帝由来考 : 後南朝秘史, 中谷順一, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12270358/1/50 (要登録)

[62] >>61 後南朝資料の干支誤り (怪しむ要素)

[566] https://tsuru.repo.nii.ac.jp/record/2000111/files/%E9%A6%99%E5%8F%96%E6%96%87%E6%9B%B8%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%E3%80%80%E9%A6%99%E5%8F%96%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E4%BF%9D%E5%AD%98%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E3%81%9F%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E7%9A%84%E7%A0%94%E7%A9%B6%20.pdf #page=19

関連

[50] 享正

メモ