[1] 東南アジアの国ミャンマーの標準時は、 です。 夏時刻はありません。
[49] 日本の標準時 とは2時間30分の時差があり、 日本が進んでいます。
[51] ミャンマーの標準時は、 ミャンマー時間、ミャンマー標準時、 ビルマ時間、 Myammar Time、Myammer Standard Time、 MMT などと呼ばれています。
[2] tzdata は Asia/Rangoon
を定義しています。
時期 | ヤンゴン | 旧タイ領 | モンラー |
---|---|---|---|
1858 | |||
1892 | |||
1942 | |||
1943 | |||
冬 夏 | 冬 夏 | 冬 夏 | |
1992 | |||
tzdata | Rangoon |
[37] 1899年に英国政府の情報から作られた Milne の表では、 Rangoon は報時球観象台の時刻 とされています >>36。
[38] 当時の電信各社は、各都市の時刻を次のように示していました >>36。
[40] 1904年の英印政府文書 >>39 が引用 によると、 当時 (英印本土の鉄道とは接続されていなかった) ビルマの鉄道では、 Rangoon local time が使われていました。 電信でもこれが使われていました。
[48] Shanks の MYANMAR は、 から としています (それ以前は LMT) >>47。
[78] tzdata の Asia/Rangoon
は、
元の地方時を 、 1880年を境に
「Rangoon Mean Time?」 としていました。
>>77, >>43
[42] は Rangoon の報時球観象台の経度で、 Milne が出典とされています >>77。
[63] tzdata の 2017年の改訂で、英印時代の文書 >>39 を根拠に Rangoon local time に改められました。 >>77, >>43
[111] の報告によると、 英印政府はビルマの鐡道および電信の標準時を としました >>110。
[24] 、鉄道と電信における印度標準時とビルマ標準時が施行されました。 印度標準時は、 Madras時間より9分早い時間でした。 ビルマ標準時は、 Rangoon 時間より5分23秒早い時間でした。 >>23
[8] つまり元の Rangoon 時間は ということになります。 >>78 とは逆なので、実際は5分23秒遅い時間だったとすると、 ということになります。
[269] 1905年末の時点で、 ビルマの標準時は だったといいます >>268。
[56] Time Changes の BURMA は、 1920年から標準時 (それ以前は Rangoon 地方平時 96.09E (= )) としていました >>1256。
[778] Time Changes の INDIA は、 Bengal province の Burma が1920年に標準時 としていました >>1256。
[79] Shanks の MYANMAR は、 から としています >>47。
[55] tzdata の Asia/Rangoon
は、
1920年を境に としています >>77。
[95] 1920年/大正9年の日本の資料は、蘭貢 (ラングーン) の時差を としています >>94。
[6] 、 英領ビルマは時刻を1時間進めて の戦時日光節約時を実施しました >>66, >>5, >>7。
[67] 夏時刻実施はには既に報道されていました >>66。
[68] これは灯火管制下で住民に夕方早く帰宅させるためのものでした >>66, >>5, >>7。
[20] これがいつ標準時に復帰したのか (しなかったのか) は不明です。
[80]
Shanks の MYANMAR は、
から
としています >>47。
tzdata の Asia/Rangoon
は、
を境に としています >>77。
根拠は不明です。
[14] 1943年、東部の一部 (旧タイ領土) がタイに割譲されました。 この地域ではタイの標準時 に切り替えられた可能性があります。
[100] 日本で昭和13年/1938年に発行された昭和14年暦から昭和18年/1943年に発行された昭和19年暦では、 緬甸は となっています >>106。 ただし戦時中 が用いられたことが知られている他の地域も、 開戦前の時間帯のままで記載されていますから、実態を反映しているのかどうかは不明です。
[18] Wikipedia のビルマ国記事は、時間帯を としています >>17。しかしその根拠は示されていません。
[19] 日本軍は共通の軍用時を
と定めており、
ビルマでも原則これを用いていました。
しかしビルマの標準時が に改められたかどうかはまた別の問題です。
日本軍の英領ビルマへの進攻は、ビルマの独立勢力と共に行われたもので、
