太と泰

太と大と泰と天

[61] は、 通用関係にあります。

概要

[124] は、甲骨文字の頃に既に分化していますが、 通用関係にあったとされます。

[125] は、 戦国時代頃に区別してが使われるようになり、 奏漢頃一般化し、後漢までには完全に分かれたとされます。 とはいえ長らく通用し、 完全に分離されたのは現代です。

[126] /は、 戦国時代頃にが生じたとも言われ、 で政策的にが活用されました。 その後はしばらく通用されました。

[127] 通用関係は次第に忘れられ、様々な分野で関係性が再発見されたり、 誤表記とみなされたりしています。

[128] 個別の用例に関する言及や議論は非常に多く存在するようですが、 用例や分野をまたがった包括的な研究はさほど多くありません。

[1] 「大」と「太」は古くから通用しました。

[10] 漢土でも日本でも越南でも朝鮮でも古くから混用例があるようです。

[17] 用例をみていくと日本でいう近世くらいまではあまり区別しようという意識がなかったみたいです。 近代以後区別する意識が強まっていって、 現在の規範と違うものを誤りとみなしたり、 どちらが原型かを議論したり、 書き分ける方法を決めたりする現象が各界で (互いに参照されることがほとんどなく) 起こっています。

[2]
[18] この調子で事例を拾っていくとそのうち「太」「大」が入った前近代用語の記事一覧になりそう...

[22] 個別の事例を追求した調査や研究はいろいろあるのですが、 総論的なものは意外と見つかりません。

[26] 各分野の人に聞いたらそれぞれの分野でこんな事例があるっていっぱい出てきそうですけどね。

[23] いつからが混用されるようになったのか (最初からなのか途中からなのか)、 いつから厳密に区別する意識が生じたのか、 混用されてた時代にも常に交換可能だったのか、それとも交換可能な場面は限られてるのか、 など疑問は尽きません。

[27] 個別の事例の表記史みたいなものがまとめられることはあっても、 他の事例や全体的な文字利用・受容史のようなものが参照されてなくて、 ときには頓珍漢な結論を出しているようなものもあったりするのはもったいないですよね。

[24] 日本だと奈良時代にはもうはっきり区別されなくなっているようで、 漢土から漢字が伝来した時点で初めから混用されてた可能性が高そうですね。

[25] 訓読みで使われるときも混用されてるのでしょうか?

[57] 日本歴史年表史, 奥野彦六, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12188525/1/106?keyword=%E5%A4%AA (要登録)

[3] 「太」ったり、「大」きくなったり―九州・大刀洗編 - ことばマガジン:朝日新聞デジタル (The Asahi Shimbun Company, ) http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/moji/2011100200005.html

[4] HUSLD_25-1_22.pdf, , https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/2/24914/20141016150320898069/HUSLD_25-1_22.pdf#page=19

[5] 史実大正をオマージュした架空の元号太正があります。

[6] p.132

(ちなみにくずし字の (うん) (ぴつ) の都合から、江戸時代には「何 () 夫」ではなく「何 () 夫」と表記 するのが一般的)

[7] 慶応4年の日日新聞 (, ) https://coin-walk.site/J047.htm

「太政官」でなく、「大政官」と書いているところにも注目したいです。

[11] <4D6963726F736F667420576F7264202D20332D332096F28E748E9B938C93833F96C182C6967B91B882CC96F28E748C6F2E646F63> - Honbun-4677_28.pdf, https://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=2689&item_no=1&attribute_id=20&file_no=31&page_id=13&block_id=21#page=5

[13] 拾萬字鏡さんはTwitterを使っています: 「大田と太田の表記のゆれが楽しい https://t.co/5mmnXDs4o3」 / Twitter, 午後8:54 · 2022年7月4日 , https://twitter.com/JUMANJIKYO/status/1543926244789538818

[14] フナと納豆のひと🔥(元マンボウ拾ったひと)さんはTwitterを使っています: 「ところで最近気が付いたこととして、大田南畝が太田南畝となっているウナギ関係の本がある。これは松井魁が間違えたのが始まりとみえて、その孫引き文献でたびたび誤りを引きずっているらしいことが判明した。」 / Twitter, , https://twitter.com/wormanago/status/1596654822144761858

[12] 太祖大王 - Wikipedia (, ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%A5%96%E5%A4%A7%E7%8E%8B

