康略

康暦

元号名異表記

異体字

[2] 多摩ニュータウン遺跡 昭和58年度 /第6分冊, 東京都埋蔵文化財センター, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12255776/1/93 (要登録)

[158] 板碑概説, 服部清五郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/400?keyword=%E5%BA%B7%E6%9A%A6 (要登録)

康厂

广厂

康歴


[37] 清の避諱元号 :

[13] 避諱元号のため歴を使う日本国志には康暦の掲載がありません。

康畧

[147] 康暦を康略, 康畧と表記した事例があります。

用例

東寺の用例

日時事例

[89] 目録の時系列的な前は永和5年3月18日、後は康曆元年8月12日、 目録以外も含めると中間に永和5年3月19日が入ります。 >>85 なお康暦への改元は3月22日。

[88] の史料集は、 >>86 を紹介して 「康略 ((曆)) 」 (明朝体) と注釈して康暦に配置しています。 >>85

[90] 大日本史料の誤植では無いようですが、 東寺金剛蔵聖教目録 の誤記の可能性はあるのか、それとも原本でも「康略」となっているのかは不明です。

[123] 令和時代に至るまで、私年号研究の文脈で紹介した事例は知られていません。


日時事例

[164] 史料編纂所データベース所収東寺百合文書翻刻 (初出不明) は、 >>160 を紹介して、 「康略 (〔曆〕) 」 (明朝体) と注釈しています。 >>159

[166] 令和時代に至るまで、私年号研究の文脈で紹介した事例は知られていません。

法隆寺の用例

日時事例

[146] 写真によると字形は明らかに暦です。 >>79, >>81


[72] の造像銘記は、 >>46 >>48 を康曆としています。 >>66

[54] の書籍は、 >>46 >>48 を康畧として、 一三八〇 としています。 >>51

[59] の 年号読方考証稿 は、 康曆条で >>46 >>48 を康略として、 略は曆の音通用したのだろう、 としています。 >>56


[21] 昭和42年の 日本私年号の研究 は、 異年号のうち私年号でない同音異字年号として >>18 を康畧として、 次のように述べています。 >>17


[74] の報告書 (昭和43年度), の書籍は、 >>46 >>48 を 「康暦」 としと説明しています。 >>73, >>76

[50] 付の Webサイト (参考文献は) は、 >>46 >>48 を 「康暦」 とし 「康暦二年(1380)」 と説明しています。 >>45

熊野権現社安養寺鐘の用例

日時事例

[98] 近世後期に日本福岡藩で編纂された 筑前国続風土記拾遺 は、 >>92 を紹介して、 康略/康暦2年から甲申年まで445年と注釈しています。 >>94, >>91 甲申は注釈の執筆年と思われ、 に当たります。 写本・翻刻・引用で元号名の字体に違いがあります。

[114] 成立の 太宰管内志 は、 >>92 を紹介して、 康暦と書いています。 >>109, >>111

[102] の論文は、 >>92 を紹介していますが、 筑前国続風土記拾遺 を引用しつつ、銘文には誤りがあるので拓本を見るべきとしています。 >>99 具体的にどこかは記載がありません。

[130] の 大日本金石史 は、 >>92 を紹介して康曆と書いています。 >>115

[104] 大正13年の拓本目録は、 >>92 を紹介して康畧と書いています。 >>103


[122] 、 >>92 は賊の襲撃に遭い、 鐘楼を破壊されて盗難されました。現在も所在はわかっていません。 >>119, >>120

[124] 令和時代に至るまで、私年号研究の文脈で紹介した事例は知られていません。

[120] 小竹の白山神社|常設展示室|北九州市 時と風の博物館, https://www.kitakyushu-museum.jp/resources/176

この時康暦二年(1380)の追銘がある銅鐘は、島郷八十八ヵ所の札所である阿弥陀堂に安置されましたが、昭和45年(1960)に盗難にあい、現在も行方不明です。もしどこかに現存しているのなら、是非とも返していただきたいものです。

