[2] 琉球は、 平成時代に日本国沖縄県の一部で用いられた私年号です。
[11] 、 日本国沖縄県で開催された辺野古崎沿岸+大浦湾への新基地押しつけに反対する県民大会で、 日本国沖縄県と日本国鹿児島県奄美地方の地域に新国家を樹立しようと企てる反政府団体が、 琉球タイムス を配布しました。 >>9, >>10 この団体には少なくても高良勉、真喜志好一、仲里功ほか15名程度の活動家が所属していたとされます。
[17]
この
琉球タイムス
は、
「
[12] この 琉球タイムス の日付欄には 「2006年(琉球元年)3月5日」 とありました。 >>9
[13] 題字下に日付があり、 写真不鮮明で判読がやや難しいですが、
2006年(琉球元年)
3月5日 日曜日
... とあったようです。 >>10
[14] 紙面上部の日付欄は写真不鮮明で判読困難ですが、 西暦年に括弧書きで琉球元年と添えられていたようにも見えます。 >>10
3月 5日(日) 辺野古崎沿岸+大浦湾への新基地押しつけに反対する県民大会が、夕方から宜野湾市の海浜公園で開かれた。
僕の友人たち(詩人の高良勉や建築家の真喜志好一や、編集者の仲里功や現役の何人かのジャーナリストら)が企てている「沖縄の独立決起アピール」行動に立ち会いたかったからだ。
午後2時すぎ、会場近くに約15人のメンバーが集結した。
「琉球共和連邦」と白い文字で染め抜いた藍色の大きな旗が、春風に揺れる。「琉球独立!」と書かれた旗もある。やがて三線をかきならし、「インターナショナル」のウチナー口による替え歌を歌いつつ、横断幕を先頭にそろりそろりと会場入り。さっそく用意した1万枚のビラ配りに着手した。
ビラは2種類。一枚目は「琉球の独立を!」の大文字が踊る日・中・英3か国語によるもの。見出しに〈わたしたちは日本とは別の道を進もう〉〈自己決定権をわれらの手に!〉とある。時宜を得たアピールだ ( 本文はこちら )。
もう一枚のビラは、新聞の号外を模したもの。「琉球タイムス」の題字の刷り込まれたA3紙大の「新聞」。発刊日は2006年(琉球元年)3月5日。 大見出しに「琉球の独立決定/すべての軍事基地撤去へ」「暫定政府樹立・中国歓迎・日本政府は衝撃」とある。そして同じ1面には県民大会の大きな写真まで載っている。演壇には「琉球独立宣言県民大会」の文字(コラージュ)。
独立よびかけのパフォーマンスは、決して人だかりがするほどの関心を集めるには至らなかったが、ビラは大会参加者から好感をもって迎えられ、引く手あまた。沖縄の忍従がいまや臨海点に至っていることを感じさせるに十分だった。
きょう3月5日は、いつの日か沖縄史に“独立第一歩の日”と刻まれる歴史的な日となるだろう。戦後“時代の節目”ごとに噴き出した独立論だが、これまでは新聞や雑誌など活字の上が主舞台。行動として表されたのは、97年の「復帰25年目」に開かれた二日間にわたる長時間公開シンポジウムが唯一。大群衆の前でのデモンストレーションは今回が初めてだ。
琉球元年三月五日の日記から(照喜名裕子)
... という文章が掲載されたようです。 >>22
[24] 琉球タイムス との関係は不明ですが、 まったくの偶然の一致とは考えにくいでしょう。
[25] 日記とありますが、 そういう体の文章なのか、 実際の日記でこの私年号を使っているのか不明です。
[3] 、 日本国沖縄県で開催された新基地反対沖縄県民大会で、 前回 (>>11) と同じとみられる団体が、 琉球タイムス を配布しました。 >>1
[4]
この
琉球タイムス
は、
「
2010年(琉球4年)
4月25日 日曜日
... とありました。 >>1
[6] 紙面上部の日付欄には、 「2010年(平成22年)4月25日 日曜日」 とありました。 >>1 ここで日本の元号を併記するのは本紙の趣旨に反するように思われ、 不思議です。
[7] 紙面上部には 「1949年5月29日 第3種郵便物認可」 とありました。 >>1 米領琉球時代に認可されたという設定なのでしょうか。
[8]
記事本文には
「
写真集が届いてから毎日、ページをめくっては「今年は琉球元年よ、琉球は大丈夫よ」の淳子さんの声を聞いている。オスプレイの爆音に脅かされることのない駒込で。
