類聚考

紀元編

[12] 紀元編 (歴代紀元編) は、 清国の李兆洛による元号一覧です。

成立

[33] 著者は清江蘇省陽湖県 (現在の中華人民共和国常州市武進区周辺) の研究者李兆洛 (字: 申耆, 号: 養一, 晩年の号: 養一老人, - )。


[42] 本書成立には六承如が深く関与したと考えられます。

[37] 本文末の跋文には「門人六承如識」とあります。 六承如が李兆洛の門人であり、 刊行に至る本文の記録・集録に関係したことを示します。

[38] 刊本の書誌は、

(清)李兆洛撰;(清)六承如録

となっています。

[39] CiNiiの書誌では、 「李兆洛撰・六承如録」 の輩學齋刊本としています。

[40] 中国哲学書電子化計画の書誌解説も、 李兆洛の門人が編録した作品と説明しています。

[41] 六承如の生没年や詳しい経歴は不明です。 英語の書誌では Liu Chengru と表記される例があります。



[69] 20世紀初頭には、羅振玉が本文の訂補・校訂に関わっています。

[70] 全国古籍普查登记手册には、 清光緒32年(1906)の「紀元編三巻・李兆洛撰・羅振玉訂補、羅氏稿本」という記載があります。

[71] 一方、CiNiiは中華民国14年(1925)刊の『校増紀元編』を、李兆洛撰・六承如録・羅振玉重校訂と記載しています。

[72] さらに、中国哲学書電子化計画の解説は、 中華民国16年(1927)に 重校訂紀元編3巻があったとします。

[73] 同一の校訂事業の異なる段階である可能性はありますが、現物を比較する必要があります。

序文なし版本

清道光11年版本

[15]

[16] 序文なし

[107] >>26 紀元編韻補, 紀元編補韻なし

[88] 少なくても日本の元号については、歴代紀年備考はこの版の抄本と推測されます。 記述内容が酷似しています。

清同治10年版本

[13]

[18] 序文あり

[29] 道光版とほぼ同版と思われるが、精査を要する

[104] >>4 紀元編韻補, 紀元編補韻あり

[19] 注釈書き込み:

中華民国26年出版

[14]

[17] 序文なし

[30] 清版と異なる翻刻再版

[31] 内容はおそらく同じと思われるが精査を要する

[32] ただし字形差は多い。いずれも活字の字形差に起因すると思われる。 清の避諱はそのまま。

[3] File:CADAL09006169 紀元編.djvu - Wikimedia Commons, , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:CADAL09006169_%E7%B4%80%E5%85%83%E7%B7%A8.djvu

[9] File:SSID-12641505 紀元編.pdf - Wikimedia Commons, , https://commons.wikimedia.org/wiki/File:SSID-12641505_%E7%B4%80%E5%85%83%E7%B7%A8.pdf

[105] NLC511-023031404017769-22669_歷代紀元編(三).pdf, , https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/15/NLC511-023031404017769-22669_%E6%AD%B7%E4%BB%A3%E7%B4%80%E5%85%83%E7%B7%A8%EF%BC%88%E4%B8%89%EF%BC%89.pdf

[106] >>105 紀元編韻補, 紀元編補韻あり

内容

[43] 紀元編冒頭に、

列代甲子,檢書爲煩,前賢患之,每有編纂,復此綜錄,意存省約,其有絀漏,來哲匡諸。

とあります。

[44] つまり、歴代の干支や紀年を個々の史書から調べるのは煩雑なので、 先人たちの編纂を踏まえて再びまとめ、簡便に検索できるようにする、という趣旨です。

[45] 各巻の内容は次の通りです。

[50] 巻上には、漢・後漢・三国・晋・南北朝・隋唐・遼・金・元・明などの年号のほか、僭称政権、外国の年号、道教関係資料に見える年号、実際には採用されなかった年号、銭文に見える年号なども収めています。

[51] 外国として日本・新羅・交趾などに関する記載があります。

日本の元号

[27] 紀元編の日本条には、次のような注記があります。

[90] 鍾淵映の紀元類聚考所引東國通鑑と、 梁諫菴の元號畧所得日本國新刻大成年代廣記に拠っています。 >>28

[89] 舒明天皇までは類聚考に、 孝徳天皇からは廣記に拠っています。 >>28

[91] また、個別元号の注釈にいくつかの書名があります。二書を底本に、 他のいろいろな本で校合したということなのでしょう。

[103] この書き方を見ると、著者が直接 東國通鑑 や 廣記 を参照したわけではなさそうです。


[95] 紀元類聚考 (類聚考) なる書物は見当たらず不明です。

[96] 鍾淵映には歴代建元考 (清初成立) があります。

[98] ところが紀元編には、 鍾淵映の歴代建元類考は未見とあります。 >>97 おそらく歴代建元考を指すと思われます。 つまり本書のことではありません。

[99] よく似た名前で、清の錢東垣に 建元類聚考 があります。 成立、 刊行で、 紀元編 に先立ちます。

[100] 実際紀元編には、 錢東垣の 建元類聚考 を参照したことが明記されています。 >>97

[101] ところが、 建元類聚考 には 東国通鑑の引用はありませんし、 古代年号の掲載もありません。

[108] 嘉貞や厯日の事例を見ると、 紀元類聚考 とは実は 歴代建元考 のことのようにも思えます。 ただし、 嘉貞の場合 元号略 の注釈の引き写しに過ぎませんから、 ここで 紀元類聚考 を確認したのかは不明です。

[109] 延禧も興味深い事例です。


[92] 東国通鑑 の現在知られる本は朝鮮の歴史書です。 紀元編が挙げるような日本の古代年号は掲載されていないようです。

[93] 当時の清国では日本の歴史書が不正確に 吾妻鏡 ないし 東鑑 と呼ばれていたようです。本来の吾妻鏡は鎌倉時代の歴史書ですが、 あるいは古代から記述された本も東鑑の名で流布され、 それが誤引用されている疑いがあります。

[94] 紀元編成立以前に序の吾妻鏡補があり、 当書には古代年号も収録されています。

[102] 吾妻鏡補ないしそれに類する書籍を引用した別の書籍があって、 それが誤って鍾淵映の 紀元類聚考 と呼ばれたものだったのでしょうか。

メモ

[11] 纪元编 - 维基百科,自由的百科全书, , https://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%BA%AA%E5%85%83%E7%BC%96