[121] 昭和45年は。

光明寺鐘の用例

日時事例

[145] 写真では、やや見づらいものの、暦であることは明らかに見えます。 >>142


[131] の 大日本金石史 は、 >>106 を紹介して康曆と書いています。 >>115

[108] 大正13年の拓本目録は、 >>106 を紹介して康畧と書いています。 >>103

[132] , , の書籍は、 >>106 を紹介して康暦と書いています。 >>126, >>139, >>141

[134] 令和時代時点の文化財一覧 Webページは、 >>106 を紹介して康暦と書いています。 >>129

[137] の史料集は、 >>106 を紹介して康暦と書き、 康暦元年(一三七九)四月五日に掛けています。 >>135

[125] 令和時代に至るまで、私年号研究の文脈で紹介した事例は知られていません。

その他の用例

[40] >>39 は本文で「後円融天皇康略二年」 (草書) と書いていますが、その後に引用している文書の日付は 「康曆三年正月」 となっています。

[61] 気仙沼地方熊谷家譜集成, 気仙沼史談会 集成, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9569991/1/109?keyword=%E5%BA%B7%E7%95%A7 (要登録)

[62] >>61 「康略二年庚申秋八月十八日」


[42] 次のものは康略 (明朝体) としますが、文脈から明らかに康曆の誤りです。

諸説

[148] 康暦と思われるものを康略, 康畧と表記した事例は、 近世から現代に少なからず見られます。

[149] 康暦時代にも康略表記があったかどうか、情報が混乱しています。 康暦時代に遡るであろう用例でも、それを紹介した文献ごとに翻刻が違うものが多いです。

[167] その中では >>160 は早ければ永徳2年 (康暦からの改元翌年) にも成立したと思われますが、一応康略表記が実在した可能性が高いと考えられる用例です。 ただ本文ではなく端裏書なので、いつ書かれたものか検討を要します。

[150] 康畧なる異年号の根拠とされた法隆寺用例も含め、 いくつかの康暦時代に遡るであろう用例は、 研究史上康略, 康畧と表記されてきたものの、 実物は康暦となっています。

[151] 残りの康暦時代に遡るであろう用例は、写真などが Web 上に無く現状確認が取れないものの、 状況からみて略字が実際に使われている可能性は必ずしも高くないと思われます。


[153] 暦と略/畧は、「りゃく」と読むと同音です。 このために混用ないし誤記されたものと考えられます。

[154] 近現代の表記慣習では、これらの取り違いは誤りと判断されるもので、 誤記・誤写・誤植による可能性が高いと思われます。

[155] 近世の書字感覚は検討が必要です。が、この場合暦と略を交換した事例は、 他の元号や一般語でもほとんど知られていません。 地誌等の媒体の性格もあり、当時の慣習により無意識的に混用された可能性は、 そう高くないのではないでしょうか。 ただ一般論として地誌の銘文が音声の伝聞で記録されたものということはままあるようで、 それに起因する誤表記の可能性は排除されません。

[156] 略と畧は異体字 (動用字) であり、 とりわけ前近代には畧が珍しくはなかったようであり、 そのどちらを選ぶかにはこれといった意志は反映されていないように思われます。

[152] 康略, 康畧を用いた積極的な意思を推測した説もあるものの、 康暦時代に同時代的に実用されたことが確認されないことには、 意味をなさない議論です。

應暦

應暦 (日本)

康暦の延長年号

[1] 多古町史 上巻, 多古町史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9643568/1/120 (要登録)

康暦3年6月 延長年号+4月 千葉県下

[3] 武蔵国板碑集録 : 板碑発生最密集地域精査 第2 (旧比企郡), 千々和実, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2998370/1/73?keyword=%E5%BA%B7%E6%9A%A6 (要登録)

メモ