実際1年後に軍政を終了してビルマ国として独立しています。
ビルマ国では西暦にかえてビルマ暦を推進する動きこそあれ、
日本の元号や皇紀は (現地人は) 使わなかったようです。
日本の中央標準時 を標準時とする根拠は今のところ不明です。
[81]
Shanks の MYANMAR は、
から
としています >>47。
tzdata の Asia/Rangoon
は、
を境に としています >>77。
実際にそのような布告があったのか、戦況からの推測日なのかは不明です。
[10] のビルマ方面に展開していたらしき部隊に対する日本軍内文書には、 英軍からの指示が「印度時間」で記述されています >>9。 詳しい事情は不明ですが、英印軍がビルマに進駐し、 作戦行動に印度時間を用いていたのでしょうか。 印度ではまで戦時夏時刻 、 から標準時 が用いられたようですが、この「印度時間」がいずれなのかは不明です。
[288] THE BURMA CODE VOLUME IV には、 の 1945年ビルマ日光節約法 が収録されています >>287。官報での告示により、 ビルマ標準時より1時間進んだ夏時刻を実施できる、と規定されています。
[12] 1974年には、ビルマの大統領がマレーシアを訪問し、 空港で1時間進めた、との記事があります >>11。当時のマレーシアの標準時は で、ビルマの標準時は です。
[298] 制定の1992年国家法令復古評議会法律第1号 法律群を廃止する法律 にはミャンマー日光節約法 が挙げられています >>297。長年未使用で今後も予定がないため廃止する法令の一覧にあり、 1945年ビルマ日光節約法を指している >>4 ようです (国名改正時に法律名も改正されているのでしょう)。
[91] 現在のミャンマー政府は、東経97度30分の時刻 () が標準時と説明しているようです >>90, >>92。
[54] ASEAN ではASEAN標準時 の制定が提案されていますが、 1時間30分の標準時変更となるミャンマーは反対しています。
THE BURMA DAYLIGHT SAVING ACT. *
[B
urma Act XXX, 1945.] (28th November 1945.)W
hereas it is expedient in the interest of public health and welfare that provisions should be made to enable the time for general purposes to be advanced periodically by an hour:* * * *
It is hereby enacted as folllows:―
- This Act may be called the Burma Daylight Saving Act, 1945.
- The President of the Union may, by notification in the Burma Gazette, order that, for the duration of a term specified therein, the time for general purposes shall be one hour in advance of the Burma Standard Time.
- Whenever any reference to a point time occurs in any enactment, order, regulation, rule, by-law, deed, notice or any other document, the time referred to shall, during the period specified under section 2, be deemed to be the time for general purposes.
* Published in J.di.ial Department Notification No. 69, dated the 28th November 1945 (Burma Gasette, 1945 Part I, page 42).
(70) The Myanmar Daylight Saving Act;
[32] 中緬国境のミャンマー側の都市モンラーは、 ミャンマーの中央政府の統治がほとんど及ばず、 共産主義者の支配下にあります。 中国人観光客で賑わい、 経済的には中華人民共和国との結び付きが強いとされます。 主として中華人民共和国の標準時 が用いられているようです。 >>28, >>29, >>30 (2009年), >>31 (2010年), >>27 (2016年)
