[13] 年号「天延」入りの平瓦出土 太宰府市の小正府遺跡 平安時代の窯跡、軒丸瓦とセット|【西日本新聞me】, https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1083008/
[16] 異年号資料としては昭和時代に知られるようになりました。
[29]
昭和時代の日本国熊本県の歴史研究者高田素次の調査記録
[30] 高田素次が現地を訪問したのは、 吉野朝以前に於ける球磨の金石文資料 をまとめるために調査していた時期だとされます。 >>28
[33] 高田素次は、茅場道隆に1000年も前の墓石があるというが自分は未調査だ、 と教えられて訪問したそうです。 詳しい場所は知らず、近くの祐玉寺 (日本国熊本県人吉市東間上町3640) で尋ねて東円蔵宅とわかりました。 しかも東円蔵は2人いてそのうちの1方でした。 庭先の大木の下に墓はありました。 >>28
[34] 寺では「千年墓」と名が通っていたようです。地域ではよく知られていたのでしょうか。 茅場道隆もそれを噂で聞いたのでしょう。 東円蔵宅で応対した老婆は1000年も前で誰もわからない 「やんぼしどんの墓」と言っていました。 >>28 「やんぼし」とは山法師, 山伏です。
[38] 高田素次によると、 墓石は苔むしていたものの、 銘文に朱を入れたものがまだ明らかに見えていて、 1000年も前のものとはどうしても思えませんでした。 公年号の天延の時代の文字ではないと直観しました。 >>28
[39] 高田素次は私年号ではないかと推測しました。 >>28
[8] 昭和時代後期の人吉市史は、 奈良時代の蔵骨器に関する注釈で近くの墓として紹介して、 天延は私年号と思われるとしています。 >>7
[5] 昭和時代後期の日本国熊本県の歴史研究者前川清一は、 江戸時代を遡るとは思えず、 私年号でもないものとしています。 >>3
[17] 平成時代の私年号の一覧表などには掲載されていませんでした。 私年号ではないという判断でしょうか。
[40] 「私年号」は由来のよくわからない元号を入れる雑多なカテゴリーになっているので、 これも正体が判明するまで私年号扱いでいいのではないでしょうか。
[6] 何らかの正しい日付を誤ったものか、偽ろうとしたものかは不明。 天延3(975)年11月7日。 あまりに時代が離れすぎていて、偽造するにも無理がありそうな。
[9] 寺社縁起か何かとか古い石塔とかならともかく墓碑でこんな偽造するのかなあって疑問ですよね。
[10] でも江戸時代に3年になるような改元デマ系私年号が出現するとも思われず、 かといってわけあって私年号を建てるような人や組織が存在したとも思われず。
[11] 消去法で何かの間違いのように思われますけど、書き間違えそうな公年号も思い当たらないという...
[12]
万延? でも万延は2年のはじめに改元されてるのですよ。
三
は書き方と風化によって元
から誤読されることはあるものの...
[18] 近世かという以上に時代が絞れないのも厳しいですね。 様式や所在地から何かヒントはないのですかねえ。
[27] 弁覚というのはいかにも僧侶にいそうな名前で、 誰を指すのかよくわかりません。
[24] 弁覚という大僧都は太田氏の系図に出現します。 >>22, >>21, >>23
[26] 他に覚弁という大僧都もいたようですが、関係があるのかはやはり疑問です。