[1921] 伴信友は、 西琳寺古記 の寛政8(1796)年の藤貞幹の写本から引用し、
... ことから天平の縁起文を踏まえて銘文を解釈し、紀年は
... と解して実際は
「寳元廿年己卯」
であって寳元は元号ではない、としました。
>>1731
すなわち銘文紀年は欽明天皇20(559)年
[14] 茅原定は 茅窓漫録で、 「安閑天皇二年乙卯」 >>502 「安閑天皇二年己卯」 >>6150 p.111 より5年継続 >>6150 p.111 としました。
[33] 靖方溯源もこれに従いました。 >>6150 p.111
[34] 西琳寺文永注記に欽明20年の記事があるため、 それ以前の己未年から元年を定めた結果安閑2年となったとみられています。 >>6150 p.134
[22] 大和志料は、 「宣化四年河内文氏の一族金銅阿弥陀仏を鋳造し、 西琳寺を創始せしはその仏像光背の銘文に見えたり」 としていました >>21, >>6150 p.141 (宣化4年 = 安閑2年を元年とした5年)。
[7] 井上光貞は、 宝元を元号とし、 「斉明天皇宝元五年歳次己未正月」 の略と解しました。 >>502 (王仁の後裔氏族と其の仏教, 史学雑誌第五四巻第九号)、>>6 (王仁の後裔氏族と其の仏教, 井上光貞, 日本古代思想史の研究, 1982 (初出: 1943)) (「斉明天皇宝元五年歳次己未五月」 >>1943 (王仁の後裔氏族と仏教, 井上光貞, 昭和十九年九月))
[26] 寧楽遺文 下巻 (竹内理三編) は、 収録した金石文の銘文に関して、 「宝元五年己未」が斉明5年との説を示しました。 >>6150 p.141 久保常晴はこれを5年かつ己未年を求めたに過ぎないだろうとしました。 >>6150 p.141 (斉明5年とする根拠は明記されていなかったと思われます。)
[37] 大日本仏教全書 寺誌叢書三 (第119巻) 所収 西琳寺文永註記 (pp.256-257、PDF 136ページ) は、 該当部分を 「寬元五年己未正月」 (縦書き) としていました。 >>36
[15] 久保常晴は、 西琳寺文永注記 (出典: 大日本仏教全書 寺誌叢書三) に 「寛元五年己未正月」 とあり、これを誤認したものとしました。 >>6150 p.134 古京遺文 >>13 (久保の出典は古典全集本) 所収高田里結知識碑、 茅窓漫録や靖方溯源のほか、 紀元通略、 逸年号考 にみられるものの >>6150 p.125、 それより古い古代年号一覧に見当たらないことから、 江戸時代の化政期以後に誤認により発生したB類II型の古代年号としました >>6150 p.150。
[28] 寛元5年丁未は西暦1247年で、 久保説に従えば干支は誤記ということになります。 「宝」 (「寳」) は「寛」と字形が似ていますし、 寛元5年に宝治元年と改元されていますから、 なるほど誤記が生じる環境は整っていそうです。 文永当時からすると寛元はそれほど遠くない過去ということになります。
[16] ところが他の 西琳寺縁起 (西琳寺文永注記) 諸本は 「寛元」 ではなく 「宝元」 としており >>3, >>11, >>23、以後の研究者もこれを疑っていません >>1943。 原本を元にしたという刊本も 「寶元」 としていました >>48。 「寛元」 としたのは 大日本仏教全書 か、その原資料の誤りと考えられます。
[8] 所功は、「宝算」や「宝暦」と同種の天皇即位紀年の略称・美称であって元号ではないと推測しました。 >>502, >>6 (所功 1978)
[9] 田中卓は、天皇即位紀年を「宝元」と呼んだ事例はなく、 宝皇女 (斉明天皇) に関係する異年号だろうとしました。 >>6 (田中卓 1977)
[27] 日本年号史大事典は、 日本古代の (古代年号とは異なり実在性が高いとされる) 私年号として、法興と共に宝元を挙げ、 (所功説 >>8 を示しつつ) 5年は斉明天皇5(659)年だとしました。 >>6
[35] 斉明天皇時代を表すとする説に説得力の高い反論はなく、 一応これが現時点で定説となっている >>1939 PDF 6頁, >>1943 ようです。
[2] 信濃 [第3次] 10(8), 信濃史学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/6069588/1/12 (要登録)
[38] 安閑天皇以来文永までの己未年は: 359年 419年 479年 539年 599年 (← 推古天皇) 659年 (← 斉明天皇) 719年 779年 839年 899年 959年 1019年 1079年 1139年 1199年 1259年
[17] 西琳寺は推古天皇の時代の創建と考えられています >>18。
[20] しかし戦乱と廃仏毀釈で「中世以前の堂塔ほぼ全てを喪失」 >>18 したようです。 金堂阿弥陀仏像も現存しません >>1943。
[19] 西琳寺文永注記 は 鎌倉時代 (文永8年) 成立とされています。 >>18
[29] 実物が現存する法興と違って、ずいぶんと時代が下る記録しかないので、 あまり注目されないのでしょうか。