なお、『三国史記』高句麗本紀では「太祖」と「大祖」の表記が混在している。

[15] >>1982 「好太王」説と「好大王」説

最後に 2 —②をどう見るか,つまり「大」か「太」かについてである。韓国の学界では「大=太」に通 じるとし,銅鈴の文字を「大」とする見解が多いが,「太」の可能性を提起する見解もある26) 。確かに新 旧の写真から「ヽ」の画を見出すのは困難であるが,金石文の例から考えると,「太」と読むべきだと考 える。

[16] それなら「大」と読んで「太」と解釈するでいいのでは。

[19] 太鵬 プロフィール|吉本興業株式会社 () https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=9273

[20] >>19 大鵬 (力士) と区別のため「太」にしたとのこと。 (他に画数も理由と。)

[21] 桑原由気寄席オンライン~第70幕~【太鵬】 - ニコニコ動画 () https://www.nicovideo.jp/watch/so41759945

[28] 天津飯大郎という名前になった事|天津飯大郎 () https://note.com/tenshinhantarou/n/nb4079c85f028

太ではなく大。

これで画数が変わってくるんですね。

なので

天津飯大郎だと

仕事も恋も急上昇

なんですが

天津飯太郎になると

歪んだ性癖が元通りになる

と言われました。

[29] >>21の話をしていた天津向>>28になったのかw

[30] 現代では区別されるようになったとはいえ、 姓名判断程度の理由で気楽に他方にかえて一方が選ばれる状態にあるということは、 まだ「同じカテゴリー」意識が残っているということでもあるんだろうぬ。

[31] 画数が嫌だからという理由でにはしないだろうから。

[32] Xユーザーのしらかみさん: 「駅名や公共施設は「富貴」で地名や店名は「冨貴」なんですね 「太田川」も実際流れているのは大田川だし地名も大田町なのでむずかしい」 / X, , https://x.com/Akitashirakamii/status/1811398825267109899

[36] >>33 >>34 >>35 引用されているのは「最大の村に発展することを願ってからに変えたのでは」 という説。 古代の表記を明治22年の合併で採用した時に変えたことを平成時代の地元ではそう理解しているらしい。

[37] その説はを区別するようになってからのこじつけっぽいが、 このブログ筆者の「ルビの間違い」説も根拠がよくわからない。

[40] 誰の何のルビの間違いなのかがまずよくわからない。 >>38 によると水戸学陰謀らしい。 >>39 によると江戸時代にルビはなく明治時代にルビを間違えたらしい。 >>43 だと昭和時代の町史が間違えた事になっている。

[42] >>35 によると

「大」の漢音は「タイ」、呉音は「ダイ」です。 最初は「呉音で太伯」と書き、漢音の時代に「、」の無い大伯(タイハク)と表記が変更された。 それを明治22年に呉音のタイハクに戻しました。

というが出典が何1つ書かれていないので真偽不明、検証不能。

「大も太」も小学校で習う漢字です。 岡山県の国語教育のレベル低下に驚かされます。

と煽っているが、これではだからどうしたという話にしかならんでしょ。

[45] >>44 によると

「、」が無くなった理由⇒漢音で読むと「たいはく」です。 最初は呉音で「太伯(たいはく)」と表示され、時代が変わり漢音で「大伯(たいはく)」と表示されました。

とあるので音は変わらないように文字を変えたという主張?

[41] 水戸学国家神道とかいうカルト宗教を生み出して国を滅ぼした代償とはいえ陰謀論者フリー素材と化していてさすがに気の毒だなあw

[46] 現行日本法令大全 増訂13版(第1-17類), 博文館編輯局, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2127075/1/833

文字
文字
字形類似
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字形類似
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[48] 「大宰府」と「太宰府」のちがいについて教えてください。 - 福岡県太宰府市公式ホームページ, , https://www.city.dazaifu.lg.jp/site/bunkazai/1137.html

[47] XユーザーのBay Flamさん: 「@hanemomo_jhc 根拠なり出典はなんでしょうか? 江戸時代に役職名として「太宰府」を用いている記録があります。 https://t.co/9q1XGutiG7 画像は『#天地明察』で知られるようになった渋川春海の手になる星図の一部です(オリオン座付近)。 https://t.co/hF2eP0J2xO 本文では「大宰府」だが図では「太宰府」」 / X, , https://x.com/BayFlam/status/1849740123749167440

