[14] 正見は鎌倉時代の日本の私年号とされるものの1つです。
[15] 出土品の銘文に1例知られていますが、釈読には異説もあります。
[16] 私年号説は、公年号の正元の異表記とします。 意図的とする説と誤記とする説があります。
[17] 公年号の異表記とすると遡及年号となることにも問題があり、 正元元年説と正元2年説があります。
[1] 刻銘を有する中世陶器(Ⅳ. 政治史と生活史), 吉岡 康暢, , , https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=41&item_id=528&item_no=1
#page=16
愛知県知多郡武豊町富貴 中田池A1号窯 焼成室 出土 陶硯
「
私年号 正元2(1260)年
正元改元は3月26日だから、2年のこと。 当該銘文に誤字が目立つので当字にもみえるが、2年を元年とするから、磯部幸男の指摘のように文殊信仰で正元を仏語の正見に置き換えた、私年号弥勒に通ずる
正元元年に諸国飢饉疫病、2年にも続いているので世直し改元願望かも
在地小寺庵の住僧ないし土豪の案文を工人が忠実に刻記したか
#page=22
磯部幸男, 奥川弘成 中田池古窯祉群 1, 武豊町教育委員会,
「正見」=「寛」とみて「寛 元年の判読も考慮されるが次行の「正月」の運筆から「正見」とみる。
(この解釈が吉岡氏の見解か、磯部氏の見解か不明)
#page=44 白黒写真
[6] 中世東濃窯の研究 - 44-3.pdf, , https://www.agu.ac.jp/pdf/graduate/thesis/letters1/44-3.pdf#page=20
第6型式期の実年代を特定する良好な資料はみられないが、第7型式期の年代を比定した上で年代を 推定している。第7型式は、尾張型第6型式終末から第7型式の山茶碗を生産した知多の中田池A1号 窯の窯内から「正見元年正月二十七日」等の刻銘をもつ陶硯が出土し、これは「正見」を「正元」と読 み替え正元元年(1259)あるいは正元2年の製作とされる。また、東濃の小滝9号窯から出土した「文 永三年(1266)」の刻銘をもつ山茶碗の蓋が東濃型第7型式期に比定される。以上から、第7型式期は 13 世紀中葉に比定され、第6型式期は 13 世紀初頭を除く前葉に位置付けられる。
[11] 中世東濃窯の研究, 山本, 智子, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/11570706/1/2
[8] https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/36/36362/70686_1_%E7%80%AC%E6%88%B8B%E5%8F%A4%E7%AA%AF%E8%B7%A1%E7%BE%A4%E3%83%BB%E5%A5%A5%E8%B0%B7%E5%8F%A4%E7%AA%AF%E8%B7%A1.pdf
#page=163
中田池A地点第 1号窯〔現:中田池 B古窯群〕(第 66図 6) (写真 79, 5)
銘文翻刻
「
この銘文については、常滑窯の生産地編年資料⑫としての利用可能な良質な資料であるとか、 窯業生産の統括者に関するもの⑬など様々な議論があるが、今回はそこには触れず紹介するに留 めておく 。 土器の生産地編年で 6a型 式 (1250~1275) とさ れる時期の窯である。 なお、遺跡名 が調査時の名称が中田池 B古窯群に改名されていることに注意。
#page=172
⑫赤羽一郎 ・中野晴久「中世常滑焼の生産地編年」(『常滑焼と中世社会』小学館 1995年)
⑬石井進「中世考古学と歴史学」(『常沿焼と中世社会』小学館 1995年)
#page=174 カラー写真 解像度低く判読不可
#page=179 拓影 解像度低く判読困難
[9] 教育愛知 47(2)(552), 愛知県教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6034638/1/13 (要登録)
実在しない、議論の多いところ
正嘉3(1259)年または正元2(1260)年と想定される
歴年代を知る資料として研究が飛躍的に進展した。
[10] 教育愛知 47(2)(552), 愛知県教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6034638/1/14 (要登録)
著者は発見者
正見と直感したが寛元年とも読めて現場は大騒ぎ
確証は無いが私年号で正元とする説が有力、 寛元説も捨てきれない
知多の中世陶器の編年、全国の中世遺跡の編年がこれで修正された
[12] 南知多町誌 本文編, 南知多町誌編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9540826/1/79 (要登録)
「
同音の正元年間説、 寛元年間説
[13] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7
私年号 異説 元年相当公年号(西暦) 継続年数 典拠・備考 正見 - 鎌倉時代 不明 愛知県武豊町出土陶硯銘。公年号「正元」の誤記か。
[2] 正元に比定する理由が同音であること以外に見えないのが不安点。 様式による編年のようなものはないのだろうか。
[7] 探してみたら >>6 のように本来実年代不明とするべき当事例が型式編年に使われてる。
[3] 写真だと確かに「寛」とするべきか「正見」とするべきか迷う。
[4] 「寛元年」だとすると寛元元(1243)年か。「元元」がこのように省略されることは (意図的かどうかはともかく) ないでもない。この時代にあるのか、 文献でなく刻銘でもあるのかは不明。
[5] に寛元改元なのでそちらの解釈でも遡及年号になって不審なのは変わらず。
[18] 古事類苑, 歳時部四, 年號下, 年號文字, , http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/saijibu/frame/f000333.html, 第 1 巻 333 頁
「寛七年」
関係ありやなしや
[19] 31-3.pdf, , https://www.agu.ac.jp/pdf/graduate/thesis/letters1/31-3.pdf#page=234