モンラーはシャン州の中でも”シャン州東部第四特区”という、まさにスペシャルゾーンになっています。
その特徴は・・・
・掸邦東部民族民主同盟軍という軍閥(元はビルマ共産党)が実行支配している
・中国時間を適用している(ミャンマー時間とは1.5時間差)
・携帯電話の電波も中国のキャリア
・インターネットも中国域内扱いになるのでFacebookなどには基本的につながらない
・中国人民元が通用しており、ミャンマー通貨は基本的に使えない(両替所もないので米ドルなどの外貨からの両替も難しい)
・使用言語も中国語(ミャンマー語やタイ語を理解する人も探せばいる)
という、ミャンマー領内でありながら、まるで中国な場所なのです。
ミャンマー領でありながら、電力や携帯電話通信は中国から提供され、北京標準時間も併用、通貨としてチャットの他、人民元も流通している[1]。
勐拉用的是北京时间,比缅甸其他地方要早90分钟。当地的移动电话和电力都由中国提供。在小镇上的赌桌前、街边的妓院和川味餐厅里,人民币是唯一认可的货币,而不是缅元。
(移転確認 ) ♂3+Α―⑥黄金の三角地帯とモンラー | 迷えるオッサンのブログ () https://ameblo.jp/mayoerossan2/entry-12484025552.html
文字でわかる様に町は中国一色、通貨は元、言葉は中国語、来客者はもちろん従業員も中国人。
したがってホテルの時計も上が北京時間、下がミャンマー、フロントの女性は英語も出来ない中国人、ホットもアイスもマッサージ・クリーニングさえ通じない、中国人以外のお客は来ないことが前提なんだろう。
【ミャンマー】 モンラー ( アジア ) - あじあのたび - Yahoo!ブログ () https://web.archive.org/web/20190727050451/https://blogs.yahoo.co.jp/ebey/50181858.html
中緬国境に忽然と現れるカジノと歓楽街。中国人観光客を当て込んで、水田をつぶして建設された。ミャンマーの他の地域の電力事情は非常に悪いが、ここは中国からの電力が24時間途切れない。住民は圧倒的に中国からの出稼ぎ者が占め、中国通貨が流通し、北京時間で生活する。
モンラーは東シャン州軍という軍閥の支配地域らしい。コーカン地区にも国境を接した場所にカジノ街があるそうで、このモンラーとノウハウを共有していると思われる。昨年ミャンマー治安部隊がコーカン地区を急襲したが、その時逃れたコーカンの親玉はワ州にかくまわれているという噂もある。東シャン州軍とアヘンで財を成したワ州やコーカン地区は連んでいるらしい。三勢力はミャンマー政府とは表向き友好関係を結んでいるが、近い将来まとめて政府の締め付けにあうと予想します。
ミャンマーの第4特別自治区であるモンラ(東シャン州)はNDAA (National Democratic Alliance Army)軍が管理している。
指導者はリンミンション、ミャンマー名はU Sai Lin(中国の元軍人、1960年以後にビルマ共産党を支援するため、中国政府から派遣され、そのままミャンマーに移住)である。
モンラは、シャン州のKyaington市から90キロ(56マイル)、タイのMessai から256キロ(160マイル)、ダロウン川の対岸には雲南省がある。時間設定は中国時間と同じで、ミャンマーより1時間半早い。
時計はほとんど役に立たない山の生活だが、 国境を越えた習慣として腕時計を30分遅らせ、ビルマ時間に合わせる。
三月二十一日を期して荒鷲は一斉に決起、二十二、二十三の三日間猛烈な航空撃滅戦をやった。
敵は全くわが罠にかかった。大胆な、しかし確実な、昼間奇襲だった。
わが荒鷲は昼食を十分食べて出動したが、ビルマ時間は二時間四十分遅れているので、彼等はちょうど昼飯時だった。
[50] 中央標準時 と2時間40分の時差があると ということになります。
ヤンゴンのダウンタウン中心にある スーレーパゴダのすぐ近くにお店があります。
デカデカと掲げられた看板が目立ちます。
ふと、歩いていると、そこに ミャンマー時間 と 韓国時間 が表示されてます。 これだけでも随分な 韓国の宣伝 になるなぁ。
なんて思いながら、目をやると ん?! なんでやねん、、、 という違和感を。
ミャンマーと韓国の時差って? MYANMAR TIME 11:39 KOREA TIME 14:17 えーっと時差は、、、 計算しづらいわ。
たぶん 2時間 38分の時差。笑
なんだか、せっかくの表示なのに 狂ってるって残念過ぎる。
右手に突然、明るい風景が開けた。サルウィン河にたどり着いたのだ。
サルウィン河は、タイとビルマを分ける自然の国境線である。 時計はほとんど役に立たない山の生活だが、
国境を越えた習慣として腕時計を30分遅らせ、ビルマ時間に合わせる。