[49] Xユーザーのyhkondoさん: 「先日の近代語研究会で発表した内容だが、皆さん驚いていたのは、やはりこの明治14年刊の訓点聖書。冒頭「大初之時神創造天地」とあるが、この「大初」(「太初」が本来)というのは代表訳の本文で、「神」というのは、ブリッジマン・カルバートソンの翻訳の本文。本来、代表訳「太初」ならば「上帝」で https://t.co/0ZK4MjCEif」 / X, , https://x.com/yhkondo/status/1853736718308159925

[50] 高句麗の影響も受けた神聖な王族の血統意識:小宮秀陵「6世紀新羅における大王号の使用とその意義」 - 聖徳太子研究の最前線 () https://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/150e7eaa36658bad2a3e81337a0e9e3c

「太王」とか「大王」と記された真興王が征服した土地を巡狩して立てた石碑には、

[53] 天武天皇の年齢研究-干支と太歳, , https://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/mypage-g12.htm

[54] >>53太歳大歳の違いから無理矢理意味を読み解こうとする独創的な説。

[55] >>54 このような説を主張するならせめて現存諸本での違いがどうなっているのか調べないことには議論を始められる段階にないと思うのだが、

「岩波版新装版日本書紀」はすべて、「太歳」に統一(意改)しています。しかし、ここは原文通り「太歳」「大歳」を別に表記に戻すべきです。確かに漢和辞典でも、「大歳」は「太歳」と同じとしていますが、ことが日本書紀です。意識して書き分けたと考えた方がいいと思います。

としか言及がない。「原文」とは。

[56] 大田区史 資料編 寺社 1, 東京都大田区史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9642287/1/48?keyword=%E5%A4%AA (要登録)

[58] Xユーザーの馬のゆいさん: 「明日から使える刀剣知識。 太刀(たち)と大刀(たち)は別物。 古代の反りのない直刀を大刀、平安時代以降に登場した反りのある刀を太刀という。」 / X, , https://x.com/umanoyui/status/2012856610972901536

[130] Microsoft Word - 李承律先生處「昔者君老」投稿 - 2nd-3.pdf, , https://mcm-www.jwu.ac.jp/~skproject/about/publication/pdf/2nd-3.pdf#page=4

君子曰、【7】昔者君老、【8】大(太)子朝君、君之母俤(弟)是相。【9】大(太) 子昃(側)聖(聽)、【10】揆(庶)。【11】進、大(太)子前之母俤(弟)。母 俤(弟)理(送)、【12】退、前之大(太)子。再三、肰(然)句(後)竝聖(聽)之。 【13】大(太)子母俤(弟)【14】(第一號簡)

[65] >>64 は、複数の論文・記事が引用しています。要点は、 字が秦統一後の文字政策に関わり、 水徳・大秦・権威語彙を象徴する字として用いられた可能性がある、という説です。

[104] >>103 は、 >>102 を引き、

秦代に作られた「大」の異体字です。音符「大 /*LAT/」と、水徳の象徴である「水」と、「秦」の字に似せるための「廾」(両手)から構成されます。秦代には国家制度や権威に関する文脈で使われました。

と解説しています。

[66] >>67 は、 >>64 を紹介しつつ、秦統一後に「太守」「太上皇」「大半斗」など、 国家制度・権威に関わる語の/に置き換えられた可能性を論じています。 ここでは/が単なる通用字ではなく、 秦の「書同文字」の具体的な現れとして扱われます。

[68] >>63 は、 >>64 への補議。秦封泥に見える「大匠丞印」/「泰匠丞印」などを、 字形・用字の変化から断代する話で、文字の違いが出土資料の年代判定に使われます。

[70] >>69 では、 と書くのは秦系文字の特徴であり、 戦国底本の「大子」が、西漢書写者によって秦系用字の「泰子」 に改められた可能性が論じられています。

[73] >>71 は現状で断片のみ知ることができ、それによると (要検証)、

[74] 広東出土墓磚では、

[78] 具体的には: 「泰元二年宜日」「泰和六年…」「泰寧三年正月十五日立」

[79] 著者は、

「太」字無一例外地都以「泰」字替代

と述べています。つまり広東出土例では確認された範囲で「太」は全部「泰」 で書かれていたといいます。

[80] また南京地区でも、

の例があるとして、谷丰信许道胜の研究を引用しています。

[85] もう一つ挙げているのが、

です。

[87] 具体的には: 「太興二年七月十四立作」

[88] 著者は、

「大」均被「太」替代

と説明しています。

[107] 筆者は、これらを同音・形近の借字としつつ、とくには吉祥性を帯びる字なので、 死者家族の祈願意識も反映している可能性があると見ています。 南京地区でも例があるため、両晋期の銘文磚制作に広く見られる慣行と位置づけています。

