[41] 享徳4(1455)年7月25日 康正に改元。
[9]
足利成氏 正木文書で康正2年相当の事例
>>289
[11]
足利成氏 黄梅院文書で応仁2年相当の事例
>>289
[12]
足利成氏支配下の大名で享徳14年、享徳20年まで使用した事例があります。
>>289
[8]
埼玉県の鳩山村の妙光寺に永享18年銘、享徳8年銘の板碑があります。
>>289
[51]
解釈と研究史は関東の延長年号参照。
[63] スライド 1 - 560.pdf, , http://koshigayahistory.org/560.pdf#page=7
享徳5年 私年号といっている (延長年号)
[1]
日本私年号の研究 p.292
山本達雄所蔵山水画
「享高四禩乙亥」
画風室町時代
この時期の公年号、私年号に「享」が多い
享徳4年乙亥、延長年号だが関東への改元伝達速度ならあり得る
誤記と断定できないので私年号としておく
[22] 防長の歴史研究 第2集, 徳山大学地歴研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9574834/1/22 (要登録)
年の字として「禩」を使った事例
[10] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7
私年号 | 異説 | 元年相当公年号(西暦) | 継続年数 | 典拠・備考 |
---|
享高 | - | 享徳元年(1452年) | 不明 | 山本達雄蔵山水画。公年号「享徳」の誤記か。 |
[2]
山本達雄所蔵画の現所在は不明。
孫で養子の山本達郎は平成の考案者として知られている。
山本達雄没後は山本達郎所有となったのだろう。
[4]
日本私年号の研究は出典を書いていないので、
久保常晴が現物を見たのか、どのように知ったのか不明。
[6]
いくら乱世といっても4年になるまで間違った元号名が流通するとは考えにくい。
[5]
「高」と「徳」(の右側) は草書体なら誤読されることもあるか?
[7]
敢えて「禩」のような一般的でない年の字を使っているので、
他の字も特別な書き方の可能性がある?