[65] 本書の著者の兼城淳子は日本国沖縄県の極左活動家。 琉球民族独立総合研究学会の発起人の1人 >>64。
[67] 書評の著者の島袋マカト陽子は日本国東京都豊島区の極左活動家拠点 >>58 である東京琉球館の店主 >>47。 琉球民族独立総合研究学会の発起人の1人 >>64。
[73] 「今年は琉球元年よ」と本書に書かれているのか、 あるいは著者がそう発言したことがあるのか、 または評者の幻聴なのか不明。
[75] この「琉球元年」である「今年」がいつを指すのかは不明。 紀年法としての機能を有しないスローガン的元号の可能性も髙い。
[91] に発表された 琉球自治共和国連邦独立宣言 なる文書に島袋マカト陽子は「賛同人」として署名しています。 >>89
[93] この「琉球自治共和国連邦」については、 「独立宣言」以外に活動実績が確認できません。 行政機構を整備したり、 日本政府当局その他を排除して実効統治を目指したり、 亡命政府的組織を立ち上げたりもしていないようです。 マイクロネーションレベルの活動すら見つかりません。 「独立」 の実態のないパフォーマンス目的の「独立宣言」でしょうか。
[わたしの主張あなたの意見]/沖縄の独立に私も大賛成だ/渡口彦邦=77歳
2016.05.08 朝刊 5頁 オピ2 (全334字)
「うちなあーんちゅ、うせーてーないびらんどー!! 琉球独立宣言、元年」。今年の私の年賀状です。 また、昨年の年賀状には「琉球王国『守礼之邦』に尊厳の証しに、琉蘭、琉仏、琉米修好条約を一六〇年前に締結する。修好条約文書は現存し、その有効を立証し、復興の実現で琉球国独立を宣言しよう。二〇一五年元旦」と書いた。 (那覇市、自営業)
[77] が「琉球独立宣言、元年」。 この書き方だとの年賀状には西暦年を書き、 の年賀状には書いていないように読めるが、 明確ではない。
[78] 琉文21 » 那覇市歴史博物館「沖縄のシンボル 守礼門」展, http://ryubun21.net/index.php?itemid=3018
[79] >>78 その翌年用の年賀状を書いているところらしい。残念ながら読み取れない。
[82] 「独立宣言」後も独立しようと呼びかけています。 >>80, >>81 「元年」がその後どうなっているのかは不明。
[83] 琉文21 » 渡口萬年筆店 〒900-0015 那覇市久茂地2-21-1, http://ryubun21.net/index.php?itemid=11806
右ー琉球独立論者・渡口彦邦さん、琉球国王に変身!
[84] >>83 写真。その周りの英文は判読不能なのでどういう文脈か不明。 独立した琉球国は王政?
[86] ウェブ検索によるとこの人は沖縄の新聞の常連で年数回のペースで掲載されているそうです。 「元年」のような例は他に不明。
[87] なおこの琉球民族独立総合研究学会のウェブページは、 各種媒体掲載記事を収集したものですが、 採録基準は明記されていませんし、 琉球民族独立総合研究学会の見解も示されていません。 琉球民族独立総合研究学会の構成メンバーなのかは不明ですし、 琉球民族独立総合研究学会が賛同しているのかも不明です。
[88] 琉球民族独立総合研究学会は、 に設立された琉球独立主義者らにより構成される政治団体で、 当ウィキ記事の各項にある通り、 「琉球元年」 の関係者の一部の関与が確認されています。 しかし琉球民族独立総合研究学会が組織的に 「琉球元年」 等を提唱・推進している形跡は確認できません。
[19] 平成18(2006)年が元年、 平成22(2010)年が4年だとすると、 間が3年あって計算が合いません。
[20]
元年を0年とカウントしているのでしょうか。
日本の一部の極左活動家はそうした数え方をしているようです。
[32] 関係者はを 「“独立第一歩の日”と刻まれる歴史的な日」 と意識しており >>9、 「元年」 としたのはそうした思想によると思われます。
[43] 元年と4年の用例しか見当たらず、他の年に利用されたことがあるのか不明です。
