[45] 元禾は、日本の私年号の1つと考えられていたものです。
[46] 近代の研究環境の限界のため、公年号の元永が誤認されたものでした。
[5] >>80 の白黒写真は字形の細部がわかりにくいですが、「
[14] の板碑概説は、 >>11 を >>80 で初めて紹介されたもので、著者の服部清五郎は未見であるとしています。 >>4 /389 つまり、本書の記述は >>9 の写真に基づく判断ということでしょう。
[15]
「
[23]
この部分は版では
「
[16] 元禾というは私年號は初めて見たもので、あるいは元亨かもしれないものの、 干支年がないので断定できないとしています。 >>4 /389
[22] この部分は版では元亨あるいは元永かもしれない、 と変更されています。 >>21 /347
[17] 板碑は鎌倉時代のものだろうと推測されています。 >>4 /389
と書いています。>>29 >>22 >>23 はこれを踏まえたものと思われます。
[18] の書籍は、 板碑で使われる私年号の例の1つとして元禾が >>11 で使われており、 >>80 に掲載されていることを書いています。また、他の私年号と一括して、 板碑からみて足利期のものと思われるとしています。 >>3
[19] >>18 は内容の類似性より >>14 の大胆な要約のように思われます。
[38] の 国史辞典 は、 >>11 >>80 >>14 を根拠に、 元禾を鎌倉時代の私年号としています。 >>39
[37] なお、これらは元禾が >>80 にあると書いていますが、 >>80 にあるのは板碑の紹介文と写真だけであり、 しかも >>80 自体は「元永」と読んでいるのであり、私年号と初めて判断したのは >>4 のようです。
[40]
昭和時代の日本歴史大辞典は、
元
[41] 昭和37年の日本史巡見の手引 (日本私年号の研究所引) は、 元禾を室町時代の私年号としています。 >>39
[63] の角川日本史辞典の私年号の表は、 元禾を鎌倉時代の私年号としています。 >>62 それを出典とするの私年号の表は、 元禾を鎌倉時代の私年号としています。 >>61
[20] の久保常晴の論文は >>4 を引いて紹介していますが、それ以上の情報がないとしています。 >>2
[50] 昭和39年の久保常晴の論文は、私年号の1つとして元禾を収録し、
としていました。 >>49
[31] 昭和42年の日本私年号の研究は、余論で私年号的諸資料の1つに元禾を収録し、
禾は永の異体文字で公年号として矛盾ないとしています。 >>29
[36]
久保常晴は字形そのものは禾と表現して問題ないものとし、
永の異体字の1つという解釈を取っているようです。
[43] 日本語版ウィキペディアは、初期から掲載していましたが、 平成20年3月まで鎌倉時代説だったのが元永の誤認か、と変更され、 平成20年8月には完全に削除されました。 >>42 いずれの変更も理由は不明です。
[58] 平成時代のWebページ私年号一覧表は鎌倉時代の私年号としています。 >>39
[44] 日本私年号の研究以後に作られた主要な表には元禾はあまり掲載されていないようです >>39 が、 皆無ではありません。 >>59
[7] https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00106199-00000005-0345.pdf?file_id=63452 #page=28
元永 (寛永か)
永に強引に変更された痕跡が見えます。