[5] 壷の銘にあるのが現在知られている唯一の用例です。
[31] >>21 の出土地は未詳です。 >>27 #page=16
[79] には国立歴史民俗博物館所蔵となっていたようですが、 来歴は不明です。 昭和32年に目撃された記録が残っていますが、詳細は不明です。
[84] 銘文は2つあり、それぞれ別々に枠に囲われています。 >>29
[85] 紀年らしき銘文は、元号名・元号年状の行と、十二支年と月日の行の2つで構成されます。 十二支年の分少し第2行が上から始まりますが、第2行が少し上で終わって約1文字分のアキが下にあります。 第1行の上には少しアキがありますが、下はすぐに枠線です。 >>29
[141] 壷屋某の素性は不明です。
[86] 用例は1点のみ知られており、 紀年状の文字列の元号名部分が未知の4文字であることから、 これをどう解釈するかが問題となります。
[119] 銘文は、各文字が独立していますが、文字の大きさと字間は揺らぎがあります。
[120]
第2行に比べると、第1行の字間は詰まり気味です。
第1行の先頭は「寛有天王」の4字と読まれています。寛と有の2字の字間は、
それ以後に比べて余裕があります。
あらかじめ決めた範囲に彫るにあたって、最初は第1字の上にもアキを置くほどだったのに、
徐々に残空間が少なくなって字間も文字も小さく詰め込まざるを得なくなったのでしょうか。
[121]
天の次の王はやや食い気味で、2部品合わせて1字と読めないこともありません。
天が単独1字であるにしては人部分の下が開きすぎているようにも感じられます。
しかし、2つ合わせて1字と読める常用字はありません。文字の大きさも、 >>120
説によって徐々に小さくなったと考える方が、大きな1字と考えるよりも自然です。
[122]
天と読まれる第3字は、人部分が広いだけでなく、
上から2つ目の横画が、一本の横線ではない不思議な形状に見えます。
[123]
王と読まれる第4字は、中央の横画の形状が不明瞭です。縦画を貫いていないようにも見えますが、
整形上の都合とも思われ、よくわかりません。左側に比べて右側が短すぎます。
正とも読み得るようにも思われますが、それにしては左下の空間が空きすぎでしょうか。
横線ではなく2つの点のようにも見え、平と似ますが、平のように縦画が下には貫きません。
[124] 通説の「寛有天王」の判読が最も妥当と思われ、異説もこれまで確認されていないものの、 実物や高解像度写真等での詳細な検討で確定させたいところであります。
[94] 元号名スロットの4字について、 学説として提示されているもの、いないもの含め、いくつかの解釈があり得ますが、 いずれも傍証や類例がなく、自然な解釈と言えるものが現時点で1つも知られていません。
[125] 「寛有」は広く使われる語ではありません。 寛宥という語があり、その音通異表記とも考えられます。 しかし、寛宥だとしても、自然な解釈は見出だせません。
[127] 「天王」は、牛頭天王を指してしばしば使われる語で、 >>30 はこの説を採用しています。 この解釈自体は不自然ではありませんが、 牛頭天王と「寛有」ないし「寛宥」との結び付きが強いとは言えず、 合理的な説明を要します。
[128] 十二支年が丑であることと牛頭天王とのつながりも注意されるところです。 ただ、牛頭天王と丑年とは、現在の一部の神社などで結び付きも見られるものの、 体系化された信仰としての密着度は然程でもありませんから、 実日付と無関係の神話的日付のようなものの可能性はそこまで高いとも思われません。
[129] 「天王」は、天皇とも解し得ます。 しかしこの壷が作られたと目される中世末期頃の同時代の天皇が天王/天皇号で書かれ得るかは疑問ですし、 他の時代の天皇名を書くのも不自然です。「寛有」やそれと同音の天皇や皇族も見受けられません。 擬古作のようなものとも考えにくいです。
[131] 比定年については、
... の諸説があります。
[136] このうち天正5年説、天正17年説は >>30 の説で、媒体の年代感と十二支年によります。
[137] 天正元年説は、根拠が不明瞭ですが、 銘文の元号名の類似からの同定や、 「天正年間」の曖昧性が削ぎ落とされ元年に転じたものと思われます。
[143] 天正元年は丑年ではありませんから、その点の説明を要します。
[139] 天正年間説も根拠は不明瞭ですが、 >>30 説や天正元年説の曖昧・不確定性の1つの表現方法と思われます。
[140] どの説も天正年間の範囲を出ていませんが、論拠 (あるいはその不在) を点検するとやや脆弱に感じられるところです。
[9] 天正年間に「天王」と書いたなら誤記とも思われますが、年次が一致しませんし、 明らかな誤刻の焼き物が現存するものだろうかとの疑問もあります。
[11] 天正は正親町天皇の元号で、 天正14年に後陽成天皇に譲位した後、 天正20年まで続きました。
[12] その間天正7年に誠仁親王が事実上の天皇の地位につきましたが、 天正14年に崩じました。
[13] 寛有天王元年はこれに近い時代ですが、微妙にずれています。 3人のいずれも寛有天王と呼ばれていた気配がありません。
[18]
の書籍が、
銘文を紹介し、
「
[78]
