[11] 天孫紀元 (y~1729) は、 天孫降臨を元期とする紀年法です。 >>1
[12] Wikipedia は、 見出し語を天孫紀元、 読み方を「てんそんきげん」 としました。 >>1
[17] Uyopedia は、 皇紀、 天孫紀元、 天降紀元、 天祖紀年、 天孫降臨紀元、 皇孫降臨紀年、 天孫皇紀、 肇国紀元 >>2、 天祖降跡紀元 >>20 などの呼称があるとしました。
[14]
日本書紀
神武天皇即位前紀甲寅年に、
「自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲」
(1792470)
とありました。
「余」
とある通りこれは概数です。
日本書紀
編纂時点で既に正しい年数はわからなくなっていたのか、
元々概数でしかなかったのでしょう。
[18] 中世の神道研究で、 この年数は様々な推定値が示されました。 >>2
[19] そのうち近代以後に紀年法として実用されているのは、 >>2 の表の F、 天淵記 の値と一致するものです。 西暦年 + 1793133 で求められます。 その他の値を採用した例はみつかっていません。 >>2
[13] Wikipedia は、 西暦年 + 1793133 が天孫紀元の年としています。 ただし要出典としています。 >>1
[30] 近現代の日本の神道系の宗教団体で荒深道斉の流派が、 天孫紀元を使っていたようです。 本項執筆時点でも利用者が存在するようです。
[34] 日本国岐阜県不破郡垂井町の大岩手神社にある看板 大岩手神社御縁起 に、 「天降皇紀一七九万五千一二三年初冬七日 平成二年(一九九〇年)十一月二十三日」 (縦書き)、 「天降皇紀一七九万四千五六一年(正長元年(一四 二八年))」 (縦書き) とありました。 >>33
[29] 平成時代の日本の極右団体の大日本國民戰線は、 ブログ以外の活動が確認できませんが、 ブログ記事の署名では皇紀と天孫紀元を使いました。 記事本文では皇紀か平成を使いました。 西暦が併記されることも稀にありました。 外国との関係では西暦単記のこともありました。
[6]
日本の極右団体の同血新聞社の機関紙
闢邪
は、
紙面上部の日付欄に日本の元号と天孫紀元を併記していました。
「
[52] 日本語版ウィキペディアにはに記事が作られました。 >>49
[53] ところが令和4年になって突然、
個人サイトなどを除いて,実際に年を表す方法として使われた実績が見つかりません.
という理由で削除されてしまいました。 >>48
[54] ウィキペディアは仕様上、削除されてしまうと元の記事内容も確認できませんし、 変更履歴もわからなくなってしまいます。
[55] たまたまこの記事は Internet Archive に保存されていました >>51, >>49。
[56] 13年間も何の支障もなく公開され続けており、他サイト等からも参照されていた記事を削除するにしては調査も杜撰ですし、 編集履歴も隠すというのは、ウィキペディアほどの影響力を持つサイトとして、 社会的責任を軽視しすぎではないでしょうか。
[57] Internet Archive 所蔵の編集履歴 >>49 は日付くらいしか情報がありませんが、 活発に編集されていた時期もあり、 削除されて最終版にない節もあったようです。 (それがどんな内容だったのかも、もうわからないわけですが。)
[31] 他の紀年法と大きく離れた大きな年数のインパクトもあってか、 知る人の中では有名で人気のようです。 2ch などではたまに今年は何年だと書き込まれていたようです。 Twitter をみると Wikipedia によって知名度が上がった感じがあります。
[32] Web でも SNS でも実用例はごくごく一部をのぞいてみられません。 流石に桁数が大きすぎて実用的ではないのでしょう。
[39] 現代日本の保守派は日本の元号を主に使います。 神道関係者や極右勢力には皇紀を好んで使う人達もいます。 それに対して天孫紀元を使うべきと主張する人は、 極右の中でもかなり極端な思想の持ち主とみられます。 実用例は数えるほどに過ぎません。
[64] 肇國 - Uyopedia, , http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E8%82%87%E5%9C%8B#.E5.8E.9F.E7.90.86.E4.B8.BB.E7.BE.A9.E7.9A.84.E7.B5.90.E8.AB.96
肇国にしろ建国にしろ、便宜的な話ぬきに、本質をいえば、天孫降臨こそ肇國であり建国である。天孫降臨の神話を無視して、神武天皇だけを顕彰してもあまり意味はない。橿原神宮よりも高千穂神社・霧島神宮を、紀元節よりも元始祭を重視し、皇紀も神武天皇即位紀元でなく天祖降跡紀元を使うべきである。
[40] 年数の大きさではビッグバン紀元に次ぐものでしょうか。
[44] 大日本天皇紀, 朝倉尚絅, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/972114/1/39
[45] 火の国考 天の巻, 山口良吾, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1099658/1/6
[46] 綜合古事記純正講本 上巻, 荒深道斉, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3452727/1/199 (要登録)
[47] https://dl.ndl.go.jp/pid/7975224/1/75 (非公開)
歴史読本 21(6)[(254)]
雑誌
(Kadokawa, 1976-05)
75: 、二十世四百八十代、天孫紀元百七十九万二千年となる。この表でわかるように、皇孫ニニギノ尊降臨よ
[62] 暦 - Uyopedia, , http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E6%9A%A6%E5%88%B6#.E5.8E.9F.E7.90.86.EF.BC.9A.E6.98.9F.E8.AA.AD.E3.81.BF
荒深神道では1年を虫魚草木階年(むしなくさききざとし)、十干で戊の年(西暦で下一桁が8の年)を鳥獣階年(とりけものきざとし)、西暦で下二桁が68の年を高波建階年(たかなぎさたけきざとし、最近では1968年=昭和四十三年)、西暦で下三桁が868の年を火々出見階年(ほほでみきざとし、最近では1868年=慶応四年・大政元年)、西暦で下四桁が6868の年を邇々藝階年(ににぎきざとし、最近ではBC3133年)という。
荒深神道では1年を「種年」、10年間を「久々年(くくとし)」100年を「若年」千年間を「御年(みとし)」、1万年を「太歳(おほとし)」という。たとえば「16若年」といえば1600年、「8太歳」といえば8万年。