フランス革命暦

フランス共和暦

[4] フランス革命暦フランス共和暦は、 1793年から1805年までのフランス革命後のフランスで使用された太陽暦。 1792年秋分を元年とする。 パリにおける平均時の秋分日を元日とする。各月の長さは30日。年末の残りの5, 6日間は Sans-culottides と呼ばれる祝日である。

経緯

[12] フランス革命の蜂起がありました。 その数年前よりフランス国内には不穏な動きがありました。 その中でマレシャール改暦案を同志に配布しました。 >>11

[16] 改暦が提案されたということは、 グレゴリオ暦の制定元であるキリスト教 (特にカトリック) に対する不満が (少なくても一部には) あった、 とされています。 >>11

[17] 王政の廃止が宣言されました。

[18] 、 改暦起草委員が選定されました。 航海学者のロンムが幹事長に、 天文学者のバングレーラグランヂ、 数学者のモンヂなどが委員に選ばれました。 >>11

[19] 委員会はマレシャールの改暦案を審議し、 ほぼそのまま採用することを決めました。 >>11

[20] 、 新暦使用説明書が公布され、即時施行されました。 >>11

[37] 1806年フランス共和暦は廃止され、 グレゴリオ暦に復しました。 >>38

[13] 30を1とし、 12と5または6余日を合わせて1とするものでした。 >>11

[14] 古代のエジプト暦ペルシャ暦と同型のものでした。

[22] 年始は、 パリにおいて太陽秋分点を通過するとされました。 >>11

[23] 第1年は年始でした >>11。 すなわち王政廃止の翌日でした。

[36] 秋分年始とすると、耕作と収穫が別のとなってしまいます。 他の多くの暦法年始としていましたが、 それが北半球では自然でした。 >>11

元号

[68] フランス革命前後の時代には、 「自由」「平等」のような標語を紀年法としたものが用いられました。 時代を表す紀年法名に統治の理想を採用するのは、 まさに東洋元号と同じ手法といえます。

[69] スローガン的元号のようにも感じられるかもしれませんが、 1年、2年と年数を進め年表示に本格的に用いられたものですから、 確かに紀年法であり、元号に分類して差し支えありますまい。

[70] フランスの元号仏国でまったく独自に発想されたものと考えられますが、 あるいは考案者も東洋の慣習を知っていた可能性も否定できず、 検証が必要です。

[45] 共和暦以前に用いられたフランスの元号 >>42 PDF 5頁, >>44

  • [46] 西暦1789年 自由1年 an I de la liberté
  • [47] 西暦1790年 自由2年
  • [48] 西暦1791年 自由3年
  • [49] 西暦1792年 自由4年、平等1年 an 4e de la Liberté, 1er de l’Egalité
[56] なお、他に仏印統治下の越南でも元号が使われました。 越南の元号

[15] フランス共和暦も当初は1787年を復興第1年とし、 以後第2年、第3年と数えていくことが提案 (>>12) されていました。 >>11

[71] 仏国だけにとどまらず隣国ネーデルラントにも波及しました。

[50] 同時期のネーデルランドの元号 >>44

  • [51] 西暦1795年 バタビア自由1年
  • :
  • [52] 西暦1801年 バタビア自由7年

[54] ディケンズ・フェロウシップ日本支部:論文:『二都物語』, , http://www.dickens.jp/archive/ttc/ttc-matsuoka-3.html

[53] ノストラダムスの墓 - ノストラダムス wiki : ノストラダムスの大事典 - atwiki(アットウィキ), https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2384.html

[55] 自由、平等、友愛 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%80%81%E5%B9%B3%E7%AD%89%E3%80%81%E5%8F%8B%E6%84%9B#%E4%BF%AE%E5%8F%B2%E7%9A%84%E3%81%AA%E6%A4%9C%E8%A8%8E

引き続き、モナ・オズーフによれば――

革命暦の構成もこうした仮説の支持材料となる。1789年7月14日に始まる年を「自由元年」、1792年8月10日に始まる年を「平等元年」(自由4年)としているのである。

[64] 集古会誌 (2), 集古会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1588973/1/3 (要登録)

[66] 精神科学 = The science of mind (26), 日本大学哲学研究室, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4414736/1/46 (要登録)

[67] フランス革命の憲法原理 : 近代憲法とジャコバン主義, 辻村みよ子 (横山みよ子), , , https://dl.ndl.go.jp/pid/11438928/1/196 (要登録)

