[83] 日本語では国際日付変更線、 あるいは多くの場合単純に日付変更線と呼ばれることが多いです。
[81] 暦と時の事典は、 「日本では日付変更線と呼ばれていた。 しかし超音速機や人工衛星によって一日に二回以上もその線上を経過する場合、 日付変更線の名称は不適当である。」 とし、「国際日付線」だけを見出し語としました >>84。
[82] 確かに英語では International Date Line や Date Line と呼ぶので、直訳すれば国際日付線となるべきです。 日付変更線は意訳的補足が入っています。 しかし国際日付線の語はほとんど使われていないようです。
[11] 日付変更線は慣習によるもので、国際条約等によるものではなく、 周辺各国の国内法によって定められた標準時と各国領海等から地図に描かれるもののようです。
[12] サモア独立国がサモア標準時を日付変更線をまたいで変更した際には、 国際的な取り決めによらずに国内法改正のみで対応できるとし、 同国周辺の地図を示して国際日付変更線の位置を改める法律を施行しました。
[13] 領土でも領海でもない領海の標準時については (1919年ロンドン万国会議の決定を除けば) 国際法で定められたものでもなく、 各国の境界をつなぎ合わせたものが示されているようです。
[8] UTC よりも進んでいる +
の日付のことを、
アジア日付や
Asiatic date >>51、
Antipodean Time >>272、
Asian day reckoning >>7、
eastern date >>51, >>20、
極東時間、
遠東時間、
東経 (の時刻) と呼ぶことがあります。
[9] UTC よりも遅れている -
の日付のことを、
アメリカ日付や
American date >>51、
American system >>272、
American day reckoning >>7、
western date >>51, >>20、
美国日期、
西歐時間と呼ぶことがあります。
[77] どちらも統一的な呼称がなく、様々な表現が使われています。
[36] 「○月○日 (○○時間)」といったように、 標準時名を添えることでアジア日付かアメリカ日付かを特定する場合もあります。 新聞や一般的な案内文などでもよく使われている表現です。
[44] 英領ピトケアン諸島の法令では、
「NZST」 (アジア日付) と「ピトケアン標準時」 (アメリカ日付)
と注釈をつけて日付を区別しています。
[24] クック諸島やニウエの法令では、
日付はニュージーランドの日付の1日遅れであるという形で日付が定義されています。
[69] 地図では、しばしば国際日付変更線の左右に「日曜日」、「月曜日」 のように書いて説明されています。
[78] 旅程表のようなものにも「日付変更線」を書いてアジア日付とアメリカ日付のどちらであるかが切り替わっていることを表す場合があります。
[47] 1521年、 マゼラン艦隊はツアモツ諸島、 ライン諸島、 グアム島、 フィリピン諸島、 香料諸島、 ベルデ岬諸島と西廻りで初めて世界一周しました。 一行はベルデ岬諸島までアメリカ日付を使っていましたが、 そこでアジア日付とのずれを発見しました >>46。 特にフィリピン諸島と香料諸島には何週間か滞在し布教などを行いました。
[25] 16世紀頃、スペインはフィリピン、南洋群島、臺灣、 インドネシアの一帯を支配しました (スペイン領東インド)。 スペイン領東インドではアメリカ日付が用いられました。
[68] 一方でアジアや大洋州に西から進出した蘭国、英国、仏国などはアジア日付を使っていました。
[26] 、 スペイン領東インドがアジア日付に移行しました。
[31] 19世紀末、 英領ニュージーランド、 英領ギルバート諸島、 英領フィジー、 英領ロツマ、 トンガ王国、 独領ナウル、 独領マーシャル諸島でアジア日付が用いられていました。
[32] 19世紀末、 英領クック諸島ではアメリカ日付が用いられていました。
[72] 、 英領ニュージーランドはアジア日付であるニュージーランド平均時を採用しました。
[30] 、 英領フィジーは正式にアジア日付を採用しました。
[87] フィジーの Nadraki Weather Service の Managing Director の Neville Koop の証言によると、 キリスト教宣教師はフィジーとトンガの間に日付変更線があることに気付かず、 数十年に亘って間違った日に日曜礼拝を続けてきた、 と教えられたが、 この話は正しくない (apocryphal tale) のだそうです。 >>88 20世紀末か21世紀初頭頃までフィジーの一部で信じられていた話ということでしょうか。
[60] 1883年頃、 サモア王国では英国系のアジア日付と米国系のアメリカ日付が混在していました。
[33] 1884年、 国際子午線会議によりグリニッジ子午線が本初子午線に採用され、 経度180度の位置が確定しました。
[29] 、
サモア王国がアメリカ日付に移行しました。
[61] 1898年頃、
ニウエではアジア日付が用いられていたといいます。
[62] 20世紀初頭、英領ニウエはアメリカ日付を採用しました。
[52] 1910年、 英国水路部の日付変更線位置が微修正されました >>51。
[34] 1919年ロンドン万国会議により経度に基づき艦船が用いる水域の標準時が定められました。
[53]
1922年、
英領ニュージーランド領西サモアは英領ニュージーランド本国と同じアジア日付に移行する手続きを進めていましたが、
米領サモアと異なる日付となると不便なことから断念されました。
[54] 第二次世界大戦中の一時期、
アメリカ日付が用いられていたアリューシャン列島の米領熱田島と米領鳴神島に進攻した大日本帝国は、
米国職員などの在住者を追放し基地としました。