[44] フェイクニュースのビラでしか使われていないとすれば架空の元号というべきです。 日記に実用されたとすれば実在の私年号ということになります。 残念ながらどちらに分類するべきか判断できるだけの充分な材料がありません。 架空の元号だとしても、 現実世界の日時に強くリンクしたタイプのものといえます。
[42] 中華人民共和国の百科事典 Webサイト 百度百科 は、 琉球独立運動の項で琉球元年の新聞記事を紹介しています。 それに基づくと思われる記事が中華人民共和国の Webサイト数件確認できます。主なものは次に示しました。
[21] 中華人民共和国や漢民族の関与を指摘する意見もあります >>18 が、 真偽不明です。 活動に関与していたとしても、 私年号にも関与していたかは不明です。
森口豁还说,用白色写着“琉球共和联邦”的蓝色大国旗和白底蓝字的“琉球独立”旗帜,在“琉球独立宣言县民大会”的横幅前迎风招展;其它各种旗帜和标语满场皆是,国际歌一遍又一遍地不停播放;大会还准备了1万多张传单,传单有两种,一种是用中文、英文和日文写着“琉球要独立”;另一种是印着“让我们与日本分道扬镳吧!我们有权决定自己的前途!”大标题的琉球六团体的独立宣言。还有一份是《琉球泰晤士报》的“新闻号外”,发刊日是2006年(琉球元年)3月5日。
森口豁还说,用白色写着“琉球共和联邦”的蓝色大国旗和白底蓝字的“琉球独立”旗帜,在“琉球独立宣言县民大会”的横幅前迎风招展;其它各种旗帜和标语满场皆是,国际歌一遍又一遍地不停播放;大会还准备了1万多张传单,传单有两种,一种是用中文、英文和日文写着“琉球要独立”;另一种是印着“让我们与日本分道扬镳吧!我们有权决定自己的前途!”大标题的琉球六团体的独立宣言。还有一份是《琉球泰晤士报》的“新闻号外”,发刊日是2006年(琉球元年)3月5日。
用白色写着“琉球共和联邦”的蓝色大国旗和白底蓝字的“琉球独立”旗帜,在“琉球独立宣言县民大会”的横幅前迎风招展;其它各种旗帜和标语满场皆是,国际歌一遍又一遍地不停播放;大会还准备了1万多张传单,传单有两种,一种是用中文、英文和日文写着“琉球要独立”;另一种是印着“让我们与日本分道扬镳吧!我们有权决定自己的前途!”大标题的琉球六团体的独立宣言。还有一份是《琉球泰姆士》报的“新闻号外”,发刊日是2006年(琉球元年)3月5日。
还有一份是《琉球泰姆士》报的“新闻号外”,发刊日是2006年(琉球元年)3月5日。
森口豁还说,用白色写着“琉球共和联邦”的蓝色大国旗和白底蓝字的“琉球独立”旗帜,在“琉球独立宣言县民大会”的横幅前迎风招展;其它各种旗帜和标语满场皆是,国际歌一遍又一遍地不停播放;大会还准备了1万多张传单,传单有两种,一种是用中文、英文和日文写着“琉球要独立”;另一种是印着“让我们与日本分道扬镳吧!我们有权决定自己的前途!”大标题的琉球六团体的独立宣言。还有一份是《琉球泰晤士报》的“新闻号外”,发刊日是2006年(琉球元年)3月5日。
森口豁还说,用白色写着"琉球共和联邦"的蓝色大国旗和白底蓝字的"琉球独立"旗帜,在"琉球独立宣言县民大会"的横幅前迎风招展;其它各种旗帜和标语满场皆是,国际歌一遍又一遍地不停播放;大会还准备了1万多张传单,传单有两种,一种是用中文、英文和日文写着"琉球要独立";另一种是印着"让我们与日本分道扬镳吧!我们有权决定自己的前途!"大标题的琉球六团体的独立宣言。还有一份是《琉球泰晤士报》的"新闻号外",发刊日是2006年(琉球元年)3月5日。
琉球元年十月十日。尚元最終決定派出海軍應戰大明軍隊,並成功邀請朝鮮、西班牙和蒙古察罕兒部落一起討伐大明。通過軍事外交各種手段,總算是暫時解決了大明的入侵。
[35] 歴史系のゲームの話題。 中文圏で数件見られる「琉球元年十月十日」の用例はすべてこの関係。 (それなりに広まっているものの、有名というほどでもなさそう。)
[46]
同じ頃、
日本国沖縄県を特区とし独自に西部標準時を採用し、
中華人民共和国の標準時と合わせることを提案する人がいました。
[15] 当該団体は Web や SNS でほとんど活動していないのか、 検索してもほとんど情報が出てきません。
[16] 検索で出てくる情報は、 サッカーチームの FC琉球の在籍何年目と書いたものがほとんどです。
琉球元年
[30] ただの年始の挨拶で真意不明。