[65] 自由自治元年

[24] は、30で構成されました。 >>11

[6] 月名は次の通りでした。 (年始秋分であることに注意。)

n
#
f
月名 >>11
f2
月名別表記
j
和訳 >>11
j3
和訳 >>38
j2
別の和訳
n
1
j2
葡萄月
f2
Vendemiaire
f
Vendémiaire
j
葡萄の月
j3
葡萄の月
n
2
j2
霧月
f2
Brumaire
f
Brumaire
j
雲の月
j3
雲の月
n
3
j2
霜月
f2
Frimaire
f
Frimaire
j
霜の月
j3
霜の月
n
4
j2
雪月
j
雪の月
j3
雪の月
f2
Nivose
f
Nivôse
n
5
j2
雨月
f2
Pluviose
f
Pluviôse
j
雨の月
j3
雨の月
n
6
j2
風月
j
風の月
j3
風の月
f2
Ventose
f
Ventôse
n
7
j
芽生の月
j3
芽生えの月
j2
芽生月
f2
Germinal
f
Germinal
n
8
j2
花月
j
花の月
j3
花の月
f2
Floreal
f
Floréal
n
9
j
牧場の月
j3
牧場の月
j2
草月
f2
Prairial
f
Prairial
n
10
j
収穫の月
j3
収穫の月
j2
収穫月
f2
Messidor
f
Messidor
n
11
j2
熱月
j
暑月
j3
暑さの月
f2
Thermidor
f
Thermidor
n
12
j2
果実月
j
果物の月
j3
果実の月
f2
Fructidor
f
Fructidor

[7] 個人的に月名に美しさを感じる。

[35] しかし当然フランスの気候に依存した名称に過ぎず、 南半球はもちろん、赤道付近や高緯度地方には適用できない、 普遍性を欠いたものでありました。 >>11

[8] を3分割して10日をもって (Décade) としました。 >>11

[27] 毎月の10日、20日、30日は休日とされました。 >>11

[9] 廃止されました。

[34] しかし実行は困難で、次第に曖昧になりました。 宗教的に大きな反発があっただけでなく、 9日連続で働かなければならないことに労働者が不満を持ち、 10日、20日、30日に加えて日曜日にも休みました。 フランス政府は罰則を設けましたが、効果はありませんでした。 >>11

[39] 制は打ち切られ、 からに復しました。 >>38

[21] 日界夜半とされました。 >>11

[25] に属さない年5日または6日の余日を、 Sans-culottides と呼びました。 これは「ズボン無し」の意味で、 貴族が労役者を呼んだ俗語でした。 1795年8月、 あまりに卑俗であるとして、 jours complémentaires (余日) に改称されました。 >>11

[28] 5つの余日は次の名称の祭日でした。 >>11

[26] 閏日革命日と呼びました。 >>11

時間

[29] 1は、10時間とされました。 >>11

[30] 時間の1100は minute décimale とされました。 >>11

[31] minute décimale の1100は seconde décimale とされました。 >>11

[32] この十進法の時計が試作され、 後にオルレアンパリ (カルナバレ) の博物館に保管されました。 >>11

[33] しかし実行不能であるとして破棄されました。 >>11

関連

[10] その後も改暦は試みられましたが、いずれも失敗に終わりました。 暦法改良案ソビエト連邦暦

メモ

[40] 国民生活に根付いた習慣を変えるのは革命政府の強権でも困難だった上、 暦法がフランス中心的なことその他配慮が足りなかったことが失敗の理由だろう >>38 とされています。

[2] 星ナビ.com - 星職人「星のソムリエ、パリへ行く」 第3回「パリ工芸博物館」 () http://www.astroarts.co.jp/hoshinavi/magazine/shokunin/061/index-j.shtml

[3] フランス革命暦と10進化時間 () http://www2s.biglobe.ne.jp/~yoss/tuki/FrenchRevolutionaryCalendar.html

[5] 共和暦をめぐって () https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/25577/1/koten0003300240.pdf

[41] フランス共和暦・グレゴリオ暦 日付対照表1792ー1805【PDF形式】 - ShiwasuHuya-Vision's Collection - BOOTH () https://shvs-collection.booth.pm/items/3127715

[42] HERMES-IR : Research & Education Resources () https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/25577/

共和暦をめぐって

[43] The Calendar in Revolutionary France (, ) https://thecharnelhouse.org/wp-content/uploads/2016/03/sanja-perovic-the-calendar-in-revolutionary-france-perceptions-of-time-in-literature-culture-politics-2012.pdf

[44] 慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA) - XooNIps (Keio Media Center Copyright © 2006-, , ) https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00100104-19330800-0155

『共和暦』の成立について

[57] 黎東方 - 维基百科,自由的百科全书, , https://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%8E%E6%9D%B1%E6%96%B9

1931年獲巴黎大學文學博士學位,論文為《一七九一年至共和三年比利时与列日的革命家的委员会与俱乐部》(Les Comités et les clubs des patriotes belges et liégeois, 1791-an III)

[58] French Calendar Rules, Stephen P. Morse, , https://stevemorse.org/jcal/frules.htm

[59] 暦Wiki/フランス共和暦 - 国立天文台暦計算室, , https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/A5D5A5E9A5F3A5B9B6A6CFC2CEF1.html

[60] 法の支配 (1)(80), 日本法律家協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2806043/1/48 (要登録)

[61] ディケンズの文体, 山本忠雄 等著, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1669813/1/118 (要登録)

[62] 世界文化史 近代篇, 内藤智秀, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1230680/1/91 (要登録)

[63] 帝王教育思想史, ヴィルヘルム・ミュンヒ, 西田宏 訳, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/957430/1/502

[73] 百科全書 第4冊, [ウィルレム・チャンブル], [ロベルト・チャンブル], , , https://dl.ndl.go.jp/pid/897067/1/17 (要登録)