[89] なお、あわせて、

[91] 具体的には: 「建元一年七月十日」 「永元一年大歲己卯」

[92] ここで谷丰信説を引用し、

「一」は元字の繰り返し記号ではないか

という解釈を紹介しています。

[108] 根拠は、原報告の拓片を見ると、このが短く不自然で、普通の文字というより重文符号に見えることです。

元年, 踊り字

[109] また、次の点も説明されます。

  • [121] 年次を省略する例もあります。
    • [122] 例: 徳慶馬墟M7「大明年造」
    • [123] 例: 乳源沢橋山ⅢM11「元嘉年八月十日」
  • [110] 多くの銘文磚では、元号名元号年の後に干支年が付されます。
    • [111] 第一「紀年+太歳在+干支」 例: 肇慶坪石崗東晋墓の「泰寧三年太歳在乙酉」。
    • [112] 第二「紀年+歳在+干支」 例: 広州桂花崗M5の「永嘉五年歳在辛未」。
    • [113] 第三「紀年+干支」 例: 広州孖崗晋墓「永嘉六年壬申」。
    • [114] 第四「紀年+干支歳」 例: 新興南朝墓「元嘉十二年乙亥歳」。
  • [115] 年干支に比べると少ないですが、暦日の後に日干支を添える場合もあります。
    • [116] 例: 五七西皇M31「永嘉三年四月廿日戊子」
    • [117] 例: 新興南朝墓「八月八日壬辰作之」
  • [118] 日付は、基本的には「某月某日」または「某月」の形です。
  • [119] 七月・八月が多いと述べています。
    • [120] 造磚時期や築墓時期が秋季に集中していたと解釈します。

東洋の日時表示


[105] https://tohoku-gakuin.repo.nii.ac.jp/record/2000322/files/20240729_ebineryosuke.pdf#page=4

[106] >>105

広州市の南越王趙眜の墓から「文帝 行璽」金印、「帝印」玉印・封泥が発掘されたことはつとに有名だが、同墓からは「泰子」金印・玉印、「泰 夫人印」銅印、「泰官」封泥が出土し11)、南越国宮署遺址出土木簡にも「泰子」・「泰官」の語句が確認で きる12)。これらはそれぞれ「太子」・「太夫人」・「太官」を表したものである。この「泰」は、統一後の秦 で創出され、尊貴な官職や概念を表記する際に用いられたが、漢代には再び排除されて使われなくなった ことが明らかになっている。ところが漢から事実上独立していた南越では継続して「泰」を用い続けてい 13)。その一方で、海南島や広西合浦出土の「執刲」印などを手掛かりに、南越では百越世界において「反 漢」イデオロギーの象徴とされていた楚制を採用することで漢王朝との対抗を図ったとの指摘もなされて いる14)。すると、南越では秦の官吏としての出自を持ち百越世界に君臨する王としての独自性を出すため、 秦の用字を継承しながら楚制を用いていたのではないか。 秦に由来を持たない閩越では、「泰」のような秦の用字を受け継ぐ事例は今のところ確認できない。

[60]
文字
文字
異体字
字形類似

[101] >>95

[129] おそらく甲骨文字時代からの歴史的つながりとは無関係に、 各種の文献史料での誤記、誤写、誤植は散見されます。 字形の類似などに起因して独立して発生した、起こりがちな事象と考えられます。

文字
文字
異体字
字形類似

複数組

[59] 葉玉英:論程度副詞{太}出現的時代及其與“太”、“大”、“泰”的關係-复旦大学出土文献与古文字研究中心, https://www.fdgwz.org.cn/Web/Show/291

[62] >>59の字形・字義・字音を整理し、 漢代にはがしばしば借用され、 魏晋期の年号「太元」「太康」のと書かれる例にも触れています。 特には戦国〜両漢では大・太の仮借として現れ、魏晋以後は減る、という時間軸が重要です。

[94] 陳家寧:說“大”、“太”和“天”的關係-复旦大学出土文献与古文字研究中心, https://www.fdgwz.org.cn/Web/Show/984

[95] >>94 によると、

メモ