当地でも日本軍の軍用時 が用いられていたとすれば、
当該期間の事実上の標準時となりますから、
日付変更線のアジア日付側に属していたことになります。
[40] 第二次世界大戦でアジア日付が用いられていたマーシャル諸島の
Kwajalein などに進攻した米国は、
住民を追放して基地を建設し、アメリカ日付を採用しました。
一般市民がいない基地だけの島となったのですから、
それが事実上の標準時となり、
日付変更線のアジア日付側にあるアメリカ日付の飛び地が生じました。
[41] 、マーシャル諸島の Kwajalein
がアジア日付に移行しました。
この日までアジア日付を採用している周辺諸島の住民はアメリカ日付を採用した米軍基地で雇用され、
生活費を稼ぐため日付がずれる不便を強いられていました。
[27] 、
キリバス領ライン諸島とキリバス領フェニックス諸島がアジア日付に移行しました。
元からアジア日付だったキリバス本土と日付が統一され、
国内で2つの日付が同居する不便が解消されました。
[28] 、
サモア独立国とニュージーランド領トケラウがアジア日付に移行しました。
トケラウは本国ニュージーランドと同じ日付に統一されました。
[35] 海上を移動する船舶の時刻 (船内時間) は、
当該船舶が航路その他の事情に合わせて決定するものです。
日付変更線附近を移動する船舶がどこでどのように日付を調整するかは当該船舶の判断によります。
日付変更線をまたがる移動により、日が消失したり、
同じ日が繰り返されたりすることになります (閏日)。
[76] 航空機では、管制などでは UTC が使われますが、
乗客は出発地または到着地の時刻を使います。
宇宙船は、国際宇宙ステーションが UTC を使っていますが、
他の国は自国の標準時を使っていたりもします。
いずれにしても、固定の日付境界線といえる線や面は存在しません。
[38] かつてはキリバスが日付変更線の東西にまたがっており、 国内に日付の差が存在していました。標準時の改正により、 現在はアジア日付に統一されています。
[39] かつてはマーシャル諸島国内の米軍基地 Kwajalein などがアメリカ日付を採用し、標準時のアジア日付と日付の差が存在していました。 現在はアジア日付に統一されています。
[42] 現在、米国や英国など東半球にも西半球にも領土を有する国はいくつかありますが、 国土自体を日付変更線が横断している国はありません。
[79] 米国の本国は西半球にあってアメリカ日付を使っていますが、 太平洋を超えて進出した米領グアムや米領北マリアナ諸島や米領ウェーク島 (かつては米領太平洋諸島、米領小笠原諸島、米領琉球諸島、 米領フィリピン) は東半球にあってアジア日付を使っています。 米領グアム島は Where America's Day Begins と呼ばれていたようです。
[59] ニュージーランドに属する自由連合国であるニウエとクック諸島はアメリカ日付を使っていますが、 ニュージーランド本国はアジア日付を使っています。 かつてはトケラウもアメリカ日付を使っていましたが、 アジア日付に移行しました。
[58] 英領ピトケアン諸島はアメリカ日付を使っていますが、 政庁はニュージーランドにあり、アジア日付を使っています。
[43] 南極大陸は南極点に経度線が集まるという地理的特殊性やどの国の領土としても確定していない政治的特殊性から、
日付変更線がどこに引かれていると考えるべきか難しい状況です。
時間帯図や国際日付変更線を示した図のほとんどは、
南極大陸を省略しています。
[1] 国際日付変更線 - Wikipedia ( ( 版)) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%97%A5%E4%BB%98%E5%A4%89%E6%9B%B4%E7%B7%9A
[5] タイムテーブル・タイムトラベル~時刻表歴史館 昔の空の旅-日付変更線通過記念証 (ttmuseum著, ) http://ttmuseum.blog.fc2.com/blog-entry-9.html
[6] The International Date Line () http://aa.usno.navy.mil/faq/docs/international_date.php
[7] A History of the International Date Line (R.H. van Gent著, ) http://www.staff.science.uu.nl/~gent0113/idl/idl.htm
[10] 399 - Wrong year calculated for Antipodean time zones near New Year's Day. - v8 - Monorail Staging () https://monorail-staging.appspot.com/p/v8/issues/detail?id=399
[14] 08 Feb 1907 - THAT WONDERFUL DATE-LINE. - Trove () http://trove.nla.gov.au/newspaper/article/219137314
[18] A History of the International Date Line - Kiribati/Samoa adjustments (R.H. van Gent著, ) https://www.staff.science.uu.nl/~gent0113/idl/idl_recent.htm
[20] George Leo Curran and Irene Hume Taylor, 1935 ( 版) http://www.webexhibits.org/daylightsaving/ref/CurranTaylor.html
