乾德

乾徳 (日本の元号)

[44] 乾徳 (旧字体: 乾德) は、 日本の私年号の1つです。

元号名

[43] 新字体乾徳旧字体乾德です。

[42] 読みは、 「けんとく」 とされます。 >>41, >>78

用例

[108] 用例は1点のみ知られています。

東京都下の用例

日時事例

[37] >>10鹿浜>>34立石は、少し離れているものの、 同じ荒川流域で、数時間の徒歩で行き来できる程度の距離感です。

[39] >>192>>6 (>>10 掲載) を引きつつ、 葛飾区板碑足立区旧在と説明しています。 >>192

[66] 銘文は異なって読まれていますが、特徴が同一なので、 同じ板碑と思われます。

[14] >>10 の銘文は、全体的に点画の比較的はっきりとした楷書系の字形です。

[13] 第1字はと読まれています。現在の通用字体とは違いも多く、 異体字の方が近いですが、もこれと少し異なります。 >>11 しかし、異体字と考えることには問題ないと思われます。

[15] 第2字はですが、のあたりは簡略化されて書かれています。 >>11 横線になった部分を旧字体と捉えることもできるかもしれませんが、 の点であり新字体とみなす方がより適切でしょうか。

[16] 第4字の草書系の非常に簡略された字形です。 >>11

[17] 第5字は/と読まれていますが、左半分がのように見え、 右半分は不明瞭で右下に状の残画らしきものが見えます。 >>11

[67] 拓本を遠目に見るとのようにも思われますが、右上部分に元々字画がなかったとすると、 そうは読めません。

[109] 第7字はと少数説のがあります。拓本ではに見えます >>11

[50] 拓本だとの間にも横線があるようにも見えますが、 の横線より不明瞭で、周辺と比べても、 割れ目か何かであって字画ではないと思われます。 >>11

諸説

[112] 現時点で報告されている用例は板碑1件のみであり、 乾徳の研究はこの板碑の研究であります。

[113] ところが、この板碑の銘文は、月日の解読に異説があります。 元号名自体の解釈に大きな影響を与えるものではないとはいえ、 あらゆる検討の基礎となるものですから、よくよく追求する必要があります。

[116] なお、乾徳という元号名漢土で少なくても3回使われていますが、 いずれも板碑の時代より古いものであり、 日本東国板碑に使われる可能性は極めて低く、 無関係と考えられます。

[117] 乾徳の時期については、 表現の揺れで見かけ上諸説あるものの、 室町時代の初期すなわち南北朝時代ということで大方一致しています。 ただし、その根拠は板碑の様式のみであり、 その意味で曖昧性と不安定性を有します。

[118] 日本私年号の研究以後、 建德の異表記とする説が有力となっています。 ただし、元々この異年号への言及は少ない中で、 古くからの解説に由来する系統の説明が残存しているため、 通説といえるかどうかには若干の議論の余地があります。

[119] 建德南朝の元号であることなどから、 南朝と関連付けられた背景を推測した説明もありますが、 強い根拠があるわけではありません。

[120] 建德南朝の弱体化が進む南北朝時代後期の元号であり、 それが武蔵国で一般の板碑に残される可能性があるか (当該地域や関係した僧侶、石工が南朝系勢力の統治下にあったか) は、なおも慎重な考察を要すると思われます。

[121] 南北朝時代に近い元徳などの可能性や、 公年号と無関係の可能性なども、 改めて一考を要するところでしょう。

研究史

[61] 入本英太郎の論文は、 地域の板碑の調査報告ですが、 >>10 を紹介しています。 >>58

[62] 異年號で非常に珍しいと述べています。 >>58


[18] 板碑の書籍は、 板碑私年号の用例の1つとして >>10 を紹介しています。 >>3

[19] 未知の私年号であり、干支年がなく比定年は不明と説明しています。 >>3

[20] 室町初期のものであろうと推測しています。 >>3 理由は明記されていませんが、様式によるのでしょう。

[21] の地方史は、 日本国埼玉県板碑私年号の解説ですが、 近接地の事例として >>10 を紹介しています。 >>1

[22] 干支年がなく比定年は不明と説明しています。 >>1

[23] 様式から管領時代と推測しています。 >>1

[24] の書籍は、 板碑私年号の用例の1つとして >>10 を紹介しています。 >>2

[26] の書籍は、 板碑私年号の用例の1つとして >>10 を紹介しています。 >>4

[27] 室町時代初期という、と述べています。 >>4

[31] の書籍は、 板碑私年号の用例の1つとして >>10 を紹介しています。 >>9

[32] 室町時代初期としています。 >>9


[81] 昭和39年の久保常晴論文は、 乾徳を掲載し、 >>10 を紹介しています。 >>80

[82] 次のように述べています。

[46] 昭和42年の日本私年号の研究は、 私年号ではない異年号のうちの同音異字年号の用例の1つとして >>10 を紹介しています。 >>45

[52] 日本私年号の研究は、

... を指摘し、建徳と同定しています。 >>48

[56] また、 比較的近い地域の至大と共に、 南朝系一揆残党の所産の可能性を指摘しています。 至大

[57] これは、久保常晴同音異字年号は意識的な元号名の改作であり、 政権に対する反抗の意図が織り込まれていると考えていた文脈での推測です。 実の所、物証は未検出です。

[110] 至大は時代と地域の背景から南朝との結び付きが想定され、 乾徳も同音の建德との関係が見られるとすれば、 両者から南朝方勢力の存在の気配を感じるのは、そこまで飛躍した推測でもありません。

[111] ただ、現在の通説によれば至大南朝との関係は希薄と言わざるを得ません。

[28] の書籍は、 板碑同音異字年号の用例の1つとして >>10 を紹介しています。 >>251

[29] 当論文は、公年号を誤ったか、異字に違和感を持たなかったための表記を同音異字年号とし、 私年号から除外しています。 >>251

[30] 乾徳建徳の異表記たる同音異字年号だとしています。 >>251

[193] 同書第二巻では、肥留間博日本私年号の研究から 「建徳(一三七〇)」 の同音異字年号と紹介しています。 >>192 (>>6)


[71] の報告書は、 >>34 を掲載しています。 >>68

[72] 室町時代異年号と説明しています。 >>68

[73] 私年号を持つ異色の板碑と紹介されています。 >>68

[33] の史料集は、 >>34 を掲載しています。 >>5

[38] 私年号か、 か、 と注釈しています。 >>250


[40] の一覧表は、 乾徳室町時代私年号とし、 継続年数不明としています。 >>7

[41] の一覧表は、 それを出典に (けん) (とく) 室町時代私年号とし、 継続年数不明としています。 >>8

[78] の辞典は、 「けんとく」 (乾德) を室町時代私年号で詳細不明としています。 >>79, >>77, >>105

[76] その他、私年号 (の板碑) の事例で列挙されることがあります。 >>75, >>114

[106] ただ、 日本私年号の研究私年号ではないと分類した影響が大きいのか、 私年号の一覧表等にはほとんど掲載が見られません。 >>107

関連

[115] 大正改元時に候補の1つとして提案されたとされます。

メモ