番字契

新港語

[2] 新港語 (Sinkan Language >>26) は、 かつて臺灣で使われていた言語です。 >>1

言語

[3] 新港語シラヤ語方言です。 >>1

[4] 言語コードとして fos-sin が使われることがあります。 >>1

新港文書

[6] 新港語で書かれた契約書等が現存し、 新港文書 (新港文, 番仔契, 番字契, Sinkan Manuscripts >>26) と呼ばれています。 >>5

[28] 現在180件以上見つかっています。 >>26

[16] ただし、 新港文書には新港語のほか、 タイボアン語マカタオ語も含まれるとされます。 >>5 タイボアン族マカタオ族シラヤ族の支族として扱われてきたものの、 言語文化が異なり異民族と自認している >>17 ようです。

[9] 蘭領台湾時代にキリスト教宣教師が新港語ラテン文字表記したのが起源とされます。 >>5

[10] 年代が明らかで現存最古のものは麻豆文書です。 >>5

[14] オランダ語新港語ラテン文字表記を併記した頃の 聖書 も現存します。 >>13

[12] 清領台湾時代にもラテン文字表記は使われ続けました。

[11] 年代が明らかで現存最新のものはの21号新港文書です。 >>5

[7] 日本領臺灣時代に盛んに研究されました。

[8] 現在は中華民国台湾で研究されています。

文字

[158] ラテン文字 (ローマ字) で表記されます。

[159] 筆記体でそこそこ連綿して書かれます。

[160] 現代の印刷文字の字形に慣れた目では難読な部分も多いです。

[161] 大文字小文字の違いがあるのかどうか、ぱっと見ではよくわかりません。 すべて小文字で書かれているようにも見えますが、 大文字小文字の字形差が小さいだけの可能性もあります。 翻刻にはたまに大文字が出現します。 区別して使われていると判断したのかどうかはわかりません。

[162] たまにアクセント付きラテン文字が使われるようです。

[163] 翻刻では句点が使われることがあり、その他の記号もたまに現れます。 原文の写真ではよくわかりません。

[164] 数字も使われます (>>15)。

書字方向

[143] 新港語ラテン文字表記は左横書きされました。

[20] シラヤ族漢民族の契約文書には新港語漢文が併記されました。 >>19

[21] 用紙の片側に右上縦書き漢文が、 片側に左上横書き新港語 (左辺が下側) が、 併記されました。 >>22, >>29, >>141, >>152

分かち書き

[103] 分かち書きされます。

[102] 翻刻ではわかりにくいですが、 原文は手書きですから、 字間は一定していません。 語間の距離も近かったり遠かったりします。 >>69

[105] >>104, >>108

数値表現

[15] 数値欧州数字で記述されますが、 十進数位取り記数法とは異なる表記法が使われました。

[45] 例えば 「300605」 は 「300」「60」「5」 で 365 を意味します。 >>26, >>5


[104] 数値分かち書きされて単独で書かれますが、 直後の単位語とつながっているように見えることもあります。

[106] 逆に数値内でも「300 60 5」のようにのまとまりが感じられるように離し気味で書かれることもあります (が、くっついていることもあります)。離して書かれるとき、 前後のとはより広く離して書かれます。

[107] しかしこうした分かち書きの具合は翻刻時に必ずしも忠実に記述されないようです。

日時表現

[42] 年月日構成要素の表記順は、東洋の日時表示と同じです。

[43] ni (年), goij (月), sit (日) >>26, >>47 (sidt >>83, ssit >>135) を後置します。

[48] sia (正), so (四), sioung (終), lon (閏) の語も使われます。 >>47

[114] 元年は gowan ni >>73, gowang ni >>119 と書く他、 繋がって gowani >>94 と書く例もあります。

[127] 中文と同じように初旬を表す si (初) を日付に付ける例 >>124, >>135, >>137, >>149 があります。

[131] 月日」と書いて日付を入れない表現の事例があります >>80, >>126, >>170

[101] >>86, >>91, >>93 のように chi (契), m= (master) のような語が途中に挟まる事例があります。

[49] 元号の表現:

[115] バリエーションが多いのは原文時点での音訳揺れ、表記揺れとも思われますが、 原文は筆記体で細かい字形の解釈に難があり、 翻刻時の解釈揺れもあると思われます。

[108] 元号名は元は漢字2字の2音節語で、その意識が残っているのかやや離して2語のように書かれることもあるようです。 例えば >>71 は 「chianlliung」 と翻刻されていますが、 「chian lliung」 のようにも見えます。 ただし他の語間より狭いように見えます。

[165] 台湾清國に征服された雍正までは康煕でした。 康煕年間の新港文書があるのかは不明です。 現存最新の新港文書嘉慶年間です。

[100] 論文 >>69 では英訳で, 例えば >>78 を 「the twenty-eighth day of the fourth month in the sixteenth year of Emperor Chianliong」 のように説明しています。元号名皇帝名と解釈したようです。 (清国一世一元。)

[37] 写真で見る限り「ioungsing」の「sing」だけで「ioung」は書かれていません。 誤脱でしょうか、それとも省略形で通用していたのでしょうか。

[178] 清国の勢力が及ぶ前は紀年法をどうしていたのでしょうか。


[18] 現代シラヤ族は、 「毎年旧暦9月4日と9月5日に、Ta'ay(夜祭り)と孝海祭りを行」 う >>17 とされます。ここでいう旧暦とは台湾の農暦でしょうか。

メモ

[60] 研究成果問與答 | 中央研究院臺灣史研究所檔案館 - 臺灣歷史檔案資源網, https://archives.ith.sinica.edu.tw/collections_con.php?no=1

[58] 史學資訊 消失的「新港文書」, , http://www.education.ntu.edu.tw/school/history/News/2004/news20041202_4.htm

[59] Wayback Machine, https://web.archive.org/web/20210809091048/http://www.ling.sinica.edu.tw/files/publication/m0041_02_4667.pdf

[66] TECOM > search, http://tecom.digital.ntu.edu.tw/single.php?q=&museum=%E7%BE%8E%E5%9C%8B%E8%87%AA%E7%84%B6%E5%8F%B2%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8+%2F+AMNH+USA&id=2365

[67] untitled - 212171493343.PDF, , https://wwwacc.ntl.edu.tw/public/Attachment/212171493343.PDF