[49] Papers Past | DELAY TO MAILS. (New Zealand Herald, 1930-08-19) (National Library of New Zealand著, ) https://paperspast.natlib.govt.nz/newspapers/NZH19300819.2.97.4?query=CONFUSION%20OF%20TIMES
1930年のニュージーランドの新聞掲載の、 ニュージーランドとタヒチとの間の日付変更線の解説記事。
[50] Papers Past | CORRESPONDENCE. (Nelson Evening Mail, 1898-04-29) (National Library of New Zealand著, ) https://paperspast.natlib.govt.nz/newspapers/NEM18980429.2.19
[51] Papers Past | WHERE DRAWN (Evening Post, 1930-06-05) (National Library of New Zealand著, ) https://paperspast.natlib.govt.nz/newspapers/EP19300605.2.107
[55] Papers Past | NEW ZEALAND TIME AND THE DATE LINE. (Otago Daily Times, 1922-06-28) (National Library of New Zealand著, ) https://paperspast.natlib.govt.nz/newspapers/ODT19220628.2.71
[56] Papers Past | NEW ZEALAND TIME. (Otago Daily Times, 1927-10-10) (National Library of New Zealand著, ) https://paperspast.natlib.govt.nz/newspapers/ODT19271010.2.116
[57] Papers Past | WHEN AND WHERE THE DAY BEGINS. (Marlborough Express, 1900-05-05) (National Library of New Zealand著, ) https://paperspast.natlib.govt.nz/newspapers/MEX19000505.2.30.4
[63] A History of the International Date Line - 1884 International Meridian Conference (R.H. van Gent著, ) https://www.staff.science.uu.nl/~gent0113/idl/idl_imc_1884.htm
[64] The International Date Line () http://www.danstopicals.com/dateline2.htm
[65] The Prime Meridian () http://www.danstopicals.com/dateline1.htm
[67] OldDesignShop_MapOceaniaAndPacific.jpg (3300×2390) () https://olddesignshop.com/wp-content/uploads/2015/04/OldDesignShop_MapOceaniaAndPacific.jpg
[73] Papers Past | NEW ZEALAND MEAN TIME. (Lyttelton Times, 1868-11-20) (National Library of New Zealand著, ) https://paperspast.natlib.govt.nz/newspapers/LT18681120.2.4.1
[74] Papers Past | MEAN TIME. (Lyttelton Times, 1868-11-24) (National Library of New Zealand著, ) https://paperspast.natlib.govt.nz/newspapers/LT18681124.2.16.2
[75] Papers Past | NEW ZEALAND MEAN TIME. (Lyttelton Times, 1868-12-09) (National Library of New Zealand著, ) https://paperspast.natlib.govt.nz/newspapers/LT18681209.2.12.1
[86] タイムテーブル・タイムトラベル~時刻表歴史館 昔の空の旅-日付変更線通過記念証 (ttmuseum著, ) http://ttmuseum.blog.fc2.com/blog-entry-9.html
[89] THE DATE LINE IN THE PACIFIC OCEAN in: Monthly Weather Review Volume 30 Issue 7 (1902), https://journals.ametsoc.org/view/journals/mwre/30/7/1520-0493-30_7_363a.xml
[90]
1647年 8月 4日午後 5時に広東前面に賊の艦隊が出現し、翌日から戦端が聞かれ て
漢文史料では七月五日 (8月 5日)に陳子壮が挙兵して広東を攻撃したとする (『明末清初広 東文人年表』p.156)。
[92] ソ連・米欧紀行, 丹羽保次郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2985776/1/197 (要登録)