[2] 文徳 (旧字体: 文德) は日本中世の私年号とされるもの (幽霊元号) の1つです。
[30] 年号の論は、乱世に辺境の社寺の記録、文書、仏塔、名板、墓碑、器物などに記載した妖僞年號の実例を列挙するうちの1つとして、 >>29 を提示しています。 しかし元号名と時期の列挙だけで、出典は示していません。 >>6
[40] 江戸時代に伴信友が紹介しましたが、出典が不明です。 伴信友の逸号年表補考にもありません。
[41] 何らかの誤りだとしても、誤りの元と考えられるものが見当たりません。
[24]
わずかに日本私年号の研究は、
用例がなく一覧表にしか掲載実績のないものを原則私年号として認めない方針を採っていて、
文徳を私年号ではないと区分しています。
[43] それもまた1つの見識ですが、 一方で「私年号」の枠内に他にも出典の怪しげなものが散見される実情を鑑みれば、 研究史上一旦広く私年号として知れ渡ってしまったものは、 「実在の疑わしい私年号」あるいは幽霊元号として私年号の一分類に収容するのが妥当とも考えられます。
[3] 江戸時代の研究者伴信友が、 応安の頃の妖偽年号としました。 >>6 ただし一覧のみで出典等の詳細は不明です。 (>>30)
[1]
昭和時代の日本私年号の研究は、
伴信友の言及以外の情報がないため、
私年号とは判断できないとしました。
>>7 p.
[33] 私年号の表などで掲載した事例はほとんどありません。 >>32
[8] 以来 >>34, >>322 日本語版ウィキペディアは伴信友の記述を引いて私年号の一覧に掲載していますが、 詳細不明としています。 >>10
私年号 異説 元年相当公年号(西暦) 継続年数 典拠・備考 (文徳) - 応安年間(1368年-1374年)? 不明 伴信友が『長等の山風』で「妖偽年号」の例として挙げるも所拠不明。
[35] 時系列 :
[13] https://dl.ndl.go.jp/pid/1140317 (非公開)
東京府史蹟名勝天然紀念物調査報告書 第5冊
図書
東京府 編 東京府, 昭和2
8: し所なるか。また文德二年四月に軻過突智命を、應永元年十一月に稻荷明神及白山權現を、延文三年八月に
[14] 実際そう書かれているのか OCR 誤読なのかわからないが非常に興味深い用例。
[26] 公開されていた
[27] 天徳, 元徳あたりの誤記か。検討を要すが公年号のどれかの可能性が高そう。
[9] 大日本時代史 平安朝史, 早稲田大学出版部, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/770057/1/196
安子が文徳2年12月26日に立后。
[11] 藤原安子 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%89%E5%AD%90
天徳2年(958年)10月27日、中宮に冊立。
[16] 室生寺, 土門拳 撮影, 北川桃雄 文, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2468753/1/122 (要登録)
仏隆寺の堂の後ろの十三重の石灯「文徳二年」
様式は鎌倉風
[21] 大和古寺巡礼, 青山茂, 川副武胤, 平岡定海 共著, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3009010/1/164 (要登録)
仏隆寺 十三重の塔に 「鎌倉末期の文徳二年の銘」
[17] 佛隆寺(ぶつりゅうじ), , https://www.library.pref.nara.jp/nara_2010/0733.html
境内には、重要文化財に指定された石室(内部に堅恵の墓と伝えられる五輪塔がある)、元徳2年(1330)の銘をもち、修円の墓とされる十三重石塔などがある。
[18] 仏隆寺(ぶつりゅうじ)十三重石塔, , http://kawai25.sakura.ne.jp/nara-uda-buturyuji-13tou.html
基礎は低く側面は無地。正面に「元徳二年(1330)十一月日」の紀年銘がある
写真があるが判読困難。
[19] 奈良県銘文集成, 土井実, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2995180/1/92 (要登録)
「
[20] >>16 >>21 の文徳は >>17 >>18 >>19 より元徳の誤記。
[22] 岩波講座日本文学史 第4巻, 岩波書店, , https://dl.ndl.go.jp/pid/1336884/1/108 (要登録)
「