これだけではよく状況がわかりませんが、著者が誰かから天正の壷ではないかと案内され、
実見したものの、紀年資料として使えるものではないと判断した、
ということでしょう。いつどこで「
[30] の論文は、 私年号のある中世陶器の1つとして >>21 を紹介しています。 次のように述べています。 >>27 #page=16
[32] 他用例から類推すると、これは様式、銘文の解釈等を含めた著者の総合判定の結論と思われます。
[43] 国立歴史民俗博物館の Webサイトで公開されているデータベースの解説は、 「天王元年」を私年号と推定されるとし、 としています。 >>3 この年は天正元年にあたります。
[83] 天王を天正とみなしたものでしょうか。それとも天正年間が天正元年に誤って登録されたのでしょうか。
【資 料 名 称】 チュウセイトウキ サンジコ タンバ 中世陶器 三耳壷 丹波
【備 考】 「寛有天王元年 四月吉祥日」刻銘 (1573) 口径14.2cm 胴径34.1cm 底径12.5cm 撫で肩から緩やかに底部へ収縮する器体に、軽く折返す丸口の口縁、頚基部に2条の凹線がめぐる上胴に小さな横耳を付した三耳壷。 器肌は石英粒が散見するが、全体に細やかな陶質、丁寧な横撫で調整、円滑な仕上げ。 赤橙色、一部黄橙色の焼斑、一側に淡い黄胡麻釉をかぶる。 三耳の間隙に太い箆状器具で画した短冊形内に上記銘、90度振って「壷屋四 右衛門(△印)」の刻銘。「天王元年」は私年号と推定されるが在銘資料として貴重である。 口縁、一耳の一部後補。 形姿・胎質は当該期の一般的作例とやや異なり、特注品とみられる。戦国末期における「壷屋」の実在と生産集団との交渉を示唆する点でも興味深い。
【資 料 名 称】 チュウセイトウキ サンジコ タンバ 中世陶器 三耳壷 丹波 【コレクション名】 チュウセイトウキコレクション 中世陶器コレクション 【指 定】 指定:未指定 _ 【数 量】 1 点 【法 量】 横34.10 cm 高41.20 cm 【材 質】 原品: 陶器 【実 物・模 造】 実物 【尺 度】 _ 【製 作 年 代】 AD1573 世紀:16-C 時代:安土桃山時代 元号:天正 - 01 年 【使 用 地】 _ 【資 料 番 号】 A-217-77 【備 考】 「寛有天王元年 四月吉祥日」刻銘 (1573) 口径14.2cm 胴径34.1cm 底径12.5cm 撫で肩から緩やかに底部へ収縮する器体に、軽く折返す丸口の口縁、頚基部に2条の凹線がめぐる上胴に小さな横耳を付した三耳壷。 器肌は石英粒が散見するが、全体に細やかな陶質、丁寧な横撫で調整、円滑な仕上げ。 赤橙色、一部黄橙色の焼斑、一側に淡い黄胡麻釉をかぶる。 三耳の間隙に太い箆状器具で画した短冊形内に上記銘、90度振って「壷屋四 右衛門(△印)」の刻銘。「天王元年」は私年号と推定されるが在銘資料として貴重である。 口縁、一耳の一部後補。 形姿・胎質は当該期の一般的作例とやや異なり、特注品とみられる。戦国末期における「壷屋」の実在と生産集団との交渉を示唆する点でも興味深い。
[19] の正見に関する報告書は、 >>1 を引用しつつ、 従来の文安 → 福安, 天正 → 天王に新たに正元 → 正見を加えられると説いています。 >>15
[20] 平成19年の論文は、 丹波焼の出土例には年代を特定できない私年号の事例もあって編年研究の基準資料とみなすには問題があるとしています。 >>2
[22] その具体例として >>21 を紹介し、 「寛有天王」という元号は知られていない、 と述べています。 >>2
[145] の、 平成時代を代表する私年号研究者である千々和到の論文では、 >>1 が紹介され、それらの私年号は
... と述べました。 >>152
[55] 千々和到の系統の私年号の一覧表のいくつかに天王が掲載され、 時期は天王頃か、 といったような表現になっています。 >>56
[72] そのうちの一部では、天正から天王への1字置き換えであると判定されています。 >>56
[58] 日本語版ウィキペディアの一覧表にも初期から掲載されています。
?を追加し、
継続年数が20年から不明に変更、
「公年号「天正」の誤記か。」と追記。根拠は不明。... との変遷を経ています。 >>57
[66] これらは平成3年の論文 >>1 を参照する以外まったく根拠が示されていない怪情報の塊であり、 あるいは何らかの書籍等に記載があるのかもしれませんが、現段階では不明です。
?を挿入したものであり、
天正誤記と確定できない、という意図でしょうか。[76] 中文版维基百科の一覧表は、 >>2 を出典に、 天王を天正年間の1年間継続の私年号として掲載しています。 >>75
私年号 異説 元年相当公年号(西暦) 継続年数 典拠・備考 天王 - 天正5年(1577年)か17年(1589年) 不明 国立歴史民俗博物館蔵丹波焼三耳壷銘[5]
吉岡康暢 「刻銘を有する中世陶器」(『国立歴史民俗博物館研究報告』第36集 国立歴史民俗博物館、1991年11月、NCID AN00377607)
[80] 令和時代に至るまで、 一覧表への掲載を除けば、私年号研究側の専門の研究者によって本格的に検討された事例は見当たりません。